三 トロツキズムの戦略戦術 |
1 トロツキストの「フランスの敗北の教訓」
つぎに検討しなければならないのは、この現代トロツキストたちが革命をみちびこうとしている戦略戦術はどのようなものかということである。彼らの機関誌を通読してみても、当面する日本の革命運動の方向づけとしては、「世界社会主義革命の一環としての日本プロレタリア革命」という抽象的規定以外になんらの具体的分析を発見することはできないが、その戦略理論のあらましは「スターリン主義の破綻」の典型として彼らがこのんで分析する一九五八年の「フランスの敗北の教訓」(姫岡、黒田)から看取することができる。
たしかに昨年(一九五八年)、ドゴールの進出をまえにしたフランス人民の後退は、西ヨーロッパにおいてもっとも重大な事件の一つだったし、この後退のなかから教訓を学び前進の糧とすることは、たんにフランス共産党だけでなく国際共産主義運動全体の課題である。そしてその成果はすでに理論的には五八年二一月の仏伊共産党共同宣言のなかに、実践的には三月の地方選挙でかちとられた成功のうちに、最初の結実をみせている。
だがトロツキストにとっては、フランスの経験から学びとるべき教訓は、「フランス共産党の裏切り」という一語につきる。では彼らはどういう点でフランス共産党を告発しようとするのか。彼らの主張を要約してみると、第一に、社会主義とプロレタリア独裁にむかって大胆に前進すべきときに、「民主的自由と共和制をまもれ」という民主主義的スローガンをかかげたこと、第二に、革命的統一戦線を結成して労働者・兵士・農民ソビエト政府の確立をめざすべきときに、「共和制防衛政府」の旗をかかげて国民議会内でプチ・ブル政党との取引に専念したこと、第三に、アルジェリアにたいする帝国主義戦争を公然たる国内の階級戦に転化すべきときに、内乱の勃発をおそれて労働者階級の決起をさけたことなどが主要な点である。これが「スターリン主義の現代版」である「フルシチョフの平和共存戦略」に対置してもちだされた「レーニン主義的戦術」だというのだ。
この批判をつらぬいている第一の特徴は、現代トロツキストたちが、いつどんな場合でもプロレタリア独裁からことをはじめようとし、民族的民主主義的闘争の意義を理解しえなかったトロツキーの誤謬を忠実に再現していることであり、第二は彼らがロシア革命以後のマルクス=レーニン主義の戦略戦術理論の発展を頭から否定してしまっていることだ。
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2 民主主義のための闘争を否定するトロツキズム
トロツキーは、ロシア革命について、労働者と農民の民主主義的連合はありえないとしてレーニンの労働者・農民の革命的民主主義的独裁のスローガンに反対し、ただちに労働者政府=プロレタリア独裁を樹立することを主張し、レーニンのきびしい批判をあびた(一九〇五−一七年)。また、中国の第一次国内革命戦争のさいに、陳独秀の投降主義的方針のために革命が重大な後退を余儀なくされたのをとらえて、民族統一戦線を堅持し連合独裁の権力をうちたて反帝反封建の民主主義革命を遂行するという正確な戦略方針そのものに後退の責任をかぶせ、ブルジョアジーと絶縁しプロレタリア独裁を樹立し、「過激な社会的綱領」へ移行することを要求した(一九二七年)。
さらにコミンテルン綱領をめぐる討議のさいには、その主張をさらに一般化して、綱領が各国をその社会経済的発展段階におうじて三つのグループに分類し、いくつかの革命の型を規定したのに反対して、高度の資本主義国から後進植民地にいたる全地域でただプロレタリア独裁のみを目標とすることを主張し、いかなる民主主義的権力をも拒否した(一九二八年)。
最後に、ファシズムの攻勢に直面して、コミンテルン第七回大会が反ファッショ人民戦線の戦術をうちだし、人民戦線政府の樹立を日程にのぼせたときには、崩壊するブルジョア民主主義を救うために切迫する社会主義革命を放棄する戦術として真向うから反対した(一九三五−三九年)等々。
このような主張は、トロツキーの「永続革命」論の必然的産物である。一定の歴史的条件のもとでは、社会主義革命とプロレタリア独裁への過程に民主主義的任務を実現する革命の民主主義的段階がありうること、とくにその国が帝国主義的抑圧のもとにおかれた場合には民族的解放が社会的解放の前提となることを否定し、労働者階級が農民をはじめ他の諸階層と民主主義的同盟を結び、これを基礎として革命的民主主義的な政府や権力が形成されるという思想をいついかなる場合にも拒否し、あらゆる革命がプロレタリア独裁の樹立からはじまると考える点に、トロツキーの「革命の力学」がある。
彼が民主主義的要求や民族問題を語る場合にも、そうした要求を実現することに意義があるのではなく、それが革命的闘争を激発することによってプロレタリア独裁のための杆槓となることだけが問題とされる。この理論のなかでは、労働者階級がいかにして農民などの広範な人民諸階層の革命的エネルギーをひきだしながらこれを同盟軍として獲得し、社会主義革命を準備するかという根本問題は消えてしまい、ただ労働者階級が決起してブルジョアジーを打倒し権力をにぎることだけが強調され、あとの階級はすべて後景にしりぞいてしまう。かれらの革命的大言壮語は、実は大衆の革命的エネルギーにたいする極度の不信から発している。
もし国際共産主義運動がトロツキーの戦略論を採用していたら、中国や東欧における人民民主主義革命の勝利も、ヨーロッパやアジアにおける革命運動の飛躍的発展もありえなかっただろう。トロツキズムの破産はここでもまた歴史によって実証されたのである。
だが、現代トロツキストが、破産したトロツキーの理論をそのままくりかえし、「帝国主義段階において実現さるべき一切の革命(後進国植民地革命をふくめて)の本質はプロレタリア独裁にある」とか、社会主義実現のための革命的大衆行動に一切を従属させよ」とか主張し、労働者階級が民族的民主主義的要求や綱領のもとに諸階級と結ぶ同盟をブルジョア的同盟として拒否し、革命家が民主主義的要求をとりあげるのは一時的で第二義的な「策略・取引」にすぎず、ただそれを「革命的に定式化し、方向づけ、もえたたせること」が任務だなどと主張するとき、その罪はいちだんと深いといわねぱならない。
なぜなら、第一に、現在では、独占資本主義の危機が激化し、独占ブルジョアジーとその他の諸階級とのあいだの矛盾が尖鋭化しつつあるために、たんに以前からブルジョア民主主義革命に当面していた後進諸国だけでなく、またさしせまったファシズムの脅威に直面している国だけでなく、資本主義諸国のほとんど全体をつうじて、反独占の広範な民主主義的同盟の客観的条件がつくりだされており、労働者階級が反独占反帝国主義の民主主義的綱領のもとに広範な人民諸階層を結集しうるかどうかが、社会主義革命への前進を左右するもっとも重要な前提となってきているからである。
第二に、世界資本主義の危機のなかで、植民地・従属国の民族解放闘争がいっそう大きな展望をもってきた(たとえば、民族ブルジョアジーの指導のもとでさえ、社会主義諸国の支持のもとに帝国主義にたいして政治的独立をかちとり、これをまもることができるようになった)だけでなく、あるいは敗戦をつうじて、あるいは軍事的政治的同盟をつうじて、大部分の資本主義国がアメリカ帝国主義への従属関係におちいり、高度に発達した資本主義国においても民族独立の課題が提起され、この民族的任務を正しく解決しうるかどうかが、労働者階級が広範な民主主義勢力のあいだにゆるぎない指導権をうちたて独占資本の打倒と社会主義へ前進する力量をたくわえるうえで、はかりしれぬ意義をもつにいたったからである。
レーニンは共産主義者にとって重要なことは、たんに社会主義革命を口先だけで承認することでなく、「プロレタリア革命への移行あるいは接近の形態をさがしだし」幾百万の人民大衆を現実に社会主義にむかって指導することにあるとくりかえし教えている。どんなに社会主義革命について各行ごとにくりかえしてみても、この「移行と接近の形態」、つまり労働者階級がいかなる段階と道をとおって広範な人民諸階層と同盟し、これを指導して独占ブルジョアジーを打倒し社会主義に到達しうるかの具体的な道すじを明らかにしえず、そのための当面の任務に力を集中しえない理論は、たんなる革命的空談議にすぎず、労働者階級を社会主義革命へみちびく羅針盤とはなりえない。当面する民族的民主主義的綱領の実現のためのたたかいの意義を理解しえぬ現代トロツキズムは、社会主義革命に忠実であるどころか、それによって実は社会主義革命を永遠の彼岸におしやってしまうものである。
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3 統一戦線論におけるトロツキズム
トロツキズムのこうした特徴は、それが革命を準備し遂行する基本的な戦術としての統一戦線戦術を事実上否定してしまうところに集中的に表現されている。しかし、こういうと「そんなことはない、ファシズムに反対する統一戦線をだれよりも先に主張したのはトロツキーだ」という反駁があげられるにちがいない。彼らによれば、トロツキーこそもっとも一貫した統一戦線の擁護者であり、その著書『次は何か』(ドイツの反ファシズム闘争についてトロツキーが一九三一−三四年に書いた論文を集めたもの)こそレーニン主義的統一戦線戦術の聖典である、とされている。
トロツキーは、たしかにこの著書のなかで、コミンテルンの「社会ファシズム」論を批判し、ファシズムこそ当面の主要な危険であり、この攻撃を撃退するために社会民主党と共同行動をとることを主張している。その表面だけをみれば、トロツキーこそコミンテルン第七回大会で採用された人民戦線戦術の先覚者だったようにみえるかもしれない。だが、実際には、トロツキーが「社会ファシズム」論を中心とした当時の一連のコミンテルンの誤謬をつきえたのは、コミテルンのあらゆる方針に反対して無数にはなたれたトロツキズムの矢がたまたまこの分野に現実に存在していた誤謬につきささったにすぎず、この矢そのもの、つまり批判の内容やその「統一戦線」論そのものはトロツキーの他の理論同様根本的にまちがっており(1)、反ファシズム闘争に積極的に貢献するものではなかった。このことは、のちにコミンテルンがこれまでの誤謬を公然と承認し、深刻な自已批判にもとづいて、反ファッショ統一戦線の戦術をうちだしたとき、端的に暴露された。トロツキーはコミンテルンの転換を歓迎するどころか、これに真向うから攻撃をくわえたのである。
では、トロツキーはファシズムの進出をまえにしてどのような統一戦線戦術を提出したのか。
(1) トロツキーは「統一戦線」が共通の政治的任務=統一戦線綱領をもつことを否定する。「ファシズムかプロレタリア独裁か以外に第三の道はない」のだから、共産党が社会主義以外の綱領で自分の手をしばることはその独自性を没却することになるというわけだ。
(2) したがって、トロツキーの統一戦線は、ファシストの攻撃に共同して対抗するための戦闘協定つまり軍事行動の統一か、労働組合などの超党派的大衆組織への共同の参加の形態以外にない。一定の政治的任務をめざしての共同行動はすべて否定される。
(3) さらにトロツキーはプロレタリア統一戦線だけ、つまり社会民主党および労働組合との統一戦線だけを主張し、小ブルジョア的・ブルジョア的党派との統一戦線をいっさい拒否する。
(4) この統一戦線戦術が革命運動にとってもつ意義は、それが共産党が労働者階級の多数者を獲得する戦術となる点にのみもとめられ、統一戦線が革命を達成する力量となることは否定される。
要するにトロツキーの統一戦線戦術は、革命的過渡期や革命的危機のもとでの冒険主義的な突撃のために、社会民主主義をも一時利用しようとしたものにすぎない。
こうした特徴を集中的に表現しているのは、現代トロツキストの愛好する「別個に進んで一緒に撃て」というスローガンである。このスローガンはレーニンも階級同盟における労働者階級の独自性をあらわす言葉としてつかったことがあるが、いまやトロツキーによってまったくちがった意味、「何のために撃つか」の協定には反対し、「いかに撃ちだれを撃ちいつ撃つかについてだけ協定せよ」という意味に「発展」させられてしまった。
そして、トロツキーはこの「統一戦線綱領なしの統一戦線」こそレーニン的統一戦線の基本原則だと主張し、コミンテルン第七回大会で定式化された人民戦線戦術は、民主主義擁護という統一戦線綱領でその手をしばっている点でも、ブルジョア自由主義者との統一戦線を主張している点でも、民主共和国や統一戦線政府をつうじて社会主義革命へという迂回的展望を提起している点でも、レーニンの路線をふみはずしたものだと非難する。
だが、こういった非難は、レーニン主義を漫画化するものだ。レーニン主義の武器庫のなかには、ボリシェピキ党と労働者階級が、さまざまな時期に、いろいろの階級や党派と一定の政治綱領にもとづいて結んだ統一行動や統一戦線の経験がたくさんある。たとえば、一九〇五年の革命のさい、レーニンは革命的民主主義的な農民やブルジョアジーと民主主義的同盟を結ぼうとしたし、十月革命のときにも労働者階級と貧農の同盟を土台にして左翼エス・エルとのあいだに社会主義的同盟を結ぼうとした。
これはどちらも、革命のその段階における階級同盟の客観的な条件を背景としながら、一貫した綱領のもとに、いろいろな階級を代表するさまざまな党派と結ばれた統一戦線の典型である。だがトロツキストは自分に都合のわるいこうした経験には目をとじてしまい、コルニロフ反乱の時期におけるボリシェビキ党とメンシェビキ党の関係だけをとりだして、これがレーニン的統一戦線の典型だと主張する。このときには、社会主義革命という当面する基本的課題について根本的に利害をことにする二つの党派が、ただコルニロフ反乱を撃退するという一時的な目的のために客観的に同じ行動をとったが、たしかにここにはいかなる共通綱領もなかった。だが、そこにはまたいかなる統一戦線もなかったのである。
レーニン自身、ボリシェビキ党はケレンスキー政府に敵対する政策から提携する政策、統一戦線の政策に転換したのではなく、「ケレンスキーにたいする闘争の形態をかえた」にすぎないことを口をきわめて強調している(『ロシア社会民主労働党中央委員会へ』全集、第二〇巻)。だからトロツキストが、彼らの統一戦線戦術はこの経験をモデルにしていると主張するのは、彼らが事実上、統一戦線戦術を否定しているのだということをみずから告白するようなものだ。
これに反し、コミンテルン第七回大会が、反ファシズム闘争の失敗と成功の経験のなかから定式化した統一戦線戦術は、(1)
ファシズムの脅威をまえにして労働者階級のまえに民主主義擁護という歴史的任務が提起され、この任務の実現をつうじてのみ社会主義革命へ前進しうるということを、大胆にうちだした点でも、(2)
独占資本の危機とファシズムの登場がひきおこした階級関係の客観的な変化(広範な人民諸階層を反独占の側に結集する可能性をうみだしたこと、ブルジョアジーの支柱としての社会民主主義の役割が変化したこと)を的確に把握したうえで、戦略的意義をもつ基本的戦術としてプロレタリア統一戦線および反ファシズム人民戦線の方針を採用した点でも、レーニンの統一戦線戦術の創造的適用であり、その正しさは、その後二十数年にわたる国際革命運動の試練のなかでみごとに実証された。新しい情勢のもとで統一戦線戦術はさらに発展させられ、ゆたかになっているが、その展開の出発点はやはり第七回大会にあったといってよい。
ここでは現代トロツキストが展開している統一戦線論に具体的にふれることができなかったが、「革命的統一戦線」の名のもとに、民族的民主的綱領のもとでの広範な人民諸階層の統一、その中核としての社共の統一に反対する点にその主要な特徴があり、統一戦線の名のもとに事実上統一戦線戦術を拒否したトロツキーの誤りの忠実な反復にほかならぬことを指摘して、さきへすすむことにしたい。
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4 絶対不変の形而上学的戦略
マルクス主義の戦略理論は、ドグマではなく行動の指針である。それは歴史的情勢が変化し革命運動のまえに新しい可能性がひらかれるごとに、古い定式を新しい歴史的情勢に適応した新しい定式でおきかえることを要求する。だが、すでにみてきたように、一国社会主義を否定することによって世界情勢の発展の方向や法則を理解するカギを失い、社会主義革命への「接近と移行の形態」をさがしだすことの重要性を無視することによって資本主義国内部の階級関係の変化し発展する方向を理解する基礎を失った現代トロツキストは、歴史的情勢の変化を認識することができない。「世界革命が完遂されていない以上」世界はもとのままだ、というわけである。だから、彼らが、革命運動の戦略戦術に不変の形而上学的性格をもたせ、トロツキー流に一面化されたロシア革命の経験を絶対化し、国際共産主義運動が新しい歴史的情勢におうじて革命理論を創造的に発展させたことをすべて「修正主義」として否定するのは理の当然かもしれない。
十月革命が資本主義から社会主義への世界史的移行の時代をひらいて以来、世界情勢の根本的な変化がはじまったことは何度ものべたが、一九三五年のコミンテルン第七回大会と、一九五六年のソ連共産党第二〇回大会および一九五七年の各国共産党のモスクワ会議とは、世界情勢の変化のそれぞれの段階で革命運動のまえにひらけた展望を明確にし、戦術方針を創造的に発展させた会議として、国際共産主義運動の転機を画するものだった。そしてトロツキーが第七回大会の意義をまったく理解しなかったと同様に、現代トロツキストも、二〇回大会やモスクワ会議の意義をなにひとつ理解することができない。
「帝国主義が残存しているかぎり、戦争は不可避であること、社会主義への議会的な道、社会民主主義の性質と役割など、レーニンが第ニインターと闘ったまさにその点において現代マルクス主義者はレーニンを修正した」(姫岡「激動、革命、共産主義」)。
そして、戦争防止の可能性、社会主義への平和的移行の可能性、議会を勤労人民の利益に奉仕する道具にかえる可能性などの、二〇回大会で提起されモスクワ宣言で確認された一連の命題は、十月革命以後の革命運動のゆたかな経験と変化した世界情勢の科学的な分析によって裏づけられた命題であるにもかかわらず、分析や論証の努力を少しも払うことなしに、三十余年まえにまったく異なる情勢のもとでレーニンが語った命題を対置することによっていとも簡単に「否定」され、「帝国主義戦争を内乱へ」「ソヴェト権力の確立」などの「革命的」スローガンが提出される。形而上学的理論家たちは、ほかならぬレーニンのつぎの言葉を座右銘とする必要があろう。
「必要なことは、マルクス主義者はいつまでもきのうの理論にしがみついていないで、生きた生活、現実の正確な事実を考慮しなければならないという、争う余地のない真理を学びとることである」(『戦術にかんする手紙』全集、第二四巻)
生きた現実から日をそらしてレーニンの「公式」を棒暗記する現代トロツキストは、まさに「生きたマルクス主義を死んだ文字の犠牲にするもの」(レーニン)にほかならず、それがもたらすものは日和見主義以外のなにものでもないであろう。
だが実は現代トロツキストにとっては、その革命理論が現実に合おうが合うまいが、それは第二義的なことにすぎない。はじめにものべたように、彼らの理論活動の主要な課題は現実の闘争を指導しうる有効な革命理論をきたえあげることではなく、「国際共産主義運動の公認の指導部」を階級的裏切りをもって告発し、共産党に敵対しその破壊と解体を主要任務とする反党組織の結成に理論的基礎をあたえることにだけあるからだ。だから「革命理論」としての現代トロツキズムの不毛性の最大の根源は、これが階級闘争と革命運動の必要からではなく、共産党と国際共産主義運動にたいする敵対活動の必要から、破壊的批判の武器として形成されているという点にこそもとめなけれぱならないであろう。
(1) たとえばトロツキーはファシズムの本質を金融資本に利用された小ブルジョア反革命だと規定し、金融資本のもっとも反動的な部分の独裁という階級的本質を見失うと同時に、そのクーデターによる政権奪取の形態のみを固定化して考える。だから現代トロツキストは、ファシズムの進出の多様な形態、とくに、ドゴールのように議会的形態をよそおったファシズムヘの移行をみることができない。
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