4.旧ブントの第一次急進運動の総括をめぐって
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安保闘争の「敗北」が口やかましく論じられ、同盟の解体と危機があらゆるところでさけびたてられ、わめきたてられている。不用意な「決定的敗北」「挫折」「同盟の解体」と云う言葉が、あらゆる部分からはきだされ、最も革命的な、最も誠実な部分は、にがにがしく口びるをかみしめ具体的な教訓、具体的な総括を求めている。具体的事実と具体的な経験に即した総括――これは誰がどう云った、あるいはどうした、あるいは一つ一つ、の闘いがどうであった、こうであったと云う総括ではない。
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安保闘争の「敗北」――これを説明して「戦旗派の左派」、同志摘木(大瀬振)は次のように云った。「この意味はすべての大企業に細胞を組織しえなかった、ということにある」、「現在我々のなすべき極めて重要な課題は、基幹産業を中心として労働者階級の中に革命的中核を組織することに最大限の努力をすることである」(戦旗33号と云い、又一方では「安保闘争の中で前衛党建設の基盤(前衛党ではない、その基盤であることに注意!! 何と御苦労なまわり道であることよ!)を理論的にも組織的にも構築しえなかった」(戦旗30号)ことである、とする。
だが、何と「戦旗派」はその結成当初から自己矛盾にみちみちていることよ! 「同盟結成に際してプランキスト集団、小ブル急進党たらんと決定したわけではあるまい。革命党を志向したはずの我々が、安保闘争の敗北後に自らを自らの鏡の前にうつし出した時、プランキストや小ブル急進主義者の集合体として見出さざるをえなかったところに悲劇的喜劇があるのだ」(論争資料2P)。戦旗派の諸君が自らをブランキストや小ブル急進主義者として見出したと云うプレハノフ的なきごと(プレハノフは1905年の革命のあと「武器はとるべきでなかった」と俗物的なきごとを云った)はさておき、そうしたままで自己変革(それが戦旗派には不可欠だ!!)を忘れ、労働者の中にどうして革命的中核を組織しうるのか? 誰にもまして緊急に、そして徹底的に戦旗派の自己変革が必要であるのに(諸君はこのように自分で云うのだ!)、その任務を具体的に出すのをやめて、あるいは出そうとする努力を放棄して「川崎へいこう」と呼びかけるのは自己矛盾ではないか?
それよりも具体的に、いかなる政治的任務を担う前衛党が必要なのかを明らかにすべきではないのか? 前衛党は政治的組織であってサークル組織や「疎外」からの逃避場所ではない)。彼らはそれをしないし、又なしえない。前衛党の不在や、自己の前衛としての主体性の未確立をなおすための特効薬として、「大企業への細胞づくり」を提案することほど」混乱した自己矛盾の理論はないのであり、これこそが「戦旗派」にとって全くふさわしい彼らの基本的立脚点なのである。(一号、61.1)
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革共同全国委員会派は中央委員会〔一月の全学連第二六中委のこと〕の第二日目にすでに破産してまい、自らの方針を定めることがいつものように全然できなくなってしまったのだ! まず彼らは「安保闘争と三池闘争という階級闘争の焦点の敗北から」冷厳な教訓をくみ出す必要がある、として「安保闘争の敗北は、プロレタリアートの小ブル運動への屈服、それを生み出したのは革命的主体の欠如にあったわけである」と前衛が存在しなかったからこそ安保三池は敗北したのであり、それ故に、今こそ真の前衛をつくることが重要である、という。この分派はこうした無内容な、一般的な総括以外、あるいは一般的な方針以外に何か積極的な、何か有意義なことを一つでも展開したことがあったろうか? 先日の中央委員会で斉藤君は「今まで我々は戦術について論ずるのを全くさしひかえていた」と発言した。この言葉の背後にこそ、全国委員会派の無内容、我々の付属物、小ブル自由主義者、小ブル・ジャーナリストの本質がある。彼らは三年前には一定の先駆的な役割をになった「前衛の不在」ということを、すでに単にそれをくりかえすだけでは全くの反動であり、保守であり、逆もどりとなった時点においてそれしかくりかえしえないのである。
安保闘争は前衛がいなかったから敗北した、もしかしたら安保闘争で勝利しえたろう、あるいはスターリニストの影響力を粉砕しえただろうと彼らは云い、結局それしか云わないのであるが、彼らにとって致命的なことは「経済運動」の、階級情勢の分析が全然ぬけおちているという一事なのである。階級情勢の分析なしに「前衛の不在」ということからのみ「安保の敗北」をとく反哲学的、反マルクス主義的黒寛一派が革命的労働者、学生を一時的に引きつけ得たとしても、それは日和見主義のばっこに原因がある。革命的労働者学生はこうした自由主義的空論や観念的おしゃベり屋をおそらく早急におっぽり出し、たたき出してしまうことだろう!(二号、61.1.28)
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現在の日和見主義の特徴――それは革通、プロ通右派、マル学同等々が物質的条件を小ブルが広汎に革命的運動の中に流入して来たということからして必然化しているのであり、我々は、戦旗派の「組合主義、経済主義」(すなわち、資本主義の本質を単に、資本=賃労働の関係としかとらえられない、プロレタリアートの自然発生的意識に追随する)と闘うと共に、今、特殊にこれらの日和見主義と闘い、同盟の、革命的路線を守り抜くことが重要である。(二号)
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第2として、かつて革通派の展開した「合理化という池田の経済政策阻止から、資本主義社会を混乱させてプロレタリア革命。従って三池を決定的に重要視して、そこへ全力投入」という見解と、この会議〔ブント、労細代〕で一つのかなり大きな潮流であった経済主義とのかたい結びつきを指摘しなくてはならない。
たしかに資本主義社会における合理化――資本の有機的構成の高度化は、プロレタリアートの労働時間の短縮、その消費生活の豊富さとなってあらわれないで、一部の労働者の必要労働に比して剰余労働の拡大(搾取の強化)、配置転換となり、一部の労働者の首切り等による生産からの遊離化、相対的過剰人口の造出、すなわちプロレタリアートの生存そのものをおびやかすもの等々になってあらわれ、不可避的にプロレタリアートの反抗をよびさますし、闘争を爆発させざるをえないし、我々はその闘いの先頭に立ち、組織しなくてはならない。しかし斜陽化しつつあるが、それを克服し、さらに利潤を得つつ生産を続けていこうとする三池の石炭資本の合理化を阻止することから池田を打倒しうると考えたり、資本の運動を混乱させてそこから革命の展望を切り開きうると考えたり、「合理化反対を今特殊に重要視して」マル学同のように「前衛党があれば三池で敗北しなかった」と幻想を持つことは、俗悪なる小ブル的思想である。「相異った産業諸部門における生産力の発展が、極めて相異った割合で進むこともあるという事実は(単に競争上の無政府とブルジョア的生産方法の特質とのみに起因するものではない。また……労働の生産力なるものは、社会的諸条件に依存する限りでの生産力の増進に比例してますます生産率を減じて行く自然諸条件にも結びつけられている。かくして、相異った生産諸部面には相反した運動が生じ、ここには進歩あそこには退歩を見るというありさまである。例えば大抵の原料の分量が単なる季節上の影響に依って左右されるという事実や、森林が伐採しつくされ、炭坑、鉄鉱山等が採掘しつくされるという事実やを考量せよ」(資本論第三巻十五章)。
我々の中心的任務は一つ一つの合理化反対闘争の中で、単に、「合理化粉砕のため、徹底的に最後まで闘い抜け」というのみではない。我々は「労働者がより多く富を生産し、彼らの労働の生産力が増大するに従って、彼らにとっては資本の価値増殖手段としての彼らの機能すらもますます不安定となるのはどうしてであるか、という秘密」(資本論第一巻二十三章)、何故彼らが働けば働くほど教皇や不況とか戦争という窮乏と苦悩と破滅におびやかされ、破壊的な諸結果におそわれるかという根本的原因――資本主義的生産様式――を暴露しこれを打倒する以外一切の解決のないことを宣伝しつづけなくてはならない。資本主義を暴露することを何かつまらない、無益な、プロレタリアートに対して少しも訴えるところのないことである、と思うのは生産過程から遊離した小ブルジョア=学連主義者の非階級的な思考様式であろう。
「党のことを考えるのも大切だが」「春闘にそれの二百倍、三百倍で没入すること」を考えたり、春闘を社民に対抗して全体としていつか我々のヘゲモニーでおしすすめることができると空想したりすることは完全な、典型的な、徹底した経済主義であろうし、旧同盟と密接にむすびつき、革通理論と実際上むすびついているこうした思想を我々は同盟内から追い出さなくてはならないであろう。(六号)
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1958年12月に同盟が誕生し、革共同と分裂し、成長する過程は1ある理論によって偶然に生み出された、というようなものでは決してなかった。同盟の誕生自体、苦悩し、闘って来た世界プロレタリアートの闘いと、日本のプロレタリアートの戦前、戦後の革命的闘争と、日本資本主義の脆弱性に物質経験を持つ、日本労働運動の左翼的展開の中からこそ、世界共産主義革命をめざして生まれたものであり、それ故に、他の一切の政治的潮流と区別された真実の革命的な側面を持っていた。たとえば、我々が綱領草案をつくりあげ、それを「討論」にふすということをなしえ、革共同全国委が彼らの誕生から大体四ケ年もたつのにそれすら出来ず、戦旗51号のような小ブル的な俗悪な無内容な文書を美化し、ほめそやしていること自体偶然ではない、本質的な相連のあるものとしてうけとらなくてはならない。
しかし同盟の――そして何よりも我々の――革命的側面、革命的情熱は、その様々な歴史的、社会的な制約によって小ブル急進主義として現象せざるを得なかったということなのである。またそれ故に、このきわめて革命的情熱と革命的努力にみちあふれた、偉大な小ブル急進主義運動は、歴史的社会的に見れば――すなわち、1959年から60年にかけての日本の階級闘争の発展段階において完全に正当であり、きわめて重要な、決定的な意義を持っており、かつ重要な役割をはたしたのであり、ある意味において日本プロレタリア革命の突破口を切り開いたのである。だからこそ、今ですら、日共の内部において分解が進んでおり、多くのプロレタリアートの左翼が漠然と同盟の再結集に期待しているのである。また、だからこそ我々は、戦旗の「ブントは小ブル急進主義である」というだけの右からの批判に対して正当にも反発したのであり、そして革通派、プロ通派が一定期間同盟の左翼を結集して存在しうる条件がここにあったのである。(しかし、じきに、必然的に破産し分解して行かざるを得なかったのであるが)。そしてこのように総括することは旧同盟を肯定することでもなく「真正ブント」の再現のために努力することでもなく、ましてや革共同全国委を肯定することでもない。逆に彼らを粉砕しつつ、同盟の革命的止揚をなしとげ、さらに我々共産主義者がプロレタリアートの革命的大衆行動と結びつき、勝利するために首尾一貫して努力する、という方向が不可避的に生まれてくるのである。……
かくして我々は同盟の総括を「全面的否定」という戦旗派的、革共同全国委的空文句で清算主義的になしとげることがいかに反革命的な、反動的な階級的行為(裏切り的な、という意味だ!)であることを明らかにすることが出来る。革共同全国委は純粋理念にてらしあわせ、あてはめてのみ安保闘争や現実を稔括するので「前衛党不在の一般論の定着」や「敗北の意識の定着」という、全くの無意味、無内容の、言葉と観念のみの総括しか出来ず、混沌たる現象の中をうろつきまわることになるのである。(七号)
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また「外からのショック論」、戦旗51号で青山氏が同盟の小ブルたちをもったいぶって、しかも残念ながらメンシェヴィズム的に右から批判したブントの歪曲された、「外部注入論」は、革共同や青山、唐牛一派、コペルニクス的大転回をとげた同志岡田・電田の諸君の云うように「スターリニズムをうけついでいたから」ではない。安保闘争をふりかえってみれば、そうした理論が革命的小ブル急進主義運動を強力に展開するためにのみ、その必要から不可避的に、必然的に生み出されて来たことが分かるのだ。また「安保か、合理化か?」と対置し、ブントが「安保だ!」と云ったマンガ的思考様式も、小ブル急進主義運動の忠実な、正確な反映なのであった。そして小ブルを相手にしたのでは、完全な、きりちぢめられないスローガン」、共産主義的宣伝煽動は不可能であり、真の革命情勢でない時期に学生を革命的闘いに組織するには、小ブルの意識に依拠し、その観念的本質にうったえ、非現実的であろうとなかろうと危機意識をあおりたて、さらにあおりたてて進まなくてはならなかったのであった。(八号)
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へーゲルはマルクスによって本質面において否定され、のりこえられた。にもかかわらず、このことはヘーゲルの体系の「以前のどんな体系よりも比較にならないほど広大な領域を包括し、そしてこの広大な領域で、今日なお人を驚嘆させるほど豊かな思想」をマルクス、エンゲルスが評価するのを妨げなかった。
共産主義者同盟とその指導した運動を本質面において否定し、のりこえることが今、我々の課題となってける。ということは、この革命的小ブル運動と旧同盟を革共同全国委的に、坊主ザンゲ的に、「全面的否定」の空文句でなしとげ、自からの小ブル的日和見主義をおおいかくすことではない。彼等は革命的小ブル急進主義運動が、歴史的社会的なものであることをマルクス主義的に把握できないが故に、旧ブントを頭の中で否定したと思った瞬間にまさに旧ブントそのままなのである。
マルクスの初期から学びマルクス主義の本質を学びとって唯物論的主体性を確立したと称する革共同全国委の諸君は、また何とマルクス主義的でないことだろう! 偉大なマルクスと、安保闘争の総括一つとっても、その根本的方法でことなることだろう!
こうした小ブルたちは、小ブルとプロレタリアートの本質的差異を言葉では認めつつも、実際にはそれをあいまいにするのである。現在において学生=小ブルと、プロレタリアートの階級的立場の相違をとくにくっきりと明らかにするのは重要である。学生=小ブルも、プロレタリアートも独占資本によって圧迫されていることを根拠にして、これらのちがった階級をいっしょにすることは全く反動的なことである。このことはまさに現代社会経済の社会的構造、そのブルジョア制度をおおいかくし、ぬりつぶすことを意味する。ところが、現在の革共同の唐牛一派のみにくい、俗悪なる学連主義者のやっていることはまさにこのことである。彼らは、革命的インテリゲンチャに、革命的学生運動を「再建」し、「展開」することしか訴えないのである。現在の特殊性、すなわち1958年~60年の革命的小ブル急進主義連動を通じて生み出された、真のマルクス主義と真の前衛党を、組織されたプロレタリアートの中へ広汎に、深く持ちこみ、革命的プロレタリアートを組織することが緊急の問題となっていることをおおいかくすのである。
彼らは革命的学生運動を展開することによってそれをなしうると云うのだろうか? いや、それはまさに、旧ブント路線そのものではないか! それとも革共同全国委の理論ですれば今すぐ革命的学生運動が展開しうるというのか? それなら、それは全くプロ通革通と同じく「理論」があれば、……と云ったのと本質的に同一ではないのか。彼らの旧同盟の批判の根底が、単に旧同盟への小ブル的反発でしかないし、真の批判とはほど遠く、従ってまた旧同盟と全く同じものを平気で持ちこみうるのである。
旧プロ通派の英雄、学生運動から去って真の革命家としての実践をはじめようとした岡田氏の学生運動への復帰は何を意味するであろうか? さらに唐牛氏の復帰は? それは彼らが学生運動が重要だと思ってそうしたのでなく、真の革命家としての実践活動をなしえない小ブル的本質を持つが故に、自らの本質にふさわしい場所にもどったということ以上、何も意味しない。我々はこうした一切の腐敗し切った小ブル学連主義者たちとけつ別し、断乎として、真の革命党をめざす方向に進まなくてはならないであろう。(61.4.6、全学連27中委にまかれた共旗派のビラより)
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しかし安保闘争をその運動において総括した学生運動内の真のマルクス主義者は旧ブントの路線=小ブル急進主義は永久にすぎ去った日本の革命運動の一発展段階であること、そうした闘争をいくつ積み重ねても革命がおこらないのみならず、そうした方向で闘争を組織しようとする今後の一切の試みは必然的に挫折せざるをえないこと、そうした試みは、現在においては反革命的なものとなっていることを認識しているからこそ、全学連が、直ちに革命的学生運動を展開し、4・5月闘争ののちに一挙に全自連を粉砕しうる、と考えるのは夢であり、小ブルの頭の中で考え出された、非現実的な幻想であろうというのだ。今後の真の革命党に指導される小ブルの運動は絶対に小ブル急進主義運動としては現象せず、それゆえに、今すぐそうした闘争が組織しうると考えるのは全くの反動的な幻想であり、旧ブントそのままである。今後の小ブルの闘いは独自的な意義をますます失い、プロレタリアートの闘いの単なる同盟軍(今までのように言葉の上のみの同盟でなく、実質の上での同盟軍)としてのみ現れるだろう。しかも完全にプロレタリア的内容と、プロレタリア的闘争形態をもって。全学連の再建と日和見主義者の粉砕は、こうした形では絶対になされないのみならず、逆に、学生運動内の真のマルクス主義者を混乱させ、消もうさせ、意気阻喪させる以外、何もしないであろう。全学連の再建――すなわち、小ブルジョアのプロレタリアート側への獲得は、今すぐ出来るなどというものでもなければ、学生運動を独自的に、自己完結的、自己目的的に追求して可能である、というものでも絶対ない。それはプロレタリアートの、断乎たる、非妥協的な革命的大衆運動の展開によってのみ、可能となるであろう。
プロレタリアートとプチブルの関係における一切のあいまいさ、一切の逆転も、それは絶対的に反動的な、ブルジョア社会の本質を理解しない見解である。プロレタリアートのみが、唯一の革命的階級であり、小ブルはあくまでも小ブルであって、、小ブルを頭の排泄運動によってプロレタリアート的立場にかえうるというのは黒寛一派の小ブル的な、反動的な幻想である。せいぜいそれは口さきでは過去の自分のすべてを否定し、坊主ざんげし、革命的に闘ったことをくやみ、「踏絵」をしたとしても、自己の小ブル的信念は、いささかも変わつていない篠原、唐牛、北小路、清水、斉藤(清)氏等々の醜悪な、腐敗し切った政治屋的小ブルたちをあらためてつくり出すのみである。
斉藤(清)氏は、「革命的プロレタリアートは、反スターリニズムの唯一の大衆組織としての全学連の再建を期待している」と安っぽいアジテーションを行った。革共同全国委の下に結集している小ブル的なプロレタリアートはさておいて、真の革命的プロレタリアートは、「全学連の革命的再建」という小ブル的幻想に期待してはいないし、又してはならない。そんなところにプロレタリアートの資本のくさりからの解放の萌芽はもはや存在してはいない。プロレタリアートの解放はプロレタリアートの独自の、自主的な革命的大衆行動によってなされるのであり、そのためには、まずプロレタリアートは革命党をこそつくり出さなくてはならないのであり、プロレタリアートの解放の火花をひめている組織こそ、我々「共産主義の旗」派であろう。
またこの中央委員会の中で、我々が旧ブントと闘っていない、旧ブントを美化している、すなわち、「運動として総括する」という方法によって旧ブントの「理論」のうら切り性をおおいかくしている、といういわれのない中傷について答えておこう。これは全くのウソであり、事実は全くの反対である。我々は旧ブントの理論のみをとり出して、あるいは理論を中心に持って来て総括するのに反対したのであって、旧ブントの小ブル的理論を暴露して闘うのに反対したのではない。
中央委員会で清水氏は次のように云った、「我々が同盟をつくって出発した時には、安保闘争=小ブルの運動の直接的な発展の上に革命があるなんて思わなかった。世界革命を行う、という理論をもって出発した。ところがそのようになったのは何故か? それは党と革命の論理がなかったからだ」とし、彼はここから黒寛がそれを解決している、とつっぱしるのである。理論は世界革命をめざしていた、ところがそうでなくなった、だから理論の問題である。あるいは、安保闘争の延長上に革命があると思ってしまった、これは革命の理論がなかったからだ、というのである。一体清水氏が正直ぶり、無邪気ぶって告白している真の内容は何であろうか? これは観念の永遠のへーゲル的な自己運動であり、どこまで行っても解決のない水車のような永久回転である。彼らはここから、泥沼の方へ行ってしまったのである。(全学連27中委の総括、「プロレタリア革命」創刊号61.4.13)
・・・共旗派結成アピール・・・
革通派が破産し、戦旗は分解をとげ――そしてそのことは彼らの根本的立脚点と理論から必然であったのだが――さらに本質的に革通派と同じ基盤の上に立ち、同じ傾向の理論を持つプロ通派も破産した。彼らは我々の圧力の下に現象的には変化したような顔をして過去をすべてぬぐいかくそうと反動的努力に懸命である。しかし彼らはマルクス主義の本質を、弁証法的唯物論を理解していないが故に、科学的に世界を経済分析する決定的な、必然的な重要さも理解しえないし、総括一つ出来ないのである。この小ブル革命家諸君は同盟の挫折――この原因を現在の資本主義の政治的経済的な問題として、物質的な諸階級間の問題として還元してマルクス主義的に総括することができないし、その上に立って首尾一貫して同盟の理論的な組職的、政治的歪曲を総括し明らかにし新たな方向をめざして行くことはできず、必然的にあれこれの思いつきを追求し、新たな理論を「発見する」ということになり、真の党活動をどうしても展開することができなくなる。
我々の分派結成は思いつきや偶然でなされるものではない。三派の破産の明確な確認の上になされるのだ。それ故にこそ我々は固い決意で、革命の日まで先頭に立って闘おうと思う。(五号、61.2.25)
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