428913−32 自衛隊の海外軍事派兵考

【憲法上、解釈改憲の許される範囲について】 れんだいこ 2003/11/17
 2003年11月現在、小泉政権は「日米同盟の信義論」と「石油資源の安定的確保の必要論」を名目にして、イラクへの自衛隊軍事派兵を目論んでいる。ところが、そのイラクの治安状況が悪化しており、派兵の足踏みを余儀なくされつつある。

 11.17日の最新局面は、11.16日「自衛隊イラク派遣なら東京攻撃」なる声明文が国際テロ組織アルカイダを名乗る組織から届けられ、11.17日小泉首相が「脅しに屈しない」と逆ギレしている最中である。

 とはいうものの、11.17日付新聞に由れば「政府は17日、イラク復興支援特措法に基づく自衛隊派遣について、年内をめざしてきた派遣時期を年明け以降に先送りする方向で最終調整に入った」とある。

 概要「自衛隊派遣予定地に近いナーシリヤでイタリア警察軍が攻撃を受け多数の死傷者が出たほか、米軍のヘリコプターに対する攻撃が続くなど現地の治安が極度に悪化。16日まで訪日したラムズフェルド米国防長官が年内派遣を強く求めなかったことも踏まえ、早期派遣をめざす基本姿勢は変えないものの、現状では自衛隊を派遣できる状況にない、との判断を固めた」とのことである。

 ところが、石破茂防衛庁長官はえらい熱心だ。先に来日したラムズフェルド米国防長官との会談で、「現地情勢を注視しつつ、自衛隊の能力を活用したふさわしい貢献を早期に実施する」と述べ、事前の専門調査団の結果を踏まえ、早期に派遣する方針を表明している。

 ラムズフェルド長官は会談で「一番適切なやり方を自分で決定すべきだ」と述べ、日本政府の方針を尊重する考えを示したと伝えられているが、「ミサイル防衛(MD)システム構築に向けた日米協力の加速」合意を取り付けている。商談だけはちゃっかり纏めているということか。

 それはさておき、11.19日に特別国会が召集され、イラク自衛隊派遣で与野党が論戦することになる。衆院選で議席を増やした民主党は、これにどう切り込むのだろうか。「小泉首相の所信表明演説と代表質問など本格審議を要求」しているが、論戦の中味が問題だ。

 漏れ伝うるところによると、民主党側は、泥沼化するイラク情勢を受けて、米英のイラク開戦を支持した政府の判断を改めて批判するとともに、「イラクでは戦闘地域と非戦闘地域の区別が有名無実化している」として、自衛隊派遣の根拠が崩れたと主張する構えのようである。

 予想される政権与党側の返答は、「衆院選で、与党が絶対安定多数を確保したことは、自衛隊派遣についても国民の支持を受けたということだ」との立場から居直り、民主党の危険論に対しては「イラクは広い。安全なところもある。候補地を目下物色している」と応戦していくことになるだろう。民主党が執拗に食い下がれば、「交通事故のような事故はあり得る。それぐらいは勘弁してもらいたい」で逃げ切るようである。

 れんだいこはここで提言しておく。民主党には無理かも知れないが、やはり憲法論で立ち向かうべきだろう。憲法前文精神と9条規定による「首尾一貫した不戦規定」は、目下最高法規であり、改訂前においては何人もこれを遵守せざるを得ない。もし、時の政府が率先して破るようなことがあれば、重責を持って訴追されねばならない。これが法治主義の原則である。

 もし、これを破っても良いという場合には、二つの観点が考えられる。一つは、「高度な政治的判断であり、司法判断には馴染まない論」。もう一つは、国連決議に基づく国際的責務論。しかし、こたびの米英-イスラエル連合によるイラク開戦と占領経過には、由々しき手順ミスがある。国連決議が為されたとは云え、それは「後付け決議」であり、かようなものが許されるのか。普通には無いよりは有る方が良いというだけで、無効だろう。正確には法的にはどういうのか分からないが。あくまで「国連決議無しのイラク開戦の是非」が問われるべきだろう。国際法が現に存在するのなら、必ずやこの立場でしか論が為されないはずのところであろう。

 もう一つの「高度な政治的判断論」についてはどうだろうか。れんだいこは、日米同盟の再吟味が必要と考える。かの安全保障条約その他に「先制的攻撃論」まで記されているのであろうか。れんだいこの解するところ、防御的なものとしての取決めであったと思っているが違うだろうか。もし、「先制的攻撃論」までは含まれていないとすれば、小泉首相の「世界に先駆けてのブッシュ支持の打ち出しとそれに基づく自衛隊の軍事派兵約束」は訴追されるべきだろう。「高度な政治的判断論」の限度を超えていると思うからである。

 結論的に云えば、こたびの自衛隊のイラク派兵は、憲法上、解釈改憲の許される範囲を超えている。安全論以前の問題でここの咎(とが)が問われねばならないのではなかろうか。これを神学論争なる言葉で一蹴した小泉の見識を鋭く問い、なじるべきであろう。

 そもそも元に戻って、戦後日本の軍事防衛規定としての「首尾一貫した不戦規定」はその後「軽武装、殖産興業政策」に転身せしめられたものの、今尚価値有る高度にして優れものの政策では無かろうか。その価値がますます光りつつあるときに何を好んで中曽根式のアナクロニズムの世界観に分け入らねばならぬのか。それは亡国の道だろう。補足すれば、中曽根の胡散臭さは別途問われねばならない。

 思えば、我が国は、「首尾一貫した不戦規定」とその後の「軽武装、殖産興業政策」があったればこそ、ベトナム戦争時にも派兵せずに済んだ。隣の韓国はこれを為し、強兵であったため多くのベトナム解放戦士を殺傷し、その後のベトナム韓国関係に暗い影を落としていると聞く。イスラム圏が親日的であった理由としても、これまでかの地に石油パイプラインを始めとするインフラ整備に貢献してきた歴史があってのことである。これ全て、「首尾一貫した不戦規定」とその後の「軽武装、殖産興業政策」のお陰ではないのか。

 この政策は成功してきたのであり、そう立論することが今求められている。最近の右派系の論調には全く納得し難い。御用学者、マスコミの論の薄っぺらさこそ衝くべきだろう。れんだいこは、飯に困らない連中の退屈しのぎの見得論は有害無益と心得る。

 こたびアルカイダを名乗る組織の「自衛隊イラク派遣なら東京攻撃」なる警告は、日本外交のこのところの急速な右旋回に対するものであろう。それを思えば、小泉の「脅しに屈しない」対応は何と底が浅いことだろう。もしアメリカでブッシュ勢力が訴追されたなら、我々は我々なりに当然の権利として小泉を歴史法廷に立たせ、訴追せねばなるまい。その日の来ることが近からんことを祈る。

 2003.11.17日 れんだいこ拝




(私論.私見)