蔵田計成氏の論考考

 (最新見直し2007.6.17日)

 2007.12.23日、9条改憲阻止の会の蔵田計成氏より「6/15共同行動の意味、 九条改憲を許さない「新しい運動体の創出」に向けて 反テロ戦争を糾弾する民衆の思想―正義性を相対化する視点を問うー」と題したメールが送られてきた。これを検討する。

 6/15共同行動の意味、 九条改憲を許さない「新しい運動体の創出」に向けて
 反テロ戦争を糾弾する民衆の思想 ―正義性を相対化する視点を問うー                    9条改憲阻止の会  藏田計成

はじめに

私たち60年安保闘争世代が、旧い仲間に向けて9条改憲阻止行動への参加を最初に呼びかけたのは、06年4月の「衆議院憲法調査特別委員会」の傍聴でした。参加者は、関西10名、首都圏27名でした。さらに、その2ヶ月後には「615国会請願デモ」を呼びかけました。発送した手紙約800通のうち老壮230名が参加、学生も100名が合流しました。

この日の国会請願デモは、実に46年ぶりの邂逅でした。あの60年安保闘争の当時、私たち全学連の学生は、社共=国民共闘会議指導部の闘争方針を厳しく批判したのでした。「請願=お焼香デモ、ナンセンス!」と痛罵を浴びせ、自らは「国会突入! 国会構内大抗議集会! 実力闘争!」を対置し、代議制議会主義のルールを越えた直接行動によって、「アンポフンサイ」をめざして闘い抜いたのでした。その結果といえるかも知れませんが、最後には、日米安保条約の改訂は許したものの、岸内閣 (前首相安倍晋三の祖父) を退陣に追い込んだのでした。

あの日から半世紀近い歳月を経て、ささやかながら、私達が罵声を浴びせたその「国会請願デモ」を、あえて今回は再現したわけです。だが、それは実に皮肉な歴史の巡り合わせと言うほかありませんでした。わき道のそれてしまいますが、今回、国会前の路上で生じた警備側とのささいな事態が発生した際に、デモに合流した学生諸君に向けて、「主催者の指示に従って欲しい」と声をかけた途端に、「アンポゼンガクレンを忘れたのですか!」とヤジを飛ばされるというハプニングがあました。一瞬、現場当事者の私は、返す言葉に窮してしまったのでした。いうまでもなく請願デモという行動形態は、代議制議会主義における現在の政治的力関係の下では、最大限の意思表示の一つです。有効な抗議行動への最初の第一歩です。やがて、5万、10万、20万の民衆の連帯が政治変革に通じる可能性も否定できません。ただ、今回の現場で不意をついて飛び出した言葉の意味は、ことのほか重い響きをもっていました。

それはともかくとして、私たち老世代を中心にした9条改憲阻止運動は、06年からはじまり、07年「9条改憲を許さない615共同行動」に至るまで、約1年間にわたって展開されました。その結果、今回の615集会宣言に示されたような一つの到達点に立つことができたと思います。今後は、この成果をバネにした9条改憲阻止運動の新たな「運動形態の創出」が求められています。その課題に応えるためにも、過去1年間にわたる運動の成果の内容と意味を確認し、到達点の意味を明らかにしておくことは、有意義だと思います。

和製ネオコン=安倍内閣のウルトラ改憲路線は、参院選の与野党逆転によって一定の迂回局面が生じました。しかし、9条改憲勢力の基本戦略は不変です。安部退陣の意味は、「三年後の発議」という切迫した事態がたんに「微調整」されたに過ぎません。改憲手続法=国民投票法の強行採決によって、本格的攻防の幕は切って落とされました。9条改憲阻止運動の圧倒的民衆のうねりをつくり出して、これを迎え撃つためにも、論点整理やケジメの作業は必要です。

現時点における政治的局面を捉えるうえで見逃せない事実があります。それは、在任中の安倍内閣が、「改憲手続き法」「新教育基本法」など実に14件もの法案を強行採決し、戦後議会史上類をみないような「滞貨一掃=既成事実」をつくりあげ、改憲への本格的な布石を打ち、外堀を埋めてきたという事実です。福田内閣は、その「汚れた遺産の相続人」に過ぎません。「新テロ対策法」にみるように、「国際貢献」「テロとの戦い」を前面に押し立てて、衆議院3分の2再議決による強行突破と、9条改憲の実質的先取りを目論んでいます。その意味で、福田内閣の9条改憲をめざす本質的性格はなんら変わりません。

本稿を起筆した直接の目的は、冒頭部分の第1章「試論/9条改憲を許さない615共同行動の意味」を私自身の立場から明らかにし、9条改憲阻止へ向けた新しい運動体創出への足がかりの一助にすることです。その他、第2章「私論/現代テロリズム批判の根元的意味」、第3章「私論/アメリカの白人=WASP民主主義の虚実」、第4章「私論/拉致問題批判への視座」は、今後の論争を深めていくための試論に過ぎません。結論を急がないで、問題の本質をじっくり解明するための素材を供することにあります。これらの一連の試論が、行動の一致を実現する上で「障害」になるとは考えていません。合意点、相違点、対立点を確かめ合いながら、行動の接点を求めていくための確認点を明らかにしたいと念じています。

 1章  試論/9条改憲を許さない615共同行動の意味

 1,飛躍への出発点「国会前連続ハンスト・座り込み」

07320日から始めた「国会前ハンスト・座り込み」「国会傍聴」には、連続44日間(正味30日)、延べ約1000人以上が参加しました。ハンスト、座り込み、記帳、カンパには、全国津々、30市・郡から参加しました。知友人や、通りがかりの人たちとの見知らぬ者同士が切り結んだ連帯の絆は、9条改憲という「世紀の逆動」に抗う、確実な第一歩でした。確認したい事項は以下の3点です。

@ 国会議事堂の真正面に突きつけた異議申し立ての切っ先は、当初の予想を5倍も6倍も超える運動の拡がりと求心力を発揮したこと。この行動は、その直後に行われた「9条改憲を許さない615共同行動」の成功に直結したこと。さらに、国政に対する直接的異議申し立てという行動形式は、現時点においては、今後の9条改憲阻止への強い意思を表示するうえで、重要な活動手段であり、新しい活動空間になることを実証したこと。

A 私たちをはじめ多くの人達が、院内外に呼応して展開した国会行動が、大きな力になったこと。「改憲手続法(国民投票法)絶対廃案」を主張する衆議院社共反対勢力が248という圧倒的少数派であるにもかかわらず、民主を含めた野党議員は、議席数をはるかに超える健闘ぶりを発揮したこと。このことの意味は、政治的力量がもたらす結果は、たんに数の論理だけに規定されるものではなくて、その道義的・論理的正義が物質力へと転化するという道理の一端を示したこと。

B 9条改憲阻止をめざす元全学連・全自連・全共闘・反戦青年委有志も「44名共同声明」を通じて、「ハンスト/座り込み」への参加を呼びかけたこと。日常を越えた一連の国会前行動は、政治焦点化と、国会の内外を結ぶ「連携のパイプ」の役目を果たすと同時に、「行動は最高のプロパガンダである」という運動の哲理の意味を示したこと。マス・メディアも、中央・地方7紙・1局が報道し、運動の広がりに一役を果たしたこと。

 2,「9条改憲を許さない615共同行動」1200人集会

「国会前ハンスト・座り込み」に続いて展開された615集会・デモ参加者が1200人に達した集会の規模は、社会的政治的な運動体として認知されるに足りるだけの「臨界数値」といえます。その理由は、評価に耐えうる数値という点にあります。現在のような限定的な社会情況下においては、その規模が「仲間内」の範囲を越えた社会的政治的運動体としての広がり、影響力、可能性をもった運動体であるという「評価」を下すうえで、ギリギリの数値だと思えるからです。その意味で、「9条改憲阻止!」を唯一のスローガンに掲げた今回の6/15共同行動は、今後の運動体創出に向けた飛躍の出発点になりえたかも知れません。

 3,個への原点回帰

今回の615共同行動の意味は、老壮青を含めた、肩書きを持たない667名の「呼びかけ人」が集会を主催し、参加を呼びかけ、一人ひとりが運動の主役を演じることによって、運動主体における個への原点回帰を実現したことです。とくに、運動主体の側が政治的にも、社会的にも大きな困難を余儀なくされているなかで、これを克服するためには、「個への原点回帰」によって運動再生への手がかりにすべきだという思いは、多くの人達の共通な認識になっているのではないかと思います。その意味で運動再生への契機となった6/15共同行動は、運動を推進する側の主体のあり方=運動の質を問うという点において、また、今後につなげる課題を提起するという点においても、納得のいく水準を実現することができたと考えます。今回の成功を踏まえて、他の運動体や政治的諸潮流との相互の係わり方も問われています。「先行する運動に学び、連帯し、運動の輪を広げてきたいと思います」(集会宣言)という基本的な立場をふまえて、運動体を作りあげるための「多重な相関性」は、今後の重要な実践課題だといえます。

 4,小異を残して、大同路線の確立を!

今回の成果をもたらした要因の一つは、大同路線の実現でした。9条改憲阻止という唯一の行動目標を実現していくために「小異を残して、大同につく」という運動理念を全体で確認したことでした。この骨格ともいえる「組織理念」は、以下3点に要約できます。

@ 諸潮流や諸党派が体現する政治主張、路線、価値観は多様性を極めていること。この立場の違いを、運動内部の異質性として「排除」するのではなくて、「混在」している事実を認め合うこと。この大同理念の獲得によって広範な諸力を糾合する途が開けるし、連帯も可能になること。

A 運動全体の利益を最優先させた行動の一致が実現可能になること。理念上ではなくて、実践的に運動内部で派生する矛盾を克服し、対立を越えて前進する糸口がつかめること。

B 個への原点回帰に加えて、この運動組織路線の実現が、9条改憲阻止運動の大衆的拡がりと、国民的多数派形成(3500万人多数派形成)の二大条件であること。

以上のような運動路線を打ち出すことができた社会的背景には、現在の歴史の大逆動に対する危機意識と、その流れを止めたいという決意性が根底に存在しているのは当然です。

さらに政治的背景としては、運動主体の側が自ら露呈してしまった過去の運動の否定的側面があります。いまでは党派組織を離脱しているとはいえ、各自各様の自己史を背負っているやに思われます。それは過去半世紀以上の階級闘争の歴史過程においてもたらされた綱領主義、路線主義、スローガン主義にみる悪しき政治的外化ともいうべき自己絶対化、党派主義、内ゲバ、党派利用主義などに示された「負の遺産」に対する自己反省です。また、同時代に生きた激動の歴史をなんらかの形で共有した者としての歴史責任を引き受けようとする、過去の体験への反省に根ざした自己確認です。このような経験を持つ人達にとっても、個への原点回帰や大同路線は、運動の本来の原則に立ち返ることを相互確認するうえで有意義なことでした。それだけには止まりません。ある一つの運動が体現する利害が、特定な個別政治集団や党派の利害を体現するのではなくて、運動全体の利害を体現すべきであるという合意形成を、広く作り上げることを可能にしました。このような運動上の理念を不十分ながらも確認できたとすれば、明日からの運動が社会的信頼性を獲得し、新しい運動のうねりをつくり出すうえで大きな意義があったと思います。

5,再生する人間関係

@ 今回の615共同行動に参加した幾人かは、「よかった」「何かが創り出せるかも知れない」という「安堵感」「期待感」を表明しました。その「安堵感」「期待感」の根拠としては、個人参加という形式に対する主催者側の「こだわり」、「誰でも参加できる運動」への配慮、集会議事内容に関する工夫、党派主義がもたらした過去の敗北を教訓にしようという意欲的なこころみなど、多くの参加者が感じ取ったことを指摘していました。参加者が感じとったこのような評価は、集会主催者とはある程度の距離を置いて「様子見」とばかり参加した人達をふくめて、今後への新たな合流を期待させてくれます。

A 過去の二つの集会(06年:6/15国会請願デモ,10/21国際反戦デー、9条改憲阻止、銀座デモ、街頭トーク)でみることができた類似の光景が規模を拡大して、会場内の随所で目撃されました。その光景とは、過ぎたしがらみを越えて集会参加を実現したという事実です。過去・現在の政治的対立を背景にしたあからさまな感情的忌避現象や、過去の政治的対立のなかで互いに離反した何十人もの人たちが、対立、分裂、離散をこえて信頼感を取り戻す手がかりをつかみ、久しぶりに集会に参加し、同一のスローガンのもとで行動を共にしたという事実です。いうまでもなく、このような事態の現出は、過去の二つの集会を経るという手順を踏むことによってはじめて可能でした。しかも、「9条改憲阻止」という共通な政治目標を実現することへの強い決意性に裏打ちされているために実現したことです。このように政治的実践を媒介にして再生される人間関係の質的変化は瞠目すべきでした。

 6,運動創出への求心力と広がり

昨年の615国会請願デモを呼びかた際に、呼びかけ主体が「60年安保全学連」「特定党派=ブント系新左翼」と目されることによって「運動の幅を狭める」という危惧が指摘されました。しかし、運動を推進する人達のなかに、危惧されるようなグループや、傾向をもった人達が実体として存在しているわけではありませんでした。実際に、それを自認できるような人は片手にも満たないくらいかどうか、といった程度でした。そもそも、「安保全学連」は遠い歴史の彼方です。現状認識の色合いもさまざまです。行動への参加を呼びかけた対象は、ほとんど個人的つながりでした。その事実を裏付ける物証というわけではありませんが、最近に至るまで、集会、デモ、会議の参加予想数は、事前に用意した資料が不足したことはあっても、余る事態はないくらい、例外なく誤差の範囲で的中しています。

実際の活動実体は、以上のようなものでした。にもかかわらず、先のような指摘を受けて、ひたすら政治的色彩にまつわる要因を一掃するために誠実な努力を続けてきました。さらに、運動に係わる諸潮流や諸党派の係わり方や、運動の原則的な在り方を鮮明にしました。相互の関係性の結び方を含めて、「意見の一致点よりも相違点を強調し、ある場合には暴力的対立抗争に及ぶという傾向」は有害無益である、という集会宣言を確認しました。その結果、6/15共同行動への参加者の多くは、9条改憲阻止への新たな模索、期待、決意をたしかめ合う足場を実現できたと思います。別な言い方をすれば、新しい連帯を志向する運動体創出への「求心力」ともいうべき、手応えと熱気を感じとったのではないでしょうか。

7,「今風の老人一揆論」の世代的特化への根拠

 60年安保闘争世代を中心にした「老世代」が、運動の呼びかけ主体として登場した歴史的背景には、二つの要因があります。

@       第二次大戦の戦中・戦後体験を通過した世代の8割が、非戦・反戦・平和・人道・護憲主義の立場から、9条改憲に反対しているという事実、

A       60年安保闘争の激闘のなかで、戦後民主主義、日米軍事同盟をめぐる政治的原体験を世代的に共有しているという事実。

私たちの「今風の老人一揆」は、このような基底認識をバネにしながら、半世紀近くにわたる成長経済時代を通過し、それを支えた時代の証しとして、現在進行している破局的な歴史状況への危機意識に結びついています。とくに、現代の妖怪ともいうべきグローバリズム=現代世界帝国主義・資本主義・市場原理主義が、いま体制、国境、民族、宗教、文化のカベを突き破り、世界を徘徊しています。その妖怪がもたらす国際的・国内的な構造的な収奪、貧困、格差、差別、それを「安全」「保証」するために進展している社会的、政治的、軍事的支配・抑圧体制がもたらす矛盾が、世界の隅々で噴出しています。

経済大国日本にも、グローバリズム、市場原理主義の大波が押し寄せ、社会的底辺層を直撃しています。地域格差、農村破壊、派遣労働・パート・ニート、ワーキング・プワーの増大。その他にも、アメリカ政府「年次改革要望書」を受けた郵政解体や郵貯のドル市場への解放、福祉圧縮などが目白押しです。改革という名による「医療破壊」も進行中です。「小泉前内閣と安倍内閣は、アメリカ政府の要求を受け入れ、日本の医療をアメリカの巨大独占資本の餌食にしてしまおうとしている。売国政策を行っているのだ」(『アメリカに使い捨てられる日本』森田実)と指摘されるように、医療患者は負担増を強いられ、老人医療は切り捨てられ、多くの国民が弱肉強食に翻弄されて生存の危機にさらされています。

このような世界的規模で進行している危機的変動と軌を一にするかのように、政治的再編が進められています。日米安保体制の政治的・軍事的再編・強化が重要な課題として浮上しています。その一つの政治的帰結が日本国憲法9条改憲だといえます。その狙いはいうまでもありません。「戦争ができる国造り」「軍事貢献ができる憲法」です。この9条改憲への危険なこころみは、過去から現在につながる歴史への全否定を意味します。第二次大戦の反省を出発点にして戦後史を生き抜いてきた老世代にとっては、9条改悪は到底受け入れがたいことです。もし改憲策動を許してしまえば、悔いは「あの世」にまで引きずることになるでしょう。戦前のような「戦時国家体制」への変貌は、断じて許せません。私達の行動は、その歴史の逆動に対する「異議申し立て」です。この老いの一徹は、人間的尊厳の自己主張です。やがて「老いの輝き」となって明日を照らしてくれるものと信じています。

8,壮青世代、孫世代との縦の連帯と結合

世代論的テーマの一つは、壮世代、青世代の他に孫世代を加えた、四世代にわたる「縦の連帯」の問題です。今回はじめて「老世代」から「壮・青・孫世代」という縦世代への働きかけが、部分的にせよ実現したことは、きわめて有意義でした。老世代が共有する歴史的経験や運動の広がりが、そのまま「壮・青世代」に向けた共感への足がかりを期待させてくれます。この世代間の交流をさらに促進するためにも、老世代は経験、知恵、老躯を活かして、他の世代への連帯を求めていきたいと思います。運動の遡源をより豊かにするために、9条を貫く理念=平和主義こそは、人が人の命を奪うことを許さないという人間主義に基づく「非戦主義」であることを行動によって確かめ合うことは有意義です。その意味でも、9条改憲阻止行動がもつ論理的意味や根拠を深めていくことは、運動の発展に不可欠であり、重要です。改憲派の邪悪な論理を圧倒することによって、9条改憲を許さない「国民大連合」への道は、はじめて可能です。

9,「樺美智子を忘れぬ人ら国会より戻りてひらく護憲集会」(朝日新聞「歌壇」07年7/16

ここに引用した朝日歌壇の選者・佐佐木幸綱さんは、以下のようなコメントを付記しています。「第3首:樺美智子さんは60年安保闘争における学生と警官隊の衝突のさなかに死亡した。6月15日、国会南通用門付近のことで、衝撃的な死であった」。この短いコメントに込められているメディアの立場が、私たちの9条改憲阻止運動を記事にしたマス・メディアの側の一つの視点であり、基準ではないかと思います。同時にこの評価基準は、私達の側にある6/15への社会的評価にも通じることです。メディアが示した基準の意味は、歴史化された60年安保闘争と結びつけることによって、間接的に9条改憲阻止運動への社会的評価を下しているといえます。このことに関して、若干補足しておきます。

今回の「9条改憲を許さない6/15共同行動」を準備する過程では、60年安保全学連色を薄めるために、「615日」という日程の設定に関してさえも、半日近い討論時間の大半を費やしました。最後には、「今回にかぎり、多数決による採決」という前例のない形式を経て、「6月15日開催」を決定しました。また、先に触れたように「60年安保ノスタルジア」「615トラウマ」という運動の政治的位置付けに関する一部からの批判を考慮して、「9条改憲阻止」をメイン・スローガンに絞り込み、「樺美智子追悼」に関しては会場の遺影にとどめ、60年安保全学連色を控えることにしました。その結果かどうかは定かではありませんが、今回の615に関するマス・メディアの掲載記事は、上記の歌壇だけという結果に終わりました。

例えば、今回の615に関する報道結果を過去1年間の報道結果と比べてみると、扱い方の落差は明白でした。前回の6/15は、60年安保全学連世代による運動という視点を前面に掲げることによって、マス・メディアは大きく報道しました。また、先にみたように、3月〜5月の「改憲手続き法阻止・国会前連続ハンスト・座り込み」開始の前日には、「44名共同声明」を発表し、メディアを通じて社会的関心を集めることができました。以上のようなメディア情況にみる動向は、記者個人の主観的意図とは無関係に、現象の本質に迫る仕組みを失ったマス・メディアが陥っている現在的危機の一端ではないかと思います。 


【れんだいこが、蔵田氏の営為を評す】
 れんだいこは、蔵田氏のこたびのメール内容に対して、その出来映えを問う以前にその労をねぎらいたいと思う。現代は、事象の概念的把握、思想的意味づけが価値を失い、徒に時勢の流れに埋没している冗漫な時代である。この時に、齢70才を過ぎて意気軒昂に、かってのような思想で時代を捉える営為に向かっていることは貴重ではなかろうか。

 人は云う、「思想で時代を捉える時代は終わった。それは却って危険である」と。れんだいこは、そうは思わない。人が、時代を思想で捉えるのは、人としての本能的営為であり、幾ら徒労で終わろうとも何度も向かわねばならない。問題は、その営為にあるのではなく、従前の思想の欠陥にあると。時代が降下して見えて来た時点で何度も挑み、よりあり得べきものを創造せねばならない。いわば、これが思想の弁証法であり、この弁証法に挑まねばならない。そう考えるれんだいこは、蔵田氏の営為に賛辞を惜しまない。

 かく観点を確立して、論の中身に立ち入らねばならない。蔵田氏は、その1で、「6.15共同運動の意義」を問うている。それは、60年安保闘争よりまもなく50年になろうとするこの時点で、政治的情況が少しも好転していないという否定的総括を裏事情として、日本左派運動の能力を問うところから始発しているように思われる。我々が、何を克服して新運動に乗り出さねばならないのか、を問おうとしているように思われる。

 この観点は至極当然の評価されるべきものではなかろうか。その第一克服として「小異を捨て大同に就く共同戦線運動の創出」を目指そうとしている。これは、何気ないことのように思われるが、俗流マルクス主義に胚胎した統一戦乱理論の否定であり、理論的に大いに価値ある提起であるように思われる。

 日本左派運動は、この間数多くの大衆団体とその運動を創出してきたが、党派のくびきに置く統一戦線理論に支えられたものでしかなく、各党派がそれをやるのでセクト的宗派的な域を出ることができなかった。これを反省するならば、大衆団体とその運動に一定の「自由、自主、自律」を与えた上で、その運動体と各党派が結合するような共同戦線理論に支えられる運動へと転換させねばならないのではなかろうか。

 「6.15共同運動」派の「小異を捨て大同に就く共同戦線運動の創出」提言は、その意味で価値があると思う。遅まきながら、漸く生まれ出てきたという感じがする。これを提唱するに至ったのが第一次ブント派であり、ブントらしいと思う。

 蔵田氏は、その2で、「運動圏内から暴力を排し、反政府運動に於いても暴力的運動を抑制する運動の創出」を目指そうとしている。これも、何気ないことのように思われるが、この結論に至るまでには夥しい「血の代価」が支払われていることを知る必要があろう。

 れんだいこが敢えて云えば、単にかく提起するだけでなく、「共同戦線理論に立つことのできない宗派による他党派解体ゲバルト主義」に抗する「共同戦線理論に立つ左派運動擁護ゲバルト」の必要を意思一致させるべき必要があるのではなかろうか。この違いは、ミソとクソとの違いであろう。これを弁えずの一般的な暴力反対は稔らないだろう。

 問題は、正義ゲバルトと性悪ゲバルトを誰が識別するのかにあろう。ひれが出来ないからと云うのではいつまでたっても事態が解決し無い。ここに智恵が無ければならず、各党派、大衆団体代表による審議会が常設され、この問題を吟味裁定すべきだろう。左派運動が、この能力を獲得していないことに、左派運動の限界と衰退が見て取れると思う。

 れんだいこの見るところ、戦後左派運動は、いわゆる共同戦線派が牛耳るところを、統一戦線派に主導権を奪われ、統一戦線派が各党派ごとにミニチュアな運動を展開してきたところに貧困が宿されていると見る。そうと気づけば、共同戦線派が主導権取り返しに向かわねばならないし、そろそろ向かう時期だろうと思う。統一戦線派の棲み分け的な矮小運動は既に見飽きたではないか。

 「6.15共同運動」派は、その3で、そういう左派共同戦線の元始まりの日を6.15に設定し、運動を開始している。60年安保闘争に於ける国会構内と突入と悲劇の樺美智子の死のこの日を基点にしようとしている。れんだいこは、それで良いと思う。日共系が、その理論に随えば首肯し難しのところ、宜しき理解を得て既にこの運動が開始しされている。これはすばらしいことではなかろうか。

 以上より、 「6.15共同運動」の意義は大きい。問題は、この後、どのように育まれ、その理論と運動を発展せしめていくかにあろう。

 2007.12.24日 れんだいこ拝




(私論.私見)