遅かりしも今ようやく小泉政権瓦解考 |
(最新見直し2005.8.30日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
郵政民営化関連法案の衆議院採決を廻って、自民党内に51名の造反派が生まれた。この国の政治というのは何というか、政権与党が究極政局を動かす。それだけ野党がだらしないということでもある。今、「造反有理、愛党無罪」という言葉が流行り出している。ほんに面白いネーミングを付ける人がいるもんだ。 2005.7.18日 れんだいこ拝 |
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【郵政民営化関連法案の衆院本会議採決時の造反義士考】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.7.5日、郵政民営化関連法案の衆院本会議採決が行われ、賛成・233、反対・228というわずか5票差で衆院通過した。賛成は、自民199、公明34の233。反対は民主175、自民37、共産9、社民6、無所属1の228。 造反者は51名(反対票・37名、棄権・欠席票・14名)となった。政府は法案可決後に首相官邸で臨時閣議を開き、反対票を投じた閣僚・衛藤晟一厚生労働、滝実法務両副大臣、森岡正宏厚労、能勢和子環境両政務官の計4名の罷免を決定した。
寝返り組とは、自民反対派の「賛成」投票者。これまで反対派会合に参加するか、党の関係部会で反対の意思を表明した自民党議員のうち、衆院本会議で賛成票を投じたのは以下の通り。(敬称略。無所属で自民党会派の議員も含む) ところで、橋龍、宮沢、加藤、河野太郎、渡辺喜美はどうした。日和見の飯を食い始めたら止まらないつうのに。5日朝、堀内派会長の堀内光雄は突如、派閥会長の辞表を事務総長の古賀誠らに提出した。閣僚の衛藤晟・厚生労働、滝実・法務両副大臣、森岡正宏・厚労、能勢和子・環境両政務官の計4名が反対票を投じた。これらが義士行為である。 |
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【衆議院解散を恐れるべきか】 | ||||||
内外事象の分析による近未来予測サイトと銘打った「海舌 Kaisetsu 」の「小泉氏の支持者が、最も、解散を恐れている」で次のように論評されている。
これは、興味深い分析であるように思われる。れんだいこも次のように分析する。 |
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Re:れんだいこのカンテラ時評その67 | れんだいこ | 2005/07/12 |
【小泉政権打倒を改めて訴えるその3、小泉首相最新の酩酊迷言白書】 御用政論紙で名高い読売情報であるからして間違いは無かろうが、「郵政法案通過、首相『国民の支持』」(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050705it12.htm)は、2005.7.5日付けの小泉首相発言を掲載している。小泉はんは、首相官邸で記者団に対し、郵政民営化関連法案の衆院通過について次のように述べている。 「都道府県議会、市町村議会で(郵政民営化)反対決議が多く、国会でも、公明党は賛成したが、ほかの政党は反対だ。そういう中で整然と採決が行われ、参院に送られた。これは国民の支持なくしてはできない」。 (引用以上) 何とも気分が悪くなるのはれんだいこだけだろうか。全くロジックが合っていない。「都道府県議会、市町村議会で(郵政民営化)反対決議が多い」なら、それだけ世論の反対が強いことを反映していると受け取るべきところ、「整然と採決が行われ、参院に送られた」ことを間のダシにして、「これは国民の支持なくしてはできない」と結ぶ。こんな論法が許されるのか。誰も問題にしていないが、度の過ぎた詭弁だろう。 つまり、強行採決を仕掛けた挙句に議場が揉めに揉めねば「反対」にはならないらしい。小泉式レイプ政治観に拠ればそういうことらしい。こういう感覚を持つ小泉をいつまで首相として遇せねばならないのだろうか。 この御仁とはいくら議論しても無駄だろう。相手の議論の趣旨を踏まえないのだから噛み合うことがない。人は誰しも多少はそういう癖があろうが、小泉はんの場合には度が過ぎている。これはサイコパスの典型的特徴である。小泉のサイコパス性については、「小泉首相売国奴性サイコパス論の検証」( hansenco/koizumisaycopasco.htm)参照の事。 他の情報をも織り交ぜれば、小泉はんは、「1票差でも勝ちは勝ちだ。勝てばいいんだ」とも公言しているらしい。「1票差でも」通さねばならない郵政民営化を急ぐ意義はどこにあるのだろう。 人は、小泉の靖国神社強行公式参拝でもって愛国気取りするさまをそのままに受け取っているようである。れんだいこは違う。真性の小泉は米英ユ同盟のタイコもちであり、彼はそうすることによってしか延命できない。靖国神社強行公式参拝は、彼の売国性を隠すイチジクの葉でしかない。そういえば中曽根もそうだった。 その後、入れ智恵され、7.11日の参院本会議では、「衆院での修正などを真摯(しんし)に受け止め、法案への理解を賜るよう誠実に対応する」と答弁している。しかし、レイプ犯小泉の性格が変わるわけではあるまい。本音は、「勝てば官軍」であり、郵政民営化を通せば、米英ユ同盟が一生飼い殺ししてくれる。飼い殺しなら御身安泰が保証される。俺にはこの道しかないという構図でのご奉公と読むべきだろう。つまり、彼にあっては、「私」が「公」の上にいつもある。その極端さにおいて珍しいタイプであろう。 小泉にあっては、「(参院での否決による)衆院解散・総選挙」も奇異ではないらしい。この首相専権カードを玉虫色に臭わせることにより、反対派を切り崩し、総じて選挙に弱い連中を脅している。 こうなると問題は、党内反対派に選挙を受けて起つ気概が有るかどうかという事になろう。れんだいこが意見しておく。「郵政民営化法案に反対した○○でございます」の連呼が票を生む。だから、心配しなさんな。 参院での法案審議は7.13日から入る。衆院と比べて与野党の議席差が少ない参院は、自民党から18人が反対に回ると法案が否決される。現在30人台とみられる反対派がどこまで切り崩されるのか、否人数を更に増すのかに焦点が移ってきた。 角栄派を裏切り的に飛び出て以来悪行の限りを尽くしている竹下派の最後の重鎮・青木幹雄参院議員会長、右顧左眄で定見を持たない片山虎之助参院幹事長、名うての政界渡り鳥・衆院郵政民営化特別委員会の二階俊博委員長、下半身仲間の誉を持つ山崎拓自民党筆頭理事が、狸の皮算用しつつ裏方工作に入っている。 小泉はんは、「反対派には、成立したら、優しくしないといけない」とも述べたという。何となく、犯した相手に事後優しくすべし、金をたんまり渡せば訴訟も抑えられるというレイプ犯マニュアルを聞かされているようで気持ちが悪い。 2005.7.12日 れんだいこ拝 |
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追記 7.11日の日本経済新聞夕刊に、公明党の神崎代表のコメントが紹介されている。「衆議院で可決され、参議院で否決されたからといって衆議院解散になった事例はない」と発言しているとのことである。普通これは、小泉首相の郵政民営化での参議院否決⇒「衆議院解散」シナリオに対する批判と受け取るべきだろう。ところが、記者は、「参院否決でも解散必要ない」との弁と看做しているようである。 こうなると、れんだいこは、日本語が次第に通用しなくなっている気がして深い嘆息に陥る。神崎代表のコメントの真意は分からない。確かに解散反対論を述べているのかも知れない。しかしながら、前例がない云々は、前例破りしようとしている小泉手法批判と受け取るのが読解力ではなかろうか。今時の記者は、この程度の理解能力をも持ち合わせていないのだろうか。 2005.7.12日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その68 | れんだいこ | 2005/07/14 |
【小泉政権打倒を改めて訴えるその4、小泉首相の衆院解散論は滅茶苦茶】 恐らく確実にレイプマンの履歴を持つ稀代の首相小泉の性癖は治らず、やること為す事が相変わらずレイプである。今こそこのことに気づき、彼を辞職させ訴追すべきである。彼の4年余の官邸政治に捜査のメスが入れられねばならない。れんだいこはそう思う。 その小泉と角栄を比較し、角栄には侮蔑の限りを、小泉には何がしかの愛嬌を見て取ろうとする手合いが多いようである。れんだいこは、全く狂っていると考える。己が曲がっているからして立ち木の曲がりが正常に見え、真っ直ぐ立っている木が曲がっているとして飽くことなく説教している者の愚に似ていよう。 こたびの小泉首相の「郵政民営化法案が参院で否決されるなら衆院解散」なる脅しも、れっきとした国会及び議員に対するレイプである。さすがにこたびは造反派が立ちはだかった。 識者は指摘しないが、なぜこうも小泉政治に対して物分りが良過ぎるのだろう、れんだいこには解せない。くだらぬ著作権法でしかめつらして議論する手合いが、こういうところでは好々爺になっている様がオゾマシイ。否、どっかで辻褄が合っているのだろう。 2005.5.13日、郵政民営化法案が参院本会議で審議入りした。この日の答弁で首相は、「法案が参院で否決された場合に衆院を解散する手法には憲法上問題がある」との指摘について次のように述べた。 「戦後、内閣不信任案が可決され憲法69条に従い解散が選択されたケースは4回あった。それ以外は(天皇の国事行為として首相独自の判断で行う)憲法7条を根拠にしている」 (「郵政法案「誠実に対応」 首相、否決時の解散否定せず」)。 小泉首相のこの答弁は、「憲法上問題がある」として尋ねられている事に正面から答えず、例の不快極まるはぐらかしで詭弁している。朝日記事は、「解散権は、首相の専権事項であるとの基本的な考えを明示した」とのみコメントしているが、この論評には問題があろう。 これでは事態の不正常さが浮かび上がらない。憲法学者の見解や如何に。れんだいこには、揃いも揃ってなぜ黙するのか解せない。誰も指摘していないようなので、代わりにれんだいこがやる。れんだいこ見解に拠ればこうなる。 小泉首相の「憲法7条を根拠にする首相の解散権論」には法的に大いに問題がある。同条は、天皇の国事行為を定めたものであり、「首相の衆院解散権」を記しているものではない。それを「首相の衆院解散権」を記しているかの如くに吹聴するのは、天皇制の政治利用であり、断じて許し難い。 先に、靖国神社公式参拝論議では神道の政治利用をしていたが、この御仁は己の欲望のためには何ら意に介さない。彼の精神構造を分析せねばなるまい。レイプレイプの挙句がとんだところにまで波及しつつある。暴走が止まらないというべきか。 そもそも、憲法第7条は「天皇の国事行為」を定めたものであり、「天皇は、内閣の助言と承認により」、3項で「衆議院を解散すること」、4項で「国会議員の総選挙の施行を公示すること」を明記している。 これを見れば、戦後憲法では、「内閣の采配」によって天皇の国事行為が為されることになっており、それだけ内閣の責任が重いということを示唆していると受け取るべきで、「首相の衆院解散権」の根拠に使うのは馬鹿げている。 小泉首相の云うところの「首相の衆院解散権」が記されているのは、憲法第69条である。そこには、衆院解散は、概要「衆議院で、内閣不信任決議案可決又は逆に信任決議案否決が為された場合には、内閣は、10日以内に衆議院を解散するか内閣総辞職のいずれかを選ばなければならない」としている。 「首相の衆院解散権」が明記されているのはこの1条きりである。政治責任の重みを真摯に受け止め、内省的に内閣総辞職するか攻勢的に衆院解散に打って出るか、これを判断するのが首相専権である。その際、内閣総辞職を歯牙にもかけなくて良いという風にはなっていない。 今回の例で参考になるのはこちらの方である。憲法第59条2項「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる」。 これを逆に読めば、「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案」で、衆議院に戻しても可決見込みのない場合にはどうなるのか。通常的理解では、いったんは廃案になるということである。憲法第59条は、そうとしか書いていない。 こたび、小泉首相は、「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案」が廃案になるのなら、衆院解散を行うと恫喝している。しかし、この手法は越権であり、まさに憲法のレイプでしかない。 「衆議院で可決し、参議院で否決された場合、首相は衆院解散を行うことができる」とはどこにも書かれていない。つまり、明文規定は無い。にも拘わらず、それを強行しようとするのは政治のレイプ的私物化でしかあるまい。 つまり、、小泉首相は、「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決が為された場合の衆院解散」という「憲法上疑義有る行為」というか前代未聞の愚挙をチラツカセ、政治的乗り切りを図ろうとしていることになる。憲法学者やマスコミは、「小泉の、解散権は首相の専権事項論」をオウム返しに報道することなく、その問題性を伝えるのが本来のお仕事だろうに。 国政のトップを与る者がかくも彼らの業法を無視しても良いのだろうか。憲法には、理念規定もあれば曖昧規定も有る。しかし、国会や内閣に関する定めは具体的であり、解釈の分かれる余地はない。 それらの規定は、国会議員にとっては業法とでも云える重要な規定であり、これを犯してよいということは断じてない。国の最高機関が自らの業法を蹂躙するような事態を許せば、この国が無法社会に陥るのは時間の問題であろう。 憲法第99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明記している。これで良い、そうあるべきだろう。しからば、イラク派兵の自衛隊も即刻呼び戻すべきだ。小泉時代に為したことはすべからく総点検されるべきだ。 れんだいこには、小泉首相の云うこと為すこと全てがレイプ手法であり、そのサイコパスぶりが目に余るように見える。彼は基本的に法律を一切遵守しない。「朕が法律なり」論を平気で開陳できる珍しいタイプというか、根底的にサイコパスである。 そのサイコパスぶりにエールを贈り続ける自称インテリ・マスコミ族が後を絶たないが、それは世界一の超債務率国家でありながら、平然と今もそれも又涼しとして美食し続けている者達の精神とハーモニーしているように思われる。この連中が、角栄を晒し者にしつつ政治の正義を語っている様は見るも聞くも毒である。 最後に。「衆院院での法案修正について中身は全く変わっていない」、「法案が否決されることは考えていない。解散する必要はないと思っている」なる答弁も、その乱調さを物語っていよう。 小泉政権になって以来、警察の恣意的利用が目に余る。官邸から指令が来れば出世の機会とばかりお縄を持ってはしゃぎ廻っている。自省すべきかどうかの基準は無く、ひたすら政治の下僕になろうとして先を競い合っているように見える。 これらの諸事象に対し、我々はまだ我慢せねばならないのだろうか。 2005.7.14日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その71 | れんだいこ | 2005/07/20 | ||
【カラスはいつから白いことになったのか】 小泉首相の「首相専権による衆院解散論」は本当だろうか。「売り言葉に買い言葉」で衆院解散受けて立つ論が横行するばかりで、法的な面を問題にしていないように思える。社民党の福島は弁護士だろうに何のコメントもない。 れんだいこは、「カンテラ時評その68」、同「69」で疑問を述べたが、もう少し意見してみることにする。 その前に経緯を確認しておく。2005.7.5日、郵政民営化関連法案の衆院本会議採決で、政権与党の自民党から51名が造反し、僅か5票差で可決という事態が発生した。参院での法案審議は7.11日から始まったが、衆院同様に造反組の決起が予想され大いに否決含みである。 この局面で、小泉首相は、参院で法案が否決される事態になれば直ちに衆院を解散するとの「首相の解散権」を振りかざし、総選挙に自信の無い与党議員を恫喝し始めている。恫喝の仔細は割愛するが、これまた前例の無いレイプ手法である。 小泉首相の「衆院解散は首相の専権事項論」をどう遇するのかが問われている。マスコミは「首相の解散権」を鵜呑みにしたまま、例によって興味本位の報道で後押ししている。野党各党も浮かれている。 れんだいこが何もしゃしゃり出る必要はないのだけれども、誰も言わないから指摘せねばならない。小泉首相の云うが如きな「首相の絶対的専任権限による衆院解散」は、法的には有り得てはならないのではなかろうか。これを論証してみたい。 気になって調べてみると、不思議なことにと云うべきか当たり前というべきか、憲法には「首相の解散権規定」はない。且つ戦後から今日まで21回の総選挙が行われてきたが、「衆院可決法案の参院否決による衆院解散事例」はない。つまり、こたびの小泉首相の恫喝は前例破りであることが判明する。そう、「首相の絶対的解散権」とは例のペテン論理ではないのか。 「カンテラ時評その68、69」で指摘したように、首相には、69条による、内閣不信任案決議を受けての総辞職か衆院解散かの選択権はある。しかし、こたびはこれに該当しない。該当するのは、第59条2項の「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる」である。但し、首相は、廃案にするのか衆院に戻すかの選択権があるということであり、解散権をうたってはいない。 よって、参院否決を原因として衆院解散を為しえるとするのはオーバーランだろう。つまり、参院へ法案が送られた時点で早くも、首相が「参院で否決されたら衆院解散」なる恫喝を為すのは「勇み足」であり、あまりにもな国会及び議員レイプであろう。 そういう訳で、小泉的首相専権による衆院解散論は、7条に依拠せざるを得ない。しかし、7条はどうみても「天皇の国事行為」を定めたものであり、首相の解散権を記したものではない。故に、7条でもって首相には衆院解散権が有るなどと主張することは、昔なら不敬罪に値しよう。 れんだいこの見立てに拠れば、小泉は、靖国神社にせよ敬神ぶって参拝するが、彼が本当に英霊の声に耳を傾けているのかという疑わしい。己の都合で靖国も天皇もレイプしまくっている。平気でこれが出来るところに小泉のブラックユーモアがある。 れんだいこは、気になって「戦後の衆院解散史」を整理してみた( toshi/syuinkaisanshi.htm)。 それによると、衆院選挙は、1946(昭和21)年の第22回総選挙から2003(平成15)年の第43回総選挙まで21回行われている。そのうち内閣不信任案決議に基づく解散は4回である。その他の解散は、恐らく国会開会前ないし冒頭での7条解散なのではなかろうか。それもいわば与野党合意による解散である。抜き打ち、騙まし討ちの場合でも、第59条2項的争点を持たない状態での解散なのではなかろうか。 つまり、国会が開会され審議に入ったら、衆院解散は69条によるしか方法が無い。第59条2項の場合には、衆院に差し戻し、そこで69条で解散ということになるのではなかろうか。 というのも、衆院解散というのは本来、首相及び政権党が受けて立つものであって、首相の方から仕掛けるのは邪道ということなのだろう。仮に、首相に専権的解散権というのを認めたら結果が気に入るまで際限無く行われるようになり、おって独裁に近づく、それを怖れるべしとする議会制民主主義の弁えに拠っているのではなかろうか。 つまり、第59条2項的争点のある場合の「首相の衆院解散権」などというものはない。ということは、第59条2項的争点のある場合、首相はあらかじめ衆院解散論を振りかざすことが出来ないということを意味する。それは当たり前で、政論が分かれる場合、審議を尽くさせる義務が有るからであろう。首相お気に入り結論しか出せない審議なぞあってたまるかよ。 結論として云えることは、「首相による審議前からの参院否決なら衆院解散論振りかざし」なるものは正体が怪しいというこである。ならば、識者はそう主張すべきところ、そういう声が上がらない。仕方ないので、れんだいこが指摘している。ところが、ここへきてマスコミ各社も気になりだしたのだろう、学者の見解を持ち出して御用化を試みている。 7.19日の読売新聞は、「郵政法案 参院否決で衆院解散できる? 過去に例無く賛否両論」記事を掲載している。その内容は、社としての見解ではなく任意な学説を持ち出してお茶を濁している。2002年の衆院憲法調査会小委員会での高橋和之東大教授見解「内閣の解散権行使について、内閣が必要と判断した時に行使できるとの理解が実務的且つ通説」なる見解を紹介している。 この頃、残念ながら文面が分からないが、民主党の島聡衆院議員の質問趣意書が提出されたようである。これを受け、7.19日、政府は閣議で、「新たに民意を問うことの要否を考慮して、内閣がその政治的責任に於いて決すべきものと考えている」との答弁書を決め、首相及び内閣の専権事項論を確認した。 これを受け、尾身幸次総務局副会長が、小泉首相に対し「参院否決で衆院解散の意思」を確認したところ、小泉首相は、「不信任と看做して解散させる」と述べ、改めて解散の意思の堅いことを披瀝した。「不信任と看做す」というオーバーラン解釈が閣議で確認されたということになる。 7.20日の毎日新聞は、「参院否決での衆院解散 首相の権限どこまで 学会でも解釈分かれる」記事を掲載している。その内容は、こちらも社としての見解ではなく、任意な学説を持ち出してお茶を濁している。 読売が東大なら毎日は京大という訳か、京都大学大学院法学研究科の土井真一教授見解「1、衆院で3分の2を確保するための解散。2、参院で重要法案を否決され、国民の意思を問うための解散については憲法上認められる」なる見解を紹介している。別論として、東洋大法学部の加藤秀治郎教授見解「解散権乱発の恐れ有り」を紹介している。 以下、れんだいこが、追い伏せ批判する。小泉の衆院解散首相専権論はレイプ犯特有の強引な恫喝論であり、ナイフが議会解散に代わっただけのことである。マスコミは、この問題を取り上げながら結局はおべんちゃらしている。なぜ、そういう記事しか書けないのか。東大だの京大だの法学者を持ち出せば、それが正しいというわけでは有るまい。 れんだいこに云わせれば、上述のような論法は、カラスを白いと云う為の詭弁法学に過ぎない。それをまことしやかに磨いているだけのことであろう。確かビスマルクの名言「学者は調法なもので御用理論の生み出し名人である。理屈は後から貨車でやってくる」を地で行く論法ではないか。要するに、首相は何をやっても許されるを手を変え品を変え述べているに過ぎない。 れんだいこが問題をもう一度整理しておく。今問われていることは、「衆院でギリギリの法案可決、参院審議開始」の時点で、首相及び内閣が、「参院で否決なら衆院解散」なる恫喝をすることができるのかどうかである。それは議会制民主主義の原理原則に対するあまりにも露骨な凌辱ではないのかということである。高橋教授よ、土井教授よ、これにつきステキな見解聞かせてくれや。 次に、参院で否決された場合、法案を衆院に戻す訳でもなく、不信任決議案に依るのでもなく、首相権限でいきなり衆院解散できるのかどうかという問題である。これについては憲法で規定が無い。つまり出来ないと解するのを相当とする。 但し、無いだけに諸論が生まれるのは良かろう。しかし、へんちくりんな見解でもってこれが通説というのはいただけない。正式には、これがおべんちゃら学説であるというべきだろう。 さて長くなってきたので結論する。れんだいこが小泉政権の余命を推定するとこうなる。小泉玉は既に5手詰めに入っている。お前には総辞職の道しか残されていない。あがけばあがくほど見苦しいだけで、いよいよ愛想つかされるだろう。世間ではこれを往生際という。 2005.7.20日 れんだいこ拝 |
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補記 「阿修羅政治選挙11」の2005.7.22日付け悪役氏の投稿「小泉首相は憲法を完全に無視・・・定かでないが」を参照する。 民主党の島聡・衆院議員の質問主意書の概要は次の通り。
政府は、7.19日の閣議で、概要「新たに民意を問うことの要否を考慮して、内閣が政治的責任において決すべきものと考えている。衆院解散に問題はなく、他の閣議案件と同様、衆議院の解散についても、内閣が一致して意思決定を行うことになる」と回答した。 島議員は、ライブドア・ニュースのインタビューに対し次のように批判した。
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【参議院での郵政民営化関連法案の行方考1】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参院は本会議で自民党から18人が反対に回れば法案が否決される。7.13日現在、明確に「反対」を意思表示している者が17名、「反対の可能性がある」としている者が12名、「賛成」または「賛成する方向だ」としたのは全体の約56%の64名にとどまっている。 反対の筆頭派は、元郵政官僚の長谷川憲正氏(旧橋本派)や、中川義雄、荒井広幸両氏(いずれも亀井派)らで、衆院で反対派の中核となった綿貫民輔・前衆院議長が会長を務める郵政事業懇話会のメンバーが多い。派閥別では、亀井派8、旧橋本派6で両派が大半を占めている。 これにつき、7.22日付朝日新聞は「郵政民営化法案の参院採決のカギを握る「反対派」は、どんな人たちなのか」記事を掲載している。 亀井郁夫氏の反対の弁は次の通り。
長谷川憲正氏の反対の弁は次の通り。
中川義雄氏の反対の弁は次の通り。
これを参照しつつれんだいこ風に纏め確認しておくことにする。
他にも、衆院郵政民営化特別委員長を務めた二階俊博氏(66)の側近にして、反乱軍の“ジャンヌ・ダルク”こと野田聖子元郵政相(44)の夫・鶴保庸介議員、田中真紀子の夫・田中直紀議員の動向が野次馬的関心を集めている。 |
【参議院での郵政民営化関連法案の行方考2】 |
2005.7.20日、小泉首相は、都内で開かれた郵政民営化に関するシンポジウムで講演した際、郵政民営化法案の参院での見通しについて言及し、「造反者は、実に反対は10人前後、反対の可能性は20人前後、最大で30人前後」と論評した。3億5000万円の現ナマを使った“買収工作”が展開中との情報も流れており、執行部Vs反乱軍は深く静かに激突しており泥仕合の様相を帯びつつある。 7.22日、東京新聞朝刊は、「反対の意向は19人 否決ライン超す」と報じた。綿貫前衆院議長ら反乱軍は否決に自信を示し、青木参院議員会長率いる参院自民党執行部も「可決と否決の可能性は五分五分」としている。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その72 | れんだいこ | 2005/07/22 |
【公明党神崎ー冬芝体制の晩鐘に思う】 2005.7.22日付け毎日新聞(古賀攻記者)は、「郵政法案:神崎武法・公明党代表に聞く」(http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050723k0000m010006000c.html)に於ける神崎委員長見解を論評する。 神埼委員長は、「私どもは解散には反対です。参院で否決されたからといって衆院を解散するのは筋違いではないかと」の見解を披瀝している。しかし続けて、「解散権は総理専属のものです。いくら私どもが反対しても、小泉(純一郎)総理の性格、郵政民営化法案にかける思いを考えますと、否決されたら100%解散に打って出るだろうと。その場合には受け入れざるを得ない」とも述べている。 これによれば、神崎氏は、小泉首相の「参院否決、衆院解散論」を戦術的なものと捉え、論そのものを肯定していることになる。しかしそれはオカシイ。確か神崎はヤメ検だと聞いているが、おかしな法律感覚ではある。 れんだいこは既に指摘しているが、民主党の島聡・衆院議員のそれも的確なので紹介する。島氏は、次のように述べている。 概要「小泉流『参院否決、衆院解散』論でいけば、参院の方が衆院に優越していることになりはしないか。参院次第で衆院が解散できるのなら、衆院は参院の下部議院ということになろう。仮に衆院解散したとしても、参院はそのままなのだから、また否決されて、将棋でいう千日手になる。これでは何のために解散するか分からないではないか」。 島氏は、レイプ犯履歴首相の国会レイプ手法を痛烈に捉えている。この御仁にあっては万事「朕が法律」であって、憲法にどう書かれていようが一向に意に介さない。それが堂々と罷り通るから不思議だ。れんだいこは、島氏のこたびの立論の功績は、次期民主党委員長の座に値すると考える。それを思えば、岡田委員長の「衆院解散受けて立つ論」は浮ついている。 れんだいこは、自衛隊のイラクへの武装派兵も歴然たる憲法違反と考えているが、多少国際がらみのところがある。こたびは純然たる国内問題であり、どの職業にも必ず有る業法に関わる問題である。しかもそれが憲法違反ときている。こうなると見過ごすわけにはいかない。郵政民営化論の前にこれを問題にせねばなるまい。島氏はその期待に応えてくれた。 それに比べて、神崎氏の弁はお粗末な限りである。「だから法案の成立に全力を挙げているし、ぎりぎりで成立するんじゃないかと見ているわけです」は頓珍漢間抜けな受け答えでしかなかろう。 「公明党はパートナーとして郵政改革に協力する立場です」と云っているが、パートナーだから何でもかでもイエスマンすれば良いという理屈にはなるまい。公明党に期待されていたのは「生活与党」の立場で補佐する役割であった。しかし、実際にやったことは、「小泉の腰巾着」専門でしかなく、数々の暴挙を水先案内してきた。お陰で、今更「憲法を守り平和を目指す公明党」とは口が裂けても云えなくなってしまった。 「自民党にいろんな意見があってもいいと思いますよ。しかし、最終的にお決めになった場合は守るのが当然じゃないかと」と云うが、これはどういう意味で云っているのだろう。 小泉は、参院で決めたことが気に入らなかったら衆院解散するぞと脅している。辻褄が合わないではないか。参院で否決されたら、衆院に戻されるか継続審議か廃案かするのが憲法の道筋である。衆院解散というのはどこからも出て気やしないだろうが。 「にもかかわらず実際は相当亀裂が入ってしまっている。法案そのものに反対というより、4年間続いてきた小泉さんの政治手法に対する感情的な反発が強いように思いますね。今まで抑えられてきたものが爆発しちゃった面がある」。 (れんだいこボソボソ) これはこれでいい。 「私たちは政治を安定させるために連立に加わったわけですけど、肝心の自民党が分裂状態になったんでは、政治の安定が実現できなくなっちゃう。これまでの経過は経過として、自民党の執行部には党内融和に全力で取り組んでいただきたいし、自民党の議員一人ひとりも大局観に立った行動をしていただきたい。そうじゃないと自民党自身が終わっちゃう」。 (れんだいこボソボソ) これはこれでいいようなものの、既に泣き言か恨み節していることになろう。 「自民党との選挙協力については、解散になった段階で判断します。今はことさら刺激するようなことは避けた方が賢明だろうと思います。小泉さんも成立すれば(造反問題は)もう水に流して、日本人的な方向で考えられるんではないですか」。 (れんだいこボソボソ) 小泉は「日本人的な方向で考えられる」人ではないことが誰の眼にも明らかになっているのではないのか。「参院否決なら衆院解散、造反派には徹底的なみせしめ」恫喝している真っ最中だろうが。 「仮に解散になっても小泉さんは『絶対勝てる。永田町の空気と国民の皆さんの空気は違う』と思ってるでしょうね。ただ、選挙は厳しい。自民党が野党に転落する危険性もあると見てます。いったん政権を失ったら、二度と自民党に(政権は)戻ってこないでしょう」。 (れんだいこボソボソ) そう実にその通り。公明党も又心中するだろう。余りにも無定見に追随してきた責めをこれから受けることになろう。 思えば、70年代の公明党は右か左かはっきりせず、その良さを踏まえた中道政党の道を歩んでいた。しかし、紆余曲折を経て与党入りしたまでは良いとしても、神崎ー冬芝体制は、小泉政権と一蓮托生し過ぎて今日までやってきた。この史実は消えまい。れんだいこは、それで良かったと思っている。このヌエ党の正体が誰の眼にも明らかにされた訳だから。神崎ー冬芝体制は早晩責任を問われることになろう。 ということは、引き続き社民は当てにならず、日共は左派運動の火消しこそ使命としている手合いで有るからして、これらの流れとは別の共同戦線型の新左派運動こそが待ち望まれていることになる。これに乗り出してくる党派こそ歓呼で迎えねばなるまい。 まずはその際の共同戦線規約を生み出しておかねばならぬな。思えば、戦前戦後ここに叡智を使わず、排除と分裂と罵詈能力ばかり磨いてきたわな。トップにおかしなのが座っているからこうなった面もある訳で、それなら放り出して、本来の協働性を発揮していくべきだろう。いろんな兆候からしてそういう旬になったかな。 2005.7.22日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その73 | れんだいこ | 2005/07/26 |
【小泉政権の政界媚薬考】 郵政民営化法案がいよいよ大詰めを迎えつつある。論戦は低調であるが致し方ない面もある。郵政民営化とは、国家最後の大型隠し財源がハゲタカファンドの好餌にされようとしているという問題に尽きるが、これをまともに取り上げて議論するにはさすがにリスクが大き過ぎるのであろう。よって、奴隷の言葉で、特定郵便局の再編整理如何の議論で語らざるをえない。そう善意に解釈しないと腹立たしい。 郵政民営化問題は今や、小泉政治の内実及び手法を廻る賛否へと集約されつつある。それは結構なことだ。遅かりしではあるが、この絶好機会に相互に旗幟鮮明にして闘わねばならない。どちらの船に乗るのかどちらも怖い。それが政治の醍醐味だろう。 小泉は去る日の総裁選で、自民党をぶっ潰すを旗印にして勝利したが、その真意は、自民党ハト派(既にねじれハト派でしかないが)をぶっ潰すであったことがますます判明しつつある。それだけならまだしも、嬉々として日本をぶっ潰すまで暴走する御仁であるとしたら、これ以上我慢できようか。先ほどの造反派は、この危機感から立ち上がった義士である。よほど止むに止まれないものがあると知るべきだろう。 れんだいこは、遠の昔に小泉政権を見切り愛想を尽かしているので、未だに小泉政権擁護で蠢く連中の魂胆に興味が移っている。連中は何ゆえ、これほどあからさまな売国政治をしている小泉政権に群がり続けるのか、これを問うている。 2005.7.24日付「太田龍の時事寸評1380、小泉の異常性。その正体は何か。そしてその次、米国(イルミナティ)が準備中の新しい日本処分のアジェンダ(計画)は何か」(http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi)で、貴重な指摘が為されているので検証する。 太田氏は、小泉政治の異常性を踏まえて、それは何に由来するか、それは何を意味するのか、究極のところ小泉とは何者なのかを問い、次のように答えている。小笠原孝次氏の「世界維新への進発」(昭和五十年)の観点概要「自民党政権は日本を占領し続けて居る米国資本主義の傀儡である」説を肯定し次のように述べている。 概要「小泉は、歴代政治史上初の純粋なる米国の手先、代理人、要するに百%米国陣営内の人間であって、日本人性はゼロというところに特徴が有る。ここに、小泉の『新しさ』、その『異質性』が存在する。歴代首相の米国傀儡性割合は様々であったが、少なくとも日本人的なものがいくらかは残って居た。小泉に至って、遂に、米国(イルミナティ)は、百%イルミナティ化した理想的な日本政府首相を得た。ここに、小泉の異様さが由来する。ちなみに、敗戦後歴代日本政府首相のうち、米国の傀儡の度合が最小、日本人性の度合が最大であった人物は、石橋湛山、田中角栄の二人である」。 太田氏は更に、米国(イルミナティ)の今後の対日アジェンダ(行動日程)が、「日本政府の事実上の廃止」つまり、日本を「国際機関」を通じて直接占領下に置き、イルミナティの直接任命する占領軍司令官と高等弁務官、植民地総督による日本支配システムの構築に向っていることを指摘している。 してみれば、小泉政治とは、「イルミナティの対日アジェンダ」の水先案内人であり、中央突破主義でこれを画策しようとして居る凶暴士ということになる。その周りに媚薬士がたむろしているのだろう。れんだいこは、こたびの太田氏の時事評論には随所に見識が躍如としていると思う。 そういう小泉政権であるが、これを支えんとして、自民党参院の青木と片山虎が権力の蜜に味をしめてか、醜悪な立ち回りをしている。れんだいこは、連中のような没イデオロギー性が嫌でたまらない。勝てば官軍論一本槍で「わが世の春」を謳歌して行く連中がいつの世でも流行るが、いずれ滅する命、後僅かの余力を反革命に費やす生ほど愚かなものはなかろうに。 嫌のついでに、2005.5.25日付の毎日新聞の「闘論」での亀井派桜井新と森派山本一太の主張にコメントしてみる。 桜井は、小泉の「参院否決、衆院解散論」が、二院議会制民主主義に対する根幹部分へのレイプであることを指摘し、「こんな違憲行為は絶対に禁止させないといけない」と述べている。これは正論であろう。 こういう正論で党中央に楯突いて行けるのが自民党の良さだろうと思う。思えば、政治の流れを変えるのに野党がこれを成功させた例は稀有である。こたびも然りである。これは政治責任に対する感覚の差ではなかろうか。権力をとろうとせず万年野党の鶴亀連中は穀潰しのままその一生を終える。これもまた愚かなように思える。 驚くことに、未だに野党から「参院否決、衆院解散論」の違憲性の指摘が生まれていない。日頃、憲法護れと云う者が憲法読んでいない、ろくな理解をしていないということになる。「衆院解散受けて立つ、千載一遇のチャンス論」ばかりが横行しているが、くだらない。 他方、山本は、骨の髄からのおべんちゃらを身上としているようで、郵政民営化法案は小泉政権の重要な公約なので、これを押し進めることこそが政治責任とのたまっている。しかし、山本よ、小泉公約のうち一番強く押し出され、世間が支持したのはむしろ「国債枠30兆円」ではなかったか。その公約破りに対し小泉は何と述べたか。「この程度の公約が破られたからといってもたいした問題ではない」ではなかったか。 ならば、お前が責任もって説明すべきは、「国債枠30兆円公約破りは是、郵政民営化法案公約破りは非」の理由付けではないのか。これに触れぬままの中央突破主義礼賛論は詭弁が過ぎようぞ。 山本は、小泉の「参院否決、衆院解散論」も支持し、「首相は、衆院で3分の2以上の票決で法案を成立させるための解散権を持つ」なる珍論を述べ、御用学者が編み出した詭弁法学を請け売りしている。 山本よ、これまでの国会史は一応は憲法の解散規定に従ってきた。こたび小泉はそれを踏まえず、参院審議入り前から「参院否決、衆院解散論」で恫喝している。お前はこれを決して異様でないことを説明せねばならない。 この御仁は、小泉流の恫喝が好きらしい。末尾で、「造反派にはもう平穏な日常は戻ってこない」と述べている。彼には、彼をしてそう云わしめる後ろ盾があるのだろう。その後ろ盾が頼りになるものか、張り子の虎なのか、今後の政治闘争がそれを明らかにしていこうが、氏の弁舌はいつの世にも居る事大主義、機会主義者でしかないことを物語っている。 2005.7.26日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その75 | れんだいこ | 2005.7.29 |
【小泉首相は日本政治史上初の愉快犯首相ではないのか】 れんだいこは、小泉首相をあれこれ検証しているうちに気づいた。最近関東の方で自動車パンクの愉快犯騒動が発生したが、小泉はんもまさしく愉快犯首相なのではなかろうか、史上初の。そう考えれば凡てが説明つく。 れんだいこ始め諸賢が(というのは気恥ずかしいが、まさしくその通りなので仕方ない)頻りに指摘しているが、小泉首相の「参院否決直ちに衆院解散恫喝論」は憲法違反である。このことが次第に認知され始めている。 2005.7.29日現在、朝日新聞と産経新聞がインターネットで報じている記事を参照すれば、次のような動きが為されていることが判明する。 綿貫民輔・前衆院議長、渡部恒三前衆院副議長が、連れ立ってかどうかまでは分からないが、首相官邸で細田官房長官と会い、綿貫氏は、「参院での否決で衆院解散などということは過去にあったためしがないし、三権分立の立場からもとんでもないことだ」と申し入れている。渡部氏は、「国会審議中に政府側が解散について言うのは好ましくない」と、発言を慎むよう申し入れた。 綿貫、渡部両氏はこの後、河野洋平、中野寛成衆院正副議長と国会内で会談し、衆院の権威を守る観点から何らかの対応を取るよう要請した。綿貫氏は河野氏に対し、「理由のない、八つ当たりとも言うべき解散で、万が一にもこのような解散が行われればわが国の憲政史上に重大な汚点を残す」と指摘。河野氏は「全くその通りだ。立法府で審議をしている最中にそういう発言はおかしい」と応じた。 細田氏から内容を伝え聞いた首相は、官邸で記者団に「意見として承っておきます。(法案については)参院で成立するよう全力を尽くしていますから」と語った、とある。いつもの筋違い返答であるが、そもそも愉快犯と考えればこういう返答もご愛嬌なのだ。 一体、日本政治はここ5年有余、小泉騒動に明け暮れたが、要するに小泉はんは愉快犯だったのではなかろうか。れんだいこはそれなりに分析してきたが、パンク愉快犯の弁舌を聞いて、言っていることとやっていることが小泉のそれと瓜二つであることに気づいた。そういう意味で、パンク愉快犯はパロディー名人なのかも知れない。 ほとんどビョーキなのであるが、それにしてもこのサイコパスを大勢の者が阿諛追従してきたことよ。飯島は秘書という職務柄仕方ないにしても、猪瀬よ、田原よ、マスコミ各社の首級よ、政権亡者の魑魅魍魎達よ、遂にお前らが恥をかく時節が到来した。さぁどんな変わり身芸を見せてくれるかな。 今こう書き付けながら、アンデルセンの「裸の王様」にもそっくりなストーリーであることに気づいた。あれもパロディーだからな。あの時も、王様は宮廷内に止めておけば良いものの、褒めそやす大勢の輩に囃し立てられ、遂に街頭まで繰り出す羽目になった。 裸の街頭パレードの最中でも、行く先々で「実に素晴らしい、お見事、うっとりするわ、こんな素晴らしい衣装は今まで見たことが無い」などというお追従の波で埋まった。王様はますます満面喜悦有頂天であった。 媚薬は、王様の着付けが見えない者は馬鹿間抜けという仕掛けにあった。人々は、己がそう見られたくないために口々に競うように提灯し続けた。しかし、媚薬効果が剥がれるとどうなったか。少年の一声でざわめきが始まり、王様はほうほうのていでお城に逃げ帰った。 物語はこれ以降に就いては詳しく書いていないのでその後の王様の動向が分からない。子供向けの童話本ではケシカランことに本ごとに違う幾つもの筋書きに書き換えられている。れんだいこも実際のストーリーを知らない。 それはともかく、「参院否決なら直ちに衆院解散」なる小泉恫喝が憲法違反と判明しても、小泉政権は何の咎めもなしに任期を全うし得るのか。我が政界はそれほどやさしくもてなすのだろうか。 ならば、この愉快犯政治がまだまだ続くことになる。これが芝居なら、見たい者は見ればよいで済ませられるのだが、あいにくそうはいかない。このチャンネルは一つしかないので、見るのか切るのか劇を終りにさせるのかの相対立するどちらかを選択する以外に無い。 れんだいこの結論は云うまでも無い。小泉構造改革は凡て詐術である。何一つ我々のためになったものはない。ブッシュはんに天文学的な貢(みつぎ)をし続けているので、アメリカ筋から覚えが目出度くなるのは当たり前だろう。もっとも最近は、そのブッシュ軍曹まで愛想を尽かし、小泉伍長を見捨てつつあるやに見受けられる。 更にお供えします、郵政民営化は必ずやり遂げますから私を見捨てないでと哀訴してはいるが、悪い夢を見させられた公明党の冬芝までもが右顧左眄し始めている。そういう訳で、リンダ調で云えば、もうどうにも止まらない。 それはそれとして、パンク愉快犯の口舌を正確に知りたくなったので、どなたか、こういう風な言い回しでしたと教えてくれないか。最近、こういう手合いが多い気がする。変な犯罪が増えつつあり、それらを分析するためにも必要と思っているんだ。この意図は愉快犯ではないのだ。 れんだいこは、小泉はんを今までレイプ犯首相とかサイコパス首相とばかり考えてきたが、むしろ愉快犯首相なのではあるまいか。よって以降は、この観点に切り替える。次に何をやってくれるかな。 2005.7.29日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その76 | れんだいこ | 2005/07/30 |
【日共のまたぞろ反動的役割考】
2005.7.25日、日共の市田忠義・書記局長は、毎日新聞のインタビュー「共産党:次期衆院選での新方針波紋 小選挙区の候補擁立見送り、与党に警戒感漂う」(http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050727ddm005010022000c.html)で次のように語っている。れんだいこは、この党中央に対する期待は微塵も無いので極力無視し始めているのであるが、看過できない内容になっているので取り上げる。 日共は、次期衆院選で、従来式の全選挙区立候補を取りやめ、候補の絞り込みに入るとのことである。留意すべきは、この方針が、自民対民主の政権抗争に民主支援戦略として打ち出された訳ではないということである。公明党は自民支援戦略からの選挙協力を公言し、実際に強力な支援部隊となっている。ならば、日共が民主につくのかというとそういうものではない。 日共は、これまで公明党を不倶戴天の敵として競ってきた。公明党は次第に力をつけ今や政府与党にまで入り込むようになった。同党の選挙政策は露骨なまでの政権入り持続に向けての党利党略で貫かれている。これに対して、日共の選挙政策は、明らかに自民党を有利にせしめているのにその戦略を改めることが無かった。その為、回天運動を推し進める側から不評を買ってきた。 こたびの日共の方針転換は、この要請に応えて生み出されたものではない。れんだいこは、宮顕ー不破系日共党中央の変調さを機会あるごとに指摘してきたが、れんだいこの指摘に耳を貸す者が少ない。れんだいこ観点に従えば、こたびの政策転換もかなりイカガワシイ。その理由を述べて見る。 日共党中央の政策転換は、第一に、日共内の人材不足と財政難からもたらされたものである。第二に、選挙のたびに後退しつつありこの傾向が今後も続くことを踏まえて、党中央が指導責任を回避する為打ち出されたいつもの卑怯姑息な遣り口でしかない。 第三に、目下小泉政権が、参院が郵政民営化法案を否決するなら直ちに衆院を解散すると恫喝している折柄、そのタイミングに合わせての日共党中央の政策転換表明が強調して出されて、それは小泉恫喝を裏から支援する役割を果たしている。 もし総選挙になり、日共票が民主党へ流れたと仮定すると、仮に前回選挙の結果をもとに東京に25ある小選挙区でのシミュレーションでは、民主23議席、自民はわずか2議席となる(実際は自民12、民主12、公明1)。 この脅威が、郵政民営化法案を廻って態度を留保している与党議員を揺さぶる可能性が強い。れんだいこは、そういう狙いを持って発表された日共党中央の政策転換声明であると見る。もつとも、もう流れは変えられないだろうが。 市田忠義・書記局長は、「民主が得するとか自民党はどうかということは考えていない。関係も関心もない。自民党政権でも民主党政権でも何の変わりもない。民主党と選挙協力は100%あり得ないし、連立を組む可能性もない」と述べている。 れんだいこは、これは本音であると見る。してみれば、こたびの日共党中央の政策転換は内部事情からもたらされたものであり、戦略的なものではないということになる。しかし、それはそれで問題である。 日共の民主党の位置づけは意図的に曖昧にしているが、一朝有事の際には、過去の細川政権の例を見よ、それを極右政権とみなしてあらんかぎりの罵倒で迫り、自民党と組んでも政権打倒する理論を生み出していた経緯がある。 これを踏まえれば、日共の反民主党戦略は真性のものであると推定できる。誰が裏で糸を引いているのか、それが問題だ。その割には院内共闘するので、日共のこの本音がなかなか見えてこない。 れんだいこは、市田の概要「自民対民主抗争には何の関心も無い」観点は頗(すこぶ)る問題があると考える。むしろ、公明党が旗幟鮮明に自民党支援に廻っている態度こそ、自民党支援の良し悪しは別として政党としての責務を果たしていると考える。なぜなら、政局の主要な対立抗争に付き、どの政党も必ず自党に有利になるよう図るのが党的責任であると考えるから。 積極的に後押しするか消極的なものに止まるかべきかは局面に拠ろうが相手に拠ろうが、自党の展望に有利な局面を生み出すために近づいたり離れたりしながら、権力政争に関心を払うべきであろう。 その意味で、市田の「何の関心も無い」は大いに問題で、むしろ現権力派の自民党に利する態度表明でしかない。実は、日共の問題性はここにある。そう考えるのがれんだいこ史観である。他の者はここが分からないし分かろうとしない。口先ではなく歴史を検証すればそういう姿が見えてくる。 市田は、従来式の全小選挙区立候補制につき、「比例(代表の得票)のためには当落を度外視して、党を躍進させるため全部(の選挙区で)候補を立てた方がいいという発想があった。しかし、そういうことでは逆に有権者からひんしゅくを買う場合がある」と述べている。 これはある意味で本音を吐露しているが、例の詐術論法でもある。日共の従来の遣り方が「有権者からひんしゅくを買っている」のは事実である。しかし、その理由は、自民に利する作用しか果たしていない全小選挙区立候補制へのひんしゅくであり、全小選挙区立候補制そのものから来ているのではなかろう。当選させる意志も無いのに政局転換の足を引っ張るその戦略が嫌悪されているのだろうに。 日共の細川政権論からすれば、その流れを汲む民主党と選挙協力して自民党を倒す戦略は生まれない。むしろ、民主党より自民党の方にシンパシーを寄せている気配がある。彼らは口先では自民、民主両党を批判して唯我独尊するので、本音を云わないが、やっていることの結果を見れば明らかに現政府与党の自公体制を裏支えしている。 現下政局の混迷は実にここにある。自民党を核として公明党が表から支え日共が裏から支えているので、社民も村山政権以来取り込まれているので、つまりよってたかって現体制を保全しているので、自民党の長期安定政権が作り出されている。これを打倒するのに民主党が単騎で挑んでいる格好になっている。それでも次第に民主党政権渇望の勢いが生まれ始めている。 れんだいこは、民主党が右派、左派、中間派、タカ派、ハト派、日和見派、シオニズム篭絡派、民族派の混成部隊で、骨格が定まっていない政党であることは見据えている。しかし、日本政治の質を高めるためには、民主党政権を誕生させ、それを左から支えていく方が当面の戦略としては有効と心得ている。そういう意味で、民主党の伸長ぶりを追跡している。 左派運動は本来こういう観点を保持すべきである。それが嫌なら、単独でも共同戦線でも自前のうねりを創り出せば良い。それもせずに、自民対民主の政権抗争に背を向けて左派気取りしている人士を信用しない。「共産主義者の宣言」にはちゃんとそういう関心を払うべきだとコメントされている。今日日の左派サヨは、「共産主義者の宣言」を読まずに己の甲羅に合わせただけの持論で気取るから何の役にも立たない。 この連中が、インテリの場合は、マルクス主義を難しくさせて我々を遠ざけさせ、非インテリの場合は、マルクス主義とシオニズム国際主義の違いも分からぬまま吹聴して廻るので次第に生気を失わせてしまっている。今や、冤罪摘発に向うより縄掛けの方を得手とする変調運動に染まっている。これも理由が有るのだがここでは問わない。 この混迷から抜け出せ、自縛を解きほぐせ、それが我々の課題であろう。 2005.7.30日 れんだいこ拝 |
【「奇怪な小泉ー森会談」】 | |||||||||||||||||||||
8.6日、衆院解散解散前夜、「小泉ー森会談」が持たれ、森喜朗前首相が否決された場合の衆院解散回避を求めたのに対し、「おれの信念だ。殺されてもいいんだ。それくらいの気持ちでやっている」と拒否した。 会談後、森・前首相が記者団の前で奇怪な醜態を演じた。ひしゃげた缶ビールと堅くて食えない干からびたチーズを見せ、小泉首相の非礼をなじると同時に衆院解散決意の固さを伝えた。森氏は、記者団に「もうさじを投げた。こうなると変人以上だ」と強く首相を批判した。 これにつき、2005.9.10日付け「週刊現代」が、「田原総一郎 × 加藤紘一 対談 ”小泉純一郎 「戦後で最も強権的総理の素顔」” 」で裏舞台を暴露した。
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【郵政民営化法案、参院で否決される】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.8.8日、小泉首相が政権の命運をかけてきた郵政民営化関連6法案を廻る参院本会議が午後1時に開会し、反対討論に続いて、議員が木札を投じる方式の記名投票で採決が行われた。採決の結果、自民党内の造反(22名の反対、8名の棄権)によって予想を上回る17票差で否決された。内訳は、投票総数233票、賛成108票、反対125票、欠席・棄権8票だった。扇千景参院議長が結果を読み上げた。委員会で可決された政府提出法案が本会議で否決されたのは、戦後2例目。
自民党114名のうち、22名が反対票を投じた。自民党の造反議員は次の通り。
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【小泉首相の違憲性解散が罷り通る】 |
小泉首相は直ちに衆院解散を決断し、直ちに自民党役員会を開き、「古い自民党をぶっ壊して、新しい自民党を作る。古い自民党とは手は組まない。自公で過半数を取ればいい。反対した人とは決別する」、「全選挙区で候補者を立てる。反対した者は一人も公認しない。衆院選で勝てば、参院議員たちも自分が間違っていたことが分かるだろう」とぶち上げた。 続いて、与党の自公党首会談を開き、神崎代表の時期尚早論に対し、「徹底的に闘う」と述べ賛同を求めた。 同3時10分、臨時閣議が開かれ、小泉首相は冒頭、「改革路線が正しいのか、しっかり国民に信を問いたい」と述べ、閣僚の意見を聞いた。麻生総務相、島村農相、中川経産相、村上行政改革相の3閣僚が解散に難色を示した。閣僚の意見表明が終わると、首相は「今回の解散に反対の方は別室に」と述べ、中川氏を除く島村氏ら3人を別室に誘い、一人ずつひざ詰め談判した。途中休憩を挟み2時間以上に及んだ。 麻生氏と村上氏は最終的に署名に応じたが島村氏は最後まで納得せず辞表を提出し、官邸を後にした。首相は辞表を受理せずに島村氏を罷免、戦後、首相に罷免された閣僚は、片山内閣の平野力三農相、第4次吉田内閣の広川弘禅農相、第3次中曽根内閣の藤尾正行文相に続き4人目。解散手続きで閣僚が罷免されたのは初めて。参院本会議で反対投票した柏村防衛政務官も罷免された。 首相自身が農相を兼務して解散詔書を閣議決定した。憲法7条に基づいて衆院を解散し、8月30日公示、9月11日投票の日程で総選挙に踏み切ることを正式決定した。同夜7時過ぎの衆院本会議が開かれ、民主党が小泉内閣不信任決議案を提出したが採決されぬまま河野洋平議長が解散詔書を読み上げた。 衆院解散は小泉政権下で2回目、現憲法下で20回目となる。参院での法案処理に伴う衆院の解散は前例がない。首相主導の解散劇となった。 |
【小泉首相の報復選挙戦略】 | |
首相は、法案否決後ただちに開かれた自民党臨時役員会で「古い自民党とは手を組まない。郵政法案に反対した同党の衆院議員37人を公認しない。反対派の全選挙区で代わりの新人候補を擁立する」と述べ、、粛清と踏み絵方針を明らかにした。党政治倫理審査会は、造反議員に求めていた弁明書を、欠席・棄権派の14名につき免除することを決めた。造反派の分裂戦略。 自民党の都道府県連には、地方レベルで独自に造反議員を公認・推薦する動きがあり、執行部内からも「自民党対造反新党」の対立構図が際立てば民主党を利するとの懸念も出ている。これに対し、執行部は、「仮に県連が造反議員を推薦しても、党本部として別の候補を立てる」との姿勢も見せている。
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【造反派の応戦選挙戦略】 |
造反派は今後、新党を結成するか無所属で戦うかの選択を迫られることになったが、結論を先送りした。 8.9日、造反派は新たな政策グループを結成することを決めた。本格的な新党結成は断念する方向で、比例代表組の受け皿としての新党づくりが模索されつつある。岐阜や佐賀の県連などで、党本部の公認がなくても「県連公認」や推薦を出そうとする動きがあるほか、離党につながる新党結成より、無所属ながらも従来の組織の支援を受けて戦う方が得策とみる議員が続出し、本格的な新党は見送る方向となった。 ただ、無所属候補は公職選挙法で比例代表への名簿登載ができない。このため、前回の衆院選で単独比例代表で出馬した前職がいる中国や東北ブロックなどの候補の受け皿とするため、小規模な新党は設立する方針だ。 ≪新党≫ 公職選挙法86条で、衆院議員または参院議員が5人以上所属するか、直近の国政選で2%以上を得票した団体が「政党」と認められる。衆院議員は解散で身分を失うが、総選挙までは公選法86条上の議員と見なされ、新党を結成できる。公選法では、政党候補は政見放送に出られるが、無所属候補は出られないなど不利なこともあり、離党組が新党を結成することがある。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その77 | れんだいこ | 2005/08/10 |
【解散で浮かれる場合ではない】
郵政民営化法案は、小泉政権の恫喝と懐柔策にも関わらず参院で否決された。この間の執行部の根回しは却って反発を招き、予想を上回る造反派の出現となった。こたびは30名の義士が「良識の参院」を証した。 これに対し、小泉首相はどう対応したか。自身をガリレオに例え、「それでも国民は支持している」と呟き、衆院解散という暴挙に打って出た。実際には閣僚4名が反対し、島村農相は最後まで説得に耳を貸さず辞表を提出した。 これに対し、小泉首相はどう対応したか。島村農相を罷免し、首相自身が農相を兼務して解散詔書に花押した。憲法7条に基づいて衆院を解散し、8月30日公示、9月11日投票の日程で総選挙に踏み切ることを閣議決定した。同夜の衆院本会議で解散詔書が読み上げられた。 れんだいこはこれまで度々指摘しているが、この御仁は狂っている。自身をガリレオに例えて愉快犯しているが、ガリレオには迷惑な話だろう。ガリレオはその見解を権力により掣肘されたのであり、権力派がガリレオの呟きを真似るなどという事は有り得ない。それをいとも容易く引き合いに出し放言できるのは愉快犯ならではのことである。 れんだいこは既に度々指摘しているが、稀代のサイコパス首相の国政私物化を如何にすべきか。「衆院可決、参院否決、衆院解散」なる違憲愚行を許してはならない。8.30日の公示日までまだ間が有る。造反派の比例区選出議員は根無し草になり憤懣遣り方ない。ならば地位保全訴訟に打って出ればよい。こたびの違憲解散はかなりな後遺症を生むことが必死で、日本国政史上混乱を生むばかりとなろう。 どうしても解散したいなら、衆院での内閣不信任案決議を求めなければならない。こたび、民主党が提出したにも関わらず、その採決をせぬまま解散詔書が読み上げられ、これが受け入れられている。これは決定的なミスである。せっかく用意されたにも拘わらず敢えて無視した小泉政治の手法の責が問われるべきである。 国会議員諸士の見識も疑われる。なぜ動議を出さなかったのか。マスコミも何の疑問も為さず早々と選挙情報にうつつを抜かし始めている。あまりにも馬鹿げている。もう一度国会を開きやり直すべきである。今更それが出来ないというのなら、小泉政権は不見識を詫びて内閣総辞職すべきである。 袋の小ネズミ派はもはやぶりが止まらず崖っぷちへ突っ走っている。漫画の世界なら構わないが、れんだいこの眼には国費の無駄遣いとお騒がせでしかない。 (05年総選挙費用は、700億円を超える見込み。00年総選挙で計上された予算総額は約664億。うち約614億円が、選挙事務を国に代わって地方公共団体が行うことに対する国からの委託費だった。その内訳は、(1)・投票所の借り上げなどにかかる経費が198億円、(2)・都道府県と市町村の事務費が140億円、(3)・選挙ポスターなどの経費が7億円、(4)・選挙公報の発行に必要な経費44億円」。このほか、各党が流すテレビCMや選挙広告費用、各候補が地元で落とす金を含めると、「選挙は一大産業」といわれている) 小ネズミは「改めて国民の信を問う」と云うが、議会政治の比例代表制の意味が分かっていない。議員は国民の代表として選ばれており、その議員の採決が気に入らないからといって衆院解散するなどはナンセンス矛盾の極みである。 どうしても通したいのなら、法案を次期国会に再度提出すればよいだけのことである。その段取りを踏まず敢えて衆院解散を為す背景には、「国際公約」なるものが存在するからであろう。どうやら小ネズミは郵政財源350兆円の外資預託を請け負っており、れんだいこは、暴挙を積み重ねても公約実現せねばならない立場に有ると見る。 取り巻き連中には数百億円単位の成功報酬が約束されているのではないかと見る。小ネズミはいつでもすねのキズを暴かれる立場に有り、言いつけ通りにしないと鉄槌が下される立場に有ると見る。 今我々が為すべきは小泉政権の暴挙を許さず、これ以上の国政の混乱を許さないとして退陣に追い込むべきである。森は、派閥の長として身を挺すべきである。とかく噂されている小泉の履歴疑惑を詮議すべきである。マスコミは封殺しているが、不作為犯罪であろう。見よ、小ネズミの造反派に対するいたぶりを。まさにレイプそのものではないか。あまりにもエゲツナイ。聞け、その論法はまさにサディストの鞭そのものではないか。 それにしても、護憲政党を自負してきた社共のお粗末さよ。小ネズミの衆院解散の違憲性を直ちに問うのが護憲政党の所以だろうに見過ごしている。興味深いことに、8.9日付読売新聞14版に、東京10区に出馬予定の山本敏江の見解として「党の決定に反対する党員が居る自民党には政権を任せられない。この選挙で国民に信を問いたい」なる記事が出ている。何と、この御仁は、「党中央集中制」を自賛し、この間の自民党の造反議員の行動を批判している。これは小ネズミの論法そのものである。 結論。こたびの違憲解散は許してはならない。前代未聞であるがこたびの解散を失効させ、小泉政権総辞職を引き出さねばならない。目出度し目出度しでみんな丸く収まるし、余計な税金使わなくて済む。造反派の比例区選出議員は、地位保全訴訟に打って出るべし。今からでも遅くない、国会議員が束になって解散無効訴訟を打て。前代未聞には前代未聞で立ちふさがれ。 2005.8.10日 れんだいこ拝 |
【社共対応の無能考】 | ||||||||||||||
社民党は、「2005.8.8日付け衆議院の解散にあたって(声明)」を発表している。これを転載しておく。
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共産党は党声明をだしておらず、2005.8.9日付けで「庶民大増税反対、憲法をまもりぬくたしかな野党日本共産党をのばしてください 東京・新宿での 志位和夫委員長の訴え」を発表している。これに逐条コメントしておく。
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【自民党内ゲバ状況考】 |
2005.8.9日、東京10区で、都連が郵政反対派の小林興起氏(61)を推す構えをみせたのに対し、党本部は小池百合子環境相(53)を擁立する方針を固めた。小池氏はもともと比例代表近畿ブロックの選出。「今回のくら替えには小泉首相の意向が働いた」(関係者)という。反対派の急先鋒(せんぽう)である小林氏に現職閣僚をぶつけることで、「抵抗勢力」の一掃を図る決意を示す狙いだ。都議会自民党の野村有信幹事長は、語気を強めて党本部の対応を批判した。「抵抗勢力」の一掃に強い意欲を示す小泉首相と“造反組”の支援に傾く地方組織という構図が固まり始めている。 八代英太氏(68、衆院東京12区から出馬予定)。 |
【警察庁が選挙違反捜査発動】 |
2005.8.9日、衆院解散を受け警察庁は、東京・霞が関の警察総合庁舎で、全国の警察本部長や選挙違反の捜査指揮にあたる捜査二課長らを集めた臨時の会議を開き、選挙違反の取り締まり徹底などを指示した。漆間巌長官は訓示で「今回の総選挙は政界の再編を招く可能性も指摘され、激しい選挙戦となることが予想される」と指摘した。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その78 | れんだいこ | 2005/08/11 | |
【現代政治のイロハ知識】
太田龍・氏の時事寸評2005.8.10日付「『国賊売国奴小泉』は、イルミナティサタニスト世界権力の日本民族抹殺作戦の兵隊、としてあることを見抜け」(http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi)が貴重な指摘をしている。しかし、氏はどういう訳か著作権をうるさく主張するので、れんだいこ風に意訳紹介する。
れんだいこは、太田龍・氏の上述観点に同意する。誠に現代史は、イルミナティ世界権力の策謀を読み取らなければ解けない。今や世界の何処の国でも、この最強権力にひれ伏し、逸早く身を投じることによりネイティブ権力を得、各国で代官として振舞う輩を見て取ることが出来る。 小泉の異常性は、自身のそういう在り様を嬉嬉として遣りぬくことに有る。忸怩たるものがなく、マスコミはそこを褒めそやし続けている。よほどいい相性しているとしか思えない。この不義を如何せんか、この問題は日本人民大衆の筆頭政治課題として突きつけられている。れんだいこはそう理解している。 この間の衆参両院に輩出した与党内造反派は、日本の最後の良心足りえる。権力を求めるにせよ、少なくとも国土民族の利益に反しないという公理の中での権力運動という弁えに従っており、小泉ご一統派の売国政治とは相容れない。分かり易く云えば、立身出世のためなら国を売ってでも意に介さない勢力と、それは無いだろうと分別する側との闘いである。 マスコミは、小泉首相の愉快犯的言説がよほどお気に召しているらしい。その底流に流れているレイプ政治手法にも拍手している。小泉首相側が仕掛ける造反派に対する公認踏み絵、刺客騒動を面白おかしく伝え、桃太郎の鬼退治の如くに報道し続けている。この見識貧困を如何にせんか。 れんだいこが思うに、我々は、政治評論家を含め、誰がどのような言説しているかをきっちりノートしておく必要が有る。そういう意味で、新聞は社説はむろんのこと記事執筆者名を極力明らかにさせねばならない。匿名を良いことに提灯記事を書き過ぎていよう。そのレベルは、世界からお笑いものである。 れんだいこは、郵政民営化法案の参院での否決を予見した。次に予見したのは、衆院解散阻止、小泉内閣総辞職であったが、これは今のところ外れている。しかし、れんだいこに責があるのではない、政治の貧困故にそうなっているだけで、今月末までの小泉政権打倒は引き続き有効である。何としてでも引き摺り下ろさねばならない。それが、日本人民大衆運動の能力にかかっている責務である。 しかしながら、政権打倒の人民大衆闘争が余りにも組織されていないことに気づかされる。社共は逸早く選挙戦に突入し、街頭宣伝に努め始めている。特に日共戦略を見よ、参院での法案採決前は全選挙区立候補を見送るという気球を挙げることにより造反派の動きを牽制せんとした。 しかし見事に裏切られるや、今度は造反派選挙区での意図的集中的立候補に向いつつある。こうしていつでも裏から自公政権を補完している。我々は、連中の口先での対立手法に誤魔化されず、云っていることとやっていることとの違いを見て取り、連中の正体を見破ることが肝心である。 願うらくは、真の左派運動党派が公然登場せんことを。この党派は、政局流動化を押し進めることに力を貸さねばならない。今現在の実践的には、造反派にエールを贈り、自民対民主対決では候補に問題なければ民主を支援し、社民が勝てそうなところでは社民を支援し、独自候補を立てたところでは政策を争い、日共下部党員の良識派を獲得し反党中央の動きを促進させねばならない。 どこの世界に50有余年に亘る同一系執行部が許される世界があろうか。ましてや選挙のたびにジリ貧しつつあるのに責任を取らない執行部を許容するなどとは。これは明らかに日本左派運動の不作現象である。このウソ偽りから解放せねばならない。 そういう意味で、真の左派運動党派が公然登場せんことを。地方選で蓄えた経験を国政選挙に生かさねばならない。地方選といえども堂々と国政課題で闘わねばならない。日本左派運動が陥っている蒙を啓かしめねばならない。 れんだいこは余生いくばくかをこの闘いに費やすことを決意している。命は少しも惜しくない。客観情勢が味方することを念じている。有為の同志を糾合し、世の草莽と絆を結ばねばならないと思っている。云うばかりでは空しく快刀乱麻の闘いに挑みたいと思っている。そうしないと日本は変わらないから。 考えても見よう。古来より豊葦原の瑞穂の国と云われるこの国ほど住みやすいところは無い。政治が一統一派の為にではなく人民大衆の為に奉仕するなら、日本は容易に世界の憧れの国足りえるであろう。その日本が何ゆえ窮乏せしめられねばならないのか。世界最多の自殺国として記録を更新し続けねばならないのか。政治がせんでも良いこと方面ばかりに熱中しているからではないのか。 幸いなことに、戦後憲法は戦後の時代の質をよく読みとっており、内治優先、国債発行禁止、中小零細企業育成、諸外国との協和、友好親善を指針させている。戦後の政府与党保守本流派は曲がりなりにもこの基本線で政策を推進してきた故に50年代の奇跡の復興と60、70年代の経済成長をもたらした。今や環境保全の時代であるから新しい成長の在り方を問うというのが80年代の政策となるべきだった。 それを大国的国際責任論で台無しにしていったのがその後のタカ派政治である。これがロッキード事件の政治的役割であった。これにより内治型の角栄ー大平の善政時代が壊された。その意味で、これを推進した三木ー中曽根の罪は思い。 小泉政権に至ってその罪は加速度的に倍加している。自民党をぶっ潰すならまだしも日本をぶっ潰す政策に興じ続けている。それを褒めそやすマスコミが居る。この倒錯を如何にせんか、それが今問われている。 2005.8.11日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その145 | れんだいこ | 2006/02/18 | ||
【小ネズミ政権の死臭】 小泉政権は既にゾンビ状態に陥っている。その延命は、日本政治史の面汚しでしかない。れんだいこは、真紀子外相罷免時の逆裁定手際を見て、あの時点からこりゃあかんと断を下したが、日本政治の貧困を物語るかのようにその後ますます名宰相論者が台頭してきた。昨年の2005.9.11違法総選挙で大勝利したものの、以降は5年有余にわたる小泉政治の腐敗を死臭的に物語る事件の連続である。もう見飽き果てた。 全てに共通するものは社会的負託に対する公的意識の欠如である。どれもこれもが共通して私物化の自縄自縛に陥っている。トップがそうだからそうなるということだろう。思えば、小泉政治とは、自民党レイプから始まり国会、法令、公団、靖国、外交レイプへ至り最後に皇室典範レイプで壁にぶち当たった。 この間の政治手法の特質に、レイプ手法のみならずお騒がせ愉快犯的要素が加味されており、小泉名宰相論者の多くは過去事例の無いこの要素に幻惑され阿諛追従してきた面が有るように思われる。首相にあるまじき見識と用語と詭弁をでまかせに多用しているが、それを評価するこの国の自称インテリの質が分かろうというものである。ダメなものがダメと云えないああでもないこうでもないと論が行きつ戻りつする、うつけ論者特有の痴態であろう。 れんだいこは、政治の貧困に出くわすたびに角栄ならどうしただろうかと考える。角栄は実に三百年一人の傑物であったように思われる。戦後政治の中から、角栄が手掛けた諸政策を差引くとあまりにも背筋が寒くなる。これを逆から云えば、角栄はあまりにも多くの国策的貢献をしてきたことになる。 最近、公共事業削減を云えば正義であるかのような論が目立つが、バカも休み休み云いたまえと思う。いったん公共事業の循環を止めてしまえば、これを再起動することは難しい。必要な事業を精査し、必要な事業のみ特注していく姿勢が肝腎なところ、公共事業全般の削減をもって胸を張る首長、政党人が多過ぎる。追ってそのツケが自己撞着し首絞めることになろう。 さて、ここでは、その恋しや角栄の名誉挽回の為に次のことを云っておきたい。かのロッキード事件に於いて、角栄5億円授受説は真に冤罪だったのではなかろうかという問いを再度投げかけておきたい。 このところ、三浦康之氏の「頂に立て!田中角栄とニクソン上・下」、木村喜助氏の「田中角栄の真実」、青木直人氏の「田中角栄と毛沢東」、小山健一氏の「私だけが知っている田中角栄無罪論」、辻和子氏の「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」、増山榮太郎氏の「角栄伝説」、佐藤昭子氏の「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」等々矢継ぎ早に角栄物が出版されている。新聞書評論ではさほど評判を呼んでいないが、おかしなことである。己の過去の行状を見つめることを忌避してそういう変調行為に陥っているのだろう。いつまでこの姿勢にこだわり続けるつもりだろうか。 ここで、ロッキード事件の真相に迫る新説を登場させておこうと思う。実は、新説ではないのだが、これがはっきり提示されたものは見当たらないので、新説としておく。佐藤昭子氏の「田中角栄ー私が最後に伝えないこと」は、角栄のロッキード裁判観を次のように記している。
これによると、角栄は、ロッキード事件に於ける5億円収賄は冤罪であると明瞭に語り、故に徹底的に闘うとしていたことになる。今日に於いても諸説あるところであるが、れんだいこは、本人のこの観点に立って解析することが真相に迫る道筋であると思っている。冤罪的刑事事件の場合にその全てを被疑者の側から見ることが正しいという保証はないが、ロッキード事件の場合には被疑者角栄の側から見るほうが正しく見えると思っている。 続いて、佐藤昭子氏は更に次のような見解を披瀝している。
佐藤昭子氏ははっきりとは述べていないが、「ロッキード事件とは、その真相は、児玉ー中曽根ー松野ラインによるP3C贈収賄事件を角栄にすりかえたものである」という観点に立っているように思える。それを三木内閣の延命策として画策したと理解しようとしているが、そこはわざとかどうかとぼけているようにも見える。 云いにくいようだから、れんだいこが代わりに云っておく。時のキッシンジャー国務長官を首謀者とするネオ・シオニストの断乎たる意志で、意図的に児玉ー中曽根ー松野ラインの犯罪を角栄にすり替え、角栄打倒を画策した、それがロッキード事件である、と受け止めるべきではなかろうか。この観点からの言及は無論、捜査も行われていないが、それこそ国策捜査の何たるかの如実性を示して余りあるというべきではなかろうか。 ところで、奇妙なことに、実は奇妙でも何でもないことだが、ナベツネー中曽根ー松野ラインの影が小ネズミ政権中枢から時々姿を現わしている。これは何を物語っているのだろうか。れんだいこには自明である。魑魅魍魎のシオニスタンが見え隠れしているだけのことである。シオンの議定書にはそういう仕掛けがちゃんと書いてある。 国政上のシオニスタンを排斥するためには、今やシオンの議定書は必読本のように思える。いわゆる左派がシオンの議定書の史実性に異議を唱えるなら、れんだいこは、それはサヨ理論であることを論証してみようと思う。このところの一連の研究で、この観点は誤り無いと思っている。諸賢の見解を問いたい。併せて、角栄の復権を今こそ主張したい。政治が面白く無さ過ぎよう。 参照サイト 「ロッキード事件の見方」( kakuei/rokiido_zikennomikata.htm) 「シオンの議定書考」( seito_palesutina_yudayaginmondai_giteisyoco.htm) 2006.2.19日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)