文鮮明の韓ユ同祖論

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和3).3.10日


【朝鮮ユダヤ同祖論、韓ユ同祖論
 「朝鮮ユダヤ同祖論」 がある。長く日ユ同祖論が注目されてきたが、ユダヤの歴史、風習、民族性を考察したその先には、朝鮮民族が浮かび上がる。
 ソロモン王の直系の血統から誕生するとされる。文鮮明は、セム族は黄色人種であり、古代イスラエル人の子孫が昔に韓国に移住した(韓ユ同祖論)と信じていたとされる。

 ■文鮮明教祖は「自分はソロモン王の直系の末裔」だと思っていた

 ソロモンは古代イスラエルの王で、メシアはユダ-ダビデ-ソロモン王の血統から誕生すると聖書で予言されている云々。1945年10月25日、文鮮明教祖は、イスラエル修道院で金百文から「ソロモン王の祝福」を受けたと述べている。その後、何かのキッカケで「自分はソロモン王の直系だ」と信じるようになり、聖書の予言どおり自分はメシアだと原理の摂理に自分を当てはめることになった。原理講論には、メシアは「ユダ-ダビデ-ソロモンの直系から誕生」するのと、ユダヤの血統は関係なく「キリスト教徒から誕生」する二種類の記載が同時に存在する。文教祖はどちらでも取れるように書いている。文教祖は「韓国はユダヤの風習や歴史背景が似ている」と述べるにとどまらず、昔に韓国に古代イスラエルの子孫がやってきて、その子孫の中でも自分はソロモン王の直系だと思い込んでいた。しかしその後、「自分はソロモン王の直系の子孫」と語らなくなった。文教祖は神の摂理の中心人物と自分の関係をこのように述べている。
『そんな立場に立つ時「アベルが私のゆえに血を流したのだな」ということを感じるのであり、「イエス様がそんな事情だったというのも、歴史過程にソロモン王やダビデ王という人々が現れたことも、私のゆえなのだなあ 。イエス様が復活されたことも、結局は私のゆえなのだなあ 」ということを感じるのです』(先烈たちの願い 1969年9月28日 前本部教会)。

 

 日本より韓国のほうがユダヤに似ている?(文教祖のみ言葉から)

 統一教会の文鮮明教祖は「ユダヤ民族と韓民族は神の摂理的・風習的にみて類似点が多い」と述べている。

 <へその緒>
 『韓国風俗が、3・7日をだいたいやるでしょう?「ハイ」これを見ると、我々の民族とユダヤの民がとてもよく似ているのです。旧約聖書を読んでみると祭事をやる方法というか、礼式のようなもの、あるいは祭器のようなものなど、その内容と風習がとてもよく似ているのです。そしてまた赤子が産まれて普通、三日目に臍の緒を埋めるのです。ところで我々も昔からそんな風習があるでしょう? 赤子が産まれれば、臍の緒を3日後に埋めるのです。近頃でもそうでしょう?「ハイ」また、死んでから三日後に葬式をやったり、あるいは結婚する時にまる三日席を設けるなど、このような事を見るとここには全て復帰時代のその時のために準備する、真に深い摂理のみ旨が潜んでいることを伺い知るのです。さらにはこの赤子に対して3・7日を守り、あるいは百日を守るなどこれはみな・・・百日ということは言い換えれば帰一数ですから、再び人間としてこの地上に新しい姿で生まれたという、心情的な基準をもってゆく最も重要な期間なのです。幼子も百日が過ぎれば、心が通じるようになるのです。このような事を見てみるとですね、天的に大きなみ旨があるのですよ』
 (三・七日の歴史的意義 1963年1月18日 前本部教会)

 <新婚初夜>
 『ユダヤの結婚式は、韓国の結婚式のようなのです。結婚の初夜には二本のろうそくをつけて、奥さんになる人が真っ白に化粧して、ほほに赤い丸を付けて部屋に入っていくのです。それでもし美人ではなく、気持ち悪いブスさんであったら、男は逃げていくのです。(笑い) 』。
 (家庭における女性の使命 1995年1月19日)
 
 ■文教祖が主張する韓国とユダヤの共通点・歴史的背景

 韓国とユダヤの共通点を統一教会の文鮮明教祖は次のように述べています。

(風習についての共通点は下記を参照)
韓国のすべての風習はユダヤ民族の風習とかなり似ています。(by文鮮明)1
韓国のすべての風習はユダヤ民族の風習とかなり似ています。(by文鮮明)2


<文教祖の説く「再臨主の誕生する国」の条件」>
『メシヤが来るべき国は、第一に小さい国である。第二に四〇〇〇年以上の歴史をもたなければならない。第三に単一民族でなければならない。第四に国家という国自体は不安定な状態だとしても、国の形態をもっていなければならない。たとえ属国だとしても……。第五は侵略をしてはならない。小さければ小さいほどいい。第六番目には問題の国であること。その民は、また多くの問題をもたなければならない。なぜなら、蕩減をしなければならない民だからである。歴史的過程において、このような名前をもった国は二つある。・・・そのように見る時、それはイスラエルと、東洋においては韓国なのである。』

 再臨主誕生については原理講論では二通りの解釈を含んでいて、原理講論内でも矛盾した見解になっている。


解釈1.原理講論 終末論(再臨主はユダ族・ダビデの子孫)
『ここにおいて、ダビデの若枝として誕生した獅子と記されているのは、とりもなおさず、キリストを意味するのである。』
※根拠になる聖書の聖句『「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」(ヨハネの黙示録)』

解釈2.原理講論 再臨論(再臨主はユダヤの子孫ではなくキリスト教徒で東方に国に誕生)
『イエスは、アブラハムの血統的な子孫たちに再臨されるのではなく、彼らの遺業を相続して実を結ぶ国に再臨されることを我々は知り、また、実を結ぶ国は、東方の国の中の一つであることも知った』

韓国の風習とユダヤの風習が酷似していると主張しているのは文鮮明教祖です


 文教祖は韓国のほうがユダヤに似ていると自慢として語っている。

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① 大晦日の大掃除の風習の類似性
② モチ と マツアー の言葉の類似性
③ 鏡餅 と マツアー を割って配る風習の類似性
④ 月の暦で年初めの15日になされたという共通点
つまり、日本のお正月の行事には、古代イスラエルの風習の名残が存在する・・・と言う事です。
(統一教会の真実 2012年1月2日記事「正月という行事の中のイスラエル 血と土 その2」より)
http://kurokango.blog50.fc2.com/blog-entry-317.html
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(※種なしパン(無酵母パン)はヘブライ語で「マッツァ(マッツォ)」といい、複数形では「モチ」というようです)

文教祖はイスラエル民族(ユダヤ民族)の風習が韓国の中にあると述べています。『韓国は歴史的に見ればユダヤ民族と似ています。極東のユダヤ民族だと言えます。』
(「み旨にかなった子女指導」より 1967年6月11日のみ言葉 前本部教会)

『韓国のすべての風習は、ユダヤ民族の風習と、かなり似ています。』
(「地上生活と霊界」より 1972年3月24日のみ言葉)


 文教祖は小正月に種無しパン(餅)を食べるユダヤの風習は韓国にあると述べています。韓民族こそ「ユダヤの末裔=選民」だという。

以下文教祖の「韓国が小正月に種無しパン(餅)を食べる」という説明のみ言葉です。
(実際に韓国でも小正月にはもち米、粟、きび、小豆、黒豆の入った「五穀飯(薬飯)」を食するところもあり、全般的には正月には韓国風雑煮は食しますが、鏡もちをお供えする慣習はありません)

『一月十四日、そこにはそういう時にはそのイスエラル民族において、「むこうへい(無酵餅)」か、「むこうびょう(無酵餅)」か。その中に入っていない餅を作っているという、そういう風習もあるんだね。種子のない餅を作ってる。それはまあ、民族まあ、風俗と見れば、実にその聖書的である。あらゆる方面がその合うんだね。だからあるイスラエル民族はある分派、分派が来てその連絡をもっているという。だから韓国は、東洋においてのユダヤ人みたいだ。だから韓国によって、日清戦争も、日露戦争も、大東亜戦争も韓国の為に起こったんだよ、事態は。みんなそういうになってるよ。アジアにおきまして、アジアを統合するにはなんとしても、韓国でなけりゃならない。韓国を手に入れなきゃならないというんだね。だから中国も韓国の為に、日本もそうだから、ロシアもそうだ。だからこの基準を中心として三国が衝突する基準になったんだから、そういう日露戦争とか日清戦争とか、そういう問題になってくるんだよ。それは東洋をその制覇するには韓国がとても要塞の地である。そうだろう。これ大陸をつなぐ梯子みたいなものだ。いつも韓国を中心として問題になっておった。それはそうならざるをえない。神がそういうその摂理上その眼中においている韓国だから、その周囲のサタンの世界において自然とそういう関係を持っているというんだね。』
(原理大修練会、再臨講義後におけるみ言葉 1967年6月30日)


<ユダヤと韓国は似ているという文教祖のみ言葉>

『そのような立場に立った国が韓国です。内外がユダヤ民族と似通った立場にあるのです。アジアにおいて地域的に見たなら、韓民族はユダヤ民族と歴史的に酷似した内容をたくさんもっています。韓民族の歴史を見れば、カイン・アベルの歴史がいつの時代を問うことなく反復する、そのような歴史を経てきました。外部の侵攻を受ける立場もありましたが、内部でもそのような複雑な内容をもってきました。』
(「神様の摂理から見た南北統一」より)


『先生の鼻は高く、つんとして特色があります。ユダヤ民族の鼻がつんとしているように、宗教的な素質をもっている民族はつんとした鼻をもっています。鼻はアダムを象徴します。鼻が高いということは、心が鋭いということです。芸術家や宗教的な素質をもった人は、大体鼻がつんとしているでしょう。なぜなら、目は神様を象徴し、鼻は人を象徴し、口は万物を象徴するからです。』
(「祝福家庭と理想天国」より)


韓国のすべての風習は、ユダヤ民族の風習と、かなり似ています。






(私論.私見)