れんだいこのよど号赤軍派考、事件考 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元、栄和3)年.8.24日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「れんだいこのよど号赤軍派考、事件考」をものしておく。 2008.1.28日 れんだいこ拝 |
【れんだいこのよど号赤軍派考】 |
これらを踏まえながら、よど号赤軍派問題に対するれんだいこ総括を提起しておく。これも結論から述べ、今後の処方箋を提起しておく。この問題はかなり難しく、よど号事件問題と拉致事件問題の両面から考察されねばならないだろう。前者は、乗客乗員を無傷で待遇していることを考慮し、温情的に措置することを是とするべきであろう。後者は、拉致事件問題そのものと直結することになるが、拉致の実態検証と実際のオルグの様子とを突き合せねばならないだろう。いずれにせよ、拉致被害者の殺害に関しては責任を免れまい。よど号赤軍派の婚姻絡みについては事情を忖度されねばならないだろう。情状酌量の余地が有ると考える。 |
【よど号ハイジャック事件考】 | |||
よど号ハイジャック・メンバーは、田宮高麿(27才.大阪市大)、小西隆祐(25才.東大)、田中義三(21才.明大)、安部公博(22才.関西大)、吉田金太郎(20才.元工員)、岡本武(21才.京大)、若林盛亮(23歳.同志社大)、赤木志郎(22才.大阪市大)、柴田勝弘(16才.神戸市立須磨高校生)の9名で、羽田発福岡行きの日航機よど号をハイジャックして北朝鮮行きを要求した。事件の好奇性からマスコミは大々的に報道し、多くの視聴者が釘付けになった。 副操縦士だった江崎悌一氏の克明な記録によれば、午前7時35分頃、羽田発福岡行き日本航空ボーイング727「よど号」(:乗員7名、乗客131名)が富士山上空で乗っ取られ、田宮ら9名の赤軍派に日本刀、ピストル、爆弾で脅され、北朝鮮の平壌行きを指令された。彼らの当初の行き先は中国かキューバであった。しかし、中国は受け入れが微妙、キューバまで行くには遠過ぎることを判断し、一番近い北朝鮮を指示した。
福岡空港で給油。この時、病人、女性、子供などの乗員23名が解放された。爆発させると脅された石田機長は離陸を決断し、6時間半後の午後2時前離陸。朝鮮半島の東の海上を北上し、朝鮮を南北に分断する休戦ラインに沿って西に転じ、板門店の北西部まできてピョンヤンに近づいた。そこで国籍不明の2機の戦闘機が現れ、よど号は空港に誘導された。機長、犯人ともに、最初はそこがピョンヤンの空港であると思ったようであるが、実は偽装された韓国のソウル郊外の金浦空港であった。「4.よど号事件とその後」は次のように記している。
韓国側は、金浦空港で北朝鮮らしさを偽装していた。北朝鮮兵の服装とニセのプラカードを持った兵士がハイジャック機を歓迎するように迎えた。ところが準備時間が短かかったため間に合わず、空港にはノースウエスト機が停まっていたし、ラジオにはジャズが流れ、空港の近くをアメリカ車が走っていた。赤軍派は、ノースウエスト機には気がつかなかったが、ラジオ放送やアメリカ車に気がついて偽装を見破った。
日韓政府とハイジャック犯の駆け引きが続いた。韓国側はあくまでも強行突入に拘ったが、日本側の強い意向により、山村新治郎運輸政務次官が乗客の身代わりに乗り込むことにより「乗客解放と目的地着陸保証」で合意が取り付けられた。4月3日、乗客全員が開放された。同日午後6時4分、よど号はまだ日本と国交のない北朝鮮のピョンヤンに向って夕闇の中を、有視界飛行により正確な地図ももたずに飛び立った。事件発生から83時間後のことであった。よど号は北朝鮮に受け入れられ、午後7時20分、平壌の美林(ミリム)飛行場に到着した。 |
(私論.私見)