田中正明氏は、著書「南京事件の総括 虐殺否定の15の論拠」(謙光社)の中で次のように記している。
昭和58年5月、講談社が実質的な主催者となって、長編記録映画『東京裁判』が公開されたのを機に2日間にわたる国際シンポジュームが開かれた。このシンポジュームに参加したのは、オランダ代表判事レーリンク博士、西独ルール大学々長イプセン博士はじめ、米マサチューセッツ大学マイニア教授、ロンドン大学ジョン・プリチャード教授、ソ連のルニョフ教授、ビルマのタン・トゥン教授、韓国ソウル大学白忠鉉教授、中国南開大学愈惇惇教授、その他東京裁判の弁護人ファーネス氏、補佐弁護人瀧川政次郎博士等々、そうそうたるメンバーで、日本の司会者は細谷千博(一橋大名誉教授)、安藤仁介(神戸大教授)大沼保昭(東大助教授)の三氏、その他に児島襄、栗屋憲太郎、秦郁彦、鶴見俊輔、木下順二、家永三郎氏らがパネラーとして発言した。
この国際シンポジュームは、東京裁判の違法性を公然と批判した点で画期的意義をもつものであった。イプセン博士は、「侵略戦争は第二次世界大戦当時、そして現在でも、国際法上の“犯罪”とはされていない。不戦条約の起草者たる米国務長官ケロッグは、戦争が自衛的か侵攻的かは関係各国が自ら決定すべき事項で、裁判所等がにんていすべきものでない」と言明し、さらに「東京裁判以後の推移をみても、遺憾ながら東京裁判が裁いた法は、条約法によって再認識されてもないし、慣習法に発達させられてもいない。大多数の国家は現在でも、国際法上の犯罪に対する個人責任を認める用意ができていない」と述べた。
マイニア教授は「東京裁判は単に正義の戯画化であっただけではなく、20年後ベトナム戦争への誤りの道を開いた」と指摘した。レーリンク博士は「インドのパール博士の主張に私は当時から敬意を抱いていた」と述べ、「日本が行った戦争は、アジアを西欧列強の植民地支配から解放するためのものであって、犯罪としての侵略戦争ではない」と語った。そして日本側の提出した証拠はほとんど却下され、裁判は不当・不公正なものであったと述べた。この席上、例の家永三郎氏もこの空気におされてか、東京裁判の不当・不公正について、これを認める発言をしたほどであった。
私が言いたいのは、このように世界の有識者、ことに権威ある国際法学者が否定し、マッカーサーもその誤りを認め、パールの言う「復讐の欲望を満たすために、たんに法律的な手続きを踏んだにすぎないような・・・・こんな儀式化された復讐裁判」と言っている東京裁判を、日本の政治家やマスコミや歴史学者、教育者までが信奉し、戦後52年を経ていまだに東京裁判史観の呪縛から脱し得ないでいるこの日本の情けない自虐意識についてである。
日本は15年間にわたって近隣諸国を侵略し、暴虐のかぎりをつくした犯罪国家である。近隣諸国、ことに中韓両国から教科書を修正せよと干渉されれば、はい。かしこまりました、とばかりにこれに従う、靖国神社にA級戦犯が合祀されている、首相がこのような神社に公式参拝するとはなにごと、と言われれば、参拝はとりやめる。「南京事件」ではいけない「南京大虐殺」に修正せよ、「真相究明のために、史料や関係者の聞き書きなどの検討がつづけられている」ではあいまいだ、“大虐殺”は概定の事実である。「国際的に非難を受けた」にせよと言われれば、「はい」といって一言の反論も抗弁もなくこれに従う。文部大臣が「日韓合併は、韓国側にもやはり幾らかの責任なり、考えるべき点はあると思うんです」と発言すれば、その発言を国民が活字で見る前に、韓国に通報され、韓国のお叱りで文相のクビがとぶ。首相がわざわざ韓国まで出向いてお詫びをする。しかも中曽根元首相は、議会の答弁で、中国に対する侵略は否定できないと、自国の戦争を侵略戦争だと公言してはばからない。
護国の盾として、尊い生命を捧げた幾十万の靖国の英霊を、侵略の手先だ、ないしは侵略の犠牲者だ、犬死にだと言われるのか。いまや日本は、言論の自由さえも奪われ、独立主権国家としてのアイデンティティも失い、史上類例をみない自虐的な、祖国呪縛のなさけない国になり下がってしまった感がある。「東京裁判の虚妄は原爆の被害より甚大である」とパール博士は道破したが、政界もマスコミも教育界も、戦後52年、いまだに東京裁判史観シンドロームに押し流されて、立ち直る気配さえ感じられないのは、いったいどうしたことか? |
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