Re:れんだいこのカンテラ時評189 |
れんだいこ |
2006/07/23 |
【秘密結社員としての悲願達成を首相職で行なった小泉一座の嬌態お笑い外交について】
小泉がここのところ矢継ぎ早に嬌態外交を演じた。「G8サンクトペテルブルク・サミット」に先だつ数週間前に奇妙な動きを見せている。一つは、プレスリー邸での嬌態であり、二つ目は、エルサレムでの宗教行為であり、三つ目はサミットでの嬌態である。関連させての論評が為されていないように思われるので、れんだいこがコメントしておく。
2006.6月下旬、小泉は訪米しブッシュを表敬した。日本のジャーナリズムは肝腎なことを伝えない又は賞味期限後の後出しでしか伝えないが、この時もそうで、守屋武昌・防衛事務次官同行という異例の事態をそれとして報じていない。小泉は何故、日米首脳会談への防衛事務次官同行を必要としたのか。前例が有るのか無いのか。
小泉政権になって、自衛隊の米英ユ同盟配下軍としての活用、その為の尋常でない予算支出を招いているが、その褒賞として防衛次官を同行したと評するのは余りにも陳腐であろう。自衛隊の活用を廻る更なる共同謀議が為されたものと推定されよう。これが小泉の奇妙な動きその1である。
第2に、6.30日、小泉はブッシュ大統領夫妻と共に、テネシー州メンフィスにあるロック歌手エルビス・プレスリー邸(グレースランド)を訪問した。れんだいこ推理に拠ると、プレスリー邸訪問は、この後のイスラエル訪問時の「嘆きの壁参り」の煙幕として活用された節が有る。つまり、プレスリーファンの「聖地」訪問をユダヤ教の聖地「嘆きの壁」訪問の前座としてたもので、「嘆きの壁」訪問のリアクション対策であったと考えられる。つまり、用意周到に練られたシナリオであった可能性が強い。
それはともかく、小泉は、大統領専用機エアフォースワンでメンフィス入りした。大統領専用機エアフォースワンに同乗するのは異例の好待遇であるという。小泉はブッシュに何故にかくも好待遇されるのか。ポチ的忠勤ぶりのみで説明し得ることであろうか。れんだいこは、この二人が特殊な宗教的政治的結社仲間なのではなかろうかと推理している。そう思わせる節が多々有る。
それはともかく、小泉のプレスリー邸での嬌態を確認しておかねばならない。プレスリーの元妻プリシラと娘リサ・マリー・プレスリーが出迎えたの対し、記者達とカメラの前で、リサ・マリーさんの肩に手を回しながら“強く抱き締めたい”とプレスリーの歌の一節を語り掛けた。愛嬌と云えば云えぬことは無いが、不謹慎には違いない。その後、貸し切りとなった邸内で約1時間半、プレスリーのステージ衣装や愛車、音楽賞受賞曲の金のレコードなどをじっくりと見て回った。
米国人記者団のリクエストに応え「ラブミーテンダー」などの歌を即興で披露し、エルビスの大きな金縁サングラスを掴むと即座にそれを装着し、プレスリーを真似てサングラス姿でギターを弾く格好をし、“Love
Me Tender,”“Can't Help Falling in Love With You,”“Fools Rush In,”“I Want You, I
Need You, I Love You,”と歌い、あげくの果てに“Glory, Glory,
Hallelujah”と歌った。「ここに来るのが夢だった。夢かなった」との言葉を残した。「Glory, Glory,
Hallelujah」と「ここに来るのが夢だった。夢かなった」との言葉が意味深である。
れんだいこは、これを奇妙な動きその2と見る。小泉のプレスリー邸での嬌態は、この後のイスラエル訪問時の「嘆きの壁参り」の衝撃を消す効果を持たせるために意図的に為されたものであり、何をしでかすか分からない、何をやっても不思議ではない小泉を演出したのではないのか。
7.12日、小泉は、ロシアのサンクトペテルブルク・サミットに先立ちイスラエルへ立ち寄った。この後、パレスチナ、ヨルダンにも立ち寄っている。しかし、特段の外交的成果があった訳ではないことからすれば、オルメルト・イスラエル首相、アッバース・パレスチナ大統領、アブドラ・ヨルダン国王陛下との会談は刺身のツマのようなもので、本命はズバリ「嘆きの壁」訪問にあったのではなかろうか。小泉の「嘆きの壁」訪問は、小泉がプレスリー邸で述べた「ここに来るのが夢だった。夢かなった」との言葉と共鳴している。そう、「嘆きの壁」訪問こそ小泉の悲願であり、これを達成したのではなかろうか。
日本のジャーナリズムは今に至るまで、深い意味を持つ小泉の「嘆きの壁訪問」を報道していない。ホロコースト記念館を訪問したことは伝えたが、「嘆きの壁訪問」は伝えていない。れんだいこは、外電で知らされた次第である。「阿修羅」がこれを明らかにしたが、全く日本のマスコミは役に立たない。
ところで、小泉のホロコースト記念館でのいでたちが異様であった。毎日新聞がその時の小泉を写真で報じている。それによると、小泉は頭上にユダヤ教徒が頭に載せる小さなお皿のような帽子であるキッパを乗せ、「永遠の炎」のそばでたたずんでいる。これは、見る者が見れば分かる歴史的ユダヤの秘密結社の行事である。もう一つの写真が外電で伝えられている。前後は分からないが、小泉は、ユダヤ帽をかぶって「嘆きの壁」にたたずみ、ユダヤ教徒がする仕草で祈念している。れんだいこは、これを奇妙な動きその3と見る。
これを、「一国の宰相にあるまじき夢遊病的な行為」と断ずるのは誰でも出来ることである。問題は、小泉が敢えてこの愚行を挙行した裏意味は何か、それを探ることに有る。「嘆きの壁」は、イスラエルの建国の原点にもなっている復讐の誓いを為す聖地である。小泉が、その「嘆きの壁」で演じた宗教行為の政治的意味は重い。このグループの一員であることを意味している。
小泉はこたびのイスラエル訪問で、「永遠の炎前たたずみ」、「嘆きの壁詣で」という二種の宗教行為を演じた。1・日本の首相職の者が、2・ユダヤ教徒としてのいでたちで、3・ユダヤ教の入信ないしは信仰決意儀式を敢行した。これは、靖国神社参拝問題を吹っ飛ばすもっと大きな衝撃的政治的事件ではなかろうか。こう感知することのできない日本世論は政治的に死んでいる。
小泉のこたびの行為は、憲法上の政教分離に明らかに抵触している。日本の祖宗である神道仏教のうちの特定宗派の儀式に参加したのでも責められるのに、ユダヤ教儀式なら何故許されるのか。ここが論ぜられなければならない。これまで小泉は、首相万能権能論を説くエピゴーネンの支援により一事万事を超法規的に御してきた。その成れの果てとして遂にここまで辿り着いたことになる。我々の手温い対応が遂にここまで調子づかせたことになる。
しかし、お蔭でというべきか、小泉が、尋常でない秘密結社の一員であることを誰憚ることなく自ら明らかにしたことになる。何故、あからさまにしたのかは分からない。敢えて推理すれば、こたびの小泉の行為は日本ホロコースト化宣言であり、小泉はこれをイスラエルに誓約してきたとみなせるだろう。小泉一派の証文がどれだけ有効なのかは別問題であるが、かような首相を5年有余据え置いた我々の責任も問われるだろう。
こうなると、小泉とはそも何者ぞ、小泉を支援する政治経済文化グループとはそも何者ぞということを検討せねばならないだろう。彼らはただの経済利殖人ではない。明らかに現代ネオ・シオニズムのエージェント工作員であり、日本人の姿かたちはしていても身も心もユダヤに預けている手合いであり、それにより立身出世が約束され我が世の春を謳歌しているグループである。北朝鮮問題には論客が現れ、かまびすしく議論するが、こういう本筋の問題には誰も近寄らないのは滑稽なことである。
小泉の最後の奇行は、ロシア・サンクトペテルブルクでの第32回主要国首脳会議(サミット)に於けるそれである。サミットは、7.16日よりピョートル宮殿で開催されたが、7.15日の非公式夕食会でロシア民謡が流れると急に舞台に上がり、踊り始めたと云う。日本のメディアはその様子を伝えないので詳細が分からないが、ブッシュも一緒に踊ったようである。
つまり、この二人は、北朝鮮テポドン問題、イスラエルのガザ侵攻という政治情勢に見舞われている最中にノー天気ぶりを晒したことになる。ブッシュはその後たしなめられたらしく、小泉に注意する役目を引き受けさせられた。
「小泉首相はいつも場を支配する。小泉首相、ちょっとお静かに」と述べると、その場が爆笑に包まれたと云う。
この逸話は、日本の首相の株が上がったと評すべきだろうか。れんだいこは、世界に恥ずかしい日本国首相の低脳レベルが世界の舞台に輸出され、顰蹙を買うと共に許容されたと受け取る。こういう嬌態が罷り通る時代なのだろう。奇妙な動きその4と見る。
2006.7.23日 れんだいこ拝
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