日本暦法、行事一覧

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).6.30日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、我々が知っておくべき日本伝来の暦の智恵を確認しておく。
 【季節のめぐりと暦】二十四節気
 http://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/nijyushisekki/
 【季節のめぐりと暦】七十二候
  http://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/shichijyuunikou/
 2008.12.29日 れんだいこ拝


【日本暦一覧その2、72表歳時記、花鳥虫実】
季節 節気 読み 黄経度 候№区分 陽暦日
(陰暦日)
備考
2.3 節分( せつぶん)。
立春 りっしゅん 315度 1初候 2.4 暦の上で春の始まり。
2.9 午の日。
鶯(うぐいす)が山里で鳴き始める。
2次候 黄鶯睍睆。
3末候 魚上氷。
の花が咲き始める。
文旦が出荷されるようになる。
雨水 うすい 330度 4初候 2.18-19 立春後15日目。
5次候 霞始靆。春霞(かすみ)がたなびき始め、遠くの山や景色が霞んで見える。靆の字は雲がたなびいて日を蓋(おお)う意。
6末候 草木萠動/草木が芽吹き始める。
啓蟄 けいちつ 345度 7初候 3.5-6 蟄虫啓戸。
8次候 始笑/桃の花が咲き始める。
9末候 3.17、18
(旧暦2.21)
菜虫化蝶。
春分 しゅんぶん 0度 10初候 3.20-21 春分。
11次候 始開/桜の花が咲き始める。
12末候 雷乃発声。
躑躅(つつじ)タンポポが咲き始める。
清明 せいめい 15度 13初候 4.4-5 春分後の15日目。
4.8 花祭り。
14次候 鴻雁北/雁が北へ渡って行く。
15末候 虹始見。
27度 4.17 春の土用。
穀雨 こくう 30度 16初候 4.20 春雨が降り田畑を潤す。
17次候 霜止出苗。
18末候 牡丹華/牡丹(ぼたん)の花が咲く。
5.01、02
(4.8)
八十八夜(立春から数えて88日目)。
立夏 りっか 45度 19初候 5.5-6 春が終り夏の気配となる。
蛙始鳴/蛙(かえる)が鳴き始める。
20次候 蚯蚓出/蚯蚓(みみず)が地上に這出る。
21末候 竹笋生/筍(たけのこ)が生えて来る。
小満 しょうまん 60度 22初候 5.21 万物が次第に成長し繁る。
23次候 紅花栄。
24末候 麦秋至。
無花果(いちじく)の取れる頃になる。
芒種 ぼうしゅ 75度 25初候 6.5-6 6.5日頃から夏至までの期間。
26次候 腐草為蛍。
27末候 梅子黄。
蟷螂生/かまきり生ず
80度 6.10、11
( 5.19)
入梅(にゅうばい、つゆ)。
紫陽花(あじさい)が咲き梅雨に濡れて映える。
夏至 げし 90度 28初候 6.21-22 夏季の真ん中。
29次候 菖蒲華/あやめの花が咲く。
100度 30末候 7.02
( 閏5.10)
半夏生(はんげ)。
小暑 しょうしょ 105度 31初候 7.7
梅雨が明ける。
梅雨明けと同時にセミが一斉に鳴き始める。
32次候 蓮始開/蓮の花が開き始める。
33末候 鷹乃学習。
117度 7.19、20
( 閏5.27)
夏の土用の入り。
大暑 たいしょ 120度 34初候 7.22-23 暑さが最高潮に達し酷暑の季節となる。
35次候 土潤溽暑。
36末候 大雨時行。
立秋 りっしゅう 135度 37初候 8.7-8 暑い日が続くが旧暦上は秋に入る。
38次候 寒蝉鳴/蜩(ひぐらし)が鳴き始める。
39末候 蒙霧升降。
40初候 初秋の頃となり、穀物が実り始める。
処暑 しょしょ 150度 8.23 綿柎開。綿を包む咢(がく)が開く。
41次候 天地始粛。
42末候 禾乃登。
8.31、9.1 二百十日(にひゃくとおか)。立春から数えて210日目。
白露 はくろ 165度 43初候 9.7-8 秋分前の15日目。
9.09 重陽(ちょうよう)の節句。
44次候 鶺鴒鳴。
45末候 玄鳥去/つばめが去る。
9.11
( 7.23)
二百二十日。
9.20
( 8.2)
秋の彼岸の入り。秋分の3日前。
秋分 しゅうぶん 180度 46初候 9.23 秋の彼岸の中日。
47次候 蟄虫坏戸。
48末候 水始涸。
10.03
( 8.15)
十五夜。中秋の名月。
寒露 かんろ 195度 49初候 10.8-9 山野に晩秋の色こくなり始める。
10.13
( 8.25)
十三夜。
鴻雁来/雁が飛来し始める。
50次候 菊花開/菊の花が咲く。
51末候 蟋蟀在戸。
207度 10.20
( 9.3)
秋の土用の入り。
霜降 そうこう 210度 52初候 10.23-24 秋の終わりで霜が降り始める。
53次候 霎時施。
54末候 楓蔦黄。
立冬 りっとう 225度 55初候 11.7-8 暦の上ではこの日から冬に入る。
56次候 地始凍。
57末候 金盞香/水仙の花が咲く。
小雪 しょうせつ 240度 58初候 11.22-23 北風が吹き始め寒さが厳しくなる。
59次候 朔風払葉。
60末候 橘始黄。
大雪 だいせつ 255度 61初候 12.7-8
冬将軍の到来期に入る。
椿(つばき)が咲く頃になる。
62次候 熊蟄穴/熊が冬眠のために穴に隠れる。
63末候 魚厥}魚群/鮭が群がり川を上る。
冬至 とうじ 270度 64初候 12.21-22 昼(日照時間)が1年中で最も短く夜が長くなる日。
65次候 麋角解/鹿が角を落とす。
66末候 雪下出麦。
12.30
(11.15)
晦日(三十日、みそか)。
12.31
( 11.16)
大晦日/大祓い。
1.1 元旦。
正月。
小寒 しょうかん 285度 67初候 1.5-6 本格的な冬が到来する。
68次候 水泉動。
69末候 雉始雊/雄の雉が鳴き始める。
大寒 だいかん 300度  70初候 1.20-21 寒気の絶頂期。
71次候 水沢腹堅。
72末候 鶏始乳/鶏が卵を産み始める。

【旧正月】
 現在は太陽暦のグレゴリオ暦正月が一般的だが太陰暦による旧正月の風習が根強く残っている。これを愚考しておく。

 旧正月の元日(旧暦の年初)即ち旧暦1月1日は、通常、雨水(2月19日頃)の直前の朔日であり、1月22日頃から2月19日頃までを毎年移動する。旧暦で平年だった年は翌年の旧正月は約11日後退し、閏月があれば約18日進む。今日でも日本、中国、台湾、韓国、ベトナム、モンゴル、中華圏の影響の強い華人(中国系住民)の多い東南アジア諸国、世界各地の中華街などで、それぞれの旧正月が祝祭されている。中国語では春節(簡体字では春节、繁体字では春節)と云う。 日本の旧正月と中国など外国での旧正月と日付が一日前後異なることもあるが、これは日本との時差の影響により生じるものである。

 旧正月とは何か。これを天文学的に解析するのは他の者の手によるとして、れんだいこが思うに、旧正月とは、この日を境に春へ向かうと云う日の元一日ではなかろうか。体感的に寒さの転回点となる。昔の人は、そのことを太陰暦によって知らされ、その日を正月とすることにより一年の計を立てたのではなかろうか。まことに、生活リズムから云えば旧正月の方が理に適っている訳である。即ち、生活リズムを旧正月を起点にするのが賢いということになる。

 2014.1.7日 れんだいこ拝

【節分( せつぶん)】
 2.3日は立春の前日。季節の分かれ目を節分(せつぶん)と云う。本来は、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日を指す。いつの間にか年越しと重なる立春だけが節分と呼ばれるようになった。太陰暦の旧暦では12月初めか1月の初めが立春で、その前日が節分になる。いわば年越しの行事で、疫厄鬼を追い払う「追灘」(ついな)と呼ばれる厄払い行事が行われる。立春、節分が2月になったのは太陽暦の新暦が導入された1873(明治6)年からである。

 節分行事として豆まきと共に人気があるのが恵方(えほう、その年の縁起の良い方角)を向いて食べる「恵方巻き」。関西が発祥とされ、これを食べることにより無病息災、商売繁盛の願いことが叶うとされている。

【二十四節季/立春( りっしゅん)】
 冬と春の分かれ目に当たる。春の気が立つ頃。暦の上では春の始まり。立春のころは、1年のうちでも最も気温が下がる時期。徐々に暖気が増してくるので、春の訪れ、春立つ日として立春と名づけたもの。ハ十八夜、二百十日、二百二十日などはこの日を起算日とする。「東風解凍」(東風が厚い氷を解かし始める)。
 ”袖ひぢて  むすびし水の こぼれるを 春立つ今日の 風のふくらむ” (古今集/紀貫之)
 風は冷たくも陽ざし明るく、寺家梅林の紅白梅も馥郁として花開き香り野に漂う。水も温み、心浮く春の興趣。
【午の日】
 二月最初の午の日。京都伏見稲荷の祭神が伊奈利山に降りた日と云われ、稲荷神社の祭日になっている。
 黄鶯睍睆。鶯が山里で鳴き始める。
 魚上氷。割れた氷の間から魚が飛び出る。

【雨水( うすい)】
 立春後15日目に当たる。南方から湿気を含んだ温かい風が吹き始め、それが雨となって雪や氷を解かし始める。陽気が地上に発し、降っていた雪氷が解けて雨水となる頃。「土脉潤起」(雨が降って土が湿り気を含む)。
 「雨水」に雛壇を飾ると、春の訪れを祝うとともに、女の子の健やかな成長や良縁に恵まれ幸せを願うという言い伝えがある。由来として、雛祭りは水に関係する行事であるため、水が豊かになる雨水に雛人形を飾ると良縁に恵まれるとされている。流し雛として人形に厄を移し水に流していたことに由来する。また山に積もった雪がゆっくり溶け出し、田畑を潤すことから、雨水の日は昔から農耕の準備を始める目安とされており、この時期から、草木も芽吹き、雪解け水が川に流れ始める。新緑が芽吹くように、良い縁が芽吹くといわれている。
 霞始靆。霞がたなびき始める。
 草木萠動。草木が芽吹き始める。

【啓蟄( けいちつ)】
 蟄虫啓戸。“啓”は開く、“蟄”は地中の虫。春の訪れとともに、冬の間、土中で冬眠冬ごもりしていた虫が地上へ這い出てくる頃。これにより啓蟄と云う。
 桃始笑。桃の花が咲き始める。
 菜虫化蝶。青虫が羽化して紋白蝶になる。

【春の彼岸(ひがん)の入り】
 春の彼岸(ひがん)の入り。春分の3日前。「暑さ寒さも彼岸まで」と云われ、この頃が厳しい寒暑の峠を越す。
【春分(しゅんぶん)】
 春の彼岸の中日で昼と夜の時間がほぼ同じになる。春分日とは、天文学で「春分点」と呼ばれる点を太陽の中心が通過する日のことで、昼夜の長さがほぼ等しくなる。太陽が真東から昇り真西に沈む。この日以降、昼が次第に長くなり、反対に夜が短くなる。新緑がまぶしく生き物が輝きだす。春の彼岸の中日。だいたいは3月21日あたりになる。この「日」は、0時から翌日の0時までの時間とする。春分の日を中日(ちゅうにち)として前3日・後3日の計7日間をそれぞれ、「春の彼岸」と云う。秋分の日の場合「秋の彼岸」という。7日間の最初の日が「彼岸の入り」、最後の日が「彼岸の明け」である。「雀始巣」(雀が巣を構え始める)。

 桜始開。桜の花が咲き始める。
 雷乃発声。遠くで雷の音がし始める。

【清明(せいめい)】
 万物に清らかな気が満ち、桜や草木の花が咲き始める。明るい日差しがふりそそぐようになり、すがすがしく明らかな空気を表現している。「玄鳥至」(燕が南からやって来る)。
 鴻雁北雁が北へ渡って行く。
 虹始見。雨の後に虹が出始める。

【花祭り】
 花祭り。お釈迦様の誕生日。お寺では法会が行われる。

【穀雨(こくう)】
 春雨が降り田畑を潤し穀物の成長を助ける。種まきの好機となる。穀雨までが春となる。「葭始生」(葦が芽を吹き始める)。
 霜止出苗。霜が終り稲の苗が生長する。
 牡丹華。牡丹の花が咲く。

【八十八夜(はちじゅうはちや)】
 「八十八夜」は立春から数えて88日目で陽暦の5月1~2日ごろにあたる。「八十八夜の別れ霜」などと云われ、霜の心配が少なくなる頃となり、種まきの適期とされる。茶どころでは、茶摘みの最盛期となる。「夏も近づく八十八夜(や)、野にも山にも若葉が茂る。あれに見えるは茶摘(ちゃつみ)じゃないか、あかねだすきに菅(すげ)の笠」と文部省唱歌に歌われている。

【立夏( りっか)】
 春が終り夏の気配となる。この日から立秋までの間が旧暦の夏になる。「蛙始鳴」(蛙が鳴き始める)。
 蚯蚓出。蚯蚓(みみず)が地上に這出る。
 竹笋生。筍が生えて来る。

【小満( しょうまん)】
 万物が次第に成長し繁る頃。麦の穂が成長し、山野の植物が花から実を結び始める。「蚕起食桑」(蚕が桑を盛んに食べ始める)。
 紅花栄。紅花が盛んに咲く。
 麦秋至。麦が熟し麦秋となる。

【芒種( ぼうしゅ)】
 6.5日頃から夏至までの期間。芒(ぼう、のぎ)とは、イネ科の食物の花の外殻にある針状の突起のことで、芒(ぼう、のぎ)のある穀物(稲、麦)の種を蒔く頃になる。麦を刈り取り、稲を田に植える季節となる。この頃、梅雨入りする。「蟷螂生」(かまきり生ず)。
 腐草為蛍。腐った草が蒸れ蛍になる。
 梅子黄。梅の実が黄ばんで熟す。

【「蟷螂生」(かまきり生ず)】
 「蟷螂生」(かまきり生ず)。即ち、かまきりが卵からかえる頃である。ちなみに、「蟷螂の斧」(とうろうの斧)とは、カマキリがか弱い前足で斉の荘公が乗る大きな車に立ち向かったという故事から生まれており、弱い者が自分の力をわきまえず強い相手に立ち向かうことを云う。転じて、身の程をわきまえない行動をすることのたとえ。(出典/淮南子)

【入梅(にゅうばい、つゆ)】
 梅雨に入る頃で、春から夏へ変わっていく雨の多い季節となる。語源は、梅の実の熟す頃に雨季に入るところから来ている。

【夏至(げし)】
 夏季の真ん中。梅雨のさなかのため気づきにくいが、北半球では太陽が黄道上の夏至点を通過する時で陽射しが強くなり、一年中で昼が最も長くなり反対に夜が一番短い日となる。夜明けから日暮れまでの明るみ、日暮れから夜明けまでの暗み時間の比率が2対1ほどになる。「乃東枯」(夏枯草が枯れる)。
 菖蒲華。あやめの花が咲く。

【半夏生(はんげ))】
 半夏(ハンゲ)という毒草の生える頃。烏柄杓が生える。

【小暑( しょうしょ)】
 梅雨が明け、夏の太陽が照りつけ始める。いよいよ夏らしい暑さが始まるので小暑という。「温風至」(暖い風が吹いて来る)。
 蓮始開。蓮の花が開き始める。
 鷹乃学習。鷹の幼鳥が飛ぶことを覚える。

【夏の土用の入り】
 夏の土用の入り。立春、立夏、立秋、立冬の前18日間を「土用」と呼ぶ。「土用の丑(うし)」と云う場合の丑は、十二支の丑の日を指し、一般的には夏の土用の丑が広く親しまれている。

【大暑( たいしょ)】
 この頃、暑さが最高潮に達し酷暑の季節となる。夏本番となり25度以上の熱帯夜酷暑が続く。暦のうえでは、この大暑までが夏。「桐始結花」(桐の実が生り始める)。
 土潤溽暑。土が湿って蒸暑くなる。
 大雨時行。時として大雨が降る。

【立秋( りっしゅう)】
 暑い日が続くが旧暦上は秋に入る。何となく秋の気配が感じられるようになる。深い霧が発生する。「涼風至」(涼しい風が立ち始める)。
 寒蝉鳴。蜩(ひぐらし)が鳴き始める。
 蒙霧升降。深い霧が立ち込める。

【暑処( しょしょ)】
 初秋の頃となり、穀物が実り始める。お盆も過ぎ、暑さがおさまりしのぎやすくなる頃。「処」は来て止まるの意で暑さが止む。
 天地始粛。ようやく暑さが鎮まる
 禾乃登。稲が実る。

【二百十日(にひゃくとおか)】
 立春から数えて210日目。「二百十日」は荒天に注意。 陽暦の9月1日ごろで、ちょうど稲の開花期にあたり、この前後によく台風が襲来するので厄日とされている。

【白露(はくろ)】
 秋分前の15日目に当たる。白い露が葉の上に見えだし、白い露のようなもやが漂う。涼しい風が吹くようになり、いよいよ秋らしくなる。「草露白」(くさのつゆしろし、草に降りた露が白く光る)。
 「鶺鴒鳴」(鶺鴒(せきれい)が鳴き始める)。鶺鴒は日本書紀にも登場、神話の中でイザナミとイザナギに夫婦和合や子作りの方法を説いたことから「恋教え鳥」という別名も持つ。

 (1) 鷹の渡り。(2) 昆虫(蜻蛉、蝶々)/チョウトンボ、ショウジョウトンボ、マユタテアカネ、シオカラトンボ、コミスジ、キマダラモドキ、イチモンジチョウ、スジグロシロチョウ、アゲハチョウ。(3) 山野草/ツルニンジン、ツリガネニンジン、シラヤマギク、ハギ、クズ、アレチノヌスビトハギ、ツリバナの実、ママコノシリニグイ、コバノカモメヅル、ツキミソウ、ノアザミ、タイアザミ、オモダカ、ヒシの花、オオイヌタデ、オニドコロ、ミツバアケビ。(4) 風物/タヌキ親子、スズミグモ、稲刈り田圃とワラボッチ、浮雲、近隣風景。
 「玄鳥去」(つばめさる)。春にやって来た燕が南へ帰って行く。外敵に狙われないよう、あえて雲に覆われた天候の悪い日を選び、小雨が降っていてもたくましく飛んで行きます。春は一羽ずつ海面すれすれに飛んで来る。帰りは数千から数万の大集団で帰っていく。

【秋分(しゅうぶん)の日】
 秋の彼岸の中日に当たる。春分と同じく昼と夜の長さが等分になる日で、太陽が真東から昇り真西に沈む。これより以降は次第に昼が短くなる。
太陽の中心が秋分点に来た時で、昼夜の長さがほぼ等しくなる。秋分日(Autumnal Equinox Day) は、天文学で「秋分点」と呼ばれる点を太陽が通過する日のことを云う。秋分の日は春分の日(3月21日頃)と同じく太陽が真東から出て真西に没する。このため昼と夜の時間が等しくなる(太陽が赤道上にあり昼夜の長さが等しくなる)。これより徐々に昼が短く夜が長くなっていく。9月は長月(ながつき、夜長月)といい夜が長くなる月なのでそう呼ばれる。秋分の日は凡そ9月23日頃に当り、秋の彼岸の中日でもあり国民の休日にもなっている。近年は温暖化の影響で暑さの残る気候だが、かつては暑くもなく寒くもないさわやかな時節とされ、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように暑さも峠を越し過ごし易い気候になる。また収穫と秋祭りの時期でもある。秋分とは、秋分は黄道上の太陽の位置によって定まる二十四節気の一つで、旧暦八月酉の月の中気である。秋分の日には、全国で収穫と秋祭りは行われる。また、「暑さ寒さも彼岸まで」という言うように暑さも峠を越して温和な気候になる。彼岸は、春分の日(3月21日頃)と秋分の日(9月23日頃)をはさんだ前後の3日間ずつ計7日間のことで、それぞれ春彼岸、秋彼岸といい、彼岸の最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸の明け」、春分・秋分の日を「彼岸の中日」と云う。春分の日および秋分の日は国民の祝日であり、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)によると、「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、「秋分の日」は「先祖をうやまい、亡き人をしのぶ」とあり、それぞれの年の春分日および秋分日にすると定められている。春分日・秋分日は毎年変わるので、前年の2月1日付けの官報で日本国政府から発表されることになっている。したがって、再来年の春分の日および秋分の日は来年の2月1日にならないと正式には分からないことになる。「雷乃収声」(雷が鳴り響かなくなる)。


【重陽(ちょうよう)の節句】
 古代中国では、奇数月を陽、偶数月を陰としていた。奇数最大の9は「陽の極まった数」で、これが重なる9月9日が「重陽(ちょうよう)」で、五節句の最後を飾る。「菊の節句」ともいい菊祭りする。古来より、お酒に菊の花びらを浮かべて飲み、邪気を祓い健康長寿を願う習わしがある。
 五節句とは、江戸時代に定められた5つの式日で次の通り。
1月7日 「人日」 七草がゆを食べる。
3月3日 「上巳」 別名「桃の節句」
5月5日 「端午」
7月7日 「七夕」
9月9日 「重陽」 別名「菊の節句」

 重陽とは「陽が重なる」という意味。古来中国では奇数を縁起が良い「陽の数」とし、その中でも一番大きい数「9」が重なる9月9日を大変めでたい日とした。一方で、陽の気が強すぎて不吉なことが起こりやすい日ともされたことから、邪気を払い無病息災を願う節句の風習が行われるようになった。この風習が日本に伝わり、平安時代の初めには宮中行事としてすぐれた薬効をもつ「菊」を用いた宴が開催されるようになった。天皇や宮中の人々は、菊を眺めたり、菊酒(菊の花を浮かべた酒)を飲んだり、詩を詠んだり(菊合わせ)して楽しんだ。菊酒は、菊の花には不老長寿の力があるとされ、長寿を願うために飲まれた。この行事は民衆にも広まり、江戸時代には五節句の一つになった。重陽の節句は作物の収穫時期とも重なるため、栗ご飯を食べてお祝いするようになったことから、「栗の節句」と呼ばれることもある。さらに、「くんち(九日)に茄子を食べると中風にならない」という言い伝えから秋茄子を食べる地域もある。五節句は、1年を通して自然の恵みに感謝しながら旬のものを取り入れ、健康を願う人々の思いが詰まった伝統的な行事ということが分かる。
 陰暦9月8日の夜、菊の花に延寿の効力があるとされ、真綿をかぶせ香りと露を移して身をぬぐうと老いが去り、長生きできるという。11月頃、全国の神社で菊祭りが開催される。菊の節句は重陽の節句ともいう。日本でも中国でも古くから愛されている。中国では、陽数(奇数)の極みである9の数字が重なる9月9日を重九ともいい吉日としてきた。この日、人々は酒肴や茶菓を持って山に登り、茱萸(しゅゆ)を髪に挿し、菊酒を飲んで邪気を払ったと云う。後漢の有名な方士(神仙の術を行う人)であった費長房(ひちょうぼう)が或る日、弟子に「9月9日にお前の家では災いが生じる。家の者たちに茱萸を入れた袋を下げさせ、高いところに登り、菊酒を飲めば、この禍は避けることができる」と伝え、弟子はその言葉に従って家族と共に山に登り、夕方家に帰ると、鶏や牛などが身代りに死んでいたという逸話に由来すると云われている。茱萸は、カワハジカミとも呼ばれ、重陽の時期に赤い実が生り、厄除けや寒さ避けになるという。菊も、周の穆王(ぼくおう)に愛され、菊の露を飲んで不老不死になったという菊慈童の伝説がある。日本でも重陽の菊花の宴の事例がある。685(天武14)年、嵯峨天皇のとき、神泉苑に文人を召し、詩歌の宴が行われている。淳和天皇の頃には紫宸殿で行われ、臣下は天皇から菊酒を賜り、邪気を払い、長寿を祈念しながらそれを飲んだという。

 菊を愛でる習慣がいつの頃からか菊の着せ綿や、茱萸の袋を菊とともに柱に取り付け、邪気を払う行事になったようで、平安文学や和歌に着せ綿のことがよく詠みこまれるようになっていく。紫式部は、『紫式部日記』の中で、藤原道長の北の方から着せ綿を贈られた際、「菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ」(「着せ綿の露で千年も寿命が延びると言うことですが、私は若返るくらいに少しだけ袖を触れさせていただき、千年の寿命は、花の持ち主のあなたさまにお譲りいたしましょう」という意味の歌)と返歌を贈っている。この着せ綿の行事は明治の宮中でも行われていたようだ。9月8日の夕刻、御所のお庭の花壇に植えられた菊に綿をかぶせ、「杣人の 打袖匂ふ 露の露 打払ふことも 千代を経ぬべし」という歌を三度唱和され、女官もまた同じ作法をする。9日の朝、着せ綿で顔をぬぐわれて長寿を祈り、菊花が添えられた菊御献を召し上がる。節句とは、体調を崩しがちになる季節の変わり目に、普段の生活にはない特別なものを頂いて、季節が変わることを体に意識させ、来る季節を元気に過ごせるように備えるという意味があると思われる。旧暦の9月9日は、大体10月の半ば頃。収穫作業なども一段落し、そろそろ冬に向かって行こうかというた秋のさわやかな空気の中で、紅葉などを眺めながら、もうすぐできなくなる外での行楽を楽しむという意味合いもあったのだろう。(「
菊の節句の由来と行事」その他参照)

【二百二十日】

【秋の彼岸の入り】

【秋分( しゅうぶん)】
 秋の彼岸の中日に当たる。春分と同じく昼と夜の長さが等分になる日で、太陽が真東から昇り真西に沈む。これより以降は次第に昼が短くなる。
 七十二侯「蟄虫坏戸」(むしかくれてとをふさぐ)

 「虫が土中に掘った穴をふさぐ」と読む。秋分をすぎても穴に入らないヘビのことを「穴まどひ」という。のそのそと這うヘビをみて、そろそろ寒くはないかと案じるあたたかいまなざしを感じる。「秋の蛇」ともいう。春分前の「蟄虫啓戸」(すごもりむしとをひらく)と対になっている。虫という字は元々ヘビを象った象形文字で、本来はヘビを示す言葉。その後、人、鳥、魚、獣のどれにも属さない生きものをさすのに使われるようになった。蛙(かえる)、蜥蜴(とかげ)には虫編がついている。蝦(えび)、蛤(はまぐり)、蜆(しじみ)など甲殻類や貝類にも虫の字が使われている。七十二侯の春と秋に登場する「蟄虫(冬ごもりする虫)」は、虫だけでなくカエルやトカゲを含むと説明されていることが多いが、本来はヘビを始めとする両生類や爬虫類をさしている。カエル、イモリ、サンショウウオは両生類。ヘビ、トカゲ、カメ、ヤモリは爬虫類。生きものではない虹(にじ)になぜ虫編がついているのかというと、虹は「空を貫く大蛇が龍になるときの姿」と考えて、七色のレインボーが龍の化身のようにみえていたことによる。虫も冬越しするが成虫のまま越冬できる虫は少なく、盛んに鳴いていたコオロギやバッタはみな死んでしまい、卵で冬を越す。カマキリもそう。モンシロチョウやアゲハはサナギ。カブトムシは幼虫の状態で土中に。カメムシやテントウムシは成虫のまま木の幹などで集団越冬する。スズメバチやアシナガバチは新女王バチだけが生き残って孤独に越冬する。冬によくみかけるミノムシは、夏までに大きくなったミノガの幼虫が越冬する姿である。虫たちの越冬は樹皮の隙間や洞、葉裏、枯葉の下など場所もさまざまで、土中に入ってきっちりと戸を塞ぐのはアリ。(和暦研究家の高月美樹「暦生活」参照)
 水始涸(水はじめてかるる)/田畑の水を干し始める。夏に花を咲かせたあと日に日に色づき、頭を垂れる金色の稲穂は秋の深まりを教え、稲刈りの時期が訪れたことを知らせる。稲は刈り入れが終わると束ねて稲木にかけ天日干す。稲刈りが終わったあとは各地で恵みに感謝する収穫祭が行われる。関東以北を中心に、旧暦10月10日に行われる「十日夜(とおかんや)」。稲刈りが無事に終わり、田の神様が山に帰る日とされており、みんなでお餅をついたり、かかしを祀ったり、馬を労ったりして、秋の収穫を祝う。

【十五夜( )】
 中秋の名月。十五夜のお月さまのこと。旧暦の8月15日の夕方に出る月のことを云う。秋の澄んだ空気によって、満月のなかでも最も美しく見えることから、「名月」、「中秋の名月」と呼ばれている。旧暦の秋にあたる7月、8月、9月の真ん中の月である8月はちょうど秋の真ん中にあたるため「中秋」と呼ばれる。

【寒露( かんろ)】
 10.8日は二十四節気の「寒露」(かんろ)。山野には晩秋の色こく、野草が冷たい凝露を宿す頃。野草に露が宿る。五穀の収穫がたけなわとなる。夜が長くなり、冷気が増し始め、朝晩の冷え込みがひんやりときつくなる。空気が澄んだ秋晴れの過ごしやすい日が多くなり、夜空を見上げると、より美しくきれいに輝く月が見られるようになる。

 初侯「鴻雁来」(こうがんきたる)(雁が飛来し始める)。10月8日〜10月12日頃。4月10日頃の「鴻雁北」(こうがんかえる)と対になり、ツバメと入れ違いに北の方から雁が再び渡ってくる頃となる。毎年、初めに訪れる雁を「初雁(はつかり)」と呼ぶ。雁は日本で冬を過ごし、暖かい春になるとシベリアの方へ帰っていく。日本には約500~600種の野鳥がいるが、その多くが「渡り」をする。日本で見られる渡り鳥には、①繁殖するために春から夏にかけて海を越えて渡ってくる「夏鳥」、②厳しい寒さを逃れて秋から冬に海を越えて渡ってくる「冬鳥」、③渡りの途中に日本に立ち寄る「旅鳥」、④日本国内で、南北に移動したり山地と平地を行き来したりする「漂鳥」(ひょうちょう)、⑤悪天候などの影響で迷い込んだ「迷鳥」(めいちょう)などがいる。一方、スズメやカラスのようにひとつの土地にずっと住み続ける鳥を「留鳥」(りゅうちょう)という。

 日本で見られる「冬鳥」は雁の他、ハクチョウ、ツル、カモ、ツグミなどがいる。冬鳥は、アラスカ、シベリア、カムチャッカなどで、短い夏の間に卵を産み、子育てをする。そして餌場が雪や氷で閉ざされる頃、冬でも餌の多い南へ向かって渡って行く。「雁行」とも呼ばれる雁などのV字飛行が有名。V字になって飛ぶことで、前方の鳥の作る気流に乗ることができ、効率良く飛び続けることができると云う。日本各地に冬鳥の飛来地がある。野鳥観察に訪れるのも良い。
 次侯「菊花開」(きくのはなひらく)。菊の花が咲く。10月13日〜10月17日頃。菊の花がさく頃。各地で、菊の展示や菊まつり、品評会が行われる。菊には不老長寿の薬効があるとされ、旧暦9月9日の重陽の節句には菊の花を酒に浮かべた菊花酒を飲む風習があった。
 この時期の野菜は、ミネラル豊富な緑黄色野菜である青梗菜(ちんげんさい)。和名では「たいさい(体菜)」と呼ばれている。原産地の中国では3000年も前から食べられていた。そのため多くの中華料理に使われている。
 この時期の果物は、柘榴(ざくろ) 。6~7月に花を咲かせる柘榴は10月が食べごろです。国産の柘榴は酸味が強いので、トッピングやジュース、シャーベットなどに。甘味が強い輸入物の柘榴もおすすめです。6~7月に花を咲かせる柘榴は10月が食べごろです。国産の柘榴は酸味が強いので、トッピングやジュース、シャーベットなどに。甘味が強い輸入物の柘榴もおすすめです。

 栗(くり) 。国産の栗は中国やヨーロッパの栗よりも大型で風味が良い。そのため、食べ方はシンプルにゆで栗や栗ごはんがおすすめ。ずっしりと重みがあり光沢のあるものを選ぶのがコツ。
 この時期の魚(さかな)は、はたはた。秋田の郷土料理にはなくてはならない存在であるはたはた。ぶりこと呼ばれる卵には旨味が濃縮されているためねっとりと濃厚です。このぶりこによって商品価値が決まる。
 末侯「蟋蟀在戸」(きりぎりすとにあり)。蟋蟀が戸の辺りで鳴く。10月18日〜10月22日頃。この候の蟋蟀は、夏から冬にかけて見られ、鈴のような音色を響かせるツヅレサセコオロギだと言われています。ギーッチョンと機織りのように鳴く蟋蟀ではありません。

【霜降( そうこう)】
 秋の終わりで霜が降りる意。夜露が寒気で冷え、初霜が降りる頃となり冬の到来が感じられるようになる。ここまでが暦の上では秋となる。
 霎時施。小雨がしとしと降る。
 楓蔦黄。もみじや蔦が黄葉する。

【立冬( りっとう)】
 暦の上ではこの日から冬に入る。冬の気が初めて立つころで、平地でも紅葉が進み始める。「山茶始開」(山茶花が咲き始める)。
 地始凍。大地が凍り始める。
 金盞香。水仙の花が咲く。

【小雪( しょうせつ)】
 北風が吹き始め寒さが厳しくなり、雨に代わり初雪が降る頃。山峰の頂に白銀の雪が眺められるようになる。ミカンが黄ばみ始める。「虹蔵不見」(虹を見かけなくなる)。
 朔風払葉。北風が木の葉を払い除ける。
 橘始黄。橘の葉が黄葉し始める。

【大雪( だいせつ)】
 山の峰が積雪に覆われ冬将軍の到来期となる。「閉塞成冬」(天地の気が塞がって冬となる)。
 熊蟄穴。熊が冬眠のために穴に隠れる。
 魚厥}魚群。鮭が群がり川を上る。

【冬至( とうじ)】
 この日、太陽が黄道上の冬至点を通過する時で、太陽が赤道以南の南半球の最も遠いところに行くため、北半球では太陽の高さが1年中で最も低くなる。そのため、昼(日照時間)が1年中で最も短く夜が一番長くなる日となる。立春を年初めとしたのは中国の漢代よりで、それ以前は冬至から新年をスタートさせていた。正午の太陽の高さが一年中でもっとも低くなる。「乃東生」(夏枯草が芽を出す)。
 麋角解。鹿が角を落とす。
 雪下出麦。雪の下で麦が芽を出す。

【「大晦日」(おおみそか)】
 「大晦日」(おおみそか)は1年の終わりの日で12.31日を指す。「大晦(おおつごもり)」ともいう。この日は、「年越しの大祓い」を斎行する。これは、年の罪や穢れを取り除き、心身ともに清々しい姿で新年を迎える為の神事である。

【元旦(がんたん)】
 元日は1年の明け日で、1.1日から3日までを3ヶ日、1.7日までを松の内といい、この期間を「正月」という。新春を寿(ことほ)ぎ初詣でをする。その際、神社に参拝して祖先から受け継いだ生命の更新を慶び、子孫への更なる生成発展を祈る。これが初詣の神意となっている。正月には神棚のお札を新しくする。 
【正月「お雑煮」と「おせち料理」】
 正月には「お雑煮」と「おせち料理」を味わうのが伝統的習慣である。「おせち」の語源は「御節供(おせちく)」と云われている。5.5日の端午の節句などの5節句に神前に供える料理の総称で、節句の1番目に当たる正月料理を「おせち」と呼ぶ。五穀豊穣の祈りを込めて年神様に供え、家族の健康と安泰を願い共に戴くという意味が込められている。重箱に詰めるのは「めでたさ」を重ねる意味がある。料理はそれぞれ保存に優れ且つ意味のある縁起の良いものばかりから拵(こしら)えられる。昆布巻きは「よろこぶ」、黒豆は「まめ(健康)に暮らす」、エビは「腰が曲がるまで丈夫に」、数の子は卵の数が多いので子孫繁栄、田作りは豊作を表している。魚は、関東ではサケ、関西ではブリが使われる。それぞれその土地で収穫したものを使う。雑煮は、餅の形や色、出汁(だし)の味付けが様々で、正月料理を見れば、その地域の特色が分かる。

【小寒(しょうかん)】
 本格的な冬が到来する。寒期の只中で、寒風と降雪に悩まされる。小寒から節分までの立春前の30日間を「寒(かん)の内」という。「小寒」に入ることを「寒の入り」という。「寒の入り」は1月6日ごろに当たる。「芹乃栄」(芹がよく生育する)。
 72候/水泉動。地中で凍った泉が動き始める。
 雉始雊。雄の雉が鳴き始める。

【大寒( だいかん)】
 寒気の絶頂期。春がまじかに迫り始める。大寒までが、暦の上で冬となる。「款冬華」(蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す)。
 水沢腹堅。沢に氷が厚く張りつめる。
 鶏始乳。鶏が卵を産み始める。

【春分、秋分の日の決め方考】
 春分と秋分の日は、毎年、国立天文台が計算する。地球は太陽の周囲を365日と約5時間49分かけて公転している。端数が出る為、4年に一度のうるう年で調整する。それでもズレが生じる為、春分と秋分の日が移動することがある。春分の日は3月20日と21日を繰り返すことになる。秋分の日は9月23日であるが時々変更されることになる。2011.2.1日、国立天文台は、来年2012年度の秋分の日を、1896年以来116年ぶりに9月22日になると発表した。23日以外の日が秋分の日になるのは1979年以来33年ぶり。

【春の七草、秋の七草考】
 春の七草。春の七草の由来や種類。

 「春の七草」の七草はせり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな 、すずしろ を云う。小さな蕪がすずな、小さな大根がすずしろ。「すず」は「鈴」でもあり「小さい」という意味。これを七草粥にして食べる。正月七日は人日の節句である。古来中国では、1月1日は鶏の日、2日は犬の日、3日は羊の日…などと定められており、この日はその動物を殺さない(食べない)などという決まりがあった。7日は人の日なので、人を殺さない(処刑などを行わない)ということが決められていた。人日には、災厄を祓い、不老長寿を願って、七種の若菜を使って羹(あつもの)の温かいスープを作って飲むという習慣があった。それが日本に伝わり、正月子(ね)の日の若菜摘みの文化と合わさって七草粥になったのではないかといわれている。日本では古くより、正月最初の子の日に野に出て、小松を引き、若菜を摘み、宴を催して詩歌に興ずる行事が行われていた。この若菜摘みを子の日ではなく7日に行うようになった。若菜摘みの一首「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣 手に雪は降りつつ」(光孝天皇)。若菜が萌え出し、春の気配を感じる野原だけれど、まだまだ寒く、ちらちらと雪が降っている。芽吹いたばかりのやわらかく、やさしい若菜の緑色と真っ白な雪のコントラストが美しく、目の前にその景色が浮かぶ。七草粥を食べるのはお正月料理で疲れた胃を休めるためとか、冬に不足しがちなビタミン類を補給するためとかの説がある。野菜は旬のものを頂くのが一番おいしく栄養価も高い。ビタミンCが豊富で、をきちんと摂っていれば風邪にもかかりにくい。新鮮な旬の若菜を真っ先に頂く七草粥はそういう理にかなった食べ物である。一年の無病息災を祈念して体を健康に保ち備える。七草粥には、生活の中から編み出した昔の人の知恵がある。(「歌で文化を伝える七草粥の話/彬子女王殿下と知る日本文化入門」参照)
 秋の七草。秋の七草の由来や種類。

 「秋の七草」は、「春の七草」のように粥にして食べたりすることはない。平安時代貴族は、秋の七草が咲いていた花を鑑賞し歌を詠むという風流な遊びをしていた。花野に咲く秋の七草を月の光で愛でていた。

 山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ下記の万葉集2首の歌にちなんでいる。
「秋の野に 咲たる花を 指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」)
「萩の花 尾花葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなえし) また藤袴 朝顔の花」

 秋の七草とは、ススキ(尾花)、クズ(葛花)、ナデシコ(瞿麦)、オミナエシ(姫部志)、フジバカマ(藤袴)、キキョウ(桔梗)、ハギ(萩)。歌の中にある「朝顔の花」については、朝顔・昼顔・ムクゲ・桔梗など諸説ありますが桔梗が有力とされている。
ススキ (尾花)  尾花はススキの別名。イネ科の多年草で草丈は1~2mになる。集落付近や畔などによく茂っていたため茅葺屋根(かやぶきやね)の材料として使われることもあった。お月見には欠かせない草花のひとつ。 
クズ (葛花)  マメ科に分類される大型の蔓性植物。葛の根から取り出したデンプンは葛粉と呼ばれ、葛餅や葛切りの原材料として使われている。
ナデシコ (瞿麦)  ナデシコ科の多年草で、山などでよく見られる。江戸時代ではナデシコを交配させたり、自然交配によって生まれたナデシコを観賞していた。
オミナエシ (姫部志)  オミナエシ科の多年草で、草丈が60~100cm程になる。8~10月頃に黄色い美しい花を咲かせる美花種。オミナエシが「女郎花」と表現されるようになったのは西暦900年代以降のこと。 
フジバカマ (藤袴)  キク科の多年草で東アジア原産。8月~9月頃に白い花を咲かせる。日本でも自生しておりその存在は万葉集、源氏物語にも示されている。しかし、現在は藤袴が生息するのに良い環境とは言えなくなってしまい、数が激減し、日本で自生していた藤袴も今では絶滅危惧種に指定されている。藤袴の花は小さく細長いものが茎の先端に密集するようにしてついている。その直径は一センチにも満たない。細長く密集しているので、その咲き方はまるで線香花火の様にも見える。縦に長く成長する藤袴。50cm程の草丈になる。もっと大きく成長すると1mを優に超える。
キキョウ (桔梗)  キキョウ科に属する多年草で、草丈が40~100cm程になる。花がとても美しく、今でも園芸種が多数流通している。花の姿形の美しさから多くの武将の家紋として使われている。
ハギ (萩)  マメ科ハギ属の総称で何種類もある。枝垂れるような姿の細枝から、白やピンクの小さな花が多数開花する。大株になるとかなりの迫力がある。七草のひとつとなっているが植物の分類としては木本(落葉低木)。

【日本暦一覧その5、月名表】
新法月 古来月 読み方 意味
1月 睦月 むつき 皆が睦まじく喜び祝う月の意。
2月 如月 きさらぎ 衣を更に重ねる「衣更着」が語源と云われる。
3月 弥生 やよい 弥生い(いやおい)の転。草花が生い茂り始めるの意
4月 卯月 うづき 卯の花の咲く月の意
5月 皐月 さつき 田植えの「早苗」をする月の意
6月 水無月 みなづき 梅雨に関わる意。田んぼに水を引く。
7月 文月 ふみづき 「穂含月」(ほふみづき)の略。稲の穂が稔る月の意。また七夕に託して文をしたためる月の意味とも云う。
8月 葉月 はづき 「葉落月」(はおちづき)の略。木の葉が盛んな時期の意
9月 長月 ながづき 夜が長くなる「夜長月」の意
10月 神無月 かんなづき 諸国の神々が出雲へ集まり、神が居なくなる月の意
11月 霜月 しもつき 「霜降り月」の意
12月 師走 しわす 師匠でさえ忙しく走り始めるの意


【六曜】

 六曜(別名「六輝」)とは、「先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口」を云い、この順で繰り返す。元々中国で、1ヵ月を6日ごとに区切り、それぞれの日を区別するため名前をつけ吉凶、運勢を判断したもの。14世紀頃の鎌倉時代末期、中国から日本に伝わったとされている。幕末頃から民間の暦に記載され急速に普及した。明治政府が吉凶つきの暦は迷信として禁止したが根強く伝えられている。六曜には各々その日の吉凶・運勢が定められているが、その内容は勝負事に関するものが多く、もともとは賭場の遊び人や勝負師などの間で用いられだしたものだとも云われている。現在では、その日の吉凶をあらわすものとして、冠婚葬祭の日取りなどの判断材料に用いられている。

名称 読み 意味
先勝 せんしょう
せんかち
さきがち
「先んずれば即ち勝つ」の意味。万事に急ぐことが良いとされる。午前は吉、午後は凶とされている。
友引 ともびき 「凶事に友を引く」の意味。葬式・法事を行うと、友が冥土に引寄せるとの迷信もある。午前午後は吉、正午が凶とされている。
先負 せんぷ
せんまけ
さきまけ
「先んずれば即ち負ける」の意味。万事に平静であることが良いとされる。先勝の逆で、午前は凶、午後は吉とされている。自分の方から働きかけず、仕掛けられるのが良いと云われている。
仏滅 ぶつめつ 「仏も滅するような大凶日」の意味。六曜の中では最も凶の日。結婚など祝儀を忌む。万事、凶とされている。この日に病気にかかると長引くとも云われている。
大安 たいあん
だいあん
「大いに安し」の意味。六曜の中では最も吉の日とされる。何事においても万事に吉。特に、結婚式、取引の日柄に選ばれる。お祝い事は午前中が良いとされている。
赤口 しゃっく
しゃっこう
せきぐち
「赤目日」という陰陽道の凶日に由来する。正午だけが吉とされている。

【長寿】
名称 読み 年齢 意味
還暦 かんれき 60  陰陽五行説で十二支と十支の組み合わせが60年で一回りして元へ還るという意味。華甲(かこう)、本卦還(ほんけがえり)、「─の宴」とも云う。「華甲」とは、「華」の字を分解すれば、六つの十と一とになることによる。「甲」は甲子(きのえね)の意。一族が集まって「生まれ直すこと」を祝い、赤ちゃんの時に着ていた様な赤い頭巾、ちゃんちゃんこ、座布団を贈って無病息災を祝福する。「迎えが来たら、とんでもないよと追い返せ」。
古希 こき 70  中国の詩人杜甫の「人生七十年古来稀なり」という詩に由来している。「迎えが来たら、まだまだ早いと突っ放せ」。
喜寿 きじゅ 77  「喜」の字の草書体が七十七と読めることに由来している。「迎えが来たら、せくな老楽これからよ」。
傘寿 さんじゅ 80  「傘」の略字が八十に似ているところからつけられた。昔は、白砂糖で作った太白餅を配る習慣があった。「迎えが来たら、何のまだまだ役に立つ」。
半寿 はんじゅ 81  八十一を組み合わせると「半」になるところからつけられた。将棋盤がの目が八十一あることから「盤寿」ともいわれている。
米寿 べいじゅ 88  「米」の字を分解すると八十八になることから由来している。末広がりの八が重なることでめでたいということもあり、お祝いするようになった。「迎えが来たら、そうじゃ、もう少しお米を食べてから」。
卒寿 そつじゅ 90  「卒」という字の略字の「卆」を分けると九十と読めることから由来している。「迎えが来たら、年齢に卒業はないはずよ」。
白寿 はくじゅ 99  白の字に一を加えると百になることから、あと一歳で百歳になるという意味。「迎えが来たら、百歳のお祝いが済むまでは」。
上寿 じょうじゅ 100  数え年100才のお祝い。もともと上寿は寿命の長いことをさしていた。長寿を3段階の上・中・下に分けたうちの最も上位。※下寿(60才)、中寿(80才)。「百賀の祝い」とも云う。100才以上は毎年お祝いする。
茶寿 ちゃじゅ 108  「迎えが来たら、まだまだお茶が飲みたらん」。
皇寿 こうじゅ 111  「そろそろ譲ろう日本一」。

【還暦】
 数え年61歳を以て干支(えと)が一巡し、生れた干支年に戻る。これを還暦と云う。これより新たな年を重ねて生き直しするの教えに基づく。

 (注) 1. 『語源由来辞典』というホームページがあり、そこで 「還暦」 、「華甲」 などの語についての解説が見られる。2.上の「ある年の干支の求め方」のところに引いた、フリー百科事典『ウィキペディア』の「干支」の項に、干支についての詳しい説明がある。3. 資料14に「杜甫の詩『曲江』(「古稀」の語の出典)」がある。

【結婚記念の祝い】
結納日
結婚記念日
紙(かみ)婚式 結婚1年
藁(わら)婚式 結婚2年
革(かわ)婚式 結婚3年
木(き)婚式 結婚5年
銅婚式 結婚7年
錫(すず)婚式 結婚10年
絹婚式 結婚12年
水晶婚式 結婚15年
磁器婚式 結婚20年
銀婚式 結婚25年
真珠婚式 結婚30年
珊瑚(さんご)婚式 結婚35年
ルビー婚式 結婚40年
サファイア婚式 結婚45年
金婚式 結婚50年
エメラルド婚式 結婚55年
ダイヤモンド婚式 結婚60年

【厄年】
 男性は数え年で25歳、42歳、61歳。女性は19歳、33歳、37歳。この前後3年間を、前厄、本厄、後厄として無病息災を祈念してお祓いする。厄年の意味するものは、この年齢の頃に身体の変化が起り、又は家庭事情にも変事が起りやすいと云う経験知からの諭しではなかろうか。

【古代の時刻制度】
 「新古代学の扉」の増田修の市民の古代第16集●1994年 市民の古代研究会編●研究論文「倭国の暦法と時刻制度」。
 一日が四八刻。




(私論.私見)