:護憲改憲両派の議論の陥穽考 |
(最新見直し2007.5.6日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2007.5月の連休期間、メディア各社は「護憲改憲両派の議論」を放映した。れんだいこは、たまたま田原総一朗の番組を聞く機会に恵まれた。中曽根を御大として招いてコメントさせながら、新聞各社の論説委員が護憲派と改憲派に分かれ論争していた。面白い企画ではあったが、それを聞きながら苛立ちが隠せなかった。彼らは、肝心なことを議論していないではないか、そういう思いがずっとした。堪り兼ねて、れんだいこが注進することにする。 一体、憲法9条論は、軍事防衛の是非論ばかりで論争するのは如何なものだろうか。それは片手落ちで、せいぜい水掛け論に陥るのが落ちで、それこそ神学論争になりやしないか。改憲派は昔から、やれソ連が中国が今では北朝鮮がと危機感を煽り、戸締り論を主張してきた。これに対するのに反戦平和論だけでは議論が平行線になるのが関の山だろう。 憲法9条論は他にも自衛隊の戦闘出動問題と絡む。有事事態法とも絡む。当然これらの論争を避けては通れないが、憲法9条論はこうした論争に終始させるものではない。もう一つ軍事防衛の費用論からもアプローチせねばなるまい。今目下の最大焦眉の課題は、政府与党のタカ派によるとめどない軍事防衛予算の突出にある。今後更にミサイル防衛網、軍事兵器の共同開発、基地移転費に莫大な予算が計上されようとしている。これを問わずしてごく一般的に是非論ばかりを論議するものではなかろう。れんだいこは、護憲派が何ゆえにこの有利な観点からの言及を避けるのか不思議でならない。 れんだいこが思うのに、改憲派のその昔の戸締り論にせよ、中曽根の国際責務論にせよ、ごく最近の米日運命共同体論にせよ、財政負担の費用効率の観点から問わねばならないだろう。一体全体、日本は、軍事防衛費に関連まであわせるとどれくらいの費用を注ぎ込んでいるのか。これをはっきりさせねばなるまい。その天文学的費用を明示させた上で、国民に分かり易く論議せねばならない。 政治の世界では特に費用対効果が問われねばならない。その限度を超せば、抑制せねばなるまい。効能がないと分かれば止めさせねばならない。必要とあらば新たに財源を講じねばならない。軍事防衛問題がこの観点から洗われねばならないのは当然である。 れんだいこが聞き分けしてみて、改憲派の主張は底無しである。彼らは、日本が米英ユ同盟の言いなりになって心中するのも辞さずという何やらオカルトめいた宗教に被れているように思えて仕方ない。中曽根の二枚舌を聞けば、前半は自主防衛を云う。後段なると、米軍との緊密な連携を云う。本来、噛み合わない筈のものが総合されており、マジック論法でセットされている。こういう詭弁は日共にも認められるが、連中には教本でもあるのだろうか。 もとへ。憲法9条論議は次の点から為されるべきである。1・戦後の国是としての非武装中立論、2・その補完としての国際協調政策論、3・財政健全化論、4・自衛隊戦闘出動論、5・先制攻撃論等々の是非が問われるべきである。中でも今や、財政健全化論との絡みで検証されることこそが本筋である。なぜなら、先の小泉政権時代に国会審議に諮られないままに内閣決議で勝手に決められ、今後大枚の金額が投入されようとしているからである。 次に、自衛隊問題についてコメントしておく。これは、次の観点から論ぜられるべきである。自衛隊は、憲法からもたらされたのではなく、日米安保条約により超法規的に導入され定着したものである。こう捉えないと問題性が見えてこない。戦後日本は、憲法と日米安保条約の二本立てで運営されており、その後者の方から生み出されたものである。国債と同様に当初はちょろちょろ中ぱっぱっで、次第に肥大化してきた存在である。その頃政権に与ったハト派は、これを解釈改憲で是認せしめてきた。次第に拡幅され、今では専守防衛区域の枠さえ取り払われ、自衛隊の世界中の海外派兵が造作なく行われるところまで来ている。 これを財政問題で見れば、1970年代までは「GNP1%枠」を設けていたが、中曽根内閣の時にこれを撤廃して以来、世上の景気に関わらず特にこの分野だけは不景気知らずで予算が増大化し続けて今日まで至っている。この特異性を確認するところから論を起こさねばなるまい。 改憲派は最近しきりに、既に軍隊なのだから軍隊だと認めるべきだ、ハト派的解釈改憲対応は間違いである、憲法改正こそ正道だと云う。しかし、それは、犯罪の積み重ねによりいつのまにか犯罪でなくさせるという特異な論法でしかない。法の番人が率先法違反して恥じないのと通低している。典型的な居直り論理であり、説教強盗の類いの論法である。 連中は本来なら、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」違反で逮捕されねばならない連中である。彼らが逮捕されないのは、法的には憲法に違憲判断裁判所を設けていないことに理由がある。実際には、彼らが、憲法改正を教唆する国際金融資本の威光に助けられていることにある。国際金融資本は、今や現代世界を牛耳る国際裏政府であり、金融と戦争を二本立てにしながら世界をままにしている。国際金融資本に身売りすれば、人はその能力資質に応じて地位と権力と出世とマネーが保証される。これを求めてエピゴーネン達が群がり、売国を競い合っている。 中曽根−小泉−安倍政権下での改憲策動は、れんだいこ史観によれば全て無効である。なぜなら、憲法99条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とある以上、内閣が改憲を煽ることはできない。そういう違法の改憲的動きを掣肘せねばならない。 憲法9条論及び憲法改正論の是非は、この構図と観点から論ぜられねばならない。メディアの談義が如何に隔靴掻痒のものであるか、護憲派が分の悪い立ち回りをさせられているヤラセ構図のものであるかが透けて見えてこよう。だから、我々のメディアを創らねばならない。そういう結論になる。 2007.5.7日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)