小泉首相の大東亜戦争論、A級戦犯論考 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
2005.6.20日の日韓首脳会談は、れんだいこの予想通りレベルの低いものとなった。互いがあらかじめ草稿された遣り取りを繰り返し自己主張するだけの貧相なものになった。それはともかく、小泉首相の靖国神社参拝論の支離滅裂性が次第に浮き彫りになりつつある。これを検証する。 2005.6.21日 れんだいこ拝 |
2005.6.20日の日韓首脳会談は、あらかじめ官僚が草稿していた文章を順番に読み合わせただけの惨めなほど低レベルな会談に終始した模様である。小泉首相はいろいろ約束しているようだが端から実現性のないその場しのぎの空手形乱発に過ぎず、次回の首脳会談を年内に日本で開催することで合意したことのみが成果というお粗末なもので終わった。 異例なことに、共同会見で質問を受け付けなかった。この種のことは異例でない、質疑応答がなくなったのは韓国側からの要請のせいであるとの報道が為されているが、ちゃんちゃらオカシイ。小泉首相はとかく望み通りする御仁であるからして、共同会見で質問受け付けずがオカシイと思うなら、質問受付スタイルにすれば良かろうが。どちらの希望でかくなったか推して知るべしであろう。 それはともかく、我々は、小泉首相の大東亜戦争観をもう一度確認する必要が有りそうだ。小泉の強行的靖国神社参拝論の論拠はどうも支離滅裂が激しすぎるから。彼は一体、大東亜戦争をどのように史的総括しているのだろうか。確か、これを廻っての希少な遣り取りが国会質疑されている。残念ながら、れんだいこはこれをノートしていない。どなたか検索して教えてくれないだろうか。れんだいこの記憶によれば確か、「大東亜戦争は無謀だった。かの強大な米英軍に戦いを挑んだこと自体が判断の誤りであった云々」というような答弁をしていたように思う。 してみれば、そこには右派的な聖戦イデオロギーは微塵も無い。あるのは、現代風に云えば、現代世界を牛耳る米英ユ同盟との親和論であり、これこそ日本の目指すべき進路との観点から批評しているに過ぎない。してみれば、目下、シオニズムに拝跪し、諸政策を先頭切って協力しているのは不思議でもなんでもない。しかしてこれは、勝共統一原理的思想と近似している。小泉首相が福田赳夫の秘書時代、勝共連合と密接な関係にあったことがリークされているが、実にこの頃より洗脳されている歴史観ではなかろうか。そういうことが判明する。 よって、A級戦犯論にしても然りである。小泉首相のA級戦犯論は、右派的なA級戦犯気の毒論ではない。6.2日の衆院予算委員会で、,小泉首相は、民主党の岡田克也代表の質問に答弁し、,極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪とされた,いわゆるA級戦犯について、「戦争犯罪人であると認識している」と述べている。我々は、小泉首相が、A級戦犯に対して、「戦争犯罪人であると認識している」論拠をもう少し聞きだしてもよかろう。他言が無いので推測するしかないが、「勝てる見込みの無い戦争に引き込んだという意味での戦犯論」に立っているということか。あるいは、米英ユ同盟として立ち現われているシオニズム的世界観、歴史観こそ正であり、その他は駆逐されるものとして了解し、A級戦犯はそれに立ち向かった故にA級戦犯としていねのではなかろうか。いずれにしても、これは異筋な戦犯論であろう。小泉首相が急に左派になったという訳では有るまいから、勝共統一原理的思想に基づいていると考えるべきではなかろうか。 その小泉首相の靖国神社参拝論も変わっている。彼は、首相になる前に特段に靖国神社を詣でていた訳ではない。2001年の総裁選の最中に、「終戦記念日の8.15日靖国神社参拝」を公約明言したことに対する信義的に基づき参拝し続けられているに過ぎない。しかし、何事も大義名分がいるから次のように述べている。「首相の職務として参拝しているのではない。私の信条から発する参拝である」。しかし、これもオカシイ。靖国神社イデオロギーからすれば、公的参拝こそ首相の政治責務論であるからして、,私人参拝論は後退でしかない。 しかも、こたびの日韓首脳会談でも述べているように、概要「戦争を美化したり、正当化しているのではない。心ならずも戦場に赴いた戦没者たちの追悼のために参拝し、二度と戦争を起こしてはいけないという不戦の誓いを込めた気持ちから参拝している」というのが持論である。しかし、これもオカシイ。「不戦の誓いから何度も何度も参拝している」者がなんで専守防衛区域から大きく外れているイラクへ自衛隊を初武装派兵しているんだ。云うこととやっていることがちゃらんぽらんではないか。 思えば、小泉は、先に中国副首相が会談をキャンセルして帰国したのに対し、「話せば分かるのにね」と短いコメントを発している。ならば問おう、盧武鉉(ノムヒョン)大統領は分かってくれたかね。 2005.6.21日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その58 | れんだいこ | 2005/06/20 |
【小泉首相の外交能力考】 小泉首相の政治能力、外交能力が問われる正念場の舞台がやってきた。2005.6.20日、小泉首相は、訪韓し、ソウルで、盧武鉉(ノムヒョン)大統領と7回目の会談を行う。 どうしても避けて通れない問題として、小泉首相の靖国神社公的参拝に伴う歴史認識問題がある。韓国側は、「靖国問題を含む歴史認識問題が重要議題の一つになる。韓国政府と国民は、過去の謝罪に見合った実践を求めている」と事前通告してきているとのことである。 つまり、こたびの首脳会談では、先の戦争の史的総括が鋭角的に問われており、小泉首相がどう遣り取りするのかに注目が集まっている。物別れ会談となるのか、小泉首相が一方的に聞き役に終始するのか、官僚シナリオの答弁棒読みでお茶を濁すのか。いずれにしても和やかな会談というのは考えられない。 れんだいこの予想として、会談は、小泉首相の胆力負けで終わるであろう。なぜなら、彼には真剣な会談に耐え得る歴史哲学も識見もそもそも持ち合わせていないからである。よって胸襟相照らす仲になることは考えられない。 れんだいこが思うに、これは日韓の頭脳戦である。このところ日本側はタカ派政権になって以来次第に能力が低下しつつある。タカ派政治は米英ユ同盟の腰巾着路線一辺倒であるからして自分で考える必要が無い。そういう訳で、その皺寄せとして脳軟化症が進みつつある。逆に、韓国側は、近現代史上最高のルネサンス社会を形成しつつあり、能力向上が著しい。 妙なことだが(実際は妙でもないが、その論及は割愛する)、韓国は今や囲碁棋界世界一の座を席巻しつつある。日本は逆にプロ数は断然一位を誇るものの各種の世界棋争で韓国に負け中国に負け台湾に負け続けている。そういえば北朝鮮にも囲碁ブームが始まりそうな気配である。次世代の台頭ぶりから見るにこの傾向は今後ますます強まると見られている。 れんだいこは、何が言いたいのか。それは、明治維新以来百有余年、日本が東アジアの雄国である時代が終り、経済的にも外交的にも遅れを取る時代が遣ってきた。こたびの日韓首脳会談はそれを証する会談になるであろうという予想をしておきたいということである。 問題は、日本は再起するのか、永遠にこの土壷にはまり続けるのかにある。れんだいこの見るところ、今の政治が続けば国債処理同様に自力解決する能力を持たず治癒し難しではなかろうか。 なぜかような日本になったのか。右翼は、大東亜戦争の敗戦後遺症を云う。れんだいこは、その説は採らない。むしろ、戦後憲法秩序は「新時代の青写真」として稀有な蓮華国家を指針せしめており、これはむしろ戦争ー敗戦で贖った代価として獲得したものではないかと見立てている。下手な左翼は、ポツダムヤルタ体制の落とし子としてこれを批判してきたが、れんだいこはそのような説を退ける。 れんだいこ史観は、戦後憲法秩序の上に花開こうとしていた戦後政府与党自民党のハト派政治を高く称賛する。その失脚転回点となったロッキード事件を疑惑する。あれ以来、日本は最終的に独立国家の気概を失ってしまった。あれ以来、日本は米英ユ同盟の露骨な支配下に置かれ、政治経済文化外交が手玉に取られ始めた。それまでのハト派政治は何とか遣り繰りしてきていたが、米英ユ同盟が許さない時代に入ってしまった。 小泉政権は、そういう時代の行き着いた結節点であり、臆面も無く米英ユ同盟の配下国家へと日本を仕上げせんとしている。これをマスコミが囃し、評論家諸氏が追従し続け、国会は大政翼賛会の湯船の中で宴会政治を謳歌している。醜悪極まれる図柄であるが、何せこれを批判する主体が出てこない。 ちらほら台頭の望まれる党派はいるにはいるが、れんだいこ史観に立ち切れておらず、為に舌鋒が弱すぎる。地方議会選挙あたりで苦労するようでは先が思いやられる。それというのも、共同戦線式共闘会議が創出されないからであろう。 こうなったら、組める同士で組んで二、三、四の潮流を生みだしたら良いではないか。でないと日が暮れる。れんだいこはそう思っている。れんだいこ党は僅かの手勢ではあるがその為に用意してある。党員諸君宜しければ意見聞かせてくれ、公開で構わない。 2005.6.20日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)