日本にとっては自存自衛の「いくさ」であった。戦争行為を美化しようというのでは決してありません。しかし、一つの国がその存続を賭けて決断し敢えて「いくさ」の道を選択したのです、最後の外交手段として。 もし誤りがあったとすれば、それは日本が「いくさ」に敗れた事であり、決して戦った事ではありません! 戦勝国の理屈のみによって我が国のみが断罪され続ける謂れはありません。
極東国際軍事裁判(東京裁判)および亜細亜一帯で行われた軍事裁判とは連合国による日本への復讐と弱体化を目的とし、一見合法的に見える様にする為の悪意に満ち溢れた茶番劇であり、後に連合国側関係者も誤りであった事を認めている。国際法の見地からは二度とあってはならない悪例とされている。
そんな中ではじまったのが、極東軍事裁判でした。この裁判は、「関係当事者が裁判をする」という前代未聞の「裁判」です。本来、裁判というものは「当事者ではない客観的な第三者によって行われる」公平なものであるべきなのに、この東京裁判には、そうした公平さも客観性もなく、単なる「復讐劇」「私刑(リンチ)」というのが本質でした。
わかりやすくいうなら、「原告」と「被告」という「関係当事者」がいて、その原告の訴えを、客観的な第三者である「検察」「弁護人」が冷静に検証して、被告に「判決」を下します。これがおおよその「裁判」のあるべき形です。「私刑」というのは、検察も弁護人もなく、「当事者」の間だけで、つまり力関係でどうにでもなる「判決」をくだす、ひどく不公平なものなのです。
アメリカは開拓時代、何か問題がおきると、西部劇などでおなじみのように「私刑」によって裁き、「吊るし首」という見せしめ刑を行いました。馬泥棒だと嫌疑がかかれば、容疑者の言い分もなく、ただちに縛り首です。現代では、そうして処刑された人たちの中に、多くの無実の罪で殺された人がいることがわかって、大きな問題となっています。
こうした「吊るし首」のような野蛮な私刑がさかんに行われるのは、開拓している最中のような若くて新しい国によく見られることなのです。
「極東軍事裁判」は、この「吊るし首リンチ」を、アメリカが日本に対して、国際裁判の名目でやったことです。リンチですから「容疑者」を「犯人」にするいいがかりも思いのままです。「戦犯」という罪状をでっちあげたのもそれでした。
この「戦犯」の概念には、同じ連合国の中国、ソ連、イギリスも、必ずしも納得したわけではありません。よく、中国やソ連が、「天皇を戦犯として処刑せよ」と強く迫ったといわれます。ですが、本当はちがうのです。両国が言ったのは「もし戦犯という概念が成立するのであれば、戦犯は天皇以外にはありえない」という、仮定の上での趣旨でした。
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