ここで、ブントの解体の要因について考察しておきたいことがある。元々ブントと革共同の間には、深遠なる融和しがたい相違があったものと思われるが、史実は雪崩をうつかの如く革共同への移行がなされた。これは、結成間もなく「60年安保闘争」に突入していかざるをえなかったという党派形成期間の短さによるブントの理論的未熟さにあったものと思われる。「60年安保闘争」の渦中でそれを島−生田指導部にねだるのは酷かもしれないとも思う。
私見は、ブントと革共同の間には単に運動論、組織論、革命論を越えた世界観上の認識の相違があったように捉えている。言うなれば、「この世をカオス的に観るのか、ロゴス的に観るのか」という最も基本的なところの相容れざる相違であり、ブントはカオス派であり革共同はロゴス派的であろうとより一層組織形成しつつあったのではなかったのか。この両極の対立は、人類が頭脳を駆使し始めて以来発生しているものであり、私は解けないが故に気質として了解しようとしている。
実際、この両極の対立は、日常の生活に於いても、政治闘争も含めたあらゆる組織形成、運動展開においてもその底流に横たわっているものではなかろうか。ユダヤ−キリスト教的聖書にある箴言「初めに言葉ありき」はロゴス派の宣言であり、日本の神道的「森羅万象における八百万(やおよろづ)的多神観」はカオス派のそれのように受けとめている。両者の認識はいわば極と極との関係にあり、ブントと革共同は、この相容れぬそれぞれの極を代表しており、相対立する世界観に支えられて極化した運動を目指していたのではなかったか、と思う。島氏的観点−ごった煮的カオス的な善し悪しさ−が、当時のブントに伝えられていなかったことを私は惜しむ。それは、「60年安保闘争」に挫折したにせよ、ブントのイデオロギーは護持されていくに値あるものと思うから。本来革共同に移行し難いそれとして併存して運動化し得るものであったと思うから。
どちらが良いというのではない。そういう違いにあるブント思想の思想性が島氏周辺に共有できていなかったことが知らされるということである。ブントのこの己自身の思想的立場を知ろうとしない情緒的没理論性がこの後の四分五裂化につきまとうことになる。あるのは情況に対する自身の主体的な関わりであり、ヒロイズムへの純化である。このヒロイズムは、状況が劣化すればするほど先鋭的な方向へ突出していくことで自己存在を確認することになり、誇示し合うことになる。惜しむらくは……というのが私の感慨である。
2013年現在、れんだいこは「原日本(人)と新日本(人)論」なる史観を獲得している。これによると、ブントを親原日本系、革共同を親新日本系と捉えることができそうである。これについては今後加筆することにする。
2013.07.08日書き直し れんだいこ拝
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