428912 | 憲法とは何か考 |
(最新見直し2006.9.23日)
憲法とは何だろうか。近代になって主権国家が生み出され、それを確認する意味で生み出されたものであろうが、れんだいこが思うに、「憲法とは内治法であり、その最高法典である。法には、内治法の他に外冶法があり、その最高法典としての国際法と条約がある。他にも緊急法として有事事態法がある。憲法は、これら諸法とのブリッジ体制の中で存立している」と見なすべきではなかろうか。れんだいこは、これを仮に「憲法三角関係論」と命名する。そういう意味では、憲法は決して自律自存し得てはいない。そのことに気づくべきであろう。憲法を捉えるのにこういう認識の方が正確なのではなかろうか。この定義付けは、自賛ながら注目されて良い。 「不磨の大典」にすべきかどうかは議論があるところであろう。本質的には普段に改良されていくべきであろうが、良性憲法の場合には基本的骨格は硬性であるべきだろう。歴史の進歩に照らして改悪は許さないとすべきだろう。 憲法論を説く前にもう一つ確認しておきたいことがある。ドイツ(プロイセン)の軍略家クラウゼヴィッツは、「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である」と云ったようである。が、れんだいこは逆に理解する。真相は、「政治とは、他の手段をもってする軍事の継続である」のではなかろうか。 国境というものを考えれば、このことがはっきりする。一体、国境とは、当該国の軍事支配の限界線ではなかろうか。国境は、内治によって生み出されるものでは決してなかろう。軍事境界線の枠内において生み出されるのが内治であり、その支配法としての最高の法典が憲法である、と云えないだろうか。つまり、「政治>軍事」ではなく、「軍事>政治」と捉えるべきではなかろうか。それほどに本質上軍事の役割が大きいという意味である。 とすれば、「憲法(内治)と軍事との関係」とは、元来極めて不安定な状態にあると捉えるのが「真」であり、これを如何にして善導せしめるのか常に叡智を寄せ合うべし、とするものではなかろうか。そういう結果として国情の安定があり、蓄積された不満の爆発として革命ないしは戦争が生成していると捉えるべきではなかろうか。他にも要因はあろうが。政治と軍事の関係は、かく動態的緊張的に捉えるべきではなかろうか。 さて、政治には三股の手法があるように思われる。一つは、王統的又は国家主義的な強権政治。もう一つは共和的又は民生主義的な自由政治。後の一つは両者の混合折衷。いつの世においても政治体制は、この三派が縄を編むようにして絡み合っており、抗争と協調を繰り返して釣り合っていると捉えるべきではなかろうか。歴史は時の為政者ないしそういう為政者を生み出す国民のレベルに応じて振り子のように揺れ動いて刻まれつつあり、現実の政治はこのような弁証法的変動の渦中にあるのではなかろうか。 戦後憲法は、その理念が、政治体制三派のうち共和的又は民生主義的な自由政治派が愛用するデモクラシー思想のヘゲモニーにおいて貫かれていることに特質が認められる。戦後憲法は、世界的に見て突出しているとさえいえる。が、この突出振りとデモクラシー思想そのものの外来性により、王統的又は国家主義的な強権政治派からは、産み落とされた当初より多少の違和感で迎えられてきた。当然逆には、共和的又は民生主義的な自由政治派からは歓呼して迎えられてきた。 戦後憲法の特質は更に、相対的にではあるが、デモクラシー思想の域を超えてプレ社会主義的内実を備えていることに認められるように思われる。戦後左派運動はこのことを全く顧慮せず、いわゆるブルジョア憲法の範疇でこれを評し、認めるなり批判なりしてきた。しかし、それは不見識の極みであろう。その弊が相俟って、何の為に護憲するのか理論的裏づけをせねばならぬだろうに、為されないままの腰の据わらない護憲運動に終始しているように見える。しないよりは良かろう。 もう一つ、戦後憲法の秀逸さが次のことに認められる。戦後憲法は、全文をほぼ原理原則文で構成し、詳細をそれぞれ下位法に委ねている。更に、下位法は細則、手引きによって補完されている。本来この流れは首尾一貫して整合していなければ役目を果たさない。そのことを建前にして弾力的に運用されている。れんだいこは、このプロセスに注目している。この弾力性は自ずと機関運営主義を要請しているのではなかろうか。そうなら、優れた手法足りえていると称賛している。段階的法制と機関運営主義は、「朕が法律なり」の独裁主義乃至は国体の私物化を抑制し得ているに思われる。この仕掛けは文明正史の歩みとして大事にされねばならない。 惜しむらくは、この憲法体制を機能させるのに最も相応しからぬ政党が政権を掌握してきたことである。戦後政治の与党権力を司(つかさど)ったのが憲法改正を党是とする自由民主党であったことにより、これに抗する護憲派の社共が表見的な反対闘争に終始したことにより、戦後憲法に盛られたデモクラシーの受肉化が一向に為されないまま形骸化させられてきたことであろう。これが、戦後憲法の不幸な歴史である。 実際には、自由民主党内は、憲法改正派(これを仮にタカ派とする)と憲法遵守派(これを仮にハト派とする)の二重権力で相克してきた。戦後から1980年までの30年間は、概ねハト派が権勢を振るってきた。1980年初頭の中曽根政権以降はタカ派政治全盛時代に転換した。とはいえ、自民党内タカ派もハト派も、国際条約法の日米安保条約を第一優先させており、ハト派といっても、これに違反しない限りのハト派でしかないという不十分さが認められる。 そういう限定つきのハト派ではあったが、戦後からの30年間を政権支配してきたことにより、戦後日本は類い稀な善政時代を経緯させてきた。こう見立てるならば、ハト派時代の日本は、その良質面に於いてはプレ社会主義的時代であったともみなすことができる。悪質面は、国内法の憲法を凌ぐ国際法の日米安保条約によりもたらされたものであろう。この間、戦後左派運動は、最も力強く反体制運動を展開してきたのではあるが。皮肉なことに、タカ派全盛時代になると戦後左派運動は萎え、政府の愚行蛮行を徒に眺めるだけの存在に成り下がっている。 2000年を迎えた時点で、戦後日本社会はそれでも僅かに憲法秩序の痕跡を温めてきていたが、小泉政権の登場と共に、この方面での良さも怪しくなりつつある。小泉流官邸政治の強化論は、戦後憲法秩序が確立している機関運営主義を爬行化させつつある。その先に見えてくるものはアメリカ新植民地主義の属州化方向へのまる投げであろう。官邸への権限集中にはそういう危さが付き纏っているように思われる。 以上、戦後憲法の史的価値を分析し、擁護すべき要の面を明確にさせ、人民大衆的に護憲運動を組織せねばならない所以をスケッチしておきたい。 2002.10.31日、2007.5.2日再編集 れんだいこ拝 |
【デモクラシー思想とは何か】 | |||
そのことはさておき、デモクラシー思想とは何か。小室直樹氏は、著書「日本国憲法の問題点」の中で次のように述べている。
続けてこうも云う。デモクラシー思想のエッセンスを簡略に要約しているのが、1776.7.4日に宣言された「アメリカ独立宣言・全1300語」(コングレスにおいて13のアメリカ連合諸邦の全員一致の宣言)である。後にアメリカ大統領となるトマス・ジェファーソンが33歳の時に起草した名文である。「アメリカ独立宣言」は、この時より凡そ150年前のイギリスの思想家ジョン・ロックの「社会契約説」の影響を受けていたが、文中の白眉の個所は、宣言前文に凝縮されている。次のように述べている。
これを解析するのに、1・「全て人間は平等に造られている、2・「全ての人間は生命、自由、幸福追求の権利を持っている」、3・「その権利は何人たりとも奪われることがあってはならない」の三文意から構成されている事が判明する。この三文意こそ、まさしくデモクラシーのエッセンスであり、近代民主主義憲法の生命線である、と云う。 |
【尾崎行雄の「新憲法の実−人権宣言」論】 | |
尾崎行雄の昭和21年の「民主政治読本」(「尾崎咢堂全集」第十巻39頁)には次のように記されている。
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(私論.私見)