428473111 「ホロコースト(Holocaust)論争」とは

 (最新見直し2005.12.17日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 認識は進化する。「ホロコースト問題」も典型的なその一つであろう。これにつき太田龍氏は「時事寸評」で適宜、「ホロコーストはネオ・シオニズムの作り事」として一刀両断している。1995年初頭、文芸春秋社の月刊誌「マルコポーロ」2月号は、内科医師・西岡昌紀(まさのり)氏の10ページにわたる寄稿文「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」を掲載し物議を醸した。「帝国電網省」の主宰者竹下義朗氏は、西岡論を請け、「歴史再考」「ナチスは『ホロコースト』等していない!! ─『ユダヤ人600万人虐殺』の真実」で、同様見解を発表している。

 更に、「流布されてきた史実の虚構」を精力的に暴き続けているのがインターネット界の梟雄・木村愛二氏である。そのサイト
「憎まれ口」に収録されている「ホロコースト神話」「アウシュヴィッツの争点」「偽イスラエル政治神話」に詳しい。

 木村氏は、「史実偽造のホロコースト・プログラミング」を告発している。「件名 :Re: NHK戦争責任シリーズ」で次のように述べている。
 「『人道に対する罪』の考案者は、シオニストのユダヤ人の弁護士です。目的は、泥棒(ナチ)の上米をはねるイスラエルの建国、アラブ人の土地への侵略の口実作りでした」。

 れんだいこは、「ホロコースト問題」には疎い。なぜなら、原文は英独語であるからして、その能力の無いれんだいこは避けざるを得ないからである。こういう場合、庶民の知恵を発揮せねばならない。どなたか信頼に足りる方を見つけ、その人士の言に耳を傾けることである。れんだいこは、上述の人士の言に信を置き、その説を紐解く。他にこれより勝れた方法がありや。

 2004.5月現在、思わぬところから「ホロコースト問題」がクローズアップされつつある。占領米英軍によるイラク人捕虜虐待の様子が露見しつつあるが、その虐待の様子がかってのナチス手法との近似性が注目されはじめ、否、ナチス手法というよりユダヤ人独特の他民族蔑視思想に基づく伝統的テロリズムそのものではないか、というところにまで発展しつつある。こうなると、改めて「ホロコースト問題」に言及せざるを得なくなるのも勢いであろう。   

 2005.12.8日、イランのアフマディネジャド大統領が、ホロコースト疑義発言をものし、同12.14日、「ユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)は作り話だ」と断言した。2005.12.17日現在、国際世論が沸騰しつつある。

 2004.5.25日、2005.12.17日再編集 れんだいこ拝


【「歴史修正主義」(historical revisionism、 revisionisme historique)考】
 西欧史学において「歴史の見直し」機運が生まれているようである。その嚆矢がいつであるのかは不明であるが、強力に台頭しつつあるとのことである。彼らは、「歴史修正主義」(historical revisionism, revisionisme historique)的立場を標榜しており、右翼左翼を問わず発生している。その背景には、第二次世界大戦をファシズム対民主主義の闘いとして映し出し、ご都合主義的な反戦平和運動をプロパガンダし続けてきたネオ・シオニズム的歴史観との確執があるように思われる。そういう意味では、「歴史再検証主義」と命名するのが正しいように思われる。「歴史再検証主義」とは、ネオ・シオニズム的修正歴史観の再修正運動であり、その限りで「歴史の見直し」運動ということになる。こうなると、「歴史再検証主義」と云う方が適切であろう。

 その最大の論点が「ホロコースト問題」である。ネオ・シオニズム的歴史観は、ナチスの蛮行を史上未曾有のそれとして確認し、人類が二度とこの災禍に見舞われないよう努力することが責務であるとし、この観点からの史実確認、歴史教育を推進しようとする。これに対し、「歴史再検証主義」的歴史観は、概ね「ナチスによる迫害の残虐を希釈」し、ネオ・シオニズム的歴史観に拠るホロコーストの実在を否定しようとしている。

 その否定の様は、1・「ガス室はなかった」とする徹底否定派、2・「ガス室は確かにあった。だがそれはずっと小規模なものだ」なる中間派、3・「ガス室はあった。だがドイツ国民は知らなかったし、戦争につきもののことであり過度に責任を負わされるものではない」とする希釈派の三派から構成されている。

 2005.12.17日再編集 れんだいこ拝

【「ホロコーストの原義考」】
 ホロコーストの原義は一般に、「焼き殺す」という意味を持つ用語とされている。「阿修羅議論・雑談5」の2002.11.20日付けあっしら氏の「『ホロコースト600万人誇張説』について」に貴重情報が開示されているのでこれを紹介しておく。「ホロコーストという呼び方」と題して次のように述べている。

 ナチスのユダヤ人迫害及び虐殺を“ホロコースト”と呼ぶことに疑念を感じている。(戦後アメリカの誰かがこの言葉を使い始めたようである)

 一般的には、ホロコーストを“民族大虐殺”の呼び名だと受け止めている。しかし、セム系宗教に造詣が深い人であれば、ホロコーストを“人身御供(人の生け贄)”だと受け止めるはずである。ヘブライ人やフェニキア人などが新年祭で行った「全燔祭」のことをホロコーストと言う。

 新年祭では様々な生け贄が供犠所で捧げられたが、最大の生け贄が人間だった。「初子」や子供、そして、数日間統治者と同じような豪奢な生活を一時的にさせてもらった奴隷が統治者の身代わりとして犠牲になった。

 全燔祭(ホロコースト)は、共同体=国家に降りかかった災厄の除去を願ったり、共同体や個人が犯した過ちの贖罪としてであり、さらには、共同体の今年の隆盛を祈願するものだったと言われている。

 旧約聖書(創世記)に次の件が記されていると云う。ユダヤ民族の直接の父祖・アブラハムはある日、神(エホバ)から「一人息子のイサクを山の上でホロコーストしろ」との命令を受け、指示通りにイサクを祭壇の上で殺して燃やそうとしたその刹那、「ストップ、ストップ、お前の信仰の深さはよくわかった。愛する一人息子さえ疑問ももたずに犠牲にするその覚悟は天晴れだ、もうイサクを殺して燃やすには及ばない」との天の声があって、めでたしめでたしとなった、という逸話である。このエピソードには身内(一人息子)でさえ、偉大な大義(神の意志)のために犠牲にする覚悟を持っていることの美徳が描かれている。旧約聖書の中でも最も有名なこの逸話の存在ゆえに、「ホロコースト」という言葉には常に「身内でも犠牲にする精神」という概念がつきまとうことになる。

 ナチスによるユダヤ教徒迫害をホロコースト(全燔祭)と呼んだ人が、このようなことを知らないはずはない。ナチスのユダヤ人虐殺を、なぜユダヤ人にとっても神聖なホロコースト(全燔祭)と名付けたのかという疑念を持っている。

 ナチスに虐殺された人々は、なにかの贖罪や祈願のための犠牲だったのだろうか。(ナチスドイツが、薪であり炎であったり、捧げる主体でもあったかもしれないが、「ホロコースト」の名付け親ではないことは確かである)

 (私論.私見) 「ホロコーストの原義考」

 これは貴重な指摘である。「ホロコースト」の原義について、れんだいこは知りたかったけれども知らなかった。ここではっきりと教えられたことになる。それによれば、「ホロコースト」の本来の意味は、ユダヤ教世界における祭儀の際の「人身御供(生け贄)」を指しており、その「人身御供(生け贄)」という犠牲を払うことにより共同体の災厄の除去、贖罪、隆盛を祈願する行為を総称して「ホロコースト」と呼ぶ、ということになる。

 さて、こうなると、「ナチスによるユダヤ人大量虐殺」を指して、宗教上の「ホロコースト」の原義を正しく踏まえて「ホロコースト」と命名した命名者の意識が詮索されねばならないことになる。命名者は、「ホロコースト」の原義に基づいて「ナチスによるユダヤ人大量虐殺」に対して「ホロコースト」と命名しているからには、「ナチスにより大量虐殺されたユダヤ人が何の犠牲に供されたのか」という意味が詮索されねばならないことになる。ここが問われないままにナチスのユダヤ人迫害及び虐殺をホロコーストと呼んで済ますのは片手落ちであろう。

 「ナチスにより大量虐殺されたユダヤ人は何の犠牲に供されたとみなされているのか」。これは、シオニズムのユダヤ王国再建思想を媒介せずには解けないのではなかろうか。即ち、ネオ・シオニズムの世界支配計画に政治的供えられた生贄と窺うべきではなかろうか。こういう風に考えると、ユダヤ教におけるホロコーストの原義を知らずに「ナチス犯罪ホロコースト」をプロパガンダされ、操られることこそ危険ということになろう。

 2004.10.21日 れんだいこ拝
 (私論.私見) 「ホロコースト論の偽リトマス試験紙考」

 「ホロコースト」は、ユダヤ教の正式な教義用語であり、「祭儀の際の人身御供(人の生け贄)」を指している。命名者は当然その語義に基づき「ホロコースト」を認識している。然しながら、異教徒に対してはその宗教的隠喩を隠して単に戦後反戦平和運動の誓いの起点としてプロパガンダされることになった。そのことにより、「ホロコーストの教訓」がリトマス試験紙の役割を担うことになった。

 問題は、「ホロコースト」がナチスによるユダヤ人600万人の組織的虐殺という伝えられる内容が偽であった場合にどうなるかである。当然、「ホロコーストの教訓」は偽リトマス試験紙の役割を担うことになる。こちらの方が真相ということになると、世のホロコースト論者は、その偽リトマス試験紙に則って阿諛追従していることになる。

 この阿諛追従の出来映えで博士号が授与され、その博士号の権威で更なるホロコースト論プロパガンダが流布されているということになる。これが実相だとしたらネオ・シオニズム教学に基づく学問の世界のお粗末さが見えてこよう。

 2005.4.4日 れんだいこ拝

【通説「ホロコースト」の定義】
 通説「ホロコースト」は次の通りである。上記の「宗教的生贄犠牲説の真意」を顧慮することなく専ら「虐殺被害の実態」についてのみ注目し論述している。

 「ホロコースト記念館について」では、ホロコーストを次のように説明している。
 「第2次世界大戦中のヨーロッパで、ただユダヤ人であるという理由で600万の生命が奪われました。彼らはいわれのない差別と迫害を受け、ガス室などで無残に虐殺されていきました。その中には150万もの子供たちが含まれていたのです」。

 しかしこれでは漠然としすぎている。「帝国電網省」の主宰者竹下義朗氏は、「歴史再考」「ナチスは『ホロコースト』等していない!! ─『ユダヤ人600万人虐殺』の真実」で次のように要領よく纏めているので参照する。概要次のように云える。
 「ホロコースト」とは、ヒトラー率いるナチスが、当時、迫害の対象としていたユダヤ人を、アウシュウィッツ等の「絶滅収容所」に収容、処刑用ガス室において、実に600万人にも及ぶ大量殺人を行ったとされるものです。第二次世界大戦におけるナチスの最大の「戦争犯罪」とされている。その定説は、
 ナチスは、ベルゲン・ベルゼンをはじめとするドイツ国内の「強制収容所」の他に、アウシュウィッツ(及びビルケナウ)をはじめとする「絶滅収容所」をポーランド領内に建設した。
 ナチスは、ユダヤ人を「強制収容所」及び「絶滅収容所」に収容した。
 とりわけ、「絶滅収容所」には、ユダヤ人の大量殺人を可能とする処刑用の「ガス室」が設けられた。
 処刑用「ガス室」では、「チクロンB」と呼ばれる毒ガスを使って、ユダヤ人が600万人も処刑された。
 処刑後、ユダヤ人の遺体は、焼却炉をフル稼働して、焼却処分された。

 というもので、大量殺人の「証拠」として、夥(おびただ)しい数のユダヤ人の遺体が写された写真が「存在」し、「証言者」もいるなる論である

【竹下氏の「通説ホロコーストへの疑義」とからくり解析】

 「帝国電網省」の主宰者竹下義朗氏は、西岡論文(南京とアウシュビッツ、『マルコポーロ事件』、ナチ『ガス室』はなかったに掲載されている)、「アウシュウィッツ『ガス室』の真実 本当の悲劇は何だったのか?」(西岡昌紀、日新報道、1997年)を参考にしつつ「歴史再考」論文「ナチスは『ホロコースト』等していない!! ─『ユダヤ人600万人虐殺』の真実」で、上述のような「ホロコーストの概略定説」に対し、次のように述べている。
 「それなら、ホロコーストは疑うべくも無い『歴史的事実』なのか? と言うと、決してそうでは無いのです。次に、それらの『疑問点』について列挙してみたいと思います」。

 概要次のように疑義を呈している。
疑義内容  大量殺人の「証拠」として引き合いに出される夥しい遺体の写る写真は、ガス室があったとされるアウシュウィッツ等「絶滅収容所」で撮影されたものでは無く、ガス室が無かったベルゲン・ベルゼン「強制収容所」で撮影されたものであったりする。
見解  ガス室が設けられていなかった収容所にあった遺体は、当然、毒ガスによって処刑されたとは言えない。
疑義内容  更に、それら遺体の死因は、発疹チフス等の伝染病によるもので、毒ガスによって殺害されたと断定された遺体は、一体たりとも確認されていない。
補足  遺体を実際に検分した唯一の法医学者、チャールズ・ラーソン博士が宣誓証言している。
疑義内容  ガス室と言われている部屋には、毒ガスを注入すべき穴が見当たらない。
疑問  どうやって、毒ガスである「チクロンB」を入れたのか?
疑義内容  ガス室と言われている部屋には、処刑後、毒ガスを外部に換気排出する為の換気口が見当たらない。
見解  これでは、遺体を搬出する為の要員が、ガス室に毒ガスが充満していて、中に入る事さえ出来ない。いや、そもそも、扉を開ける事さえ出来ない。
疑義内容  遺体を焼却処分する為の焼却炉が見当たらない。
疑問  地面に積み上げたり、穴を掘って投げ入れたりして、「野焼き」でもしたのだろうか?
疑義内容  戦時中、連合軍機が上空から収容所敷地内を撮影した航空写真には、一枚も、遺体を焼却していたとされる焼却炉からの「煙」が写っていない。
補足  当然、「野焼き」の「煙」も写されてはいない。
疑義内容  焼却処分後の「灰」(及び燃え残った人骨)が廃棄された場所が見当たらない。
疑問  600万人もの遺体から出た膨大な量の「灰」は一体、どこへ消えたのか?
疑義内容  「証言」では、焼却炉は24時間間断なくフル稼働していたと言う。
疑問  「焼却炉」で燃やせば、当然、「灰」が出るから、その「灰」を排出しなくてはならない。ましてや、フル稼働等させたら、熱で「炉」自体が保(も)たない。
疑義内容  証言では、210平方メートルの「ガス室」の中に、3千人を収容して「毒ガス」による処刑をしたと言う。
疑問  210平方メートルの空間に、3千人も入るかどうか、実際に実験してみたらどうか?
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疑義内容  当時、「絶滅収容所」とされる収容所にいたユダヤ人の中には、ガス室を見た事も、聞いた事も無いと証言している者が何人もいる。
補足  戦犯裁判等において、これらの証言は全て無視され、「ガス室はあった」と言う証言のみが採用された。
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疑義内容  「ガス室を見た」と証言した者の中には、後日の裁判において、「見た」のでは無く、「人から聞いた」と発言を撤回した者もいる。
見解  自分の目で「見た」と言うのと、他人から「聞いた」とでは、「証拠」としての価値に雲泥の差がある。

 以上を踏まえて次のように述べている。

 ざっと、こんな所です。こんなにも、疑問点があるにも関わらず、「ホロコースト」は「歴史的事実」として扱われているのです。何とも釈然としません。しかし皆さんの中には、それでも、「ナチスはユダヤ人を迫害した。『アンネの日記』と言う「証拠」もある。ナチスがユダヤ人を「毒ガス」で虐殺した事は疑うべくも無い」と言われる方もおありでしょう。

 しかし、ナチスによるユダヤ人への「迫害」(私はこれ迄否定するつもりは毛頭ありません)と、「毒ガス」を使ったユダヤ人に対する「ホロコースト」(私はこれを否定しているのです)とでは、全く話は別です。「迫害」したのだから「虐殺」も当然行われた、と言うのは頂けません。もし、ナチスが「政策」(方針)として、ユダヤ人の「虐殺」(民族の絶滅)を持っていたのなら、当然の事ながら、ヒトラー等当時のナチス指導部が、「ホロコースト」を決定し、各関係機関にその旨を指示通達した「公文書」が残っていても良い筈です。でなければ、「絶滅収容所」の建設(建設資金はどこから出るのでしょうか?)も、「ガス室」での大量殺人(命令が無いまま実行すれば、「命令違反」・「軍律違反」に問われます)もする訳がありません。

 しかし、そんな「公文書」はどこをひっくり返しても出て来ないのです。いや、「公文書」だけでなく、ゲーリングの「私信」・ヒムラーの「演説筆記録」等、ありとあらゆる文書をひっくり返しても、「ホロコースト」を指示した(又は、指示された)旨の記述は見当たらないのです。散々捜して、まるっきり出てこない以上、ナチス指導部は、その様な「政策」(方針)は、持っていなかったとしか考えざるを得ません。

 しかし、ヒトラーは、「ユダヤ人に対する最終的解決」と言う発言をしています。この発言こそ、ヒトラーが「ホロコースト」を「政策」としていた「証拠」だと言う人もいますが、果たして、本当にそうなのでしょうか?

 「ユダヤ人に対する最終的解決」。実は、ヒトラーが考えていた事、それは、ユダヤ人を600万人も「毒ガス」で大量殺戮する事では無かったのです。では、一体、何を考えていたのか? それは何と、ヨーロッパ域内に居住していたユダヤ人を、全て東方 ── ソ連領内に「強制移住」させる事だったのです。その為に、ヒトラーは、独ソ不可侵条約(1939年8月19日調印)を破棄して、独ソ戦(1941.6.22日開戦)に踏み切ったのです。しかし、ナポレオン同様、ドイツはソ連を制圧する事が出来ず、独ソ戦の失敗から、破竹の勢いだったドイツ軍に翳(かげ)りが生じ、遂には第三帝国の崩壊を迎える事となったのです。

 そこで、話を戻しましょう。何故、アウシュウィッツをはじめとする収容所(「絶滅収容所」とされる)がポーランド領内に建設され、大量のユダヤ人が収容されていたのか? これこそ、ヒトラーによる「ユダヤ人に対する最終的解決」の一歩に他ならなかったのです。独ソ戦に勝利し、ソ連領内に占領地を確保した暁には、アウシュウィッツをはじめとする収容所に収容されている大量のユダヤ人をソ連領内に強制移住させる・・・。その為には、ソ連領になるべく近い、いや、国境を接しているポーランド領内に収容所を建設する必要があったのです。

 戦後、ユダヤ人達は、パレスティナの地に、「イスラエル」と言う自分達の独立国家を樹立しました。そして、国家樹立と同時に、周辺アラブ諸国との間に、四次にも及ぶ中東戦争を戦いました。その戦争と国家基盤の建設を支えた莫大な資金、その多くは、「ホロコースト」によって、ユダヤ人を迫害・虐殺したとされたドイツ(当時の西ドイツ)からの「賠償金」だったのです。そう考えると、「ホロコースト」(ユダヤ人大量虐殺)とは、「歴史的事実」等では無く、多分に「政治的産物」・「宣伝材料」としての意味合いが強いと言えるのです。


【木村氏の「通説ホロコーストへの疑義」とからくり解析】
 インターネット界の梟雄・木村愛二氏もほぼ同様の疑問と見解を示している。「偽イスラエル政治神話」(その22)で、次のように記述している。
 「なぜ、万難を排してでも、“ホロコースト”(火による犠牲的な絶滅)の特別な性格を維持するために、“ガス室”という怪物で煽る必要が生ずるのだろうか? 1980年になって初めて、著名なジャーナリストのボアズ・エヴロンが、ユダヤ人の虐殺における独特の性格に、疑問を投げ掛けた」
 として、ボアズ・エヴロン著「ジェノサイド/民族の危機」P80より次の一文を紹介している。
 概要「重要な客人たちは、当然のこととして、義務的に、ヤド・ヴァシェム博物館に連れて行かれる。そこで同情し、自分自身にも罪があるのだという意識を抱き、理解を深めるように期待されている」。
 「世間が自分たちを憎んでおり、迫害していることが分かると、世間に対しての自分の行動への責任を免れた気持ちになる」。
 概要「国家の指導的階級を、政治的プロパガンダから切り離して理解することはできない。なぜなら、それが、彼らの実体の一部として目の前にあるからだ。その結果、政府の活動は、自分たち自身が作り出した神話と怪物が、我が物顔に徘徊する社会の真っ直中で行われることになるのだ」。
 
 木村氏は、イラク拷問惨劇にユダヤ人関与の疑い濃厚で原因にホロコースト神話の怪物的被虐・加虐深層心理で、次のように述べている。
 「今、ホロコーストの大嘘を知ろうとしないどころか、ホロコースト見直し論者を攻撃する連中は、極右シオニストの手先になり、アブグレイブ収容所の惨劇の共犯者にさえなっているのである」。

(私論.私見) 「木村氏のホロコーストのウソ告発の意義」について

 ここが木村氏の秀逸なところであるが、現に進行中の米英ユ連合軍による残虐行為を指弾する目線を保持しつつ、その為に「ホロコーストの大嘘」を告発する責務を感じている。この緊張感のない「ホロコースト神話信奉者」が多すぎる。米英ユ連合軍による残虐行為を指弾する論拠にならないような「ナチズムオンリー万年攻撃ホロコースト論」なぞ何の意味があろう。せいぜい教養主義の産物でその類のものは飾り物でしかなかろう。

 2005.3.2日再編集 れんだいこ拝

【初期ホロコースト見直し論者にして元レジスタンス派のポール・ラッシニエのホロコースト論考】
 木村愛二氏は、「アウシュヴィッツの争点 (その68)終章:核心的真実〜または人類史の最後にしてほしい情報操作の本音の真相〜 」(http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-68.html)の中で、「ホロコースト見直し論の父」と称されるフランスのポール・ラッシニエについて言及して次のように述べている。
 「ホロコースト見直し論の父」として紹介したフランスのポール・ラッシニエの場合を考えてみよう。ラッシニエは、レジスタンス運動にくわわって、ナチス・ドイツのフランス侵略とたたかった。ゲシュタポに逮捕され、二年間にわたるナチ収容所での生活を経験した。戦後にはフランス政府から勲章を授与され、下院議員にもなっている。その「抵抗運動の英雄」のラッシニエが、みずからの実体験にもとづいて「ガス室はなかった」と主張し、各種の著作についての実証的な調査を積みかさね、自分でも何冊かの著作を発表していたというのに、なぜその主張がいままで少数派の憂き目を見ていたのだろうか。

 西岡昌紀氏の「戦後世界史最大のタブー。ナチガス室はなかった」の「ガス室による大量虐殺に疑問を呈した最初の知識人はフランス左翼知識人。戦争中はレジスタンスに参加して、ナチの弾圧まで受けた人物であった」は、ポール・ラッシニエについて次のように述べている。
 気の早い読者は、「ホロコースト・リビジョニスト」達は、「ネオナチ」かそれに似た人間だと思うかもしれない。実際、「ネオナチ」の中にも「ホロコースト」の虚構を強調するグループはいる。だが、「ホロコースト・リビジョニスト」の中には、明らかに反ナチスの立場を取る個人やユダヤ人も多数含まれているのであって、「ホロコースト・リビジョニスト」を「ネオナチ」や「反ユダヤ」などという枠でくくることは余りに事実と懸け離れている。

 その反証として最も明らかなものは、最初の「ホロコースト・リビジョニスト」とも呼べる歴史家が、フランスのポール・ラッシニエ(Paul Rassinier)という大学教授で、彼が、戦争中、フランスのレジスタンス運動に参加して、戦後、そのレジスタンス活動の故にフランス政府から勲章まで授与された人物だったという事実ではないだろうか? 

 このラッシニエという学者は、元は地理学者で、左翼思想の持ち主だったため、反ナチスのレジスタンス運動に参加したのであるが、そのレジスタンス活動の故に、ナチス占領下のフランスでゲシュタポに捕らえられ、強制収容所に入れられたという人物なのである。ラッシニエは、ドイツ西部の収容所に収容され、戦争末期には、そこでチフスにかかるという苦難まで味わっている。

 そのラッシニエが、「ホロコースト・リビジョニズム(見直し論)」の「開祖」となった理由は、単純である。ラッシニエは、戦争中、反ナチス活動の故にドイツ西部の複数の強制収容所に入れられていたのであるが、彼は、それらの収容所の何処でも「ガス室」など見たことはなかったのである。

 ところが、戦後、ニュールンベルク裁判や欧米のマスメディアが、戦争中ラッシニエが収容されていたドイツ国内の収容所に「ガス室」が存在し、多くの人々が殺されたと言い始めたためにラッシニエは驚き、彼自身の左翼という政治的立場とは別に、「ドイツの強制収容所にガス室などなかった」と、声を大にして主張し始めたのであった。

 しかし、フランスのマスコミは、ラッシニエがレジスタンス活動家として、ドイツの収容所を実際に目撃した人物であったにもかかわらず、彼を非難し、その証言を無視した。ラッシニエは、その後もこのことについて語り続け、さらには学者として、ナチスの収容所政策全体を調査、研究し続けるが、その主張を無視されたまま、一九六七年に死去している。しかし、彼に触発されたフランスの知識人の間から、もちろん「ネオナチ」等とは全く無関係に、「ガス室はあったのか?」という疑問が上がり始めるのである。

 このように、学術研究としての「ホロコースト否定論(または見直し論)」は、第二次大戦後、ドイツではなくフランスで誕生したものなのだが、「ガス室による大量虐殺」に疑問を投げかけた最初の歴史家が、いわゆる「ネオナチ」などではなく、フランスの左翼知識人で、戦争中レジスタンスに参加してナチの弾圧まで受けた人物であったという事実は重要である。

【「元フランス共産党政治局員ロジェ・ガロディ裁判」考】
 木村愛二氏のイスラエル兵をナチスに例えた9年前のイスラエルの新しい歴史家は、ロジェ・ガロディのホロコースト批判を紹介している。ロジェ・ガロディの履歴は次の通りである。
 概要「ロジェ・ガロディは、フランス人の哲学者にして元フランス共産党政治局員としても著名な人物である。彼がフランス共産党政治局員時代に多数の本を出しており、9冊も日本訳がある。彼は、ソ連が社会主義ではないと批判して、フランス共産党から除名された経歴を持つ。『偽イスラエル政治神話』の著者であり、木村氏がこれを邦訳している。木村氏曰く『やっとの思いで出した拙訳は、まだ初版の1500部が、売り切れていない。それが、日本の文化水準であるが、アラブ諸国では英雄扱い』とのことである」。

 そのロジェ・ガロディは、ホロコースト批判の政治責任が問われ、当局により提訴された。「偽イスラエル政治神話」(その35)は、その「ガロディ裁判」を次のように紹介している。
 「パリの軽罪裁判所は二七日、著作の中でナチスによるユダヤ人虐殺に疑義を呈したとして哲学者のロジェ・ガロディ氏に対して、罰金12万フラン(約250万円)の判決を言い渡した。この著作は、その内容自体よりも、貧しい人たちの救済活動を続け、『フランスの良心』とも呼ばれているピエール神父が推薦したことから、国民の間に大きな戸惑いと物議を引き起こした。ガロディは共産主義からカトリックへと転向し、さらにイスラム教へと改宗した哲学者。アラブ諸国の知識人やイスラム教徒の間では英雄視されている」。
(私論.私見) ポール・ラッシニエ、ロジェ・ガロディらのホロコースト論について

 ポール・ラッシニエ、ロジェ・ガロディらが「云われるところのホロコースト否定論」を主張している政治的意味は大きい。今日、多くのいわゆる自称左派は、「云われるところのホロコースト論」を強く大きく主張すればするほど左派だと思い込み、プロパガンダに加担している。しかし、  ポール・ラッシニエ、ロジェ・ガロディら真性の左派は、そういう態度を採らなかったというのが重要である。即ち、エセ左派、サヨは、ネオ・シオニスト教学に則りホロコースト論を主張しているに過ぎないという姿態が透けて見えてくるという訳である。

 2006.9.11日 れんだいこ拝

【V・E・フランクル著「夜と霧」のホロコースト論考】
 「阿修羅議論20」のたけ(tk) 氏の2005.2.5日付投稿「『夜と霧』について。如往さんへ」が、V・E・フランクル著「夜と霧」(霜山徳爾訳)を紹介している。それによると、V・E・フランクルは自身が収容所体験者であり、次のように述べている。
 
 「これからシャワー室に追い込まれた。・・しかしシャワーの漏斗から実際に−−水が滴り落ちてくるのを認めて喜んだ。p.92」
 「彼女は、一九四二年にアワシュヴィッツ及びそこに隣接するビルケナウ強制収容所に収容されたのであるが、列車で移送される途中、同乗したジプシーの女性から、アワシュヴィッツに着いたら、彼女たちは皆「ガス室」によって殺されてしまうのだという話を聞かされた。当然、彼女は、ジプシーが語ったその話に恐怖を抱いた。

 興味深いのは、その後である。彼女の証言によると、アウシュヴィッツに到着すると、彼女たちは、服を脱ぐよう命令された。そして、窓のないコンクリートの部屋に入れられ、シヤワーを浴びるよう言われたという。ここで、彼女たちの恐怖は頂点に達した。列車の中でジプシーの女性から「ガス室」で殺されるという話を聞かされていたからである。ところが、彼女の頭上のシャワーから出てきたものは、「ガス」ではなく、水だったのである」。

(私論.私見) 「V・E・フランクル証言」考

 これを仮に「V・E・フランクル証言」とすると、「V・E・フランクル証言」は、明瞭にではないが「巷間で云われるようなホロコーストの否定」をしていることになる。


 2005.3.2日再編集 れんだいこ拝


【ホロコースト否定派の受難史考】

 木村愛二氏は、「『偽イスラエル政治神話』(その32)イスラエルの“新しい歴史家たち”[付録]」(http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-32.html) で、イスラエル国内でのホロコースト論批判の存在と、批判者受難の様子を紹介している。これを要約すると次のようになる。 

 1995.4.28日、イスラエルの「ヤルシャライム」紙は、エルサレムのヘブライ大学でゲルマン研究学科の主任にして、ユダヤ人・第三帝国・ホロコーストなどのドイツ問題の専門家であるモシェ・ツィムメルマン教授とインタヴューした。その時、同教授は、公認通説の歴史観と食い違う次のような発言をした。

 「イスラエルがホロコーストを利用している」。
 「水晶の夜を例題にして考えてみよう。一九二三年の暴動を記念しはじめて以来のヒトラーの課題は、ドイツからポーランド国籍のユダヤ人を追い出すことだった。ヒトラーは演説の中でユダヤ人の殺害について一言も語っていない。しかし、パリでのユダヤ人の若者によるドイツ人外交官暗殺という口実を得たゲッベルスは、それを利用するためにポグロムを組織したのだ」。
 「われわれは、これまでのように振舞うのに絶好の“口実”を持っている。しかし、われわれの一人一人の中に怪物が潜んでいて、もしも、われわれが、つねに正当だと主張し続けると、その怪物は巨大化する。……私は、すでに現在、ある現象が日々巨大化の傾向をたどっていると考えている。私の定義によるユダヤ人の人口のほとんどが、ためらうことなく、ドイツのナチスの生き写しになっている。ヘブロンの植民者のユダヤ人の子供を観察してほしい。彼らはヒトラー・ユーゲントと、そっくりそのままだ。彼らは幼少時代から、アラブ人はみんな劣等で、ユダヤ人以外はすべて敵だと教え込まれる。彼らは偏執狂になる。ヒトラー・ユーゲントとまったく同じように、自分たちを最優秀人種だと思い込んでしまう。レヘヴァン・ツェエヴィ(一九九〇年から一九九二年の間、シャミール政権の大臣)は、すべてのパレスチナ人の領土からの追放(“移住”)を主張した。これはナチ党の公式の政策、すなわち、ドイツのユダヤ人すべての追放と、まったく同じだ」。

 79人の教授(リクード党員または宗教的な統一主義者)が、「ツィムメルマン教授の教壇追放請願運動」を開始した。これに反対する議論も為されたが、イスラエルの「ハアーレツ」(1995.5.10日号)紙は、「ツィムメルマン教授をヘブライ大学の教壇から追放せよ」と威嚇する記事を掲載した。





(私論.私見)