4289193 改憲派の言説と動向について

 (最新見直し2006.5.15日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2007.5.14日、憲法改正手続きを定める国民投票法が参院本会議で可決された。メディアの産経、読売が率先して憲法改正の前哨戦としてこれを称えている。我らが傾聴するに値する論理、論法、歴史認識のものであろうか。ここで、改憲派の論理と動向について検証しておく。

 れんだいこが端的に指摘しておくならば、彼らは平気で論理矛盾を犯している。なぜなら、「マッカーサー押し付け憲法」を改め自主憲法制定を云いながら、実際には何ら自主性は無くて、今度は「国際金融資本肝いり憲法」を導入せんとしているからである。「外圧」を批判して改正するなら自主的なものでなければならぬが、目下の憲法改正の動きもまた「外圧」であろうが。それも、マッカーサー憲法がキリスト教愛国主義的傾向に立脚しているとすれば、国際金融資本憲法はユダヤ教パリサイ派の臭気が強く、それは却ってより悪いものである。

 それでも、それを知りながら目下の憲法改正加担に動くとしたら、売国奴エージェント以外の何者でもなかろう。恐らく相当の資金援助も受けているだろう。こったら不正が許せるか。以下、これらを確認していくことにする。

 2007.5.15日 れんだいこ拝


Re:れんだいこのカンテラ時評その168 れんだいこ 2006/05/04
 【法治主義を遵守しない者に法をいじる資格は無い。これは当たり前のことである】

 2006.5.3日付毎日新聞19面の「改憲問題座談会」を論評する。論者は、枡添要一・自民党新憲法起草委員会事務局次長、山崎正和・LCA教授、高橋和之・明治大法科大学院教授。司会は、倉重篤郎・毎日新聞政治部長。憲法記念日の最近の論調が分かり興味深い。

 枡添はいきなり次のように述べている。
 「憲法は9条が最大の問題です。今、自衛隊がイラクにもインド洋にも行っています。憲法9条をまともに読んで、こういうことができるのか。更に、米国の9.11事件とテロ特措法、イラク戦争だとイラク特措法と、場当たり的に法律を作っている。国会の政府答弁も非常に苦しく、『解釈改憲』は限界です」。

 れんだいこが思うに、この発言は非常に問題である。枡添という御仁は、小ネズミ同様レイプ気質が濃厚と見る。枡添よ、改憲を策動している当人が、「今、自衛隊がイラクにもインド洋にも行っています。憲法9条をまともに読んで、こういうことができるのか」とのたまう神経が、れんだいこには理解不能である。

 「自衛隊のイラクへの武装派兵が違憲である」と公然と述べているところが異常である。蛇足ながら、枡添は、自衛隊のイラクへの武装派兵が違憲である故にできないとしているのではない。この発言は、違憲承知で自衛隊のイラクへの武装派兵を強行したことをぬけぬけと公言していることに意味がある。お前の反法治主義、現実優先感覚が透けて見えてくる。

 この発言は明らかに、憲法第99条の「行政当局者の憲法遵守義務規定」(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ)に違反している。つまり、由々しき発言であることになる。我が社会では、こういう発言が許され訝られないほど法治主義感覚が欠如していることになる。

 しかしまてよ。この感覚を逆用すれば、今後仮に改憲されたとして、又もその条文にも関係なく再び反法治主義、現実優先感覚で事態を進展させることができることになろう。つまり、これらの手合いにとっては、いつまでも法が法としての意味をなさないことになる。

 枡添よ、法がそれほどお飾りで、遵守する必要の無いものならば、いっそのこと無法社会にすれば良かろう。政治は力だ、権力だ、強い者には巻かれるんだで万事押し切れば良かろうに。ならば、改憲も無意味ではないのか。お前が憲法改正に執心するのは自己撞着していよう。答えてみ。

 後段の、「国会の政府答弁も非常に苦しく、『解釈改憲』は限界です」発言も問題である。これまで「解釈改憲」してきたことをぬけぬけと吐露している。正直といえば正直ではあるが、「解釈上合法である」として居直るのと「解釈改憲である」とするのとでは弁明スタンスに大いに違いが有る。

 お前は今、憲法改正を目指す自民党新憲法起草委員会事務局次長とのことだが、本来はそういう役を引き受けるのは最低限法治主義者であることが前提であろう。違憲是認を平気で公言する反法治主義者が法の改正を手掛けるのは論理矛盾ではないのか。

 山崎の発言もオカシイ。概要「改憲改定が厳格であることは民主主義の本旨に反する、憲法改正は国会で3分の2あれば可で、国民投票に掛けなくてようと思う」などとぬけぬけと発言している。

 山崎よ、正気かよ。お前の論法をまともに受け取れば、改憲改定が容易であることが民主主義の本旨ということになるが、国権の最高法規がころころ変るのがそれほどに民主主義的であるということを論じてみよ。チャンチャラおかしいではないか。ついでに、お前の民主主義論つうものを聞かせてみ。

 山崎は小泉政権について次のように述べている。
 「小泉内閣が特に米国にべったりだとは思いません。日米関係を基軸とした外交は自民党の暗黙の党是のようなもの。要するに国際情勢が変ったわけです。自衛隊が海外で平和構築をするのは、世界が要求し、世界人としての日本人が決めたことです。政治も経済もグローバル化し、一国平和主義に安住していられない流れの中で、小泉さんが選択した。国際情勢の変化の中で、国際人として日本の憲法も考えなきゃならない」。

 れんだいこは山崎が何者なのか知らない。その昔、新聞の文化欄にちょろちょろしていたが、何を云っていたのかさっぱり思いだせん。その御仁のこの発言から分かることは、根っからの御用政治家にしてシオニスタンであるということである。その論理構成が全くのシオニスタンぶりを示している。一々解析しないがそう云える。

 それにしても、「小泉内閣が特に米国にべったりだとは思いません」とは滑稽な話ではないか。そう云うのなら、お前の考える「米国べったり内閣基準」を云うてみ。稀代のべったり内閣をしてそうは思わないなどというのなら、どういう状態になったらべったりなのか明らかにして見よ。お前の感覚は体制べったり過ぎようぞ。それにしてもだ、こういう太鼓持ち評論家が世の中でいつでもはびこるんだな。実に格好例となっている。

 それにしても、枡添も山崎も人前で薀蓄垂れるような頭脳しとらんがな。高橋の応答はまずまずとしても、司会は何やってんだ。「先生それはちと問題発言では」と、合いの手ばかり打たずに云うてみ。せっかくの憲法記念日なんだから、それぐらいのこと云わんと仕事したことになりゃせんやろ。

 悪い仕事ばかりする人間と本との仕事せん人間が高給とって贅沢三昧している世の中は覆さねばならん。それが共謀罪に問われるのなら、歴史は共謀罪のかたまりやがな。何で今頃、反歴史法をひっさげてしつこく狙うのかな。逆に抵抗権、革命権、回天権の正義をぶったろか。一言添えておく。「シオニスタンがままにしておれども、今に転ぶで。転ばすで」。

 2006.5.4日 れんだいこ拝

【産経・古森記者の憲法改正論の愚昧さ考】
 「阿修羅憲法1」の××氏の2007.5.12日付け投稿「リベラル派が日本の改憲支持 (産経古森記者の記事)」の古森記者の論法を解析する。
 http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070512/usa070512000.htm
 【緯度経度】リベラル派が日本の改憲支持

 安倍晋三首相の4月下旬の米国訪問では日本側で報道のハイライトをほとんどあびなかった重要な出来事がひとつあった。米国議会下院外交委員会のトム・ラントス委員長が安倍首相に対し日本の憲法改正への支持を述べたことだった。

 米側の日本憲法への態度の変遷をもう20年以上も追ってきた私には、「ああ歴史とはこのように変わっていくのか」と、つい感慨を覚えさせられる言葉だった。日本側でのこんごの改憲論議でも米国の反応を測るうえで重みを発揮していく言明ともなろう。

 安倍首相は4月26日、ワシントンの連邦議会で上下両院の主要議員十数人と会談した。首相は日米同盟の強化を語り、慰安婦問題では「申し訳ない」と述べたのに対し、その慰安婦問題の決議案を審議する下院外交委員会の仕切役のラントス議員は慰安婦にはまったく触れないまま、次のように発言したのである。

 「私は日本が経済や開発援助の分野で国際社会においてすばらしい役割を果たしていることに加え、安全保障面においても日本という大国にふさわしい役割を果たすべきであり、そのために憲法を改正しようとする安倍総理の方針を強く支持している」

 ラントス議員といえば、民主党の有名なリベラル派である。ハンガリー出身のユダヤ系でナチス・ドイツに強制収容された体験がある。そんなリベラル派の政治指導者が日本の憲法改正を強く支持すると公式の場で言明したのは私の知る限り、初めてだった。

 ふだんは日米関係にはほとんど関与しないラントス議員が事の背景をあまり理解しないまま、つい軽率にそんな言葉を口にした可能性があったとしても、その強い語調は撤回が不可能なほど明確な改憲支持表明だった。日本の改憲の正当性は米側でここまで認知され、支持されるにいたったのか、と感嘆したわけである。

(私論.私見)

 古森記者の頭脳のお粗末さが見事に表現されている。「民主党の有名なリベラル派であり、ハンガリー出身のユダヤ系でナチス・ドイツに強制収容された体験があるラントス議員が、そんなリベラル派の政治指導者が日本の憲法改正を強く支持すると公式の場で言明した」ことを踏まえて、「日米関係にはほとんど関与しないラントス議員が事の背景をあまり理解しないまま、つい軽率にそんな言葉を口にした可能性があったとしても」だと。ラントス議員が軽率なのか、お前が軽率なのか、お前は考えたこともないらしい。

 「ハンガリー出身のユダヤ系でナチス・ドイツに強制収容された体験がある議員」というだけで、現代世界を牛耳る国際金融資本の御用聞き走狗であるらしいことが分かるではないか。現代世界を牛耳る国際金融資本は今、日本の自衛隊を海外派兵させようとして、その為に障害になる憲法改正をさせんとして躍起となっている。御用聞きのラントスが御用聞きしているだけのことではないか。

 それをお前は、「日本の改憲の正当性は米側でここまで認知され、支持されるにいたったのか、と感嘆した」と云う。お前の頭脳がどういう程度のものか良く分かるぞ。


 2007.5.14日 れんだいこ拝

 というのは、米国の民主党リベラル派の間では従来、日本の憲法改正には難色を示す向きがほぼすべてだったからだ。そんな系譜を私自身の体験からたどってみよう。自国の憲法の改正はあくまで自国の自主判断だが、米国は日本の憲法を起草した国であり、第9条の軍隊保持の禁止は防衛を米国に頼るという日米安保の枠組みと一体になってきたのだ。

 1980年代にエドウィン・ライシャワー元駐日大使に「日本の改憲をどう思うか」と問うと、「日本の振り子は激しく揺れすぎるかもしれない」と答えた。日本は軍国主義から民主主義へ、孤立から協調へ、変容があまりに急激だから、改憲はまだどうも、という意味だった。知日派の大御所ライシャワー氏はもちろん民主党系である。

 90年代のはじめには米国の知性の代表とされたジョン・ガルブレイス氏に同じ質問をしてみた。同氏はリベラル派の経済学者だが、終戦直後に米国政府の「戦略爆撃調査団」の団長として東京に乗り込み、日本側の旧指導者たちを尋問した経験もあった。氏の答えは「日本はいまの憲法を絶対にそのまま保つべきだ。日本がもし改憲へと動けば、東アジアには大きな動揺や不安定が生じるだろう」という骨子だった。

 93年以降の民主党クリントン政権下でもウィリアム・ペリー国防長官、ジョセフ・ナイ国防次官補、ウォルター・モンデール駐日大使らの高官は、いずれもアジア有事の日米共同防衛でも「日本は憲法の枠組みを変えないで協力してほしい」と強調していた。「護憲」の信号の明確な発信だった。

 こうしたリベラル派の対日思考はいまもニューヨーク・タイムズ社説での「日本の憲法改正は危険な軍国主義志向」というふうな論調や、前回のこのコラムで紹介した若手日本研究者コネティカット・カレジのアレックス・ダデン准教授の安倍首相の改憲への動きを慰安婦問題と結びつける陰謀説にもなお表れている。

 ちなみに共和党や保守派の側では90年代はじめから「日本を米国の真の同盟パートナー、国際社会の責任ある一員とするためには、正義や抑止のための力の行使をも禁じる憲法の改正を促すべきだ」(92年のヘリテージ財団提言)という意見が主流となっていた。戦略問題での保守派の重鎮ポール・ニッツェ氏は「日本の改憲は軍国主義復活につながるというのは日本不信の兆候であり、日本を真に民主主義国として信頼するならば、改憲を恐れる必要はない」と明言していた。

 しかし民主党リベラル側での長い流れでは日本の改憲への強い支持を国政の高いレベルで表明したのは、どうも今回のラントス議員が初めてのようなのである。それほど米側での日本への警戒や不信が減ってきた、ということだろうか。(ワシントン 古森義久)(2007/05/12 08:12)

(私論.私見)

 何のことはない。その昔のアメリカは、日本の憲法改正に反対していたのに今は賛成し始めたのに対し、「それほど米側での日本への警戒や不信が減ってきた、ということだろうか」と推測している。今や、日本の軍隊自衛隊が国際金融資本により積極的に戦地利用されけかかっている面を見ようとしない無茶な推理であることは自明であろう。しかし、この程度の人物が記者とは。口がアングリさせられるわな。

 2007.5.14日 れんだいこ拝
 ××氏は、末尾の(注)で次のように述べている。
 アメリカの本来のユダヤ人(共和党に移ったネオコンではない)が自分たちの作った日本国憲法の改正を認めた初めての発言だそうですが、私の経験からいいますと、日本人と会見する前にアメリカ人は官僚組織に蓄積されているその日本人の過去の履歴や発言データを綿密にチェックするのが決まりですから、古森さんの喜びそうなことをリップサービスで言った可能性も大ありです。
 (私論.私見)

 ××氏の「古森さんの喜びそうなことをリップサービスで言った可能性も大」と見なすこの解説も酷い。次のように解すればよいだけの話だろうが。
 憲法制定時の対日占領軍は、日本帝国軍の解体を責務とした。これにより、二度と戦争の出来ない仕組みにした。
 朝鮮動乱の過程で、米軍指揮下に置くという形での日本軍の再建に転換した。
 自衛隊の肥大化が進み、世界有数の軍備となった。
 米軍指揮下での自衛隊の国際的利用が画策されている。
 憲法改正により、二度と戦争の出来ない国から戦争の出来る国へと転換させられようとしている。
 
 つまり、「外圧による憲法制定」を「外圧による憲法改正」しようとしていることになる。こう見れば、「念願の憲法改正の対米理解が進みつつある」ことを喜ぶ憲法改正派とは何と皮相な受け止めをする頓馬な者だろうか。この程度の頭脳の手合いに国防なぞ任せられる訳がなかろう。

 と書いてみたがやはり腑に落ちない。古森ら憲法改正派は「外圧による憲法改正」の実態を隠蔽せんとして意図的故意に自主憲法制定を饒舌しているだけなのではなかろうか。してみれば、時局迎合派にして骨の髄からの売国奴ということになる。

 2007.5.14日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評291 れんだいこ 2007/05/15
 【憲法改正派の知性値踏み考】
 【産経正論・志方教授の憲法改正論の愚昧さ考】

 2007.5.15日、産経新聞正論は、志方俊之・帝京大学教授の「護憲派の不思議な論理を笑う」を掲載している。これを論評する。逐一論評するには値しないので総評する。

 志方教授は、「護憲派の不思議な論理を笑う」と云いながら、自身が不思議な論理をしているのに気づかないらしい。全体の論調として、自主国防的見地からの憲法改正論を唱えて、護憲派の非武装中立論を嘲笑している。自主防衛的見地からすれば確かに建前論としては整合的である。しかし、このご時世で「自主国防的見地からの憲法改正論」を唱えて、目下進行しつつある憲法改正の流れを是認するとしたら、彼が本当に唱えているとしたら狂人である。

 自衛隊は発足当初から米軍指揮下で育てられ、今日ではますます米軍の傭兵化しつつあり、この関係はもはや如何ともし難いほど深のめりしている。かっての日本帝国主義は大東亜戦争で敗北させられたことにより徹底的に壊滅させられ、日本は二度と自律自存せぬようにタガはめされた。これが敗戦国家の悲哀と現実である。戦後日本の国防論を理論付けする場合、この情況から論を起こさねばならない。

 今、「米軍指揮下」と述べたが、その米軍は国際金融資本の指揮下にあるので、正しくは「国際金融資本指揮下」と理解されねばならない。国際金融資本は、第二次世界大戦直後の情況に於いては日独伊の完全武装解除という目的と高まる反戦平和運動との絡みで、日本に史上初の「非武装不戦主義」を導入した。憲法前文と9条はその賜物である。しかしながら、その後の冷戦と朝鮮動乱の勃発という国際情勢に於いて、国際金融資本は、日本をアジアの橋頭堡とすべく再軍備政策へと転換した。こうして警察予備隊が創られ、自衛隊へと発展した。自衛隊は次第に増強され、長らく国際金融資本の武器売却の絶好市場として利用されてきた。

 国際金融資本は今、中近東に於ける絶対支配権を確立すべく大イスラエル建国戦争に乗り出している。当然パレスチナ及び中近東一体のイスラム勢力がレジスタンスする。目下、アフガン−イラク戦争に乗り出しているが、早くも困難を強いられている。イランとの確執も無視できないほどに強まっている。戦争の長期化は、裏権力国際金融資本の表出権力体米英ユ同盟の兵士を消耗させ財政を逼迫させつつある。

 この事態に遭って、国際金融資本は今、日本の自衛隊の活用を画策している。アジア人とアラブ人の戦いへ向かわせるのが上策として躍起になっている。しかし、自衛隊を戦闘せしめるには憲法が障害である。「憲法を改正せしめよ」、これが国際金融資本の指令である。飼われてきた各界のエージェントがくつわを並べて憲法改正運動に走り出している。これが目下の情況である。

 この事情を踏まえながら、志方教授は、「自主国防的見地からの憲法改正論」を唱えて、目下進行しつつある憲法改正の流れを是認しようとしている。これも一種のドン・キホーテであろう。問題は、こういう詭弁を弄しながら恥じず逆に、「護憲派の不思議な論理を笑う」をなどと護憲派をからかっているところにある。なるほど社共的サヨ流の反戦平和論はからかわれるに値する面もある。しかしながら、社共的サヨ流の反戦平和論を批判したからといって、日本の軍隊が「アジア人とアラブ人の戦いへ」向かわせられて良い理由にはならない。

 志方教授よ、お前が為すべきは、「自主国防的見地からの憲法改正論」を願うなら、自衛隊の国際金融資本傭兵からの脱却の論理と手法を確立することであろう。それを為さぬまま時局迎合するとは、お前も有象無象の頓馬天狗の一員と云わざるを得まい。れんだいこは、「自主国防的見地からの憲法改正論」派の安逸な論法を笑う。

 ところで、こういう場合に決まって中曽根が登場している。れんだいこは、中曽根が出ると条件反射的に角栄を思う。角栄なら、同じ問題に対しどう述べたであろうかと推理する習慣にしている。そこには天地の差が有る。今、中曽根的なるものが跋扈しており、角栄的なるものが忘れ去られている。しかし、日本人の精神の原型は角栄的なるものにこそある。これを郷愁するのではなく復権再生せしめるべきではなかろうか。れんだいこはそう思う。

 2007.5.15日 れんだいこ拝




(私論.私見)