れんだいこの連合赤軍総括 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元).7.25日
(れんだいこのショートメッセージ) |
れんだいこは、戦後学生運動再検証に着手し、幾つかの提言を新たに為した後、現下政治を見渡して或ることに気がついた。穏健派の議会政治の与野党然り、急進派の党派運動、大衆運動然り。我々は失語症に陥っているのではないかと。この時俄かに、れんだいこに連合赤軍事件の総括の必要を感ぜせしめた。れんだいの学生時代の同時代的な事件であり忘れることのできないものであるが、事件としてはもう記憶のかなたにあり風化してしまっている。但し、透かして見ると記憶の中に澱のように溜まっている。あの時も確か、日本左派運動は失語症に陥った。ということは、連合赤軍事件は現下政治に於ける失語症の元祖的意味があるのではなかろうか。ならばやはりここから紐解かねばならないのではなかろうか。そういう思いから「れんだいこ流連合赤軍事件総括」に向かうことにする。 既に為されているのだろうが、れんだいこ観点は容貌を大いに異にするはずである。何も奇をてらってわざとそう書くのではない。れんだいこが自然に感性したところを文字にするだけのことであるが、「日本左派運動に対するれんだいこ提言」同様にそういう考えもあるかという刺激を与えるはずである。今のところほぼ無視されているが無駄な抵抗である。れんだいこの指摘が次第に時代の内腑を抉り始めるだろう。「れんだいこ流連合赤軍事件総括」もその続弾になるだろう。そういう気がする。 2008.1.28日 れんだいこ拝 |
【総括の前提としての確認考】 |
2008.6.4日、若松監督の「実録・連合赤軍」を鑑賞した。時系列で極力史実を反映させている点で貴重な準(サブ)ドキュメントとなっている。記憶の定かなうちに整理しておくことにする。 れんだいこは、論の前提として、事件を次のように確認しておこうと思う。 1・まず、連合赤軍兵士達をどう評すべきか。れんだいこは、「彼らは、当時の左派運動のニューマに感染し、思春期に革命に憧れ、革命に恋し、世俗的打算の一切を投げ捨て身命賭して革命運動に身を投じた人達」とみなす。 彼らを、日本左派運動とは無縁の無頼の徒と難ずる者も居るだろう。恐らく日共はこのように評して、弾劾プロパガンダに精出したはずである。しかし、れんだいこは、そうは思わない。なんてたって、れんだいこの青春同時代の事であり、我が身に引き据え、あの連中と何らかの縁で接点を持ちオルグされた場合、革命兵士の隊列に向かった可能性を否定できない。当時にはそういう時代のニューマがあった訳で、新左翼運動の定向進化として彼らが躍り出てきた面を見て取らねばなるまい。そういう意味で、外在的批判は生産的でないように思える。 2・連合赤軍の闘争理論をどう評すべきか。れんだいこは、「彼らは、新左翼系各派の反権力、反体制、反政府的な諸々の、だがしかし抵抗闘争的運動に飽き足らず、駒をもう一歩先へ進め、可能的次元であったかどうかは別にして、中国革命式武力革命を教本とする権力奪取を目指すとして、軍事闘争へと傾斜していったウルトラ急進主義者であった」とみなす。 これは、毛沢東革命理論を客観ベースにして新たに都市ゲリラ型の塩見理論が創造され、両者が結合されることにより可能となったとみなす。物事には功罪両面がある。れんだいこは、批判ばかりが正しいとは思わない。塩見理論は、考えようによれば、戦後日本左派の急進主義運動の定向進化であり、その必然的論理的帰結としてもたらされた革命理論であり、これを否定せんとすれば追ってその論理が手前達の頭上に振り下ろされることになるだろう。この問題には、そういうややこしさがある。 それはともかく興味深いことは、彼らは軍事闘争の武器と資金を手に入れる為に、革命的熱情に促されてかどうか、交番、銃砲店、金融機関等々に連続して押し入り、危ない橋を渡っていることである。この感性を共有できるだろうか。これも時代のニューマとして許容すべきだろうか。れんだいこは絶対にダメとは思わないが釈然としない。 3・山岳ベースで軍事訓練、並行して行われた自己批判学習をどう評すべきか。れんだいこは、軍事化闘争の定向進化であり、止むを得ない流れであったとみなす。しかし、ほんの少数の同志間で所詮真似事の軍事訓練、自己批判したとして、それほど革命的に有益であったかどうか疑問なしとしない。しかし、連合赤軍は、指導部も下部もこれを疑うよりも、競うようにして革命的共産主義的軍人化という名の下で軍事訓練、自己批判学習に挺身していった。 4・この過程で、赤軍派と革命左派が互いを批判的に自党派を誇示し始め、その結果思いもよらぬ同志間自己批判総括致死事件を連続的に引き起こし、その過程で山岳ベースに集結したメンバー29名の内12名を同志殺害した経緯をどう評すべきか。れんだいこは、ここに言葉を失っている。このたびはここに言葉を紡ごうと思う。これについては最後にコメントする。 4・幾人かが脱走し、警察の包囲が狭まる中、最高指導者の森、永田を初め相当数が逮捕された。これをどう評すべきか。れんだいこは、あの局面では脱走良しとしたい。最高指導者の森、永田の逮捕はお粗末と云うか不自然でさえある。 5・難を逃れた最後のグループが、同志連続殺害の重荷を背負ったままあさま山荘に逃げ込み、立て篭もり、警察との激しい銃撃戦の末逮捕された。これをどう評すべきか。れんだいこは、人質を粗略にせず待遇したことを良しとしたい。投降か玉砕か、後者を選んだ事を、良し悪し別として仕方ないと思う。 以上の確認の中から、連語赤軍の限界と間違いを確認し、史上未曾有の同志殺人を生み出した内在的論理を取り出し、日本左派運動の教訓と戒めとする処方箋を生み出したい。これを為さずんば、連赤事件問題は解決しない。れんだいこは、その為の論考を欲している。これ以外に興味はない。 しかし、それにしても、この観点からの総括が為されていないように見えるが、これはどうしたことだろうか。れんだいこは、日本左派運動人の能力と責任感と真面目さの欠如と看做している。思えば、左派運動の宿アとして、権力ないしは体制批判には鋭いが、内省的な自己批判の局面になると途端に大甘になる癖を凝視したい。我々には、こういう体質がこびりついているように思う。 2008.6.5日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評363 | れんだいこ | 2008/02/02 |
【連合赤軍問題の本質についてその1】 連合赤軍問題をどう受け止めるべきか。関心ある者にとって事件直後の衝撃は未だに生々しい。当時、日本左派運動は各派なりにそれなりの総括をしたのだろうが、れんだいこの記憶に残るものはない。れんだいこは、「連合赤軍考」サイトを設け、「リンチ事件に対する各党派の反応」で確かめたが、「第四インターの連合赤軍とわれわれの立場 テロリズムに反対し、人民による自衛隊兵士の獲得にむかって前進しよう」以外に特段サイトアップされておらず、不明というほかない。 もしこれが為されていたなら、事件当時での各派の主張が以来30余年経過した現在時点でどのような有効な言説であったかを確かめることができるのだが、その機会が提供されないのは惜しいことである。もっとも、日本左派運動の場合、こういう事例は珍しいことではないので今更驚きはしない。 さて、今頃になってと云うべきか、れんだいこが「連合赤軍問題の本質検証」に向かおうと思う。現下政治の失語症と微妙に絡んでいると思い始めたからである。共通するのは、言葉と行動が時代が要求するものに追いついておらず、失語するか饒舌するか暴走するかで徒に日々を費消していることだろう。 れんだいこはこれを、外在的に批判する立場から為そうとは思わない。そういうありきたりの批判では屋上屋を重ねるだけだろう。そうではなく、もし自分が当事者だったらどう考えどうしただろうかと内在的に問いかけ、後付けならではで見えて来る智恵を生んでみたい。 こたびの「れんだいこの第1次検証」は、1・連合赤軍の党史的軌跡考、2・戦士達の愚直なまでの革命的熱情考、3・その彼らが何ゆえ内部自壊させられていったのか考、4・生き残り戦士達の手記と侮恨考、5・これを教訓に日本左派運動はどう舵取りすべきであったか考、6・公判闘争考の六本立てで構成されている。かく問題を掘り下げねばならないと云うことである。 「1・連合赤軍の党史的軌跡考」については、「連合赤軍結成考」と「軍事訓練、同志総括リンチ致死事件、あさま山荘事件」、「公判闘争考」に要点整理した。「2・戦士達の愚直なまでの革命的熱情考」は、「4・生き残り戦士達の手記と侮恨考」とあわせて「主張考」、「同志リンチ致死事件被害者及び被告の手記」で為そうと思う。「その彼らが何ゆえ内部自壊させられていったのか考」は、「服務規律考」で為そうと思う。「5・これを教訓に日本左派運動はどう舵取りすべきであったか考」は、「塩見議長総括考」、「リンチ事件に対する各党派の反応」と「事件に対するれんだいこの論評」で為そうと思う。 連合赤軍問題で、これまで一番為されておらず実は為すべきことがある。それは、「服務規律考」であるように思われる。れんだいこは、連合赤軍問題の否定事象責任の過半が、彼らが依拠した服務規律にあったと見立てる。俗に云う規約問題である。かなりな部分がこの規約問題に終着するという気がする。「遊撃インターネット」の「連合赤軍服務規律」がこれをサイトアップしており、れんだいこの知るところとなった。同人誌サークル冥土出版が発行した「連合赤軍服務規律」より転載したとのことである。この情報が正しいものとして、れんだいこがこれを斬りたいと思う。 連合赤軍と革命左派は、連合赤軍派は新左翼系のブント運動から、革命左派は旧左翼系の中共の毛沢東的文化大革命からという風に出自は違うが共に、当時の情況の中から奇しくも同時期に同じ武装軍事革命闘争の道へと進む事になった。そして連合する。 彼らは、それまでの新左翼各派の街頭ゲバルト式反体制運動に物足りなさを覚え、恒常的武装による軍事革命闘争へ飛躍した。唯武器主義的なファナティックなものであったが、当時の革命的情勢のニューマが生んだと思えば理解できないわけではない。彼らは、この戦略戦術に従い武器と財務の調達に向かった。それが交番叉は銃砲店襲撃による銃入手となり金融機関からの資金強奪へと走らせることになった。れんだいこはその道を採らないが、理解することぐらいは辛うじてできる。 その彼らは当然と云うべきか警察のローラー作戦により都市部から追い出され、関東近辺の山岳アジトへ追い立てられていった。彼らはここに再結集し、合同軍事訓練演習を経て反攻を試みようとしていた。これも、理解することぐらいは辛うじてできる。一応そういう見地に立とう。 問題はここから始まる。党派の違う赤軍派と革命左派が一堂に会した時、彼らはどのように向かい合ったか。共産主義革命の職業軍人が保つべき規律と道徳という本来かなり高次な次元での睦み合いが期待されたが、実際にはそうならなかった。早速始まったことは主導権をめぐる党派的駆け引きであった。互いの優位性を確保するべく見栄と智謀が廻らされ、これが次第にエスカレートして下級兵士から幹部へと至る同志殺人へと至る。これにより、僅か30名足らずの同志が共同して14名を順次葬ることになった。 追い詰められた特殊環境下のこととして割り引くとしても、総括と云う名の下に本来の自己批判とはほど遠い次元で陰湿矮小なイジメ、虐待、査問、集団暴行、見せしめを繰り広げ死に追いやっている。死亡せしめられた14名の兵士の死亡理由は様々であるが、我々が学ぶべきやり取りは何もない。従って、ここでの具体的検証は割愛する。 その真の要因はどこにあったのだろうか、ここを問うことが肝腎だ。一般に説かれるように幹部の資質問題であったに過ぎないのだろうか。れんだいこは、そうは受け取らない。それを五分認めよう。だがしかし残りの五分は、彼ら総員を縛っていた服務規律の不当性にあったのではなかろうかと思う。かく注目される事がないようであるが、れんだいこはそう判じる。 れんだいこは、彼らが依拠したとされている「連合赤軍服務規律」の中に問題を感じる。規約ににじみ出ている組織理論に知性の未熟と貧困を感じる。この規約を誰が、いつ、どのようにして作成したのかに関心があるが、そういう研究は為されていないようで、従ってれんだいこにも分からない。云えることは、この悪規約に拠って党形成された連合赤軍は、この悪規約の縛り故に必然的に自縄自縛自滅していったのではなかろうかということである。 そういう訳で、連合赤軍問題の総括は、服務規律の不当性の検証から始めねばならない。れんだいこはそう考える。この問題を凝視せず、あれこれの批判で片付けるのは無責任ではなかろうかと思う。それはそうと、問題がかく明らかなのに日本左派運動各派がこれを検証し得ないのはなぜだろうか。各派の規約の中に大同小異の似たような規約と規律があり、似たような党内支配システムに陥っているからではなかろうか。そのことを凝視することを恐れて批判も自己切開できないのではなかろうかと考える。 一応ここまでを「連合赤軍問題の本質についてその1」とする。以上のれんだいこの推定に間違いなければ、連合赤軍問題が投げかけた意味は重大であり、今日的にもなお投げかけられているということになろう。かく受け止めるべきではなかろうか。 2008.2.2日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評364 | れんだいこ | 2008/02/02 |
【連合赤軍問題の本質についてその2】 という訳で、「連合赤軍服務規律」の具体的吟味に入ろうと思う。「服務規律考」で逐条吟味したが、ここでは総論で論評しようと思う。問題点の第一は、左派運動に牢として染みつく民主集中制問題になる。「連合赤軍服務規律」は民主集中制を更に極悪化させており、「第八章 指揮・行動の1」で、「行動は指揮に従う。次の原則を守る。イ 個人は組織に従い、ロ 少数は多数に従い、ハ 下級は上級に従い、ニ 全党は中央に従う」としている。 連合赤軍兵士はこの規定を訝らなかったようである。天下の日共が採用している規定であり、恐らく切迫して見つめていた軍事的暴力革命への挺身として当然視していたのだろう。そのことはともかくとして、日本左派運動各派は、これが悪規約であることを指摘できるだろうか。各派とも共通して似たような規定を採用しているからして恐らくできまい。 れんだいこには一目で分かる。これは、「党中央の云うことはその通り」、「党員は党中央の指導に従い、理論を学ぶだけ」作風を良しとする奇形的党中央集中制でしかない。この問題の根本は、異論、異端、分派が容認されていないところにある。納得できない場合には従わない権利が担保されていないところにある。ここは左派魂の原点となるべきところなのに抑圧されている。この観点の欠如した党中央集中制は日共の如く万年同一系執行部を許すことになり、はたまた連合赤軍型同志殺人事件にまで定向進化するのではなかろうか。 既存のものは、仮に民主集中制と名づけられようとも、連合赤軍規約ほどではないにしても実質的には党中央集中制でしかない。この規律の下に、党中央の悪指導と悪理論が押しつけられたらどうなるのか。日共に典型的なように、共産党と云う党名に恥ずかしい体制内修繕屋運動に堕すか、連合赤軍に典型的なように盲滅法な自滅運動に陥るのではなかろうか。党中央集中制にはそういう無抑制型の恐さがある。 次に問題にせねばならない事は、「第二章 六大原則の6」の「党決定、規約に違反した場合、最高、死に到る処罰を受ける」規定である。「最高、死に到る処罰」を公言していることになるが、この問題は、処刑規定を受け入れている異常性だけに問題があるのではない。もう一つ、処刑基準の判定を誰がするのかについて規定がないことに大きなマヤカシが宿されている。 通常は、例えば規律委員会とか統制委員会、財務監査委員会、理論委員会を設け、党中央と一線を画し公正中立な機関にしておくべきところである。そうせずに、これらの機関を党中央に預けてしまうと、党中央には党員の生殺与奪まで含む鬼に金棒的な万能権が与えられてしまうことになる。実際に連合赤軍はこれにより平衡感覚を失い、党中央が次第にエスカレートして行き、唯々諾々しかできない兵士達により終いには同志殺人まで進んでいくことになったのではないのか。 こういうことからして、党中央の権限と制約を規約で明らかにしておくことが望まれているのであり、規律委員会、統制委員会、財務監査委員会、理論委員会等を党中央に専属させず、異論異端分派の認められる党大会管轄下に置くとすべきではなかろうか。これが本当の機関運営主義である。ごく当たり前なこの原則で党運営と活動が為されるべきであろうが、日本左派運動で、これを為しえている党派があるだろうか。あるとすればお目にかかりたい。 「第八章 指揮・行動の3」の「すべての問題に関し政治局に指導される政治局が、最高決定権を持つ。緊急事に関しては、隊長の裁量で決定し、上級に報告するに止める」も問題である。党中央が最高決定権を持つことは構わないが、党大会でその都度追認されるべきとする補完規定を持たせるべきであろう。この平衡規定がないままの党中央最高決定権規定は、党大会を不要ないし軽視する党中央絶対制でしかない。 ここに垣間見られるのは指導者絶対主義思想である。これは進んでいるというより遅れている思想である。党には英邁な指導者が不可欠であるが、大衆路線を敷くことこそ英邁な指導であると云える法理がある。党内に大衆路線のない党派は党外に向けて大衆路線を採用することができないのは自明である。これを踏まえて、党中央指導と大衆路線の平衡を弁証法的に一挙的に獲得する規約に導かれるべきところ、「連合赤軍服務規律」にはそのひとかけらもない。 実際には、末尾の「第五節 処罰 第十七章」で次のように補足されている。「その1」の「小ブル、ルンプロ思想と斗争せよ」とある。が、「小ブル、ルンプロ思想とは何か」の規定がない。「その2」の「処罰の実施は、出来る限り隊内で解決し、上級機関の承認を得て行う。不服のあるばあい、上級機関に提訴することができる」とある。が、上級機関に提訴した後の措置の規定がない。 「その3」の「処罰は、ある種の政治責任であり、処罰されたら革命から逃亡するという思想と日々、闘え」とある。が、「処罰されたら革命から逃亡するという思想と日々、闘え」とはどういう意味か。曖昧な文言である。「その4」の「逆に処罰は、反革命に転じた場合を除いて絶えず党に復帰するべく、党を支持する層として、党の成熟度に応じた政治指ドを行え」とある。これも曖昧な文言である。 「その5」の「処罰は、三段階ある。イ、自己点検・自己総括 ロ、権利停止 ハ、除名 除名においては、死、党外放逐がある。他は、格下げ処分を行う。イ、ロにおいては軍内教育、除隊処分、他機関での教育を行う」とある。これが初めて規定らしい規定になるが、「ハ、除名 除名においては、死、党外放逐がある。他は、格下げ処分を行う」はもっと精密に規定されねばならないだろう。なぜなら、党による党員に対する生殺与奪規定までしているのだから。 「その6」の「処罰は、事件の起こり次第、速やかに規律に照らして行う。上級の政治指ドや路線に責任を転稼し曖昧にすることは厳禁。それ自身も処罰の対象」とある。が、何をか云わんやの規定ではなかろうか。「その7」の「再び正規の隊員として採用する場合は、隊内で資格審査をし、上級機関に承認をうること」とある。が、云わずもがなの規定ではなかろうか。 これらの規定が末尾に補足されたということは、処罰を廻る異論があり、それを受けてかように規定されたということを意味しよう。議論の結果がこういう規定となったということになるが、お粗末さを窺うべきだろう。 「第八章 指揮・行動の4」の「会議は、必要最底限にとどめ問題は全て会議に持ち出し、討議の上決定する」、「同5」の「会議での発言は、簡単明瞭に行い、無意味な問題提起や、心情の吐露『危惧の表明』等は慎しむ」、「同6」の「一旦決定されたことは例外を除いて、くりかえして討論せず、指揮の下実行される」、「同7」の「指揮系列を外れた行動や陰口は処罰の対象となる」も問題である。 これによると、連合赤軍は、党内論争は無論、議論、「横の会話」さえもが厳禁ないし掣肘されていたことになる。連合赤軍は、党大会を不要叉は軽視し、党内議論を制約し、党員間の議論が厳禁され、ただ上級機関の指示に従い実行あるのみの党派であったことが分かる。これが連合赤軍の組織論の骨格である。この貧困を覆い隠すために、共産主義的云々、革命主義的云々、革命的警戒心云々、革命軍人規律云々で精神法悦させる仕掛けが為されている。本来規約に馴染まない手引きのようなものをダラダラと書き連ねている。 判明することは、このような規約により、連合赤軍内では「党中央万能−下級兵士奴隷」状態に置かれていたことである。活動家がそもそも、この規約をどこまで理解して入党したのかどうか分からない。恐らく革命的熱情のままに規約問題の重要性を認識しないままに運動に飛び込んだのではなかろうか。ここに当人が気づかないそもそもの悲劇が用意されていたように思う。 本来は、採用されざるべき代物でしかない。そのあるまじき規約を導入したことにより、その法が万力攻めで党内を縛り始める。法と云うものの恐ろしさである。これに無知無頓着な者達が、ただひたすらに革命的熱情として軍事革命家を志向したものの、法暴力を御すことができずに内部から潰えた過程が連合赤軍史ではなかろうか。れんだいこはかく見立てる。 2008.2.2日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評365 | れんだいこ | 2008/02/03 |
【連合赤軍問題の本質についてその3】 連合赤軍規約の余りにも拙さを見てきたが、そもそも我々がこうした悪規約を却下するには日頃どのような作風を保持しておくべきかについて提言しておきたい。 そもそも法とは容れ物であり、且つ容れ物内のものを縛る規制であると考えられる。つまり、どのような容れ物にして、容れ物内のものをどのように縛るのか、それも互いをどう縛るのかが法問題の本質であると考える。この縛りには相互ルール的なものと上下支配的なものがあり、重畳的に構成されていると考えられる。縛り方に民度と云うか文明度が表われており、その意味で法を見ればその社会ないしは組織の成熟度が分かる。そういうものとして法を評したい。法の重要性はここにあると思われる。 れんだいこは、連合赤軍的過ちを起こさないための処方箋を見出したく思う。考えられることは、そもそもに於いて自由自主自律的精神の涵養称揚ではなかろうか。これが担保されていないところに様々な弊害が生起すると考えるからである。原義に於いて、反体制運動と云うものは自由自主自律的なものでない限り意味がないと考える。目的が正しければ全てが許されるとは考えない。我々の政治的関心が自由自主自律的精神の発露により芽生えたものである以上、この精神を基調にせねばならず、この精神を喪失させたらお仕舞いなのではなかろうか。この精神の抑圧系規約に基き創造される社会は悪しきものしかもたらさないのではなかろうか。 我々が創り出そうと試みた社会主義共産主義的社会と云うのは一体どういう社会であろうか。いろいろに表現されようが、壊されようとする現下社会よりもより自由自主自律的な精神と規律と生活が保障される社会であるべきではなかろうか。ここが踏まえられねばならないと思う。 付言すれば、マルクス的な社会主義共産主義的社会規定に於ける「労働云々必要云々」と云う規定はどこか変調だ。なぜなら、労働はそもそも我々を抑圧しないからである。マルクス的な労働観はあくまで西欧的ないしはユダヤ式シオニズム的な労働観であり、それを労働の普遍的本質と見なす訳にはいかない。日本的な労働観によれば食い扶持さえ与えられれば良いのであり、ほどほどであれば死ぬまで働きたい、お役に立ちたいのであり、労働を忌避するような労働観念はない。この労働観で何ら構わない。 もとへ。我々が、現下社会より自由自主自律的な精神と規律と生活が保障される社会を目指す以上、それを求める道中にそれが極力保障されていなければオカシイのではなかろうか。社会主義共産主義的社会の創出を目的とする結社は、逸早く党内にミニチュアなモデル社会を具現させ、それが次第に党外に攪拌されていくべしと考えるべきではなかろうか。それが次第に影響力を持ち始め趨勢化するというのが革命の機動力ではないかと思う。 この思いに照らしたとき、既成の党派のうち我が党こそが手本であると胸を張りえる党派があるだろうか。党外に向けて幾ら口当たりの良いことを云っていても、党内が逆の事態にあれば俗に、穏和系の場合には化けの皮が剥がれると云われ、急進系の場合には衣の下に鎧が見えると云うのではなかろうか。そういう党派が多過ぎるのではなかろうか。 付言すれば、党派の者は、党派を高みに於いて大衆を馬鹿にするけれども、案外と大衆の方が党派の二枚舌マルチ舌を見抜いており、その点で賢いのではなかろうか。大衆は、大衆が命を賭けて飛び込めるような党派がないことを承知しており、そういう事情で背を向け、日々の生業に没してあるいは何らかの趣味に耽っているのではなかろうか。哀しい相互不信関係である。 もとへ。れんだいこは思う。我々はたまさか、れんだいこ史観によればプレ社会主義法と規定し得る世界に冠たる戦後憲法を戴いている。これがある以上、法治主義の精神を逞しゅうさせ、せめて憲法的諸規定の上前を行く法原理の下で党派運動をしていくべきではなかろうか。その基準は既に述べたように自由自主自律原理である。 護憲運動に責任というものがあるとすれば、党内を逸早くせめて護憲的水準にすることではなかろうか。党内は本来かくあるべきではないのか。いわゆる責任と資格の問題である。党内で護憲的でないものが、どうして党外に向けて護憲運動を為し得るのだ。これの保証なき党派運動を胡散臭く思うべきではなかろうか。この精神を損なう規制が表われるならば、どこかオカシイと考える感性を最大限保持したいと思う。 この観点に立ってこそ裏表のない本音と建前の極力一致する陰謀を必要としない堂々たる批判の刃を突きつけることができるのではなかろうか。党員が、党内にないものを党外に向けてプロパガンダしていくのは不正であり姑息であり無礼ではなかろうか。れんだいこにはそういう思いがある。 結論として、党内に、党外に広めるに値するミニチュアモデル未来社会を逸早く形成し押し広めよ。これが肝腎なのではなかろうか。党派運動の場合特に、理想と現実を背反させるものであってはならない。結社は、結社目的に準じて党内にミニチュアな原型を創りだすべきであり、来るべき社会の原型になるべきかどうかを味わい吟味して練り、その理想を足下から現実化させていくべきではなかろうか。逆に言えば、党内の有り姿が未来社会の原型にしてはいけないようなものなら、規約を変えるかそういう党派とは決別すべきではなかろうか。 れんだいこが何ゆえにこれに拘るのか。これが、万事に通用する法理だと思うからである。何事もこの基準で振るいにかければ良い。連合赤軍がかの日の結社に当たってこの弁えを保持していたなら、党風景は随分変わったものになっていたのではなかろうか。 余禄として付言しておく。連合赤軍の軌跡をあれこれ批判する既成党派は、連合赤軍ほどに闘いを向次化させなかった故に気楽な批判で済ませているのではなかろうか。現行のような偏狭規約に従う限り、闘いを究極化させれば、いつでも連合赤軍が犯した愚行を繰り返すのではなかろうか。そのことに想いを馳せず、闘わなかった者が闘った者を安直に批判する愚には陥りたくないと思う。最後にこれが言いたかった。 2008.2.3日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評408 | れんだいこ | 2008/06/061 |
【連合赤軍問題の本質についてその4】 2008.6.4日、若松監督の「実録・連合赤軍」を鑑賞した。既に「連合赤軍問題の本質についてその1、2、3」を発表しているが、読み返してみて云い忘れに気づいたので書き留めておく。これを「その4」とする。 れんだいこは日頃、物事を分析したり実践する上でのロゴス思想とカオス思想の二元的対比対立の存在を考えている。大げさに言えば、人類はその昔よりこの二者の抗争史ではないかとさえ思っている。この基準を戦後日本左派運動史に当てはめれば、戦後日共運動内の徳球派対宮顕派の対立、第1次ブントと革共同の対立、中核派と革マル派の分裂等々の際の考察にそのまま適用できる。何れも前者をカオス派、後者をロゴス派と識別することができる。「連合赤軍問題」も然りではないかということに気づいた。 れんだいこは、万事にロゴス派的なるものを排斥しカオス的に立脚すべしとしている。これは何もロゴスそのものを捨象せよと云うことではない。ロゴスは尽すべきで極めるべきであるが、所詮カオスの内にあるものとして弁えさせたいとしている。ロゴス派にはこの理が分からない、というか無視し自らの絶対論理を押し付けることを使命とする。よって、権力的にならざるを得ない。彼らは一見、賢げに気難しく語ることにより煙に巻くが、カオス派のロゴスの方が、ロゴス派のロゴスより深いということは大いにある。 この例えは、仏法の孫悟空譚に見ることができる。孫悟空がキントン雲に乗り世界中へ向かい八面六臂(ぴ)の活躍をする逸話はロゴス的能力の例えであろう。ところが、孫悟空が蛮勇を振るってロゴスを振り回しては見るが、気づけば所詮はお釈迦様の手のひらの中のことでしかなかった。この逸話は、お釈迦様をカオス的能力として表象しているのだろう。つまり、どんなに勝れた者でも、その技量はカオス内ロゴスのものでしかないことを諭しているように思える。 れんだいこは、この教えを、仏法の何たるかを語る真髄であり醍醐味であるように得心している。この観点の一点で、れんだいこは、東洋思想の叡智を感じている。西欧思想の小児性を見て取っている。西欧思想の思弁性は習うべきであるが、東洋的弁えまで捨ててのめり込むほどのものではない。まして盲従するをや。 この例えに照らすと、赤軍派、革命左派、連合赤軍は、始発はともかく途中からロゴス派の見地に転身し、その論理の下で営々挺身し、相互を何らかの絶対主義的ロゴス的教条で縛りあった。自然にそうなったのか、誰かに入れ智恵させられたのかも知れない。その結果、自滅を余儀なくされたのではないかと愚考する。つまり、連合赤軍の間違いは、本来万事に於いてカオス的に構えるべきであるところ、何らかの経緯でロゴス派のそれに感染し、これを生硬に実践していったことにあるのではなかろうかということになる。 自然宇宙の理は本来カオス的であるのに、そう気づくべきであるのに、ロゴスが登場するや自らを絶対としてカオスを駆逐する癖がある。ユダヤ教的ネオシオニズムの論理はその典型であろう。彼らは、生息する社会の政治、宗教、思想、文化運動を彼らの望む秩序の中に組み入れようとし始める。ユダヤ教的ネオシオニズムが人類史に登場して以来、そうはさせじとする側と不断の紛争を起こしている。不幸なことに歴史は彼らの方に軍配を挙げさせ、今やその権勢が猛威を振るう時代に入っている。こうして、世界中で、ロゴス派とカオス派が常に暗闘している。それが歴史の裏真実ではなかろうか。 連合赤軍の連中はこの抗争に全く気づいていない。歴史の深遠に気づかないまま、二股に分岐しているカオスとロゴスの門のうち、入ってはならぬ方のロゴス派の道へ分け入り突進していった。ここに、そもそもの過ちがあったでのではなかろうか。「連合赤軍問題」はここが根本問題なのではなかろうか。思えば、近代の革命というものは、そのほとんどが連中が仕掛けたものであり、範とするほどのものではない。ところが、このことに無自覚なまま、直接的な関連がある場合もない場合もあるにせよ、革命的青年が取り込まれ編入されていった。 我々が反省し教訓とすべきはこのことではなかろうか。我々の運動は本来カオス的なものであり、これに終始すべきであろう。ロゴス派の門に入ってはならず、間違って入ったとしても、二度とロゴス派的絶対的真理の如意棒を振り回さない、させないことではなかろうか。 れんだいこは、このことを云いたい為に世の事象のあれこれを思想的に検証している気がする。そういうことを踏まえつつある程度解明しつつあるれんだいこにとって、「連合赤軍問題」を解くのはそうは難しくない。難しくしている我々の態度の方に問題があるのではなかろうかとも思う。この気づきでどうだろうか。 2008.6.6日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)