「新左翼イデオローグの宮顕との親疎性」について

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元、栄和2)年.9.27日

【「新左翼イデオローグの宮顕との親疎性」について】
 「情況」(1976-9月号)の「日本共産党批判」に次のような興味深い一文が載っている。「プロレタリア独裁論の歴史的基礎」と題する新左翼イデオローグとして名高い広松渉氏との座談会で、編集部が「広松さんという人は日共を正面から批判したことは一度もないんじゃないですか。旧国際派の一員としましては、宮本顕治親分に盃を返せない。右からの批判に対しては共産党といえどもあくまで擁護する。教条主義的な反発に対しても、たしなめるという形で間接的に日共の側に廻る。かろうじて、新左翼の将来に賭けるという形で、非常に控えめに、日共と一線を画する。そろそろ、逆縁ながらと啖呵を切ってはどうですか(笑)」と尋ね、これに対して、広松氏は、「あんまりひどいことは言わんでくださいよ。あなたがた教条主義的な傾向の人々からお叱りを受けるのは分かりますけど、私なりの原則的態度は十年以上も前からはっきり表明しているはずです」と返答している。

 れんだいこは、長年氷解しなかった疑問がここで解けた気がする。いわゆる「新左翼のイデオロ―グと宮顕との親疎性」であるが、この遣り取りは次のことを浮き彫りにしている点で重要な意味を持っている。60−70年にかけて日共運動と鋭く対立した新左翼といえども、「50年分裂」当時においては宮顕を頭目とする日共内国際派に与しており、そういう出自からして徳球系運動を批判するのを得手としており、その徳球系と徹頭徹尾闘い抜いた宮顕系とは意外と「歴史的シンパシー」を感じている。その後、宮顕系日共運動とはことごとく対立していくことになる新左翼であるが、本質的なところでそういう相補関係にあるという構図が垣間見える。

 しかし、この観点が如何に異常であることか。至らぬながらも至ろうとして粉骨砕身日本左派運動に寄与した徳球−伊藤律系運動に背を向け、当局の内通者として送り込まれてきたスパイ集団宮顕−野坂系運動にシンパシーするとは! 仮に、その自覚がなかったとしても、それが見抜けなかった凡庸さ、もっと云えば間抜けさという意味で相応の責任が免れないであろう。れんだいこに云わせれば、そのような認識からの新左翼運動が成功裏に推移することはないだろうということになるが、史実は事実そうなったのではなかろうか。

 新左翼が自らの立脚点を見つけるとするならば、60年安保闘争時の指導者島―生田ラインの状況認識論、運動論、組織論ではなかろうか。島―生田ラインこそは、れんだいこが思うに特に生田は既に感性的域において宮顕−野坂系運動の異邦人性を見抜いており、且つ徳球−伊藤律系運動を評価しつつその限界を知り新たな活動を練り上げようとしていた稀有な人士であった。

 その貴重な人材であった生田氏は米国留学中に「火災死」で命を落としている。「火災死」の様子を知りたいが、これを伝える情報を手にしていないので皆目分からない(私は不自然死もっと言えば暗殺火災ではないかと疑っている)。それはともかく、島―生田ラインのブント運動は豊かな可能性を秘めていたように思われる。その眼力は、今もなお歴史的高みを保持しているように思われる。

 残念ながらここが省みられることが少ない。島―生田ラインは60年安保闘争で燃え尽き、次世代にバトンタッチした。しかしながら政治は甘くない。ブント運動はその昂揚を苦々しく思う二大勢力の餌食にされた。宮顕系日共と革共同によって食い散らされたのだが、彼らは頻りにブント的急進主義運動基盤の脆弱さを衝いて行った。島―生田運動の後を受け継ぐべき者達はブント運動の質の高さを自覚することができず、日共、革共同派による外在的な批判に唱和して自己否定運動に身を委ねてしまった。これに同調しなかった者もいるにはいるが、島―生田ラインの眼力の質の高さを継承しえていない。

 れんだいこには、その後の左派運動はこの負の経緯を清算し得ないままのつまりは二番煎じ以上のものにはならない運動史ばかりがあるように見える。60年代末の全共闘運動はその後の闘争でのエポックを形成しているが、理論的混乱と貧困は目に余るものがある。そういう問題を種々抱えていたとはいえ、島―生田ラインの第一次ブント運動の目線に接近した正統的継承運動であった気がする。残念ながらここが省みられることが少ない。

 話が拡散するのでこれぐらいのコメントで止めておくが、「新左翼のイデオロ―グと宮顕との親疎性」は踏まえられておかねばならない視点のように思われる。つまり、日本左派運動の真性的な良質的なそれは、戦後運動としては徳球−伊藤律系運動、島―生田系第一次ブント運動、全共闘運動の中にこそ認められ、それ以外の左派運動は擬態的なものでしかない、という観点の保持が必要ではないか、というのがれんだいこ見解である。この見解に与し得ない自称左派は、党派であれ団体であれ個人であれ己の理論ないし観点の変調さを疑って見る責務があろう。それほど故意か過失か別にして歪められているということだ。あぁだがしかし、このように指摘するれんだいこの方が変人扱いされているとは。あるいは左派系リンクから締め出されているとは。いな、これこそ現下日本左派運動のまさに相応しい在り姿かも知れない。

 2004.3.10日再編集 れんだいこ拝






(私論.私見)