儒教、儒学

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).3.16日



 論語「子曰く、述べて作らず。信じて古(いにしえ)を好む」。孔子は、中国神話に登場する古来の聖人たち(堯(ぎょう)、舜(しゅん)や夏王の兎(う)、殷の湯王(とうおう)、周の文王、武王、周公ら)の教えを吟味した。あるべき政治秩序、社会秩序を模索し、その実現を目指した。これに関連してリーダーの在り方論も説かれている。

 例えば政治手法では、命令と刑罰で指導すれば、民は法律の目を潜り抜け、人徳とルールによって指導すると、民は違反を恥じ正しい行いをする」云々。経済政策では、人々は収入が少ないことよりも収入の格差を不安視するという「均の思想」。三つ目は「信なくんば立たず」で、国が成り立つためには国民との信頼が大事だとしている。
 「ウィキペディア四書五経」その他参照。四書五経とは儒教の教典で重要な四書と五経の九書のこと。四書は、「大学」、「中庸」、「論語」、「孟子」。但し、「大学」、「中庸」は元々「礼記」の一章を独立させたものである。五経は、「詩経」、「書経」、「礼記」、「易 経」、「春秋」を云う。「楽経」を含めて四書六経ともいう。五経を以て四書よりも高しとする。中国国内だけでなく、日本や韓国でも広く講義され、とくに封建社会の中で広まりを見せた。
 戦国時代の六経。荘子や語叢においては次の六種類の経書が列挙されている。詩、書、礼、楽、春秋。当時の儒家らはこれらの経典を重視したが、楽は早くに失われたとされる。前漢の五経。易、書、詩、士礼、春秋。唐代の五経。唐の太宗は以下の経典を「五経」とし五経正義という解釈を孔穎達らに定めさせた。唐代以前の注釈類は殆んど現存しないため唐代以前の経学研究の基本書とされている。易(周易正義。王弼・韓康伯注、孔穎達等疏)、書(尚書正義。偽古文尚書。孔安国伝(偽孔伝と呼ばれる)、孔穎達等疏)、詩(毛詩正義。毛伝、鄭玄箋、孔穎達等疏)、礼記(礼記正義。小戴礼記。鄭玄注、孔穎達等疏)。春秋(春秋正義。春秋左氏伝をテキスト、杜預注、孔穎達等疏)。宋代以後の五経。宋代には唐代までに集成された五経研究(古注)に対して、批判的な厖大な注釈書(新注)を生み出した。これは宋・元の二王朝を通じて行われ、明の永楽年間に五経大全として結実した。五経大全は科挙のテキストとしても利用され世上に流行したが、即席的に編纂された書物であったこと、しかも五経大全の種本の殆んどが現存すること、また明朝そのものの経学研究が低調であったこと等から、五経大全そのものの学術的評価は低い。五経大全の注釈書は朱熹とその弟子蔡沈、朱熹の先駆者程頤の私淑の弟子胡安国と、比較的簡潔な注釈を行った陳澔が選ばれている。易(朱熹の周易本義)、書(蔡沈の書集伝)、詩経(朱熹の詩集伝)、礼記(陳澔の礼記集説)、春秋(胡安国の春秋伝)。宋代以降の四書。礼記のうち中庸、大学を重視する立場は、韓愈など宋代以前の学者にも見られた傾向であるが、北宋の二程子は特にこれらを重視した。南宋の朱子が礼記から大学と中庸を独立させ、論語、孟子と合わせ四書として五経以前に読むべき入門の学として顕彰し、その注釈書として『四書集注』を著した。四書は元代以降、科挙の科目に採用され、五経よりも広く読まれるようになった。
四書 論語
孟子
大学
中庸
五経 詩経
書経
礼経
易経
春秋
三礼 周礼
儀礼
礼記
春秋三伝 春秋左氏伝
春秋公羊伝
春秋穀梁伝
十三経 孝経
爾雅
その他 楽経
荀子
戦国策
列女伝
孔子家語
二十四孝




(私論.私見)