安倍政権下での砂川事件最高裁判決の恣意的解釈考

 (最新見直し2015.06.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 他人様の論評は何やら分かりにくいが、ここで、「安倍政権下での砂川事件最高裁判決の恣意的解釈考」をしておく。

 2015.6.14日 れんだいこ拝


【安倍政権下での砂川事件最高裁判決の恣意的解釈批判】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK186 」のあっしら 氏の2015 年 6 月 12 日付投稿「新安保法制で安倍政権の憲法論と近いのは「合憲」論の百地氏や西氏?それとも「違憲」論の長谷部氏や小林氏?」を転載する。
 昨日投稿した「安倍首相は、奇妙なかたちで「戦後レジームからの脱却」をめざし、自ら“しばかれ隊”を買って出ている変態」
 http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/533.html

で書いたように、安倍首相自身が国民や他の政党から“しばかれたい”と思っているので、安倍首相を嫌いビシビシ批判して欲しいと思っているが、せっかく阿修羅にいるのだから、見えにくい内実も知って欲しいと思う。国会の憲法審査会に招かれた憲法学者が自民党などの推薦を受けた人を含め揃って新安保法制は「違憲」という見解を示したことで大きな騒ぎになっている。そのような状況を受け、社民党の辻元代議士と菅官房長官のあいだで、新安保法制を「合憲」とする憲法学者をリストアップするように求めた質疑応答まで行われた。新安保法制に関する論議では憲法論のウェイトが高まっているが、メディアを見聞きしたり阿修羅を読んだりしても、安倍政権の新安保法制に関する憲法的位置づけが理解されているようには見えない。安倍首相自らが、新安保法制のなかには「集団的自衛権の行使」も含まれていると語っているからわかりにくいのは当然ではあるが。今回は短く切り上げたいので、安倍政権の新安保法制にかかわる憲法論に照らしたとき、近いのは「合憲」論の百地氏や西氏なのか、それとも「違憲」論の長谷部氏や小林氏なのかという観点に絞って説明したい。結論を先に言えば、安倍政権の憲法論に近いのは、集団的自衛権の行使を「合憲」と明言する百地日大教授などではなく、集団的自衛権の行使を「違憲」とした長谷部氏や小林氏である。なぜなら、安倍政権は、昨年7月2日の閣議決定でも、今回上程した新安保法制に関する説明でも、集団的自衛権の行使は「違憲」と説明しているからである。ええっ、そんなバカな!と思われたしても、安倍首相自身が集団的自衛権の行使であるかのような“匂い”を発散させているのだから不思議ではない。しかし、閣議決定した内容は、あくまでも「国際的には集団的自衛権の行使と解釈されるかもしれない個別的自衛権の行使拡大」であって、「集団的自衛権の行使」ではない。(ただし、個別的自衛権の行使そのものが「違憲」である) このような愚劣で奇妙な話が横行しているのは、このかんいくつかの投稿で説明したように、「宗主国」である米国支配層から長きにわたって強く要請されている集団的自衛権の行使を受け容れたフリをするための新安保法制だからである。このような愚行から脱するためには日米安保条約の廃棄しかない。

 ※ ただし、日本は、安倍内閣も違憲とする「集団的自衛権の行使」を64年前から続けている:参照投稿

 「60年以上前から行使している集団的自衛権:議論されているテーマは“集団的自衛権”ではなく「他衛権」や「米軍下請けの範囲」」
 http://www.asyura2.com/14/senkyo166/msg/740.html


 安倍内閣が上程した新安保法制は、あくまで「国際的に集団的自衛権の行使と“誤解”されるかもしれないものも含む個別的自衛権行使の拡大」というのが安倍首相の考えである。そのような意味で、安倍政権が「新安保法制=違憲」論に対抗していうべきことは、新安保法制は、集団的自衛権の行使に踏み出したものではなく、あくまでも個別自衛権の範囲に収まるというものである。(「違憲」論は、憲法の“従来的”解釈に誤りがあるのではなく、新安保法制に関する解釈に誤りがあるという論) このように考えれば、安倍自民党が憲法審査会に「剛健」論者である百地氏や西氏ではなく「違憲」論者の長谷部氏を推薦した事情が見えてくるだろう。最後に、百地日大教授の「日本国憲法は集団的自衛権に言及していない。つまり、『否定していない』ということだ。よって、国家の固有の権利として、集団的自衛権を有すると考えることができる」のは間違っていない。個別的自衛権も集団的自衛権も国家として当然ながら権利を有しているが、立憲主義国家日本として、憲法で、その行使にとどまらず行使するための手段(軍事組織)の保持までも禁じているというのがまっとうな憲法解釈である。


【安倍政権下での砂川事件最高裁判決の恣意的解釈批判】
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK186 」のENMAZ 氏の 2015 年 6 月 13 日日付投稿「集団的自衛権の行使容認を砂川事件最高裁判決の法理により導くことはできない」を転載する。
 A.自民党の高村副総裁は、国会で審議中の平和安全法制、特に集団的自衛権の行使容認について、砂川事件最高裁判決を根拠に違憲であるという批判は全く当たらない、と主張している。高村副総裁の主張の要旨は次の通りである。

 1.砂川事件最高裁判決において、最高裁判所は、(1)わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことと認め、しかも、(2)必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておらず、集団的自衛権の行使は認められないなどとは言っていない。さらに、(3)我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う、と明確な判決を下している。

 2.安全保障環境の大きな変化を踏まえて、最高裁判決の法理のもとに、これまでの憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意して、従来の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理、法理の枠内で、合理的な当てはめの帰結を導いたもので、合理的な解釈の限界を超えるような便宜的、意図的憲法解釈の変更ではなく、違憲であるという批判は全く当たらない。

 B.しかしながら、砂川事件最高裁判決の法理により、集団的自衛権の行使を容認する解釈を導くことは全く妥当性を欠く詭弁に近い主張である。 1. 高村副総裁は、「砂川事件最高裁判決において、最高裁判所は、(1)わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことと認め、しかも、(2)必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておらず、集団的自衛権の行使は認められないなどとは言っていない」と主張する。

 2. 砂川事件最高裁判決において、最高裁判所は、「(憲法9条) は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」、「憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである」と述べている。

 3.最高裁判所が、「(1)わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことと」、としているのは、「われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意した」として、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条に反するかどうかを判断する前提として述べたものである。すなわち、わが国が自衛のための措置を取り得ることを前提にしなければアメリカ合衆国軍隊の駐留につての理由付けができないからである。

 4.上記「(1)わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置」は、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条に反するかどうかを判断する前提であるから、集団的自衛権、すなわち、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃を、我が国が直接攻撃されていないにもかかわらず、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処することなどは、まったく考慮する必要がなかったのである。すなわち、砂川事件最高裁判決おける、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」との記述は個別的自衛権について述べたものであることは明白である。そのことは、また判決において、「(憲法9条) は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」と記述している通り、我が国が攻撃された際に無防備、無抵抗ではなく自衛する権利があることを述べている(他国が攻撃されたときの我が国の無防備、無抵抗を述べるのは意味をなさない)のであって、ここで記述している自衛権は個別的自衛権であることは明らかである。

 5.従って、高村副総裁が主張するように、砂川事件最高裁判決において、「(2)必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておらず、集団的自衛権の行使は認められないなどとは言っていない」というのは当然である。砂川事件最高裁判決はアメリカ合衆国軍隊の駐留について、その憲法適合性を、個別的自衛権を前提に判断すればそれで十分だったから、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をする必要がないのであり、集団的自衛権の行使は認められないなどとは言っていないのは、当然である。すなわち、砂川事件最高裁判決においては、集団的自衛権は全く考慮の対象外だったのである。

 6. 上記の通り、砂川事件最高裁判決における「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」との記述は、個別的自衛権に関する記述であるから、この記述に基づき集団的自衛権が認められるとの高村副総裁の主張は、砂川事件最高裁判決の歴史的状況や最高裁判決の法理を無視するものであり、最高裁判決の合理的な解釈から離れた、詭弁に近い主張である。

 7. 砂川事件最高裁判決における「自衛のための措置」が個別的自衛権に関する記述であるからこそ、それ以降の政府見解でも、砂川事件最高裁判決を何ら引用せず、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとしてきたのである。


【安倍政権下での砂川事件最高裁判決の恣意的解釈批判】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK186 」のあっしら氏の2015 年 6 月 13 日付投稿「砂川事件最高裁判決:違憲審査権を行使していない判決を「自衛権の行使」の合憲性に援用する安倍内閣の錯誤」を転載する。 
 「伊達判決」として有名な砂川事件一審判決(東京地裁:1959年3月30日)は、確かに憲法第81条に規定されている違憲審査権を行使しているが、跳躍上告で「伊達判決」を破棄し差し戻した最高裁の判決(1959年12月16日大法廷)は、違憲審査権を行使していないどころか放棄してしまっている。 駐留米軍の違憲性を根拠に被告人たちに無罪の判決を下した第一審「伊達判決」は、米国政府に強い衝撃を与えた。それは、判決の翌日、マッカーサー駐日アメリカ大使が当時の藤山外相に「日本政府が迅速な行動を取り東京地裁判決を正すこと」を要求したという“迅速な対応”ぶりからも窺い知れる。米国サイドの要求を受けた日本政府は、跳躍上告に踏み切った。そして、当時の田中耕太郎最高裁長官が、公判日程や判決の見通しなどをマッカーサー大使に説明するという、司法権の独立どころか国家の主権や独立そのものが疑われるような前代未聞のプロセスを経てわずか9ヶ月足らずで出されたのが「砂川事件最高裁判決」である。 このような経緯があるため、最高裁は、一審の無罪判決を破棄するだけでなく、日米安保条約と日米行政協定(現在は日米地位協定)の“有効性”を宣明する責務を負った。たんに被告人に対する無罪判決は誤りという判断をするのではなく、日米安保条約に基づき米軍が日本に駐留し続けることができるための“司法的理屈付け”を求められたのである。

 ■ 一審「伊達判決」の内実

 砂川事件裁判は、在日米軍立川基地の拡張に抗議するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったことで、日米安保条約行政協定に伴う刑事特別法に基づき起訴されたことにより行われた。 憲法第9条にかかわる名高い「伊達判決」も、検察が刑事特別法ではなく軽犯罪法を訴因として被告人たちを起訴していれば、世に出ることがなかった可能性が高い。というのは、一審が無罪とした根拠は、「軽犯罪法の規定よりも特に重い刑罰をもつて臨む刑事特別法第2条の規定は、前に指摘したように何人も適正な手続によらなければ刑罰を科せられないとする憲法第31条に違反し無効」というものだったからである。そのような主文でありながら、一審判決は、「安全保障条約及び行政協定の存続する限り、わが国が合衆国に対しその軍隊を駐留させ、これに必要なる基地を提供しまたその施設等の平穏を保護しなければならない国際法上の義務を負担することは当然である」とも述べており、米軍の駐留を違憲としつつも、条約に基づく現実状態は尊重すべきという考えを示している。このような判決内容から、違憲である日米安保条約をどうするのかは、司法の問題ではなく、政府(議院内閣制だから国会)の責任と考えていたと推察することができる。 「伊達判決」を約めると、「米軍の日本駐留は憲法第9条に反するもので違憲だが、条約に基づき駐留している限り日本国は基地を提供し保護する国際法上の義務を負う。しかし、違憲であることから、在日米軍の平穏を破る犯罪があったとしても、同じ犯罪行為について規定している他の法令の刑罰よりも重い刑罰を科すことはできない。それゆえ、軽犯罪法よりも刑罰規定が重い刑事特別法を適用したのは検察の刑事訴訟法(手続き)上の誤りと言えるため起訴そのものが無効である。よって被告人を無罪とする」というものである。

 ■ 最高裁は砂川事件について違憲審査権を放棄

 民主党の枝野幹事長や日経新聞などは、砂川事件最高裁判決について、「個別的自衛権、集団的自衛権を区別していない。「自衛権」を認めているだけ」という見解を示しているが、それも誤りである。まず、憲法論的に言えば、憲法第81条の「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」という規定は、独立した違憲審査の手続きを定めた法律もないことから、欧州大陸的な抽象的審査制ではなく米国型の付随的審査制と解釈するのが現在のところ妥当であり、在日米軍の施設に立ち入った犯罪をめぐる裁判で“抽象的に”自衛権(行使)の憲法適合性を審査すること自体が誤りになる。砂川事件裁判で違憲審査の対象にできるのは、在日米軍の駐留に関してだけであり、一般的な自衛権行使をその対象にすることはできない。

 このような違憲審査のあり様は、「警察予備隊違憲訴訟」で見せた最高裁1951年10月8日大法廷判決で確認することができる。 今となっては、それでも!違憲論なの?という感慨を抱かせるような話だが、自衛隊の前身である警察予備隊の設置を巡り、社会党委員長の鈴木茂三郎氏が憲法第9条に反するという訴えを直接最高裁判所に対して行ったものである。最高裁は、「訴え却下。最高裁大法廷は全員一致で、訴えを不適法とした。すなわち、日本の裁判所が行えるのは司法権であり、司法権を行使するには具体的な訴訟の提起を必要とする。具体的な訴訟が提起されないのに憲法及びその他の法律等に判断を下す権限はない。また、司法権の範囲内において下級裁判所も違憲立法審査権を行使でき、逆に今回のような裁判はいかなる裁判所も裁判権を有しない」という判決を下した。簡略化すると、「具体的な権利義務や法律関係がない訴えについて裁判所の違憲審査権は及ばない」と「門前払い」に処したわけである。判決は、警察予備隊の違憲性についてはまったく触れていない。

 それはともかく、最高裁は砂川事件の判決文のなかで、日米安全保障条約は、「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するもの」であり、「違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない」と説明している。続けて、「従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外」であると結論付けている。さらに、「第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきもの」と述べ、一審が米軍駐留の違憲性を根拠に無罪判決を出しているにもかかわらず、「このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となっている場合であると否とにかかわらない」と、違憲審査を放棄し「統治行為論」で逃げている。砂川事件最高裁判決は、違憲審査の最高裁判例に反するうえにとってつけたような抽象的自衛権論を語っているだけで、米軍の駐留が合憲とも違憲とも言っていなければ、自衛隊が合憲かどうかも判断していないのである。

 といいつつも、最高裁としては米軍駐留継続のお墨付きを付与しなければならない。 そのため、「(アメリカ合衆国の)駐留軍隊は外国軍隊であって、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となってあたかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである」と、憲法第9条で規定されている「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とは“無関係”の存在と認定することで、米軍駐留は政治的判断にのみ委ねられる問題と位置づけ駐留継続を“正当化”している。

 私に言わせれば、最高裁のこのような判断は、日本はアメリカ合衆国の「保護国」なので、日本政府が口を挟むことさえできない米国(外国)軍隊を駐留させることも致し方ないとする「非独立国宣言」とも言える哀しいものである。 (おかしな褒め方だが、やすやすと日米安保条約=合憲論を示さなかったのは、さすが田中耕太郎さんともいえる。米軍駐留の継続については、政治すなわち国民の判断に委ねたのである)

 10日の衆議院安保法制特別委員会でも、共産党宮本徹議員の質疑に対し、横畠内閣法制局長官が、砂川事件最高裁判決は「集団的自衛権について触れていない」ことを認めたうえ、安倍首相がドイツで新安保法制合憲の根拠とした部分についても、「裁判で結論を出すために直接必要な議論とは別」の「傍論」に過ぎないと答弁している。

 ※ 安倍首相は国会の憲法審査会で新安保法制=違憲論一色になったことを受け、ドイツで会見し、法案が合憲との根拠について砂川事件最高裁判決をあげ「わが国の存立を全うするために自衛の措置を取りうることは国家権能として当然のこと」と指摘したうえ、「他国の防衛を目的とするのでなく、最高裁判決に沿ったものであるのは明白」と述べた。

 一方、左派から高い評価を受けてきた「伊達判決」は、日本が望むことで米軍が駐留しているのだから日本にとっての戦力に他ならないと判断している。 伊達判決は、「わが国が安全保障条約において希望したところの、合衆国軍隊が外部からの武力攻撃に対してわが国の安全に寄与するため使用される場合を考えて見るに、わが国は合衆国軍隊に対して指揮権、管理権を有しないことは勿論、日米安全保障条約上合衆国軍隊は外部からのわが国に対する武力攻撃を防禦すべき法的義務を負担するものでないから、たとえ外部からの武力攻撃が為された場合にわが国がその出動を要請しても、必ずしもそれが容れられることの法的保障は存在しない」と最高裁の見解と変わらない内容を示しつつ、「日米安全保障条約締結の動機、交渉の過程、更にはわが国とアメリカ合衆国との政治上、経済上、軍事上の密接なる協力関係、共通の利害関係等を考慮すれば、そのような場合に合衆国がわが国の要請に応じ、既にわが国防衛のため国内に駐留する軍隊を直ちに使用する現実的可能性は頗る大きいものと思料される」として、米軍駐留が憲法第9条に反するものと判断している。


 今話題になっている砂川判決を知る一助になればと思い、かいつまんだ内容で投稿させてもらった。

 ※ 参照投稿

 「新安保法制で安倍政権の憲法論と近いのは「合憲」論の百地氏や西氏?それとも「違憲」論の長谷部氏や
小林氏?」 
 http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/582.html

 「安倍首相は、奇妙なかたちで「戦後レジームからの脱却」をめざし、自ら“しばかれ隊”を買って出ている変態

 http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/533.html


【安倍政権下での砂川事件最高裁判決の恣意的解釈批判】
 ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK187」の笑坊 氏の2015 年 6 月 19 日付投稿「江川紹子が、高村の異端な砂川判決説の問題点をわかりやすく解説(日本がアブナイ!)」を転載する。
http://mewrun7.exblog.jp/23292710/
 2015年 06月 19日

 自民党の高村副総裁が昨年、急に1959年に出た「砂川判決」を持ち出して、集団的自衛権の行使は最高裁の判決で認められていると主張。<昨日、国会で、かつては集団的自衛権は現憲法では許されないと発言していたことを指摘されていたりして。^^;> 安倍自民党は、その高村説も根拠にして、安保法制は憲法に違反しないとして、法案成立を急ごうとしている。(-"-)

 しかし、当ブログでも何度も書いているように、「砂川判決」は集団的自衛権の行使を争点にしたものでも、その合憲性を判断したものでもないのである。(・・) それゆえ、「砂川判決」が出てから50年以上、政治家、学者などを含め、この判決を根拠に集団的自衛権の合憲性を主張した人などいなかったのであるが。果たして、ごく一部の超保守思想を持つ政治家の異端な(異常な?)見解によって、憲法9条の条文や判例の解釈が歪められ、日本のあり方が変わってしまっていいのか・・・mewは、大きな疑問を抱いている。(**)

 でもって・・・江川紹子さんが、砂川判決を集団的自衛権行使の合憲性の根拠に用いることへの問題点を、とてもわかりやすく書いていたので、それをアップしたい。


 『なぜ、今、「砂川判決」なのか──本当の問題点と珠玉の部分【江川紹子の事件簿】

 HARBOR BUSINESS Online / 2015年6月13日

 ◆最高裁が自衛隊に触れた唯一無二の判決

 最高裁の「砂川判決」が脚光を浴びている。 集団的自衛権の行使容認の違憲性が話題になるたびに、政府や自民党によって、半世紀以上も前に出された判決を持ち出される。衆議院憲法審査会で参考人となった憲法学者が、そろって審議中の安保法案を「憲法違反」と断じた後、政府が慌てて出した見解や自民党が所属議員に向けて配った文書でも、この「砂川判決」が使われた。なぜ、今、「砂川判決」なのか。集団的自衛権行使容認の牽引役となってきた高村正彦・自民党副総裁は、次のように語っている。「この判決が、私が知る限り、最高裁が自衛権に触れた唯一無二の判決だ」。では、この唯一無二の司法判断は、果たして集団的自衛権を行使し、自衛隊を海外に展開させることを合憲と言っているのだろうか。結論から言うと、NOである。判決文のうち、政府や自民党が、繰り返し引用するのは、次の部分だ。

<わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の機能の行使として当然のことといわなければならない>

 そして、この判決では「個別的自衛権」と「集団的自衛権」は区別されていないから、<集団的自衛権を行使することはなんら憲法に反するものではないのです>(自民党所属議員宛の書面)という。つまり、「最高裁が違憲だと言っていない以上、違憲じゃない」という主張である。

 ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

 ◆争点は米軍駐留の合憲性

 最高裁は、なぜ集団的自衛権を「違憲」としなかったのか。それは単に、自衛権の種類について話題にならなかったからにすぎない。この判決は、米軍基地の拡張に反対する人たちが基地内に立ち入ったことが犯罪になるかどうかが争われた刑事事件について出されたもので、争点は米軍の駐留の合憲性だった。判決は、憲法9条の戦争放棄と戦力不保持によって生じた防衛力の不足を補うために、米軍の手を借りることを容認しただけだ。そのために、自衛隊が日本の外まで出て行って、米軍のお手伝いをする、という話は、かけらも出ていないのである。最高裁判決には「自衛隊」という言葉さえ出てこない。話題にならなかったから言及しなかったものを、あたかも最高裁が認めているかのように言い募るのは、牽強付会に過ぎる。この判決で、注目すべきなのは、政府や自民党が引用する一文ではなく、次の3点だろう。

 ひとつは、米軍駐留の根拠になっている日米安保条約については、「高度の政治性を有する」ので「司法の判断にはなじまない」とする「統治行為論」などを持ち出して、判断を避けている点だ。一見して明白に違憲無効と判断できるものでない限り、違憲立法審査の対象にはしない、という考え方である。最近、政府や自民党は、多くの憲法学者からの「憲法違反」との批判に対し、「憲法解釈の最高権威は、憲法学者ではなく、最高裁だ」として、最高裁の権威を強調する発言が相次いでいる。しかし、日本の最高裁の違憲立法審査は、法案や法律そのものの違憲性を直接審査するわけではない。実際に訴訟が提起され、その事件を判断するうえで法律の合憲性が問題になった時に、初めて違憲立法審査が行われる。しかも、裁判は一審から始まるわけで、現在審議中の安保法案に関して、最高裁の判断が出るのは、おそらく相当先の話になる。しかも、こうした安全保障法制は「高度の政治性を有する」のだから、「統治行為論」などによって最高裁は違憲判断は避けてくれるはずだ――これが、最高裁を持ち上げる政府・自民党のもくろみだろう。その前例としても、砂川判決は貴重なのだろう。

 しかし、この「砂川判決」を、あたかも黄門様の印籠のように扱い、持ち上げてしまっていいのだろうか。注目すべき2点目は、この判決の出自である。砂川事件は、一審が米軍駐留を違憲として無罪判決が出たため、政府はすみやかに逆転有罪判決を目指すべく、高裁をすっ飛ばして最高裁に「跳躍上告」した。アメリカ側からプレッシャーはものすごかったようだ。駐日米国大使が日本の外務大臣に対して「跳躍上告」を促す外交圧力をかけたことも判明している。

 ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

 ◆戦後司法の歴史の中で、最大の汚点

 プレッシャーは、日本政府だけでなく、裁判所にももたらされたようである。当時最高裁長官だった田中耕太郎は、何度も米国大使館などにおもむき、駐日米大使に対して、判決の時期や審理の進め方、見通し、一審判決批判などを説明している。大使が本国に送った報告の電文などが、米国側ですでに開示されていて、その事実を裏付けている。判決前に裁判長がこのような情報を外部にもらすなど、通常では考えられないことだ。日本の主権や司法の独立という点で、「砂川判決」は、戦後の司法の歴史の中で、最大の汚点とも言うべき出来事あろう。日本国憲法を米国からの「押し付け」などと言って嫌う人たちが、こういういわば国辱的判決をありがたがる、というのは、非常に奇妙な気がする。そのような判決でも、読み直してみると、当時の裁判官たちの思いと英知が込められた、きらりと光る部分はある。それは、日米安全保障条約に関する司法判断を避けつつ、こう書いているところだ。

 <第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする>

 安全保障にまつわる条約という非常に難しい問題なので、司法が判断することはあきらめる。けれども、憲法の埒外の聖域に置いてよいわけではない。だから、とりあえずは条約を締結する内閣や批准を行う国会の判断に従うとしても、最終的には「主権を有する国民の政治的批判」に任せるべきだという指摘である。この点こそが、「砂川判決」の肝であり、最も注目すべき珠玉の部分ではないか。ましてや、今回は国際的な条約とは異なり、国内法の制定なのである。今回の安保法案に関しては、様々な報道機関が世論調査を行っているが、いずれも今国会での成立はすべきでないという意見が圧倒的である。法案に対しても、国会審議が始まってから、むしろ反対意見が増えている。

 ◆判決に書いてあることを大事にすべき

 たとえば、読売新聞が6月5~7日に行った世論調査。同社の調査では、この法案については、以下のように極めて誘導的な問いがなされている。「安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか」。

 「日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大する」法案への賛否を問われて、「反対」とはなかなか言いにくいだろう。ところが、その結果は「賛成」40%(前回46%)、「反対」48%(同41%)と、「反対」が「賛成」を上回った。しかも、「賛成」は前月の調査に比べて6ポイント下落し、「反対」は7ポイント増えている。法案の今国会成立については、「反対」が59%(前回48%)で約6割となり、「賛成」の30%(同34%)の倍近くに達した。政府は、国民に対して責任を負っている。第一に果たすべきは、説明責任であろう。ところが、この読売新聞の世論調査では、「政府・与党は、安全保障関連法案の内容について、国民に十分に説明していると思いますか」という問いに対して、「十分に説明している」と回答したのは、わずか14%。実に80%が「そうは思わない」と答えている。この数字は、前月の81%とほぼ横ばい。国会審議が始まっても、政府の説明責任は果たされていない。

 最高裁の「砂川判決」は、集団的自衛権については触れていないが、安全保障がかかわる司法判断が難しい問題も、「主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべき」とは明記している。判決が書いていないことを、あれこれ推測するより、書いてあることを大事にすべきだろう。「砂川判決」が大事なら、「主権を有する国民の政治的批判」を無視し、今国会成立にこだわることは、とうていできないはずである。【了】 』 THANKS


 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK187 」の赤かぶ氏の2015 年 6 月 20 日 日付投稿「駐日米国大使発米国務省宛て3本の極秘公電の翻訳文を公開する 天木直人(新党憲法9条)」を転載しておく。
 駐日米国大使発米国務省宛て3本の極秘公電の翻訳文を公開する
 http://new-party-9.net/archives/1913
 2015年6月20日 天木直人のブログ 新党憲法9条

 以下に掲載するのは1959年4月から11月にかけて、ダグラス・マッカーサー2世駐日米国大使(筆者註:連合国最高司令官として知られているダグラス・マッカーサーの甥)から米国国務省宛てに送られた3本の秘密公電を私が翻訳した、その全文である。すでにお知らせしてきた通り、6月18日に、砂川判決再審請求訴訟の原告、土屋源太郎さんらによる記者会見が衆院議員会館で開かれた。その全貌はhttp://www.ustream.tv/recorded/64096162で見る事ができるので是非ともご覧いただきたい。
国民必見の記者会見である。その時配布された資料の一つに私が訳した公電の翻訳があったが、動画では見る事が出来ないのでここに公開するのである。この翻訳の内容は記者会見の席上配布されたものと同一のものであるが、そのコピーをそのまま転載したものではなく、原告側が指名し、東京地裁が公認した原告側翻訳官としての私が、自らの原稿に基づいて再現したものである。なぜそうしたか。それは、翻訳した時の私のその時の心境を共有してもらいたいと思ったからである。6月18日の記者会見でも話したが、私はこの公電を、ひとつの光景を頭に描きながら、そしてこの公電を発見したジャーナリストや学者の方たちに敬意を表しながら、私の高ぶる感情をぶつけるように一字一句翻訳したのだ。この国の司法の最高権力者が、よりによってみずから何度も足を運び、米国政府から全権を委任されているマッカーサー駐日米国大使と都内某所で何度も密会を重ねているその光景はあまりにもおぞましい。砂川判決の情報提供とみずからの私見と司法指揮権限をあますことなく伝え、米国政府の意向に迎合する。これは裁判の中立と守秘義務と言う根幹を否定する不当、不法な行為である。あってはならないことだ。それをこの国の司法のトップが自らおかしていたのだ。当時の報道をひもとくと、予断や司法介入があったのではないかという疑義に対し、田中耕太郎は「一切ない」と言い切っている。どのような顔をしてそこまでの虚偽答弁が出来たというのか。そのような田中耕太郎最高裁長官に、この国は、菊花大綬章という最高位の勲章を与えている。私はここに、この国の戦後一貫した対米従属の原点を見るのである。

 歴代のこの国の指導者たちは、すなわち自民党政権の首相らは、あるいは密約を重ね、あるいはウソの答弁を繰り返して、ことごとく日本国民の願望より、米国の命令を優先させ、それに従ってきた。その対米従属ぶりは、時代的背景や首相の個性によって、程度の差はあったが、その本質はいささかも変わらなかった。しかし、いずれの首相も米国の命令と国民の声の狭間の中で、揺れ動き、悩んだ。ところがついに戦後70年と言う節目の年に、安倍首相という、何のためらいもない暴走首相によって、この対米従属が憲法9条否定の安保法制案成立の強行と言う形で、完成させられようとしている。そんな矢先に、田中耕太郎最高裁長官と彼の下した砂川判決の根本的な違憲判決が、皮肉にも、米国の極秘公電の公開と言う形で、満天の下にさらされたのである。天網恢恢という言葉があるが、いままさに、神の手によって、「米軍基地は憲法違反であり、米軍基地を容認した日本政府は憲法9条をおかした」と断じた1959年の名判決、伊達判決がよみがえったのである。伊達判決がよみがえって安倍暴政にストップをかけたのだ。安倍首相は憲法9条によってひとたまりもなく罰せられようとしている。我々の憲法9条を守るという気概がそれを現実のものとするのである。戦後の日本の政治史のクライマックスを、国民の手で安倍首相を弾劾するという形で飾るのだ。その思いを込めて、私は翻訳文の全文を以下に公開する。

 1. 1959年4月24日付電報

 最高裁判所は4月22日、砂川裁判の東京地方裁判所判決に対する最高検察庁による上告趣意書の提出期限を6月15日に設定した。これに伴い、被告の弁護側は彼らの立場を示す文書を提出することになる。外務省当局者は大法廷での上告の審理はおそらく7月中旬までに始まるだろうと我々に伝えている。しかし、現時点では、判決が下される時期を推測するのは不可能である。田中裁判長は大使(筆者註:マッカーサー駐日米国大使)との内密の会話の中で、本件訴訟は優先権が与えられているが、日本の手続きでは、判決に至るまでには、審理が始まった後少なくとも数か月はかかる、と述べた。

 2. 1959年8月3日付電報

 共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長は駐日米国大使館首席公使に対し、砂川裁判の判決はおそらく12月になると今は思うと語った。田中裁判長はまた、弁護団は裁判の結審を遅らせるためにあらゆる可能な合法的手段を試みているが、彼(筆者註:田中裁判長)としては争点を事実問題ではなく法的問題に限定することを決めていると述べた。この考えに立って、彼は、9月はじめに始まる週から週一回、それぞれ午前と午後の二回開廷すれば、遅くとも三週間で口頭弁論を終えることができると確信している。問題はその後に生じうる。なぜなら彼の14名の同僚裁判官たちの多くがそれぞれの見解を長々と論じたがるからだ。裁判長はまた、結審後の評議が、実質的に全会一致の判決が下されるような、そして世論を”乱す“少数意見が回避されるようなやり方で行われるよう希望していると付言した。

 コメント(筆者註:これは米国公電に書かれている言葉で米国大使のコメントである。私のコメントではない)

 (米国)大使館は最近、外務省や自民党の情報源から、日本政府が新日米安全保障条約の提出を12月から始まる通常国会まで延期する決定をしたのは、砂川裁判判決を、最高裁判所が当初意図していた晩夏ないし初秋までに出す事が不可能になった事に影響されたという複数の示唆を得た。これらの情報源は、砂川裁判の進捗状況が新条約の国会提出を延期した決定的理由ではないが、砂川裁判が審理中であることは、そうでなければ避けられたであろう、社会主義者やその他の野党に論争点を与えかねないと受け止められていることを教えている。さらにまた社会主義者たちは米軍の日本駐留は憲法違反であるという地方裁判所の判決に強く傾倒している。もし最高裁判所が地方裁判所の判決を覆し、国会で審議が行われているその時に、政府側に有利な判決を下すなら、新条約を支持する世論の風潮は大きく助けられ、社会主義者たちは政治的柔道の中で、みずからの奮闘により逆に投げ飛ばされることになろう。

 3. 1959年11月5日付電報

 田中裁判長との最近の非公式の会話の中で、我々は砂川裁判について短い議論をした。裁判長は、時期については明言できないが、いまや来年のはじめまでには最高裁は判決を下すことができるだろうと言った。彼は、15人の裁判官にとって最も重要な問題は、この裁判に取りかかる際の最大公約数を確立することだと見ていた。田中裁判長は、可能であれば、裁判官全員が一致して、適切で、現実的な、いわば合意された基本的規準に基づいて裁判に取りかかることが重要だと言った。彼は、裁判官の何人かは「手続上」の観点から事件に取りかかろうとしているのに対し、他の裁判官は「法律上」の観点から事件を見ており、さらにまた「憲法上」観点から問題を考えている者もいることを、示唆した。

 (私は田中との会談からつぎのように推測できた。すなわち何人かの裁判官は、伊達判事を裁判長とする第一審の東京地方裁判所には米軍駐留の合憲性について裁定する司法権はなく、東京地方裁判所は、みずからの権限と、米軍基地への不法侵入という東京地方裁判所に最初に付託された争点を逸脱している、という厳密な手続上の理由に基づいて判決を下す考えに傾いている。他の裁判官は、最高裁判所はさらに踏み込んで、最高裁判所自身が米軍の駐留が提起する法律問題を扱うべきだと考えているようだ。さらにまた他の裁判官は、日本国憲法の下で日米安保条約は憲法より優位であるかどうかという、憲法上の問題に取り組むことを望んでいるかもしれない。) 田中裁判長は、下級審の判決が支持されると思っているような様子は見せなかった。それどころか反対に、彼は、それは覆されるだろうが、重要な事は、この事件に含まれている憲法上の争点について判断が下される場合は、15人の裁判官のうち、できるだけ多くの裁判官が一致した判決を下すことだと考えている印象だった。すなわち、伊達裁判官が憲法上の争点について判断を下したことは大きな誤りであったと、彼は述べた(了)

 田中耕太郎 - Wikipedia  日本司法権の独立を米国に売った男!
 
 1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者、法哲学者。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学 ... 実弟に、飯守重任(元鹿児島地方裁判所・家庭裁判所所長)がいる。

 生涯履歴

 裁判官・検察官であった田中秀夫の長男として鹿児島県鹿児島市に生まれる。父の出身地は佐賀県杵島郡北方村(現在の武雄市)。高等小学校2年次に岡山中学入学。次いで父の赴任に従って新潟中学を経て、福岡県立中学修猷館(後の修猷館高校)卒業。修猷館の同期には青山学院院長・古坂嵓城がおり親友であった。第一高等学校と海軍兵学校の両方に合格し、父の勧めで第一高等学校へ進学。卒業後は東京帝国大学法科大学法律学科に進学。在学中の1914(大正3)年、高等文官試験行政科に首席合格している。1915(大正4)年、東大を首席で卒業し恩賜の銀時計を授かる。松本烝治門下であり、門下生に鈴木竹雄、西原寛一、石井照久、片山金章などがいる。同期には唐沢俊樹らがいる。

 内務省に勤務するが1年半で退官。1917(大正6)年、東京帝国大学助教授となる。この頃、修猷館・一高・東大の先輩である塚本虎二の紹介で無教会主義キリスト教の内村鑑三の門下生となっている。欧米留学後、1923(大正12)年、東京帝国大学教授に就任、商法講座を担当した。専門は商法学。教育基本法をはじめとする各種立法にも参加したが、他方、トミズムに立脚した法哲学者としても広く知られ、『世界法の理論』全3巻(1932年-1934年)においては、法哲学、国際私法、法統一に関する論を展開した。商法学者として研究を始めた彼は、手形上の法律関係が、証券に結合された金銭支払いを目的とする抽象的債権が転転流通する性質から、売買等の通常の契約関係と異なることや、その強行法規性、技術法的性質、世界統一的性質を基礎づけたことで知られている。商取引の国際性・世界性に着目し、商法という実定法研究から、名著『世界法の理論』(朝日賞受賞)にいたるような法哲学研究にまで領域を広げていった。実質的意義の商法について「商的色彩論」を提唱した。

 1924(大正13)年、大学時代に「お月さまの妖精」と自ら呼んだ女性に恋い焦がれたエピソードを持つ。商法講座の前任者であった松本烝治の娘・峰子と結婚し、峰子の影響によりカトリック信仰の真理性を確信するようになり、1926(大正15).4月に岩下壮一神父を代父として、上智大学初代学長ヘルマン・ホフマン師より受洗している。聖公会からカトリックに改宗していた峰子の影響を受けて無教会主義キリスト教からカトリックに改宗したことになる。以後、カトリックの立場からの反共産主義を唱えることになる。

 田中はカトリックへの接近に伴って、それまで必要悪とみなしていた法や国家に積極的な意味を見出して研究に意欲を燃やし、そこから商法学における画期的な「商的色彩論」および大著『世界法の理論』をはじめとする豊かな成果が生み出された。1929(昭和4)年、法学博士の学位を授与される。1937(昭和12)年、東京帝国大学法学部長に就任する。1941(昭和16).5月、帝国学士院(日本学士院の前身)会員に選定される。 第二次世界大戦末期には、南原繁、高木八尺らと東京帝大の知米派教授グループによる対米終戦交渉、カトリック信者としての人脈を生かしてのローマ教皇庁を通じた対外和平工作にも関与した。敗戦まで16年獄中にいた日本共産党幹部の志賀義雄が一高の同窓生であることもあって、食料や本などの差し入れを続け、戦時中は軍部にとって要注意人物とされた。

 1945.10月、文部省学校教育局長に転ずる。1946.5月、第1次吉田内閣で文部大臣として入閣。文相として日本国憲法に署名。6月、貴族院議員に就任。1947年、参議院選挙に立候補し第6位で当選。緑風会に属し、緑風会綱領の草案を作成。その後も文相として教育基本法制定に尽力した。

  1950年、参議院議員を辞職して最高裁判所長官に就任。閣僚経験者が最高裁判所裁判官になった唯一の例である。長官在任期間は3889日で歴代1位。最高裁判所長官就任後、「田中長官、共産主義の仮面を痛撃『目的は憲法の否定』」と報じられるなど戦前も戦後も一貫して反共主義者であった。最高裁長官時代の田中の発言として有名なものとして、後に「世紀の冤罪」として世間を賑わせた八海事件の際に、マスコミが検察側や判決に対して展開した批判や、弁護士の正木ひろしが著書『裁判官 人の命は権力で奪えるものか』で述べた批判に対しての「雑音に惑わされるな」という発言や、松川事件の下級審判決を「木を見て森を見ざるもの」という発言などがある。最高裁判事に思想検事系列の池田克が起用されていたように、「治安維持の一翼」を積極的に担ってゆく方針の下、「公安事件」には厳しい判断を下していった。砂川事件で政府の跳躍上告を受け入れ、合憲(統治行為論を採用)・下級審差し戻しの判決を下す(1959.12.16日)が、当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世と外務大臣藤山愛一郎両名による“内密の話し合い”と称した、日米安全保障条約に配慮し優先案件として扱わせるなどの圧力があった事が2008.4月に機密解除となった公文書に、またマッカーサー大使には「伊達判決は全くの誤り」と述べ破棄を示唆した事が、2011年に機密解除になった公文書に記されている。果ては上告審の日程や結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが、機密指定解除となったアメリカ側公文書で2013.4月に明らかになった。当該文書によれば、田中はウイリアム・K・レンハート駐日首席公使に対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに(中略)それ(=駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている。

 1957年8月19日の、皇太子明仁親王(現在の天皇)と正田美智子(現在の皇后)との軽井沢のテニスコートでの出会いは、田中耕太郎が、カトリック人脈である小泉信三、吉田茂らと共に演出したとされており、田中もその出会いの場に立ち会っている。

 1961年から1970年にかけて、国際司法裁判所(ICJ)判事を務めた。5つの事件と1つの勧告的意見に関わり、2つの個別的意見と2つの反対意見を残した。特に、1966年の「南西アフリカ事件」(第二段階)判決に付けた長文の反対意見は、有名であり、非常に権威のあるものとして、今日でもしばしば引用される。ジャーナリストの末浪靖司は、砂川事件差し戻しについて、判決翌年の1960年にアメリカ側にICJ判事選挙立候補を伝え、支持を取り付けている事から、アメリカの論功行賞狙いだったのだろうと見ている。

 退官後、東京新聞へ寄稿した中で「独立を保障されている裁判所や裁判官は、政府や国会や与野党に気兼ねをする理由は全然ない」と述べている。東京新聞はコラム『筆洗』で、砂川事件大法廷判決の背景を引き“厚顔とはこのような人物をいう”と痛撃している。

 1974年、聖母病院において死去。








(私論.私見)