陽明学の哲学

 (最新見直し2012.10.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで陽明学の基礎としての哲学をみておくことにする。

 2010.09.01日 れんだいこ拝


【心即理について】
原文  「心は即ち理なり。天下また心外の事、心外の理あらんや」。
和訳  「心はすなわち理である。この心をおいてほかに、どんな事物があり、どんな理があるというのか」。
問答  書経に、『人心これ危(あや)うく、道心これ微(かす)かなり』。これに対し、王陽明は次のように答えた。「心は一つである。まだ人為的なものが雑っていない状態は、これを道心といい、人為的なものが雑った状態は、これを人心というに過ぎない。つまり、人心が正しさを得た場合が道心であり、道心が正しさを失った場合が人心なのであって、もともと二つの心がある訳ではない」。ここから、「心は即ち理なり。天下また心外の事、心外の理あらんや。(心即理)」とした。

 ある時、弟子の一人が「花木などは、深山の中で、自然に咲き自然に散ってゆきます。我々の心とどうしてそれが関係ありましょうか」と問うた。王陽明は次のように答えた。「君がまだこの花を見ない間は、君にとっては、この花は存在しなかったし、この花も君の心と一緒に静寂していた。しかし君がここへ来て、この花を見たとき、この花の色はたちまち明るくはっきりとしたであろう。つまりこれでこの花が君の心の外に在るものではないとということが分かるではないか」。
解説

 この『心即理』論は、朱子学の「性即理」に対する強烈な反対命題である。朱子学の『性即理』は、外界の事象の客観的存在を認め、我が心にも外界の事物にもそれぞれの「理」があるとして、知を極めて人格の完成を目指すためには、単に内なる理だけでなく、外なる事々物々の理をも極め尽くさねばならない、としていた。云うなれば、穏当常識的な唯物論的な世界観を持っていたということになる。

 これに対し、王陽明は、朱子学の『性即理』論の客観主義観の否定に動く。陽明学の「心即理」は、朱子学の「性即理」に対する批判の観点から生み出された思想であることが知られねばならない。そして、ここが陽明学の原点となる。「心はすなわち理である。この心をおいてほかに、どんな事物があり、どんな理があるというのか」は、外界の事象の存在を否定したものではなく、『心即理』を通じて初めて意味を持つと主張しているように見える。あるいは、外界の事象の存在を否定しているとも受け取れるが、関連問答や後に知行合一論を生み出していく経過を見るとき、前者の線で理解すべきだろう。ともまれ、ここでは陽明学が『心即理』論を立ち上げていることを知ろう。


【汎唯心唯理論について】
原文  「身の主宰はすなわち是れ心」
和訳  「心(精神)が身(肉体)の主宰者であり、心が身を支配するということは、心が主体となって、身をその命令に従わせることである。ちなみに、心と性と理とは、もともと別のものではなくて、働く場所の相違に過ぎない」。
原文
和訳  「心というのは、形こそないが霊妙な働きをしている。そこにはあらゆる理が備わっており、あらゆるものがそこから出てくるのである。心の外に理はなく、心の外に事はない
問答  これを行動主義化すれば次のようになる。「役者が舞台の上でやってのけた親孝行の仕草は、その外面に現れた行為−心を離れた外的事物だけを見れば、本当の孝子の行為と相違は無いとしても、そこにはいささかの道徳的価値もない。道徳的価値を得るのは心だけであり、その心を外にして道徳的価値を有するものはあり得ない」、「諸君は、私の『立言の宗旨』(主張の根本主旨)を、よく認識してくれなくてはいけない。私が今『心は即ち理である』というのは、如何なる意味かといえば、世の中の人が心と理を分けて二つのものとしたが為に、いろいろの弊害を生じているからである。例えば、五覇(外敵を打ち払い周の王室を尊ぶことを名目として天下に覇を唱えた斉の武公以下5人の諸侯)にしても、世の中の人は往々彼らの行動を賛美し、見せ掛けが立派であることだけを問題にして、それが彼らの心とは全く関わりの無いことを知らず、心と理を分けて二つのものとした結果、その流弊が偽善的な覇道となってしまったことに気がつかない。だから私は『心すなわち理である』と説き、心と理とが一つであることを知らせ、心の上で工夫を凝らし、義理を外に求めることの無いようにさせたい、と思ったのである。これがつまり王道の真髄であり、私の『立言の宗旨』なのである」。
問答  ある時、弟子の一人が「私は心が落ち着かず、とかく外の事物にひかれがちです。どうしたらよいでしょうか」と問うた。王陽明は次のように答えた。「君主が威儀を正して静座し、大臣たちがそれぞれに職務を分担するようであれば、天下は治まる。心が五官(耳・目・口・鼻・形)を統(す)べるのも、それと同じことだ」。
解説  この観点は典型的な唯心論であると思われる。但し、微妙ではあるが、汎神論的であり『神』の部分が『心』に入れ替えられていると理解すれば良いのではなかろうか。且つ『心』の中に『理』が備わっているとしているので、『汎唯心唯理論』と命名すればどうだろうか。

【天は性の原思想について】
原文  「性はこれ心の体にして、天はこれ性の原(もと)なり」。
和訳
問答  ある時、陽明は愛弟子徐愛と次のような問答をしている。
 徐愛「理を我が心にだけ求めるなら、天下の事物の理を極め尽くすことが出来ないのではありませんか」。例えば、父に仕えるには孝、君に仕えるには忠、友と交わるには信、民を治めるには仁など、たくさんの理が存在しています。これらの理を一つ一つ極め尽くす必要があるのではないでしょうか」。陽明「そなたのような考え方が、随分長い間正しい理解を妨げてきたのだ。とても一言でその誤りを指摘することは出来ないが、ともかく、そなたの質問に即して説明してみよう。例えば、父に仕える場合だが、父の上に孝の理を求めはしないし、君に仕えるにしても、君の上に忠の理を求めはしない。また友と交わり民を治めるにしても、友の上に信の理を求めたり、民の上に仁の理を求めたりはしない。理というものは全て心の中にあるものであり、心がすなわち理なのだ。この心が私欲に蔽(おお)われていない状態がすなわち天理なのであって、それ以上一つも外から付け加える必要は無いのである。この天理そのままの心を発揮して父に仕えれば、それがすなわち孝であり、君に仕えれば、それがすなわち忠であり、さらに友と交わり民を治めれば、それがすなわち信であり仁であるのだ。だから、この心から人欲を取り除いて天理を存するように努力しさえすれば、それで良いのである」。
解説  古来より「食・色は性なり」といわれており、「中庸」にも「天から人に賦与されたものを性という」とある。王陽明はこれを「天は性の本原である」と説いた。王陽明は、性(心の本体)はもともと至善で、善もなければ悪もないけど、我々がそれを現実の行動に発揮させようとする場合には、善ともなり得るし、悪ともなりうる。挙句の果ての結果だけを考えれば、性は善だとか、いや悪だとか決めこまなければならないことにもなるが、実のところは性は只一つのもので、あれやこれやの性がある訳ではない。そのことを次のように言っている。
 「性が一つということは、眼が一つというのと同じである。同じ眼が、時には喜ぶ眼つきになることもあり、怒った眼つきになることもあり、じっと物を見つめる眼つきもあれば、それとなく物をうかがう流し目もあるけれど、所詮は一つの眼に他ならない。怒った時の眼だけを見て、喜ぶ眼は無いといったり、物を見つめる時の眼だけを見て、物をうかがうときの眼はないといつたら、一つの面にだけ拘泥した見方で、それが誤まりであることは明らかである」。

 我々は、人間の性というものを、派生的・現象的な面からではなく、そのもともとの状態で捉えなければならない。

 更に、次のように論を展開している。
 「『天は性の本原である』を敷衍すると、我々の目に見えるものという意味からすれば『天』であり、万物を主宰する意味からは『帝』であり、その万物に行き渡り作用する意味からは『命』といい、人に賦与された意味からは『性』といい、それが一身の主体になる意味からは『心』と云う」。

 こうしてみると、陽明学では、我々の身の内と外界の宇宙(天)とは融通し合っているという一種霊魂的な天理思想に通じているように見える。これも陽明学の特徴かも知れない。

【悟り及び聖人君子論について】
原文  「聖人の道は、吾が性に自づから足る。向(さき)の理を事物に求めしは誤りなりき」(吾性自足)。
和訳  「私があれほど知りたかった聖人の道(本当の人間の生き方)は、私の性(心)の中に自然と備わっていたのだ。これまで道理を外界の事物の中に探し求めようとしたのは、とんだ間違いだった」。
問答
解説  ここにみられるのは、陽明学の根本として聖人君子論があるということ、次に聖人君子は『心』の練成に向かうべし論を採用しているということであろうか。

【天理思想について】
原文  「聖人の聖なる所以(ゆえん)は、ただこれその心の天理に純(もっぱら)にして、人欲の雑(まじり)無きことにして、なほ精金の精なる所以は、ただその成色足りて、銅鉛の雑なきをもってなるが如し。人は天理に純なるに到れば、まさにこれ聖なり。金は足色(そくしょく)に到れば、まさにこれ精なり」(人皆可為聖人)。
和訳  王陽明は、聖人を純金に例えて次のように述べている。「純金はその色合いが完全で、銅や鉛のまざり気がないことにおいて、純金とされるのであり、同様に聖人はその心が天理に純一で、人欲のまざり気がないことにおいて、聖人なのである。聖人も純金も、問題はその質であって量ではない。一口に聖人といってもいろいろで、その才能力量にそれぞれ大小の差があることは、純金の目方にもそれぞれ軽重の差があることと同じである」。
問答  「だから我々は何も一足飛びに、尭舜(ぎょうしゅん)や孔子のような大聖人になろうとする必要は無い。またなろうとしてもなれる訳ではない。しかし我々凡人であっても、その心を天理に純一にすることができさえすれば、やはり聖人になれる。孟子の言うように「人は誰でも尭舜<聖人>になれる」。これを「満街(まんがい・街中)の人がみな聖人」と言い表わした。その真意は、「良知良能(りょうちりょうのう・人間に備わった先天的な道徳本能)は愚夫愚婦(凡愚の男女)も聖人と同じである。ただ聖人はそれを充分に発揮することができるけれども、愚夫愚婦は発揮することができない、という違いがある」。
解説  ここにみられるのは、真実体として天理が在り、その天理に叶う生き方をするのが聖人君子であるという思想であろうか。

【格物致知について】

 「格物致知」とは、「四書五経」の一つである「大学」に、「格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下」として出てくる「大学の8条目」の中の儒教の眼目の一つである。「格物、致知」については、古来より様々な解釈が為され定説を得なかった。朱子が「格物」を「物に格(いた)る」と読み、事々物々全てのものに「理」を認め、そのそれぞれについての「理」を一つ一つ極めることが重要であり、「致知」とは、そうして得られた知識を元手にして究極の知に到達することであると解釈した。これが、「天地間の事物には、それぞれ道理があるから、人はそれぞれの事物に即して、その道理を窮(きわ)めねばならない」という「格物窮理(かくぶつきゅうり)」の説である。その後朱子学が絶大な権威を獲得することによってこの解釈が定説とされ公認化していた。

 王陽明は、朱子学を学ぶにつれてその「格物致知」解釈に疑問を覚えるようになり、格闘することになった。窮理は不可能だしそれよりも窮理に向かう精神の方が大事にされねばならないとした。「格物致知」の解釈も、まず「格物」とは「物を格(ただ)す」であり、「致致」とは「致良知」と解すべきで、合わせて「格物致知とは、我が心の良知を事々物々に致すことである」とした。その意は、「我が心の良知を事々物々に致せば、事々物々みな理を得る。我が心の良知を致すのが致知であり、事々物々みなその理を得るのが格物である」として、心、すなわち良知を万物の主宰者であると認識した。これを要約したのが「心即理」という命題に他ならない。これを西洋哲学的に分析すれば、朱子学が唯物論的且つ客観主義的な見地に立っており、陽明学が唯物論的且つ主観主義的な見地に立っているということになるのであろうか。つまり、朱子学と陽明学の対立は、認識の作風として客観主義と主観主義の差に起因しているように思われる。


【良知について】
原文  「それ良知は、即ちいはゆる是非の心、人皆これあり。学ぶを待たずして有り、慮(おもんばか)るを待たずして得る者なり。人たれかこの良知なからんや。独(ひと)りこれを致すことあたはざるあるのみ。聖人より以って愚人に至るまで、一人の心より以って四海の遠きに達するまで、千古の前より以って四海の導きに達するまで、千古の前より以って万代の後に至るまで、同じからざることあるなし」(人熟無是良知乎)
和訳
原文
和訳  「心の良知、これを聖と謂う。聖人の学はただこれこの良知を致すのみ。自然にしてこれを致す者は聖人なり。勉然としてこれを致す者は賢人なり。自ら蔽(おお)われ自ら昧(くら)くして、肯(あえ)てこれを致さざる者は愚不肖の者なり」。
問答  ある時、陽明は何人かの弟子を前にして次のように諭している。
陽明  「そなたは、心のどこかに天理があると思って、それを求めようとしているが、それは却って『理』に拘っているのだ。そこのところを悟らなければならない」。
弟子  「どうすれば良いのでしょうか」。
陽明  「良知を致すこと、これに尽きる」。
弟子  「どのようにして致すのですか」。
陽明  「そなたの持っているあのたった一つの良知こそ、そなたが則るべき大事な物差しなのだ。君の意識や念慮が何かに向けられる場合、それが是であれば是、非であれば非と見分ける良知の働きは、いささかのごまかしも許さない。だから実際に良知の命ずるままに行動してゆけば、善は保たれ悪はなくなるであろう。良知のこうしたところは、何と云う穏やかさ、心楽しさであろうか。もしこの大事なものに頼ることをしないならば、どうして正しい本当の修行ができ得よう。これこそ格物の秘訣であり、致知の実践的修養に他ならない。もっとも私だってこのことは、近頃になってやっとはっきり体得し得たことである。始めは良知だけを頼るのでは、足りない点があるのではないかと疑っていたのだ。が、仔細に観察してみて、それでいささかの手落ちもないことを知ったのである」。
問答  ある時、陽明は何人かの弟子を前にして次のように遣り取りした。王「人は誰でも胸中に、それぞれ一人の聖人を宿している。ただ自分でそれを信じようとしないから、それが埋もれてすっかり見えなくなるのだ」。
逸話  次のような逸話もある。ある時王陽明は、畑に生えている穀物を眺めながら、「どれだけかかったのか知らないが、よくここまで成長したものだ」と語った。弟子が「何よりも根があればこそです。学問をするにしても、根さえしっかりしていれば、必ず進歩するものなのでしょうね」と相槌をうったところ、「人間であるからには、根のないものはない。良知こそそれである。これは天が植えてくれた素晴らしい根で、生き生きと息づいてやむときがない。ただ、私欲にとらわれて、この根を損なうので、成長できなくしてしまうのである」。
 解説

 ここにみられるのは、真実体として天理があり、その天理に叶う生き方をするのが聖人君子であるという思想であろうか。「孟子」の中に、「人の学ばずして能くする所のものは、その良能なり。慮(おもんばか)らずして知る所のものは、その良知なり」とある。陽明は、この「良知」を引き出して、磨き上げ、「致良知」説へと仕上げていった。良知とは、人の心に先天的に備わる真実の本性、是非善悪を鋭く見分けることのできる本能的な力とした。良知が力であるというのは、良知が、人を動かすものであって、静的な存在ではないということである。現実の我々の生活に現れて、我々を動かして止まないものだということである。我々はその良知を上手に働かせていける心構えを持ちさえすれば良いのである。それができれば、良知は決して間違った行動を喚起しない。我々に備わっている良知は、物事の是非・善悪・真偽を鋭く見破る力のことである。その良知を心中に備えることにおいては、聖凡賢愚の差別はなく、万人平等である。これを西洋哲学的に分析すれば、陽明学の良知とは、近代ドイツ哲学に云うカント、ヘーゲルらの理性に該当しているのであろうか。

 「陽明学 回天の思想 守屋洋 日本経済新聞社」は次のように説いている。

 概要「良知こそ心の本体である。仁、義、礼、智、信などの徳目について、陽明学ではそれらのはもともとみずからの内なる良知にあるとした。学ばなくても善を行う力が良能であり、考えなくても善を理解する力が良知である。人はだれでも、そういう立派な素質を天から授かっている。穀物がここまで生長したのは、何よりも根があればこそである。学問をするにしても、根さえしっかりしていれば必ず進歩するものである。人間であるからには根のないものはない。良知こそ、それである。これは天が植えてくれたすばらしい根で、生き々と息づいてやむときがない。ただ、私欲にとらわれて、この根をそこなうので、成長できなくしてしまうのである。人間の内なる良知を発現することが「致良知」であり、それを万物に及ぼしていくことが「各物」であるとした」。

【良知の仁性について】

 王陽明は、良知の仁性について次のように説いている。

原文  「人は天地の心にして、天地万物は本吾が一体のものなり。生民の困苦荼毒(こんくとどく)は孰(いずれ)か疾痛の吾が身に切なるものに非(あら)ざらんや。吾が身の疾痛を知らざるは、是非の心なき者なり。是非の心は、慮(おもんばか)らずして知り、学ばずして能くす。所謂(いわゆる)良知なり」「。
和訳  「人間は天地の心であって、天地万物はもともと我と一体のものである。だから、民衆の苦しみや痛みは、我が身にとっても、そのまま切実な痛みでないものはない。この痛みを感じないのは、是非の心を持たない者である。是非の心とは、孟子に考えないでもわかり、学ばないでもできるとあるもので、いわゆる良知にほかならない」。
問答
解説  「良知とは他人の苦しみを自分の苦しみとして感じる心であり、万物を一体のものとみなす仁の心にほかならない」としていることになる。





(私論.私見)