補足 統一戦線と共同戦線の識別考

 更新日/2018(平成30).11.18日

【統一戦線と共同戦線の識別考】
 ここで最近気づいたことを述べる。「共同戦線論考」でも述べたが繰り返しておく。従来、左派潮流の共闘を「統一戦線」と表現してきたが、左派運動の本義に於いては「共同戦線」と表現すべきなのではなかろうか。ニュアンスの違いではあるが、「統一戦線」という表現には、マルクス・レーニン主義者党を自認する党中央を絶対の正しき党と見なした上で、マヌーバー的な戦略上の妥協として導入されるものの、実際には党中央を「奥の院」に据えており、その睨みの構図の中で党フラクション組織としての大衆団体、労働組合、その他組織を結集させ、その周りに他党派、諸潮流の取り込みをも図るという自尊構図が見られる気がしてならない。

 そうではなく、党内に異論と派閥が認められ、平常も党大会でも議論がかまびすしく為され、その同じ論理で他のどのような組織とも課題毎に時局に応じて共闘を目指すというのがこの種の運動に本来期待されていることなのではなかろうか。という訳で、れんだいこは以降、「共同戦線」と表現することにする。これより以降、「統一戦線」なる用語を使う者は、れんだいこのこの指摘に理論的に反駁せねばならない。

 現下左派運動諸党派の党中央の呼びかけで為されるその種の運動は「統一戦線」運動と見なしても良かろう。なぜなら、彼らは、例の民主集中制に繋がる満場一致世界を現出する組織論に相応しい「統一戦線」線運動を志向しているのだから。ちょっとの認識上の違いであるが、意味するところは運動観の世界が根本的に変わるほど大きな違いでもあるように思われる。

 補足すれば、万が一民主連合政府的なものができたして、日共より左派系諸派の政治的活動が認められる幅が現自・自・公政府下のそれより狭まるという危惧は杞憂なのだろうか。私は、現在の日共党中央執行部が、より左派系党派の政治的自由についてきちんと説明したものにお目にかかっていない。赤旗記者が茶髪・金髪OKで党本部を出入りしていることを指摘してこれほど自由が認められているのだとかいう、本来何の意味も持たない事例で説明しているのを聞いたことがあるばかりである。

 民主連合政府の呼びかけは、歴史的には、社会党がむしろ社・公合意の方向にむかっていったことによって流産したように記憶している。共産党が右へ寄れば寄るほど社会党も右へ動き、今日共産党はかっての民社党辺りのところまで寄って来ているようにも思われる。否、民社党のほうが労働者に一定の基盤を持っていたことを考えれば、それよりもなお右派的かも知れないという驚くべきところまで漂流してきているよう思われる。この間いつのまにか社会党がいなくなってしまった。民社党はリベラル系保守諸派の中に潜り込んでしまった。この先一体どうなることやら。やはり瑞穂の国は大政翼賛会方式が似合うのかも知れない。

 こうした流れに結果したことについて、社会党批判とは別途に日共の対応の変調さも検証しておかねばならないのではなかろうか。仮にスローガンに正しさがあったということと、その道筋を作りだせれなかったということとは不可分の責任関係にあると思われるが、免責されるのであろうか。つまり、 民主連合政府の呼びかけ問題につきまとっていることは責任体系の問題である。政治的スローガンの提唱は執行部の権限であるが、その指針が流産した場合、まっとうな政治的解明と責任処理がなされるべきであるという緊張関係がなければ、全ては饒舌の世界になってしまうのではなかろうか。

 この峻別がなされているのが何と自民党であり、与党として信頼が託されている所以なのではなかろうか。このことは、ホームページに於ける各党の党史掲載の仕方でも分かる。何と、自民党のデキが相対的に一番良い。次に公明党、民主党という具合になっている。社民党と共産党には党史と云えるほどの記述さえない。社民党の場合、ホームページにはないが、検索で探そうと思えば探せる。ところが、日共の場合、どこから検索しても出てこない(2006.5.7日現在)。おかしなことである。

 その癖、著作権については、現行著作権法よりなお生硬な強権著作権論を振りかざしている。党の見解が流布されるにつき、承諾なしで勝手にされてはならじとするその精神は何ぞ。れんだいこにはさっぱり理解できない。いつからこんな左派運動が流行し始めたのだろう。誰か、れんだいこが納得のいくように説明してくれないだろうか。

 もとへ。なるほど、このたびの党の現執行部の呼びかけを見れば、反省と工夫がなされてはいる。「21世紀の初頭に民主連合政府の樹立を」とあるように、この度はかっての「70年代の遅くない時期」的呼びかけに比して、「21世紀の初頭」というように、漠然としたより長期レンジのスローガンにしてはいる。しかし、この時には不破も志位も政治活動の一線からリタイアしている頃であろうから、執行部の責任体系をあらかじめ放棄した批評的願望的スローガンであることが見て取れる。えらいところに智恵を使うもんだと感心させられている。

 極く最近では組閣参入にも色気を見せてもいるようであるが、どっちへ転ぼうともフリーハンドの執行部というのは党ならではの羨ましい限りの話のように思えたりする。それにしても党員の皆さんのご納得があってこそ成り立つわけであり、それを思えば鼻じらみながらただただ頭が下がるばかりというしかない。


 2002.10.29日再考、2006.5.7日再編集 れんだいこ拝





(私論.私見)