ハーメネイー師の欧米の若者に向けたメッセージ1 |
(最新見直し2015.5.25日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2008.5.19日 れんだいこ拝 |
欧米の若者たちに向けた最高指導者のメッセージ(9)(2015/04/10) |
今回の番組では最高指導者の書簡について、アメリカの人種差別の歴史と白人によるアメリカの先住民の冷酷な殺害についてお話しすることにいたしましょう。
ここ数年、イスラム教国でイスラムの目覚めが起こり、西側の大国に結びついた政府が打倒された後、西側ではイスラム排斥の波が激しくなりました。植民地主義や圧制の歴史を伴う西側の権力主義の政治家たちは、今回、イスラムの人間を形成する文明の再生を妨げるため、新たな計画を企てました。イスラム勢力間の亀裂や対立、地域諸国でのイスラム教徒の大虐殺を目的にしたテログループへの支援、イスラムを捻じ曲げて伝えるためのこれらの犯罪についての強力なメディアの報道、慈悲深いイスラム教に反対するよう人々の感情を扇動するための全面的な努力がこうした計画に含まれます。イスラム教徒はイスラム諸国において冒涜という罪で、覇権主義者の育てたテロリストの暴力の犠牲になっている一方で、西側諸国ではイスラム教徒というだけで人種差別主義者の攻撃を受けています。 こうした状況の中、世界の多くのイスラム教徒が精神的指導者とみなしているイランイスラム革命最高指導者は、書簡の中で西側の若者たちにイスラムを直接知るよう呼びかけました。彼はこの書簡の中で、若者たちに対して、イスラムの啓典コーランや預言者の教義を通して正しいイスラムを知るよう求めました。さらに、他国の国民に対する西側の政府の圧制の歴史を指摘し、「西側の指導者は歴史の中で、彼らの非人道的な行動について世論が知るのを妨げてきた」と語りました。これに関して、これまでの番組ではフランスによるアルジェリア、イギリスによるインドの植民地支配についてお話ししました。今夜の番組では、アメリカの先住民が長い間、アメリカの白人政治家によって押し付けられてきた苦しみについてお話することにいたしましょう。 アメリカ人は、「この大陸に入ってきたとき、この土地には人類文明はなく、原住民の野蛮な人々だけが暮らしており、原住民もまた、伝染病や白人との名誉ある戦争で死亡した」という主張を行なっています。アメリカの先住民の数については多くの見解の相違が存在します。アメリカ政府の統計では、白人の移民が新世界に足を踏み入れた時、アメリカ先住民は100万人から200万人が暮らしており、彼らの人口は1900年には25万人に減少したとされています。これに関する意見の違いを終わらせるために、1950年、カリフォルニア大学が調査を開始し、アメリカの人口はコロンブスの時代には1億人だったが、今日アメリカ合衆国と名付けられている土地に住んでいる彼らの数は185万人だという結論に達しました。 コロンブスによってアメリカ大陸が発見される前、この土地にはアステカ、マヤ、インカ帝国など非常に古い文明が存在しました。マヤ人は最も有名なアメリカ先住民でした。マヤ族は中央アメリカの非常に進んだ文明の一つを生じさせた民族で、芸術や建築、天文学、数学などで大きな業績を残しています。マヤ人は新世界で文字を用いた最初の民族でした。アルファベットに近い独特の文字が残されており、それは今日発見され、読むことができるものです。マヤ人はさらに、千冊以上の書物を書いていましたが、現在はその一部が残っており、多くは時代の経過の中で失われたり、侵略してきたスペイン人によって焼かれてしまいました。 アメリカ大陸のあちこちで、人類文明の跡を目にすることができ、その中でマヤやインカ、アステカの文明が有名です。これらが知られているのは、彼らによる驚くべき建築のためです。メキシコのモンテ・アルバンの幾何学を用いた精妙な作りの建物は、東のジグラートと非常によく似ており、また同じくメキシコのチェチェン・イッツァもエジプトのピラミッドに似ており、完全に現在のものに近い天文台を伴っています。これらはアメリカの先住民の高度な文明を示すものです。 アメリカ先住民は、注目に値する道徳的慣習を有していました。彼らはヨーロッパ人が入ってきた当初、彼らを歓迎していました。彼らを自らの家に招き、もてなしました。アメリカ先住民の戦争の慣習に関して、歴史研究家はこのように述べています。「アメリカ先住民の間で人を殺すことは歴史的な出来事とみなされる。もし誰かが戦争で負傷すれば、戦いは停止され、彼を治療のために運ぶのである」。 コロンブスはこの地域の民族の優しさを目にし、スペインの国王と女王に宛てた書簡の中でこのように記しています。「これらの人々は非常に穏やかで優しく、世界でこれほどよい民族を見つけることはできないと陛下に確信を与えましょう。同胞を自分の親類と同じように愛し、その言葉は常に優しく穏やかで、微笑みを伴っています。ほぼ裸で歩いてはいるものの、品行方正です」。こうしたアメリカ先住民の性質により、ヨーロッパ人は簡単にこの大陸に入ってくることができたのです。 しかしこれは一面的な真実であり、これ以外の真実としては、ヨーロッパの移民の敵対、非人道的な行動であり、アメリカの先住民に苦しく痛ましい運命を押し付けました。アメリカ政府は白人の北アメリカへの襲撃開始以後殺害された先住民の数を決して正式には知らせていませんが歴史的な事実は、移民たちがフロリダを発見した1513年から先住民の虐殺が始まったことを示しています。これらの戦争の中で、アメリカ先住民の400に及ぶ部族の数百万人が殺されました。1828年、フランスの生物学者がテキサス州を訪問し大規模な調査を行ったところ、その150年前から知られていた先住民52の部族のうちたった4つの部族だけが生き残り、48の部族は滅亡したという結論に達しました。 アメリカ人は先住民の多くが伝染病によって自然死したと述べていますが、歴史家は、先住民に対する全面的なウイルス戦争について語っています。先住民の統計に関する書籍の著者は、この400年の間にアメリカの先住民に対するウイルス戦争について分析し、次のように述べています。「ヨーロッパの白人たちは先住民を虐殺するために、天然痘41種類、ペスト4種類、風疹17種類、インフルエンザ10種類、結核、ジフテリア、コレラ25種類など97種類の病原菌を用いた」。実際、白人たちは完全に故意に、これらの部族の間に病原菌を拡散したのです。 ある部族の先住民はアメリカの建国者で指導者のジョージ・ワシントンを町の破壊者と呼びました。なぜなら彼の直接の指示により、彼らの30の町のうち28が5年間で完全に破壊され、灰と化したからです。ジョージ・ワシントンは、「白人の町を次第に拡大するためには、野蛮な先住民を居住地域から追い出す必要がある。オオカミが逃げ出すように。オオカミと先住民は姿こそ違え、どちらも獰猛な生き物である」と述べました。 ヨーロッパの白人の移民がアメリカの先住民に対して行った野蛮な行為の例の一つに、サンドクリークの虐殺があります。この中では先住民のシャイアン族が白人の移民によって頭部を切断されるなど、残虐な殺され方をしました。アメリカの当時のルーズベルト大統領はこの出来事における兵士の勇敢さを称え、それを誇りました。彼はこのように述べています。「サンドクリークの出来事は道徳的な動きであり、アメリカ社会にとって利益あるものだった。下等な人種の消滅は不可欠である」。 今夜の番組は、欧米の政府がアメリカの先住民に対して行った圧制について指摘したものにすぎません。先住民は野蛮な人間ではなく、ヨーロッパ人が有することのなかった文明や様々な科学、農業技術、誇り高い生活様式を持った人々でした。これは他の国の国民と西側の交流の黒い歴史の一部であり、様々な方法でそれを正当化し、数百年がたってから真実を認識した人間たちの不名誉の源です。最高指導者は欧米の若者に向けた書簡で、イスラムに関する真実を見出すための努力と真実の追求により、こうした西側の黒い歴史を見識をもって確認するよう求めているのです。 |
欧米の若者に向けた最高指導者のメッセージ(11) |
イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師が、3ヶ月ほど前、欧米の若者に向けて記した書簡が、世界のメディアで大きく取り上げられました。ハーメネイー師はこの書簡の中で、西側におけるイスラム排斥の高まりに触れ、西側の若者に対し、仲介を置くことなく、コーランやイスラムの預言者ムハンマドの教えなどの一次的な資料によってイスラムを知り、イスラムとイスラム教徒に対するこれらの攻撃の理由について自由に考えるよう求めました。今夜の番組では、この書簡の様々なテーマについてお話ししましょう。
ハーメネイー師は、この書簡の中で次のように語っています。「欧米の歴史は、奴隷制を恥じ、植民地主義を悔い、非キリスト教徒や有色人種に対する圧制をやましく感じている。あなた方の研究者や歴史家は、カトリックとプロテスタントの間の宗教の名のもと、あるいは第一次、第二次世界大戦の中で民族や国家の名のもとで行われた流血を深く恥じ入っている。これは称賛に価する。これらの長いリストの一部を読み上げる私の目的は、歴史を非難することではない。あなた方に、有識者に尋ねてほしいのである。なぜ、西側の人々の良心は、いつも数十年、特には数百年送れて目覚めなければならないのかと。なぜ、集団の良心の見直しが、現在の問題ではなく、遠い過去のことに集中しなければならないのか。なぜ、イスラムの文化や思想への対応方法など、重要な問題において、一般の見識が形成されるのが妨げられてしまうのかと」。 これまでの番組では、西側政府が歴史の中で、他国の国民に対して行ってきた破壊的で不誠実な行動の例を挙げました。アメリカの原住民の悲しい歴史、アルジェリアの130年に及ぶ植民地支配、インドの300年に及ぶ植民地支配、これらは、これまでの番組でお話しした、西側の人道に反する行動です。今夜の番組では、アメリカにおける人種差別の歴史を見ていくことにいたしましょう。 アメリカの黒人に対する人種差別や奴隷制は、歴史の中で、多くの出来事を伴ってきました。アメリカ全土で奴隷制が法制化され、現在も、黒人は別の形で差別を受けています。1500年から1800年の間に、数百万人のアフリカ人がアメリカ大陸に強制移住させられました。アフリカ人の奴隷がアメリカ大陸に船で移動させられたとき、彼らは逃げたり、海に飛び込んだりできないように鎖で縛られていました。奴隷のおよそ5人に1人は、途中で命を落としました。ポルトガル人は、奴隷を乗せた船を「棺おけ」と呼んでいました。 アフリカ人の奴隷たちは、アメリカに到着すると、まるで動物のように扱われ、安く売られていきました。畑や鉱山の持ち主が彼らの歯を触り、それから奴隷を台の上に立たせ、買い手を見つけていくのです。値段の交渉がうまくいけば、奴隷は買い手に連れて行かれました。この売買の際、アフリカ人の家族は互いに引き離されていきました。これは、歴史における最も辛い物語のひとつです。母親の中には、幼い子供が奴隷として引き離され、売られていった後に自殺する者もいました。また、家族が嫌がらせをされたり、殴られたり、時には殺されたりするのを目にし、そのような耐えられない状況の中で、何日も過ごさなければならない者もいました。一方で、奴隷の買い手が考えていたのは、唯一、より高い収入を得ることだけでした。 数十人の黒人の奴隷が、最大規模の綿花畑やサトウキビ畑で働かされました。この作業は非常に苦しく辛いものでした。多くの奴隷が、逃亡を防ぐために鎖でつながれ、わずかでも過ちを犯せば、鞭による懲罰が待っていました。逃亡を企てた奴隷たちは、死ぬほど叩かれました。プランテーションでの奴隷たちの生活は非常に厳しいものでした。彼らは最低限の生活を送る可能性を与えられず、プランテーションの中にある小さな小屋で、毛布や生活道具も与えられずに暮らしていました。 アフリカ人がアメリカに強制移住されてから150年後、奴隷制は完全に法制化されました。1663年、バージニア植民地が、「もし奴隷の母親から子供が生まれたら、その子供も奴隷となる」という法律を制定しました。ちょうどその頃、イギリスは、アフリカの奴隷を所有する王立アフリカ会社の設立を明らかにしました。 アフリカ人の強制移住から170年後の1673年、ジョージ・フォックスが創始したキリスト教の一派、クエーカー教徒が奴隷制の廃止を訴え、最初にニュージャージー州でそれが禁じられました。19世紀初頭、イギリス議会は、奴隷制の禁止を発表しました。1808年、国際的な奴隷貿易は禁じられましたが、アメリカ国内ではそれがなおも続いていました。1857年、アメリカの連邦最高裁判所は、黒人奴隷制度を合憲とし、「合衆国憲法はもともと黒人を市民として認めていないため、黒人には提訴権がない」としました。 1860年、アメリカで奴隷制を巡る南北戦争が起きました。奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーンが大統領となり、これによって、奴隷制を支持していた南部の11州が合衆国を離脱し、独立を宣言しました。これにより奴隷制をめぐる内戦が始まりました。最終的に、この戦争は北部の勝利に終わりました。 奴隷制は廃止されたものの、人種差別は減るどころか、さらに激しさを増しました。アフリカ系アメリカ人に対する差別の歴史の中で、1890年から1940年まで、ジム・クロウ法が制定されました。ジム・クロウ法は、一般公共施設の黒人の利用を禁止制限した人種隔離制度です。黒人は、白人専用の椅子に座ることを許されず、また白人専用だった街頭の水のみ場で水を飲むことも許されていませんでした。数百万人が、投票を行ったり、正式な教育を受けたりしたために、暴力を受け、殺害され、あるいは死を脅迫されたりしました。白人による黒人へのリンチは日常茶飯事のことで、アメリカ全土で、白人のグループがささいな理由で黒人に暴力を加えていました。ウィスコンシン州ミルウォーキーにある黒人の大量虐殺の歴史を展示した博物館には、この頃のアメリカの黒人の苦痛に関する写真や資料が公開されています。1964年、ついに公民権法が成立し、あらゆる場所で白人と黒人を分けることが禁止されました。 しかし、アメリカの黒人の苦しみは終わりませんでした。奴隷制時代よりも状況はよくなりましたが、それでもなお、アメリカの黒人は人種差別に苦しんでいます。アメリカ合衆国の黒人団体の一つが、8年前、寿命、収入、住宅、保健衛生、教育といった主な指標をもとに発表した統計では、アメリカの黒人の生活の平均水準は、白人の水準の72%だとされました。アメリカの黒人の25%、3700万人が貧困ライン以下の生活を送っている一方で、白人の貧困ライン以下の割合は、10%、2200万人です。また、公式統計によれば、黒人の失業率は平均10%、白人は4%とされています。アメリカの裁判官の98%は白人で、アメリカの司法機関における人種差別は否定できない事実となっています。 アフリカ系アメリカ人であるオバマ大統領の任期中に、黒人の抗議が再び高まっています。昨年8月9日、ミズーリ州ファーガソンで、18歳のアメリカ人少年マイケル・ブラウンさんが、商店からタバコを盗もうとしたとして追跡され、白人の警官に射殺されました。この少年はそのとき、武器を持っておらず、目撃者によれば、降伏のしるしに両手を上げていたということです。このときから、ファーガソンで抗議の声が高まりました。アメリカの黒人は、この警官の行動と、その後の警官の不起訴を、黒人に対する圧制や人種差別の明らかな例だとしています。この抗議を受け、アメリカの別の都市やヨーロッパでも、人々が抗議に加わりました。この抗議は今も続いています。 昨年7月7日、アメリカの黒人男性エリック・ガーナーさんが、警官たちに押さえつけられ、発表された動画によれば、警官がガーナーさんの首を絞めて窒息死させました。しかし、警官は不起訴となりました。10月8日、黒人少年が警官から17発の銃弾を受けて殺害されました。この少年は、降伏のしるしに両手を上げていたということです。 今日、世界の多くの人は、奴隷制時代を人類の恥と見なしています。しかし、数百年もの間、人権と文明を主張する国々で、この制度が実施されていました。ハーメネイー師が指摘した集団の良心の目覚めの遅れは、この問題に関しても起こっていたのです。ハーメネイー師は、欧米の若者たちに宛てた書簡の中で、西側の若者たちが、先入観を持つことなく、イスラムを正しく理解することにより、未来の人々が、より安らかな良心によって、西側とイスラムの協調の歴史を記すことになるよう期待していると語りました。 |
「欧米の若者に向けた最高指導者のメッセージ(12)」(2015/04/30 ) |
西側でのイスラム排斥が頂点に達した後、最高指導者のハーメネイー師は、2015年1月21日、西側でイスラムについて提示されているイメージについて、書簡の中で西側の若者に語りかけました。ハーメネイー師はこの書簡の冒頭の部分で次のように述べています。「私が語りかける相手は、あなた方若者たちである。それは私が、あなた方の両親を気にかけていないためではない。そうではなく、私はあなた方の国家や国民の未来が、あなた方の手の中にあると考えており、あなた方の真理を探りたいという感情が、より強く意識的なものであることを感じているためである」。
最高指導者は嫌悪感を煽り、それを利用する行為が、西側の政治史において長い歴史を有していることについて触れ、西側の若者たちに次のように語りかけています。「私の諸君への言葉は、イスラムについてである。特に、イスラムについてあなた方に提示されているイメージについて。20年前から、つまり、ほぼソ連が崩壊した後から、この偉大な宗教を恐ろしい敵であるかのように見せようとする多大な努力が行われてきた」。 最高指導者は欧米の若者たちに宛てたメッセージの中で、またこのように述べています。「今、自分自身にこう尋ねてほしい。なぜ、恐怖を植え付け、嫌悪を広めるという古い政策が、今回は、前例のない激しさで、イスラムとイスラム教徒を標的にしているのだろうか?なぜ、世界の権力構造は、今日、イスラムの思想が消極的になり、脇に追いやられることを望んでいるのか?イスラムのどのような意味や価値観が、大国の計画の妨げとなり、イスラムに関する誤ったイメージの植え付けによって、どのような利益が確保されるというのだろうか?」。 今週からのこの番組では、イスラム教の特徴とイスラムの教えについてお話します。これにより、イスラムが大国の計画を妨害している意味と価値について知ることができるでしょう。 イスラムの預言者ムハンマドが預言者に選ばれ、人々をイスラム教に呼びかけたとき、メッカの偶像崇拝者は彼とその信奉者に多くの苦難を強いました。彼らはあらゆる方法を使って人々をイスラムへの信仰と預言者の教義への追従から引き離そうとしました。魔法だと言って中傷したり、嘲笑したり、また投獄、禁止や制限、殺害、拷問といったことが預言者の支持者がイスラム初期に巻き込まれていた苦難の内容でした。 イスラムの誕生により、メッカの権力主義者たちは危機を感じました。この中で二つのグループが何よりも反対に立ち上がりました。一つのグループは物質的な可能性を持っていたため、楽をすることに慣れ、本能の赴くままに行動していました。コーランは第34章サバア章サバア第34節でこのグループに反対して、このように述べています。「我々は町や地域に警告者である預言者を遣わせた。そのたびに、そこの裕福な者たちは、決まってこのように言った。『私たちは、あなたがたが遣わされたことを信じない』」。彼らは先祖から受け継いだ非人間的な醜い慣習を変えようとしませんでした。 イスラムの呼びかけに反対していたもう一つのグループは、自身の地位だけを考えていた政治的なグループでした。預言者に対してクライッシュ族の長が反対していた最大の理由は、アラブ人の間で手にした地位を維持するためでした。人々の無知により大きな権力と富を手にしていたメッカの有力者たちはその地位を簡単に失うことはできなかったのです。 歴史では次のような話が言い伝えられています。ある日メッカの多神教徒の指導者の一人が、預言者に強く反対するアブージャハルという人物に会い、彼にこう言いました。「本当のことを言いなさい。ムハンマドは正直者かそれとも嘘つきか? ここには私とお前以外にいない」。アブージャハルは言いました。「誓って、彼は本当のことを言っており、決して嘘はついていない。だがもしムハンマドの一族があらゆる地位についたとしたら、クライッシュ族に何が残るだろう?」。同様の出来事は歴史において多く見られ、それらはイスラムの反対者がこの宗教の真理を認めたものの、自分たちの地位を失いたくないばかりにこれに屈しなかったことを示しています。 預言者ムハンマドが人々に呼びかけていた教えは、預言者イブラヒームの宗教そのものでした。イブラヒームのすべての宗教の魂は唯一神に従い、人間の宗教的な本能に帰するものです。イスラムは人間を神の最も尊い創造物とし、最高の幸福と神への接近を人間だけのものとしています。人間は神が示した正しい道において、その能力を用いるのです。コーランは人間は世界を征服し、天使を奉仕させる存在だとしています。シーア派5代目イマーム、バーゲルはこれに関して次のように述べています。「神は敬虔な人間よりも尊く偉大な創造物をつくらなかった。なぜなら天使たちは敬虔な人間の奉仕者であるからだ」。そして人間は衰退の道を歩み、すべての価値を否定し、最大限に卑しくなることもできます。自分自身に関して決定を下し、最終的な運命を決めるのは人間なのです。 イスラムの見解において人間の価値は性別や肌の色、富とは無関係です。他者を見下して、その人から人間の権利を奪うことはできません。イスラムは人間を受精から誕生まで、その後も生きている間、尊敬し続け、死後もそれは同じです。イスラムは当時の社会の不平等を認めませんでした。弱者や恵まれない人に禁じられていた権利を知らせました。不公正と戦い、富裕者による人間の奴隷化を受け入れませんでした。 人間の優先性が富や部族の血統の中に見出されていた社会において、預言者は所有と非所有は同じであるとし、奴隷は主人と人間的な尊厳の点で違いはなく、大事なのは禁欲と相応しい行動だと述べました。こうした圧制反対や預言者が社会の所有者の弱点に注目していたことは、何よりもメッカの権力主義者の怒りをかいました。 この世の人生に対するイスラムの見方は、来世における永遠の生に向けた前段階として人生の意味を変えました。創造が目的をもって行われたものであることや来世でそれまでの行動が審査されることを信じることは、人生に別の色を与え、人間の無明時代の状況を覆すものです。イスラムは向上する社会的に新しい体制を打ち立て、その中では権力や富は別の意味を帯びています。このため搾取や強奪によりその地位や安定を整えてきた権力主義者たちは、新たな状況の中で自分たちの居場所を見い出すことができませんでした。このため、彼らの多くがイスラムの真実を理解していたにもかかわらず、それに反対したのです。 現在預言者がイスラムを世界に広めてから1400年が経過し、世界の覇権主義者はまさに同じ理由でイスラム教徒に敵対し、弱体化を狙っています。こうした中、イランの最高指導者ハーメネイー師は世界の真理を求める若者たちに対してイスラムを知ること、またイスラムの誤ったイメージによりどのような利益が確保されているかを知るよう求めています。 ハーメネイー師はある演説の中で、このように述べています。「我々は真のイスラムを提示し、被抑圧者を支持し圧制に反対するイスラムを世界に提示するよう努力すべきだ。ヨーロッパ、アメリカ、あるいは辺境地にいる若者たちは、イスラムのもつ特徴に興奮を覚えている。イスラムは圧制者に対して、被抑圧者のために動くという考え方や動機、力を持ち、これを自らの義務とみなしている。知性を支持するイスラム、深い哲学を持つイスラム、考えるイスラム、コーランでは理性や思考を重視しているイスラムを我々は紹介する。それは知性を支持し、迷信や狂信に反対するイスラムである。我々は真のイスラムを示し、イスラムは無頓着に対して責務を持つものだと言おう。今日、多くの機関が若者たちを様々な事柄において無関心や無頓着に引き寄せている。イスラムは人間を責務あるものとみなし、そうしたものとして求めている。人生の中にあるイスラム、弱者に慈悲をかけるイスラム、覇権主義者と戦うイスラムである」。 |
「欧米の若者に向けた最高指導者のメッセージ(13) 」() |
イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、欧米の若者に宛てた書簡の中で、他者に対する架空の嫌悪感や恐怖心の発生は、歴史の中での西側の圧制的な利益追求における共通の基盤だとし、次のように述べています。 「今、(私はあなた方に)、自分自身にこう尋ねてほしい。なぜ、恐怖を植え付け、嫌悪を広めるという古い政策が、今回は、前例のない激しさで、イスラムとイスラム教徒を標的にしているのだろうか? なぜ、世界の権力構造は、今日、イスラムの思想が消極的になり、脇に追いやられることを望んでいるのか? イスラムのどのような意味や価値観が、大国の計画の妨げとなり、イスラムに関する誤ったイメージの植え付けによって、どのような利益が確保されるというのだろうか?」。
前回の番組では、イスラム初期に二つのグループが何よりもイスラムに反対していた、ということをお話しました。一つは物質的に豊富な可能性により楽な生活を送ることに慣れ、本能の赴くままに人間性を超えてしまっているグループです。コーランは彼らをアラビア語で「モトレフィーン」と呼んでいます。またもう一つのグループはイスラム前の無明時代の状況により、社会的、政治的な地位を手にしていた政治家たちで、何よりもその地位を優先していた人々です。こうした中、その当時から現在に至るまでこのようなグループが反対してきたイスラムの価値観や教えはどのようなものなのでしょうか?これが今日お話しすることです。 イスラムの世界観は唯一神の世界観です。これは世界が唯一の英知ある創造主を有しているということを意味します。コーランの数多くの節では、天と地にあるものは。神に向かって動いているとあります。イスラムの見方では、世界は無意味に創造されておらず、英知の神は、世界と存在物の創造を目的をもって行いました。このため、神は無目的に人間を創造しなかったのです。人間は永遠の存在であり、死んでも消えることはないばかりか、来世に移動します。その世界は永遠に続き、行動の報いを受ける世界です。 イスラムの見方では、世界の中心は慈悲深い全知全能の神であり、神は人間を創造し、彼を最も高い地位に至らせようとします。存在物の中で、人間だけが至高なる神の代理人となるにふさわしいのです。こうした見方において、人間は気高さと偉大さを有しており、こうした気高さゆえに、至高なる神は自らの天使に人間の偉大さに対して跪くよう義務付けたのです。さらに聖典コーランの教えによれば、人間は人間の原則的なアイデンティティを形作り、永遠の生命を有している単独の魂を有しています。この物質的な世界における人間の行動は、人間の永遠の幸福、あるいは不幸を来世で描き、人間が権限を与えられることで、自らの運命の責任をとるものです。 人間の創造の目的は人間を極致に至らせることであり、この極致は人間がその責務を遂行することによって手に入るものです。コーランには次のようにあります。「神はその人が自分自身を変えない限り、その運命を変えない」。このためイスラムが紹介する人間とはこの世界で生きている中で、消極的ではなく活動的な存在なのです。 一部の宗教や学派は人間の幸福を社会から切り離して考えていることから、その信者たちは社会で政治や社会的問題に対して消極的です。これらの学派の一部は人間の存在の側面に注目し、別の側面を軽視します。例えば、神に対する人間の義務を礼拝を行うことだけだと考えています。しかしながら、もっとも新しい神の宗教であるイスラムは完全な人間とはそのすべての側面におい成長した人間であると考えています。イスラムはこのような人間の育成のために、知性と啓示を用いることで、全面的な人生計画を提示し、人間の人生すべての側面を考慮しています。このような宗教の教えは、人々を礼拝や一神教信仰に呼びかけ、道徳的指示を有し、自己形成を促すものです。政治、経済、社会、司法などの問題に関して指示や判断を有しているのです。 イスラムがコーランやハディースの中で強調しているイスラムの社会的教義の一つは、勧善懲悪です。この教えはイスラム教徒の政治思想の最も重要な基盤とみなされています。勧善懲悪は他者を良い行動に導き、悪い行動を回避させることであり、その実行は条件を守ることでイスラム教徒に義務付けられています。 社会の行方を決定する際のイスラム教徒の役割と責任においては、彼が周辺で起きる出来事対して敏感で活動的である必要があります。コーラン第3章アールイムラーン章イムラーン家、第110節には次のようにあります。「あなた方は人類に遣わされた最良の共同体である。好ましい行動を命じ、好ましくない行動を禁じ、神に信仰を寄せる」。さらに同章第104節にはこのようにあります。「あなた方の中には人々に善行を命じ、悪行を禁じるグループがいる。彼らは誠実である」。シーア派6代目イマームサーデグはこのように述べています。「罪ある行動を目にし、抗議したりしなかったりする人は、実際、神が従われないことを望む。好きなだけ神に反抗し神に敵対する」「罪ある行動を目にし、それに抗議しない者は神に背く者であり、神に背く者は神に敵対する者である」。 勧善懲悪といった自己形成の教義の実行により、自ずとイスラム教徒の人間は醜く誤った行動に対して黙ってはいなくなります。イスラム社会の一人一人が善いことを広め、悪いことを遠ざける影響力のある要素です。こうした影響力は高いレベルで、為政者と政府に及びます。言い換えればイスラム的な指導を受けた人は、為政者の過ちに対して黙っていはいない、ということです。シーア派初代イマーム、アリーは勧善懲悪の欠如を文明が衰退する主な要因だとし、このように述べています。「勧善懲悪をやめてはいけない。放蕩者があなたよりも優勢になってしまうから」。 覇権主義大国が喜ばないこの他のイスラムの教義は、反圧制です。イスラムは神の僕に対する圧制を好ましからざる罪だとし、その圧制への対処はハッゴルナース・人々の権利だとしています。真の信者がハッゴルナースほど重視しているものはありません。これは彼らが他者の権利を踏みにじらないよう、圧制を許さないよう非常に慎重になっているということを意味します。それはたとえその圧制が眉をひそめるほど些細なものだったとしてもです。このため、神は信者に対して圧制に対して黙っていないよう、圧制に対処するよう求めています。 コーランでは多くの節で、イスラム教徒を圧制との戦いや公正確立へと呼びかけています。コーラン第4章アンニサーア章婦人、第75節には次のようにあります。「なぜあなた方は神の道において、〔そして救済の道において〕抑圧されている男女や子供たちのために戦わないのか。彼らは言う。『神よ、我々を人々が圧制に長けているこの町から救い出し、我々を保護し、我々のためにあなたの御許から一人の援助者を立ててください』と」。このイスラムの教義の別の側面は、圧制を受け入れないことです。これは圧制を受けている人は自らの虐げられた状況に甘んじるのではなく、圧制に立ち向かい、他の信者にも支援を求めるべきだということです。イスラムでは、圧制を行うことが悪とされているように、圧制に屈することも許されていません。コーラン第2章アルバガラ章雌牛、第279節にはこのようにあります。「圧制を行っても、それに屈してもいけない」。 反圧制は人間の神を求める本能から湧き出るものですが、神の正しい道から逸脱していない本能のみが人間性の宝庫を示すことができます。このような教えを実行することで、表面的には人間から安定や物質的な人生の喜びを奪うことにもなりかねません。圧制的な為政者や政府に対応する際、その人の命とその人の愛する人の命を危険に晒すことにもなります。こうした代償は人間や人生に対して物質的な見方を持っている人々を圧制への対抗から逸脱させるでしょう。覇権主義者のイスラムへの敵対はここから始まっています。イスラムは気高い教えや価値観により、人間を育て、逸脱や圧制に対して立ち向かう精神を人々の中に息づかせ、こうしたアプローチにより現世と来世の幸福や名誉を手にさせるのです。これは覇権主義者が好むもの、つまり抵抗する動機のない、人間的な高い地位を知らない消極的な人間とは完全に異なります。 最高指導者のハーメネイー師は、これに関してこのように述べています。「イスラム教徒は自らの意思を世界の動きの中で効果的なものにすることができる。何のためか?それはイスラムの光輝く教義のためであり、イスラムがイスラム教徒に与える精神性と創造性のためである。反圧制、悪行や腐敗を受け入れない、勧善懲悪、闘争・・・こういったものがイスラム教徒の特徴だ。植民地主義者はこのような特徴に不満を感じ、懸念しているのである」。 |
「欧米の若者に向けた最高指導者のメッセージ(14) 」(2015/05/20 ) |
最高指導者のハーメネイー師は、イラン暦1393年バフマン月1日、西側でイスラム恐怖症の波が拡大したことを受け、西側の若者に宛てた書簡の中で、メディアがイスラムに関して伝えているもので満足せず、第一の原則、つまりコーランや預言者の教えを参照することで直接、イスラムを知るよう求めました。
コーランはどのような書物なのでしょうか? この問いに答えるための最良の道は、コーランを参照しそれを研究することです。イスラム教徒ではありませんでしたが、真理を求める精神を蘇らせることでコーランを読んで理解し、その偉大さに頭を垂れた人々はなんとたくさんいたことでしょうか。フランスの有名な哲学者アーネスト・レナンは、このように述べています。「私の書庫には政治、社会、文学などに関する数千冊の本がある。どの本も一度以上は読んでいない。しかし常に私の友人である一冊の本がある。私が疲労し、教養の扉を開こうとする際に、研究する本である。その書籍こそイスラムの聖典コーランである」。今夜の番組では、コーランとその特徴についてお話しすることにいたしましょう。 存在する天啓の書は二種類あります。それらは完全に異なったものです。一つは、ユダヤ教とキリスト教の聖書、旧約・新約聖書と呼ばれるものです。それらは預言者たち自身の言葉によって作られたものではなく、預言者たちに関して、また彼らの生涯や発言などについて他者が報告したものとなっています。旧約・新約聖書は預言者以外の誰かが、預言者の召命と活動について書いたものです。例えば、新約聖書におさめられているヨハネによる福音書はヨハネという人物が書いたもので、パウロ書簡も、パウロによって書かれたものです。これが書かれた時、預言者たちの時代から60年が経過していました。歴史家の中にはこの時代を180年後と見る人もいます。このため、この宗教の信者たちも聖書が、預言者たちの直接の言葉ではないことを知っています。イスラム世界においても、預言者の生涯や行動、生き方を伝えたこのような書物は存在します。 一方でコーランはこのような書物ではありません。コーランはイスラムの預言者の言葉でも、預言者の生涯について他者が語ったものでもなく、神の言葉であり、神の天使ジブライールがそれらを節にしてイスラムの預言者に読み上げたものです。このためコーランのどの節も預言者の言葉ではなく、このことは何度となくコーランで認められています。 聖典コーランは人間の幸福のため、人間が真理に向かう道を見つけることができるよう、神から神の最後の預言者ムハンマドに下された天啓の書です。この書物は23年間かけて啓示を通じて神から少しずつ預言者に下されました。預言者ムハンマドはコーランの節を人々に読み上げることで、人々をイスラムに引き付けました。コーランは全部で114章6236節あります。 コーランは唯一神信仰、神、来世、人間を知ること、預言者の使命などの信条を含んでいます。さらに個人・社会生活の方法に関する詳細、法律、経済、文化、道徳問題に関する教示をも含みます。こうした特徴によりコーランはイスラム教徒にとって人生の書、幸福の計画となっているのです。さらにコーランには教訓的な歴史物語も書かれています。現代の東洋学者マックス・マニンはこのように述べています。「コーランは単なる宗教書ではなく、道徳や政治・社会の原則、人間の日常生活の案内の書である」 コーランはイスラムの預言者の永遠の奇跡です。コーランは神のしるしであり、このような書をもたらすことは人間にとって永遠に不可能であるという点から奇跡といえます。神が最後の預言者ムハンマドの奇跡を言葉によるもの、つまり「コーラン」としたことは、注目に値する問題です。思想家も言葉ほどその人の人となりを表すものはないと考えています。杖を龍に変えたり、死者を蘇らせたり病人を治癒したりといったことは、どれも大きな奇跡であり、力を持った人の偉大さを表すものですが、神に関するすべての疑問については解決していません。しかしながら、コーランは創造主を知るための言葉による最良のものです。コーランが他の奇跡よりも優れている別の点は、言葉ほど永遠に続くものはないということです。イスラム教は神の最後の宗教であり、永遠に続き、永遠に残されることのできる唯一のものは言葉なのです。 コーランは神の言葉であり、預言者の言葉ではないということを証明する前に、コーランの奇跡についてさらに詳しくお話しすべきでしょう。コーランの奇跡は、言葉と意味の二つの側面から常に雄弁家や賢者の注目を集めてきました。コーランの言葉の面での奇跡は美しさ、意味の面での奇跡は知識や学術の問題に関わっています。 コーランの言葉の奇跡は、流れるような語りであることです。コーランは語り、雄弁さ、流暢さ、魅力、影響力といった点から、相手の心に驚くべき影響を及ぼします。美しさは認識されるもので、説明されるものではありませんが、雄弁家はコーランの流れるような語りに注目してきました。彼らによれば、言葉が流れるようなものであるということは、ほとんど言葉や意味上の欠陥がなく、文法の点からも問題がなく、言葉や意味に複雑な点もなく、また語る上での問題にも直面しないということです。 雄弁さとは、流れるような華麗な表現を伴うものであり、場所や時に注意を払い、聞き手に気遣いながら、美しく、正しく語るということなのです。こうしたことに基づき、イスラム教徒であるかないかに関わらず、アラブの偉大な文学者たちは、歴史の中で、コーランの流れるような語りは、通常の人間の力を超えていることを認めていました。でなければ、1400年後に、雄弁家や文士たちがコーランに匹敵する作品を作っていたはずだとしています。 コーランの形式は詩ではありません。コーランは韻を踏んだり、詩のような幻想を伴ったりしていません。さらに詩は、一種の嘘とも言える誇張を伴って歌われますが、コーランの中には嘘はありません。コーランの中には詩のような幻想や想像はありません。また通常の散文ではありません。そこにはこれまでどんな散文にも見られなかった一種の統一や旋律や音楽があります。イランの思想家、モタッハリー師はこのように述べています。「コーランは通常、詩や自然の美しさを語るなど、語りにおける人間の芸術を具現するようなものを提示しておらず、むしろ唯一神信仰の知識や人生の生き方の教示にあふれており、また同時に美の極限の中にもある」。 聖典コーランが下された方法もまた、コーランの奇跡の一つです。というのも多くの節が下されるべき事情を有していたからです。つまり何かが起こった時に、それに関する節が下されました。あるいは誰かが質問をした際に、それに関連する節が下され、預言者ムハンマドはこの節はどの章の何節だと答えていました。このように章は完全な形で一度に下されたのではなく、時間をかけて、一部の章と並行して完成されていったのでした。どんな人間も、どんな能力を持った人、優れた記憶力を持った人であっても、このようなことができないのは明らかでしょう。これがコーランの表面的な驚異の例です。 コーランの美しさや魅力は、番組や本の中で完全に語ることはできません。人間はコーランの奇跡の力を理解するために、飾り気のない心でこの光輝く節を読んで理解すべきでしょう。コーランの英訳者の一人は、このように述べています。「コーランは私に心の安定をもたらしてくれた。それは永遠に私の記憶に残るだろう。私はイスラム教徒ではないが、コーランを読み、それを理解しようと努め、その朗誦を聞き、震えるような効果的な旋律に引き付けられ、感銘を受けた。真の最初のイスラム教徒が有していた質に近づき、それを理解しようとした」。 |
(私論.私見)