れんだいこのファウスト論

 (最新見直し2012.11.11日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、れんだいこのファウスト論を書き記しておく。ウィキペディアのファウスト」、「Faust」その他を参照する。

 2012.11.11日 れんだいこ拝


 ファウスト(独: Faust)はドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作とされる長編の戯曲で、全編を通して韻文で書かれており、史上稀に見る圧倒的クォリティを誇る作品となっている。二部構成で、第一部は1808年、第二部はゲーテの死の翌年1833年に発表された。初稿の原ファウスト(Urfaust)は1797年に書かれており、ゲーテがほぼその一生をかけて完成した大作である。主人公の名前は「幸福な、祝福された」を意味するラテン語のfaustusに由来する。ドイツ語のFaustは「拳骨、砲」を意味する。

 あらすじは次の通り。

 「献ぐる詞」から始まり、「劇場での前戯」(Vorspiel des Theaters)、「天上の序曲」(Prolog im Himmel)に至って本筋に入る。天使たち(ラファエル、ミカエル、ガブリエル)の合唱とともに壮麗に幕開けられた舞台に、誘惑の悪魔メフィストーフェレス(以下メフィスト)が現れ、主(神)に対して、ファウスト博士の魂を悪の道へと引きずり込めるかどうかの賭けを持ちかける。主が賭けを容認し、かくしてメフィストはファウストを誘惑することになる。

 第一部。ファウストが、悪魔メフィストと、あの世での魂の服従を交換条件に現世であらゆる人生の快楽・悲哀を体験させるという約束をする。ファウストは素朴な街娘グレートヒェンと恋をし、子供を身ごもらせる。そしてあい引きの邪魔になる彼女の母親を毒殺し、彼女の兄も決闘の末に殺す。そうして魔女の祭典「ワルプルギスの夜」に参加して帰ってくると、赤子殺しの罪で逮捕された彼女との悲しい別れが待っていた。

 第二部。皇帝に仕えることになったファウストは、メフィストの助けを借りて経済再建を果たす。その後、絶世の美女ヘレネーと美男パリスを求め、ギリシャ神話の世界へと、人造人間ホムンクルスやメフィストとともに旅立つ。ファウストはヘレネーと結婚し、一男をもうけるが、血気にはやるその息子は死んでしまう。現実世界に帰ってきた後ファウストは皇帝を戦勝に導き、領地をもらう。海を埋め立てる大事業に取り組むが、灰色の女「憂い」によって失明させられる。そうしてメフィストと手下の悪魔が墓穴を掘る音を、民衆のたゆまぬ鋤鍬の音だと勘違いしながら死ぬ。その魂は、かつての恋人グレートヒェンの天上での祈りによって救われる。

 「ああ、わしはこれで哲学も法学も医学も、よせばいいのに神学まで骨おって研究しつくした。その挙句がこの通り哀れな愚かものだ。前よりちょっとも賢くなっていない。(中略) もうかれこれ十年もあげたり、さげたり、斜めに横に、学生たちの鼻をつまんで引っぱりまわしている。そして我々は何も知りえないのだということを悟っている。この胸が焼けてしまいそうだ」(高橋健二訳『河出世界文学全集』)
 日本語訳

 ファウストは、明治後期に森林太郎(森鴎外)によって日本語訳された。これは最初の完訳であるが、今日でも評価は高く、近代日本文学の古典として、岩波文庫版(全2巻、初版1928年)では緑帯(現代日本文学)に分類される。なお森林太郎の名のみでゲーテの名はなく、同文庫赤帯(海外文学)で出されているのは、ドイツ文学者相良守峯訳である。鴎外訳は、ちくま文庫版『鴎外全集.11巻』にもある。今日では多数の日本語訳版が出版されている。手塚富雄訳は第22回読売文学賞を、池内紀訳は第54回毎日出版文化賞を受賞している。




(私論.私見)