憲法研究会(鈴木安蔵)の「憲法草案要綱」の検証 |
(最新見直し2006.9.23日)
関連サイト「戦後政治史検証」
【憲法研究会(鈴木安蔵)の「憲法草案要綱」の草案過程】 | |
戦後憲法策定過程に於いて鈴木安蔵を主として起草された「憲法研究会草案」が注目されている。この経緯を検証しておく。 1945.10.16-18日、鈴木安蔵が、東京新聞紙上で憲法改正について言及していた。但し、憲法の部分的修正を説くにとどまっていた。 10.29日、日本文化人連盟創立準備会の折に、統計学者の高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として憲法研究会が結成された。事務局を憲法史研究者の鈴木安蔵が担当し、他に杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄、室伏高信等が参加した。研究会内での討議をもとに、鈴木が第一案から第三案(最終案)を作成していった。 11.5日、第1回憲法研究会が開催された。高野岩三郎、杉森孝次郎、森戸辰男、室伏高信、岩淵辰雄、鈴木安蔵らが集まり、鈴木安蔵を事務局長格とした。順次、鈴木義男.今中次麿.有竹修二.木村ネ喜八郎らが参加してくることになった。大内兵衛の影響が認められた。12.26日、鈴木安蔵らの憲法研究会が「憲法草案要綱」を発表した。署名者は第一回参加者(鈴木安蔵、高野岩三郎、森戸辰男、室伏高信ら)に馬場恒吾が加わり7名になった。「憲法草案要綱」は、代表を通じて、同会から内閣へ届けられた。GHQには英語の話せる杉森が持参した。 要項は、1・根本原則、2・国民権利義務、3・議会、4・内閣、5・司法、6・会計及財政、7・経済、8・補則で構成されていた。これを見れば、戦後憲法は、この草案を更に洗練させていることが分かる。冒頭で、「根本原則」を記し、次のように規定している。
これを見れば、草案が、戦後憲法の象徴性天皇制に基づく国民主権の原則のひな型になっていたことになる。その他、寄生的土地所有の廃止などリベラルな内容が盛り込まれおり、人権規定においては留保が付されることはなく、「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」等具体的な社会権、生存権を規定していた。 この要綱に対し、GHQが強い関心を示し、通訳・翻訳部(ATIS)がこれを翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた文書が提出されている。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。 なお、憲法研究会案に満足できなかった高野は、天皇制廃止・大統領制を採用した独自の「改正憲法私案要綱」を雑誌に発表した。 |
【憲法草案要綱】 |
「日本国憲法の誕生」の「憲法草案要綱 憲法研究會案」を転載参照する。(原本は、各条項をそれぞれ「一」と羅列しているので、戦後憲法並みに順次数次化して識別させて確認することにする) |
(私論.私見)