れんだいこのよど号赤軍派考、事件考

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元、栄和3)年.8.24日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「れんだいこのよど号赤軍派考、事件考」をものしておく。

 2008.1.28日 れんだいこ拝


 【れんだいこのよど号赤軍派考】

 これらを踏まえながら、よど号赤軍派問題に対するれんだいこ総括を提起しておく。これも結論から述べ、今後の処方箋を提起しておく。この問題はかなり難しく、よど号事件問題と拉致事件問題の両面から考察されねばならないだろう。前者は、乗客乗員を無傷で待遇していることを考慮し、温情的に措置することを是とするべきであろう。後者は、拉致事件問題そのものと直結することになるが、拉致の実態検証と実際のオルグの様子とを突き合せねばならないだろう。いずれにせよ、拉致被害者の殺害に関しては責任を免れまい。よど号赤軍派の婚姻絡みについては事情を忖度されねばならないだろう。情状酌量の余地が有ると考える。

 いずれにせよ、イスラエルのガザ攻撃とパレスチナ難民への恒常的迫害、虐殺が続けられている現代社会の病巣面をも考慮しながら平衡的に解決されねばならないと考える。拉致が一番悪くて虐殺が許されるなどと云うことがあって良い訳が有るまい。よど号赤軍派が罰せられて、イスラエルのパレスチナ難民迫害、虐殺が罰せられないのは理屈が通らないと云うべきだろう。

 何とか帰国する手筈を講じ、日本人民大衆の叡智で救済する道を切り開かねばなるまい。目下の政権政府の下では無理というより極刑を科す能しか持たないだろう。日共も然りであろう。故に、我々の政権を樹立し、この問題も解決せねばならないと考える。

 もう一つ、田宮らが最終的に辿り着いた日本革命論は検討されるに値する。日本左派運動は、こういうところをタイムリーに議論し合える能力を獲得しておかねばならないのではなかろうか。よど号赤軍派の足跡を訊ねるのは単なる井戸端関心に過ぎず、彼らの立論との対論にこそより意味があると考える。実際に為しているのは逆のことばかりである。


 【よど号ハイジャック事件考】
 よど号ハイジャック・メンバーは、田宮高麿(27才.大阪市大)、小西隆祐(25才.東大)、田中義三(21才.明大)、安部公博(22才.関西大)、吉田金太郎(20才.元工員)、岡本武(21才.京大)、若林盛亮(23歳.同志社大)、赤木志郎(22才.大阪市大)、柴田勝弘(16才.神戸市立須磨高校生)の9名で、羽田発福岡行きの日航機よど号をハイジャックして北朝鮮行きを要求した。事件の好奇性からマスコミは大々的に報道し、多くの視聴者が釘付けになった。

 副操縦士だった江崎悌一氏の克明な記録によれば、午前7時35分頃、羽田発福岡行き日本航空ボーイング727「よど号」(:乗員7名、乗客131名)が富士山上空で乗っ取られ、田宮ら9名の赤軍派に日本刀、ピストル、爆弾で脅され、北朝鮮の平壌行きを指令された。彼らの当初の行き先は中国かキューバであった。しかし、中国は受け入れが微妙、キューバまで行くには遠過ぎることを判断し、一番近い北朝鮮を指示した。

 この時丁度、その航空空域が米軍の管制下にあったことから、この事件はただちに米軍にキャッチされた。そのためこの事件は日米韓北朝鮮の4国がからむ厄介な国際問題になり、ハイジャック事件としては解決までの時間の世界最長記録を作ることになった。

 「4.よど号事件とその後」は次のように記している。
 「米軍は直ちに同機に搭乗していたアメリカ人乗客を調べた。すると、聖職者とコーラ関係者の2名のアメリカ人が搭乗していることが分かった。このうちの聖職者マクドナルド氏が、アメリカが北朝鮮に行かれると困るCIA?にからむ人物であったふしがある。そのことがよど号の問題解決を、事件の裏でさらに複雑かつ困難にしたと思われる。その内容は、よど号事件の際に日本航空の対策本部事務局長をつとめた島田滋敏氏の著書『“よど号”事件 三十年の真実』(草思社)に詳しい」。

 福岡空港で給油。この時、病人、女性、子供などの乗員23名が解放された。爆発させると脅された石田機長は離陸を決断し、6時間半後の午後2時前離陸。朝鮮半島の東の海上を北上し、朝鮮を南北に分断する休戦ラインに沿って西に転じ、板門店の北西部まできてピョンヤンに近づいた。そこで国籍不明の2機の戦闘機が現れ、よど号は空港に誘導された。機長、犯人ともに、最初はそこがピョンヤンの空港であると思ったようであるが、実は偽装された韓国のソウル郊外の金浦空港であった。「4.よど号事件とその後」は次のように記している。

 概要「福岡でアメリカ人をおろすことができなかったため、どうしてもよど号を韓国に着陸させて乗客を解放させる必要が出てきた。そのことがハイジャック事件の解決までの時間的最長記録を作る、厄介な国際問題に発展させた」。

 韓国側は、金浦空港で北朝鮮らしさを偽装していた。北朝鮮兵の服装とニセのプラカードを持った兵士がハイジャック機を歓迎するように迎えた。ところが準備時間が短かかったため間に合わず、空港にはノースウエスト機が停まっていたし、ラジオにはジャズが流れ、空港の近くをアメリカ車が走っていた。赤軍派は、ノースウエスト機には気がつかなかったが、ラジオ放送やアメリカ車に気がついて偽装を見破った。

 よど号の石田機長(47歳)は帰国後、なぜ韓国金浦空港に着陸したのかという謎を次のように明らかにしている。

 意訳概要「管制塔が『こちら平壌』と誘導したので、てっきりそこが平壌だと思っていた。着陸後、アメリカの飛行機が見えたので、副機長もすぐに平壌ではないことはわかった。犯人にははらわたが煮え繰り返る」。

 日韓政府とハイジャック犯の駆け引きが続いた。韓国側はあくまでも強行突入に拘ったが、日本側の強い意向により、山村新治郎運輸政務次官が乗客の身代わりに乗り込むことにより「乗客解放と目的地着陸保証」で合意が取り付けられた。4月3日、乗客全員が開放された。同日午後6時4分、よど号はまだ日本と国交のない北朝鮮のピョンヤンに向って夕闇の中を、有視界飛行により正確な地図ももたずに飛び立った。事件発生から83時間後のことであった。よど号は北朝鮮に受け入れられ、午後7時20分、平壌の美林(ミリム)飛行場に到着した。






(私論.私見)