生涯の履歴概要

 (最新見直し2012.7.20日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、孫氏の履歴を確認しておく。「ウィキペディア孫子」その他を参照する。

 2012.7.20日 れんだいこ拝


【孫子の履歴】

 孫子は、中国の古代、春秋時代の呉の将軍である孫武が著した兵法書の名である。著書は、紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに著されたと考えられている。但し、諸説ある。なお、世に「孫子」と呼ばれる兵法書はもう一つある。 かつては『孫子』の著者は孫臏であるとの説もあった。『漢書』芸文志・兵権謀家類においては、孫武のものを『呉孫子兵法』82巻・図9巻、孫臏のものを『斉孫子兵法』89巻・図4巻と記し、両書はそれぞれ異なる著作であると見なされている。孫臏とは、孫武の子孫で戦国時代の斉の人、孫濱 (ソンピン)(濱は正しくは月扁) の著した「孫濱兵法」と云う書も「孫子」と呼ばれている。 この方の書は以前は史書に名前が見られるだけであるので実在が疑われていたが、 1972年に漢時代の墓である中国山東省臨沂市の銀雀山から出土した竹簡が発見され、実在が立証されたという歴史を持っている(「竹簡孫子」)。

 史記によれば、孫子の著者である孫武の履歴は次の通りである。孫武は紀元前500年頃の人物で、当時新興国であった呉の呉王闔閭(コウリョ)(在位 BC 515~496)に仕え、その勢力拡大に大いに貢献した。 西に楚を破り、北に斉、晋をおびやかし、呉王をして諸候に覇を唱えしめたのは、実に孫武の力によるものと云う。





(私論.私見)