42897 | 歴史教科書の検定問題について |
2001年5月現在、右派系歴史教科書の検定通過問題が論議されている。曰く、検定やり直しで不許可にせよとの論が共産党中央から為されている。この論のおかしなところは、かって70年代頃「家永教科書訴訟」と全く攻守所を変えていることにある。「家永教科書訴訟」では、文部省の検定制度そのものに多くの批判が集中されていた。それが何と時代は変わり、今や右派系歴史教科書の出番となっている。左派勢力が検定強化を通じての不許可を要請しつつある。 この逆転現象と検定要請は明白な病理ではなかろうか。戦後の混乱期ならいざしらず、その後五十年の間に左派系教科書の作成に向かう動きがあっても良かった筈である。社共が健在の頃、学者も含めてそういう運動を組織すべきであった。そういう流れを作り出しえず、右派系教科書の登場に阻止線張って満足しようとすること自体貧困なる精神とみなすべきではなかろうか。少なくとも変調の流れではなかろうか。社共指導者の能力不足か性格が悪かったのかのどちらかを主要因として、これに唯々諾々したヒラメの目運動総体の足下こそ自己批判すべきではなかろうか。 共産党中央は、そういう主体的な働きかけを創造しなかった己の非を咎めようとせず、検定強化論をぶっている。そのいかがわしさは、検定機関が骨の髄まで旧文部省官僚管轄になっていることを不問にしたまま、この機関を使って右派系歴史教科書の不許可を要請していることにあると思われる。仮に、緊急事態として今現在の民間側の能力においては、義務教育に使用されるに足りる教科書が作成し得ないという現実があるとしても、この場合でも、国家権力の教育支配から相対的に自律した市民レベルでの教科書採択機関を設けるべし、という議論へ持っていくのが筋ではなかろうか。 さて、その上でだ。左派系教科書に早急に着手し、右派系歴史教科書に対抗する左派派系歴史教科書を送り込んでみたらどうだろう。従来式のように権力者中心の時代区分ではなく、何らかの合理性に裏付けられた時代仕分けと大衆生活のヴィヴィドな生き様、その脈々と打つ抵抗精神の流れを伝えるような歴史教科書を各識者、出版社が作成して見たらどうだろう。左派系、リベラル系、右派系なんでもありの教科書を市民レベルでの教科書採択機関で審査して採用していくというのはどうだろうね。そんなに心配要らない。仮に3年度ごとに見直されるとして、面白いばかりのグッド・アイディアと思うがどうだろうね。 戦後50年、これだけ立派な憲法と教育基本法があるというのに、そういう流れに持っていかず、いつもケチ付け的な批判でお茶を濁していくやり方に食傷させられているのは私だけではなかろう。小泉首相の聖域無き構造改革論は、本気でやらねばならないほど国家が危ないという認識を前提にして、何も経済のことだけではなく、社会の仕組み総体に対して右からやるのか左からやるのかリベラルでやるのか、いずれにせよやらねばならない課題として突きつけられているのではなかろうか。 不思議に思うことは、我々青春年齢70年代世代までは、セクトであろうがノンポリであろうが多少なりともこのようなことを考えており、これは大きな民族的財産ではなかったか。いつのまにかこういう論議をしなくなったことの責任は政府与党にばかりある訳は無かろう。我々の側内部にバイアスかける勢力がいるのではないのか。ヒラメの目人間造りに精励する指導機関とその論理が一定機能して、政治離れを促進させられてきた面もあるのではなかろうか。今やこれらの不毛地帯を爆砕して、そろそろ次の時代に向かわねばならぬのではなかろうか。ここを踏まえない限り21世紀ルネサンスはやってこないのではなかろうか。 |
右派系論調 |
まずこれを見ておくことにする。(れんだいこコメント)は追って付ける。
(五百旗頭真いおきべ) |
従来の教科書の立場。「戦争への悔悟の念と左翼イデオロギーが合体したかのような論調が強かった。近代日本史には立派なことが殆ど無く、侵略と虐殺の進軍であり、民衆抑圧の歴史であったかのような記述ぶり」→「近代史全般を一様に暗い色調で塗り込める」。 |
1、南京大虐殺のデッチ上げ 朝日新聞がウソの写真や「作り話」の20万、30万の大虐殺人数を示して南京大虐殺をデッチ上げて報道しました。これが中学、高校のほとんどの歴史教科書に載っています。 2、侵略文字の一方的多用 3、従軍慰安婦の一方的記述 4、外交でのペコペコ これらは「反日教科書」である。明日をになう青少年に正しい歴史を教えることなく誤った歴史を教育することは、学問探究の真理の上からも、倫理上からも日本国民としても絶対許してはならないことです。 |
学者系論調 |
山内昌之 | 毎日新聞「今週の本棚」(2001.7.8)での「市販本・新しい歴史教科書」についての評。 |
「スターリン体制下の粛清の恐怖を語る者は、日本の植民地支配にロ申吟した東アジア諸民族に対する憲兵政治の政道にも、目を向けなくてはならないはずだ。また、ドイツ人によるユダヤ人ホロコーストを批判する者なら、イスラエル人によるパレスチナ人迫害に対する見方を統一的に問われるのが歴史というものなのだ」。「日露戦争における日本の勝利から起きたアジアのナショナリズムは、トルコやインドのような遠い国では、単純に日本への尊敬や共感と結びついたが、中国や韓国のような近い国では、自国に勢力を拡大してくる日本への抵抗という形であらわれた」。「クリミア戦争や南北戦争などで欧米政局が多難だったときに幕末と明治維新を迎えた日本の時間的偶然性の幸運、オスマン帝国やカジャール朝イランの地勢的位置と異なり、極東の縁(ふち)にある島しょ国家日本の地理的優位性」。 |
司馬遼太郎 | 晩年の随筆集「この国のかたち」(全6冊、文芸春秋) |
司馬遼太郎は、晩年の随筆集「この国のかたち」(全6冊、文芸春秋)で、日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗北に至る40年を、日本史上の「異胎の時代」と呼び、ことに昭和の軍人が「国家そのものを賭けものにして賭場(とば)に放り込むようなことをやった」、戦前戦中の十余年をさして、「あんな時代は日本ではない」と嘆いた。その一方で、彼はまたこうも書いた。「私は、日本史は世界でも第一級の歴史だと思っている。ところが、昭和十年から同二十年までの極めて非日本的な歴史を光源にして日本史全体を照射しがちな癖が世間にはあるように思えてならない」。 |
山崎 |
国家は歴史教育から手を引くべきだとする山崎提案。 |
橋爪論文 |
日本は、民主主義国家として、つぎのような原則により行動すべきだと思う。第一に、政府(国家権力)が、教科書の編集に関与しないという原則を貫く。戦前の歴史教科書は「国定」で、政府が皇国史観をおしつけるためのものだった。現在の「検定」は、あくまでも間違いをチェックするのが目的。教科書を編集・出版する主体は政府と関係ない民間企業である。さまざまな教科書が出版されるのはよいことなのだ。河野外相が、教科書問題で抗議を受けて、外国にも配慮すると約束したのは、この原則を危うくすることになり、大失敗だった。 中国など外国政府が、民主主義の原則を理解せず、教科書問題をなんとかしろと日本政府に申し入れてきても、なにも約束してはいけない。ねばり強く、日本の民主主義の原則(政府が歴史教科書の内容にタッチできないこと)を説明する。そして外国政府こそ、特定の歴史を国民に押しつける政策をとっていないか、厳しく批判する目を持つ。 第二に、歴史と歴史教科書の多様性にたじろがず、むしろよいことだと受け止める。自由に出版できるはずの教科書が、これまで型にはまりすぎていた。学習指導要領のせいもあるだろうが、もっと根本には、法的根拠のあやふやな政府の行政指導でもやすやすと受け入れてしまう国民の体質があった。英語圏の歴史教科書をみると、ぶ厚くて、資料批判やそれにもとづくクラス討論でもできるよう丁寧につくってある。多様な歴史がありうると受け入れるからこそ、論争が可能になり、論争が可能だからこそ、強靭で柔軟な歴史のストーリーが鍛えられる。歴史の専門家は、じつは歴史教科書の書き手としてあまり適任でない。専門が時代区分で細切れになっているいえ、ふつう、哲学や、思想や、表現者としての訓練もない。西尾幹二さんみたいに、一人で全体を書いたほうが、よいものができる。 第三に、歴史が現在をよりよく生きるためのものだと、はっきり認識する。人間は、過ちを犯す。人変の集団である団体(たとえば、国民国家)も、過ちを犯す。過去を知らず、歴史に学ばなければ、同じ過ちを犯すだろう。だから、侵略や戦争犯罪など、国家の侵した過ちやそれを支持した国民の過ちについて、よく知ることは大切だ。けれども、これはものごとの反面である。もう反面は、そうやって歴史に学ぼうとしている人々の団体(例えば、日本)を肯定すること。自分達に誇りをもち、よりよい未来を作りだすために現在を生きることも大切だ。歴史にはこの両方が必要だし、バランスも必要になる。そして、どちらが基本かと言えば、それは後者なのだ。ひとは、過去の過ちから学ぶことができるが、それは希望があるからだ。希望とはなにかといえば、自分がこの団体に所属するのはいいことだ、と思えることである。さもないと、過去から学ぶことができないどころか、そもそも歴史ということが成り立たず、ただのニヒリズムになる。 戦後民主主義には、国家や政府に反対するのが市民だという勘違いがあったので、後者があいまいになった。そこで、歴史を学べば学ぶほど誇りが持てなくなる「自虐史観」だと批判された。いっぽうその反動で、事実認識をねじまげて誇りを持とうとすれば、「皇国史観」のようになってしまう。どんな事実にも目をつむらず、しかも歴史に誇り をもつ。絶妙なバランスを生み出す努力が、歴史というものなのだ。それぞれの国には、それぞれの誇りがあり、歴史があるすべての国ぐに合意できる、唯一の歴史があるわけではない。歴史は、人びとの認識や価値観が多様であるように、多様であらざるをえない。 そこで、それぞれの国の歴史のなかみがくい違い、矛盾したとしても、あわてなくてよい。政府はこの問題に深入りしないのが正しい。そのかわりに、ふつうの人びとが、互いの国の歴史について、関心と敬意をもつことである。歴史をめぐる対話が、こうして始まる。「唯一の正しい歴史」はなにかと考えるから喧嘩になる。歴史は多様であると覚悟して、相手の歴史から互いに学ぼうとするゆとりが大事だ。こういう対話のなかから、どの国の人びとも、それぞれ真剣に歴史を考えているのだという信頼がうまれれば、この問題は解決したようなものなのである。 |
日垣論文 |
私は、このたび初めて『新しい歴史教科書』を(各地の採択が密室で決められてしまう前に)読む機会があった。市販されたからである。市販をなじる人々、市販を禁じる訴訟まで起こしたヒステリー教師たちには、民主主義を擁護しようという気概が完全に欠落している。これらの人びとにとって、一九六〇年代のような反動的(自称は革新)運動に携わるほかの場所がすでに消失しているので、最後の砦として歴史教科書における既得権確保に全エネルギーを注いでいる。そのような事態に同情はするものの、彼らが過去にいったい何をしてきたかは、確認しておく必要がある。 ごく普通の会社員をしている私と同世代の人々に尋ねてみると、かつて自称民主主義的教師たちから、およそ次のような”訓示”を授業のなかで聞かされた例は非常に多い。「親が自衛隊の者はいるか。手を挙げてみろ。君たちの親は憲法違反なんだぞ。知っているのか。警察官だって同じようなものだ」。私は職業柄、疑ってかかるのが商売なので、そのように名指しされた教師たちは誰なのかを確認し、その同級生や名指しされた教師たちは誰なのかを確認し、その同級生や名指しされた多くの教師たちの連絡先を教えてもらって確認をとってみた。すべて本当だった。そして、一人の例外もなく教職員組合に熱心な教師たちであり、そのほとんどが家永裁判の支援者だった。 彼らが最近、扶桑社版に拒絶反応を示す最大公約数は、以下のような記述にあった。<それ{第一次世界大戦}まで世界を支配していた戦争観は、核兵器を経験した現代の戦争観とはまったく異質のものだった。各国は比較的、安易に戦争に訴えた。戦争は外交の手段であり、政治の延長だった。負ければ賠償金を払い、領土を失うが、国民全体が道徳的責任を問われるようなことはない。> 扶桑社版の「歴史を学ぶとは」(前書き)には、こうある。 <歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう>すくなくともこのような点に関し、私は扶桑社版を評価する。こんなあたりまえのことを、これまでの教科書は、偏狭なイデオロギーと既得権確保のために避け続けてきたのである。 夏目書房本からの正確な引用 加藤宏樹(近代部落史研究会) また、日垣氏の文章について、「つくる会」事務局長氏が引用しているのは、同氏の論旨の根幹部分ではありません。氏の眼目は、今回の批判者がかつての家永教科書裁判の支援者と重複していることに着目し、批判することです。
かつて(家永本のとき)検定は違憲だから廃止せよとの大運動をしておきながら、気に入らない教科書に対して今度は合格させるな、たとえ合格しても国民に読ませる前に不採択にせよ、という恐喝的運動を展開しているのである。すごいよなあ。この人たちは、子どもの知的関心にはまったく関心がなく、自分たちのイデオロギーを守ることだけに汲々としている。(150頁) 日垣氏のこの指摘については、小生が少し前に紹介した村井淳志氏の指摘とも共通するものがあるように思われます。そちらも御参照いただければ幸いです。 |
「侵略」の事実をいっさい認めない『歴史教科書』の立場『歴史教科書』をここまで検討してくるなかで、私は、一つの重大な事実にあらためて気づきました。それは、『歴史教科書』が、日本がおこした戦争の歴史を記述するにあたって、「侵略」という言葉を、いっさい使っていないことです。 この『教科書』の執筆者たちは、冒頭の文章「歴史を学ぶとは」のなかで、「歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである」、「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない」(6ページ)として、現代の価値観を歴史に押しつける態度を強くいましめています。 そういう意味で、あえて「侵略」という言葉を避けたのか、というと、どうもそうではないようです。 日本以外の国がおこした戦争については、執筆者たちは、「侵攻」「侵入」など、他国を侵すことを告発する言葉を、遠慮なしに使っています。一九三九年・ドイツのポーランドへ「侵攻」(273ページ)、一九四一年・ドイツのソ連への「侵攻」(274ページ)、一九四五年・ソ連の満州への「侵入」(288ページ)、一九五〇年・北朝鮮の韓国への「侵攻」(298ページ)、一九七九年・ソ連のアフガニスタンへの「軍事侵攻」(312ページ)などなどです。 そうなると、執筆者たちが、日本の中国にたいする戦争について、また東南アジアに攻めこんだ戦争について、「侵略」という言葉をいっさい使っていないのは、「歴史」に現代の価値観を押しつけないという方法論からのことではなく、執筆者自身が、日本がおこなったことを、中国にたいする「侵略」とも、東南アジアにたいする「侵略」とも考えていないからだと、結論せざるをえません。『歴史教科書』は、日本の戦争行動については、「侵略」の言葉だけでなく、「侵攻」「侵入」をふくめて、他国を不当に“侵す”意味をもつ言葉は、いっさい使っていません。ここには、明らかに、「侵略」の事実を否定する執筆者たちの歴史認識と評価が表現されています。 私は、三回にわたって、『歴史教科書』が明治以来の日本の現代史をどう描いているかを分析してきました。そして、そこに叙述されている文章の内容から、この教科書が、子どもたちに日本がやった戦争を“正しい戦争”だと思いこませ、朝鮮にたいする植民地支配についても、その犯罪性を感じさせないものとなっていることを、具体的に検証してきました。 それらの分析と検証からの結論に、執筆者たちが、日本の戦争については「侵略」の言葉を使わないという態度を徹底してつらぬいている事実をあわせて、私は、いま、いっそうの確信をもって、“この『歴史教科書』は、日本がやった侵略戦争について、なんの反省ももたず、それが他国にたいする「侵略」であったことさえも認めようとしない人たちが、自分たちのその独断的な考えを次の世代に押しつけるために意図的につくった教科書だ”とはっきり言うことができます。 戦時下に「大東亜戦争」賛美の教育をさんざん注ぎ込まれて育った世代の一人として、このような『歴史教科書』でいま子どもたちを教育することは、絶対に許してはならないというのが、私の結論であり、このことを最後にかさねて強調するものです。 |
> ●51か所の誤り 新しい歴史教科書の誤りや不適切な点が近現代史だけで51か所あると東京大学名誉教授・和田春樹氏ら数名の歴史学者によって指摘されています。なぜ、このような間違いがあるのか?それは、執筆者に問題があるでしょう。皆さん、歴史が専門ではないのです。なかには漫画家まで含んでいるのですから。 これについてなのですが、「誤り」は少し違うと思います。「解釈の違い」はあっても「事実の誤認」、「捏造」でははないと思います。 |
朝日新聞の報道によると、解釈や評価の違いではなく、歴史的誤認のようです。---------------------------------------------------------------------- 「つくる会」歴史教科書の誤り・不適切「51カ所」 学者ら指摘 「新しい歴史教科書をつくる会」が編集を主導し検定合格した中学歴史教科書について、和田春樹東大名誉教授ら歴史学者7人が25日、近現代史部分だけでも誤りや不適切な記述が51カ所残っていると指摘する声明を発表した。指摘は事実に関する問題に限定。「事実の誤りは修正されるべきだ」として、文部科学省や発行元の扶桑社に再検討を促している。 合格本は、明治憲法を「アジアで最初の近代憲法」としたが、学者らはオスマン・トルコ帝国が1876年に公布したミドハト憲法が最初で、誤りだとした。また、伊藤博文が初代韓国統監になった年を「1906年」としたが、1905年が正しいとした。日露戦争開戦に際して「日本は英米の支持を受け」としたが、あらかじめ支持を取り付けた事実はなく、誤解を与えるとした。 こうした点は検定で見落とされた上、さらに検定で修正された部分にも問題が残ったとした。 日露戦争での「日本の勝利に勇気づけられたアジアの国には、ナショナリズムがおこった」としたが、韓国のナショナリズムは逆に日本への従属に反発して起きたもので事実誤認だとした。また、太平洋戦争の目的のひとつに「アジアを欧米の支配から解放」とあるが、日本政府が開戦に際して出した詔書、声明などにそうした文言はなく誤りだ、などと指摘した。 |
産経新聞のコピペです。手抜きですいません。解釈の違いをまだ捨て切れません。
■「朝日新聞」の教科書報道 学者の言い分のみ 扶桑社に取材なし、公正さ欠く記事
朝日新聞は二十六日付朝刊で「『つくる会』歴史教科書 誤り・不適切『51カ所』 学者ら指摘、修正促す」という見出しの記事を掲載した。文部科学省の検定に合格した扶桑社の中学校歴史教科書について「和田春樹東大名誉教授ら歴史学者7人が25日、近現代史部分だけでも誤りや不適切な記述が51カ所残っていると指摘する声明を発表した」という内容だ。
記事は「合格本は、明治憲法を『アジアで最初の近代憲法』としたが、学者らはオスマン・トルコ帝国が1876年に公布したミドハト憲法が最初で、誤りだとした。また、伊藤博文が初代韓国統監になった年を『1906年』としたが、1905年が正しいとした」などと書いている。
しかし実際の扶桑社の記述を見ると、「これによって日本は、本格的な立憲政治は欧米以外には無理であると言われていた時代に、アジアで最初の議会をもつ立憲国家として出発した」としている。トルコは議会を持たなかった。
中学校学習指導要領は「『大日本帝国憲法の制定』については、これにより当時アジアで唯一の立憲制の国家が成立し議会政治が始まったことの意義について気付かせるようにすること」と定めており、記述は指導要領に沿っている。
また、伊藤博文の韓国統監就任の人事は明治三十八年(一九〇五年)十一月に発令されているものの、統監府が開庁したのは翌年二月で、伊藤の着任は三月だ。一九〇六年に統監になったという記述は誤りではない。
朝日新聞の記事は学者グループの言い分を報道する形をとっているが、欠陥商品であるかのように指摘された扶桑社側のコメントを掲載しておらず、公正さを欠いている。
扶桑社書籍編集部によると、二十五日、朝日新聞からの取材はなかったという。(渡辺浩)
> 産経新聞のコピペです。 少し前(おそらく6月22日)付けの朝日新聞朝刊によると、21の学会が50数か所の誤りを指摘したとあります。また、保守論客の谷川永一著『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』 で新しい歴史教科書の杜撰さ、そして無知、無学、誤記、虚偽、捏造、歪曲、粗放、出任せ、虚勢、出鱈目、あてずっぽう、傲慢、思い上がり、による内容空疎な記述であることが暴露されたはずです。 > 私自身は、新しい教科書はすべて正しいとは思いません。文化の記述のところなどは、やたらヨーロッパを引き合いに出し、「〜に匹敵する」などとはっきり言ってコンプレックスを感じます。こういった意味不明の主観を叩くと面白いのですが、なぜか出てきません。 これについては上杉聰さんが、すでに指摘しています。仁徳天皇陵について、作る会の教科書では「クフ王のピラミッドや秦の始皇帝の墳墓と比較しても最大規模である」という記述があります。(この点については上杉さんが朝生でも指摘されていました)「始皇帝陵」ではなく「始皇帝墳墓」として、仁徳天皇陵が大きいと記述しています。(始皇帝陵としてしまうと、面積のうえで仁徳天皇陵が負けてしまうから)もちろん、面積以外(高さや年代)ならクフ王のピラミッド、始皇帝墳墓と比べて仁徳天皇陵は大きく劣ります。 |
> 少し前(おそらく6月22日)付けの朝日新聞朝刊によると、21の学会が50数か所の誤りを指摘したとあります。 http://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/2001.3.14/23.html を見たのですが、やはり「解釈の違い」を捨てきれません。バランスが悪いとか、誤解を与える、といった言い方では現行の一部の教科書も指摘される点が多いと思います。あの教科書だけを叩くのも「バランスが悪い」と思います。歴史の解釈は相対的なものであって、そこに絶対的な要素は無いと思ったのですが***これでは論議になりませんね。撤退した方がいいみたいですね。 |
歴史教育者協議会のページでもかなりの間違いが指摘されています。 http://www.jca.apc.org/rekkyo/newfile2001/local-info.htm#誤り |
>あなたの論理展開で、分かりにくいことは、史実が何であるのか、ということと、それを、どのように教科書に記載するのか、ということとが一見、ぐちゃぐちゃになってることなんですよ。
(^◇^)
この後のいくつかのあなたの記述と総合して見て分かるのは、あなたが歴史というものを「因果関係」によってとらえるのではなく、個々の独立した「事実・事件」の羅列としてしかご理解されていない、という事ですね。だから私の説明が「ぐちゃぐちゃ」「混同している」としか見えていらっしゃらない。歴史というものはそのようにこま切れにして捉えるべきではないのですよ。
>普通の議論は、まず、a)事実は何か、があって、b)それをどのように記述するか、というアプローチなのだけど、あなたの場合は、時にそれが混同され、時にb)が先行し、イデオロギー的にこう書くべきだから、a)も、それに合致する資料を探し出す、という典型が、散見されることなのです。しかし、歴史を学ぶ姿勢として、それは正しくないと私は思う。従って、以下、論理展開もまず、a)から入り、しかる後b)に進むアプローチをとります。
当たり前です。あなたにくどくどとご教授されなくとも、私は歴史をそのように学んできたつもりです。私がかつて「現代国学者」さんに投げたような批判を私にしないでくださいね。というよりも、むしろあなたの方が、b)を先行させ、a)を後で探して来ているようです。「廬溝橋事件(現在の研究では、これは、国民党軍ではなく、共産党軍が仕掛けた発砲であることが明らかになっているようだが)」などというところなど、国学者さんにそっくりですよ。「共産党陰謀論」を「歴史事実」として証明してくれませんか? まさか、また国学者氏と同じ事言うんじゃないだろうなー(爆笑です)
『中央公論』9月号 連続特集「歴史教科書論争を解体する」より | No: 273 [返信][削除] |
投稿者:加藤宏樹(近代部落史研究会) 01/08/20 Mon 18:07:15
どこかで紹介されているかも知れませんが、この特集は、「新しい歴史教科書をつくる会」賛成・反対両派の「論争」とは離れた独自の視点で問題を考えようとしている点で評価できると思います。
ここで、以前問答有用で紹介した村井淳志氏が論文「もう一つの『新しい歴史教科書』を提案する」を掲載しています。氏の以下のようなお考えに、小生は全面的に賛成します。皆さんはいかがでしょうか。
以下、村井論文より引用
私自身は、「つくる会」教科書に批判的である。理由はあとで述べる。しかしまず、「つくる会」教科書を批判する人々の間で確認しておいたほうが良いことがある。それは日本には、「つくる会」のような歴史観に共鳴し、それに沿った歴史叙述を求める読者・学習者が、無視できない比率で存在する、とい事実である。したがって、たとえ学校からそうした歴史観を締め出したとしても、卒業後子どもたちはどこかで必ずそうした歴史に出くわす。未知の事実を知らされた学習者は、(それがどんなに古めかしい歴史像であったとしても)自分にとって新鮮な歴史像のほうをより正しいと考え、「転向」してゆく。しかもその過程で、「学校で習う歴史」は「建前に過ぎない」とか、「自分はもう一つの歴史から不当に遮断されてきた」など、学校での歴史教育に対して無用な不信感をもつだろう。私は、批判的立場に立つ教育実践を受けた元生徒たちの取材を続けていて、そうした事例を数多く見てきた。(中略)
第二に確認したいのは、「つくる会」教科書を批判する人たちは、現行の中学校歴史教科書をどう思っているのか、という点である。学習指導要領と教科書検定と教科書無償法によって質・量ともにガチガチに拘束され、平板で退屈な通史叙述が続き、ときおり太文字で学習者を威嚇する、現行の教科書。あれでよいとでも思っているのだろうか。(中略)何の感動も知的興奮もなく、受験が終わると大方の個別事実さえ忘れられていく現在の貧弱な歴史教育の、少なくとも一端の責任が現行教科書にあることは自明ではないか。「つくる会」教科書を批判するあまり現行の教科書や歴史教育に対する批判意識を欠いてしまうとすれば、社会科嫌いの傾向を強める学習者からは完全に遊離してしまう。そちらのほうにこそ、危機感を持つべきだろう。
おや | No: 280 [返信][削除] |
投稿者:Kuu 01/08/20 Mon 21:41:57
「日本以外も歴史無視」米誌がアジアの教科書批判
【ニューヨーク19日共同】米誌ニューズウィーク最新号
(20日発売)は中国やタイなどアジア諸国の歴史教科書を
点検する記事を掲載、日本と同様に各国とも自国に都合に悪
い過去の事実を無視したり書き換えたりしている、と報じた。
同誌によると、中国の教科書は1950−60年代の大躍進、
文化大革命での死者が3000万−4000万人に上ったこと
に触れていない。インドネシアではスハルト元大統領が政権に
就いた直後に約50万人が虐殺されたことが無視され、タイの
教科書には70年代に起きた2度の軍事クーデターで学生指導
者が虐殺されたとの記述がほとんど存在しないという。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=DLT&PG=STORY&NGID=AMAN&NWID=A0032000
全文:http://www.msnbc.com/news/616131.asp?cp1=1
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おや、結構話のわかる方ですね。ついでにヨーロッパの教科書にも触れて欲しかったが・・・。http://users.goo.ne.jp/carlmaria/
歪められた歴史教科書
岡村 健二
合理主義あるいは実証主義という言葉がある。難しい定義は知らないけれど、簡単に要約すれば、物事を認識する姿勢として、その物をあるがままに見る姿勢といえる。つまり、ある物を見て丸は丸、四角は四角と認識することである。言葉で言えば至極当然で、簡単なように思われるが、われわれの実生活では、思い込みや知識不足で、丸が四角に、三角が丸に見えることもあるし、またそのようにマスコミで繰り返し宣伝すれば、そのようにも思えてくる。その昔、ナチスドイツの宣伝相であるゲッペルスが言った有名な言葉がある。「嘘も百遍言えば、本当になる」。
ナチスドイツの誤りの際たるものは、合理主義の対極にある観念論に終始したということであり、一方ドイツの敵国である英国の方針は、首尾一貫していわゆる合理主義で行動したことである。歴史を返り見ればその結果は申すまでもなく、合理主義の勝利に終わったと断定できる。
更に具体的な例を挙げれば、日本の戦時中の大本営発表の愚かさである。戦闘で敗れ、撤退するときには、『敗退』ではなく、『転進』という言葉で真実を隠蔽した。大本営たるものが、そのような姑息的な手段を用いれば、たとえ局地戦闘では勝利することがあったにせよ、所詮戦略的思考あるいは戦争全体への見極めは曇ったものになるであろうことは容易に想像できる。私は先の大戦を全面的に否定しているわけではない。日本が置かれていた当時の国際環境を考慮すると、あながち日本のみが非難される謂れはない。しかし白を黒に、黒を白に言い替えた頃から、日本はおかしくなり、滅亡の淵まで自らを追いやったのである。今は亡き司馬遼太郎氏によれば、歴史上日本はアジアの中では唯一、極めて早い時期にこの合理主義を実践した国であった。そしてそのル−ツは室町幕府以降の商品経済(商業)の隆盛に求めることができる。ある二つの物が同じ値段で、重さが数グラムでも違えば、重い方を買うのは当然である。また同じ値段であれば、いずれか長持ちする方を買うのは至極当然の心理といえる。すなわち、商売においてはその価格の設定から、消費者のニ−ズ等すべて合理主義に依らなければ、商売にならないのである。消費者のニ−ズが無いのに、あるに違いないという思い込みだけでは商売は大失敗し、破産するのみである。商業が隆盛なる時代には健全なる合理主義が生き続けていたことは、歴史が証明している。
しかるに、私の見る限り、希望的観測で経済の先行きを楽観視している現在の状況は合理主義とは程遠いものであり、経済企画庁の発表はあたかも大本営発表に酷似しているといえる。正しく歴史は繰り返すものである。
私は丸を丸として、四角を四角として認識する合理主義を意図的に排除している今の日本の社会に極めて不快な思いを抱いている。
このような観点から見ると、日本は可能な限り知識を集積し、英知を集めて行動しなければ、これからの国際社会で生き残っていくことができないのではなかろうかと、一人心配している。
話は変わるが、私は「歴史は勝者が創るもの」とは理解していたつもりであるが、最近歴史の捏造が敗者の側にも存在することを知った。合理主義とは程遠い観念論的詭弁を弄し、真実を知らされていない国民を欺く行為が、ある種の日本国民により平然と行なわれていることに驚愕している。
わが国の歴史教科書の実態
国際情報誌・サピオ(小学館刊)平成11年10月27日号の小林よしのり氏の「新ゴ−マニズム宣言」に、大変興味深い記事が載っていたので、その一部を以下に紹介する。
『皆さん、次に挙げる四人の人物がいかなる人であるか、お分かりでしょうか。《「山本宣治」、「田代栄助」、「全?準」、「柳寛順」》
実は現在使われている中学歴史教科書に肖像写真付きで載っている人達だそうである。答えは「山本宣治は治安維持法に反対した社会主義者」、「田代栄助は明治17年の秩父の農民暴動の指導者」、「全?準は日清戦争の引き金になった農民暴動の指導者」、「柳寛順は韓国併合時の三・一独立運動の中心人物」だそうだ。一方、このような教科書には明治以降の日本の国を作った政治家はろくに肖像写真も載っていない。初代総理大臣で、朝鮮総督府の初代統監でもある伊藤博文の写真は、韓国皇太子と一緒に写っており、そのキャプションには「韓国の皇太子は日本の着物を着せられている」といった、実に恣意的な説明が付けられている。伊藤はもともと韓国併合反対論者で、夫人と一緒に朝鮮服を着ている写真もあるのにだ。また、同じ教育出版社の巻頭カラ−グラビアにはなんと伊藤博文を暗殺した安重根を持ち上げる記事が一頁大で載っている! 一体どこの世界に自分の国の初代総理大臣を悪人に仕立て上げ、それを殺したテロリストを巻頭に使って持ち上げる教科書を子供に与えている国があるのか?狂気の沙汰としか言いようがない。
・・・昔の教科書には豊臣秀吉の朝鮮出兵は数行しか書かれていなかったが、今では朝鮮「侵略」として必ず一項が設けられ、秀吉の水軍を破った李舜臣が登場する。東京書籍では大きな扱いで李舜臣を「英雄」と讃えている。それなら日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎を「英雄」と讃えてもよさそうなものだが、この教科書ではその名はおろか、日本海海戦すら触れられていない。日本の教科書には日本人の英雄は存在しない。大体、秀吉の朝鮮出兵が「侵略」だったら元寇は元と朝鮮の連合軍による「侵略」以外の何物でもないのだが、教科書ではこれは単に「襲来」となっている。・・・・』
小林氏のこのような記述に驚いた私は、早速中学2年生の子供に今使っている歴史教科書を見せてもらった。この教科書は東京書籍出版の『新編新しい社会・歴史』であり、この218頁の日露戦争の項は以下のようになっていた。
「1904(明治37)年、ついに日露戦争が始まった。日本軍は苦戦を重ねながらも戦局を有利に進めた。しかし、日本の戦力は限界に達し、ロシアでは革命運動がおこるなど、両国とも戦争を続けることがむずかしくなった。1905年、日本を支持してきたアメリカの斡旋で講和会議が開かれ、ポ−ツマス条約が結ばれた。」
日露戦争の項はたったこれだけである。この戦争の終結に多大な影響を及ぼした東郷提督率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を打ち破った大勝利には一言も触れていない。あたかも自然の成りゆきでこの戦争が終わったかのような記述である。
ちなみに、アメリカの教科書には日露戦争および東郷元帥に関しては以下のように記述してある。
「日本陸軍は満州で次々に勝利し、東郷平八郎提督は1905年5月、バルチック艦隊を日本海で撃滅した。セオドア・ル−ズベルト大統領は友人への手紙の中で、東郷の勝利について次のように述べている「これは、世界が目撃した最大の驚嘆事だ。かのトラファルガ−沖海戦ですら、これに匹敵しうるものではない。第一報が届いたとき、私自身それを信ずることができなかった。だが、第二報、第三報が到るに及んで、私はまるで自分が日本人になってしまったかのように興奮を禁じえなくなり、公務につくことができなかった。私はその日丸一日、訪問客とともに日本海海戦について語り合って過ごしてしまった。というのも、私はこの海戦が日本帝国の命運を決したと確信したからである」。また別の頁をみると、次のような記述がある。日露戦争で日本が勝利したことは、近代戦争史における画期的な出来事であった。これによって抑圧されていたアジアの指導者に強烈なインスピレ−ションを与えた。例えば、インドのジャワハルラル・ネ−ルはその自叙伝の中で「青年期の記念であり、アジアと民族の献身を決意させた」旨を述べている。・・・」
このようにあのアメリカでさえその教科書には、歴史的事実をありのままに公平に伝える努力をしている。歴史とはそのようなものであり、特殊な主義・思想で偏向されるべきものではないのである。日本の歴史を知りたければ、他国の歴史教科書で勉強しなければならないという事実は情けない限りである。
そして何といっても奇妙な記述は、朝鮮に関しての項目である。
この東京書籍の教科書の220頁には『朝鮮と中国」』と題して、その冒頭の写真に、あの安重根が載っている。その解説は以下のごとくである。「義兵戦争:日本の侵略に対し、朝鮮の人々は武器を取って戦いました。そのなかで、伊藤博文が朝鮮の青年安重根に射殺されるという事件もおこりました。」
そして、本文にしても、日本の侵略vs.民族抵抗運動的図式で描かれており、何故朝鮮がロシアの属国にならず、日本の統治下に入ったかの歴史的事実には全く触れられていない。当時の朝鮮を取り巻く国際環境は、それほど微妙な状況にあったのにである。
また236頁の冒頭の写真は柳寛順の銅像が使われている。その解説は以下のようである。
「朝鮮のジャンヌ・ダルク:左の写真は韓国にある柳寛順という16歳の少女の銅像です。彼女は朝鮮の独立を求める三・一独立運動への参加を人々によびかけたため、日本軍に捕えられてしまいました。きびしい拷問を受けても『独立万歳』を叫び続け、ついに命を奪われましたが、その毅然とした態度は、今も人々に語り継がれています。」
私はこれを読んで非常な違和感を覚えた。ここで云う語り継いでいるのは朝鮮の人々であり、日本人ではない。この教科書が韓国のものであるならば納得できるが、日本の歴史教科書であることが私には全く理解できない。
欧州諸国の歴史教科書には300年以上アジアを植民地にして、簒奪の限りを尽くしたことへの反省は述べられていない。アメリカにしても、「人道主義」を旗印にしていながら、非戦闘員である一般市民を何十万と殺戮した広島、長崎の原爆投下に対する反省の記述は皆無である。このようにそれぞれの国にはその国の主張があり、それが国際社会では暗黙の了解であり、ごく当たり前のこととされているのである。
自分だけ変にいい子ぶって、自国民を蔑む日本人(進歩的文化人!)が平然とこの日本に生息していることが問題であるが、またこれを安易に見過ごしている我々にも責任の一端があるようである。
この教科書の朝鮮に関しての記述はこれにとどまらない。
245頁には何と一頁全体を使って、インタ−ナショナリスト柳宗悦(やなぎむねよし)と題し、ある日本人を取り上げている。「・・・朝鮮の独立運動に共感を持っていた日本人・・・・柳宗悦こそ、それぞれの民族性を尊重するという国際性−インタ−ナショナリズムを持っていた人物といえるでしょう。・・・」とこの無名の日本人を異常に持ち上げている。私は不勉強で、この時『インタ−ナショナリスト』なる言葉を初めて知った。国際主義者とでも訳すのか知らないが、私はこんな言葉もこんな人も聞いたことがない。私が学んだ頃の昔の教科書には、こんな訳の分からないことは載っていなかったように思う。わざわざ教科書の一頁を割いて紹介するほどの価値があるのか疑問である。
まだまだある。256頁には皇民化、創氏改名、抗日組織・・・これでもか、これでもかと続いている。その頁の写真には「朝鮮神宮に参拝させられる朝鮮の学生たち」が載せられている。また264頁には朝鮮人強制連行について、写真入りの一頁大で紹介されている。
この教科書の執筆者は何故か、あまりにも朝鮮民族からの視点を重視しすぎており、教科書に当然求められるべき歴史的公平あるいは公正さを全く欠いている。今の日本は自分の主張を自由に表現できる民主的な国であるから、これが単なる歴史読本であれば問題はない。しかし、これが義務教育に使われている歴史教科書であるところが問題である。このような常軌を逸した偏向歴史教科書で教育を受ければ、次世代を担う日本の子供たちはいわれなき罪悪感を植えつけられことになり、当然日本人としての誇りを奪われることになるのだ。このように日本の歴史教科書が日本および日本人の尊厳を奪い取ろうとしている意図が私には皆目分からない。
誠に不思議なことであり、残念なことである。
韓国歴史教科書の矛盾
日本の歴史教科書における韓国についての記述は紹介した。それでは現在の韓国の教科書にはその歴史、特に日本との関係はどのように記述されているのであろうか。
以下「新しい歴史教科書をつくる会」会報である『史』(通巻第十四、十五号)からの記事を紹介する。
韓国では国定制度を採用しているため、歴史教科書は小・中・高ともに一種類しか存在しない。いずれの教科書にも共通することは、自国に都合の悪い事柄に関しては、無視するか、歪曲して説明していることである。
例えば、元寇については、小学教科書では完全に無視しており、中学教科書ではたった5行、高校教科書でさえ僅かに7行ほどに過ぎない。それに引き替え、朝鮮出兵(壬辰倭乱)については、小学校でも丸々4頁、中学校では本文3頁半に「学習の手引き」として2頁、高校では7頁にもわたって延々と、李舜臣の活躍や義兵の抗争について書いてある。つまり、韓国の歴史教科書は、自らが手を下した加害事実(元のお先棒を担がされたとはいえ、立派に日本「侵略」に加担したことには変わりない。特に文永の役は高麗水軍が主力であった)については教科書では殆ど教えず、一方自らが蒙った被害事実については、これでもかこれでもかというぐらいに教科書で教えていることになる。
しかも、元寇については我関せずとばかり、「元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵糧の供給、兵士の動員を高麗に要求した。こうして二次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征が断行されたが、すべて失敗した。」(中学)、「高麗は元に強要され、日本を征伐するための軍隊を徴発される。元・高麗連合軍は二回にわたって日本遠征を試みるが、台風のために失敗してしまう。」(高校)と、まるで他人事のように、或いは自らも被害者であったように装って書く。
しかし、朝鮮出兵になると俄然趣は違ってくる。朝鮮側の「勇敢」な抵抗もさることながら、連綿と恨みつらみが書き連ねられる。「日本軍はいたる所で、群れをなして歩き回り、多くの人を殺したり、連れ去ったり、略奪したりした。」(小学)、「七年間の戦乱で朝鮮が受けた被害は大きかった。人口が大幅に減少し、国土がひどく荒れてしまった。耕地面積が以前の三分の一以下に減り、食糧問題が深刻になり、これに凶作と疫病まで重なり、農民の惨状はとうてい言葉には言い表せないものであった。」(中学)、「東アジアの文化的後進国であった日本は、わが国から活字、書籍、絵画などの文化財を略奪し、学者や技術者を拉致していった。」(高校)といった具合である。
これは、「歴史の記述は、偏ることなく厳格でなければならない」という基本方針に背くことにならないであろうか。
産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏は、「韓国は中世において間違いなくモンゴルに激しく蹂躙され、その期間は百年に及んだにも拘らず、モンゴルとの過去はさっぱり忘れ去られているのに、この14世紀とさして大きくは離れていない16世紀の日本との『過去』は決して忘れ去られていない」として、次のようなエピソ−ドを紹介している。「留学生はじめ韓国在住の日本人たちは今でも、スリやコソ泥など韓国で物質的被害にあって文句を言おうものなら、周りの韓国人から半ば冗談、半ば本気で『壬辰倭乱』の話を持ち出され、『それくらいはたいしたことじゃない』などと逆に説教されることがある。」
この点は、黄文雄氏も同様の指摘をしている。「朝鮮半島は有史以来、計931回も侵略された。ことに三国時代以降は、平均2年に1回という頻度で侵略を受けたともいわれる。日本には36年間支配されたが、モンゴルには1世紀近くも支配を受けた。『高麗史』は、モンゴル軍が通過したところは、すべて焼きつくされた、と記録している。(中略)しかし、それほど侵略されたにも拘らず、大陸から半島への侵略をあまり糾弾せずに、海からの『日帝』の侵略ばかりを『突出』させるのは、それなりの理由があろう」と。その理由について氏の指摘するところは、「韓民族のナショナリズムを育てるには『反日』と『克日』が必要だから」というものであるが、韓国の歴史教科書も、こうした「反日ナショナリズム」を育てるために、体よく利用されているのだとしか思えない。
その他、韓国の歴史教科書には特徴的な思想ないし思考過程が存在する。つまり、自らの現実の歴史は「華夷秩序」により、中国の臣下として生きざるをえなかったが、その事実は現代韓国人のプライドを傷つけるものであり、一種のタブ−となっている。いま一つは「小中華」意識の呪縛に引きずられていることである。
華夷秩序と小中華思想
歴代の朝鮮国王が支那に対して如何に屈辱的な臣従を強いられていたかは、呉善花氏の「『日帝』だけでは歴史は語れない」(三交社)に詳しく紹介されてている。一例を挙げると、「高麗の将軍だった李成桂は実権を掌握して王位につくと、(中略)明国に使節を派遣し、『朝鮮』と『和寧』(李成桂の生誕地)のうちいずれかを国号に選んでほしいと要請している。それを受けた明の太祖が、由緒深く優雅であるとして『朝鮮』を国号に定めたのである。そのように李朝は中国から王位と国号の承認を得て国をはじめ、毎年冬至の日に定められた朝貢を欠かすことがなかった。また、新たな国王の即位、立后、立太子があるたびに中国の承認を得、外交上の問題が生ずれば中国に意見を請うた。中国人使節は朝鮮国王より上位の品階にあり、朝鮮国王は中国使節を迎えるときにはソウル城外に出て、慎みを持って迎えなければなかった。しかも朝鮮国王は、使節が入城した門を通ることは許されず、別の門を通ってソウル城内に入らなければならなかった。」といった具合である。
だがこのような事実も、韓国の歴史教科書にかかると次のような書き方に変わってしまう。中学教科書の李氏朝鮮の建国の下りである。「新王朝は、国号を朝鮮と定めた。『朝鮮』は、すなわち古朝鮮の伝統を受け継ぐという意味で、檀君に民族の独自性を求めるという意味が含まれている。だから朝鮮という国号には、悠久の伝統文化と民族意識が反映されており、民族史に対する主体的自覚が含まれていた。(中略)朝鮮王朝は、外は明と親善関係を維持して国家の安定をはかり、女真や日本に対しては交隣政策をとって国際的な平和を維持した。」
「明と親善関係」などと言えば、いかにも聞こえはいいのであるが、その実態は華夷秩序の中で独立を去勢され、徹頭徹尾支那に依存するしかない属国関係ではなかったのか。・・・しかしその実態については教科書で決して触れようとしない。「朝鮮は朝貢を通じて明の名分を立ててやり、使臣の往来を通じて経済的・文化的実利を得た。しかし後には行き過ぎた親明政策に流れる傾向があらわれた。」(中学)・・・
結論的に言うと、朝鮮の歴代王朝は、自ら「華夷秩序」を受け入れ、歴代支那王朝に対して属国関係にあった事実を、教科書では殊更にぼかし、隠蔽しているとしか考えられないのである。・・・・
「中国に対する伝統的な事大関係」即ち「華夷秩序」は、今日でも韓国では生きて働いているのである。その端的な例が、昨年の金大中訪日時に示された韓国のマスコミの反応である。韓国人は、日本の天皇を「天皇」と呼ばず、未だに「日王」と呼んでいる。韓国政府は一昨年九月、大統領の訪日に先立って、国際慣例に従って「天皇」と呼ぶようにマスコミに呼びかけた。ところが、大半のマスコミはこれに頑強に抵抗し、依然として従来の「日王」の呼称を使っているというのである。
こうした憂うべき韓国の現状について、黒田勝弘氏は次のように慨嘆している。「『華夷秩序』体制下における『皇』と『王』の服属意識をそのまま現在にまで延長させ、韓国としては『天皇』と呼べないというのだ。東アジアで『華夷秩序』が崩壊して久しく、中国には『天子』も『皇帝』も存在せず、しかも韓国にもすでに『王』は存在しないにも拘らず、日本との関係においては、依然『華夷』意識を持ち続けているのである。しかも、中国(人)自体がこうした『華夷』意識とは無縁になっているというのに。その証拠には北京や香港、台湾の新聞は日本の『天皇』呼称には何のこだわりもない。韓国マスコミだけがこだわっているのである。その対日ナショナリズムは特異といおうか、あるいは切ないというか。『華夷秩序』の中で先輩あるいは兄としての優越感と、その秩序を崩されたことからくる劣等感という、文字通りのコンプレックス(複合感情)と言うしかない。」
呉善花氏は、こうした特異な韓国人の意識形態を「小中華」主義と呼び、李朝時代に宗主国が明から清に変わったことに、その原因を求めている。清国は華夷秩序から見れば、元々日本同様に「蔑視すべき夷族」である女真族が建てた国である。このことが、朝鮮人の潜在意識に一つの変容をもたらし、それが今日まで尾を引いているというのである。即ち、呉氏によれば、「李朝は、蔑視すべき夷族である女真族が明を滅ぼして中国に清王朝を開くに至って、大きな矛盾にぶつかることになる。つまり、現実には清に事大しながら、心の中では清を夷族として蔑視する、という矛盾である。以後、李朝は、『中国が夷狄化した以上、正統な中華主義を奉ずるのは、もはやわが国しかない』という意識から、『大中華』なき世界で唯一の『中華』であることを、大きな誇りとするようになったのである。これが李朝特有の小中華主義思想である。清時代以降の李朝小中華主義思想は、李朝を韓半島の歴史のなかで最も頑迷な中華主義者にした。」
韓国の歴史教科書が未だに「天皇」を無視し、韓国のマスコミが未だに「日王」と呼び続ける真の理由も、ここにあるのだろう。日本が占領憲法に未だに呪縛されているように、韓国は「小中華」意識に未だに呪縛され続けている。・・・・・・
私は韓国の歴史教科書について批判する気は毛頭ないし、またその権利もない。よその国にはその国の考えや方針があってしかるべきであり、それにとやかく干渉してはならない。この点、昨今の韓国や中国による日本の歴史教科書の記述に対するあからさまな干渉は、常識を逸脱した国際的蛮行であるといえる。また、これに応対すべき日本政府にしても、事実を確認することなく安易に妥協する態度に終始しており、事態をさらに複雑にしているのである。このようなことが分からないようでは、真の日本の指導者とは言えないのではなかろうか。
南京大虐殺と従軍慰安婦
この章の前半で紹介した東京書籍の歴史教科書には、最近話題になった南京大虐殺と従軍慰安婦に関して、以下のように記述してある。
254頁の『日中全面戦争』の日中戦争勃発の項には、以下のように述べてある。「満洲を支配下に置いた日本は、さらに華北に進入した。1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋で起こった日中両軍の武力衝突(盧溝橋事件)により、宣戦布告が行なわれないまま日中戦争が始まった。戦火は華北から華中に拡大し、日本軍は、同年末には首都南京を占領した。その際、婦女子を含む約20万人ともいわれる中国人を殺害した(南京大虐殺)。」
このように教科書にまで載っている南京大虐殺ではあるが、実は全くの作り話であり、このような事実はなかったことが現在証明されている。
一方、263頁の『戦時下の生活』の戦争の長期化と中国・朝鮮の項には次のような記述がある。「・・・また国内の労働力の不足を補うため、多数の朝鮮人や中国人が、強制的に日本に連れてこられ、工場などで過酷な労働に従事させられた。従軍慰安婦として強制的に送り出された若い女性も多数いた。」
従軍慰安婦に関しては、軍の強制的連行の事実は全く証明されておらず、それ故、誤解を招くような『従軍』なる冠詞は不適当であろう。また、従軍慰安婦なる言葉も当時は存在せず、後世の造語である。このような商売はあくまでも民間の経営によるものであり、当時の感覚からしても何も目新しいことではない。後世の価値判断基準で、歴史を推し量る愚かさを知るべきであろう。いずれにせよ、このような歴史の、あるいは人間の裏側を、なぜ純真な子供たちに“強制的”に教える必要があるのだろうか。
悪趣味ないやがらせとしか言いようがない。南京陥落当時、誰も問題にしなかった幻の南京大虐殺がなぜ戦後に出現したか、その理由およびその意義については平成11年9月に祥伝社から出版された一冊の本により明らかにされている。
「中国における『情報戦』の手口と戦略」のサブタイトルが付いた、藤岡信勝、東中野修道共著の「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」という本には、南京大虐殺というような虐殺行為は一切なかったことを正確かつ緻密な歴史的考証で証明しており、さらに現在中国側から執拗になされている宣伝の理由をわかりやすく解説している。
この本のまえがきで藤岡氏は中国によるこのような捏造された反日プロパガンダの今日的意義について以下のように述べている。
《「日本は世界中で一番悪い国だと思う」「ボクをあのけだもののような日本兵と同じに見ないでください」いずれも、日本の公立中学校で、日本の歴史を学んだあとに書いた子供の感想文である。戦後の日本は、このような歴史教科書を若い世代に施してきた。そして、その「教育」のための切り札ともいうべき「教材」となってきたのが、「南京大虐殺」とよばれる事件であった。
今、私の目の前に一冊の英語の本が置かれている。日の丸を背に、一人の日本兵が銃を持って構えている。その周辺にはおびただしい死体が散乱する風景写真が配されている。著者はアイリス・チャンという中国系アメリカ人の若い女性ジャ−ナリストで、書名は『ザ・レイプ・オブ・南京』。「第二次世界大戦の忘れられたホロコ−スト」という副題がついている。本をのぞいてみると、次のようなことが書かれている。−−日本兵は、捕虜の目玉をえぐり出し、耳と鼻を切り取り、生き埋めにして戦車でひき殺し虐殺した。また、女性を強姦して、被害は2万人に及んだ。その三分の一は天下の公道のど真ん中、公衆の面前で、公然と行なわれた−−。
まさに「けだもののような日本兵」の姿ではないか。この本を読み、そこに書かれていることを信じ込めば、疑いもなく、冒頭の感想文を書いた中学生のような心境になるであろう。
本書「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」は、アイリス・チャン『ザ・レイプ・オブ・南京』のウソを全面的に暴露した反撃の本である。それが、中国人特有の反日宣伝の書であり、デマを書き連ねたものであることを明らかにしたものである。戦時プロパガンダを60年後に再現した中国の「情報戦」の産物であることを解明したものである。第一章では、『ザ・レイプ・オブ・南京』がどんな本であるかを概略紹介するとともに、1937年の南京陥落に至る経過をスケッチした。第二章では、同書に掲載されている虐殺を証明するはずの写真がすべて証拠能力のないものであることを証明した。第三章では、チャンの主張を主要な五つの命題に要約した上で、完膚なきまでに批判した。第四章では、チャンの本の翻訳出版中止事件を通じて、今も「情報戦」が激しく行なわれていることを明らかにした。同時にこの章は、本書の2人の著者の戦いの記録でもある。
「中国語も日本語も読めないチャンの書いたインチキ本など相手にする価値がない」という人がいる。「国際政治の問題だからほっておけ」という保守系言論人がいる。こういう立場は結局のところ、中国の「情報戦」になすがままにしてやられ、日本人の誇りを奪われてきた戦後の歴史を今後も繰り返すことになる。最も困難な戦いを回避し、ことの本質が「情報戦」であることをまったく理解していないのである。
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』という、スペイン人の新大陸での残虐行為を誇張し歴史を歪曲した一冊の奇書が、スペイン人を道徳的におとしめた。この「暗黒伝説」によって、スペインは自虐国家となり、かつての栄光を永久に失うことになった。チャンの反日偽書を放置すれば、これは日本にとっての「暗黒伝説」になりかねない。
「スペインの失敗」を日本は繰り返してはならない。そういう共通の思いに結ばれて、2人の著者は、アイリス・チャンの宣伝に対する反撃に立ち上がった。私たちは、21世紀の日本人の生き方を決めるこの「情報戦」に、参戦する日本人が次々とあらわれることを、心から期待している。》
この本の詳しい内容は原本を読んでいただくこととして、その主張である、戦後世界の冷徹な「情報戦」が今もなお熾烈に行なわれ、歴史の捏造もその過程で容易に行なわれていることが本書で学ぶことができる。
日本の歴史教育への疑問
いずれにせよ、情けないのは日本の歴史教科書の執筆者であり、これを見逃している教科書検定制度および日本政府の態度である。
何故、日本の歴史教科書の執筆者は一方的反日的宣伝を「強制」し、せっせと反日的日本人を育成することに喜びを感じることができるのだろう。自分の国およびその歴史に誇りを持てないような民族は、所詮繁栄することはない。自国に誇りを持てる教育を受けた明治、大正生まれの人たちが戦後の奇跡的な経済繁栄を成し遂げたが、自虐史観で教育を受けた戦後生れの人たちの時代になり、経済が破綻し、政治が混迷し、犯罪が激増し、道徳心が地に落ちた状況をいかに考えていいのであろう。
それにしても、日本の歴史を「虐げられた民衆とそれに抵抗し立ち上がる民衆」といった画一的な暗黒史観で塗り固めたのが、今の歴史教科書である。日本の歴史がそんな単純な思考で説明できるはずがない。
その時代、その時代を生きた人々が冷徹な現実に勇敢に立ち向かい、必死に日本の歴史を切り開いてきたことは冷静に考えれば分かるはずである。
当時欧米列強のアジア侵略の中で、なぜ日本だけが唯一独立を保つことができたのか。今の日本がなぜ世界の先進国に肩を並べる豊かさを誇っているのか。また、今の日本がなぜ世界一の平等かつ民主的な社会になったのか。それはすべて先達の英知とたゆまぬ努力によるものである。生まれながらにしてこの豊かさを享受している今の若者に、誰がどのようにしてこのような幸せな社会を作ったのか、もう少し納得できる説明をする必要がある。日本の国を誇りに思わない若者を粗製乱造して、何が教育であろう。そのような教育からは、まともな精神を有する若者は決して育たない。
このような偏向した教育の背景には、日本の国をその精神を含め目茶目茶にしたい勢力が存在することだけは確かなようである。
このようにわが国の歴史教科書問題の根はかなり深いところにある。
(私論.私見)