山口組系後藤組組長、後藤忠政の「憚りながら」

 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3).2.6日

 「★阿修羅♪ > 日本の事件32」の「新・ジャーナリズム 日時 2021 年 2 月 26 日」投稿「山口組系暴力団「後藤組」の組長が、創価学会からダーティーワーク(犯罪)の依頼を受けていたことを告白した」。
 山口組系暴力団『後藤組』の組長、後藤忠政氏は『憚りながら』という本を出して、創価学会からダーティーワーク(暴力、殺人、地上げ、敵対勢力の分断工作)を引き受けていたことを告白しました。
 元後藤組組長 後藤忠政(著)「憚りながら」 
 第4章 創価学会との攻防
 創価学会は、もともと日蓮正宗の信徒の集まりで、かつては富士宮の大石寺が本山だったから、地元で揉め事を扱っていた俺とは、自然と関わり合いも出てくるわな。初めて接点を持ったのは俺が三十二、三(歳)ぐらいの時(1975~76年)で、まだ川内組の枝だった頃だ。その5、6年ほど前(69~70年)から、学会は大石寺周辺の土地という土地を買い漁って、境内を拡張して大本堂(正本堂)を建てたり(72年建立)、その近くにバカでかい墓地(現在の「創価学会 富士桜自然墓地公園」、80年完成)を作ったりしていた。何しろあの当時、大石寺絡みの土地売買や建設工事で、富士宮に流れ込んだ金は莫大だったんだ。大本堂で300億円、富士桜(自然墓地公園)で2OO億円、その周りの土地を買うのに数百億円といった具合に、全部で1000億近くになったんじゃないか。もちろん、この学会の建設ラッシュで地元は潤ったが、俺たちにとっても昭和40年代、50年代の富士宮での最大の利権だった。それこそ、ヤクザ、堅気問わず、富士宮中の悪という悪が、その利権に群がって丁々発止を繰り広げたんだ。
 そんななか、富士桜の造成を一手に引き受けていたのが、地元じゃ有名な「日原」という男だった。日原博は富士宮市で建設・造園業「日原造園」を営む傍ら、1967(昭和42)年から富士宮市議、79(昭和54)年から静岡県議を務め、自民党富士宮支部支部長を兼ねる実力者だった。日原は地元じゃ、「影の市長」とか、「富士宮の小佐野賢治」とか呼ばれてさ。ちょっとした有名人だったんだよ。後で、この富士桜で儲けた金を隠してて、脱税で挙げられるんだけどな。その後も東名(高速道路)なんかに食い込んで、ポロ儲けしていた。バブルの時に手を広げ過ぎてパンクしちまったが、今でも再起を目指して頑張ってるそうだ。バイタリティーのある男だよ。
 俺は初め、その日原から頼まれて、用心棒みたいなことをやっていた。何しろ当時は"学会利権"にありつこうと、色んな悪い奴が次から次へと集まってきたから。ただ当時はまだ、俺もチンピラみたいなもんだったから、今から考えたら鼻くそみたいな小遣いで、日原のために動いてやったんだ。ところが、日原が、富士桜の儲けを独り占めするもんだから、他の業者から散々、反発を買ったんだよ。やり過ぎたんだ。墓石でもさ、台湾か中国で買ってくれば1000円か2000円程度のものを5000円で売って、据え付けたら1万円ぐらいになって、それが何万基もあるんだから。
 そんなこんなで日原は怪文書を撒かれたり、告発されたりしてたんだが、日原の悪口と一緒に、ウチの組の悪ロを書いたビラを、ご丁寧にも新聞に折り込んで撒いたMという男がいた。それに怒ったウチの若い衆が、相手ん家にブルドーザーで突っ込んだんだ。1977(昭和52)年11月21日、後藤組幹部が富士宮市内のM宅に12トン用の大型ブルドーザーで突入し、ブロック塀を10メートルにわたって破壊。その後、Mに日本刀で斬りつけ、左腕や背中などに2カ月の怪我を負わせ、翌日、殺人未遂の容疑で逮捕された。
 後から聞いた話だと、相手もなかなか腹の据わった奴だったらしいよ。「いつでも来い」とか言って、自分も日本刀持って寝てたらしいから。この事件でウチの若い衆は(懲役)6年食らったんだけど、実は日原の後ろにはあの「山崎正友」がいたんだ。日原と山崎は、それこそ二人三脚で富士桜を進めていたわけだ。
 山崎正友は当時、創価学会の顧問弁護士で、池田大作・創価学会会長(当時。現在は名誉会長)の”お庭番"であると同時に、「宮本顕治・共産党委員長宅盗聴事件」など、過去に創価学会が行なった数々のダーティーワークの指揮官でもあった。
 学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしてたんだ。大本堂を造る際に、市道を勝手に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな。それが(富士宮市)議会で問題になったり、道路法違反で池田大作が告発されたりしたんだよ。けど、この告発の黒幕が実は日原で、山崎は日原を懐柔するために日原と組んだんだ。それからは、何をするにも山崎と日原は二人三脚だった。ところがだんだん、学会と日原のこれまでやってきた悪事がバレてきて、富士宮の中でも左翼の連中を中心に「日原造園、創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」とかいうのができたりして、(創価学会に対する)反対運動が起こった。デモが起こるぐらいに盛り上がったんだが、その時に山崎から(反対運動が)「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから。
 一方の俺も、その頃には多少は力が付いてたから、もう日原なんか相手にしないで、山崎と直で話をしてたんだ。そのうち(富士宮市)議会に、「百条委員会」なんかができて、山崎を証人喚問に呼べだの、池田の名誉市民(称号) を取り消せだのという話になって、いよいよ学会がのつぴきならない状 況になってきた。(中略)
 ところが、創価学会に最初の内容証明を出して(83年3月)から3カ月後ぐらいに、富士宮署に突然、「後藤組壊滅対策本部」ができたんだ(同年6月設置)。当時はまだ、山一戦争も始まってなかったし、地元では、それまで散々大暴れしてたのに、そんなもんができたことは一度もなかったんだ。この対策本部ができてからというもの、ウチの若い衆が片っ端からバクられていった。それこそその辺にションベンしてもしょっ引かれて、1年足らずの間に60人以上がブチ込まれたんだ。ガサ(家宅捜索)の時は決まって、(静岡県警)本部から、わざわざ本部長がヘリに乗って飛んできて、(後藤組の)事務所の上をグルグル回って、本部長自ら、(家宅捜索を)指揮してたんだよ。
 その時、思ったね。ああ、そうか、お前ら(学会)はいざとなるとこんな汚い手使ってきやがるんだな、と。そりゃ、国会だったら公明党使って、警察庁に圧力かけりゃあいい話だし、池田のお膝元の(東京)都議会でも、公明党は昔から与党だったしな。予算握ってるもんで、警視庁に圧力かけるのも造作はないわ。
 けど、これには本当に頭にきた。「じゃあ、池田先生に直接、ものを言いに行くしかないわな」と思ったよ。そうこうしているうちに、若い衆が、池田が東京女子医大に入院したという話を聞きつけて、俺より先に「池田先生」に会いに行ったらしいわ(笑)。
 ところが、それを知った池田が急に退院しちゃったもんで、若い衆は(東京都新宿区)信濃町の学会本部(創価学会文化会館)まで出かけて行ったんだ。
 1985(昭和60)年11月12日、新宿区信濃町の創価学会文化会館で、発砲。銃刀法違反で後藤組系幹部ら3人が現行犯逮捕された。
 これには池田もビビっただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で "パン"って音がするんだから(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いのもんが飛んできて、詫びを入れてきたんだ。この人間は山崎と違ってまだ生きてるし、俺はべつにこの使いのもんが心底憎いとか、嫌いというわけじゃないから、本人の名誉のためにも「X」とでもしておこうか(笑)。
 「X」=藤井富雄・元公明党東京都議会議員
 このXが、山崎の後の、俺と学会との"窓口"になったわけだ。「陸軍中野学校の出身」とか言って、山崎がいなくなった後はこのXが "裏" の仕事を担当してたんだ。このXを通じて池田が詫びを入れてきたことで、その後はまた学会に協力してやることになったんだ。(中略)
 自分の手下に次から次へと居直られるような池田大作という男は、たいした人物じゃないってことだ。他人様から到底、褒められるような人物じゃないから、自分で自分を褒める本をせっせと作っては、学会の信者に買わせてな。ああいう見苦しい生き方もないもんだ。
 そんな池田が裏で何をしてたかといったら、山崎やXをパイプ役にして、俺たちヤクザを散々利用し、仕事が終われば 知らんぷりだ。
 それで俺たちがちょっとでも、もの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、今度は頬かむりだ。竹入さんにも、矢野さんにも、俺にした仕打ちとまったく同じことをしてるんだよ。だから、俺もこうして公の場で居直らせてもらったわけだ。
 それともうひとつ、創価学会、いや「池田教」が、この日本という国家を乗っ取ろうとしていることが、見過ごせないんだよ。日蓮正宗という宗教を利用して、人を集めて、会員にして、その学会員から莫大なカネを上納させてさ。日本では信教の自由が認められているから、キリスト教だろうが、日蓮正宗だろうが、わけの分からん新興宗教だろうが、宗教を持つこと自体は構わんよ。けど、それ以上のこと、公明党を作って政治に入り込んだり、創価大学作って、"優秀な人材" を官僚にしたり、法曹界を牛耳るために人を送り込んだりしちゃいかんだろう。
 外務省には、池田にノーベル平和賞を取らせるためだけに働く、学会員の組織があるらしいじやないか。法務省にも、池田を守るための組織ってものがあるんだろ? だいたい神崎(武法元衆議院議員)にしろ、浜四津(敏子・参議院議員)にしろ、もともとはあの山崎の弟子だしな。どんな宗教信じるかは勝手だ。しかし、その宗教のために 国会や官僚組織に入り込むというのは、筋が違うんじゃねえか。特定の宗教の利益を目的とする人間が、国家権力の中枢にいるのはまずいよ。
 あいつら(学会)が何を信じようと勝手だ。また池田個人がどんな考えを 持っていようと構わん。
 だけど、その宗教の理屈を国に持ち込む、さらにはそれで牛耳ろうとするのは、少なくとも自由主義国家じゃ許されることじゃねえだろ。そもそもこんな組織(創価学会)が、「自公連立政権」だとか言って、国家の中枢でデカイ面してきたこと自体が、間違いなんだよ。

https://21cult.web.fc2.com/bou.htm

https://soka-news.jp/boryokudan.html

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 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK290」の「西大寺 日時 2023 年 6 月 29 日」「山口組系元組長が創価学会との関係を告発する書を上梓 創価学会から殺人や破壊工作の依頼も受けて学会の敵を殺した (政教分離を考える会)」。
 山口組系元組長が創価学会との関係を告発する書を上梓
 創価学会から殺人や破壊工作の依頼も受けて学会の敵を殺した

 政教分離を考える会 
 https://seikyoubunri.web.fc2.com/myweb11_007.htm

 山口組系元組長がはじめて告白した創価学会との関係

 日本最大の暴力団、山口組の「武闘派」として知られ、一昨年引退した後藤組の後藤忠政・元組長が回想録『憚りながら』を出版する。注目すべきは、公明党の支持母体「創価学会」との知られざる関係が初めて明らかにされている点だ。 創価学会は七〇年代から、富士宮市の「大石寺」周辺の土地を買収。富士桜自然墓地公園など数々の施設を造成した。が、その過程で地元との軋轢が生じ、大規模な反対運動に見舞われた。それを押さえ込むために学会が利用したのが、後藤組だったという。当時、後藤元組長との窓口になったのは、創価学会の顧問弁護士で、池田大作・創価学会名誉会長の片腕として知られた山崎正友氏(故人)。後藤元組長は本書の中でこう述懐する。
〈あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから〉

 この山崎氏のあとを継いだのが学会幹部のXだった。
〈(Xは)私利私欲じゃなしに、俺とのトラブルを含め、学会の抱えているさまざまな問題を何とか収めようという姿勢だった。(中略)俺自身はXを悪い人間 とは思っていない。一番の悪はやっぱり裏で、山崎だの、Xだのに?汚れ仕事?させといて、表では善意に満ち盗れた教祖サマ面してる、池田大作だろうな〉

 後藤元組長は、Xの素性を明かしていないが、本書によれば、池田名誉会長の側近といわれる元公明党最高顧問の藤井富雄・元東京都議であるという。後藤元組長と藤井元都議との密接な関係や、二人の?密会ビデオ?の存在も明らかにされている。今回、創価学会との関係について明らかにした理由について、後藤元組長はこう語る。
〈学会、いや、池田大作のために、それまで散々働いてきた連中や、俺 みたいに協力してきた人間を、用済みになったと思ったら、簡単に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ〉
 創価学会広報室は、「(後藤組元組長に依頼した点や、元組長と藤井元都議との関係について)そのような事実はございません」と回答した。
 池田名誉会長は何を思う?
 「X」=藤井富雄・元公明党東京都議会議員
 「週刊文春」平成22年5月20日号

 山口組屈指の武闘派として恐れられた大幹部が初めての自叙伝を上梓!
 元後藤組 組長(後藤忠政氏)が明かした「ヤクザと創価学会の真実」

 一宗教法人が、実は暴力団組織の力を利用し、国政を左右するほどまでに勢力を伸ばしていたとなれば、その法人格は即刻、剥奪されて然るべきだろう。創価学会が犯した大罪を、あの元組長が激白した――。全国827万世帯に信者を持つと言われる巨大宗教団体・創価学会に、大スキャンダルが持ち上がった。同団体のさまざまな活動において、名誉会長の池田大作氏(82)の了解のもと、ヤクザの協力を仰いでいたとする証言が飛び出したのだ。その当事者として名乗り出たのは、一昨年まで日本最大の極道組織・山口組の2次団体、後藤組(本部=静岡県富士宮市)を率いていた後藤忠政氏(67、本 名・忠正)である。後藤氏はこのほど、自身初の自叙伝『憚りながら』(宝島社刊=5月15日発売)を上梓。同書は、山口組きっての武闘派と言われた後藤氏が半生を振り返りつつ、関与を取り沙汰された事件や政財界の人脈、裏社会から見続けた世間のありようなどをモノローグ形式で語ったもので、日本の裏面史を 辿るうえでも興味深い内容となっている。問題の箇所は「創価学会との攻防」と題した章だ。後藤氏によれば、創価学会との関係が生まれたのは'75~'76年頃のこと。創価学会はもともと日蓮正宗の信徒の集まりで、かつては富士宮市の大石寺を本山としており、後藤組とは本拠が同じという共通項があった。創価学会が後藤氏の力を必要としたのは、'69~'70年頃から大石寺周辺の土地を買い占め、大本堂建立や「創価学会富士桜自然墓地公園」造成といった総額1000億円に及ぶ大規模事業を進めていたためである。つまり、巨大利権にまつわるトラブル処理のため、後藤組を用心棒として使ったうえ、ダーティーワークも任せていたというわけだ。当時の創価学会の顧問弁護士で、学会と後藤氏を繋ぐパイプ役でもあった山崎正友氏(故人)が、後年に創価学会を追放されてから著した『懺悔の告発』によれば、最後まで学会に抵抗した人物に対して、後藤組組員はその自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で片腕を切り落としたとある。(のちに被害者死亡)さらに、創価学会自体のやり方も強引そのもので、後藤氏いわく学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしていたんだ。大本堂を造る際に、市道を勝手 に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな〉といったもの。こうした行状から創価学会に対する反対運動が起き、後藤氏は前述の山崎氏から こう持ちかけられたという。
〈山崎から「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は 持ってたんだ。実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから〉

 しかし、後藤組が介入してもなお、反対運動は鎮静化せず、富士宮市議会では'80年末から、関係者の証人喚問、強制調査、さらには証言拒否や偽証には禁錮や罰金刑を科せる「百条委員会」の設置に向けた動きが始まった。議会には山崎氏の証人喚問、池田氏に与えていた名誉市民称号の取り消しを求める声も噴出。窮地に陥った学会は、再び後藤組を頼った。
〈この間('80年)、山崎は学会を破門(除名)になって失脚するんだけど、山崎が作った俺とのパイプは生 きていて、今度は地元の公明党の連中を通じて(百条委員会を)「何とかして欲しい」という相談があったんだ。それで(百条委員会設置)賛成派の連中に? 話?をしたわけだ〉

 結果は創価学会の思惑通りに。百条委員会は'81年春に設置されたものの、公明党などの猛烈な切り崩しにより、何ら機能しないまま同年末に解体されたのだ。だが、その直後、創価学会と後藤氏の縁はいったん切れる。後藤氏によれば、学会が後藤組を切り捨てようとしたためで、憤激した後藤氏は竹入義勝・公明党委員長、矢野絢也・公明党書記長(肩書はいずれも当時)に、二度にわたって内容証明を送付した。しかし、学会が黙殺したうえ、'83年6月に突然、富士宮署に「後藤組潰滅対策本部」が設置されたことから、後藤氏はこれを学会の差し金と見て激怒。'85年11月には後藤組系幹部らが創価学会文化会館(東京・ 信濃町)に発砲し、逮捕される事件が発生する。この件について、後藤氏は、〈これには池田もビビッただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で?パン?って音がするんだから(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いが飛んできて、詫びを入れてきたんだ〉という。これがキッカケで、創価学会と後藤氏は再び協力関係に。新たな窓口は、後藤氏のもとへ謝罪に訪れた前述の?池田の使い?で、後藤氏はこの人物を「X」と呼称し、前述の山崎氏が学会から追放された後は〈このXが?裏?の仕事を担当していたんだ〉と述べている。同書は注釈として、後藤氏が「X」の正体を一切語ろうとしないとしたうえで、これまでの報道などから、この人物が池田氏の側近中の側近と言われた〈藤井富雄・元公明党東京都議会議員であることは、もはや疑いようのない事実だ〉と付記している。

 さらに、次の二つの事実も記載。一つは'91 年に日蓮正宗が創価学会を破門し、対立が激化すると、日蓮正宗の総本山・大石寺で発砲事件などが発生したこと。もう一つは、'95年辺月頃、藤井氏と後藤氏が映った?密会ビデオ?の存在が政界で噂され、これを材料に、与党の自民党が住専国会で新進党を切り崩したとされることだ。後藤氏自身は前述の大石寺を巡る事件には何も触れておらず、密会ビデオについても、事実関係こそ認めているものの、〈どんな会話をしたかなんて、そんなことは憶えちゃいない。当時はXとしょっちゅう?密会?してたもんでな(笑)〉としか答えていない。自分自身もしくは旧後藤組関係者を守ろうとしているのか、このような調子で事件の核心部分となると言を避けている印象が拭えないのは確かだ。だが、それを割り引いても、学会と後藤氏が緊密な関係にあったことは十分に窺い知れる。後藤氏が今になって創価学会との関係を明かした理由は、義憤にあるという。「創価学会は人を利用するだけ利用して、用済みとなれば簡単に切り捨ててきた」、「?池田教?が国家権力の中枢に入り込み、日本を乗っ取ろうとしている」と糾弾したうえで、〈一番の悪はやっぱり裏で、山崎だの、Xだのに?汚れ仕事?をさせといて、表では善意に満ち溢れた教祖サマ面してる、池田大作だろうな〉と、痛烈に批判しているのだ。創価学会が後藤氏の弁をどのように受け止めるかは、同書が発売される5月15日以降の反応を待つしかない。だが、後藤氏は、創価学会と袂を分かち、現在は反学会の立場で論陣を張る前述の矢野絢也氏を引き合いに出し、こうも述べる。
〈池田や学会、公明党がガタガタ言ってくるんなら、いつでも相手になってやるよ。なんなら民主党も、学会と反目になって『黒い手帖』とかいう本を出した矢野さんと俺を、国会で証人喚問したらどうだ〉。

 創価学会の出方が大いに注目される。

 「フライデー」平成22年5月28日号
 さらに詳しい情報はこちら。
 学会首脳も認めた、創価学会と暴力団後藤組の深い繋がり Naverまとめ
 https://21cult.web.fc2.com/bou.htm

 創価学会が暴力団に敵対勢力の殺しや破壊を依頼していたのだから、学会批判していた東村山市議が不審な転落死をしたのも創価学会の仕業かもしれない。続きは長井秀和さんの動画でどうぞ。
【長井秀和氏インタビュー第三回】
東村山女性市議「転落死」で一気に吹き出た『創価学会疑惑』!身の毛もよだつ事件の真相とは!?
創価学会と暴力団の関係性を徹底検証!事件担当検事が創価学会員!!
https://www.youtube.com/watch?v=I9yam6xaKEg

【長井秀和さん】創価学会から嫌がらせ訴訟…東村山市議の転落死事件の真相について聞きました【後編】
https://www.youtube.com/watch?v=PfteQ9J7hpo

【創価学会研究part9】尾行、監視、盗聴、無言電話、中傷ビラ、SNS誹謗中傷...組織的な嫌がらせの実態がひどすぎる
https://www.youtube.com/watch?v=LPoO1bNl2vc





(私論.私見)