統一教会の教義教理 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).6.22日
「家庭連合の教義」。
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「世界平和統一家庭連合教理」(2022/10/01ウィキペディア(Wikipedia))。 |
1952年、文鮮明が「原理原本」を著わす。統一教会で「原理」とは、文鮮明が霊的体験や独学によって与えられた啓示とされる。同書は、韓国の神秘主義的キリスト教改革運動の流れを汲む「イスラエル修道院」の金百文(キム・ベンムン。キリストの親臨を主張した、柳明花の信奉者のひとり白南柱の弟子)の著作「基督教根本原理」(1946.3.2日起草、1958.3.2日発行)の執筆中の1945年頃、文鮮明と妻の崔先吉が共にイスラエル修道院に通い、金百文の教え盗作したという証言がある。統一教会側は「金百文の著作が世に出る前に、『原理原本』そして『原理解説』(1957年発行)が作成された」と主張している。 |
1954年、統一教会が創立されて以降、一貫して、聖書よりも「原理原本」が重要視されており、現存する聖書によるキリスト教の正典を超越すると考えられている。 |
1966年、文鮮明の高弟である劉孝元(ユ・ヒョウォン、教会長、1970年死去)が文鮮明の「原理原本」を増補し、彼の説教を整理した「原理講論」(原理講話)の初版が刊行され、表向きは「聖書の解説書」と称するがこれが統一教会の実質的教典となる。日本語版は1967年に刊行される。「原理講論」(原理講話)は初版以降数度改版され、新しい部分も追加されている。はしがきには、本書が完成版ではなく、編者により適時増補、または加筆修正される可能性のあることが説明されている。「原理講論」(原理講話)の言葉を勝手に解釈したり、自分の言葉を付け加えることは、分派発生の原因になるとして禁止されている。第3版で、メシアが韓国でうまれ、文鮮明がメシアであると書かれている。 |
ハンガリー人のカトリック神学者・神父で上智大学神学部教授であったネメシェギ・ペトロは、「原理講論」(原理講話)では、神は「ゲルマン民族を新しい選民として立て」たという主張を基に、古代末期以後の歴史はすべてゲルマン民族に集中して語られていて、カトリック教会はキリスト教の堕落したものとして描かれており、ルターが新しい福音の光をもたらした存在とされるなど、韓民族を現在の選民であるとする最後の唐突な飛躍を除き、ゲルマン・アングロサクソン系のプロテスタンティズムの立場で書かれていると述べている。(日本語版では削除されているが、英語版には、「韓国の民が神によって選ばれた第三のイスラエルとなる」と書かれている) 聖書に預言された再臨のキリストが文鮮明であるとしており、エホバの証人、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)同様に他の全てのキリスト教会から異端と見なされている。 |
弟子がまとめた教説よりも、生きている文鮮明が直接語った言葉こそが神の教えと考えられるため、教祖の言葉をまとめた膨大な「文鮮明先生御言選集」(1961年から2010年にかけて不定期に発行されており360巻以上(全615巻)で)全て韓国語で編まれている。1冊あたり300ページから400ページ。「御旨と世界」(1985年)などの説教集、信者の規律についての「御旨の道」なども併せて教義体系を構成している。近年では説教集「天聖経」(2003年編纂)が重視されるようになっている。 他にも「天一国経典」があり、天聖経、平和経、真の父母経の3冊からなる経典もある云々。 |
統一教会教理の「原理」は旧約聖書、新約聖書の解釈であり、「究極的、決定的な真実である」としている。「原理」は主に「創造」、「堕落」、「復帰」の3つの部分からなる。『原理講論』は文鮮明の啓示の様々な解釈を書いたもので、「原理」とは区別されているが、『原理講論』の「堕落論」には、「人間始祖の堕落によって、その子孫が、一人残らず、神の血統を受け継ぐことができず、サタンの血統を受け継いでしまった」と記され、「真の父母として降臨されるイエスのみがこれを知り、清算することができる」としている。プロテスタントの日本基督教団牧師・宗教研究者の石井智恵美は、教義内に明確な記述はないが、信徒にとって教祖の文が「再臨のイエス」=「人類と霊界を結ぶ比類ない存在」であることが信仰の前提であると述べている。神の愛を中心に結婚し、完全な子供を産み、真実の家族を作ることで、地上の楽園(地上天国)を建設することが目指される。ネメシェギは、『原理講論』の思想の特徴として、朝鮮半島の陰陽説、文鮮明が受けたキリスト教的教育に由来する一神論と旧・新約聖書の権威の容認、根本主義的な聖書解釈、象徴的聖書解釈、科学性の主張、終末論的歴史神学、神との「霊交」で得られたという「啓示」を挙げ、『原理講論』の教えの根拠は、実際には哲学・自然科学・客観的な聖書解釈・キリスト教会の教えのいずれでもなく、真の根拠は著者が述べているように、文鮮明が受けたという「啓示」であると述べている。キリスト教における「再臨論」も説いており、韓国を蕩減復帰の民族的な基台を立て、第三イスラエル選民となければならないとしている。信徒は「ムーニー(Moonie、Moonies)」と称される。 |
神の世界創造の目的 |
神はこの世からの刺激によって、はじめて喜びに満たされるとされている。旧約聖書の創世記第1章28節「生めよ、増えよ、地を従わせよ」を次のように解釈する。神の創造の目的は3つある。統一教会では三大祝福と呼ぶ。「生めよ(פרו)」は人格完成、個性完成せよのメッセージと解釈する。ヘブライ語「פרו(ペルー)」にはそのような意味はない。「増えよ(ורבו)」は、子供を産み増やせであり、家庭完成せよと解釈する。「神の二性性相が各々個性を完成した実体対象として分立されたアダムとエバが夫婦となり、合体一体化して子女を生み殖やし、神を中心として家庭的な四位基台をつくらなければならないのである」と云う。「地を従わせよ(ומלאו )」は、万物を主管せよと解釈する。これが神が人間にだけ与えたもの。神、人類、その他の生物の調和のとれた理想的な世界を創造することを意味する。「万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する」とされる。人間は完全な家庭を築くことで、完全な社会、国家、世界を実現するために「増殖」できるのである。家庭形成は「アジア的家族主義を織り込んだ人間論」(櫻井)であり、神の創造目的に取り入れられている。 |
楽園追放と原罪 |
旧約聖書の創世記に、神が創造した最初の人類であるアダムとエバが罪を犯し楽園を追放される逸話がある。「原理」は、エバが悪魔であると解釈される蛇にそそのかされて、次にアダムがエバにそそのかされて、食べることを禁じられていた知恵の樹の実を食べた。この罪のために、二人は神に罰せられて、人間は死や労働、出産の痛みといったあらゆる生の苦しみを持つようになり、この世に罪と死とのろいが入り込んだとされる。西方教会では、これがアダムとエバから全人類に「原罪」(ラテン語:
peccatum originale)として受け継がれていると考えられている。 原理講論は、文鮮明の説教からルシファー(原理講論ではルーシェル。、Luciferの北朝鮮式発音。魔王サタンが堕落する前の天使の頭の呼称)の堕落を次のように説明している。ルシファーは元々神に最も近い大天使で、神の愛を独占するような位置にいたが、神が人間を創造した後はその愛が減少したと感じた。ルシファーは嫉妬に駆られてエバを誘惑し、エバは10代の処女であったが、「神のように目が開けることを望み、時ならぬときに、時ならぬものを願い」、両者には授受作用(相互作用)が生じ、「不倫なる霊的性関係」を結んだ。統一教会ではこれを「霊的堕落」と呼ぶ。但し、天使は肉体を持たないため、これは肉体的な交わりではなく霊的交わりであったとしている。ことの重大さに気が付いたエバは、罪悪感から神の元に戻りたいと願い、神が定めた配偶者であるアダムと結ばれようと、彼をそそのかし性的関係を結んだ。エバは神の元に戻れたと思ったが、ルシファーとの「授受」は真の配偶者との「授受」だけでは回復されず、さらにエバとアダムが性的関係を持つことは神の意志ではなく、神の祝福を受けていなかった。エバは3重に罪を犯しており、神に従うべきであり、婚約者を裏切るべきではなく、婚約者と共に完全に精神が成長してから性的関係を持つべきだった。アダムとエバは、自らの個性を完成する前に時期尚早な夫婦関係を結び、それは神ではなくルシファーを中心としたものであったため、人間は家庭形成に失敗したとしている。これを「肉的堕落」と呼ぶ。以降すべての人間は、善と悪、神の要素と堕天使の要素を併せ持つ存在になった。アダムはエバと性的関係を結ぶことで、エバがルシファーから受け継いだすべての要素を受けつぎ、子々孫々にもサタン(ルシファー)の血統が継承されているという。これが統一教会における「原罪」である。原罪は遺伝によって伝わるようなものとされている。アダムとエバはその罪によって、人類を偽りの主、サタンに仕えさせることになった。 |
イエス・キリストと再臨のメシア |
統一教会では、イエス・キリストは既成神学における三位一体の存在ではなく、霊的な三位一体と解釈する。心情的には神と一体であるが、イエスを神と言えるのは「すべての完成した人間は神と一体である」という意味においてのみであり]、「創造理想を体現した男性」としてその価値は認められる。この点が、主流派キリスト教と最も異なる点である。イエスは、司祭ザカリヤとマリアの間に生まれた原罪のない人間であると考えられている。
イエス・キリストは、サタンが不当に奪った神の「主管性」を回復し、堕落した人類を原罪のない善の人類に産み直し、神を中心に据えた新し人間の血統を築き、地上天国を築くために来たとされている。聖霊は女性神であり、真の母でありエバであるとされる。神はユダヤ民族をはじめとする全人類を救うための代償として、イエスの肉体をサタンに引き渡さざるをえず、イエスの肉体はサタンの侵入を受け虐殺されたとしている。そのためイエスの肉体が復活することはなく、今は霊人間として神のもとに生きているという。 イエスは十字架上で死に、それは人類の霊的救済のための蕩減条件(代償)になり、霊的救いが達成されたが、新しい血統を築くことはできなかったため、救いの摂理は完成されていないと考えられている。 イエスの死はイエス自身の失敗によるものではなく、洗礼者ヨハネや弟子たちといったほかの人間がイエスを裏切り、見捨て、ユダヤ人が彼を受け入れなかったためであると考えられている。統一教会の信者たちは、神はイエスの死を「神の国」を築くための手段にしようとはしなかったことを強調する。 宗教史学者の古田富建は、統一教会の教理の核心は、神、イエスの「恨(ハン)」を解くこと、つまり「恨解(ハンプリ)」であると述べている。「恨」とは、朝鮮文化を語るときにクリシェとして用いられる言葉で、その意味合いには幅があるが、韓国近代宗教史の研究者の川瀬貴也は「様々な要因で叶えられなかった思いが、澱のように沈んでいる状態」と表現している。 韓国の民族的な霊魂観においては、夭折者・横死者は成仏できず、怨みを抱いた「怨魂」となって彷徨うとされており、特に無念を抱えた者、子孫を残さずに死んだ者の恨みは強く、生者に災いをもたらすとされる。こうした死者の恨みを鎮める儀礼が「恨解」である。 統一教会では、人間の堕落のために神の創造目的を果たすことができず、神に「恨」を作ったと考えており、神はこの「恨」を解くためにメシアとしてのイエスを遣わしたが、人間が「責任分担」(5%の責任)を果たせずイエスを殺してしまったため、神の「恨」はさらに大きなものになったとされている、と説明している。 1960~70年代の韓国のキリスト教の一部では、「恨」を教義に取り入れている。李龍道はイエスを人間として理解しようとし、三位一体を否定していた。 古田富建は、李龍道らはイエスを悲しみや痛みを抱える人間としてとらえ、その孤独や悲しみを理解し共感しようとする姿勢が、聖主教ではシャーマナイズ化された「恨解」の儀礼となっていき、統一教会では教義の根幹になっていると述べている。1965年ごろに、「恨」という言葉が文鮮明の説教に定着した。 イエス・キリストを救世主として崇める一方、イエスがやり残した多くのことを成就するために、「再臨のイエス」が韓国に生まれると主張している。それは、地上に戻ったイエス・キリストではなく、イエスが霊界から支援する、聖書に示されている普通の人間であるとしている。 文鮮明はメシアが、出生する時期や場所といった条件を示しているが、メシアが生まれる地とは韓国であり、示された条件には文鮮明自身が適合する。神学的には、メシアは一組の男女である。文鮮明は1960年に、23歳若い17歳の信者韓鶴子と結婚し、メシア的使命の一環として14人の子供をもうけた。文鮮明は1992年に自身と妻が全人類の真の父母であり、救世主で、再臨の主であり、メシアであることを宣言した。この宣言の前が「新約の時代」、以降が「成約の時代」であるとされる。新宗教やニューエイジなどを研究し、統一運動を肯定的にとらえるウェールズ大学のサラ・ルイスは、この宣言以降、信者自身がメシアになりうるというように強調されるようになり、文鮮明がメシアであるということへの言及は減ってきていると述べている。 メシアを受け入れることができなければ、ユダヤ人やローマ時代のキリスト教徒、江戸時代のキリシタンのような受難を罰として与えられると考えられている。 |
人間における神の要素とサタンの要素の戦い |
人間の堕落は、上記の神と人間の関係を損なったという縦の軸(信仰基台)だけでなく、もうひとつ人間を人間性自体から引き離したという横の軸(実体基台)があるとされる。横の軸の堕落は、旧約聖書におけるアダムとエバの息子カインとアベルの、兄カインが弟アベルを殺したという逸話に基づいている。この人類最初の殺人によって、人間における神の要素とサタンの要素が分離し、互いに争うことになり、横の軸の堕落が起こったとされる。
「最初の兄弟」の間の敵意は、歴史を通して民族、国内・国際的レベルで繰り返されており、20世紀における無神論共産主義(カインの勢力)と神を畏れる民主主義(アベルの勢力)の衝突に明らかに見られるという。 世界中に民主主義が現れたのは神の復帰摂理によるもので、共産主義の専制政治はそれに対抗する悪魔によるもである。従って、第三次宗教改革によって、理念的に共産主義勢力を屈服させ、世界を一つの地上的な「神の国」に統一することが指される。 文鮮明は、もし理念的戦いに勝利、つまり共産主義のイデオロギーが敗北しなければ、第三次世界大戦が起こり、タン側の共産主義が敗北するだろうとしている。そして原子力による第三次産業革命がおこり、幸福で理想的な社会環境が世的に建設される。その時全人類はキリスト教(統一教会)を受け入れ、最後に神を中心とした、神主義が現れなければならない、という。 |
二性性相(陰陽二元論) |
初期には、『原理講論』で説かれた統一原理は宗教と科学を統一する原理であると考えられていた。神の存在の弁証も自然科学的な因果論的推測に基づき、結果から原因を探ろうとしている。被造世界を観察することで、神の神性を知ることができると考え、観察によって知れることは、被造物がすべて陽性と陰性の二性による授受作用(相互作用)により存在するということであり、存在というものは性相(内性、性質を示す内性)と形状(外形、内性が現れた外形)の二相を持つとしている。
神は霊とエネルギーという二重の性質からなるとされ、この2つによってあらゆるものが生まれるとされる。神はエデンの園でアダムとエバを作り、神自身の二重性を反映させた。人間には外形である肉体と、内性である精神が備わっているとされる。 神の内性の本質は心とも呼ばれ、神がどのように人間の復活を達成しようとしているかを理解するには、神の心にある愛、喜び、悲しみといった、もっとも奥深い神の感情を理解することが重要であると考えられている。人間は神の似姿として想像されたのだから、神は男性的な面と女性的な面の両方を持つと考えられているが、習慣的に神は男性として「父」と呼ばれている。 被造物がすべて陽性と陰性の二性を持つという考え方は陰陽二元論であり、宗教社会学者の櫻井義秀は、「この発想は統一教会が人間を男性性と女性性において理解し、双方の性質が合体した時に繁栄・繁殖がもたらされるという基本的なモチーフから出てきている」と述べ、極めて民族的、東アジア的な感覚に根差したものであり、イスラエル・アラブの民の神の理解と著しく異なることを指摘している。内と外、男性と女性は対極にあるのではなく、それぞれがもう一方の要素を内在していると考えられている。 |
四位基台 |
四位基台という概念は、神と、神の二性性相から生まれた男性(主体)、女性(客体)、男女の相互作用(授受作用)で生まれた子(合性体)が、それぞれほかの3つの対象と相互作用を持ち、「主体と合性一体化をなすという菱型モデル」である。 |
祝福 |
イエス・キリストによる救済は霊的救済のみに留まり、子孫を残さず天に上げられたため、肉的救済は次のメシヤである文鮮明に託されており、悪魔の血筋を絶つためには文鮮明直々の祝福が必要とされている。文鮮明夫妻が人類の真の父母として信者に「祝福」を与えなければならないとしている。 祝福は、文鮮明夫妻司式の合同結婚式で教祖に配偶者を決めてもらう信者同士の結婚である。結婚したカップルだけが天の御国に入ることができ、祝福を受けた家庭からは原罪のない(悪魔の血筋を引かない)子供が生まれるとされており、特に重要な儀式である。祝福は象徴的な堕落の撤回のプロセスであり、これによってサタンの血統から自由になり、メシアの血統に結び付けられる。無原罪の子をなし、神を中心とする家庭を完成させることが目的であるとされる。昔は文鮮明が信者の結婚相手を選んでいたが、現在は信者登録するとマッチングサポーターが好みのタイプの信者を紹介してくれる。 祝福では、メシアとの一体化による「血統転換」を象徴する秘儀ともとることができる「聖酒式」が行われていた。初期の合同結婚式では、新婦が「聖酒」を半分飲み、残りを新郎が飲み干す儀式が行われていた。儀式に使われるワインには、文鮮明と韓鶴子の結婚式で使われたワインがわずかに含まれ、受け手の血統を転換する力があるとされる。 1992年時点では聖酒式ではなく、文夫妻が参加者一人一人に水滴をかける「聖水儀式」が行われていた。また祝福を受ける前には、すべての罪を贖い合うことを象徴する、結婚する男女が互いにバットのような棒で互いの臀部を3回たたく「蕩減棒」という儀式も行われた。挙式後は家庭生活に入る前に、最低40日間の「聖別期間」という心身を清める準備期間があり、夫婦の性交はその後に行われる。最初の性交には詳細な手順が決められている。 カップルのマッチングの権威は、文鮮明から各国の祝福委員会に次第に移譲された。祝福を受けた妻たちがスタッフとして入るなどしているこの委員会が、資格を持った候補者たちを、相手の好みのデータを基に組み合わせる。相手が気に入らなければ、断って次の紹介を頼む人もいる。 現在では、40日間の分離期間を除く蕩減条件は削除されている。いずれにしても、過去から現在に至るまで教団で祝福する男女のカップルのマッチングは、女性(妻)の方が1〜4歳程度年長である「姉さん女房」となるように組み合わせられる場合が多い。教祖一家である文一族や既成祝福の場合を除き、男性(夫)が年長者であるカップルは稀である。 宗教学者のダグラス・E・コーワン、宗教社会学者のデイヴィッド・G・ブロムリー は、初期には祝福を受けるために多くの奉仕が求められたが、現在は候補者は24歳以上で3年以上会員であることが求められ、儀式も簡素化されていると述べている。 1992年には、祝福には非会員も候補に入れられるようになり、90年代半ばには、存命中の信者と亡くなった配偶者との再結合、信者の先祖も祝福の候補に含まれるようになった。2016年の合同結婚式には、主催者によると62カ国から約3000組が参加し、うち日本からは778人、オンラインでも世界から1万2000組が参加したという。会場で結婚した3000組のうち1000組は新規の結婚で、残りの2000組は入信前に結婚しており、改めて祝福を受けるために出席した。 ジャーナリストの鶴野充茂は、統一教会によると、コミュニティ内の出生率は第二次ベビーブーム時並みの2.1人、基本的には結婚率100%で、離婚率は1.7%と非常に低いと述べている。 2016年5月、フジテレビの番組「みんなのニュース」の中で、合同結婚式が取り上げられており、かつては直接会ったことがない信者同士を文鮮明氏が“組み合わせ”ていたが、現在は、教団のマッチングサポーターと呼ばれる仲人が、信者から希望をヒアリングして、信者の相手探しを手伝うことになっている、と報道されている。 |
同性愛 |
統一教会は祝福による男女の結婚・家族形成による救いを主張しているので、それに反する同性愛は「創造の原理に反する不自然な関係」であるとして否定・批判している。統一教会は「同性愛は倫理道徳の問題であり、人権問題ではない」、「キリスト教はもちろんのこと、同性愛を“罪”とみなすのは、古今東西の主要な宗教で共通している」と述べている。同性婚を認めれば、「不倫はもちろんのこと、一夫多妻や近親相姦などの“権利”を主張することも可能となる。さらには、文字にするのもおぞましいが、『獣婚』(獣姦、動物とセックスすること)も論理的には認めざるを得なくなる」と、国や時代でも大きく異なる複婚・ポリアモリーや近親婚などへの偏見や蔑視を交えて主張している。 |
霊魂観 |
統一原理では、アジア的な霊魂観が説かれている。被造世界は神に似た人間を標本に創造されたため、あらゆる存在は心と体からなる人間に似ているとされ、独特な霊界、霊人間の存在が説かれる。霊界は霊的な五官で知覚される実在世界であるという。霊人間は現実の人間の合わせ鏡のようなものであり、霊魂を浄化するには身体の浄化や贖罪が必要であり、それをしなければ地獄行きであるとされる。天国には地上に建設される地上天国と、その建設に伴ってできる霊界の天国があり、死後に霊界天国で安らぐために地上天国の建設が目指される。 |
終末観 |
現在は、サタンの支配する罪悪世界から、神が支配する創造理想世界に転換される終末(末世)であるとされる。 |
復活 |
復活とは、サタンの支配圏に堕ちた立場から、神の支配圏内に復帰するその過程を意味するとされる。統一教会では、イエスが埋葬された3日後に弟子たちの前に現れた復活など、キリスト教の伝統的な復活論は全く顧みられていない。聖徒、善霊、悪霊といった霊界をさまよう霊は、地上の人間に憑依して思いを遂げるとされ、霊たちの助けで摂理が進むとされる。 |
蕩減(とうげん) |
原義(朝鮮起源の漢字語) は、借金を全部帳消しにすること。借債を悉く免除してやること。remission(ゆるし)。「蕩」の字義は「すっかり無くする。『蕩尽/掃蕩』」。韓国では一般に金融用語として「債務の減免」の意味で使われ、頻繁にマスコミに登場する。また韓国語聖書で負債や罪の「ゆるし」の訳に用いられており、韓国のキリスト教会の教でも頻繁に用いられる。キリスト教の基本的用語にも関わらず信者達は原義を知らない。 「本来の位置と状態を復帰するために必要な条件を立てる(満たす)こと」、英訳は「indemnity(賠償)」。救済、正確には復帰のプロセスは、神と人間の関係という縦の次元と、人間同士の関係という横の次元がある。復帰は、信心や行いではなく、蕩減(とうげん。償いの意)によって得られるとされる。人類はメシアが出現できるだけの「基台」を築くように務めなければならない。救済の摂理において、神の責任分担は95%、人類の自己責任分が5%であるとされる。神が求めるのは、人間の罪を償いうるに足る以下のものだが、その正確な量は神によって決められるとされる。摂理の成就は、信者の信仰と働き次第であり、よって完全な献身を求められる。 |
体恤 原義は、己の身を其の人の境遇に置いて察しあわれむ。上位にいる者が下位の者の困難な事情を理解して面倒をみてやり助けてやること。compassion。韓国語聖書に「憐れみ」の意味で数箇所訳されている。そのため韓国キリスト教会の説教テーマにも用いられる。キリスト教の基本的用語にも関わらず信者達は原義を知らない。 概して体得、血肉化というような意味に理解され、内部教材にはexperience(体験),incarnation(受肉)と記載されている。作家・萩原遼は著書「淫教のメシヤ・文鮮明伝」で「血分け教(イスラエル修道院、統一教会)では『血肉化する』という意味に用いている」として「血分け」と結びつけている。 |
受肉 原義は、神が人の形をとって現れること。キリスト教では、神の子キリストがイエスという人間性をとって、この地上に生まれたこと。托身。化身。Incarnation。キリスト教の基本的用語にも関わらず信者達は原義を知らない。内部教材には体恤と同義語として記載されている。 |
日本「エバ」論 |
日本のセミナー等で、原理講論で説かれる堕落の経緯と復帰の歴史が次のように説明される。韓国は「アダムの国」、日本は「エバ(イブ)の国」である。エバ(イブ)は禁断の果実をかじるという罪を犯した。先に堕落したエバがアダムに侍ることは当然である。1910年から45年までの植民地統治により朝鮮民族の尊厳を踏みにじった日本はエバと同じであり韓国に贖罪しなければならない。日本と韓国を歴史的な伝統から見た時、ふたつの国は合いません。すべてが恨みや敵対関係になってしまいます。だとしたら、これをどうまとめていかなくてはならないのか、これが問題です。日本が、韓国と敵となっているなか、韓国に対する感情を解き、米国に対する感情を解くためには何をもって…何をもってこれを解くことができるか。それは教育しかありません、教育。どんな教育? 私たち(統一教会)の原則によってです。原理のみことばを中心に日本を教育するのです。共産主義に対抗することで韓国と日本が手を合わせなくてはならないのです。日本は一神教を定着させられなかった国であり、何より韓国の怨讐となった国である。「(しかし)心配しないでください。私が日本をイヴの国として育てます」、「日本を育てる」、「自民党を育てる」。これからの問題は何か? 国を建て直すのです。韓国なら韓国の大統領選挙において私たちが旗手にならねばならず、日本の首相選挙(自民党総裁選)の旗手にならなければならず、米国大統領選挙の旗手にならなければならず、国連の事務総長選挙の旗手にならなくてはならないのです。それを誰がすべきか? 日本から来た信者を中心として、日本の国を売っでてもこの仕事をしなければなりません。分かりましたか?
「総裁選にまで影響を持ちなさい」。
合同結婚式では、日本人女性・韓国人男性のカップルが多く生み出されており、結婚した日本人女性は韓国人の夫や家族に尽くすことが求められる。サタンと姦淫したエバである日本とアダムとされる韓国という構図で規定される。朝鮮半島は男性器、日本は女性の陰部といった比喩も存在する。 |
ライター
吉崎エイジーニョ 日韓比較文化論・朝鮮半島論・サッカー全般。20代より日韓両国のメディアで「日韓サッカーのニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりストレートにぶつかる日韓関係」を見てきました。もっとサッカーのことを書いているはずでしたが、人生ままならず。現在はK-POPから南北関係まで「外国語力を生かしたニュース提供」を志向。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。本名は吉崎英治。 |
旧・統一協会(天の父母様聖会・世界平和統一家庭連合)の創設者で自称再臨のメシアとして崇められた故・文鮮明(ムン・ソンミョン)氏の三男・文 顕進(ムン・ヒョンジン)氏が自らを「再臨したイエスの実体である」と宣言し、「第4のアダム」と名乗った上で宗教活動を行なっている。顕進氏は今年2月12日の協会行事の中で自分の名によって祈り神格性を露わにした。顕進氏は「家庭平和協会(Family Peace Association)」という平和運動団体を設立、現在も団体を率いている。協会側の主張では「宗教ではなく、家庭平和を掲げる団体である」と説明しているが、実際は統一協会から離脱した「分派」であり、文 顕進氏に追従する信者たちによって構成される宗教団体だ。顕進氏は父親である故・文鮮明氏から統一協会の後継者として指名され、正統な「王位」を継承したと強く主張を続けている。しかし、統一協会はこれを認めず、文鮮明氏が死去すると母親の韓鶴子(ハン・ハクジャ)氏が全権を掌握。自分がメシアだと宣言し、夫の「メシア性」を否定する発言を繰り返した。また、組織に背いたという理由から自分の息子である三男と七男を追放した。息子たちはそれぞれ宗教団体を立ち上げ、自分が正統な後継者だと主張。三男は家庭平和協会を設立し、七男はサンクチュアリ協会(世界平和統一聖殿)を立ち上げた。特に七男の文亨進(ムン・ヒョンジン=発音は同じ)氏は自分こそ父親の王位を継承した「王の王」と主張。米国を拠点に銃で武装し来たる「終末時代」の戦いに備えるなど過激な言動が目立つ。 |
「世界平和統一家庭連合」の続きの解説一覧
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統一協会に対してキリスト教(カトリック、プロテスタント)の正典は、聖書のみです。統一協会のように聖書以外に権威ある書はありません。聖書にも次のように書かれています。 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。 ヨハネの黙示録 22:18-19 新共同訳 この書物とは、おそらくヨハネ黙示録だとされますが、ヨハネ黙示録は聖書の最後に置かれています。そのことから、聖書全体をあらわすとも解釈されます。聖書以外に権威ある書物はつけくわえるな、とヨハネは言っていると私は思います。 新約聖書の27書が正典と認められたのは、第三回カルタゴ会議(397年)によって認定されました(参考サイト)。 キリスト教会の詳しい教えは、カトリック教会のカテキズムを学ぶとわかりやすいと思います。カトリック教会では聖書と聖伝(聖なる伝承)を大切にするに対して、プロテスタント教会は聖書のみに重点をおきます。しかし正典は聖書のみで共通している。日本で使われている聖書も、カトリック教会とプロテスタント教会の共同で翻訳した聖書(新共同訳、聖書協会共同訳)が、ミサや礼拝で使われています。プロテスタント教会では新改訳聖書を用いる教会もある。日本聖書協会より出版されている口語訳聖書は著作権フリーなので、一部この文章でも使用している。 メシアとは、救い主という意味で、聖書ではイエスに対して使われている。メシアのギリシャ語がキリストで、キリスト教ではナザレのイエスをメシアと信じている。聖書では、イエスが次のように言っている。 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 マタイによる福音書 24:4-5 新共同訳 https://cult110.info/unification-church-touitsukyoukai/family-peace- には、次のように書いています。
キリスト教では、十字架で死なれ復活したナザレのイエスのみがキリスト(メシア)と信じています。聖書ではイエスの弟子であったペトロは次のように言っています。
イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。
弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」
するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。マルコによる福音書 8:27-30 新共同訳 イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。 しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 ルカによる福音書 18:15-17 新共同訳 イエスは子どもたちこそ、神の国に近いと言われています。たとえ、献金できるお金がなくても、神さまは子どもたちの存在そのものを愛してくださるのです。大人になってたとえ貧しくても、神さまは私たちを愛してくださり、救ってくださるのです。神さまは、私たちの弱さや欠点を含めて、ありのままを愛してくださるのです。 イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。 そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。 マタイによる福音書 17:22-23 新共同訳
金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。 ヘブライ人への手紙 13:5 新共同訳
金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。 テモテへの手紙一 6:9 新共同訳
お金を持つことは悪いことではありません。しかし、お金に執着する宗教は、お金を信者から搾取します。聖書はその危険性について警告しています。
英語のwikipediaには、次のように書いています。
They say the Unification Church has a "ridiculous" doctrine that Japan, Eve's country, is obliged to pay money and people to Korea, Adam's country. According to Steven Hassan, Moon's theology is that Korea is the Adam country, the home of the ruling race destined to rule the world, and Japan is the Eve country, subordinate to Korea. 彼らは、統一教会には、エバの国である日本がアダムの国である韓国にお金と人を支払う義務があるという「ばかげた」教義があると言います. スティーブン・ハッサンによると、文鮮明の神学は、韓国は世界を支配する運命にある支配民族の本拠地であるアダムの国であり、日本は韓国に従属するエバの国である.
~聖書の創世記には、神がアダムとエバを造られたことが書かれています。
また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。 創世記 2:18, 21-22 口語訳
さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。 創世記 3:20 口語訳
聖書では神が最初に造られた人をアダムとよび、女性をエバといいます。この関係は、「ふさわしい助け手」という言葉と翻訳されています。ヘブライ語でエゼル(עֵ֖זֶר)と書かれています。それはどちらかが上にたって支配するのではなく、共に支えあう存在であり、パートナーな存在なのです。したがって、統一協会の教えである、日本がエバで韓国のアダムに仕える教えは、無理な聖書解釈であると思われます。 |
「文鮮明の統一教会 ― どんな事を信じているのか」。 文鮮明は,自著「危機に瀕するキリスト教と新しい希望」(邦題,「希望の到来『希望の日』講演集」)の中でこう述べています。「私は個人的にイエスと会いました。そして,神の嘆きが非常に大きいという啓示をうけました。今日も神はすべての人類の最終的な救済のために休みなく働いておられます。神はこの仕事を相続する神の闘士を必要としておられます」。文鮮明はこれが,神に関する不敬な発言と映るかもしれないことを認めています。数年前,文鮮明は講演の中でこう語りました。「今日まで,キリスト教に於て,我々は神を天国のあまりに高いところにおき,人間を地獄のあまりに低いところにおしこんできましたので,神と人間との間には超えることのできない断絶がありました」。神に関する文鮮明の概念は聖書の中に見られるものではありませんが,東洋の宗教を学ぶ人にはなじみ深いものでしょう。同じ講演の中で文鮮明はこう言いました。「人間は神の見えるかたちであり,神は人間の見えないかたちであります。人間は実体化した神なのであります。……人間はその価値に於て,神御自身と同様に重要なものなのです」。 文鮮明は世界の諸宗教の統一を世界の救済への第一歩と見ている。大抵のクリスチャンは天的なメシアに希望を寄せているが,「原理講論」は、キリストは「再臨のときも……地上で肉体をもって誕生される」に違いないと述べている。文鮮明の言う来たるべきメシアとは聖書のイエス・キリストではなく、ほかの人物、つまり今世紀に地上のどこかに生まれる男子のことです。その男子が生まれるのはどこか。「キリストが再び来られる東の国は韓国にほかならない」と「原理講論」は述べている。文鮮明の追随者たちは、文鮮明自身が約束のメシア、あるいは文鮮明の用いる言葉を使えば「再臨主」であると思いこませられている。 どうしてこの世には悪と苦しみが満ちているのか。アダムとエバがエデンの園で罪を犯したからである。「人間の悪なる歴史の土台はすえられ,サタンはこの世の支配者となったのです。……そして今や世界は,殺人と虚偽と盗みとに満ち満ちているのです」と文鮮明は述べている。 地球にはどんな将来があるのか。文鮮明の答えは次の通り。「ある宗教家たちは神が地球を焼き尽くすと言いますが,神は決してそのようなことはされません。罪を犯したのは人間であって宇宙ではありません。……それ故に聖書は『世は去り,世は来たる。しかし地は永遠に変わらない。』……と言っています」。「わたしたちは「終わりの日」に住んでいるので,間もなく「全ての人々が,真の父母を通して新たにつくりかえられるでしょう。全ての人々が,この世界に罪なき子供達を生み殖やすことができるようになるでしょう。……地上天国は,その時始まるのです」。 神の王国はどのようにして設立されるのか、この質問に対する文鮮明の答えは独特なものです。「結婚は,地上に神の国を実現するための最も重要な手段であります」。「イエスが結婚することを許されていたなら、罪なき神の国は,過去2000年の間ずっと現実のものであったはずなのです」。「イエスは、復帰されたエバの立場にある花嫁を迎え、最初の神を中心とした天的家庭をうち立てることを否定されたのです。その代わりに,イスラエルの人々はイエスを十字架にくぎづけてしまったのです」。 文鮮明に言わせると,イエスがゲッセマネの園で,「わたしの父よ,もしできることでしたら,この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイ 26:39)と祈られたのは,「イエス様は生きてその使命を果たしたかった」からだ,ということになります。その使命とは結婚をして,子供を育てることだったというのです。イエスの使命が果たされなかったために,わたしたちの時代に別のメシアが来て,結婚し,完全な子供たちを育て,人類が完全性に達するのを助けなければならない。「みなさんは,新たに『何の権威によってこれらのことを言うのか』と問われるかもしれません。私は霊界でイエス・キリストと話をしました」。 『人の子は,仕えてもらうためではなく,むしろ仕え,自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来たのです』(マタイ 20:28)。このイエスご自身の言葉に見られるように,イエスの使命のかぎとなる部分はこの点にありました。すなわち,アダムの罪深い子孫たちのために贖いの犠牲として自分の完全な命を与えることです。米国ルイジアナ州ニューオーリンズに集まった群衆に対して,文鮮明はこう語りました。「今,私は大胆な宣言を行なっています。イエス様は死ぬためにこられたのではありません。……もし神がその子を十字架につけようとされたなら,選民を整えた4000年間は必要ではなかったでしょう。神はイエスを野蛮人の一部族に送りこんで,もっと早く殺させることができたでしょう。……このようにイエス様はご自分の意志でもない,[神のご意志でもない,]人々の意志によって十字架上で亡くなられました」。 「わたしの口から出て行くわたしの言葉も,それと全く同じようになる。それは成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。それは必ずわたしの喜びとしたことを行ない,わたしがそれを送り出したことに関して確かな成功を収める」(イザヤ 55:11) 。 神の預言すべてが成就するには,メシアがその最初に現われる時に退けられ,戻られる時に栄光を受けて勝ち誇っていなければならないことは明らかです。ダニエル書 7章13,14節が明確にしている通り,イエスは地上の人間としてではなく,日を経た方であられるエホバ神に直接その天的な法廷で近付くことのできる力強い霊的被造物として勝ち誇って戻られます。ところが,統一教会はこの問題に関する聖書の明確な証言を受け入れません。同教会は地上で子供を育てる肉身のメシアを信じることの方を望むからです。そのような教理を正当化するために,文鮮明は将来を予知する神の能力を否定します。それで,弱い神,すなわち『人間と同じほどの価値しかない』方を宣べ伝えているのです。文鮮明は,「ある意味では,人間の裏切る才能の故に神もサタンも人間を恐れています」とまで言っています。文鮮明の語るこの「神」は,ご自分の壮大な約束を聖書に記録させた全能の神なるエホバでは決してありません。 「それでは,十字架の犠牲は全く無為に帰したのであろうか」と「原理講論」は質問を提起してから,こう答えている。「決してそうではない(ヨハネ 3:16)。もしそうであったとしたら,今日のキリスト教の歴史はあり得なかったのである」。「もし,イエスが十字架で死ななかったならば……イエスは霊肉両面の救いの摂理を完遂されたであろう。……彼は……地上天国を建設されたはずであった」。 統一教会は,「蕩減復帰」と呼ばれる複雑な贖いの教理を展開している。「堕落によって創造本然の位置と状態から離れるようになってしまった人間が,再びその本然の位置と状態を復帰しようとすれば,必ずそこに,その必要を埋めるに足る或る条件を立てなければならない」。使徒パウロは次のように書きました。「すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからであり,彼らがキリスト・イエスの払った贖いによる釈放を通し,神の過分のご親切によって義と宣せられるのは,無償の賜物としてなのです。わたしたちは,人は律法の業とは別に,信仰によって義と宣せられる,とみなすからです」(ローマ 3:23,24,28)。ユダヤ人はモーセの律法の業によって自分たちの義を実証できると考えていましたが,彼らは依然として「罪の奴隷」だとイエスは言われました。彼らはどのようにして自由にされるのでしょうか。イエスはこう言われました。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」(ヨハネ 8:31-34)。統一教会は明らかにイエスの言葉を踏み越えている。 文鮮明の弟子たちはだれの力によって預言し、『いろいろの能力を顕わして』いるのか。「預言の賜物があっても、それは廃される。異言があっても、それはや(む)」(コリント第一 13:8)と聖書は述べている。奇跡的な霊の賜物は、使徒たちおよび使徒たちに手を置かれてそのような賜物を受けた人々の死をもってやみました。神はそのような賜物を現在霊感によって与えることにより,ご自分のみ言葉に矛盾するようなことはされません。わたしたちの住む時代について,イエスははっきりと次のように警告されました。「その日には,多くの者がわたしに向かって、『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し、あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。しかしその時,わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」(マタイ 7:22,23)。 これは厳しい言葉です。そして,統一教会の会員はこの言葉を心に留めるべきです。彼らのかかわり合っている「霊人達」は死者であろうはずがなく,神からのものでもあり得ません。それらの霊人達はイエスが正に警告された活動に携わるよう鼓舞しているのですから,そのような霊的勢力は神の敵である最初の欺まん者,サタン悪魔からのものでしかあり得ません。その霊人達は,欺かれやすい人間を幾千年にもわたって惑わし,また虐待してきた悪霊たち,つまり邪悪な霊者たちにほかなりません。自分が「霊人達」と協力していると信じ込んで自ら悪霊につかれるのを許すのは,ゆゆしい誤りです。 「原理講論」は,弟子が「この悪霊の業を……喜んで受け入れれば,彼は自分か或いはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てることができる」と述べて,これら「霊人達」のある者が邪悪で,文鮮明の追随者たちを苦しめることがある,と率直に認めています。これを言い換えれば,文鮮明の追随者たちは,霊につかれて苦しめられることによって過去の罪が贖われ得ると教えられているのです!統一教会の中にこのような教理やならわしがあるのですから,しばしば言われるようにその会員が生気のない目つきをしているように見える場合があるのももっともなことです。場合によっては,疲労や粗末な食事がその原因であることも確かですが,これら若い人々の多くは悪霊に悩まされているということは十分に考えられます。なんという悲劇でしょう。また,元会員たちが同教会を離れたあと,何か月もの間ひどい精神的また感情的問題をしばしば訴えるのも驚くには当たりません。サイエンス・ダイジェスト誌に載せられた研究論文はこう伝えています。「この宗派の元会員たちは,見当識障害および異なった自分との間の“浮遊感”,周期的に起こる悪夢,幻覚,および妄想,また困惑させたり気力を奪ったりする“心霊”現象の事例を訴える」。 わたしたちが「終わりの日」に住んでおり,神の王国が間もなく幸福で従順な人々の満ちる地を治めると言っている点では、統一教会のこの観点は聖書通りです。しかし、聖書には、「終わりの日」のしるしとして次の詞がある。「偽キリストや偽預言者が起こり,できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして、大きなしるしや不思議を行なう(の)です」(マタイ 24:24)。文鮮明はこの「キリスト」また「預言者」ではないのか。 |
【キリスト教年鑑が統一協会の掲載をやめた理由】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
かつて統一協会系の「教会」に関する情報も掲載していたキリスト教年鑑が統一協会の掲載をやめた理由が次のように述べられている。Part I 座談会 A=神学者 B=牧師
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近年では、キリスト教の諸派の間で相互の対話や協力が盛んになったと聞きます。それではなぜ、「統一協会はキリスト教ではない」と言って排斥するのですか。もともとキリスト教にとって、「主は一人、信仰は一つ」(エフェソ4・5)です。そして、神の和解と愛を世界に告げ知らせる使命をもった教会が分裂していることは、キリスト教の本来のあるべき姿ではありません。このことに心を痛めるキリスト教の諸教派には、「エキュメニズム」と呼ばれる、信仰の一致を促進する運動が高まってきています。日本でも最近、諸教派が協力して、聖書の共通の日本語訳を完成させました。教派の区別なく同じ聖書をもっているのだから、同じ邦訳聖書を使いたい、という望みからです。このように諸教派が一緒に仕事をしたり、話しあったりする機会をもって、互いの伝統のよさを学びあうことは、とても有意義なことです。それによって自分の教会に足りない所などにも気づかされますし、キリスト教の信仰のもっている生命をもっと豊かにすることができます。 ところが残念ながら、このようなエキュメニズムの対象にはなりえない、キリスト教の名を語って人を惑わす新興宗教があります。「統一協会」もしくは「原理運動」(正式の名は「世界基督教統一神霊協会」)も、その一つです。巧妙な手段を使ってキリスト教の学校や諸機関にまぎれこみ、騙された人を引きずりこんで、あちこちに被害が出ていますから、教会の指導部では警戒せざるをえません。 統一教会は、文鮮明という教祖によって一九五四年に韓国で創立された、陰陽道とシャーマニズムが一体となった新興宗教です。文鮮明は聖書を勝手に解釈して、自分の都合のよいように用いますが、つまるところは、自分こそが再臨のメシアだ、と主張します。イエスがなしえなかった救いを、自分がもたらす、と言います。『原理講論』という教典があって、これが真理を初めて明らかにするものとされます。 統一協会の教えについてはここで詳述しませんが、どのような教えであれ、私たちにはキリスト教の正統信仰を見わけるために一つの鍵があります。それは、イエス・キリストをだれと言うか、を見ることです。イエスを通して神が歴史の中でただ一回限り、決定的なしかたで御自身を啓示されたのだ、イエスこそ神の絶対的な仲介者だ、と信じるのがキリスト教です。もしイエスがなしえなかったことを他の人がなす、と言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。また、聖書が明らかにしなかったことを、他の書物が啓示すると言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。これはキリスト教信仰の真髄をなすことです。 |
「東亜日報」によれば、教団側は1999年12月1日に「新時代新1000年を迎える特別誠心」というタイトルでプレスリリースを発行。献金の種類をこう伝えたこともある。 ▲總生祝献金 ▲天主勝利祝賀献金 ▲總蕩減献金 ▲救国献金 ▲定州平和公園造成基金※ ▲建国基金 ※定州(チョンジュ)=北朝鮮平安南道の文鮮明氏の故郷。 |
(私論.私見)