蔵田計成氏の「現代テロリズム批判の根元的意味」論考考

 (最新見直し2007.6.17日)

 蔵田氏の「 第2章 試論/現代テロリズム批判の根元的意味」 を転載しておく。
 第2章 試論/現代テロリズム批判の根元的意味

福田内閣は「当面の最大・緊急の政治課題」として「新テロ対策法」を提出しています。しかし、現地からのメディア報道によれば、「戦争の巻き添え犠牲者が続くと、現政権がもたない」というほど、アフガニスタン民衆は外国の軍事介入に対して否定的である、という事態の変化を伝えています。

次の数値は、反テロ戦争への支援活動に対する有力なアンチテーゼです。社民党照屋寛徳衆議院議員の質問趣意書に対する政府答弁ではじめて分ったことです。反テロ特措法に基づいて海外派遣された自衛隊員の死者が35人に達し、そのうち自殺者が半数16(退職者含まず、(東京新聞1113)という事実です。

 この自殺率は
10万人当たりに換算して812人です。日本人の自殺率は10万人当たり、025人。アメリカ陸軍で今年自殺した兵士は109人で、10万人当たり184(毎日新聞1218)となっています。この数値に示された日米の大差は、戦争経験、戦争観、価値観などの違いもあるでしょうが、それはともかくとして、果たして、この自殺数値は何を意味しているでしょうか。この数字は明らかに大義なき戦争にかり出された自衛隊員の自責や矛盾の意識が、自死へと追い込んだとみても差支えありません。自衛隊員16人の墓標が、反テロ軍事支援活動の欺瞞をも雄弁に物語っています。にもかかわらず、軍事作戦への支援を目的にしたテロ新法をおし通そうとしています。

 この強引な政治手法の社会的背景には、テロリズムに対する一般的反テロ感情、厳密さを欠いた曖昧なテロ認識が広範に存在していることは否めません。さらに、本来ならば現象的手段としての社会学的用語に過ぎないはずの「テロ」「テロル」が、その語源とされる「恐怖」「政治上の暴力」という、古くて新しい概念規定をあたえられています。このような常識化した謬論によって思想的に自己解体されることは峻拒したいものです。ちまたの卑俗な論理とは一線を画し、現代テロリズムに対する論理的立場性を明確にするために、若干の問題提起をしたいと思います。

まず、過去一世紀以上を経て現在に至る世界史的情勢の推移を、政治学的に概括することから始めます。

1,20世紀前半の世界史の特長: @「帝国主義列強による植民地争奪戦争の時代」、A「プロレタリア社会主義革命の時代」、B「資本主義VS社会主義の冷戦時代」。

2,20世紀後半の特長: C「植民地解放・革命戦争勝利の時代」、それと表裏をなした、D「東欧・ソ連社会主義崩壊の時代」。この社会主義自壊による歯止めなき覇権主義、市場原理主義を至上の価値観とするアメリカ(多国籍)資本主義・帝国主義の新たな発展形態 E「グローバリゼーション」「帝国主義一極支配志向の時代」。また、共通な支配秩序・部分的利害関係の下、国際的ネットワーク=国際連合を外枠とした F「地域的ブロック化時代」。

3,現在的特長: このような支配構造をもつ世界的な支配・収奪・富の偏在、物質文明主義に対するイスラム原理主義が突き出すイスラム世界からの G「政治的、宗教的抵抗、反撃の時代」、H「領土的、民族的、宗派的対立と抗争の時代」、I「体制内格差社会からの民衆叛乱と階級闘争の時代」。

以上のように、現代世界を近代歴史過程の中でとらえたとき、そこに浮上するのが、イスラム原理主義が突きつけている現代テロリズムと、それに対応すする反テロ戦争です。現代テロリズムを階級形成論、運動論、組織論、戦略・戦術論の視点から論じることは、別枠におくとして、本稿では現代テロリズムが突きつけている、テロVS反テロ戦争のはざまに内在する本質的な問題について論じてみたいと思います。なお、テロという用語は、本来ならば括弧に入れて用いるべきですが、敢えて用いない理由については本稿で示します。

現代テロリズムを論じるには、まず問題点を凝縮しているパレスチナ問題からはじめるのが妥当かも知れません。

問題の発端は、2000年前の旧約聖書をかざし、「土地に住み着く」というシオニズム思想のもと、19世紀末からパレスチナを舞台にしてはじまったイスラエル・ユダヤ人入植運動でした。

その10数年後の第1次世界大戦直後には、中東全域のアラブ諸国の領土が英仏によって線引きされ、英仏統治国が作られました。さらに、47年の第2次世界大戦直後には、アラブ諸国の猛反対を押し切り、アラブ出席国ゼロのまま、国連総会で「パレスチナ分割案」(決議181号)が可決されました。当時の英国の委任統治領であったパレスチナを二つに分け、パレスチナ・アラブ人国家とイスラエル・ユダヤ人国家を作ったのでした。この二分割国家出現の背後には、「英国二枚舌外交」と批判された、英仏の中東の石油利権確保が深く介在していたことはいうまでもありません。

このような半世紀にわたる強引なイスラエル建国運動の歴史は、それ自体がイスラエル武装地下組織「ハガナ」「エッツェル」による対英ゲリラ戦、パレスチナ人虐殺や暗殺というテロ作戦による血塗られた歴史に他なりませんでした。建国初代首相は秘密地下組織の最高指導者ベングリオンでした。

建国以後も入植地は拡大の一途をたどりました。パレスチナ側の軍事的反撃にもかかわらず、それを食い止めることはできませんでした。その度ごとにパレスチナ人は土地、家、命さえ奪われ、家族は離散・難民化の悲劇を強いられたのでした。67年第3次中東戦争を契機に、アメリカは英国に代わってイスラエルへの軍事・経済支援を本格化させ、中東地域における軍事的主導権を確立しました。軍事的力関係が決定的に変化した以後も、パレスチナにおける正義をめぐる戦いは続いています。現在もパレスチナ自治区の経済成長率は年間マイナス2%を強いられています。宗教上の「聖地」をめぐる対立、占領地入植をめぐる対立、民族主義的対立は解決の兆しも見えません。「『正義』よりも双方が真の妥協を」(館山良治、毎日新聞1126)という試策を示す人さえいます。シオニズム運動が始って1世紀以上、強引な領土分割から60年以上にわたって展開されてきた彼我の軍事的攻防が、現代テロリズムが突き出す闇の深さを象徴しています。

このように現代テロリズムは、明らかに世界的構造の矛盾と対立のなかから生み出されたものです。その視点でみる限り、テロ行為はたんなる社会的発現形態としての暴力ではなくて、一つの政治的発現形態を意味しています。つまり、暴力自体が人類史上における体制、思想、民族、宗教、国益などのさまざまな「正義」「大義」をめぐる政治の延長としての暴力形態、究極的には戦争を意味しています。このような本質論的把握をしないかぎり、眼前の事態に対して正面から向き合うことはできないと思います。

とはいえ、この対立の構造を「善と悪」の一元論的視点から論断してしまうと、その先は行き止まりです。絶対悪に対置する絶対善を、二項対立的論理に限定してしまうからです。その結果は、自己絶対化に陥り、問題の本質的解明を妨げてしまいます。そればかりか、イスラム原理主義が突き出したイスラム世界と資本主義世界との間に派生している、さまざまな矛盾を止揚するための内在的な契機をつみ取ることになります。

このような一元論的視点という閉じた論理の延長線上に出口がないとすれば、複眼的思考によって出口を模索し、その中から未来への希望の糸口を見出す他はありません。その糸口とは、過去の歴史から引き出すべき血塗られた教訓です。

かつて帝国主義列強による植民地支配や、国家権力の強権支配=抑圧に対して、植民地独立をめざす民衆や、少数弱者の側が行使した戦術としての抵抗手段、闘争手段、戦争手段は、時代や場所によって違います。その呼び方もさまざまです。ゲリラ、レジスタンス、パルチザン、インティファーダー(抵抗運動)、自爆、聖戦、解放戦争などです。このような手段としての「暴力」は、疑いもなく歴史変革の有力な動因力であり、血で贖われた歴史の主役を演じてきました。その歴史の中から教訓を引き出すことが、未来を切り開く創造力に他なりません。

補足すれば、この手段としての「暴力」と表現される「戦争」「テロ」の特性に関して、以下三点を指摘しておきます。

@    強者は戦争という暴力を選択し、弱者はテロという暴力を選択する。正規戦は「強者の暴力形態」であり、テロ作戦やゲリラ戦は「弱者の暴力形態」である。この「強者の暴力」「弱者の暴力」は共に「戦争」というカテゴリーに属する。同時に、あらゆる種類の戦闘は「暴力」というカテゴリーに属する。その意味で戦争とテロは等号でむすびつく。戦争=テロである。

A    テロ批判の際に持ち出されるのが、戦争に関する国際法である。敵側の軍事対象を攻撃するときには、巻き添え被害を最小限にくい止める努力をするよう規定している。だが、戦争=テロはそれ自体が本質的に人道の対極にある限り、そもそも無差別性の是非は批判の基準にはなりえない。たとえば、広島と長崎の「ピカドン」は国家総力戦体制下とはいえ、人類史上最大の無差別国家テロであった。戦闘後も長い間脅威であり続けるクラスター爆弾も同様である。空爆やミサイル・ピンポイント攻撃も正規軍による無差別的殺戮に等しい軍事テロである。

B    兵士の生還を前提にしないで、一回性の生命を手段化する特攻や自爆テロの英雄主義も、実行主体の選択的戦術に過ぎないこと。その是非論は空無ではないか。

《暴力、戦争、テロ批判における立場性と正義性の意味》

このような特性を持つ暴力に彩られた歴史上の教訓を、合理的な歴史的事実として容認するのか否か、論理を展開するうえで大きな分岐点になります。

それは一見して二項対立的な立論です。まず、非暴力主義、非戦主義、人権主義を規範にして「テロ反対」「戦争反対」という「非暴力・絶対平和主義」の立場に立ちながらも、なおかつ過去の歴史から暴力を教訓として引き出し、その暴力を、歴史変革のための避けがたい痛苦な教訓として容認するという立論です。(そこから引き出す教訓の中には、いったん獲得した人民の権力の否定的外化という負の教訓も含みます。)

くり返すようですが、この二項対立的論理の唯一の根拠は、人類史の夜明けが、実におびただしい血の犠牲を代償にしたという、過去の歴史にみる圧倒的な事実に他なりません。同時に、この論理は基本的には「非暴力主義」に立ちながらも、相手が非暴力をこえる暴力を行使することに対して、自己の存在と尊厳を賭けた抵抗を認める立場です。いわば、暴力と非暴力を論理的に併存対置させるという立場です。

 
この併存対置という二項対立的論理は、歴史を教訓にして未来への理想を掲げつつ、現在的に暴力、戦争、テロをも容認するという、ギリギリの選択的論理です。この選択的論理は「非戦主義」といえるかも知れません。どこまでも戦争を否定するという「非戦主義」の立場から、戦争に至る原因の根絶をギリギリまで追求します。そして最後には相対的正義を実現し、貫くために、暴力、戦争、テロを選択することを厭わないという論理です。別言すれば、暴力を否定するために暴力を容認するという立場です。不正義の戦争、テロをなくするための戦争、テロです。

 
さらに、この二項対立的論理の下で選択された戦争=テロに対して、これを批判することが妥当性な根拠をもつには、支配=抑圧されている民族・民衆の側に身を置くという立場性が必要です。これとは逆な立場性に在りながら、つまり支配=抑圧する国家に帰属する民衆の側に在りながら、彼岸に向けて発するテロ批判は成立し難いということです。その理由は四つあります。

 
第一、支配=抑圧されている立場においてのみ、真の意味において支配=抑圧と戦うテロ戦術の是非を批判する資格を持つこと。テロとは違った有効な戦術と信じる抵抗手段=戦術を対置し、それを実践できるということ。この実践上の当事者性こそが、戦術の正当性をめぐるせめぎ合いを通じて、戦術の有効性を実証することが可能です。

 
第二、このような立場性を基準にした批判の厳密さを求める根拠は、理屈や口舌の領域における「批判という武器」の行使が、実践的な意味をもたないという理由にあります。いわば政治的実践領域おける行動という「武器による批判」こそが、実践的に有為な手段としての価値を持つということです。これは批判における原則的立場性の再確認に他なりません。言説手段がもつ訴求力を否定しませんが、基本的には、批判の武器は、武器による批判に取って代わることはできないからです。

第三、立場を変えて、支配=抑圧の代償ともいえる豊かさの恩恵に浴する「加害の立場」から「反暴力・反戦争・反テロ」を主張することは、多くの場合、行為の悲惨な結果に対する批判に止まり、戦争やテロに対する批判・断罪の矛先を歪曲するという瞞着を演じることになり、感情論的な、意図的な誹謗中傷に与する結果になります。

第四,ケンカ両成敗論は、往々にして本質的な問題をえぐりだすことを妨げてしまいます。真に現代テロリズを批判しようとするならば、原因における「テロ」と、結果としての「テロ」を並列的に論じるべきではありません。戦争=テロこそは、世界を席巻している市場原理主義の支配、収奪、植民地分割支配などの主要な「原因」がもたらした、主要な「結果」という基本的視点を出発点にすべきです。その上に立って、暴力が派生する根因に迫り、禍根を断つ回路を提示し、それを実行に移す過程を経て、はじめて矛盾は止揚され、真の第一歩が始ります。戦術をめぐる批判と反批判も、その過程ではじめて実践的意味をもつことになります。

結論的にいえば、加害の側が突き出すべき自らの当事者性とは、加害の現実に対する否定、拒否、不服従、糾弾、抗議という実践的行動を意味します。この困難な課題に立ち向かうことを可能にする根拠は、どこにあるでしょうか。それは自己の存在を問い直すことも含めた、各自各様の内に向かう対自的論理のなかにあります。道義性に根拠を求める対他的論理の中には、止揚への内在的な契機は存在しません。そればかりか、この対他的論理は多くの場合、現象の背後にある因果関係を捨象し、矛盾の顕在化を糊塗するが故に結果的には「反テロ戦争」を正当化し、免罪するという危険性につながるはずです。

極論かも知れませんが、非暴力主義や人権主義が内包する陥穽は、当事者性の非在に加担するという安易さ、自己弁解、擬制とたやすくむすびつく論理構造と限界性をもっていることだと思います。国益論、民族主義、排外主義に紙一重で通底し、それを補強しているからです。

例えば、すでに私たち日本国は、自衛隊法、PKO(国際平和維持活動協力法)、周辺事態安全確保法、対テロ旧法、イラク特措法など、目白押しの反テロ法体系を持っています。これに関して野党の一部さえ、「シーレーンの安全確保という我が国の死活的な国益を守る」(民主党代議士長島昭久、毎日新聞07/12/2)という立場を表明しています。

これらの法体系を容易に受け入れた世論の政治的背景には、先に触れたように、明らかに「テロ反対」の風潮があったと思います。「戦争は反対だが、テロにも反対。だから反テロ戦争に賛成だ」という結論への合流です。「戦争反対」の主張部分が欠落して、「テロ反対」だけが一人歩きし、援軍効果をもたらし、「対テロ戦争」に免罪符を与え、後押しすることになります。「国際貢献論」もその理屈の帰結です。ここで付記したいことは、「戦争反対、テロ反対」をスローガンに掲げて行動する善意や、絶対平和主義という理念の崇高さを否定するつもりは毛頭ありませんが、その結果責任を問う権利は留保したいということです。いま、何が求められているのでしょうか。暴力を引き出す暴力、戦争を引き起こす戦争、テロを生み出すテロを廃絶することです。そのような不条理をもたらす支配の仕組みを作りかえることです。

なお、本国性の立場にありながら、民衆の側に帰属する抵抗手段をめぐる暴力の問題があります。この問題は、戦術形態論をふくめていずれは避けて通ることはできませんが、暴力一般の問題として、一つだけ提起しておきます。

自己の国家権力の支配に抵抗したり、民衆側の戦争=テロ作戦を駆使した暴力行使に関して、私たちはいまだに妥当と思われる論理を確立していません。このあいまいさは当然です。暴力は正義をめぐる自己主張の政治的極限形態であり、手段にすぎません。しかもその手段は、主観的正義、相対的正義を前提にして行使されます。その主観的正義の内実が、戦争=テロという暴力行使を聖化する相対的価値基準とされます。その意味で、これは一つの結論的命題といえます。手段の是非を論じるには、手段自体を憎悪の対象にしても根本的な意味を持たない。手段を行使する根拠・目的の本質的解明が不可欠であり、まず正義性を問うべきである、ということです。その上で、手段を行使することの必然性、妥当性の根拠を明示すべきではないかと思います。

何をもって正義というべきか。過去の歴史変革の動因力となった正義性は、時代とともに変化しています。近代ブルジョア革命から国民国家形成過程を代表するフランス革命における正義は「自由、平等、友愛」でした。帝国主義戦争における正義は「民主主義」「民益=国益主義」でした。「帝国主義戦争を内乱へ」というスローガンを掲げたロシア革命の正義は「平和、パン、土地」でした。植民地解放戦争の正義は「民族自決・独立」でした。21世紀の正義とは何か、この正義性をめぐる死闘が、未来への出路を切り開くはずです。絶対的正義はその先にしかありません。行動の前提になる相対的正義を価値基準として措定し、その実現を目指して実践していくべきでしょう。この正義の実現にいたる運動の回路が一本化できたときにはじめて勝利は可能といえるのでしょう。


 第3章 試論/アメリカの白人=WASP民主主義の虚実。

ブッシュ・ネオコンがはじめたアフガンにおける反テロ戦争は、911からの「自衛のための戦争」であると規定する人がいますが、果たして「自衛」などといえる代物でしょうか。反テロ戦争はアメリカ型白人民主主義の本質とみなすべきではないでしょうか。それは意志というよりも、内的必然の論理において展開されているというべきです。

例えば、熱帯雨林の荒涼たる光景は何を物語っているのでしょうか。「見渡すかぎり黒く焦げた大地が広がっている。切り株のまま炭化した木々が、墓標のように立つ。」(毎日新聞特派員井田純、 07122)との惨状を伝えるインドネシアからのメディア報道は、ほんの一例に過ぎません。世界の果てから冨をかき集めることによって、国土や自然を荒廃させ、のどかで豊かな人間関係を容赦なく蝕んでいく商品経済がもたらす所業は、そこに立ちすくむ人々の怨嗟の的になるのは、当然ではないでしょうか。次の統計が、その不条理な現状を伝えています。このような数値を生み出す構造の仕組みこそが、問題の出発点ではないでしょうか。

ヘルシンキ国連大学の世界経済開発研究所が、「世界の冨の分布」の研究成果を公表しました。00年の世界中の家計の冨=資産を合計すると125兆ドル、この数値は、世界の国内総生産(ODP)合計値の3倍。1人当たり平均値は26千ドル(300万円)です。冨の分配に関しては、一方で、為替レートで計算した1人当たりの世界の「冨」の半分は、わずか2%の金持ちが独占。最も裕福な1%が世界の資産の40%を保有しています。他方では、世界人口の半数を占める貧しい人々の資産を合計しても、全体の1%に過ぎません。最貧国コンゴ共和国180ドル、エチオピア193ドルという数値を、最富裕国日本の2000ドルと比べると、約10分の1ということです。富裕層の頂点にアメリカの冨が占めていることはいうまでもありません。(毎日新聞02127

アメリカ型白人民主主義は、WASP(=白人、アングロサクソン、プロテスタント)による「トロイカ型白人民主主義」ともいわれています。建国以来のインデアン大虐殺からはじまり、止まることを知らない外延化し続けた帝国主義覇権政策は、その根っこにあるキリスト教原理主義的な異教徒への排外主義志向や、資本主義がもつ内在的契機を直接媒介にして、自らを必然化させたものと言うべきです。その膨大な冨を物質的基盤にした民主主義の内実がどんなに限定付きであったことか、建国以来のアメリカ史が物語っています。イラク空爆を決行したとたんに、低迷していたブッシュ支持率が90%(!?)にはね上がるという異様さもアメリカの一面かも知れません。この限定付き民主主義とは人種差別に集約的に示されています。果たして、民主主義という「慈善」「ほどこし」は、何時、どのようなかたちで、被差別最下層にまで実現したというのでしょうか。もし、周辺国をも包み込んで「民主主義」が実現できたとすれば、偉大な未来を実現できたも同然です。だが左にあらず。その楼閣は氷山の、しかも最上部の一角に過ぎません。

57年、人種差別廃絶に向けた偉大な第一歩ともてはやされたアメリカ・アーカンソー州セントラル高校の50周年記念に立ち会った9人の黒人立役者(リトル・ロック・ナイン)の一人は、最近のテレビインタビューに答えて「建国以来、アメリカの黒人奴隷とその子孫達に対する人種差別は、いまも変わらない」と断言していました。アメリカ的自由のなかに取り残された人種差別と貧困は、「建て前」と「本音」が演じるパラドックスの競演に過ぎません。

このアメリカ型白人民主主義は、ギリシャ、ローマの奴隷制民主主義と同じ構造にあるといえます。奴隷の子孫達は、鉄鎖のかわりに貨幣というクビキによる貧困を強いられています。労働の自由を代価にして、貧困の自由を与えられているに過ぎません。社会的差別、経済的な最底辺を支える宿命から解放されていません。

世界の球児たちの夢をかき立てる120億円ものアメリカ大リーグの契約金額は、物質的に豊かなアメリカの夢物語の世界というよりも、ケタはずれた資本力が生み出した爛熟した栄華と虚像を連想させずにはおきません。広大な野球スタジアムの現代の主役は、古代ローマの円形競技場の主役・奴隷剣闘士の現代版を連想させます。アメリカ民主主義とは、国内の安定した第一次産業を基盤にし、外縁国や世界からかき集めた物質的冨の楽園に咲いたあだ花でした。サブプライム=バブル危機が、病んだ巨像の真姿かも知れません。「米没落の予兆」いう最近の新聞見出しにもあるように、その域内においても危機と変化が始ろうとしています。

アメリカ白人型民主主義が仮構であるという論拠の一つは、50年代から始った朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争によって、秘めた獣性を露呈したことにも示されています。第1次大戦、第2次大戦、冷戦時代に露出した牙がその証です。経済基盤の劣勢なファッシズム、持たざる國=東欧・ソ連型社会主義・共産主義に対置したアメリカ民主主義は、その思想の実現を可能にするだけの社会構造や経済基盤を確立できたために、相対的に優位に立つことが可能であったに過ぎません。極論すれば、本来ならば物質的下部構造の上に、思想的上部構造がそびえ立つはずですが、逆に経済的権益確保のためにこそ、好都合な論理や空疎な大義をもって思想的手段にしているという転倒した見方さえ可能です。アメリカ文化を代表する思想の浅さと関係するのかも知れません。

アフガニスタンでは「報復」という名の反テロ戦争が7年間も続いています。これに抗する非正規=テロ戦争も頑強に続いています。イスラム原理主義=タリバン政権は崩壊してから6年を経ているにもかかわらず、07年には150件を超えるという、史上最多の「テロ作戦」を展開しています。いまでは国土の3分の1を実効支配しているそうです。

隣国パキスタンでは、ブッシュ政権の圧力の下で、反テロ作戦をはじめています。「イスラム政権の手には核兵器を渡せない」という本音を隠そうともしません。一時的とはいえ、戒厳令を発して司法の独立や、報道の自由を圧殺するという二律背反を演出しています。この二律背反はアメリカ型民主主義の本質です。

例えば、私たちの日本国憲法9条に関しても身近な例をみることができます。いうまでもなく、憲法9条は日本国民が選択したものであって、押しつけられたというべきではありません。だが、アメリカ型民主主義の置きみやげであることも事実です。その日本国憲法は、制定以後の政治的実現過程において見事なパラドックスを演じたのでした。その演目たるや、憲法をめぐるあの「神学論争」に象徴的です。周知の通り、アメリカ型民主主義の申し子=9条は、第1項において「非戦主義」を掲げ、第2項では「軍隊不保持」を掲げています。それでありながら、日米安保条約を締結し、軍隊=自衛隊を持つという政治的リアリズムの道を選択しました。この手品のような政治的選択こそは、「建て前」と「本音」を使い分ける二律背反です。この理念と現実の乖離現象も見事なパラドックスです。

アメリカは、イラクにおいて歴史的な欺瞞を演じました。「大量破壊兵器あり」というデマを口実して、過去の戦争史に例をみないようなやり方で戦争を仕掛け、4年以上も反テロ戦争を続けています。そもそも、フセインのアラブ社会主義とはどんな政治形態だったのでしょうか。専制的支配構造を内包しながらも、反面では政教分離を基礎にした「汎アラブ主義」によって宗派主義を止揚しようとした点で、ある種の過渡的な、歴史的合理性をもった民主主義的政治形態として評価されていました。ところが、ブッシュはイラクにおいても、フセイン打倒とテロ絶滅を建て前にして侵攻しました。その結果、新たなテロの連鎖を生み出し、宗派対立を再現させるという欺瞞と逆説を演じています。このイラク戦争も、アメリカ白人民主主義を実現するという建て前(実は親米政権樹立!)をかざした反テロ戦争です。この反テロ戦争こそは、疑いもなく世界史的な国家テロ=悪魔の戦争(島利行)というべきではないでしょうか。

核問題をめぐる国連における駆け引きをみる限り、アメリカを中心にした大国のエゴイズムとご都合主義が露呈しています。

68年に成立した国連の核不拡散条約(NPT)は、核の「独占的支配協定」というべきです。もし、この決めつけが的はずれと反論したいのであれば、核保有大国は、後発国にたいして「不拡散」を押しつけるべきではありません。まず何よりも自ら「核廃絶」という、人類史に係わる根本的な大命題から取り組むべきです。不拡散問題は、同時並行か後回しにすべきです。また07年の国連総会では「核兵器全廃決議」を14年間連続して採択しました。ところが、今回も決議案に反対票を投じたアメリカは小型核兵器の開発をやめようとしないばかりか、劣化ウラン弾の使用さえも強行しました。「不拡散条約」という表現がその体を表しているように、大国は、既得権を守り、新規参入を拒むという野心を隠そうともしていません。

いま、アフガニスタンでは米英中心の有志連合による「不朽の自由作戦」(OEF)と、国連安保理決議によって創設され、NATO軍を主力にした国連治安支援部隊(ISEF)が軍事活動を展開しています。両者とも「テロとの戦い」を掲げている点で共通していますが、大国による世界支配、既得権益維持、国益志向においても一致しています。さらに、湾岸戦争当時、イラク側が使用した兵器の90%以上が、国連安保理常任理事国=米英中ソ仏からの輸入兵器であったという事実にいたっては、茶番のきわみというべきです。

重要なことは、アメリカが主導するこれらの大国の政治的立場は、次の点でも共通していることです。地球温暖化による生物種絶滅の危機、資源のない國の飢餓や貧困、用済みになった資源国の国土荒廃、単発的地域紛争などに関する無関心です。大国は、既得権益や国益とは無関係な社会的事象に対する無視と無関心を隠そうともしない点でも一致しています。このように世界の「先進国」を自負する大国が掲げる協調路線の真意は、「テロとの戦い」に勝利することが目的であり、支配と秩序の自己貫徹にあることは言うまでもありません。

以上のような大国の利己主義、ご都合主義が、国際政治の表舞台において公然と通用しています。国際協調主義という耳障りの悪くない言葉も、実体は政治的言語としてのみ通用しているに過ぎません。わが民主党の掲げる「国連中心主義論」に関しても、国連政治の現在的な限界性や、本質的な実態解明が必要でしょう。


 4章 試論/拉致問題批判の視座

まず冒頭に、拉致問題に関してアメリカ当局者が日本の新聞に寄稿した結論的な一文の引用するのが、現時点においては妥当かも知れません。議会調査局アジア専門分析官ラリー・ニクシュの『ジャパンパッシング(日本無視)の新たな象徴』と題した寄稿文です、

「日本の拉致問題に関する政策の根幹が揺らいでいる。ブッシュ政権が北朝鮮のテロ支援国家指定解除に向かっているからだ。これは小泉、安倍両政権の戦略的な誤りの帰結であり、日本が新戦略をもつには、その誤りを認識して正すことが不可欠である。・・・第1の誤りは日本が拉致問題を段階的に解決するためのロードマップ(行程表)を持とうともしなかったことだ。・・・日本は完全解決だけを求めたが、これは戦略とはいえない。・・・2番目は、ブッシュ大統領の発言に信頼を置きすぎたことである。・・・3番目は、日本は米国の戦略が変わったにも係わらず六ヶ国協議に完全な支持を与えたことである。北朝鮮に一方的譲歩を迫る『チェイニー・ボルトン戦略』(06年末に崩壊)から、『ライス・ヒル新戦略』に変わったことに最小限の配慮しか払わなかったことだ。日本はいくつかの選択を迫られている。その一つは、米国との同盟関係の在り方に係わるものだ。現在の無批判的ともいえる日米関係を継続するか、欧州と米国の関係に似た『批判的な協力関係』へとシフトさせるかの選択だ」(毎日新聞11/22)。

この引用にみるように拉致問題をめぐる国際政治情勢は、いま大きな変化をみせようとしています。この情勢変化の中で、いま求められていることは、拉致問題に関する本質的な解明です。そのためには、次の5つの関連事件を前提にすべきです。これらの関連事件は、すべて朝鮮半島38度線をめぐって引き起こされた拉致関連事件です。

1,北の政府機関による誘拐事件: @「日本家族拉致事件」、A「韓国家族拉致事件」(約500人近い)、B「南派秘密工作部隊」(数字は明らかではないが、推定万単位)。

2,南の政府機関による誘拐事件: C「金大中拉致事件」(日本に対する主権侵害)、D「北派秘密工作部隊」(韓映画「シルミド」の世界。13000人中、7800人の死亡・行方不明)。 

周知の通り、50年に始った朝鮮戦争は、53年の休戦協定のまま、ごく最近まで厳しい軍事的政治的対立を続けてきました。この間、日本は朝鮮戦争ブームにわきかえり、後方兵站基地であり続け、休戦後も日米安保体制下で、さまざまな対北敵視政策に与してきました。過去の敵対的な暗闘を物語る関連事件は、政治的行為の延長であり、「戦争行為」「作戦の一部」として展開されたものです。拉致作戦は忌むべき最悪の選択手段の一つとはいえ、問題を真に解決していくためには、拉致事件の本質を明らかにすることが必要です。

何故、日本が拉致作戦の作戦舞台になってしまったのか。それは、拉致加害国にとって38度線は冷戦ラインであり、その向こう側に位置している南北半島は戦場に過ぎないからです。また、

 北の側からみれば、南の日本列島は、敵視政策をとる「準交戦国」「米国の一つの州」という当事者(報道官)発言にあるように、厳しい現実認識があります。このような政治的軍事的緊張状態の下にある南北朝鮮の民衆にとっては互いに冷酷非情な民族史の暗部であり、悪夢として映し出されたはずです。しかも、それはかつての日本軍による「70万人強制連行」や、人間の尊厳と人権に係わるものとして、最近のアメリカ議会やEU議会でも議決された「従軍慰安婦問題」などの植民地時代の悪夢と重なったとしても不思議ではありません。そのような記憶を重ねながら、南北朝鮮民衆は、分断されている政治の現実として、拉致問題を直視しようという冷めた向き合い方をしているのではないでしょうか。私たち日本人も、歴史から真の教訓を学ぶためにはこれらの過去の歴史的事実に対して冷静に向き合うことです。

73年に発生した「金大中拉致事件」も、38度線の同じ内側で起きた事件とはいえ、拉致問題を考える上で大きな意味を持っています。この事件は、日本国内で起きた南の政府機関による犯行事件でした。個人への人権侵害であるとともに南の政府機関による、日本領土に対する主権侵害でした。ところが、当時の日本政府はこの金大中事件の隠ぺい工作を看過することによって、犯罪の上塗りをしたのでした。この事実は韓国政府の調査委員会によって最近明らかにされたのですが、当時においても、日本政府の対応は、だれの目にも見え見えでした

この二つの酷似する人権侵害と主権侵害に対して、日本政府の対応は一貫性を欠いていたというよりも、二枚舌でした。一方では隠ぺい工作に加担し、他方では今回の日本家族拉致事件への対応に示されているように、真の解決とは逆方向に走りました。政治的利用主義という、使い分けをしたわけです。つまり、ブッシュ・ネオコン政権は「悪の枢軸論」「先制核攻撃論」をちらつかせながら、日米政権と一体になって、日米安保体制強化=共同司令部の設置など日米軍事一体路線を強化しようとしています。この政治的背景の中で、「拉致事件」は日本国内の対朝鮮敵視感情を高めるうえで格好の材料としてズームアップされたわけです。このような日本政府の外交政策は、冷静さを欠くあまり駄々子よろしく稚戯を演じたというべきです。この稚拙さは、あたかも黒を白といいくるめ、誤りを、正しさに変えることさえ、議会の多数決によって可能であるとばかり、外交についても思い違いをしているのかも知れません。だが、このような理屈上の詐術が通用するのは国内だけです。魔法の手品は、相手がいる外交の場においては通用しません。正しさは普遍的でなければいけないからです。

たしかに、日本の政府や民衆にとって拉致事件は衝撃です。豊で平和な日常に突然襲いかかった蛮行であることは疑いのない事実だからです。であるとすれば、逆に拉致問題に対する冷静な対応が求められるべきです。ところが拉致問題は、安倍内閣が政治的に利用しようとしたことから、重苦しい展開をみせました。安倍首相が拉致問題に熱心なのは「善意」からであったと解釈するのは、見当違いもはなはだしいことです。和製ネオコン首相は、小泉内閣の「ピョンヤン宣言」を反古にし、拉致報道にも加速されて百家争罵を演じることになりました。やがて「拉致→卑劣→けしからん」とばかり、人権侵害事件の次元から反共外交手段にまで押し上げて、経済制裁論や民族排外主義へ収斂させようとしたことは、記憶に新しいことです。

このような日本政府の拉致外交に連動して、日本の拉致家族が、南の拉致家族に共同歩調を申し入れたとのことですが、同意が得られなかったと伝えられています。この拉致問題をめぐる両者の対応の落差を、反日感情と結びつけて解釈するむきもありますが、それも的外れです。拉致行為に対する基本認識の違いに起因しているというべきです。しかも、この対応の落差は、日本の拉致外交が六ヶ国協議や、米朝協議のカヤの外におかれている事実に対応しています。相手にされないのは、冒頭の引用にもあるように、解決への独自の政策理念や政治哲学をもたない日本外交の負の所産に他なりません。拉致当事者や家族は、その犠牲者であり、経済制裁に苦しむ北の民衆も同じです。

北の政権を声高に批判する人達があふれています。その批判は、金世襲政権の独裁的国家体制に向けられています。主要な問題点としては、@世界史的には、国際共産主義運動=ヨーロッパ革命運動の挫折や中ソ対立などの内部矛盾による、一国社会主義への後退という歴史情況を出発点にしていること。A国内的には、反共重攻囲という限定的条件の下で、全民皆兵制を可能にする政治の質=政策路線において体制維持をめざすのではなくて、その対極ともいえる、あの安易なドイツ・ナチズム、日本天皇制ファッシズム=カリスマ型政治にみるような、国内強権支配と先軍路線に依拠した社会主義建設路線を選択したことです。現在的に直面している危機もこの結果といえるでしょう。

しかし、このような政治的批判は当事者性を欠いた、彼岸から発したものです。この主体の非存在という「批判作法」は、既述したような論理において意味を持ちません。拉致問題一つについてみても、せいぜい「私なら、別な作戦を選択する。排外主義を煽るような作戦はとらない」との立場を表明すれば十分ではないでしょうか。誹謗、中傷、弾劾は、敵対と憎悪以外に何をもたらすでしょうか。もちろん、国家体制やその体制がもたらした問題、政策、作戦を批判する自由を否定するものではありません。問題は批判する側の政治的意図です。他者批判が、自己の政治的実践=行動に意味を持たない限り、万言費やしても無意味です。ましてや、その批判の意図が「私は、同調していない、批判者である」という潔白のアリバイ証明ならば、偽善です。

私たちはこれまで拉致問題に限らずあらゆる運動領域において、他者を批判することによって自己を正当化するという手法を多用してきました。この無意味な常套手段は手放すべきです。いま必要なことは、自ら確信する課題や方針を提起し、実践することです。行動のせめぎ合いのなかで正しさを競うべきではないでしょうか。

たとえ米朝の核をめぐる思惑が、政治的背景にあったとしても、対決路線から、対話路線への原点回帰、合意形成を可能にした要因の一つには、分断当事者相互の共通認識だと思います。38度線によって隔てられている分断民族にとって、政治的境界線を挟んで派生した困難な課題を、戦争によらないで、平和的に解決したいという共通認識です。

日朝間では、かつてピョンヤン宣言として確認されました。現在では六ヶ国協議の枠組みで話し合いが進んでいます。日本国内においても転換点を迎えようとしています。では、当事者同士が対座する外交の場において成立する論理とは何でしょうか。以下はある拉致家族の見解です。

「家族らが高齢化していく中で、『圧力』路線に疑問を投げかける家族もいる。体制崩壊ではなくて被害者救出を目指す運動の原点に立ち返るべきだとし、あらゆる手段を講じて解決を図るというのが『対話』路線である」(毎日新聞記者の目・工藤哲、7126)

◇ 結語 

私たちが目指すべき「運動の原点」は、国境を越えた民衆同士の連帯です。民衆連帯の思想とその実践に、両国民衆の運命を託する、という政治理念を高々と掲げることが、国家間の問題や矛盾を止揚する唯一の回路であることを確認すべきです。同時に、この民衆連帯という思想は、9条改憲を許さない運動へ横滑りさせることも出来ます。つまり、どこまでも非戦主義を掲げて民衆連帯を求めて行動することです。その一点において世界の連帯を目指すことが、憲法9条第2項=戦力不保持という理想を堅持しながら、しかも、第1=非戦主義という理想の自己貫徹を保障する唯一の回路です。また、「建前」と「本音」を使い分ける二律背反という政治的リアリズムからの訣別を可能にしてくれます。






(私論.私見)