「フレイザー報告書」考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).10.10日


【「フレイザー報告書」考】
 2022.10.26日、小西克哉『田舎のセックス教団』と見られていた旧統一教会の野望を40年前に見抜いていた、米「フレイザー報告書」の慧眼
 ついに山際経済再生相の更迭に踏み切った岸田内閣だが、旧統一教会問題の実態解明にむけてはまだまだ及び腰といえる。これとは対照的なのがアメリカだ。今から40年以上も前に政治と旧統一教会の関係が問題となったが、強い危機意識を持った連邦議会によって驚くほど精密な調査が行われていた。
 旧統一教会調査の「日米差」
 ここにきてようやく大臣がひとり”更迭”されたが、自民党によれば、旧統一教会と何らかの接点を持っていた議員は党内379人中179人にものぼる。本来ならば、カルト教団が与党自民党にいかに影響力を行使し、国政に干渉することがあったのかどうか、そして公正な民主主義が脅かされることはなかったのかなどにつき、きちんとした調査が必要なはずだ。だが、この期に及んで自民党は「点検」という小手先の調査でお茶を濁そうとしているように見える。車の車検じゃあるまいし、部品の交換で済む話ではないだろう。同じ「点検」でもアメリカの行った「点検」はMRIを使ったような精密検査だった。じつは今から40年以上も前に、アメリカでも政治と旧統一教会の関係が問題となり、連邦議会によって民主主義の「精密検査」が実施されたのだ。少々古い話なので、当時の時代背景を振り返っておこう。

 ことの発端は韓国の朴正熙(パク・チョンヒ)政権がKCIA(朴政権時の中央情報機関)や実業家を使って、不正に米国の内政・外交に影響力を及ぼしているのではないかという疑い、いわゆる「コリアゲート疑惑」(1976年)が浮上したことだった。ニクソン政権が在韓米軍の削減・撤退の方針を打ち出したのは1970年代初めのこと。そうなると北朝鮮への抑止がなくなってしまうことを危惧した韓国政府は米政界に働きかけ、その方針を撤回させようとした。その工作の重要な「実働部隊」となったのが、文鮮明率いる旧統一教会の関連組織だったのだ。「コリアゲート疑惑」の「点検」を担ったのは米下院の国際組織小委員会だった。民主党のフレイザー議員が委員長を務めたことから、「フレイザー委員会」とも呼ばれる。その「フレイザー委員会」が1977年から1年半にわたり、11カ国、1563回の聞き取り、123回の召喚状、20回の聴聞会、37人の証言記録をもとに作成したのが「フレイザー報告」である。その量は膨大でじつに447ページにも及んだ。
 危険な宗教カルトの本質を見抜く徹底ぶり
 これを読んで驚くのは、文鮮明が作った旧統一教会関連組織の本質を見事に見抜き、米国の政治機関が強い危機意識を持って対処したことが余すことなく記述されていることだ。「フレイザー報告書」は当時の旧統一教会がKCIAの方針で勢力を拡大し、海外の政治工作の手段として使われたと指摘している。たとえば、以下のような記述――。
 「1961 年の(韓国の)軍事クーデター直後、首相などを歴任した政治家・金鐘泌(キムジョンピル)がKCIAを設立し、新政権のための政治基盤として掌握した。1963年2月付のCIA未精査報告書によると、金鐘泌がKCIA長官時代、旧統一教会を組織化し、政治の駒として使っていた」(フレイザー報告書・354ページ)

 KCIAが旧統一教会を事実上、政治組織化したという表現に、教団側のスポークスマンは強く否定したとされる。しかし、報告書には1962年にサンフランシスコ・ホテルの一室で教団の古参幹部と金鐘泌が秘密会合を開き、その席で金鐘泌が「旧統一教会の活動を政治的に支援するが、内密にしてほしい」と発言したという会合参加者の証言が記載されている。こうして、それまで米国内で「田舎のセックス教団」(シカゴ・トリュビューン紙・1978年3月28日付)扱いされていた旧統一教会が、70年代になってKCAIが運営する国際的組織へと変貌したと、同報告書は分析している。
 教祖の性癖から政治活動の特徴まで
 旧統一教会の実態についての「点検」も綿密だ。1966年8月26日ソウル発の米国大使館極秘電報を公開し、そこに教団の実態がこう記されていたと報告している。
 「(旧統一)教会は聖書を性的に解釈し、宗教的経験はセックスと相関関係にあると主張する。教会の指導者、文鮮明は性的行為の数々で逮捕歴があるが、教団スポークスマンは『逮捕は事実だが、起訴には至らなかった』と反論している」

 また、教祖の性癖だけでなく、旧統一教会の政治活動の特徴についても教祖の文鮮明の発言を引用し、的確に分析している。まずは文発言から紹介しよう。
 「われわれが全力疾走できないひとつの要因は、勝共イデオロギーに基づいてわれわれの運動を教会として宣言できないことにある。我々の哲学、統一思想が神学教義に基づいていることを人々に理解させる必要がある。でなければ、勝共運動を教会運動につなげられない」(339ページ)
 「何事も政治的な表現で語ってはならない。『政治には関心がない。われわれは政治のためでなく、人道的動機でやっているのです』と説明しなければならない」(1974年当時、アメリカ政界工作として行った在韓米軍撤退反対デモの準備過程での信者向け発言)

 その上で報告書はこう指摘する。
 「免税団体が政治活動を制限されていることを十分に認識してか、文鮮明の機関(注・報告書では一連の統一教会関連組織をMoon Organizationと呼んでいる)のスポークスマンは政治活動を宗教的用語で説明することが多い」

 旧統一教会関係者がしばしば政治性の強い、生々しい内容を宗教的メタファー(暗喩)として語ることが多いのは、政治的表現を使うことのリスクを教祖自身が把握していたからだと報告書は見る。こうした分析に教団側は「われわれの共産主義思想や教義に対する感情は政治的感情ではなく、精神的・宗教的感情である。(中略)神に選ばれた国、韓国は共産主義の純粋な具現化としての北朝鮮に勝利しなければならない」(70年代に米国統一教会を主導したニール・サローネン氏・報告書339ページ)と反論したとされるが、これに対しても元信者の証言をもとにこうダメ押ししている。「(統一教会は)教会などではなく、明確な党派性を持った明らかな政治組織だ。Moon Organizationの目標は政治だ」(元信者で宗教コンサルタントも務めるアラン・ウッド北テキサス州立大学教員)
 工作チームには日本人女性信者も
 70年代初頭から中頃にかけて、旧統一教会は米中間選挙でさまざまな活動を行っていたが、もっとも力を入れたのは、ニクソン大統領の弾劾阻止だった。ウォータ―ゲート事件(1972年)をきっかけにニクソン弾劾へと動いた議会と世論を何とか止めようと動いたのだ。劇的な米中和解を実現し、「反共闘士」の看板を外してしまったニクソンをなぜ、教団が支援したのかと疑問に思うが、「フレイザー報告書」によれば、その狙いはアメリカ政治の流れを変えることで、教団に対する韓国政府の評価を高めることだったという。

 報告書は旧統一教会のハニートラップまがいの工作についても赤裸々に明かしている。それによると1971年、文鮮明の肝入りで少人数の若い女性信者が集められ、特別PRチームが編成されたという。その任務は、①議員やスタッフと親しくなり、②統一教会を理解させて否定的イメージを改善し、③議員やスタッフを韓国の支持者にする、の3つだ。それで、ある程度親しくなったらワシントン・ヒルトンのスィートルームで夕食を共にし、教団のPRビデオを見せるなど、詳細な手順が決められていたとされる。当初、女性信者チームは複数の日本人信者を筆頭に8人態勢だったが、のちに20名(うち男性信者3名)に増員され、約3年間に連邦議員5名とそのスタッフ5~6名がスィートルームに招待された(342ページ)。

 報告書には前出の米統一教会トップのニール・サローネンが「各々が文鮮明師がお作りになった別々の団体の所属であることを肝に銘じること」と発言し、アメリカのMoon Organizationが多様な個別団体の外見をとっていることの利点を強調したとの記述も見える。これこそが旧統一教会の原型といえるだろう。日本でも旧統一教会は多くのタコ足団体を持つコングロマリットの体裁をとり、教団本体を巧妙に覆い隠している。しかも、「フレイザー委員会」の徹底した調査でも、教団と接点を持つ議員がわずか数人どまりだったアメリカに比べ、日本は2年法定車検のような小手先の「点検」でさえ、数百人単位の政治家が旧統一教会と依存関係にあることがわかってしまった。その「汚染度」の差には呆然とするしかない。委員会「報告書」の結論と、その後、米国政治が統一教会とどう向き合ったのかについては、後編でお届する。
 「税逃れ、メディア戦略、ビジネス展開…旧統一教会がアメリカで行ってきた巧妙な政治工作
 今から約40年前、アメリカでも政治と旧統一教会の関係が問題となり、これに強い危機意識を持った「フレイザー委員会」によって綿密な調査が行われた。委員会はこの宗教カルトの本質をどう結論づけ、米議会はその後、教会とどう向き合ってきたのか?
 タコ足のような触手を持つ宗教・金融的グローバル帝国
 前編では、米議会のフレイザー委員会(1977~78年)をもとに、旧統一教会が韓国朴正熙政権下でKCIAの庇護を受け、米国政治工作を展開してきたことを述べた。ここからは委員会の「報告書」の結論と提言部分を中心に、報告書が教会の本質をどう見抜いたか、またその後の米国政治は旧統一教会とどういう付き合い方をしたのかを見ていきたい。まず報告書はその「要約と提言」で、旧統一教会の「組織的特性」を端的にこう指摘している。
  「文鮮明率いる統一教会や関連世俗団体は、基本的に単一の国際組織である。この組織は各部所の相互流動性、すなわち、人事・資産アセットを国際間で動かしたり、営利組織と非営利組織の間で動かすことで成り立っている」(387)ページ

 この分析ほど、旧統一教会の本質を射抜くものはない。今、自民党の多くの国会議員が統一教会の名称変更で、同一団体だという認識がなかったと言い訳している。政治家としてその弁明が通用するとはとても思えないが、多くの日本人にとって上記のような旧統一教会組織の特徴が、その実像をつかみきれずにいる理由のひとつになっていることはまちがいないだろう。ワシントン・ポスト紙が「無数のタコ足のような触手をもつ宗教的・金融的グローバル帝国」と表現したように、旧統一教会は世界平和統一家庭連合、天宙平和連合といった関連団体、友好団体と称するダミー団体を無数に持っている。この特性を包括的に把握するため、フレイザー委員会報告では、統一教会を含むすべての関連団体を包摂する概念として文鮮明機関(Moon Organization)という言葉を使用している。その上で、フレイザー報告書はこの機関の活動ぶりをこう記す。
  「文鮮明機関は営利事業や世俗組織を設立したり、(法人の)株主支配権を得る試みも行ってきた。また米国では政治活動も行ってきた。これらの活動の中には韓国政府に資するものや米国外交政策に影響を与えるものもあった。(中略)ディプロマット・ナショナル銀行の株主支配権を得るため、信者の名義を使い買収資金源を隠匿した。(中略)協会などの非課税団体を使って政治的・経済的活動を維持している。(中略)その目的や活動の多くが合法的とはいえ、同機関は組織的に、連邦政府の税法、移民法、銀行法、外為法、外国政府代理人登録法や、慈善事業関連の州法等に違反してきた」(387~88ページ)
 「課税対象の文鮮明機関が、免税団体への資金移動により、免税特権を得ていると信じるに足る理由がある。課税対象組織と免税組織を使い分けることで、文鮮明機関は連鎖反応的に財力を増やし、競合する組織に比べて大きな強みを持っている」(391ページ)

 タコ足のように無数の関連団体(彼らの用語でいう「摂理機関」)を使い分け、資金、マンパワー、情報を自由に動かして全体としてのMoon Organizationを維持・拡大させる。こうした旧統一教会の実態が、70年代のアメリカですでに分析されていたことはもっと注目されるべきだろう。
 官庁横断的タスクフォースによる調査を進言
 ただ、フレイザー委員会は教会の組織的特性については的確に見抜いたものの、教団資金の流れは充分に解明できずにいた。そこで、報告書は今後の課題として、文鮮明機関全体の財務申告をIRS(合衆国内国歳入庁:日本の国税庁のあたる)が強制捜査をすること、議会の歳入委員会や財務委員会が免税措置乱用禁止の立法が必要かどうかを検討すべきと提唱した。

 文鮮明機関が引き起こすさまざまな社会問題は、60年代半ばからアメリカの各政府機関で憂慮されてきたが、連邦行政府、議会、州政府、地方当局などの対応がバラバラで、中途半端だったことは否めない。国務省、移民帰化局(INS)や司法省などが別々に文鮮明機関の調査をしたが連携がなく、結果として徒労に終わったと報告書は述べているほどだ。そうした反省の上に立ち、報告書は今後の課題として証券取引委員会(SEC)や歳入庁(IRS)なども入れて、官庁横断的タスクフォースを作ってさらに調査を行うべきことを進言したのだ。日本ではようやく岸田首相が宗教法人法にある「質問権」行使による教団調査を文科省に指示したが、苦情や被害などの実態把握のために消費庁や法務省も動くなど、政府部内の役割分担はどうも釈然としない。これではまるで60年前のアメリカ政治のレベルと同等と言われても仕方ない。官庁横断的なタスクフォースが必要というフレイザー委員会の指摘は今後の日本にとって参考になるはずだ。
 旧統一教会の巻き返し
 多くの有益な提言を出したフレイザー委員会だが、78年に終了するとアメリカ政府内でのタスクフォースを作る動きはピタッと止まった。1980年にロナルド・レーガンがホワイトハウス入りすると、米政界は「レーガン革命」とも言うべき保守の時代に突入する。この変化は旧統一教会にとっては保守政界に食い込む絶好機となった。フレイザー委員会が警鐘を鳴らした「金の流れを追うべき」という“遺言”は、84年に文鮮明を脱税容疑で摘発し、有罪・収監という成果を生むが、その後の旧統一教会関連団体の世論工作はむしろ一段とヒートアップし、巧妙さを増していった。旧統一教会は福音派の有名テレビ伝道師やハーバード大の宗教学者、大物共和上院議員らなどを動員し、文鮮明の大統領特別恩赦アピールを大々的に展開していったのである。その結果、文鮮明は恩赦こそ獲得できなかったものの、1年半の刑期を5カ月減じて出所することができた。これ以降、アメリカにおいては政治を動かす重要なファクターが世論であることを痛感した文鮮明機関は、保守系新聞「ワシントン・タイムズ」創刊など、メディア戦略を一段と強化・巧妙化させた。財務面でも日本人コネクションを利用して独自の漁業・卸流通網を開拓し、80年代の米国寿司ブームを支えるレストラン事業や不動産事業を展開し、メディア業での赤字を埋め合わせることに成功した。
 謎の放火事件と転落死
 報告書が日の目を見る前後、旧統一教会の抵抗によってフレイザー委員会はさまざまな障害や困難に直面した。教会古参幹部で文鮮明の特別補佐兼通訳をつとめた朴普煕は召喚され、証言席でフレイザー委員長を共産主義ソビエトの代理人と面罵し、同委員長とスタッフに対して3千万ドルの名誉毀損訴訟を起こした(後に取り下げ)。また、78年の中間選挙時には信者らによるフレイザー議員の選挙活動の妨害工作もあった。その影響もあってか、フレイザー議員は落選し、さらに自宅が犯人不明の謎の放火にあっている。さらに84年には、委員会の主席調査スタッフだったR.ボッチャー氏(当時44歳)がニューヨークのアパート屋上から謎の転落死を遂げるということもあった。日本での聞き取り調査も順調ではなかった。報告書によれば、フレイザー委員会には複数の国会議員をはじめ、多くの日本人から「調査は日米関係も視野に入れて広範に調査すべき」との要望が寄せられていたという。そこで委員会としては権限を越えることになるとしながらも、スタッフが韓国での調査を終えた後に日本に立ち寄り、証言したいとする5人~10人ほどの日本人、韓国人に聞き取りをする準備を進めた。しかし、この調査は実現しなかった。日本政府当局がフレイザー委員会に非協力的で、委員会スタッフのビザ発給条件として「面接対象は米国人にかぎる」という制約を課したためだった。
 委員会に協力しなかった日本政府
 その非協力ぶりは「日本当局は当初、アメリカ大使館内での米国人ビジネスマンに対する聞き取りすら、ビザ条件外として却下したほどだった」と、報告書は特記している。日米両国の親密さを考えると、この日本政府の対応は不可解だ。フレイザー委員会の活動を制約したいという政治的思惑が日本政府側にあったのではないか。もっとも可能性が高いのは1972年8月、朴正熙(パク・チョンヒ)の政敵で韓国民主化を訴えていた金大中(キム・デジュン)が東京で拉致・誘拐され、5日後にソウルの自宅前で発見された事件との関連だ。当時から、KCIAや在日系組織暴力団・右翼の大物などの関与が取り沙汰されてきたが、日本の保守政権が拉致を黙認していたのではないかという説も根強い。事件の事後処理が日韓双方の微妙な曖昧決着で終わったこと、KCIAと旧統一教会が密接な関係を構築していたことなどを考えると、日本政府当局がフレイザー委員会による事件の「掘り起こし」を牽制した可能性は充分考えられる。フレイザー委員会の仕事はけっして完全ではなかったし、その提言も多くは実現することはなかった。文鮮明機関全体としての金の流れは解明できなかったし、税務当局を含む省庁横断的タスクフォースも実現しなかった。それほど統一教会の実態解明は一筋縄ではいかないということだろう。

 ひるがえって現在、岸田政権は「宗教法人取り消しに繋がる質問権行使」という初手の段階で右往左往している。宗教法人以外の関連団体(フレイザー委員会の言うMoon Organization)総体の人・モノ・金の調査にはまだまだ及び腰だというのが実情だ。1970年代、アメリカ民主党は上下両院・大統領府を握り「トリプル・ブルー」の政権与党だった。その政治基盤を生かし、与党のフレイザー委員長は文字通り、身を挺して旧統一教会に対峙し、できるかぎりの調査を行った。今、与党自民党内に「日本のフレイザー委員長」がいないことがこの国の悲劇なのだろう。
 小西克哉 こにし かつや

 東京外国語大学大学院卒(米国政治・外交)国際学修士

 サイマル・インターナショナルでの会議通訳を経て、テレビ朝日系『CNNデイ・ウォッチ』キャスターを始め、様々な報道番組でメイン・キャスター、コメンテーター、ラジオパーソナリティーを歴任。2009年から国際教養大学大学院客員教授に就任。






(私論.私見)