2、さて、トークの本筋についてです。基本的には、足立氏と僕の議論、論争が主軸でした。
足立氏は、トークの始まる前から、えらく張りきり、意気込んでおられ、「今日は塩見君にお小言を言いにきた」と誠に挑発的でした。氏が、述べられた要点は |
・ |
「責任転嫁的で、自己弁護過ぎる。責任回避だ。殺された人も、殺した人も苦しんできたのだ。こういった、悲しむべき、残念な現実があったのだ。この総体を、全部、ひき受けて総括する“全体性”が必要だ。」 |
・ |
「スターリン主義を持ち出すなら、塩見こそスターリン主義的でなかったか。」 |
・ |
「7・6事件を、感情に拝跪し、憤激した、というが果たしてそうか。」 |
・ |
後、「獄中ボケが治っていない」とかの苦言も頂戴しました。 |
・ |
「70年代を終えて、80年代、出獄してからぼやけてきているのではないか。」 |
こういったことを、氏は一気にまくし立てられました。
僕は、あたうる限り、僕の信ずるところに従って、具体的歴史的に、事例を挙げ、氏に答えて行きました。 はじめの、「こういった、悲しむべき、残念な現実があったのだ。この総体を、全部、ひき受けて総括する“全体性”が必要だ。」については、氏のお話からはその内容、骨組みまでは見えて来ませんでした。具体的な事実に基づくものとは、どう見ても言えませんでした。
もう少し、言えば、僕がこの30数年間、取ってきた基本的態度をそのままおっしゃっているに過ぎないと思います。
僕の生き様、姿勢の真髄を換骨奪胎して、言葉だけ簒奪し、その相手には、自分の中だけで誤解に基づくイメージを作り上げているとしか思えませんでした。そして、僕には、なんだか、氏が強がっている感じを受けました。
こういった「全部引き受ける」について言うなら、僕はこの30数年間、こういった態度を貫いて来ました。そのことを自負します。
連赤事件直後からの、「塩見孝也論叢」の約2年間、78年に至る「プロレタリア革命派」結成とその後の4年間、ダッカ・ハイジャック事件以降の「プロ革命派」解散以降の「労農通信時代」、83年以降の下獄期間、出獄して94年までの「風雪」の時代、そして出獄してからの「春雷」(「自主日本の会」を結成して活動してきた期間)時期、「連れて来た」問題を巡って「よど号グループ」と訣別しての現在に至る「ぱとり」の時代、こういった全部の期間、僕は「元赤軍派議長」の看板を下ろさず、責任を引き受けてきました。
※具体的な例証を付加します。
これは、これは、理論、思想内容を持った、全て、激しい理論、思想闘争も含んだ、公開されている実践行動を伴った軌跡です。僕に関心を持つ人々なら、なおさらのこと、マスメディアも含め、おおよその世間の人々、周知のことです。いわば、天下周知の事柄であります。
僕の出獄後の「リハビリ終了宣言」、「幸福論」「赤軍派始末記」「獄中記」に明らかです。とりわけ、「始末記」、「監獄記」には、一目瞭然です。「始末記」の巻頭論文、「全て俺が責任を取る」とハードカバーの帯びにすら出しています。
足立氏は、激しく勢い込んでレッテルを貼られましたが、どう見ても氏の誤解、思い込みです。氏は、具体的な事実を挙げ、検証してゆくことなどは全くされませんでした。
残念ながら、僕の文章も著作も或いは行動も「ぱとり」も、ほとんど読んでおられないで、人の噂、風評や根拠なき中傷、誹謗を真に受けたものとしか思えませんでした。
それも、狭い、狭い、野郎自大の人々が屯する人々の世界で通用しているような代物を真に受けてです。
又、僕が、ずっと自己批判の姿勢を堅持し、自己批判ばかりしているから、何か塩見が「何も立脚するところがなく、やわな人間に成り下がった。もともと、そうではなかったか?」と、と勝手に臆断されているのでしょうか?
僕は、「プロレタリア革命主義―人民大衆中心・人間中心―人間自主の政治・思想・哲学路線」、自主革命家の立場を確立していますが、又、それ故にこそ、小さな組織など作らず、直接、人々や運動家、運動体との絆を作ってゆくやりようを追求、実践しているのを勘違いされ、単なる落魄した孤独者ぐらいの像を描き、というより、そう願望し、強く出ればひとたまりもないと思い込まれているふしも感じました。
人が人を批判するのであれば、とりわけ革命家が、革命家を批判するのであるなら、その人の全体的軌跡を良く調べ、或いは、どうしても解せない決定的事実をつかみ、根拠を持っておこなっていただきたいです。
足立氏は名士のように、民衆から処遇されてきたように思いますし、事実、帰国されて暫くはそうした実質を持ち、刻苦奮闘された、と思います。しかし、刻苦奮闘は、継続されるべきです。どんな人でも、それをひとたび緩めたり、中断すれば、すぐにカビが繁茂し、腐敗してゆきます。人間もまた、冷厳な新陳代謝の法則の中にあります。
僕は、奥平さん、山田さん、岡本さん、若生さん、丸岡さん、重信さんら闘いを継続されている人々を尊敬し、学ぼうと思っております。非命のうちに斃れた「日本赤軍」の同志たち、今も海外の獄や地下で苦闘している人々を尊敬します。とりわけ、コマンドとして闘い、斃れた人、無期・重刑攻撃を受けながら刻苦奮闘している人々を尊敬し、僕の生きる鑑としてきました。足立氏は、同伴者であった時期はあったかも知れませんが、コマンドではありませんでした。
これらの人々と、その苦闘を共有し、必死でともに連帯して生きてこそ、或いは、労働者等民衆と必死でともに生き、闘ってこそ、腐食から免れ、日々を新たにしてゆけるのではないでしょうか。
|