砂川事件最高裁判決に於ける日米密談漏洩事件考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元、栄和2)年.6.12日

【砂川裁判闘争事件で最高裁判決が下され、有罪言い渡される】

 1959(昭和34).12.16日、最高裁(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)が、「在日米軍の存在が憲法違反かどうか」を問うた砂川事件に関連しての第一審の伊達判決の破棄を言い渡した。アメリカの軍事基地に反対し、その闘争に参加する者を犯罪者とみなすという政治的裁判であった。砂川事件は、「一体、条約と憲法ではどちらが優先されるのか」という論争の格好のテーマとなっていたが、既に「違憲である」とする伊達判決が出されていたのに対し、最高裁は「高度な政治判断であり司法判決には馴染まない」法理論で処理した。以降、これが定式化される。

 その判決文たるや次のような奴隷的受容を強いている。概要「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない」。これに対するれんだいこの評はこうである。何ともはや、憲法第9条は国内軍の禁止をしているだけで外国軍の禁止までしていないとの法理を見せている。普通は、国内軍の禁止は当然に外国軍の禁止をも前提としているとみなすべきだろうに。

 「他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」即ち「安保条約は高度の政治判断の結果、極めて明白に違憲と認められない限り違法審査権の範囲外であり司法判決にはなじまない」(最大判昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)とした。最高裁判決は、安保体制と憲法体制との矛盾をどう裁くかで注目されていたが、日本国憲法と条約との関係で、最高裁判所が違憲立法審査権の限界(統治行為論の採用)を示したものとして注目されている。これに対するれんだいこの評はこうである。これは一理ある。司法の独立は建前で、実際には政治権力の統制下にあることを思えば、下部機関の上級機関への口出しには限度があると云うことで分からない訳でもない。但し、本来は、違憲審査的判断を下すことは可能とみなすべきだろう。政治権力がその判決をどう受容又は拒否するかどうかは政治権力の裁量権に属するのではなかろうか。  

 1963(昭和38).12.7日、被告人の有罪(罰金2,000円)が確定し最終判決となった。立川砂川基地はその後、米軍が横田基地(東京都福生市)に移転したことにより、1977(昭和52).11.30日、日本に全面返還された。跡地は東京都の防災基地、陸上自衛隊立川駐屯地や国営昭和記念公園ができたほか、国の施設が移転してきている。


【最高裁・田中判決要旨】
 「データベース『世界と日本』 日本政治・国際関係データベース 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室 [文書名] 砂川事件に関する最高裁差戻判決」、 「砂川事件最高裁大法廷判決」を参照し、「砂川事件訴訟に対する最高裁判決」を確認しておくことにする。
[年月日] 1959年12月16日
[出典] 日本外交主要文書・年表(1),954‐958頁.最高裁判所「最高裁判所刑事判例集」第13巻第13号,3225‐3228頁,3231‐3237頁.
[備考] 
[全文]

 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件 

 昭和34年(あ)七710号 同12月16日大法廷判決 破棄差戻

 【上告人】東京地方検察庁検事正 野村佐太男
 【被告人】坂田茂 外六名(計7名)
  弁護人 海野晋吉 外282名
 【検察官】清原邦一 村上朝一 井本台吉 吉河光貞

 【第一審】東京地方裁判所

 ○判示事項

憲法第九条はわが国の自衛権を否定するか。
憲法はわが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするための自衛の措置をとることを禁止するか。
憲法は右自衛のための措置を国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定し他国にわが国の安全保障を求めることを禁止するか。
わが国に駐留する外国軍隊は憲法第九条第二項の「戦力」にあたるか。
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(以下安保条約と略す)と司法裁判所の司法審査権。
安保条約がいわゆる前提問題となつている場合と司法裁判所の司法審査権。
安保条約は一見明白に違憲と認められるか。
特に国会の承認を経ていない安保条約第三条に基く行政協定(以下行政協定と略す)の合憲性

 ○判決要旨

憲法第九条は、わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。

わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、憲法は何らこれを禁止するものではない。

憲法は、右自衛のための措置を、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定していないのであつて、わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段である限り、国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない。
わが国が主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない。
安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査には原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。(但し、反対意見がある)
安保条約(またはこれに基く政府の行為)が違憲であるか否かが、本件のように(行政協定に伴う刑事特別法第二条が違憲であるか否かの)前提問題となつている場合においても、これに対する司法裁判所の審査権は前項と同様である。(但し、反対意見がある)
安保条約(およびこれに基くアメリカ合衆国軍隊の駐留)は、憲法第九条、第九八条第二項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは認められない。
行政協定は特に国会の承認を経ていないが違憲無効とは認められない。

 主文 原判決を破棄する。本件を東京地方裁判所に差し戻す。

 理由 

 東京地方検察庁検事正野村佐太男の上告趣意について。原判決は要するに、アメリカ合衆国軍隊の駐留が、憲法九条二項前段の戦力を保持しない旨の規定に違反し許すべからざるものであるということを前提として、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約三条に基く行政協定に伴う刑事特別法二条が、憲法三一条に違反し無効であるというのである。

 一、先ず憲法九条二項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まって、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。

 すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。

 かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。

 しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。

 そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。

 そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。

 二、次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。

 しかるに、右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日条約五号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。すなわち、平和条約六条(a)項但書には「この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん{前2文字強調}又は駐留を妨げるものではない。」とあつて、日本国の領域における外国軍隊の駐留を認めており、本件安全保障条約は、右規定によつて認められた外国軍隊であるアメリカ合衆国軍隊の駐留に関して、日米間に締結せられた条約であり、平和条約の右条項は、当時の国際連合加盟国六〇箇国中四〇数箇国の多数国家がこれに賛成調印している。

 そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。

 それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当つては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。

 ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。

 三、よって、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその三条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつてあだかも{だにママとルビ}自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約一条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によつて引き起こされたわが国における大規模の内乱および騒じよう{前3文字強調}を鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなつており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。

 果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効があることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法九条二項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。(なお、行政協定は特に国会の承認を経ていないが、政府は昭和二七年二月二八日その調印を了し、同年三月上旬頃衆議院外務委員会に行政協定およびその締結の際の議事録を提出し、その後、同委員会および衆議院法務委員会等において、種々質疑応答がなされている。そして行政協定自体につき国会の承認を経べきものであるとの議論もあつたが、政府は、行政協定の根拠規定を含む安全保障条約が国会の承認を経ている以上、これと別に特に行政協定につき国会の承認を経る必要はないといい、国会においては、参議院本会議において、昭和二七年三月二五日に行政協定が憲法七三条による条約であるから、同条の規定によつて国会の承認を経べきものである旨の決議案が否決され、また、衆議院本会議において、同年同月二六日に行政協定は安全保障条約三条により政府に委任された米軍の配備規律の範囲を越え、その内容は憲法七三条による国会の承認を経べきものである旨の決議案が否決されたのである。しからば、以上の事実に徴し、米軍の配備を規律する条件を規定した行政協定は、既に国会の承認を経た安全保障条約三条の委任の範囲内のものであると認められ、これにつき特に国会の承認を経なかつたからといつて、違憲無効であるとは認められない。)

 しからば、原判決が、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条二項前段に違反し許すべからざるものと判断したのは、裁判所の司法審査権の範囲を逸脱し同条項および憲法前文の解釈を誤つたものであり、従つて、これを前提として本件刑事特別法二条を違憲無効としたことも失当であつて、この点に関する論旨は結局理由あるに帰し、原判決はその他の論旨につき判断するまでもなく、破棄を免かれない。

 よって刑訴四一〇条一項本文、四〇五条一号、四一三条本文に従い、主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官田中耕太郎、同島保、同藤田八郎、同入江俊郎、同垂水克己、同河村大助、同石坂修一の補足意見および裁判官小谷勝重、同奥野健一、同高橋潔の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。


【最高裁裁判官・田中耕太郎の補足意見】
 最高裁裁判官・田中耕太郎の補足意見は次のとおりである。
私は本判決の主文および理由をともに支持するものであるが、理由を次の2点について補足したい。

1.本判決理由が問題としていない点について述べる。元来本件の法律問題はきわめて単純かつ明瞭である。事案は刑事特別法によって立入を禁止されている施設内に、被告人等が正当の理由なく立ち入ったということだけである。原審裁判所は本件事実に対して単に同法2条を適用するだけで十分であった。しかるに原判決は同法2条を日米安全保障条約によるアメリカ合衆国軍隊の駐留の合憲性の問題と関連せしめ、駐留を憲法9条2項に違反するものとし、刑事特別法2条を違憲と判断した。かくして原判決は本件の解決に不必要な問題にまで遡り、論議を無用に紛糾せしめるにいたった。

 私は、かりに駐留が違憲であったにしても、刑事特別法2条自体がそれにかかわりなく存在の意義を有し、有効であると考える。つまり駐留が合憲か違憲かについて争いがあるにしても、そしてそれが違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できるところである。

 およそある事実が存在する場合に、その事実が違法なものであっても、一応その事実を承認する前提に立って法関係を局部的に処理する法技術的な原則が存在することは、法学上十分肯定し得るところである。違法な事実を将来に向って排除することは別問題として、既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である。それによって、ある事実の違法性の影響が無限に波及することから生ずる不当な結果や法秩序の混乱を回避することができるのである。かような場合は多々存するが、その最も簡単な事例として、たとえ不法に入国した外国人であっても、国内に在留するかぎり、その者の生命、自由、財産等は保障されなければならないことを挙げることができる。いわんや本件駐留が違憲不法なものでないにおいておや。

 本件において、もし駐留軍隊が国内に現存するという既定事実を考慮に入れるならば、国際慣行や国際礼譲を援用するまでもなく、この事実に立脚する刑事特別法2条には十分な合理的理由が存在する。原判決のふれているところの、軽犯罪法1条32号や住居侵入罪との法定刑の権衡のごとき、結局立法政策上の問題に帰着する。

 要するに、日米安全保障条約にもとづくアメリカ合衆国軍隊の駐留の合憲性の問題は、本来かような事件の解決の前提問題として判断すべき性質のものではない。この問題と、刑事特別法2条の効力との間には全く関連がない。原判決がそこに関連があるかのように考えて、駐留を違憲とし、従って同法2条を違憲無効なものと判断したことは失当であり、原判決はこの一点だけで以て破棄を免れない。

2.原判決は1に指摘したような誤った論理的過程に従って、アメリカ合衆国軍隊の駐留の合憲性に関連して、憲法9条、自衛、日米安全保障条約、平和主義等の諸重要問題に立ち入った。それ故これらの点に関して本判決理由が当裁判所の見解を示したのは、けだし止むを得ない次第である。私は本判決理由をわが憲法の国際協調主義の観点から若干補足する意味において、以下自分の見解を述べることとする。

 およそ国家がその存立のために自衛権をもっていることは、一般に承認されているところである。自衛は国家の最も本源的な任務と機能の一つである。しからば自衛の目的を効果的に達成するために、如何なる方策を講ずべきであろうか。その方策として国家は自国の防衛力の充実を期する以外に、例えば国際連合のような国際的組織体による安全保障、さらに友好諸国との安全保障のための条約の締結等が考え得られる。そして防衛力の規模および充実の程度やいかなる方策を選ぶべきかの判断は、これ一つにその時々の世界情勢その他の事情を考慮に入れた、政府の裁量にかかる純然たる政治的性質の問題である。法的に認め得ることは、国家が国民に対する義務として自衛のために何等かの必要適切な措置を講じ得、かつ講じなければならないという大原則だけである。

 さらに一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。

 およそ国内的問題として、各人が急迫不正の侵害に対し自他の権利を防衛することは、いわゆる「権利のための戦い」であり正義の要請といい得られる。これは法秩序全体を守ることを意味する。このことは国際関係においても同様である。防衛の義務はとくに条約をまって生ずるものではなく、また履行を強制し得る性質のものでもない。しかしこれは諸国民の間に存在する相互依存、連帯関係の基礎である自然的、世界的な道徳秩序すなわち国際協同体の理念から生ずるものである。このことは憲法前文の国際協調主義の精神からも認め得られる。そして政府がこの精神に副うような措置を講ずることも、政府がその責任を以てする政治的な裁量行為の範囲に属するのである。

 本件において問題となっている日米両国間の安全保障条約も、かような立場からしてのみ理解できる。本条約の趣旨は憲法9条の平和主義的精神と相容れないものということはできない。同条の精神は要するに侵略戦争の禁止に存する。それは外部からの侵略の事実によって、わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合に、止むを得ず防衛の途に出ることおよびそれに備えるために心要有効な方途を講じておくことを禁止したものではない。

 いわゆる正当原因による戦争、一国の死活にかかわる、その生命権をおびやかされる場合の正当防衛の性質を有する戦争の合法性は、古来一般的に承認されているところである。そして日米安全保障条約の締結の意図が、「力の空白状態」によってわが国に対する侵略を誘発しないための日本の防衛の必要および、世界全体の平和と不可分である極東の平和と安全の維持の必要に出たものである以上、この条約の結果としてアメリカ合衆国軍隊が国内に駐留しても、同条の規定に反するものとはいえない。

 従ってその「駐留」が同条2項の戦力の「保持」の概念にふくまれるかどうかはーー我々はふくまれないと解するーーむしろ本質に関係のない事柄に属するのである。もし原判決の論理を是認するならば、アメリカ合衆国軍隊がわが国内に駐留しないで国外に待機している場合でも、戦力の「保持」となり、これを認めるような条約を同様に違憲であるといわざるを得なくなるであろう。

 我々は、その解釈について争いが存する憲法9条2項をふくめて、同条全体を、一方前文に宣明されたところの、恒久平和と国際協調の理念からして、他方国際社会の現状ならびに将来の動向を洞察して解釈しなければならない。字句に拘泥しないところの、すなわち立法者が当初持っていた心理的意思でなく、その合理的意思にもとづくところの目的論的解釈方法は、あらゆる法の解釈に共通な原理として一般的に認められているところである。そしてこのことはとくに憲法の解釈に関して強調されなければならない。

 憲法9条の平和主義の精神は、憲法前文の理念と相まって不動である。それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。しかしこれによってわが国が平和と安全のための国際協同体に対する義務を当然免除されたものと誤解してはならない。我々として、憲法前文に反省的に述べられているところの、自国本位の立場を去って普遍的な政治道徳に従う立場をとらないかぎり、すなわち国際的次元に立脚して考えないかぎり、憲法9条を矛盾なく正しく解釈することはできないのである。

 かような観点に立てば、国家の保有する自衛に必要な力は、その形式的な法的ステータスは格別として、実質的には、自国の防衛とともに、諸国家を包容する国際協同体内の平和と安全の維持の手段たる性格を獲得するにいたる。現在の過渡期において、なお侵略の脅威が全然解消したと認めず、国際協同体内の平和と安全の維持について協同体自体の力のみに依存できないと認める見解があるにしても、これを全然否定することはできない。そうとすれば従来の「力の均衡」を全面的に清算することは現状の下ではできない。しかし将来においてもし平和の確実性が増大するならば、それに従って、力の均衡の必要は漸減し、軍備縮少が漸進的に実現されて行くであろう。しかるときに現在の過渡期において平和を愛好する各国が自衛のために保有しまた利用する力は、国際的性格のものに徐々に変質してくるのである。かような性格をもつている力は、憲法9条2項の禁止しているところの戦力とその性質を同じうするものではない。

 要するに我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる「自国のことのみに専念」する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない。

 我々は「国際平和を誠実に希求」するが、その平和は「正義と秩序を基調」とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち「法の支配」と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。

 以上の理由からして、私は本判決理由が、アメリカ合衆国軍隊の駐留を憲法9条2項前段に違反し許すべからざるものと判断した原判決を、同条項および憲法前文の解釈を誤ったものと認めたことは正当であると考える。

以下略

 (裁判長裁判官・田中耕太郎、裁判官・小谷勝重、島保、斉藤悠輔、藤田八郎、河村又介、入江俊郎、池田克、垂水克己、河村大助、下飯坂潤夫、 奥野健一、高橋潔 、高木常七、石坂修一)


Re::れんだいこのカンテラ時評543 れんだいこ 2009/02/23
 【れんだいこの砂川闘争訴訟の最高裁判決、最高裁裁判官・田中耕太郎補足意見考】

 れんだいこは、国際問題研究ジャーナリスト新原昭治が暴露した「1959.12.16砂川闘争訴訟に於ける最高裁長官まで巻き込む日米政府の裏秘密交渉」の尻馬に乗って云う訳ではないが、「1959.12.16砂川闘争訴訟に於ける最高裁判決」に意義を申し上げておきたい。なぜ、尻馬に乗る訳ではないのかと云うと、それまで砂川闘争訴訟の第一審の伊達判決も最高裁の田中判決も読んでいなかったからである。それまでは通説的解説本に依拠して発言してきていた。「新原暴露」により興味を覚え、こたび初めて両判決文を通読し精査してみた。これによる見解を披瀝しておく。

 こたび、れんだいこの学生運動論の中に別章【砂川闘争】を設けた。事件及び裁判の概要は、こちらで確認して貰いたい。
 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/sunagawatoso/
sunagawatoso.htm

 結論から申すと、もっと早くに両判決文に目を通し読んででおくべきだった。これを読んでおけば、ロッキード事件に於ける最高検察庁−最高裁の供述人証言の免責対応にも手厳しい批判を為し得たものをと反省している。かの時も、司法当局の対応は無茶であったが、その端緒を砂川闘争訴訟に行ける最高裁の対応に見て取ることができる。「1959.12.16砂川闘争訴訟に於ける最高裁判決」は、その意味で責任が重いと云うべきだろう。

 こたび、「新原暴露」により、時の最高裁長官の田中耕太郎が駐日米国大使のマッカーサーと気脈を通じて、日米政府の意向に添うよう第一審の伊達判決を覆し、差し戻しとする判決を下していたことが暴露された。確認するに、最高裁での裁判中に、田中耕太郎(最高裁長官)とマッカーサー大使が密談密約をして、それも3.30日に(伊達)判決があって、翌日の31日の朝、マッカーサー大使が藤山外相を呼んで、「日本には最高裁に直接上告できるという跳躍上告という制度がある。これを使ったらどうか」と内政干渉している。それに対して藤山が「早朝9時からの閣議にかけて、その方向を決定したい」と返事があった。次に15人の最高裁の判事の意見を(伊達判決を)破棄させるために一致させる工作をし、それからできるだけ短期間で決定を出す等々の密約をしている。

 その際の法理が無茶苦茶である。これを長らくの間野放しにしてきていることも問題であろう。最高裁判決の法理に対して、多くの法学者が批判をかまびすしくしてこなかったのも問題ではなかろうか。では、どこを問題とすべきだろうか。れんだいこが次のように指摘しておく。

 最高裁判決が、日米安保条約とそれに基く行政協定に対して、「高度な政治判断を要するものであり、司法判決に馴染まない」としたことはまだ許せる。本来は許せないのだが、一応そうしておく。問題は、この結論を導くに当たって最高裁及び最高裁長官・田中耕太郎が採用している法理論である。

 それによれば、憲法9条解釈に於いて、それを自衛権まで否定するものではないとして、次に国際連合の安全保障理事会基準に沿うものであれば問題ないとして、次に、日米安保条約とそれに基く行政協定に対して国策決定であるから問題ないとして、次に米軍基地の在日恒久化はこれによりもたらされているものであるから問題ない、次に日米両政府合意による米軍基地を通しての軍事力の担保は、自前の国防軍ではないから憲法9条で禁止する戦力に当たらず違反ではないとして、次にそのように認められている米軍基地内への反対派の突入は刑事特別法二条その他の法律によって処罰されるべきだとしている。

 要するに、護憲的使命を基礎としているはずの裁判所の最高権限機関が、上述のような詭弁を弄して堂々と護憲破りを公言していることになる。いわゆる「上からの法破り」である。こういうことが許されるのだろうか。「1959.12.16砂川闘争訴訟に於ける最高裁判決」をその後通用せしめてきたと云うことは、許されてきたことを意味する。しかし、それにしても何と法番人と学者の頭脳が低いことであろうか。卑屈な世渡りをするものであろうか。

 近代的国家の特質は、よろづ法治主義と、権力の行政立法司法の三権分立制を基礎として成立していることは衆知の通りである。だがしかし、「1959.12.16砂川闘争訴訟に於ける最高裁判決」は、司法の最高権限機関をして自ら司法の独立を毀損せしめて恥じない法理を開陳している。判示した「高度な政治判断を要するものであり、司法判決に馴染まない」は、問題の難しさを指摘して逃げている消極的法理論ではなく、「司法の行政に対する屈服」を引き出す為に援用している事大主義的積極的法理論である。ここを踏まえなければ成らない。しかし、こったら不正が許されようか。

 時の最高裁長官・田中耕太郎の犯罪は、駐日米国大使マッカーサーと気脈を通じて、日米政府の意向に添うよう判決を下したことのみにあるのではない。この時の法理論をして「司法の行政に対する屈服」を定式化せしめたことにこそある。こう窺うべきではなかろうか。

 この姿勢が、1976(昭和51).2.4日のロッキード事件勃発に際して、日米政府間の「司法共助協定」の調印、事件供述者に対する検察の「不起訴宣明」、続く最高裁の「不起訴宣明」、三木首相の逆指揮権発動、そして田中角栄逮捕へと繋がる。結果的に、本来の黒幕である児玉機関−中曽根−ナベツネラインへの捜査が放棄され、限りなく冤罪に近い元首相・田中角栄逮捕へと一瀉千里に向かい、角栄は政治的に羽交い絞めされやがて絞殺されることになった。

 こたびは砂川闘争訴訟に於ける日米両政府の最高裁まで巻き込んだ政治的陰謀が暴露されたが、ロッキード事件に於ける日米両政府の最高裁まで巻き込んだ政治的陰謀が暴露される日が来ないとは云えない。最大のキーは、同年6.27日の第2回目の主要先進国首脳会議がプエルトルコで開かれた後の6.30日のワシントンでの三木.フォード会談の内容である。この時何が謀議されたのか。1997年に公開されたキッシンジャー・レポートは、この時三木首相が、キッシンジャーともフォード大統領とも「ロッキード事件についての全般的な意見交換」をしたことを伝えている。しかし、どういう遣り取りが為されたのか一切明らかにされていない。

 歴史は徐々にヴェールを剥ぐ。これが公開される日が来るだろうか、「三木首相がひたすらフォードとキッシンジャーに指示を仰ぐ土下座外交」の余りに生臭い内容は永遠に閉じられるだろうか。こういう関心が生まれることになった。

 2009.2.23日 れんだいこ拝

【最高裁担当調査官・足立勝義氏のメモ考】
 2020.6.13日、朝日新聞社編集委員・豊秀一砂川事件、判決原案を批判する「調査官メモ」見つかる」。
 極めて政治性の高い国家行為は、裁判所が是非を論じる対象にならない――。この「統治行為論」を採用した先例と言われる砂川事件の最高裁判決で、言い渡しの直前に、裁判官たちを補佐する調査官名で判決の原案を批判するメモが書かれていたことがわかった。メモは「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない」とし、統治行為論が最高裁の「多数意見」と言えるのかと疑問を呈している。

 統治行為論はその後、政治判断を丸のみするよう裁判所に求める理屈として国側が使ってきたが、その正当性が問い直されそうだ。

 メモの日付は1959年12月5日。判決言い渡しの11日前にあたる。B5判8枚。冒頭に「砂川事件の判決の構成について 足立調査官」と記されており、同事件の担当調査官として重要な役割を担った足立勝義氏がまとめたとみられる。判決にかかわった河村又介判事の親族宅で、朝日新聞記者が遺品の中から見つけた。

 砂川事件では日米安全保障条約が違憲かどうかが争われ、最高裁全体の意見とみなされる多数意見は、判事15人中12人で構成された。安保条約に合憲違憲の審査はなじまないと「統治行為論」を述べる一方で、日本への米軍駐留は「憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ」と事実上合憲の判断を示している。多数意見に加わらなかった判事のうち2人が「論理の一貫性を欠く」と判決の個別意見で指摘していることは知られていた。

 メモはさらに踏み込んでおり、原案段階での多数意見の内訳を分析している。安保条約を合憲とする田中耕太郎長官らは、合憲違憲の審査はできないとする藤田八郎、入江俊郎裁判官とは本来「相対立する」とし、田中長官らはむしろ、多数意見とは別の理由で「合憲の判断を示すことができる」とした判事らと一致していると指摘した。

 そして統治行為論を述べたものは最多でも裁判官15人のうち半数に足りない7人に過ぎないとし、多数意見としてくくられた考えが「果たして多数意見といえるか否か疑問である」「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない。しかも、その包容の対象を誤っている」とした。

 そのうえでメモは「応急の措置」として判決の構成を変えることを提案。「多数意見」をなくし、個別意見などはすべて「意見」にと改める――という内容だ。

 砂川事件の最高裁判決の多数意見をめぐっては、「論理がわかりにくい」と憲法学者らから繰り返し指摘されてきた。メモが生まれた経緯などは不明だが、判決の構成という核心部分について、最高裁内部でも異論があったことがわかる。最終的な判決をみる限り、メモが受け入れられることはなかった。(編集委員・豊秀一

 <砂川事件> 1957年、東京都砂川町(現立川市)の米軍基地拡張に反対する学生ら7人が基地に立ち入り、刑事特別法違反の罪で起訴された。同法の前提である米軍駐留について東京地裁は59年3月、憲法9条2項が禁じる戦力にあたり違憲と判断。全員に無罪を言い渡した。検察が跳躍上告し、最高裁は「日米安保条約は違憲とは言えない」との結論を裁判官15人の全員一致で出したが、理由付けは12人の「多数意見」と、それとは異なる3人の「意見」に分かれた。

 <最高裁調査官> 15人の最高裁裁判官を補佐するために実務経験が豊富なキャリア裁判官があてられる。民事、行政、刑事の三つに担当が分かれ、約40人いる。事件が最高裁に送られると、担当の調査官が記録を精査し、争点を整理。論点について判例や学説にあたって報告書などを作成、最高裁裁判官が判断するための資料として提出する。


【ジャーナリスト新原氏が日米機密文書暴露】
 2008.4月、国際問題研究ジャーナリスト新原昭治(76歳)氏が、アメリカの公文書図書館にて、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて、「伊達判決を早期に破棄させるため、当時の駐日アメリカ大使マッカーサーが、日本の外務大臣、法務大臣、最高裁長官と密談を重ねた公文書14通」を発見した。

 それによると、1959〜60年にかけ、日米間で新安保条約締結の作業が進行中であり、伊達判決は大きな障害となるので、日米政府は狼狽し次のような対策を講じていた。まず一審の伊達判決直後にマッカーサー駐日大使が藤山愛一郎外相と会談し、「日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すこと」を求め、過去に一例しかなかった最高裁に跳躍上告するよう働きかけている。

 4.24日、次のような「田中耕太郎最高裁長官とマッカーサー米駐日大使の秘密会談」で謀議を行っていた。田中長官は「本件には優先権が与えられているが…決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかる」との見通しを伝えている。1・1審判決破棄のため、直ちに最高裁に跳躍上告すること・2・最高裁は最優先の案件として、年内目途に破棄の判決を出すことが合意されている。これを受け、最高裁は、当時三千件もの案件を抱えていたが、砂川事件を最優先処理し、「迅速な決定」へ異常な訴訟指揮をとった。

 跳躍上告 地方裁判所などの一審判決に対し、法律・命令・規則もしくは処分が憲法違反とした判断、あるいは地方公共団体の条例・規則が違法とした判断が不当であることを理由に、直接最高裁に上告すること(刑事訴訟規則第二五四条)。

 これに基き、「1959.12.16日の最高裁判決」が出され、一審判決を破棄、東京地裁に差し戻した。たことになる。60年安保闘争の前年の1959.3月に下された「伊達判決」が「日米安保条約は違憲であるから被告全員無罪」と判示したことが安保改訂に向けた重大な障害になると考えた当時のマッカーサー駐日大使が、最高裁長官田中耕太郎氏を初め、外務省、法務省など日本政府に働きかけ、僅か8ヶ月あまりの審理によって、「安保合憲」の判決を出したことになる。

 土屋氏を初め当時の被告達は、情報公開請求という手段で更なる内情を明らかにしようとしており、次のように訴えている。

 以上の事実は、50年前のことではなく、現在も続けられているアメリカ主導による国民を無視した日米間の密約謀議の実態です。憲法9条を守るためにも、伊達判決の持つ意義を受け止めてゆきたいと思っています。わたしは公文書の内容を検討し、謀議の真相を明らかにするため、外務省・最高裁判所に当時の日米間の交渉内容の情報開示を請求することにしました。わたしだけでなく、当時の被告全員も請求を行います。情報開示の申請は誰でもできます。そこで多くに皆さんにこの運動に参加し、請求人になっていただくよう呼びかけます。

 砂川事件元被告
 土屋源太郎
 静岡市葵区瀬名3−11−8
 〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/〔eye515:090129〕


 当時上告審で被告弁護団の事務局長を務めた内藤功弁護士は次のように述べている。
 「情報公開の請求は、私はもっともなことだと思う。それに対して最高裁がどういう反応をするか。この問題に対する、今の最高裁の態度を判定する上で非常に注目される。また最高裁が過去の経験に学んで、日本の司法を特に外国の圧力干渉からどのように守ろうとしているのか、その姿勢を見る上でも重要だと思う」。

 この文書発見の意義は大きい。当時から日本の司法が米国政府の影響下におかれていたことを証左していることになる。 最高裁は逆転判決を下した。この当時から、日米関係の裏側で何かが動いているとの見方があった。これが裏付けられたことになる。 司法の中立を犯し、外国からの介入を許し、独立国家としての面目を捨て、伊達判決早期破棄のために行った日米政府の行為は売国奴政治であり許すことができまい。

Re::れんだいこのカンテラ時評503 れんだいこ 2008/12/15
 【砂川事件際高裁判決に於ける日米密談漏洩事件考】

 2008.4月、砂川事件に関連して日本の研究者(ジャーナリストの新原昭治氏)により、当時の米国大使が司法に対して露骨に政治介入し、外務大臣及び最高裁判所長官が唯々諾々していたことを裏付ける公文書が米国立公文書館で発見された。

 これに関連して2008.12.8日、元被告の土屋源太郎さん(74歳、静岡市葵区)が同市で記者会見し、当時の駐日米大使と最高裁長官の密談について、来月中にも外務省と最高裁に日本側文書の情報公開を請求する意向を明らかにした。土屋さんは、概要「「最高裁では異例の早さで合憲判断が下された。司法は中立であるべきで、この事実は見逃せないし、許せない。全国の人にも請求者に加わるよう呼びかけたい」と話している。最高裁や外務省は、密談の有無や外交文書の内容については「コメントできない」、但し開示請求があれば手続きに従って対処する方針を示している。この事件を確認する。

 砂川事件とは、1957(昭和32).9.22日、米軍の旧立川基地(東京都立川市)拡張に反対したデモ隊の一部グループが立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入ったとして、日米安全保障条約の刑事特別法違反の罪で起訴された事件を云う。全学連小野寺書記長、土屋都学連委員長等9名の学生、労働者14名が逮捕され、7名(学生3名、労働者4名)が起訴された。「そもそも在日米軍の存在そのものが憲法違反ではないか」、「条約と憲法ではどちらが優先されるのか」を廻る司法判断が注目されることになった。
 
 1959(昭和34).3.30日、「砂川事件」の第一審で、東京地裁(裁判長判事・伊達秋雄)が「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条に違反する不合理なものである」即ち「米軍駐留は違憲」とする法理による全員無罪の判決を出した(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集)。世に「伊達判決」と云われる。検察側は直ちに最高裁判所へ跳躍上告した。

 こたび明らかにされたところによると、「伊達判決」を受け、ダグラス・マッカーサー2世米国駐日大使が藤山愛一郎外相に跳躍上告を勧めて外相も同意した点や、同大使が裁判を受け持つことになった田中耕太郎最高裁長官と非公式に接触し(これを俗に「密談」と云う)、上告審の時期の見通し聞くなど露骨に政治介入したいたことの様子が報告書の体裁で記載されている。

 同年12.16日、最高裁(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)が、第一審の伊達判決の破棄を言い渡した。最高裁は次のような法理論で処理した。概要「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」即ち「安保条約のように高度の政治判断を要するものについては極めて明白に違憲と認められない限り、違法審査権の範囲外であり司法判決にはなじまない」(最大判昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)。1963(昭和38).12.7日、被告人の有罪(罰金2千円)が確定し最終判決となった。

 最高裁判決は、安保体制と憲法体制との矛盾をどう裁くかで注目されていたが、日本国憲法と条約との関係で、最高裁判所が違憲立法審査権の限界(統治行為論の採用)を示したものとして注目されている。以降、この法理論が定式化され違憲審査が忌避されることになった。立川砂川基地はその後、米軍が横田基地(東京都福生市)に移転したことにより、1977(昭和52).11.30日、日本に全面返還された。跡地は東京都の防災基地、陸上自衛隊立川駐屯地や国営昭和記念公園ができたほか、国の施設が移転してきている。

 れんだいこがなぜこの事件に注目するのか。それは、一事万事で他の政治事件でも同じようなことが起こっているのではないのか、こたびの漏洩はその氷山の一角に過ぎないのではないか、ロッキード事件の場合にもこういう密談が交わされていたのではないのかと思うからである。

 一体、政治制度としての三権分立からくる司法の独立、裁判官の職権独立及び身分保障はどうなっているのだろうか。司法権の独立は明治憲法下においても比較的よく守られ、日本国憲法下においては著しく強化されている既に伝統的なものである。この法治制度が全く無視されているのではなかろうか。関連する条文次の通りである。

 憲法76条1項「すべて司法権は、最高裁判所及び法律(裁判所法)の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」、2項「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない」、3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」、第78条「裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない」その他。

 ここからがれんだいこの独眼流になる。しっかり聞いてくれ。本来、法治主義に従う限り、これらの規定は格別に尊重され遵守されるべきものであるところ、この規定をいとも容易く骨抜きにする者がいる。こやつらこそまさしく文字通りの意味でアウトローと云うべきであろう。ところが世の中、アウトローに限って法の遵守を声高にしつつテロリスト退治に向かうという性癖が有る。我々は、これにどう対処すべきだろうか、こういうことが問われている。

 こたびの「米国による司法に対する政治介入、最高責任者の唯々諾々文書漏洩」は、冒頭で述べたが本当にコレキリのことだろうか。れんだいこのアンテナは忽ち作動する。ならば、ロッキード事件での法破り異例のコーチャン免責証言の採用、検察の不起訴宣明、最高裁の不起訴宣明の経緯の裏にもこのような政治介入が無かったと言い切れるだろうか。否あったと推定するのがまともな知性だろう。

 まことに角栄は、法に拠らぬところの万力攻めで政治能力を羽交い絞めされた。今でも腹立たしいことは、よりによって労組が御用提灯を引っさげて目白邸を連日包囲したことである。これを社共が後押しした。新左翼は沈黙した。しかし、こんなバカな話があるだろうか。日頃取り締まられる側の労組、社共が、取締り用の御用提灯を持つと云う感性が信じられない。誰が企画し演出したんだあの馬鹿騒ぎは。誰か、これに答えてくれないだろうか。あの頃、今のようなインターネットが有れば、れんだいこが激しく糾弾できたものを。れんだいこにはそういう思いが有る。

 こたびの機密文書発見は、そういう意味でかなり重要な事件である。れんだいことしては、土屋さんの呼びかけに答えたい。どこへ申し込めばよいのだろう。最高裁や外務省が「開示請求があれば手続きに従って対処する」とのことなので大いに見守りたい。それにしても、歴史は段々に真相を明らかにするものだな。

 2008.12.15日 れんだいこ拝

【毎日新聞情報】
 2008.4.30日付け毎日新聞の「<砂川裁判>元被告、怒りあらわ「司法の独立どこへ」を転載する。
 60年安保闘争へと続く米軍基地を舞台とした砂川闘争での基地侵入事件(砂川事件)の判決をめぐり、駐日米大使と、最高裁長官、外相が接触を重ねていたことが米国の外交文書で明らかになった。文面からは、安保体制への影響を最小限に抑えようとの米国側の狙いが浮かぶ。当時の被告は「司法の独立はどうなるのか」と怒り、元裁判官は「司法行政のトップが大使と話すのは当たり前」と長官を擁護した。

 7人いた事件の被告のうち当時学生としてデモに参加していた土屋源太郎さん(73)は「外国の大使に長官がなぜ審理見通しを語らなければならないのか。けしからん話だ」と批判した。

 裁判では、大使からの「アドバイス」もあり、政府は最高裁に跳躍上告。60年の日米安保条約改定に間に合わせるように、59年12月に最高裁が判決を出し、無罪や米軍駐留の違憲判断はくつがえった。「3審を受ける権利を踏みにじられたと思うと悔しい」と話した。

 上告審弁護団の一人で、元参院議員(共産)の内藤功弁護士(77)は「危惧(きぐ)はしていたが、実際にここまでやっているのかと驚いた。司法は国内政治からも距離を置くべきなのに」と述べ、「今後も安保条約や自衛隊の絡む訴訟は監視しないといけない」と話した。

 一方、1審判決で陪席裁判官だった松本一郎独協大名誉教授(77)は「大使がかなりショックを受けて、慌てふためいていた感じがする。初めて聞く話で、興味深い」と述べた。一方で田中長官と大使との接触については「最高裁長官は司法行政の長というポスト。米国大使とは当然面識があっただろうし、仮に大使が電話をしてきたとして、『話をしません』とは言えないだろう」と冷静に受け止めた。

 米大使と密談したとされる田中耕太郎・最高裁長官は、内務官僚や文相を経て50年から10年間、第2代長官を務めた。55年にあった裁判所長らの会合では「ジャーナリズムその他一般社会の方面からくる各種の圧迫に毅然(きぜん)としなければならない」と訓示し、話題となった。74年に死去。1審東京地裁の判決を出した伊達秋雄裁判長は退官後、「外務省機密漏えい事件」の弁護団長などを務め94年に死去している。【井崎憲、武本光政】

 ◇大使が最高裁長官と密談したことを示す文書の日本語訳

 最高裁は4月22日、最高検察庁による砂川事件の東京地裁判決上告趣意書の提出期限を6月15日に設定した。これに対し、弁護側はその立場を示す答弁書を提出することになる。

 外務省当局者が我々に知らせてきたところによると、上訴についての大法廷での審議は、恐らく7月半ばに開始されるだろう。とはいえ、現段階では決定のタイミングを推測するのは無理である。内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った。  マッカーサー

 <砂川裁判>米大使、最高裁長官と密談 破棄判決前に 4月30日2時31分配信 毎日新聞

 米軍立川基地(当時)の拡張に反対する住民らが基地内に侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決を破棄し、合憲判断を出した1959年の最高裁大法廷判決前に、当時の駐日米大使と最高裁長官が事件をめぐり密談していたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。当時は基地存在の根拠となる日米安保条約の改定を目前に控えていた時期で、米側の司法当局との接触が初めて明らかになった。

 国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審の担当裁判長の田中耕太郎氏だ。

 文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到着するまでに少なくとも数カ月かかると語った」と記載している。

 電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1カ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容だ。

 これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。

 新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。【足立旬子】

 ◇ことば 砂川事件

 1957年7月8日、東京都砂川町(現・立川市)の米軍立川基地で、拡張に伴う測量に反対するデモ隊の一部が境界柵を壊して基地内に立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は、安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、最高裁大法廷は同12月に1審を破棄、差し戻しを命じた。判決は、国家統治の基本にかかわる政治的な問題は司法判断の対象から外すべきだとする考え(統治行為論)に基づくもので注目された。7人は有罪(各被告に罰金2000円)が確定した。

 ◇ことば 跳躍上告

 刑事訴訟法に基づき、地裁や家裁、簡裁の1審判決に対して、高裁への控訴を抜きに、最高裁に直接上告する手続き。1審で、憲法違反や地方自治体の条例・規則が法律に違反したと判断された場合に限って認められている。

 ▽奥平康弘東大名誉教授(憲法学)の話 田中長官が事件の内容について詳しくしゃべることはなかったと思うが、利害関係が密接で、当事者に近い立場の米国大使に接触したことは、話の内容が何であれ批判されるべきことだ。米国側もそのことは認識していたと思うが、それが問題視されなかったことに、当時の日米の力関係を改めて感じる。

 ▽我部(がべ)政明・琉球大教授(国際政治学)の話 安保条約改定の大枠は59年5月に固まっている。1審判決が出た3月は、日米交渉がヤマ場を迎えた大事な時期だ。文書は、日米両政府が裁判の行方に敏感に反応し、連携して安保改定の障害を早めに処理しようとしていた様子がよく分かる。

【赤旗情報】
 2008.4.30日付け赤旗「59年の砂川事件・伊達判決 米軍違憲判決後の米の圧力 最高裁にまで手をのばす」を転載しておく。

 「東京地裁の伊達判決は、政府内部でもまったく予想されておらず、日本国内に当初どきっとさせるような衝撃を広げた」―。在日米軍の駐留を憲法違反とした伊達判決(一九五九年)に関する米政府解禁文書は、日米支配層が違憲判決にいかに驚愕(きょうがく)したかが生々しく描かれています。今月十七日、名古屋高裁によるイラク派兵違憲判決が出たばかりでもあり、支配層の反応を考えるうえで非常に示唆的です。

 伊達判決で日米支配層が恐れたのは、(1)同年四月の重要知事選や夏の参院選などへの政治的影響(2)日米安保条約改定交渉を複雑にしかねない(3)左翼勢力に法的対抗手段を与えかねない―などです。そのために、最高裁で早期に判決を下し、伊達判決を否定することに躍起となりました。なかでも重大なのは、米側が行政府ばかりか最高裁にまで内政干渉の手をのばしたことです。

 当時のマッカーサー米駐日大使と「内密の話し合い」をもった田中耕太郎裁判官は当時の最高裁長官。米軍駐留をめぐる裁判で米側責任者と事前に話し合うなど、司法の独立を放棄する最悪の行為です。しかも、田中長官は、弁護団からの協議要請はことごとく拒否し、裁判官忌避を申し立てられました。弁護人とは会わず、米大使と密談していたのですから、対米従属も極まれりです。「内密の話し合い」電報の五日後には、最高裁が「本件の審判を迅速に終結せしめる必要上」として、弁護人の人数制限という前代未聞の決定を強行。弁護団のたたかいで人数制限は撤回したものの、判決では、米側が期待したとおり、一審の違憲判決を正面から覆し、安保条約・米軍駐留に合憲のお墨付きを与えました。

 しかし、検事総長までくりだした検察側の弁論に対し、弁護団の中から二十六人が堂々と安保条約の違憲性を論証。当時の『法律時報』(一九六〇年二月臨時増刊号)の記者座談会では、「弁護側は非常に多数繰り出してぼくたちが聞いていても、非常に論理整然とした弁論があったんだけれど、その結果ふたをあけてみると、破棄差し戻し」として判決を批判しています。

 さらに解禁文書は、安保条約のもとで日本が出撃基地とされていた危険な実態も示しました。最高裁の弁論で内藤功弁護士が在日米軍の存在が九条に違反することの実証として、一九五四年のインドシナ危機と一九五八年の台湾海峡危機の際、日本の基地から出撃したと指摘しました。米解禁文書では、この弁論への対応について米大使と国務長官とのやりとりが収められています。そこでは米国務長官が「台湾海峡危機のさいの米『軍』に、日本に出入りしている部隊が含まれていなかったという言い方は、日本から沖縄や台湾に移った海兵航空団や第五空軍部隊の移動からみて不正確なものとなろう」「(日本の)基地は実際に使われた」とのべています。

 日米安保条約をもとにした日米軍事同盟はその後、安保共同宣言、新ガイドライン(軍事協力の指針)、在日米軍再編合意と、世界的規模に拡大。日本の米軍基地は先制攻撃戦略を支える拠点としてより危険を増しています。その意味からも日本の基地を出撃拠点として使ったとの証言は重大です。(藤田健)


 砂川事件・伊達判決に関する米政府の解禁文書(抜粋)

 国際問題研究者の新原昭治氏が入手した砂川事件・伊達判決(一九五九年)に関する米政府解禁文書の主要部分を紹介します。電報は一通をのぞきマッカーサー米駐日大使から米国務省あてです。
 ◇

 ■「部外秘」
 1959年3月30日午前6時52分受信 夜間作業必要緊急電

 伊達秋雄を主任裁判官とする東京地方裁判所法廷は本日、…「…米軍の駐留は……憲法に違反している」と宣言した。(中略) 当地の夕刊各紙はこれを大きく取り上げており、当大使館はマスメディアからさまざまの性格の異なる報道に関した数多くの問い合わせを受けている。外務省当局者と協議の後、これら問い合わせには、「日本の法廷の判決や決定に関して当大使館がコメントするのはきわめて不適切であろう…」むね答えている。在日米軍司令部もマスメディアの問い合わせに同様の回答をしている。(後略)

 ■「極秘」
 1959年3月31日午前1時17分受信 至急電

 今朝八時に藤山(外相)と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った。私は、日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。私はこの判決が、藤山が重視している安保条約についての協議に複雑さを生みだすだけでなく、四月二十三日の東京、大阪、北海道その他でのきわめて重要な知事選挙を前にしたこの重大な時期に大衆の気持ちに混乱を引きおこしかねないとの見解を表明した。(中略) 私は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接、最高裁に上告することが非常に重要だと個人的には感じている、…上告法廷への訴えは最高裁が最終判断を示すまで論議の時間を長引かせるだけだからであると述べた。これは、左翼勢力や中立主義者らを益するだけであろう。藤山は全面的に同意すると述べた。…藤山は、今朝九時に開催される閣議でこの行為を承認するように勧めたいと語った。

 ■「部外秘」
 1959年4月1日午前7時06分受信 至急電

 日本における米軍の駐留は憲法違反と断定した東京地裁の伊達判決は、政府内部でもまったく予想されておらず、日本国内に当初どきっとさせるような衝撃をひろげた。(中略) 岸(首相)は、政府として自衛隊、安保条約、行政協定、刑事特別法は憲法違反ではないことに確信を持って米国との安保条約改定交渉を続けると声明した。

 ■「秘」
 1959年4月1日午前7時26分受信 至急電

 藤山(外相)が本日、内密に会いたいと言ってきた。藤山は、日本政府が憲法解釈に完全な確信をもっていること、それはこれまでの数多くの判決によって支持されていること、また砂川事件が上訴されるさいも維持されるであろうことを、アメリカ政府に知ってもらいたいと述べた。法務省は目下、高裁を飛び越して最高裁に跳躍上告する方法と措置について検討中である。最高裁には三千件を超える係争中の案件がかかっているが、最高裁は本事件に優先権を与えるであろうことを政府は信じている。とはいえ、藤山が述べたところによると、現在の推測では、最高裁が優先的考慮を払ったとしても、最終判決をくだすまでにはまだ三カ月ないし四カ月を要するであろうという。(中略) 一方、藤山は、もし日本における米軍の法的地位をめぐって、米国または日本のいずれかの側からの疑問により(日米安保)条約(改定)交渉が立ち往生させられているような印象がつくられたら、きわめてまずいと語った。そこで藤山は、私が明日、藤山との条約交渉関連の会談を、事前に公表のうえ開催することを提案した。(後略)

 ■「秘」
 1959年4月24日午前2時35分受信

 最高裁は四月二十二日、最高検察庁による砂川事件の東京地裁判決上告趣意書の提出期限を六月十五日に設定した。これにたいし、弁護側はその立場を示す答弁書を提出することになる。外務省当局者がわれわれに知らせてきたところによると、上訴についての全法廷での審議は、恐らく七月半ばに開始されるだろう。とはいえ、現段階では決定のタイミングを推測するのは無理である。内密の話し合いで担当裁判長の田中(耕太郎。当時の最高裁長官)は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った。

 ■「秘」
 1959年5月22日受領

 砂川事件は引き続きかなりの大衆的関心を惹きつけており、新聞は関連するすべてのニュースを目立つ形でとりあげている。(中略) …弁護側は事件の七人の被告を弁護するために一千人の弁護士を集めると豪語している〔日本の裁判では、理論的には、どちらの側の弁護士にも人数の制約はない〕。全体法廷での審議の予備的打ち合わせをする(本件の)第一小法廷齋藤悠輔主任裁判官は、これを阻止する決定をくだし、弁護士を一人の被告につき三人以下とした。この弁護士制限決定は、多くの評論家や朝日新聞を含む新聞から非難されている。

 弁護士の人数を制限するこの決定を擁護して、斎藤(判事)はこの決定により最高裁の上告審議が促進されると発表、きわめて重要な意味を持っているので最高度の優先度を与えたためにそうしたと説明した。新聞報道によれば、斎藤はこのほか、最高裁は米最高裁がジラード事件について迅速に決定したことを、砂川事件上告の処理を取り急ぎおこなう先例として重視していると述べるとともに、最高裁はこの事件の判決を八月におこなうだろうと予測したとのことである。

 ■「部外秘」
 1959年9月13日午前1時10分受信 至急電

 外務省当局者がわれわれに知らせてきたところによると、(最高裁での)砂川裁判の弁護側は、予想通り日本を基地とする米艦隊が一九五四年五月にインドシナ半島沖海域で、また一九五八年の台湾海峡危機のさい金門・馬祖両島周辺で作戦行動をおこなったと申し立てた。

 われわれは九月七日、わが方のコメント(関連電報)を外務省当局者に伝え、かつそれを注意深く吟味した。外務省当局者は、それらのコメントをまだ検察事務所には届けておらず、届けるのを躊躇していると知らせてきた。その理由は、(関連電報の)1/2項は日米安保条約下で日本に出入りしている艦隊部隊が一九五四年五月に南シナ海に行ったことを明確に否定しているものの、第II部の台湾海峡関連ではそうした否定がなされていないからである。外務省当局者は、南シナ海部分だけの否定では、台湾海峡に関する別の定式化に注意を惹きつけることにならざるを得ず、弁護側から日米安保条約関係への新たな攻撃を受けることになるだろうと見ている。(中略) 恐らく国務省は、このテーマ(11/3A)の質問が「兵力」と言っていてインドシナ半島問題にあるような「艦隊」FLEET に言及していないため、それを承認しなかったのだろう。…もし11/3項について1/2項と本質的に同様の否定を伝えることができれば、この点の回答は九月十五日までに必要である。どうか可能な限り迅速な返事を願いたい。

 ■(国務長官から米大使館へ)「秘」
 1959年9月14日午後9時28分発信 至急電

 関連電報の最後のパラグラフ、第一センテンスは、部分的には正しい。台湾海峡危機のさいの米「軍」に、日本に出入りしている部隊が含まれていなかったという言い方は、日本から沖縄や台湾に移った海兵航空団や第五空軍部隊の移動から見て不正確なものとなろう。海兵航空団も第五空軍部隊も第七艦隊所属部隊とはみなされないから、この声明は第七艦隊についてはなしえても、これに続く日本の基地の使用の否定は、事実に照らして台湾海峡作戦の場合には正しくないだろう。というのは、基地は実際に使われたからだ。(後略) ハーター(国務長官)

 ■「部外秘」
 1959年9月19日発信/9月21日受領

 左翼弁護士たちは、最高裁における砂川事件の弁論の最後の四期日を、安保条約と日本の西側陣営との同盟への手当たり次第の攻撃に費やした。弁論開始日に検察側と弁護側がともに発言をおこなったのとは対照的に、弁護側だけが連続四期日ぶっとおしで発言した〔九月九日、十一日、十四日、十六日〕。

 弁護団の攻撃のほこ先は最初、安保条約が国連憲章と日本国憲法に違反することの論証の試みに集中した。弁護側はこれをするにあたって、安保条約を法的観点から正しくないと追及するだけでなく、アメリカと日本の意図を非難して同条約は日本の滅亡への道であると示そうとした。(中略) 総評弁護団の弁護士(=内藤功弁護士)は、検察側がおこなったように、米軍は日本政府の管理下にないから米軍の駐留は合憲だと主張するのは筋違いだと述べた。同弁護士は海上自衛隊艦船はソ連の潜水艦を追跡する目的のため第七艦隊の作戦行動に参加してきていると主張し、在日米軍は日本の軍事力を「まさしく代表しており」、この状況は日本民族の滅亡への道であると論評した。(後略)


【外務省が情報開示】
 2010.4.2日、外務省は、1959年の「伊達判決」直後の当時の駐日米大使と日本側の外相や最高裁長官との謀議問題で、政権交代を受けて文書を開示するよう再請求していた元被告側に対し、外務省が「関連文書不存在」としていた従来の姿勢を翻し文書の存在を認めた。

 開示を求めていたのは、同基地への立ち入りを問われた「砂川事件」の元被告、土屋源太郎さん(75)、坂田茂さん(80)を始めとする支援者ら計40人。公開の再請求は、昨年9月の政権交代で、岡田克也外相が一連の日米密約の調査を指示したことを受け、10月に行った。

 同事件の1審「伊達判決」を巡り、当時のマッカーサー駐日米大使が藤山愛一郎外相と会い、控訴を経ずに上告する「跳躍上告」を勧めていたことや、大使と田中耕太郎最高裁長官が上告審の時期の見通しについて密談していたことが08年4月、米側公文書で判明。元被告らが、09年3月に情報公開請求したが、法務省、外務省、内閣府、最高裁の4機関は同年5月までに、大使との会議記録などに関し「不存在」と通知していた。 

 外務省以外の3機関は11月、以前と同じ理由で不開示としたが、外務省は12月25日、「現時点までに、該当文書を特定することができなかった」として、不開示を通知したものの、「最終決定ではなく、引き続き調査を行う」としていた。

 今回、一転して外務省が公開したのは、伊達判決2日後の59年4月1日付けの「藤山大臣在京米大使会談録」。「極秘」との印が押された手書き文書で計34ページある。今後、支援組織の弁護士らが読解を進める。


Re::れんだいこのカンテラ時評702 れんだいこ 2010/04/04
 【「砂川訴訟に於ける日米司法取り決め謀議」考】

 2010.4.2日、外務省は、1959年の「砂川事件伊達判決」直後の駐日米大使・マッカーサーによる訴訟指揮問題に関する機密文書を開示した。これを仮に「砂川訴訟に於ける日米司法取り決め謀議」と命名する。

 開示を求めていたのは、同事件の被告及び支援者グループである。2008.4月、国際問題研究ジャーナリスト新原昭治氏が、アメリカの公文書図書館で「砂川訴訟に於ける日米司法取り決め謀議」に関する機密文書「伊達判決を早期に破棄させるため、当時の駐日アメリカ大使マッカーサーが、日本の外務大臣、法務大臣、最高裁長官と密談を重ねた公文書14通」を発見した。これを受け、砂川事件の被告達が情報公開請求を行っていた。

 昨年9月の総選挙により民主党政権が登場し、岡田外相が一連の日米密約の調査を指示したことで、外務省は「関連文書不存在」としていた従来の姿勢を翻し公開を余儀なくされた。旧自公政権はこれまでこの種の情報を秘匿することに政治力を発揮した。これを思えば、遅まきながらの政権交代効果であろう。

 この問題の由々しさは、米国のあからさまな司法介入ぶり、最高裁長官がこれに唯々諾々したことにある。れんだいこは、この問題をなぜ重視するのか。それは、最高裁が、砂川事件のみならず政局絡みの重要案件に於いて「司法権の独立を内部溶解させる」この種の事例を地下ルール化しているのではなかろうかと推測するからである。こたびは田中耕太郎最高裁長官が槍玉に挙がったが、果たして田中氏だけのことだろうか。「伊達判決問題に於ける日米当局の謀議」は氷山の一角ではなかろうかと思うからである。その意味で、これをスクープしたジャーナリスト新原昭治氏の功績、これを情報公開させた岡田外相の政治能力は高く評価されるべきだと考える。

 以下、れんだいこならではの日共問題に関する気づきを開陳する。不快の者は読まぬが良かろう。日共がこたび、「伊達判決直後の日米司法取り決め謀議問題」をそれなりに採り上げ、これを批判する立場からの記事を発信しているのは正しい。読売、産経がどう評論したのか分からないが、マスコミが健全ならば「司法権の独立内部溶解問題」として論説すべきであろう。その意味で、そのように問うた赤旗評論に問題はない。

 問題は、日共―赤旗が、同種案件と思われる「ロッキード事件問題に於ける日米司法取り決め謀議問題」についてどういう態度を執っているのかにある。砂川事件に見せる論法によれば当然に問題視して批判すべきだろう。ところが実際には、前者では批判するが、後者では何ら問題視せず、むしろ検察司法当局の国策捜査の上前を行く角栄批判に興じた経緯がある。最近の小沢キード事件問題も然りで、「当局が首根っ子を押えている間に下の急所を蹴り上げる」なる珍妙な日共―検察がっぷり提携論を唱えつつ小沢批判を口上していた。

 なぜこういうことになるのだろうか。これをどう窺うべきだろうか。日共の変質と窺うべきだろうか。さほどでもない案件に対しては左派ぶり、由々しき事態に対しては左派衣装をかなぐり捨て当局との裏提携をも恥じないと窺うべきではなかろうか。こう窺うとしたなら、そういう日共の変質由来を尋ねるべきではなかろうか。ところが、こう尋ねる人士は異常に少ない。れんだいこの知るところ、サイト「社会主義、共産党問題を考える」を主宰している宮地健一氏ぐらいのものである。
(ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/kenichi.htm) 
多くの者は、日共の路線的誤りを指摘して悦に浸っている。確信犯的に誤り路線を指導している党中央には何らの痛打を与えないと云うのに。

 れんだいこは、こういう関心から戦後日本左派運動史をサイト化している。まだまだ未完の段階でしかないが、既にいろんな場面、箇所で六全協以来の共産党の日共化問題を考察している。この研究成果から判明することは、既成市井の論文は資料的に値打ちが認められるものもあるが、判断が問われる局面になると全くいただけないものばかりでしかないということである。よって、学ぶも良し学ばぬも良しということになる。下手に学ぶと却って真相が曇らされることになる。

 しかし、いつまでもそういう按配では良くなかろうという観点から、れんだいこがコツコツと書き上げつつある。そのうち寿命のお迎えが来るから、どこまで研究が進むのかは心もとない。しかしながら、確実な情報に依拠しない限り適正な判断は生まれないと思うから、死ぬまで続けるつもりである。現状のような共産党は共産党である訳がない、気持ちが悪いほどだ。日本人民大衆は左バネをもたぬまま生活に呻吟しており、それはれんだいこも含めて可哀そうと思うからである。

 それを読んで合点する者が居られれば良い。どなたかの為になればという思いからサイトアップしている。どうぞ活用くだされ。ご意見あれば聞かせてくだされ。

 「戦後政治史検証」(旧題・日本共産党戦後党史の研究(一)
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi
  /sengoseijishico/index.htm)

 「戦後学生運動」考
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/)

 「砂川事件最高裁判決に於ける日米密談漏洩事件考」
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/sunagawatoso/sunagawatoso.htm)

 2010.4.4日 れんだいこ拝

【天木直人氏の告発証言】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK142」の赤かぶ氏の2013.1.19日付け投稿「またひとつ砂川事件の真実が明るみになった <「法の支配」を政治的に曲げたという動かぬ証拠> 天木直人」を転載しておく。

 またひとつ砂川事件の真実が明るみになった
 http://blogs.yahoo.co.jp/hellotomhanks/63751304.html
 「天木直人氏の視点ー(2013/01/18)」 :本音言いまっせー!

 きょう1月18日の東京新聞と毎日新聞が報じていた。砂川事件の判決の裏にあった最高裁の対米従属さについて、またひとつあらたな証拠が見つかった事を。

 砂川事件とは砂川町(現立川市の一部)にある米軍立川基地の拡張工事に反対して基地内に入ったデモ隊の一部が日米安保条約違反として起訴された事件で、1959年3月に東京地裁は在日米軍は違憲であるとして無罪の判決(伊達判決)を下したのに対し同年12月の最高裁判決(田中耕太郎裁判長)によって一審判決が差し戻され、その結果一転して有罪判決が下された事件である。

 ところがその最高裁の判決前に裁判長であった田中耕太郎最高裁長官がマッカーサー駐日米国大使と会って伊達判決は全くの誤りだったと伝えていた事が米公文書で分かったというのだ。この公文書とはマッカーサー駐日大使が米国務省宛てに送った公電2通であるという。在日米軍問題を取材しているフリージャーナリストの末松靖司氏が昨年(2011年)9月に米国立公文書館で発見したという。砂川事件ではこの田中耕太郎最高裁長官の政治的動きがかねてから指摘されてきた。その指摘が米国の公電によってあらたに裏づけられたということである。

 このような「不都合な真実」が明るみになっても、日米同盟を最優先する政治家や有識者の中には最高裁が国益に沿った動きをするのは当然だと開き直る者もいるに違いない。しかし最高裁長官をふくめ司法を担う者が「法の支配」を政治的に曲げたという動かぬ証拠を前にして開き直る事はできない。やはりこの田中耕太郎最高裁長官の言動はあってはならない事なので
ある。

 当時の被告人の一人である土屋源太郎氏(伊達判決を生かす会共同代表)は「憲法の番人である最高裁長官が当事者である米側に審理中の裁判内容を漏らしていた。この事実を多くの人に知ってもらいたい」として09年に最高裁に関連情報の開示要求を求めたが文書は存在しないとして退けられている。しかし今度の米公電が見つかったことで再び当時の業務記録などの開示要求を最高裁に求めるという。果たして最高裁は文書提供に応じるのだろうか。裁判所は情報公開法の対象外のため文書開示の義務はないという。裁判所の良心が問われるということである。

         ◇

 砂川事件:最高裁長官「1審誤り」 米大使に破棄示唆 公文書で判明
 http://mainichi.jp/select/news/20130118ddm041040157000c.html
 毎日新聞 2013年01月18日 東京朝刊

 東京都砂川町(現立川市)にあった米軍立川基地で1957年に起きた「砂川事件」の最高裁判決を巡り、最高裁長官が駐日米大使と事前に会い、1審判決を批判する発言をしていたことを記録した米公文書が見つかった。同事件の元被告、土屋源太郎さん(78)らは「司法判断が米国の意向でゆがめられた可能性がある」として今月30日、最高裁に当時の田中耕太郎長官の業務記録などの開示を求める申し出をする。

 砂川事件では基地拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に入り、土屋さんら7人が日米安保条約に基づく刑事特別法違反で起訴されたが、東京地裁の伊達秋雄裁判長は59年3月、米軍の駐留自体を憲法違反と判断する異例の無罪判決(伊達判決)を出した。しかし、最高裁は同年12月、1審判決を破棄。差し戻し審で土屋さんらの罰金刑が確定した。田中長官が最高裁判決前、ダグラス・マッカーサー2世・駐日米大使と内密に話し合ったとする米公文書の存在は08年に明らかになっている。その後、在日米軍問題を取材しているフリージャーナリストの末浪靖司さんが11年9月、最高裁判決前後にマッカーサー大使が国務省に送った公電2通を米国立公文書館で新たに発見。土屋さんらに提供した。判決約1カ月前の59年11月5日の公電には、田中氏が「伊達判事の判断は全く誤っていた」「来年初めまでには判決を出せるようにしたい」などと語ったと記されていた。また、判決翌日の12月17日の公電は「全員一致の合憲判断は大変有益な展開」などと判決を歓迎。「田中長官の手腕と政治力に負うところが大きい」と称賛している。【日下部聡】


 れんだいこのカンテラ時評bP129 投稿者:れんだいこ投稿日:2013年 4月 9日
 田中耕太郎最高裁長官の司法取引密談考

 2013.4.8日、1959年の砂川事件最高裁判決に関わる、当時の田中耕太郎最高裁長官の在日米大使館首席公使と秘密会談による新たな司法犯罪が報じられている。今回の新資料は、元山梨学院大教授の布川玲子氏(68歳、法哲学)が今年1月に米国立公文書館に開示請求し、その翌月に入手したものである。別文書既報で、1審判決後、田中最高裁長官と駐日米大使(ダグラス・マッカーサー2世)との密会謀議が判明している。こたび、司法の番人の頂点に位置する最高裁長官ともあろう者が「上からの法破り」で司法の独立を犯していたことがまた一つ判明した。

 ここで田中耕太郎氏の履歴を確認しておく。概要はウィキペディアの記す通りであるが、気になることとして、欧米留学を経て帰国後の1924(大正13)年、戦後の日本国憲法に携わることになる松本烝治の娘である峰子と結婚、1926(大正15)年、上智大学初代学長ヘルマン・ホフマン師よりイエズス会系カトリック教徒として受洗と記されている。戦後、1945.10月、文部省学校教育局長に転じ、1946.5月、第1次吉田内閣で文部大臣として入閣。文相として日本国憲法に署名している。その後、教育基本法制定に尽力している。1950年、参議院議員を辞職して最高裁判所長官に就任。閣僚経験者が最高裁判所裁判官になった唯一の例となっている。長官在任期間は3889日で歴代1位。1961年から1970年にかけて国際司法裁判所判事として活躍する。1974年、聖母病院において死去、亨年85歳。

 この履歴の問題性は、田中耕太郎が一貫して陽のあたる坂道を昇りつめていることにある。彼をしてここまで順調に登用せしめたものはなんだったのか、有能性だけに根拠を求めるべきだろうか、これを問わねばなるまい。秘密のカギは「イエズス会系カトリック教徒として受洗」にあるのではなかろうか。ここでは、この問題につき、これ以上は踏み込まないことにする。

 もとへ。新資料によると、1959年、田中最高裁長官が、密接な利害関係者である米国側の要人である在日米大使館首席公使(ウィリアム・レンハート)と秘密会談している。これを記した米国国務長官宛の在日米国大使館公電が遺されており、これが開示されたことになる。これにより、日米安全保障条約改定を前に日本の最高司法が米国に誓約した便宜内容が具体的な明らかになった。

 布川氏が「最高裁長官が司法権の独立を揺るがすような行動を取っていたことに非常に驚いている。安保改定の裏で、司法の政治的な動きがあったことを示す資料として注目される。裁判長が裁判の情報を利害関係のある外国政府に伝えており、評議の秘密を定めた裁判所法に違反する」云々とコメントしている通りである。

 それによると、1957(昭和32).7月、東京のアメリカ軍・旧立川基地の拡張計画に反対したデモ隊が基地に立ち入り学生ら7人が起訴されたいわゆる「砂川事件」の裁判が始まる。1959年3.30日、1審が、「アメリカ軍の駐留は戦力の保持を禁じた憲法9条に違反する」として7人全員に無罪を言い渡した(「伊達一審判決」)。検察側は高裁を飛ばして最高裁に上告(跳躍上告)した。「伊達判決」直後のこの時、マッカーサー駐日大使が藤山愛一郎外相、法務大臣(愛知揆一?)、田中最高裁長官と会談し、「日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すこと」を求め、過去に一例しかなかった最高裁に跳躍上告するよう働きかけている。ここまでは既に判明しているところである。

 同年7.31日、最高裁の公判日程が決まる3日前、田中最高裁長官が「共通の友人宅」でレンハート・在日米大使館首席公使と秘密会談している。会談当時は、日米両政府の間で、安保条約の改定に向けた交渉が行われている最中であることを考えると極めて政治性が強いことになる。これがこたび開示された史料の意義である。

 秘密会談の内容は次の通りである。その1として、田中最高裁長官は、公判日程及びその見通しや評議内容まで明らかにしている。「9月初旬に始まる週から、週2回の開廷で、およそ3週間で終えると確信している」、「砂川事件の最高裁判決はおそらく12月であろうと考えていると語った」と記述されている。実際、公判期日は8月3日に決まり、9月6、9、11、14、16、18日の6回を指定し、18日に結審、12月16日に1審判決を破棄、差し戻している。

 その2は、大使側は「同僚裁判官たちの多くが、それぞれの見解を長々と弁じたがることが問題になる」と指摘し、これに対し田中長官が「裁判官15名に働きかけ、結審後の評議は実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている。学生らの有罪を確定させる」と述べ、これに向けての訴訟指揮をする旨の言明が記載されている。事実その通りになった。その3は判決である。最高裁判所大法廷判決で1審判決を破棄し、7人の罰金刑が確定した(「田中最高裁判決」)。文書末尾は、「最高裁が政府側に立った判決を出すなら、新安保条約を支持する世論の空気が決定的に支持され、社会主義者たちは投げ飛ばされることになる」と結ばれている。

 こたび開示された文書はかくも「田中最高裁長官が米国尋問に応諾した様子」を証言している。我々は、これより何を窺うべきだろうか。「米国の圧力」なのか「日本側の自主的追従」なのかまでは分からないが、法曹界の頂点に立つ最高裁長官自らの「司法の独立毀損犯罪」を犯していることは間違いない。しかしてそれは日本の独立国としての名誉を最高裁長官自らが踏みにじっていることを示している点で由々しきことであろう。

 この時の判決文はもう一つの汚点を遺している。「日米安全保障条約はわが国の存立に関わる高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」として憲法判断留保とした。これを仮に「高度の政治性課題につき統治行為論に基づき違憲判断留保を是とする法理」(「違憲審査留保法理」)と命名する。この論理論法が、その後の違憲訴訟の数々を門前払いにさせ憲法の空洞化を裏から促進した点で罪が大きい。

 れんだいこはこのところ歴史解読の為には「没史料的歴史推理」を働かせるよう示唆しているが、こうやって「没史料的歴史推理」がその後の史料公開によって裏付けられることになることを知る。そこで更に「没史料的歴史推理」を働かせたい。ロッキード事件、小沢キード事件もこうやって「日米謀議」により発動されたことが後から裏付けられることになるのではあるまいか。してみれば、そう云う裏舞台を嗅がず、当局の尻馬に乗って角栄批判、小沢批判をぶって正義ヅラし、これに疑念する者に対して陰謀論の一声で一蹴する者の何と浅はか悪乗りなことか。この手合いが多過ぎて困る。

 「砂川事件最高裁判決に於ける日米密談漏洩事件考
 (gakuseiundo/history/sunagawatoso/
mitudanroeico.htm)

 jinsei/


【孫崎享氏の告発証言】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK146」の赤かぶ氏の2013.4.16日付け投稿「米国の命令を実行すると ご褒美がもらえるのだ ー砂川事件の田中耕太郎最高裁長官―孫崎享」を転載する。
 http://blogs.yahoo.co.jp/hellotomhanks/63905587.html
 ★孫崎享氏の視点ー(2013/04/16)★ :本音言いまっせー!

 すでにブログで紹介したように「砂川事件」を巡る裁判で、田中最高裁裁判長が米国と密接な連絡を取っていたことが明らかになった。「昭和32年にアメリカ軍基地を巡って起きたいわゆる「砂川事件」の裁判で、「アメリカ軍の駐留は憲法違反」と判断した1審の判決のあとに当時の最高裁判所の長官がアメリカ側に1審の取り消しを示唆したとする新たな文書が見つかった。当時の最高裁の田中耕太郎長官が最高裁での審理が始まる前にレンハート駐日首席公使と非公式に田中長官は、「裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ、世論を不安定にする少数意見を回避する」などと語っている。凄いことである。「裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ、世論を不安定にする少数意見を回避する」とは、各裁判官の自主的判断を許さないということである。

 この田中耕太郎氏と米国との関係がどうなっていたか、見てみたい。この情報は知人が提供してくれたものである。

 出典鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』、下田武三(外務次官、駐米大使、最高裁判事)

 昭和28年対日平和条約の発効後、初代の大使として赴任した諸外国の大使は各界の指導者との交際を念願していたところ、熱心なクリスチャンであり、西欧的な教養を身につけられた田中最高裁長官ご夫妻は在京外交団の引っ張りだことななられ、頻繁に大使館のディナーへの招待を受けられた。(注:最高裁長官という微妙な立場にいるものは、通常、外国の工作を排除するため、こうした交流を出来るだけさせる)

 政府は国際司法裁判所への日本からも裁判官の選出を図る方針を決めた。外交官出身の栗山判事が出馬したが2度国連選挙で選ばれなかった。田中長官の出馬が決まり、ワシントンの公使をしていた私も早速国務省当局に対して指示要請を行った。米国要人中にも知己の多い田中先生に対する米側の反応は極めて好意的であった。

 先生は翌年36年の春着任されたが、隣のベルギーに着任した私は時々遊びにくるようにお願いした。ブラッセルには東京でお知り合いのマッカーサー米大使もその頃転院しており、同大使を交えてのディナーにお招きした。

 鶴岡元国連大使

 「選挙戦ではインドのパル判事(東京軍事裁判の判事)とパキスタンの候補(再選めざす)をアジア地域に割り当てられている一つの椅子を争う三つ巴の戦いであった。「パの候補が絶対優勢だ」「日本は早く引っ込めて次を狙った方が日本のためになる」と国連事務局法律部の連中まで言いふらす有様だった」。田中耕太郎氏が米国の積極的支持を得て当選したことは間違いない。それはある意味、「砂川事件」裁判の論功勲章のようなものである。砂川裁判は極めて異例な裁判である。

@ 全員無罪の判決を下した東京地方裁判所に対して、検察側は直ちに最高裁判所へ跳躍上告した。これは極めて重要なポイントで、裁判で、想定される十分な審議するという手続きを省くということで、これを受理することは最高裁判所の意向が十分に反映されているとみなしてよい。

A 少数意見がなかった、米側とのやり取りをみても、ここでは田中氏の指示が強く反映されているとみられる。

B「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」として判断を放棄した。この論は米国が国際関係でしばしば使う論理である。例えば核兵器の使用禁止を国連で決定しようとする際にも、審議になじまないという形で排斥している。これらは米国側と密接な関係を持って実施された。

 裁判所は公平であるという一般の認識と全く異なる動きをした。田中耕太郎氏はその成功報酬が国際司法裁判所の判事というポストを米国の支援で獲得したのである。ここに米国に協力する者と、米国の対応が現れる典型的ケースがみられる。裁判官や検察に米国の影響力が及んでいると多くの人は考えている。しかし、ここにもしっかり影響力が及んでいる。それを田中耕太郎氏のケースが示している。


【高村正彦自民党副総裁の「砂川判決」発言に対する高野孟・氏の批判考】
 2014年3月現在、安倍政権下で、個別的自衛権の問題として正当防衛の関連どころか,集団的自衛権の行使が具体的に議論されている。この状況下で、3.26日、自民党の高村正彦副総裁が都内で講演し、安倍政権が目指す集団的自衛権の行使について一部は憲法解釈の変更で可能との見方を示した。中国の軍備増強など国際情勢の変化を挙げ、集団的自衛権の行使容認で日米同盟を強化する必要があると語った。続いて、在日米軍の合憲性が争われた1959年の砂川事件の最高裁判決に言及し、「個別とか集団とか区別せず国の存立をまっとうするために必要な自衛の措置をとることは当然であると(判決は)いっている」と指摘。集団的自衛権にはさまざまなケースがあるとした上で一部は最高裁が認めた自衛権の範囲内であり憲法の解釈変更で対応可能と語った。

 政府は現在,日本は集団的自衛権の権利を有しているものの,憲法上は行使を許されていないという解釈を取っている。高村副総裁はこれについて米国本土の防衛に自衛隊を派遣するような事態を想定してすべてを否定していると批判。「全部不可能というのは行き過ぎたところがあった」と述べた。容認されるべき例として、日本を防衛する米艦船が攻撃された場合に自衛隊が反撃するケースを挙げた。高村副総裁は、中国の軍事予算が年々増加しているとした上で「対抗して日本が伸ばせるか。難しいだろう」と指摘。「中国に日本を侵略する意図はないと思うが意図は変わりうる。日米同盟をしっかりしておく必要がある」と語った。

 これを受けての「高野孟の『永田町の裏を読む』」を確認する。「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK164 」の赤かぶ氏の2014.4.10日付け投稿「集団的自衛権の議論に「砂川判決」を持ち出す三百代言 《高野孟の「永田町の裏を読む」》(日刊ゲンダイ)」を転載する。

 集団的自衛権の議論に「砂川判決」を持ち出す三百代言 【高野孟の「永田町の裏を読む」】
 http://gendai.net/articles/view/newsx/149329
 2014年4月9日 日刊ゲンダイ

 3日から始まった集団的自衛権容認をめぐる与党内協議のキーマンは自民党の高村正彦副総裁で、何とか「限定容認論」でとりまとめようと腐心している。が、その際に高村が、1959年の「砂川判決」を持ち出して、その最高裁判決の中で集団的自衛権が認められていると説得して歩いていることに対しては、与野党のあちこちから疑問の声が上がっている。

 砂川事件というのは、米軍立川基地への反対闘争でフェンスを壊して基地内に立ち入った学生7人が、安保条約に伴う刑事特別法違反に問われた裁判で、第1審のいわゆる「伊達判決」は在日米軍の駐留そのものが日本国憲法第9条2項で保持が禁じられている「戦力」に当たり違憲であるとして全員無罪を言い渡した。

 ビックリしたのは米国だ。米軍駐留が違憲というのでは、翌年に控えた安保条約改定など吹き飛んでしまうというので、岸内閣に外交圧力をかけただけでなく、駐日大使が直接、田中耕太郎最高裁長官に極秘接触し、伊達判決を急いでひっくり返すよう強要した。それで、田中自身が裁判長を務めて早々に出したのが砂川判決で、要するに在日米軍は日本の「戦力」ではないから駐留は合憲だと断言した。その意味で、砂川判決は、司法が米日権力に屈服した恥ずべき歴史の記念碑であって、「今どきこんなものを持ち出してくる感覚が常軌を逸している」と某野党議員は怒る。

 しかも、その判決には、集団的自衛権が合憲だとはどこにも書いていない。論理の運びとして、(1)我が国が主権国家として固有の自衛権を持つことは憲法で否定されていない、(2)しかし我が国の防衛力は不足なので、それを「平和を愛好する諸国民の公正と信義」を信頼して補うのは当然だ、(3)安保はその諸国民の公正と正義を信頼するひとつの形であるから米軍駐留は合憲である――ということを言っているのであって、この(1)の「固有の自衛権」というところだけを切り出して、そこには個別的のみならず集団的自衛権も「含まれている(はずだ)」と言って歩いているのが高村である。そんなことは何ら裁判の争点となっていないし、議論にすら上っていない。三百代言とはこのことだ。

 読売新聞などがこれを「高村理論」などと持ち上げるから、法理も歴史も知らず、判決そのものなど読んだこともない自民党のボスたちが「なーんだ、最高裁判決で認められているのか」と思い込まされている。集団的自衛権の議論は迷走の揚げ句、知的退廃の泥沼に填(はま)りつつある。

▽〈たかの・はじめ〉1944年生まれ。「インサイダー」「THEJOURNAL」などを主宰。「沖縄に海兵隊はいらない!」ほか著書多数。







(私論.私見)