れんだいこの孫氏の兵法論

 (最新見直し2005.12.16日)



 孫子は、中国の古代、春秋時代の呉の将軍である孫武が著した兵法書の名である。 史記によれば、孫武は呉王闔閭(コウリョ)(在位 BC 515〜496)に仕えた。 西に楚を破り、北に斉、晋をおびやかし、呉王をして諸候に覇を唱えしめたのは、実に孫武の力によるものと云う。 なお、世に「孫子」と呼ばれる兵法書はもう一つある。 孫武の子孫で戦国時代の斉の人、孫濱 (ソンピン)(濱は正しくは月扁) の著した「孫濱兵法」と云う書も「孫子」と呼ばれている。 この方の書は以前は史書に名前が見られるだけであるので実在が疑われていたが、 1972年に漢時代の墓からその竹簡が発見され、実在が立証されたという歴史を持っている。

 中国には古来多くの兵法書が伝えられおり、 中でも、孫子、呉子、六韜、三略、尉繚子、司馬法、李衛公問対は七大兵書と云われているが、 それらの筆頭に掲げられて、非常に高く評価されているのが、孫武が著した「孫子」である。 それは、単に戦術の書であるのみならず、処世の書、政治の書、経営の書でもある。 その書は、十三編から構成されている。 始計、作戦、謀攻、軍形、兵勢、虚実、軍争、九変、行軍、地形、九地、火攻、用間の十三篇である。

 そうした中、わが国でも広く知られている言葉が、謀攻篇の中の 「彼を知り己を知れば百戦危うからず。彼を知らずして己を知れば一勝一敗。 彼を知らず己を知らざれば戦うごとに必ず危うし」 と云う言葉である。 これは、情報と云うものの重要性を端的に語ったものと言えよう。 「彼を知らず己を知らざれば戦うごとに危うし」 と云う言葉は、単に情報が欠落していることを述べているのではない。 情報処理が不適切で中正な判断が行われないことの危険性をも指摘するものである。 とかく人間は身びいきである。自分の方が優れていると考える。情報処理に主観性が入るのである。 このようにして、数字は明らかに味方の不利を示しているのに、大和魂だとか武士道精神とかを持ち出して、 あげくの果ては天佑神助まで出してきて判断する。 第二次大戦当時における日本が正にそうであった。敗戦は当然の帰結であった。

 第二次大戦での戦闘の中でも特に 「敵を知らず己を知らず」 の典型のような作戦が、 ビルマ方面軍第十五軍司令官牟田口廉也が行ったインパール作戦である。

 昭和十九年三月、制空権もなく食料・弾薬の補給もないままに、インド東部のインパールを急襲するため、 配下の師団長たちの反対をも押し切って、この作戦は進められた。 雨期に入った豪雨と泥濘の中、三千メートル級のパトカイ山脈を横断し、 それでも一時は、インパール後方のコヒマまで突入したが、堅固な守備陣に阻まれたまま、 弾一発、米一粒の補給もなく、飢餓とマラリヤのため戦闘力は失われてしまう。 牟田口はただ叱咤電報を打ち、遂には、配下の三人の師団長たちを解任するが、 大勢を変えることはもとより不可能で、七月に入ると渋々に撤退命令を出す。 しかし、以後の敗走は悲惨を極め、 幽鬼のようになって退却してゆく道には瀕死の兵士や息絶えた兵士が累々と横たわり、地獄さながらの凄惨さであった。 兵士たちはこの道を靖国街道と呼んだ。 この作戦における死傷者は七万二千を数え、生き帰った者は一割にもみたなかった。 「第一線部隊をして、ここに立ち至らしめたるものは、実に軍と牟田口の無能のためなり」、 これは、山内第十五師団長が前線から打電した悲痛な電文である。 それは、敵を知らず己を知らず、ただ大和魂のみを叫ぶ牟田口廉也に対する怨念の電文である。


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(私論.私見)

戦略に関しては、古今東西の最良の書が『孫子』であると思われる。クラウゼヴィッツの『戦争論』も孫子にはおよばない。ナポレオンは『孫子』を読み、実戦で生かしている。最近ではこれを「ビジネスに生かす」という観点から説かれているものもある。

 当然、軍事戦略の基本を外すわけにはいかない。この基本を押さえずして技巧に走ったとしても、最終目標を見失い、目の前の小さな出来事に翻弄されるのが落ちであろう。

 なお、『孫子』にはいくつかの版が発見されている。発見された中では最も古い形と思われる竹簡本をもとに書かれたのが、浅野裕一氏の講談社現代新書版であるが、これは全文解説ではなく、一部抜けている。その部分を金谷氏の岩波文庫版で補い、日本の一般書籍で手に入る最も古い形を再現しようと試みたのが、この電網将校参謀本部版「孫子の兵法」である。十二と十三の順が逆になっているなどはこの理由による。

参考:浅野裕一 『孫子を読む』講談社現代新書(竹簡本を基本)
金谷治訳注 『孫子』岩波文庫(宋本十一家注孫子)

●金谷治版 にあって浅野本にない部分は〔〔□□□〕〕