東京千家考

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元).6.6日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「酒造神社」を確認しておく。

 2017(平成29).9.21日 れんだいこ拝


庭田(にわた)神社
 江戸千家 HP
 2019.11月、青山の根津美術館にて『特別展 江戸の茶の湯-川上不白 生誕三百年-』が開催された。茶道の流派のひとつの「江戸千家」。名の通り江戸で開かれ江戸のまちで育って約300年の歴史を持つ。東京・上野の近くにあるのが江戸千家「一円庵」。都指定有形文化財でもある。当代名心庵宗雪氏の御子息である川上新柳。表千家や裏千家。

 歴史の教科書でも定番の千利休。彼が京都で茶道を盛り立てたとき、現代とは「流儀」という意識も今とは異なる。江戸千家の開祖・川上不白は紀州(今の和歌山県のあたり)の新宮出身。表千家7代家元・如心斎の高弟として京都で修業し、千家の茶人となった。その後江戸にわたり、出身地である新宮の茶頭として活躍。江戸で茶の湯、千家の茶を広めた。武士や商人だけではなく幅広い門人を持った。『茶人家譜』(ちゃじんかふ)には大名・旗本、お寺の名前が並び、商人や相撲取り、能楽師なども弟子に名を連ねている。『茶の本』を書いた岡倉天心も江戸千家系統のお茶を修めていた!織田信長、豊臣秀吉が代表するように、元々茶道は武家の間で広まったもの。茶道の大衆化は江戸中期だったのだとか。表千家如心斎は『中興の祖』と呼ばれていて、流儀の仕組みの整備に大きく影響を与えた。仕組みを整えることによって、大衆へと茶道を広めることができるようになった。ただ伝授していくだけではない、茶人はプロデューサー的な役割をも担うようになった。

 お弟子さんは日本全国、北から南まで支部がある。アメリカなどにもある。茶会とは、お客様を招待してお茶をお出しする会のこと。宗家をはじめ、お寺や美術館などさまざまな場所で開催されている。茶事とは、食事をしてからお茶を飲む、小規模の集まり。モダンな言い方をすれば、茶会がパーティーで茶事が食事会といったところでしょうか。

 表千家と裏千家は作法に細かい違いがある。ぱっと見の違いは、お茶の表面が泡立っているかいないか。裏千家は、ラテのようにきめ細かいしっかり目のお茶を点てるのが良しとされている。江戸千家のお茶は『心地よさ』を大切にしている。飲み比べ。お抹茶の種類を「星の奥」という福岡県八女のお茶。しかも茶壷のお茶という、平たく言うと大変貴重なお抹茶で点てる。流れるような所作でささっと点ててくださったお茶を飲み比べると、同じお抹茶なのに味わいがこうも違うのか!と驚く。*のお茶は喉にするっと通って、喉でふわっと薫りが広がる。*のお茶はまろやかさが口に広がり味わい深い。一碗のお茶を点てるには、抹茶の量、炭のおこり、どの釜を使うか、その日の気温や湿度、そしてお点てするお相手の好み――まろやかなのか、苦みあるほうがお好きか、などさまざまな要素がある。『正解』は1つのやり方ではない。相手がおいしいと思ってくださることが大事。お茶に大切な作法があるが、形として定めて守るべき部分と、変わっても問題ない部分と、むしろ変えるべき部分がある。あと、『アーカイブ機能』という役目もあると思っている。流派の型、そしてその精神を守り伝えていくのは、茶家の役目のひとつです。そもそも、作法というものは、場所や時代で変わっていく。伝統はコピーではない。型を受け継いだ方々がいるから、茶人それぞれの創造性が際立つ。創始者のクリエイティビティは現代まで引き継がれている。初めてお茶に触れる方に『ああ、いいなあ』と思ってもらう心地よさを目指している。我々が常に、質の高い状態をかかげて広めていけば、本質を感じていただけると考えている。茶道では、「奥伝」という上級者向けのお点前は基本口伝のみ、つまり、ノートやメモを書いてはいけない。しかし江戸千家では、「奥伝を不白が書き残している」とのこと。みなで分かち合うという初代の精神が今も脈々と受け継がれている。




(私論.私見)

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