孫子兵法の現代的適用考

 (最新見直し2012.7.23日)

 (れんだいこのショートメッセージ)


【孫子兵法の現代的適用考】
 「潜賢志林 NO.1 『孫子』はビジネスに向いていない!?」、「潜賢志林 NO.2 『呉子』こそビジネス向きの兵書である!?」は次のように述べている。
 「ビジネス書籍でしばしば取り上げられる『孫子』。春秋時代末期、呉の孫武が著述したとされるこの『孫子』は、古代中国の数百年に渡る戦争経験の華麗な昇華であり、現代に至ってもいまだ価値を失っていない、卓越した軍事理論を提出している。三千年以上も読み継がれてきたこの第一級古典の普遍的理論」。

 極めて的確な孫氏評であろう。同サイトは、この冒頭部分が参考になった。

 「平津館」は次のように述べている。
 「孫子は、計篇、作戦篇、謀攻篇、形篇、勢篇、虚実篇、軍争篇、九変篇、行軍篇、地形篇、九地篇、用間篇、火攻篇の十三篇から成る、比較的短文の古典である。司馬遷(前145−前86)の史記には、兵法書として広く読まれていたという記述があり、三国志で有名な魏の曹操も孫子の注釈書を残しているくらいだから、2000年以上に渡って高い評価を得てきたものであることは間違いない。日本では、戦国時代に甲斐の武田信玄が孫子の一節から引用した「風林火山」の旗印を使っていたことが有名だ。元を辿れば、八世紀には吉備真備が唐から孫子を持ち帰ったとされる。さらに孫子は、中国や日本のみならず西洋にも影響を与えていて、ナポレオンが孫子を愛読していたことはよく知られているし、近代では米国のペンタゴンでも孫子の研究が行われるなど、洋の東西、時代を超えて、軍事や組織統率、人間洞察における参考書として重用されてきた。それも、孫子の中身に相応の価値がある証拠であろう」。
 
 これも分かり易い纏め方である。

【理論と実践考】
 兵学者と兵法家の違いについて、海音寺潮五郎氏の小説「孫子」の中に次の一節がある。
 「兵学者とは古来の兵法をよく誦んじ、古今の戦史をよく知り、兵制の変遷などを研究している者です。しかし、単にそれだけの人々です。兵法家は、機に臨み、変に応じて、最も適当した戦術の案出が出来るなら、古人の兵法など知らんでもよいのです。もちろん、古人の兵法を知っていてもよろしい、古今の戦史に通じていてもかまわない。ただ、それを実際に応用するにあたっては、独自の機略をもって自在の運用をしなければならないのです。それが兵法家です」。

 いわゆる理論と実践の問題であるが、れんだいこは、海音寺的識別をさほど評価しない。なぜなら、海音寺的識別自身が凡俗な理論であるに過ぎないからである。ここで真に為さねばならないことは、理論をして実践を生ますような理論にまで高め、実践をして理論を点検せしめるような実践にせしめねばならないと云う交互作用論を生む出すことである。理論と実践を対立させ、理論優位にするのも間違いである同時に実践優位論も然りである。そういう理論と実践の交互作用論の構築こそ望まれているものであると思う。海音寺がどういう真意で述べているのかは分からないが、このくだりだけで述べれば、そういうことが云えよう。

 2012.7.23日 れんだいこ拝





(私論.私見)