十干(じっかん)干支(えと)考

 更新日/2024(平成31→5.1栄和改元/栄和6).5.18日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、我々が知っておくべき日本伝来の暦の智恵を確認しておく。 

 2008.12.29日 れんだいこ拝 



【五行(ごぎょう)】 
 五行(ごぎょう)とは、万物の根元となる五つの元素、の「木・火・土・金・水」(もく・か・ど・ごん・すい)を云う。中国古代の戦国時代の騶衍(すうえん)が、この五行によって歴代王朝の変遷の順序を理論づけた。

 古来、自然の中から様々な学問を作り出した。星を見て作った学問が天文学で、その天文学を使って出来たのが暦である。暦学者は森羅万象を5つに分けた。それが木火土金水の五行である。この世はこの5つで成り立っているとして太陽系も大きく水星、金星、火星、木星、土星に分けた。

【十干】

 十干は五行(木火土金水)を兄(え)と弟(と)に分けたもので、始めは十干を「えと」と読んでいたようである。干(かん)は幹、支(し)は枝を示すともいう。元々十干は空間、十二支は時間を表すとされ、昔は時刻や方位の呼び方に用いられたが、これは現代にも子午線、正午、午前、午後などに残っている。

 昔からこの60種類の組み合わせを暦に用い、年々の記録などに多く用いられてきたが、現代の我々には昔の年号と同じように出来事を時系列的に捉えるのは中々困難である。有名なのは壬申の乱(672年)、戊辰戦争(1868年)、甲子園球場開設(1924年・大正13年)。 

 十干とは、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸のことをいう。音(おん)でこう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・きと読む。

十干 音(おん) 和読み
こう きのえ
おつ きのと
へい ひのえ
てい ひのと 丁壮と同意で、草木が成長し充実してきた様を表す。
つちのえ
つちのと
こう かのえ 更(あらたまる)と同語。草木が成長を終えて実を結んだ様子を表す。
しん かのと
じん みずのえ
10 みずのと

【五行十干】
 中国古代史の戦国時代末期から漢代にかけての頃、十干十二支が五行と結びついた。十干に五行(ごぎょう)の「木・火・土・金・水」(もく・か・ど・ごん・すい)を当てはめて、木 /甲・乙、火/丙・丁、土/戊・己、金/庚・辛、水/壬・癸とする。

 日本では、十干を五行に配したものを二つのグループに分け、前のグループを陽をあらわす兄(え)、後のグループを陰をあらわす弟(と)と名づけて、甲(きのえ、木の兄)・乙(きのと、木の弟)、丙(ひのえ、火の兄)・丁(ひのと、火の弟)、戊(つちのえ、土の兄)・己(つちのと、土の弟)、庚(かのえ、金の兄)・辛(かのと、金の弟)、壬(みずのえ、水の兄)・癸(みずのと、水の弟)としている。
木の兄 きのえ こう
木の弟 きのと おつ
火の兄 ひのえ へい
火の弟 ひのと てい
土の兄 つちのえ
土の弟 つちのと
金の兄 かのえ こう
金の弟 かのと しん
水の兄 みずのえ じん
水の弟 みずのと

【十二支】
 十二支とは、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥のことを云う。
音(おん)で、し・ちゅう・いん・ぼう・しん・し・ご・び・しん・ゆう・じゅつ・がい。
訓(くん)で、ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い
と読む。
和読み 音読み 漢字 時刻 方角 季節
午前0時
うし ちゅう 午前2時
とら いん 午前4時
ぼう 午前6時
たつ しん 午前8時
午前10時
うま 午後0時
ひつじ 午後2時
さる しん 午後4時
とり ゆう 午後6時
いぬ じゅつ 午後8時
がい 午後10時

【十二支の解説】
和読み 解説
増える意があり、新しい生命が種子の中に萌し始まる状態を表す。食物の種が地中で発芽した瞬間を指す。ねずみが増え成長することから、子孫繁栄の意味がある。行動力と財を表象する。
(株価/繁栄)
うし 粘り強さと誠実を表象する。
(株価/つまずき)
とら 生気の兆しを表し、物事の始まりを象徴する理。決断力と才知、強く逞しい様を表象する。
(株価/千里を走る)
兎の穏やかな様子から家内安全、跳躍する姿から飛躍を表す。全てのものが動き出し、成長へと向かう理、温厚で従順を表象する。
(株価/跳ねる)
たつ 伝説の生き物・龍は瑞祥と言われ、古来中国では、権力者の象徴として扱われた。正義感と信用を表象する。
(株価/天井)
干支(えと)の6番目。方位は南南東。時刻は午前10時を指す。動物では蛇があてられる。古来より神の使いとして崇められる白蛇信仰がある。蛇は穀物を害するネズミを食すことから「田畑の守り神」とされてきた。蛇が脱皮を繰り返し長期間餌を食べずに生き続けることなどから豊饒と多産、永遠の生命力、探究心と情熱を表象する。
(株価/天井)
うま 馬は人との付き合いが古い動物。人の役に立ち、人間も馬を大事に扱った。陽気で派手好きの理を表象する。
(株価/尻下がり)
ひつじ 群れをなす羊は家族の安泰を示し、いつまでも平和に暮らす事を意味している。穏やかで人情に厚い理を表象する。
(株価/辛抱)
さる 山の賢者で、山神の使いと信じられていた。信仰の対象としても馴染み深い動物である。器用で臨機応変の理を表象する。
(株価/騒ぐ)
とり 果実が成熟の極みに達し、収穫期を迎えた状態を指す。鶏は人に時を報せる動物。「とり」は“とりこむ”と言われ、商売などには縁起の良い干支である。親切で世話好きの理を表象する。
(株価/騒ぐ)
いぬ 社会性があり、忠実な動物。人との付き合いも古く親しみ深い動物。勤勉で努力家の理を表象する。
(株価/笑い)
「亥」は、日本では訓で「い・いのしし」と読んで「いのしし年(どし)・い年(どし)」と云うが、中国では「亥」は「ぶた」を指す。中国ではぶたは金運の象徴で、ぶた年生まれの人は金運に恵まれるとされている。日本が「ぶた」でなく「いのしし」と云い換えるのは、干支(えと)が入って来た当時、日本ではぶたを飼っていなかったからで、そこで、ぶたの先祖の「いのしし」を「亥」にあてたと云う。猪の肉は、万病を防ぐと言われ、無病息災の象徴とされている。勇気と冒険の理を表象する。
(株価/固まる)

【干支(十干十二支)】
 「干支」は「えと」と読む。「えと」の「え」は兄(え)、「と」は弟(おと)のことを云う。普通は十二支を指すように使われているが、本来は字のごとく「十干」と「十二支」の組み合わせ十干十二支(じっかん・じゅうにし)の「甲子」「乙丑」「丙寅」「丁卯」など60種類を指す。

 また、十干と十二支を順に組み合わせたものが、「甲子」、「乙丑」、「丙寅」、「丁卯」……「癸亥」で、音で読めば「かっし・こうし」、「いつちゅう(いっちゅう)」、「へいいん」、「ていぼう」……「きがい」。日本的に訓で読めば「甲子(きのえね)」、「乙丑(きのとうし)」、「丙寅(ひのえとら)」、「丁卯(ひのとう)」……「癸亥(みずのとい)」となる。組み合わせは全部で60種類。この60種類の組み合わせを、昔は年や月・日に当てて用いた。  
(十干) (十二支)
甲乙  寅卯
火  丙丁   巳午
戊己  丑辰 未戌
庚辛  申酉
壬癸 亥子
 (注)
 漢和辞典によれば、「乙」の音は、「イツ」が漢音、「オチ」が呉音、「オツ」が慣用音。甲乙丙というときは「こう・おつ・へい」と乙を慣用音で読む。 乙丑や乙亥というときは「いつちゅう」、「いつがい」と、乙を漢音で読む。広辞苑には「いっちゅう」、「おっちゅう」、「いつがい」、「おつがい」・ ……と、両方の読みが示している。ツをつと読むのとっと促音で読む二通りの読みがある。

 十干十二支の起源は古く、古代中国で発生した。殷(いん)時代末期(前15~前11世紀)に作られた甲骨文字の中に既に現れている。初めは十干と十二支を順に組み合わせて60の順位名を得、それらによって日付けを表す紀日法であったという。後年、漢の武帝が太初暦を作ったころ(前104年)、年を表す紀年法にも転用されるようになった。同時に、月にも十二支が用いられるようになった。(紀日法=ある特定の日を基準にして、日付けを表す方法。紀年法=ある特定の年を基準にして、年を表す方法)十二支に動物を配当するようになったのは漢代のころで、王充の『論衡』に初めて見られる。十二支を方位に配当するのも、漢代に起こったといわれている。漢代以後、十二支は時刻を数えるのにも用いられ、一日を12分して、それぞれ十二支を配当した。

甲子 かっし・こうし きのえね
乙丑 いつちゅう きのとうし
丙寅 いいん ひのえとら
丁卯 ていぼう ひのとう
戊辰 ぼしん つちのえたつ
己巳 きし つちのとみ
庚午 こうご かのえうま
辛未 しんび かのとひつじ
壬申 じんしん みずのえさる
10 癸酉 きゆう みずのととり
11 甲戌 こうじゅつ きのえいぬ
12 乙亥 いつがい きのとい
13 丙子 へいし ひのえね
14 丁丑 ていちゅう ひのとうし
15 戊寅 ぼいん つちのえとら
16 己卯 きぼう つちのとう
17 庚辰 こうしん かのえたつ
18 辛巳 しんし かのとみ
19 壬午 じんご みずのえうま
20 癸未 きび みずのとひつじ
21 甲申 こうしん きのえさる
22 乙酉 いつゆう きのととり
23 丙戌 へいじゅつ ひのえいぬ
24 丁亥 ていがい ひのとい
25 戊子 ぼし つちのえね
26 己丑 きちゅう つちのとうし
27 庚寅 こういん かのえとら
28 辛卯 しんぼう かのとう
29 壬辰 じんしん   みずのえたつ
30 癸巳 きし みずのとみ
31 甲午 こうご きのえうま
32 乙未 いつび きのとひつじ
33 丙申 へいしん ひのえさる
34 丁酉 ていゆう ひのととり 今までの歩みが区切り点を迎え
、日々の積み重ねが形として表
れる年回り。
35 戊戌 ぼじゅつ つちのえいぬ
36 己亥 きがい  つちのとい
37 庚子 こうし かのえね
38 辛丑 しんちゅう かのとうし
39 壬寅 じんいん みずのえとら
40 癸卯 きぼう みずのとう
41 甲辰 こうしん きのえたつ
42 乙巳 いつし きのとみ
43 丙午 へいご ひのえうま
44 丁未 ていび  ひのとひつじ
45 戊申 ぼしん つちのえさる
46 己酉 きゆう  つちのととり
47  庚戌 こうじゅつ かのえいぬ
48 辛亥 しんがい かのとい
49 壬子 じんし みずのえね
50 癸丑 きちゅう みずのとうし
51 甲寅 こういん きのえとら
52 乙卯 いつぼう きのとう
53 丙辰 へいしん ひのえたつ
54 丁巳 ていし ひのとみ
55 戊午 ぼご つちのえうま
56 己未 きび つちのとひつじ
57 庚申 こうしん かのえさる
58 辛酉 しんゆう かのととり
59 壬戌 じんじゅつ みずのえいぬ
60 癸亥 きがい みずのとい

【ある年の干支の求め方】
 干支の求め方を確認しておく。「ウィキペディア干支」、「 還暦について」を参照する。

 十干は、求めようとする年の西暦を10で割った余りを求め、その数を下の表にあてはめて求める。これを図示すると次のようになる。

 十干を求める表 (西暦を10で割った余りで求める)

 余り

 0

 1

 2

 3

 4

 5

 6

 7

 8

 9

 十干

 庚

 辛

 壬

 癸

 甲

 乙

 丙

 丁

 戊

 己

読み

 十二支は、西暦を12で割った末尾の余りを求め、その数を次の表にあてはめて求める。これを図示すると次のようになる。

 十二支を求める表 (西暦を12で割った末尾の余りで求める)

 余り

 0

 1

 2

 3

 4

 5

 6

 7

 8

 9

 10

 11

十二支

 申

 酉

 戌

 亥

 子

 丑

 寅

 卯

 辰

 巳

 午

 未

読み

  例題 西暦20077年の場合

 (1)十干は、2007を10で割って、その末尾の余り7から「丁」。
 (2)十二支は、2007を12で割って、その余り3から、「亥」。(何で3になるのだろう、分からない)
 答え 西暦2007年の干支は「丁亥」。 

  例題 壬申の乱が起こった弘文元年(天武元年)・西暦672年の場合

 (1)十干は、672年を10で割って、その末尾の余り2から「壬」。
 (2)十二支は、672を12で割って、その余り0から「申」。(何で3になるのだろう、分からない)
  答え 672年の干支は「壬申」。  

  例題 中国の清朝を倒した中国の民主主義革命が起こった1911年の場合

  (1)十干は、1911年を10で割って、その末尾の余り1から「辛」。
 (2)十二支は、1911を12で割って、その余り3から「亥」。(何で3になるのだろう、分からない)
  答え 1911年の干支は「壬申」。これにより、この革命を「辛亥革命」と名づけられている。

 例題 甲子園球場ができた大正13(1924)年の場合

  (1)十干は、1924年を10で割って、その余り4から「甲」。
 (2)十二支は、1924を12で割って、その余り4から「子」。
  答え 1924年の干支は甲子。これにより、この球場を「甲子園球場」と名づけられた。


 

【「己」・「已」・「巳」の違いの覚え方】

 十干の「己」、十二支の「巳」、「已然形」の「已」の識別。歌意で示す。

キ・コの声・おのれ・つちのと 下につき(己)、イ・すでに なかば(已)、シ・み は皆つく(巳)
キ・コ・おのれ・つちのとと読む「己」は下につき、イ・すでにと読む「已」は半ばにつき、シ・みと読む「巳」は皆つく、と教えている。
み・シは上(巳)、やむ・イはすでに半ばなり(已)、おのれ・つちのと・コは下につく(己)
やむ・イはすでに半ばなり」とは、半ばまでの「已」は「やむ」「イ」「すでに」と読まれると教えている。
み は上に(巳)、おのれ・つちのと 下につき(己)、すでに・やむ・のみ 中ほどにつく(已)
み は上に(巳)、おのれ・つちのと 下につき(己)、半ば過ぎれば、すでに・やむ・のみ(已)
み は上に(巳)、すでに 半ばになりぬとも(已)、おのれ は下にありとこそ知れ(己)

【ワイルドダックの教え】
 北欧のとある湖に毎年渡り鳥の野ガモが降りて来ていたところ、ある時から、その湖に住む親切な老人が餌づけするようになった。餌を与えられたことに慣れた鴨たちはいつしか渡り鳥の習性を忘れ、自力で飛ぶことすらできなくなってしまった。暫くして餌づけ老人が亡くなった。ある日、雪解け水が湖に押し寄せ、飛べなくなった鴨たちは濁流にのまれ流されてしまった。デンマークの思想家キルケゴールは、この逸話を説き、「飼い慣らされた鴨になるな。ワイルドダックたれ」と警鐘を鳴らし続けた。その思想は受け入れられず、彼は不遇をかこったが終生信念を貫き通した。はるか後、IBMの創業者ワトソンがこの思想を創業の精神にした。これが有名な「ワイルドダックの精神」である。同社が飛躍的成長を遂げたことで、この思想が世界的に有名になった。





(私論.私見)