米俵論



 (最新見直し2015.11.09日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「武術家・光岡英稔氏の身体論」を確認しておく。

 2015.11.09日 れんだいこ拝


武術家・光岡英稔氏の身体論

(光岡先生からのメッセージ)

今回のカメカメ企画で行います兵法武学研究会では前回からの引き続き、東南アジア、日本、中国の武術における型、動きを昔から使われている道具・武具を通じて観えて来る古の體と其処から発生する動きを講習会のテーマとして参ります。

現代人である私たちの身体が如何にして『古の體(からだ)』を観なおして行けば良いかを幾つかの型や動き方をヒントに稽古して行き、その“古の身体性や古の身体観”が武術において何のような意味を持つのか等にも触れて参ります。

古の技法や術を追究するにあたって、その時代背景や文化背景と身体的に共感が出来るか否かが実際に其の時代の人たちには出来た技法、術、型の成立など深く関わって来ます。昔の人の身体観や、その體(からだ)で観ていた世界を“想像”だけではなく“體を通じて感じれる”所まで私達を導いてくれる手がかりが『古の型』や『古の名残りを遺す動き方』には有ります。近代から現代に至り変わってしまった私たちの身体で何処まで古の人たちの用いていた技や術を再現できるかは分からないにせよ、そこへ遡るための稽古でしか辿り着けないことは確かです。この様な身体(からだ)から體(からだ)への旅路に御関心のある方、バーチャルな身体から実際に武術の技法、術、型を身と體で感じ取り、『古の體』『古の身体観』を取り戻すことに御関心のある方は是非お越しください。

武術・武道のイメージで未だよく有る身体を壊すような乱暴な稽古は行いません。型や動きを通じて一つ一つの動きを丁寧に稽古して参ります。ご自身で使われてる道具や武具をお持ちの方は、よろしければ御持ちください。そこから観えてくる身体観なども間の時間や、自主稽古の時間に御話させていただきます。

皆様の参加お待ちしております!

講師 光岡 英稔

この度の兵法武学研究会での主題

  • 昔からの生活様式と道具から観えてくる身体観。
  • 現代人向けの東南アジア武術の稽古方法や型。
  • 現代人にでも出来る古の體を取り戻す為の稽古方法。
  • 近代化で変わってしまった現代人の身体観
  • 近代の身体性の意味と古の身体観を発見することの意味。
  • そもそも武術武道を修め学んで行くことの意味とは。

この度の兵法武学研究会での主な稽古

  • 東南アジア武術にある“しゃがむ”稽古、しゃがんだ体勢からの変化、動き方の稽古。
  • 型を通じて観えてくる身体の捉え方。
  • 日本、東南アジア、中国などで用いる型を持ってみて観えてくる身心と文化の違いを実際に見て行く稽古。
  • 身体と型における左右観と左右の非対称観。
  • 身体的ジェネレーション・ギャップを体感する稽古。

身体を動かしますので、動きやすい服装でお越し下さい。お稽古中の怪我や事故等には十分お気をつけ下さい。稽古中の怪我・事故・盗難などについての責任は負いかねますので予めご了承下さい。事前に各自で傷害保険に加入していただくなど、ご自身の責任において対応して頂きますよう、何卒お願い申し上げます。

貴重品などお荷物お手回り品にはくれぐれもご注意頂き、ご自身で管理いただきますようお願い致します。

 武術家・光岡英稔の最強インタビューシリーズ」の「私たちが持て余しているエネルギーを転載する。
米俵5俵300キロ(!)を担ぐ女性。現代人に
こういう体の使い方はできなくなっている
(山形・山居倉庫資料館)
60キロの米俵を軽々担いでいるように見える。
秋田県仙南村、昭和30年ごろ
(出典:http://www.pref.akita.jp/fpd/towns/sennan
/tougenkyou.htm

その反面、いまの私たちは60キロ

 私たちが持て余しているエネルギー

 −−古(いにしえ)の身体観と今の身体観のもっとも大きな違いはなんでしょうか?

 いちばんの違いは生活観でしょう。かつては体は生活の中で養われていくので、わざわざ鍛えるまでもありませんでした。たとえば米俵一俵は60キロの重さがあります。いまの人にとっては持ち上げるのに一苦労、一日中あっちからこっちへと運ぶとなるとさらにたいへんです。けれども江戸末期に書かれた文書にはこう記されています。「一俵の重さがいまのように決められたのは、成人した大人なら男女問わず誰でも持ち運べる重さだからだ」と。

 −−60キロを、誰でも手軽に! 現代人が60キロを苦もなく持ち上げるためには、それなりの鍛錬が必要です。ひょっとしたら現代人がウエイトトレーニングをしたがるのは、本来もっているポテンシャルを確認したいという思いがあるのかもしれませんね。

 「本当ならこれだけのエネルギーをもっているから発散したい」という本能的な衝動があるでしょう。いまは環境が整えられているため、エネルギーを発散させる場所が仕事作業や労働の他に必要になっています。だからわざわざジムにいったり、ランニングしたりとエネルギーを昇華させようとする。

 −−頭脳労働が増え、体を用いなくても生きられる社会になった。それが身体観に大きな影響を与えている。

 便利で快適な生活になったおかげで、労働と労力が分断されたと言えます。労働に「労力」を必要としないようになっているため、労力の行き場がない。この力を持て余しているのが私たち近代から現代にかけての現状でしょう。

 その反面、いまの私たちは60キロの米を運ぶだけの集注観を体から失っています。ようするに、そのような身体観、体の捉え方が無自覚に失われて来ているわけです。

 −−ネット上では冷笑や嘲笑、いがみ合いに相当なエネルギーが注がれています。これも持て余した力のひとつの発散に思えます。

 機械に頼らず農作業を一日でもしたらわかると思います。おそらく疲れ果てて寝るだけでしょう。食べて寝ることに傾注した暮らしでわかるのは、人の諍いや争いは人間社会の中で争えるだけのゆとりや余裕があって生じるということです。

 手をかけた米や野菜ができる。それを食べて成立する暮らしがあって日々生きているのなら、すべての労力をそこに費やしたほうがいい。そのほうが快適に暮らせる。そんなふうに意識して思うまでもなく行えるのは、それが暮らしの成り立ちに沿った自明の理だからでしょう。

 米俵5俵300キロを担ぐ女性。現代人にこういう体の使い方はできなくなっている
 なぜトレーニングに取り憑かれるのか?

 −−私たちの生活環境は自然と直接的に結びついておらず、情報によって形成されています。現実と呼んでいるもののほとんどは「概念」です。ウエイト・トレーニングも一見すると体を使っていながら、「理想の体」を追求しているのですから、概念的な行為と言えます。

 自分が思い描いた理想と目的に自分を合わせようとする。ウエイト・トレーニングがまさにそうです。それが概念で構築した身体でしかないのは、「理想と目的通りの自分になりたい」といった心理傾向、精神構造がもたらしているからです。

 概念は想像の枠内のことだから、やろうと思えばいつまでも何処までもやれて制限がない。だからトレーニング中毒になる人も多いし、「怪我をする」といった身体からの信号も無視できてしまう。 

 しかし、体のほうは「関節はここまでしか曲がらないし、ここまでしか伸ばせない」といったような制限があったり、頭が決めるペースではなく身体のペースやリズムといったバイオリズム(生命のリズム)があり“いつまでも何処までもできないよ”と体が教えてくれます。でも概念はいくらでも想像で飛躍できるからきりがない。トレーニングに取り憑かれた人は、「一日でも休んだら筋肉は衰える。トレーニングを毎日行わないと現状維持できない」といった脅迫観念で続けている人も少なくありません。こういう発想も想像上のことです。なぜなら、それは現状維持ではなく過去の持続を試みているからです。「トレーニングしないとこれまでという持続性がなくなる」という不安で、つい翌日も同じことをするわけです。

 −−しかし、過去は過ぎ去ったことで持続のしようもありません。持続しようのないものを願えば、いっそう不安になります。

 根本的な自信のなさと不安は現代人の身体観の特徴です。「明日もまたやろう」という取り組みが、不安からではなく前向きなもので、しかも労働や仕事に向かうならまだいい。たとえば田んぼを耕さないと来年の米が収穫できないのは、不安になりようもない、どうしようもない現実です。それに意気込みが向けられたら、実りもあるでしょう。でも脅迫的な思いをトレーニングに向けたところで、不安が解消することはなく、確認できるのはせいぜいが筋肉の太さや持ち上げられるウェイトの重さくらいです。その反面、不安や脅迫観念は積もる一方です。

 −−光岡さんご自身は、ウエイト・トレーニングを経験したことはありますか?

 ハワイにいたころ、試しに2年間だけ当時最新式のトレーニングを徹底してやりました。始めた当初はやっていくうちに前よりもっと重たいものを持ちあげられたらいいぐらいに思っていたのですが、武術の稽古中に怪我をしやすくなりました。突き指したり、肩が脱臼したりと節々がどんどん弱くなる。一般的には、ウエイト・トレーニングはいいと言われていたし、周りもそうだと言っていました。確かに見た目は筋肉がついて強そう見えていても、私の実感はそれとは真逆で身体がどんどん弱くなって行き気持ちも不安定になって行きました。そうしたら、周囲の人が「最近いいのが手に入ったんだけど、そういう弱さを克服するにはこれがいいよ」とステロイドやホルモン剤を勧めてきました。素人同士が売買するのは非合法のものです。ハワイの田舎のジムの方にまで普通に出回ってるんですよ。当時のアメリカでは筋力を鍛えることによって得られる強さは、ステロイドなどの薬を伴うというのがトレーニング界隈で常識になっていたわけです。行き着く先が薬物だとわかり、拍子抜けしたのと、この業界に対する気持ち悪さも生じて、トレーニングを止めました。

 −−何が実りあることかわからないまま、ともかく数値上の向上を目指して突っ走る。産業社会にふさわしい身体観だと思います。もちろん、産業が発展したからこその恩恵はたくさんあります。一方で成長や獲得、理想といった概念を体にまで当てはめて「身の程」がわからなくなっているのも確かです。

 現代人の「身の程」とは、ハードなトレーニングと薬物がもたらす、ボロボロの心と身体でしかないと思います。仮に薬物を使わなくても、脅迫観念でトレーニングに取り組む限り、概念を先に立てて取り組んでいるわけです。あらかじめ「身の程」を知るために必要な「体の声」を聴く耳を持ちたくないと宣言しているようなものです。

 近代日本の「自己植民地化」

 −−産業の発達とともに足腰が消え、生身が弱くなっているのが現状として、日本の場合、いまにつながる道を歩み始めたのは近代に入ってからです。

 明治になって生活様式と言葉の変容があったのが大きな変化をもたらしたと思います。言葉のすり替えは植民地政策の常套です。固有の言語を奪い、新たな言語を教育する。そこで意味の共有が生じます。すると魔法がかかります。

 −−魔法とは、前々回の話に登場した喧嘩屋ジェームスが、”近代的な社会のルール”といった教育を受けたことで、弱くなったようなことですね。

 はい。日本の場合は自ら求めて西洋の文明を学び始め、自国に取り入れました。他の文化を一方的に学ぶということは、異文化の概念を共有することになります。その途端に相手と同調し、共感できる感情や思考に介入されるようになります。心情的、心理的に互いが影響し合える前提条件がここで構築されます。

 −−「介入」とは、西欧という他者の視点で自らを捉えることで、それは客観的になるとも言えます。と同時に、自分のありようを疑い始めるということでもあります。

 それが隙になっていくわけです。ハワイで起きたことが日本では明治に起きました。といってもハワイと違って日本の場合は「自己植民地化」です。もちろん世界情勢に対する危機感があったからこその文明開化でした。しかしながら、その選択によって別の危機を迎えることにもなりました。つまり異なる文化の産物をあまり理解せず、漢字の造語という言葉のすり替えで間に合わせようとした。

 とはいえ、文化人の中で反対意見が起こったのも事実です。たとえば「民主主義」や「社会」と造語で置き換えるのではなく、デモクラシー、ソサエチーとそのままカタカナ表記にしようとした一派もいました。

 −−カタカナ表記にすると意味の説明まで含んで教育しないといけない。造語のほうが手間がかかりません。

 その利便さが物事をわからなくしたのです。明治の知識人はフランス語の“corps”を「身体」と訳しました。もとのフランス語源のルーツであるラテン語の“corpus”には軍隊や死体という意味もあります。身体と軍隊がなぜルーツにおいては同じつづりの言葉なのか。あるいは英語の“flesh”を「肉体」と翻訳しました。これには肉、肉塊という意味もあります。身体にして軍隊、肉体にして肉塊。なぜそうなのかは文明観を理解しないとわかりません。つまり、この発想の根底にはキリスト教があります。聖書によると人間の体は泥からできた取るに足らないものです。それを崇高な精神がコントロールして初めて意味をもつのです。精神が崇高なのは、神から与えられたものだから。これが西洋の身体感覚の根本にあります。

 「精神」はどこにありますか?

 −−精神という語も明治期につくられました。非常に馴染みのある言葉であっても、西洋の身体感覚を踏まえて使ってはいません。

 ある能楽師に、「精神が大事だのはいうまでもありませんが、やはり肉体を鍛えないと能はできないでしょうか?」と尋ねられたことがあります。でも、そもそも世阿弥は、「精神」も「肉体」も知らない時代に生きた人です。明治以降の新たな言葉とその定義ができたことで物事がわからなくなっているひとつの証ですね。

 −−唯一の神がいてこその精神なり身体である。これが西欧文明の考えとして、それを輸入した日本には唯一神はなく、八百万の神々がいました。当然混乱が起きます。

 たしかに、アメリカ人に「スピリット(精神)はどこからやってくるか」と質問したら、誰しも「神」と即座に答えるでしょう。日本人に「精神はどこからくる?」と聞いたら、考えあぐねるんじゃないでしょうか。

 精神がどこにあるかわからないにもかかわらず、「精神を統一しろ、錬磨しろ」、「精神修養が大事だ」と言われる。肝心の精神が何かわからないまま、精神を口にしている。こういうことが明治から改善されないまま続いています。精神の「統一」も「修養」も教会で行うものです。ようは精神は唯一神と通信するための媒介です。コミュニケーションするために必要なもの。これが一神教の考えです。しかし、日本はアニミズムですから、唯一の神との教会での対話が成り立たない。精神(Spiritus)の持って行き場がないのです。日本における精神の理解は、「精神主義」とか「精神を鍛える」といった表現に感じるような、「何だかよくわからないけれどがんばらないといけないそれ」といった程度ではないでしょうか。そもそも精神は錬磨したり鍛えたりできないものなのです。

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 −−精神がわからない。おまけに足腰が、つまりは体も消えていっているわけです。社会に適応すぎた結果、個の生命体としてはどんどん弱くなっています。

 便利で体の消えていく社会ではあっても、それも多様な自然界の変化のひとつとして見たとき、生き残るための強さの獲得になるかもしれません。暑くて乾燥した砂漠の環境に強い人が、雪国でも同様にタフかというとそうではない。オールマイティの強さはないわけです。しかし、同時に様々な環境に適応してきて、できるのが人間です。自然に近い循環型社会と現代文明の先端である便利なネット社会。生きていく上での難易度はどちらが高いかわかりません。前者のような生活がたいへんなのは確かです。ただ、そういう暮らしを支える能力は人類のベースにあるし、人間の歴史では長らくそれが「普通」でした。しかしながら、いまの社会で、まして東京でそれを「普通」というのはかなり難しい。

 −−都市では、体に即して身の程を知るというのは困難でしょうか。

 武術を学ぶ意味があるとしたら、私たちが普段「体(からだ)」と思っているものは、概念上のやりとりの中でのイメージされた「身体(からだ)」でしかない。それに気づくことだと思います。気をつけたいのは、現代人の身体観が「悪い」といった単純な話ではないことです。イメージ上の身体も、武術の型が見せてくれる古の体も、どちらもあります。ここをすみ分けておかないと稽古ができません。つまり、「ひとりの人間だから体はひとつ」というのは、物理的に体を捉えすぎています。それは概念上の身体(corps)です。

 −−体を表現するのに「躰」や「體」といった様々な漢字による語があります。これも先人たちが体はひとつではなく、多様だと知っていたからこそでしょうね。

 体にはいくつも層、位、所があって多様性があります。無論、人によって体の各層や位、所は観えたり観えなかったりします。観えてくると体はいくつもあり、多様な体が環境によって様々な身へと変わって行けると考えたほうがいい。

 たとえば私が日本語を話すときと英語を話すときでは、同じ私でありつつ違う身体観がそこに現れてきます。私自身は変わらないけれど、感じていることや思考していることが、英語という型ないし環境を用いることで、日本語で思考していた時とは異なる身体観が自分が内側から現れてきます。その、多様性ある体を通じて日本語を身につけたり、英語を身につけたり、中国武術や中国語を身につけたりします。

 現代の子供たちがゲームを懸命にしているのを見てて思うのは、今から「概念の身体」を構築する術を身に付けておかないと、これからの時代を生きるのが難しくなる。そのことを彼らは本能的にわかっているのではないか、ということです。自覚があってかはわかりませんが、概念的な身体でなければ完全に管理された社会では生きにくくなることを直感的に知っているんだと思います。

 そのとき大切になのは、イメージと実際とを使い分け、わきまえておくことです。状況に合わせて自然と言語を切り替えられるのが人間の多様性です。概念上の身体も理解しておき、それはそれとして概念の世界で用いて、これからの社会で生きて行くためには、その術を鍛えておく。

 一方で、古から伝わる體(からだ)や躰(からだ)といった身体観がベースにあること知っておく必要もあります。それがあって人類は生き残ってきたわけですから。

 とはいえ、時代が進むに連れて古の身体観を残すことは難しくなっています。すでに複雑で高度に管理された社会になっていますが、だからこそ古からの教えを見なおし、新たな時代には「新たな身体観」と「新たなすみ分け方法」が発見される必要があるのではないでしょうか。(了)

 光岡英稔(みつおか ひでとし)
 1972年岡山県生まれ。日本韓氏意拳学会(http://hsyq-j.blogspot.jp/)代表(会長)、および国際武学研究会(http://bugakutokyo.blogspot.jp/)代表。日本に7才まで居て渡米し小学生時代をアメリカ、北カリフォルニアの山の中で過ごす。日本へ帰国した後に11才から19才にかけて空手、柔道、古流柔術、合気柔術、中国武術、気功などを日本にて学ぶ。19才でハワイへ再び渡米し武術指導および現地ハワイの武術家達と交流していく。11年間ハワイで武術指導。 2000年に日本へ帰国し武術指導を始める。 2003年2月、意拳の創始者、王向斎の高弟であった韓星橋先師(2004年、没)と、その四男である韓競辰老師に出会い、日本人として初の入室弟子となる。 現在、日本における韓氏意拳に関わる指導・会運営の一切を任されている。
また2012年から『文化の実践としての武の探究』を深めんが為に国際武学研究会(I.M.S.R.I.International martial studies research institute)を発足し、多文化間における伝統武術・武技や伝統武具の用い方などの研究を進めている。
 インタビュー構成:尹 雄大(ユン ウンデ)
 1970年、神戸生まれ。テレビ番組制作会社、出版社を経てライターに。インタビュー原稿やルポルタージュを主に手がける。10代で陽明学の「知行合一」の考えに触れ、心と体の一致をさぐるために柔道や空手、キックボクシングを始める。1999年、武術研究家の甲野善紀氏に出会い、松聲館に入門。2003年、光岡英稔氏に出会い、韓氏意拳を学び始める。主な著書に『FLOW 韓氏意拳の哲学』(冬弓舎)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)などがある。

 武術家・光岡英稔の最強インタビューシリーズ」の「教育すると、人間は「弱く」なる!を転載する。
 「最強」とは何か 文/尹雄大(ユン・ウンデ)

 世の中には、ボクシングや総合格闘技、プロレス、空手に柔道とさまざまな格闘技や武道がある。それぞれの競技を勝ち抜いたチャンピオンもたくさんいる。私自身、格闘技や武術を学んできただけに、彼らの見せる白熱した試合に手に汗にぎりもする。その一方、素朴にこう思う。

 結局のところ何が最強なのか?

 最強を問うと、「一対一で正々堂々と戦うべき」だとか「飛び道具は卑怯」「目突き、金的は危ないからダメ」といったことは言えなくなる。そもそも「ヨーイ、ドン!」で始まるような試合はありえない。あらゆる状況と時とを問わず、相手がどんな手を使おうとも「汚い」とは言えない。そんな絶体絶命の状況を切り抜けてみせる術はあるのか? あるとすれば、それこそが最強の名にふさわしい。ときおり想像はしても、試したことはなかった。表向きはまだ平和な社会でそういうことを追求するのは、漫画じみて思えたからだ。だが夢想ではなく、「いつどこでも誰とでも」を標榜し、実践している武術家がいる。光岡英稔という人物だ。

 19歳でハワイへ渡り道場を主宰、大東流合気柔術や空手等を指導してきた。道場の内に留まらず、ハワイアンやサモアンといった規格外の体躯をそなえ、ナチュラルに強い猛者たちと手を合わせてきた。あまり日本では接する機会のないフィリピンやインドネシアの武術の遣い手と渡り合ってきた。また、銃社会ならではのシビアさも体験しつつ、ともかく「それはフェアではない」と非難する暇もない状況をくぐり抜ける術を研鑽してきた。光岡の求める強さは、力づくで相手をねじ伏せることではない。また彼の述べる武術論は精神主義でもなければ、後先考えない蛮勇でもない。いざというとき単純な腕力や観念は無力であり、むしろ自分の可能性に目を向けないとやられてしまうからだという。武術とは、相手を打ち倒す術はおろそかにはしないながらも、私たち自身がまだ知らない能力の可能性に目を向ける方便でもあるらしい。光岡が「最強」をひたすら目指す過程で発見した、私たちの体に備わる可能性について尋ねた。

 カリフォルニアの山奥で

 −−今回のインタビューでは「強さとはどういうことか?」についてお尋ねしたいと思います。

 思想家で合気道家でもある内田樹さんは、光岡さんのことを「先生」と呼んでいます。古武術家の甲野善紀さんも、光岡さんのことを高く評価されていますね。あるいは、精神科医や宗教家からも一目置かれるなど、光岡さんが体現している「強さ」は、いわゆる競技化された現代武道をはみ出たものだと思います。その強さとはいったい何なのか? その根底にある身体観はどのようなものか? なぜそのような考え方に至ったのか? まずは生い立ちから教えていただけますか。

 1972年に岡山で生まれました。同世代なら共感してくれると思いますが、私が子供の頃にブルース・リーのカンフー映画が流行していました。その影響を受け、武術に憧れを抱くようになりました。かといって、そこから武術にまっしぐらに進んだわけではありません。7歳のときに日本から義父の住むカリフォルニアへ移住したからです。70年代の日本の経済成長は著しいものがありました。そこから経済大国のアメリカに移ったのだから、さぞ便利な暮らしをしたのだろうと思うかもしれません。しかし、その恩恵を被ることはありませんでした。私たち家族が住み始めたのは隣家まで歩いて2時間という山の頂きだったからです。家も自分たちでつくる。当然、電気はなくて、明かりは石油ランプのみ。水道も引かれておらず、麓まで1キロ下りて泉で水を汲み、洗濯はそこで行う。そんな暮らしが始まったんです。当初は混乱しました。これまでスイッチを押せば電気がつき、洗濯も自動的に行ってくれる暮らしから、すべて自分の体を使わない限り、何も始まらない生活になったのですから。

 −−義理のお父さんは世代的にはヒッピームーブメントの体験者ですよね。その影響でしょうか。

 そういうわけではなさそうです。ただ、自分の力でどれだけのことができるかを試したいようでした。義父はベトナム戦争時代、海兵隊員に服務し、ウェザー・アブザーバーのウォッチ・リーダーを務めました。天候を確認しながら戦闘機や輸送機を出動できるルートを知らせる任務です。そのときはアメリカのために命を捧げる考えだったそうです。ベトナム戦争後、政府の施策を疑問に思い、私が会った頃には反戦平和運動や反原発運動にも共感を示しており、そのような活動に関わるようになっていました。

 −−ソローのような森の生活は、大人にとっては楽しいかもしれません。

 日本での生活とのギャップに驚きはしましたが、きつかったわけではありません。そのうち山を駆け巡ったりすることに楽しさを覚えるようになりました。周囲には、マウンテンライオンや山猫、鹿、ウサギ、イノシシがいましたね。唯一不満があったといえば、テレビがないことでした。仮面ライダーが見たかった(笑)。学校では数ヵ月英語の基礎を習った後は、クラスに放り込まれました。まったく話せないし、コミュニケーションがとれない。そのせいでよく喧嘩していました。お互い言いたいことが伝わらないというジリジリした思いがあったのだと思います。

 日本に戻ってきて味わったカルチャーギャップ

 −−カリフォルニアで何年暮らしたのですか?

 4年ですね。小学校6年生の終わりくらいに再び日本へ戻りました。両親とも気まぐれで、母の「そろそろ日本に戻りたい」の一言で決まりました。こうしてまた岡山での生活が始まったのですが、こんどはカルチャーギャップで父がホームシックになり、一時期は「帰りたい」としきりに言っていました。

 −−光岡さん自身もカルチャーギャップを感じたのでは?

 そうですね。ぜんぜんついていけなかったですね。自転車に乗るときにヘルメットを被らないといけないとか、制服のホックは上まで留めなければいけないとか……。いちばん訳がわからなかったのは、先輩後輩の「上下関係」でした。アメリカではあり得なかった。だから「そんなこと関係ない。同じ人間なんだから」みたいなことを言っていたら、上級生の不良に絡まれました。不良にとって先輩後輩の関係は大事みたいで、気に障ったんでしょう。最初は「偉そうにしやがって」と絡まれていたのですが、そのうち「ところでアメリカってどんなところなん?」、「やっぱり金髪のお姉さんはすごいんか?」とか、そういう話になりました(笑)。根はシンプルな人たちなので、最終的には「おまえ、おもしろいな。悪いやつにからまれたら俺らに言えよ」と言って去っていきましたね。

 −−その当時は、もう武術をしていたのですか?

 中学生になってから家の近くにあった道場で空手を始めました。最初は学校の部活をしていなかったのですが、「どうも突いたり蹴るだけではダメだ。組み技や投げ技、関節技も知っておかなければ」と思うようになり、柔道部に入りました。さらに高校では部活で空手を稽古するかたわら、岡山に伝わる古流の柔術「竹内流」や新陰流、大東流合気柔術、中国武術などを習い始めました。打ち方、投げ方、極め方、武具を持っての切り方、突き方、刺し方。強くなるためにはひとつひとつ学んでいかないといけない。そう思ってのことでした。でも、いま考えると何に向かっていたのかわかりませんね。達人の領域への憧れはあっても、あまりにも実力と逸話がかけ離れすぎていました。とりあえずどんな状況でも対応できるような強さににじり寄っていくしかないと思っていました。ただ、振り返って思うのは、あるルールの中で勝ち負けを競うといった、スポーツとしての武道で得られる強さを目指していたわけではなかったということです。

 ハワイで武術を教える

 −−高校を卒業後にハワイへ行かれますが、どういった事情で?

 また両親の気まぐれです。私は知人を頼ってオーストラリアに行く予定でしたが、都合が悪くなり、両親と一緒にハワイへ行くことになりました。その頃は、もうとにかくこれ以上日本にいたくないという気持ちでした。推薦で大学へ行くこともできたけど、大学を出て就職するみたいなコースが当然とされている世の中についていけなかったんです。息苦しくて仕方ない。ちょうど学んでいた大東流合気柔術の岡本正剛先生に「ハワイへ行かれるのなら、そちらで教えてみては」と言っていただけたこともあり、移住しました。

 −−自宅と会社の往復を人生とみなす生き方は耐え難かったのですね。

 そうですね。もっとも、ハワイへ行ってみたら、それはそれで適応するのがたいへんでした。というのも日本とはあまりに真逆の社会で、脳みそが溶けてしまうんです(笑)。環境がいいから世の中のことはもうどうでもよくなる。「このままここで一生何もしなくてもいい。フルーツもなっているし、毎週どこかでパーティしているから食べ物もあるし」とわりと本気で思えます。

 −−染まりきれました?

 最初は「なんだこれは?」と戸惑いましたね。やはり日本の暮らしで学んだ「きまじめさ」が身に沁みていたのです。たとえばハワイアンは時間を守らない。しかもそれを当然のこととしている。そういう態度がまったく理解できませんでした。時間通りに物事を行うという考えがない、というより、そもそも時計で測れるような時間という概念がない。だから、どうやって予定を合わせればいいのかもわからないんです。なんであれ「イッツオッケー」と言われるだけ。何がオッケーなの!?と。完全にフィーリングだけなので、武術を教えるにも「何時から何時まで」と時間を決めることができませんでした。

 −−稽古となると日本では、先生より先に生徒が道場にいて開始時間には整然と並んでいるというイメージがありますよね。

 ハワイだとまず時間通りに生徒は来ません。そのうちやっと集まり出す感じです。あるいはそろそろ終わりかなという頃に来て、あとはだべって帰る人もいます。そういう感覚に慣れるのに3年くらいかかりました。

 −−遅れたとしても来るからには、いちおうは学びたいんですよね。

 いや、コミュニティに属したいのでしょう。技術的に習いたいという気持ちはほんの少しだと思います。

 教育したら、人はすぐに弱くなる

 −−思想家の内田樹さんとの対談『荒天の武学』(集英社新書)で、何も学ばずとも「ナチュラルに」強いハワイアンのエピソードが紹介されていました。そういう強さは、彼らの時間感覚とも関係しているのでしょうか。

 そうだと思います。時間を知らないからこその彼らの強さについて、多少なりとも考えが及んだのは最近のことです。初めはどうして彼らがナチュラルに強いのかわかりませんでした。けれども、「どうしたら弱くなるか」は早い段階でわかりました。

 −−どういうことでしょう? 指導しているのに弱くなるんですか?

 教育したら人はすぐ弱くなります。「物事はこうでなければいけない」と教えたら、弱くなるのです。学校をはじめほとんどの教育の内実は「こうでなければいけない」と刷り込んでいきます。もともとの才能を潰さずに教育するのは本当に難しい。たとえば、私のもとで習っていた友人にジェームズという喧嘩屋がいました。彼は一時期、よそでボクシングを習い始めました。コーチは彼のパンチ力やヘビー級らしからぬスピードをみて「マイク・タイソンにも匹敵するスピードとパワーを秘めた逸材だ」と半ばスカウトして、彼をボクシングの世界に誘いました。すると、それまで喧嘩では負け知らずのストリートファイターだったジェームズは、あっという間に弱くなっていったのです。生の強さを活かせたらいいのに、下手にやり方やルールを教えてしまうとてきめんに弱くなる現象は、けっこう見られました。野性味あふれる強いファイターだと、周囲は「技術を学べばもっと強くなるだろう」と期待し、教育します。それがもともとの才能を潰すことになるのです。これは個人だけでなく国家の規模で見ても同様で、だから異なる文化を持ち込むときには気をつけないといけない。異なる文化圏のルールやテクノロジーを持ち込むだけで簡単に固有のよさを潰してしまえます。

 −−なんでもありのストリートファイターが、四角いリングの中での立ち回り方やセオリー学ぶことで、必然的に弱くなっていく。学ぶことで臨機応変に対応できなくなるということですか。

 はい。だから強い人は練習しなくていい。もともと持っているものを生かせるようにすればいいだけです。彼らは大まかなルールをわかればいいだけで、練習するとしても慣らすくらいで十分なんです。

 環境によって磨かれる感性

 −−日本だと職人的といいますか、厳しく求め、突き詰めていかなければ、強さは得られないという考えが一般的です。

 ぜんぜん違いますね。そもそも「鍛錬」という発想がない。それには環境が影響しています。ハワイの環境は野生に近いので、自然と人間もワイルドになります。しかも、このワイルドは、「めちゃくちゃ」といったシティワイルドではない。静けさも穏やかさも凶暴性も優しさもアロハの精神もある。だからワイルドさが発揮された場合、一歩間違うと互いが無事ではいられないことにもなります。実際、歴史的には部族間での争いはけっこうありました。そういうところで養われてきた感性が彼らにはあります。

 −−温暖だからといって、常にピースな感じではないのですね。

 彼らから学ぶことはとても多かったです。さっき言った喧嘩屋のジェームズが、ギャニガンというまた別の喧嘩屋と夜のビーチでパーティをしてた最中にやりあうことがありました。格闘競技とかではなく俗に言う「拳と拳での殴りあい」でした。お互い疲れ果てるまで殴りあっていました。数日後、私がジェームズとショッピングモールを歩いていたら、向こうにギャニガンがいた。すると、ジェームズが「あいつに挨拶してくる」と言うので「またやるのか?」と聞いたら、「あいつと話をしなきゃいけない」。そのあとに“ I gotta squash it, squash the fight you no”と続けた。“squash” とは「潰す」という意味です。つまり、「喧嘩したから因縁を潰さないといけないんだ、わかるだろ」というのです。離れて様子を見ていましたが、ふたりはしばらく話し、最後に手を組んでハグしていました。ジェームズが戻って来て言うには、「こないだ俺がぶっ叩いたせいで、あいつ、目が片方だけ見えなくなったみたいだ。まあ、お互い酔っていたし、わかってた上でやったからしょうがないよな」と。

 −−それで因縁は?

 消えたみたいですよ。

 −−ハワイの「ホオポノポ」という関係性を整える方法が数年前に日本でも話題になりましたが、その実践版を見るようです。

 彼らにはもともと島々の感性というものがあって、それは私たちの文化とはまったく違うと思い知らされました。いい意味での「島文化根性」、長年に渡って島で磨かれて来た感性が彼らにはまだ残ってます。ここで「島国根性」と言わないのは、ハワイにはもともと国や国家といった概念がなかったので、「文化」の方がふさわしいかと思うからです。あまり恨みつらみを持つと、互いにいつ仕返しされるかわからないような疑心暗鬼が募りますよね。でも、同じ島に住んでいるから離れられない。それだからこそ話をきちんとつけて、因縁を潰そうとする。彼らの振る舞いを見ていて漢(おとこ)らしいなと感じました。そうしたコミュニケーションは部族的な知恵でもあり、そのような感性がハワイアンの根っこにあるのだと思います。


【】
 武術家・光岡英稔の最強インタビューシリーズ」の「なんだって? 現代人には「足腰」がない!?を転載する。
 人類「最強」はアメリカ大統領?

 −−ハワイに住んでいた頃、さまざまな武術の流派と手を合わせたそうですね。それまで学んできたことが使えるかそうでないか、シビアに検証された期間でしたか。

 ハワイでは非常にいい経験をしました。これまで私が空手や柔道、古流柔術といろんなことを学んできたのは、強さに対する答えがなかったからだと思います。だから、とりあえず試してみないとわからない。そこでいろんな人と手を合わせたのです。実践の場を通じて改めて気づいたのは、非常に当たり前のことながら、いったんやり合うとなったら何でもありでルールがないのだ、ということです。たとえば空手や拳法、柔術を融合させたハワイの武術「カジュケンボ」はいきなり金的を蹴ってきます。インドネシアのシラットなら初手から相手の目をくりぬくとか噛みつくとかを教えます。とにかく日本の武術とは違います。加えて、サモアンとかハワイアンの中には、何もしなくても強いし、バットで後頭部を思い切り叩かれても平然としているような人もいるわけです。さらに言えば、銃社会ですから、そこを無視するわけにはいかない。「強さとは何か?」を本当に問うた時期ですね。

 −−実際、道場に銃を持ち込んだ生徒もいたそうですね?

 若い道場生の中には「結局、銃があれば練習しなくていいじゃん?」と言う人もいました。

 −−そう言われてしまうと、武術とは一対一で正々堂々と勝負するものだというのはロマンに見えてきますね。

 そうですね。「銃があればいいじゃないか」と言われて、やはり考えさせられました。武術家として「え、そうか?それもありか」と動揺した自分もいました。でも、そこから確かにそうだなと思って、いろいろ研究実験してみました。たとえば銃を持った人と対峙する場合、テーブルを挟んで会食するくらいの親密な空間だとします。護衛が必要な人もおらず相手と自分だけならある程度は大丈夫です。でも4メートルも離れたら厳しいです、アウトですね。 

 −−至近距離のほうがまだなんとかなるんですね。

 いったん銃について考え出すと、「強さ」という概念がグラグラ揺らぎます。だって、一個の銃よりは警察のほうが強いし、警察よりも軍隊のほうが強い。いや、軍を動かせるのは政治家だから、政治力のほうが強いのか、とか……。そんなふうに単純に強さを考えていくと、「アメリカの大統領になるのが最強じゃないか」となるんですね(笑)。でも、大統領選に出るのはなんか違うな……と自分にツッコミを入れたりしていました。結局は黙々と自分のできることをしていくしかないんです。

 「型」とは何か

 −−さまざまな人と手合わせをしながら、重大な怪我もなく生き延びてこられたということは、子供の頃からそうとう運動神経がよかったのですか?

 ぜんぜんよくなかったですよ。しかも、山の中で人付き合いもなく育ったせいで、チームスポーツだとチームワークがわからない。だからサッカーではひとりでゴールまで行きたがるし、バスケットもドリブルするのが面倒だから遠くからシュートしていました。

 −−同世代の友達と比べて、自分は強いとか、武術的な素質があると思っていましたか?

 それはなかったですね。かりに自分が所属する団体で勝てても、空手ひとつとっても様々な団体があって、それぞれのルールがあります。たとえば顔面を殴らないで体だけ叩くとか、ポイント制のライトコンタクトだとか、あるいは防具をつけて叩くとか。あるルールで強かったとしても、他のルールでは強いかはわからない。空手では強くても、シラットを相手にしたときにどうかと言ったらわからない。私の場合は「何がいったい強いということなのか?」を問う媒体として武術を借りて学んでいた感じです。

 −−そういう名付けようのない真の強さの求めていくときに、具体的にはどういう稽古をするんですか? 一般的には「こうしたらこう返す」といったシミュレーションをイメージしますが……。

 私の場合、シミュレーションを教えることはあまりなく、「技」を教えていました。手をこのようにとったら関節が極まるとか。どこを打てばいいかといった内容です。シミュレーションやコンビネーションは、状況が設定されています。あくまで特定の状況に対しての動きという限定されたものでしかありませんから、想定外には対応できません。だからコンビネーションではなく技が大事で、その技を覚えるために「型」があります。

 −−日本では芸事から職人の世界まで型が重視されています。ナチュラルに強いハワイアンやサモアンは型をもっているのでしょうか?

 ないですね。彼らには技はあっても型はない。型は後代に技を伝えていくための方法です。技があって伝えていく術はあっても、土台となる共有された文化がなければ型は生じない。それには、ある程度の文化の成熟がないといけない。

 −−生活に溶け込んでいる無意識の型もないということですか?

 無意識だと型になりません。たとえば、前回紹介した喧嘩屋のジェームズはウクレレがすごくうまいのです。しかも彼は左利きだから逆さにウクレレをもって器用に弾く。あまりにうまいから「教えてくれない」と言ったら、「オッケー」と言ってしばらく弾いて、「こう、こんな感じで!」と言って終わりです。「いや、だから弾き方を教えてよ」と言うと、また「Ok, Alright」と言って弾いて見せて「Yah, You play it kinda like this!(こうだよ、こう弾くんだよ!)」でおしまい。泳ぎも得意だから、「教えて」といったら、また「Alright, like this! (オッケー、こんな感じで!)」で泳いでみせて「You go like this!(こう、こうするんだ!)」で終わり(笑)。ウクレレも泳ぎもどうやって覚えたのかと尋ねたら、「小さい頃からできる人を見て覚えた」というんですね。型がないとは、こういうことです。彼らにとっては文化は生活そのものだから、客観性がありません。客体的に共有できる型としての技術体系は必要ないのです。

 −−なるほど。生活の中から技術を取り出して他人に伝える必要性がないんですね。

 そこに住んでいれば自然と覚えるものでしかないので、わざわざ教え方を作り出す必要がない。彼らと違って、私たちはついテクニックを覚えようとしてしまう。そうではなくて、ハワイアンにとっては、ウクレレも泳ぎも生活文化の断面でしかないのです。彼らに型があるとしたら、ハワイ語という型と身振り手振りがそうでしょう。とくにフラは祖先がタヒチからハワイまでいかにしてやってきたかを踊りで代々伝えています。そこには型らしきものがあります。

 −−無文字社会だったことも関係しているかもしれませんね。文字によって情報量が爆発的に増えると、互いに確認しあわないといけないことも増します。その結果、生活文化から技を取り出して習う必要も生まれたと思います。

 異文化を習うには、取り出して示してみせることが不可欠です。たとえば、ハワイ語をしゃべれるようになりたいわけではないけれど、ハワイ語の文法の仕組みを研究する人がいても、私たちはさほどおかしくは感じないでしょう。しかし、ハワイアンにとっては理解できない。しかも、しゃべりたくない相手にわざわざ教えなくてはならないとしたら、ますます意味がわからない。

 −−私たちは見て学ぶことが不得手になっていて、仕組みを汲み取る鋳型を形成しないと学べない体になっています。

 ウクレレを見て覚えることを普通に感じる人がいる。一方で、それが普通に思えない人がいるならば、共有できる「普通」をまずつくらないといけない。ジェームズのようにやってみせて「こう!」では伝わらない。確かに現代は、そういうフィーリングでは伝わらなくなっています。結果として弾ける、泳げることはわかっていても、どうすればそうなるのか知りたい。ならば、伝える側が仕組みを紐解いていかないと、伝えていけないわけです。私ができるからそれでオッケーなら、型は必要ありません。

 生活環境と身体観のつながり

 −−日本の場合、武術によっては数百年前まで歴史をさかのぼれます。当然、いまと生活環境も身体観もまったく違うと思います。となると、ただ漫然と型通りに体を動かしても、数百年前の人が伝えようとしたところには届かない可能性が高いということですよね?

 そうですね。生活環境によって体は作られていきます。300年前にできた型なら、300年前の身体観がそこに込められています。いまとは生活環境がまったく違ったとしても、型という環境を使うことで、私たちは300年前にタイムスリップできます。

ただ、現代人にとってはその経験は相当きつく感じます。というのは、かつての普通といまの普通はまったく違うからです。

いまは椅子に座ることを普通にしていますが、昔は地べたに近いところで生活していました。洗濯するにも焚き付けをするにもしゃがんだ姿勢をとります。田植えをするにも中腰の姿勢です。

中腰の姿勢は、現代人にとっては苦行でしかないですよね。この姿勢で朝から夕方まで作業しろと言われても無理でしょう。でも、昔の人にとってはそれが普通だった。

 −−中腰の姿勢をとることは、いまだと「空気椅子」のようなトレーニングのメニューになってしまいますよね。

はい。そういう意味で、現代人は足腰がなくなっている。小学校からだいたい高校までの12年間、一日の大半を椅子に座って生活しています。いちばん物事が身につく時期に、手と頭だけ使って「足腰を消していく」練習をものすごくやっているわけです。そうなると、足腰がなくなっても当然です。

 −−そういえば意気地のなさを表現する「腰抜け」という言葉を聞くこともなくなっている気がします。抜ける腰もないくらい足腰がなくなっているとも言えますね。

人は足腰が立たないと根本的に自信が持てないものです。自分の足で立つ。これが根拠のない自信につながるんだと思います。それがないから現代人は、他人の意見や評価の中で自分の立ち位置を定めたがるのでしょう。

 ですから、型が大事だといっても、現代人の体のまま動いてしまうのか、それとも古の型が要求している体に目を向けていくのか。これによって稽古の質は全く変わってきます。少なくとも昔の体に戻らないと型は理解できません。

−−なるほど。

古の型を通じて私にできる技がある。しかし、他の人にはそれができないとします。それは他の人に経験や体験がないのではなく、違う経験や体験があるのです。

はるか昔の人の経験や体験でありながら、私の中で存在しているとしたらそれは何か。もしくは私の中に見当たらないものはなにか。そうした探求は、過去にさかのぼって、自分を観ていくしかありません。

さかのぼると昔の生活観といまとのギャップを如実に感じます。私たちの身体観、生活観は明らかに変わっています。

と同時に、古の技が成立する理由をみたとき、なぜか子供の頃のあのカリフォルニアの山中の経験がすごく重要な役割をなしているように感じられます。そのとき使っていた体なり培った身体観がいざというと戻っていける場所になっています。文字通りのバックボーンです。










(私論.私見)