酒造神社 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元).6.6日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「酒造神社」を確認しておく。 2017(平成29).9.21日 れんだいこ拝 |
【庭田(にわた)神社】 |
【庭田(にわた)神社】 |
式内社/播磨國宍粟郡 庭田神社は旧村社。 御祭神は事代主命。兵庫県宍粟市一宮町能倉1286にある。境内面積は1379坪。創立は第十三代成務天皇甲申2.11日。 境内の左手に境内社が並んでいる。水分神、加具土神、大歳神、大山津見神、火魂神を祀る。社殿は、本殿入母屋造銅板葺幣殿、拝殿、神樂殿、社務所、神輿庫、随神門。境内社(末社)は、皇大神宮、稲荷神社、出雲社、八幡神社、大歳神社、市杵島神社。(荒神社、祇園社、蛭子社、五社五行神。本殿の屋根には、菊紋と桐紋の装飾があったが、祭神が事代主命なので、拝殿の幕にある柏紋が当社の神紋だと思う。 中国自動車道・山崎I.C.の近くにある宍粟市役所から北東15Kmの一宮町能倉に鎮座。29号線を北上し、伊和神社を通過して東市場の交差点から8号線を東へ3Km。8号線から少し南(川側)へ入ると染河内川の間に高い木々に覆われた社域がある。入口前に駐車場がある。鳥居をくぐり参道を進むと神門。神門の奥が社殿のある境内。拝殿の後方、垣の中には入母屋造の本殿。本殿の雰囲気は伊和神社と似ている。境内には社殿右面に「霊石」と呼ばれる石が祀られ、境内隅には一宮遥拝所がある。霊地は社殿後方50mのぬくい。年始には拝殿前に門松が飾られ、柏紋を染めた幕が張られる。本殿の屋根には菊紋と桐紋の装飾がある。 中国自動車道・山崎I.C.の近くにある宍粟市役所から北東15Kmの一宮町能倉に鎮座。29号線を北上し、伊和神社を通過して東市場の交差点から8号線を東へ3Km。8号線から少し南(川側)へ入ると染河内川の間に高い木々に覆われた社域がある。入口前に駐車場がある。鳥居をくぐり参道を進むと神門。神門の奥が社殿のある境内。拝殿の後方、垣の中には入母屋造の本殿。本殿の雰囲気は伊和神社と似ている。境内には社殿右面に「霊石」と呼ばれる石が祀られ、境内隅には一宮遥拝所がある。霊地は社殿後方50mのぬくい。年始には拝殿前に門松が飾られ、柏紋を染めた幕が張られる。 |
庭田神社由緒記に記されている古伝(播磨風土記)によると、国土経営の大業をなされた出雲の国の大名持大神(大国主大神)が、天乃日槍命と国土経営を争い給いし時、伊和の地に於て最後の交渉を終られた時、「オワ(終)」と告げ、草原の景色麗しく清泉湧き出るぬくいの水辺の山河の清庭の地を撰びて、大事業達成に力を合せられた諸神々を招集(めしつど)いて、祖霊祭(みたままつり)と併せて、持て成しの饗宴を為し給えりと云う。その時持参された干飯(かれい)を、境内後方の「ぬくい川」の水で戻した時に一部の飯にカビが生え、酒成分が生じて酒の発見となったと文献に記されている。こういう経緯(いきさつ)で、米飯を材料にして庭酒(俄か酒)が生まれ、この地が庭酒の里となった。現在の庭田神社奉祀の霊地なるにより社殿を造営その御魂を鎮祭れりと云う。 当社安永縁起によると、成務天皇の御代、成務天皇14(131年)年甲申2月11日、神託により新たに神殿を建て広く崇敬せらる。後神功皇の時に殊に霊験有るをもって、本殿及諸殿を造営とある。社殿の興廃は度重なるも明らかでないが、延喜式の制小社に列し江戸時代寛文11年(1663)年8月、社殿改造。元禄15年、本殿屋根替。 享保8年、本殿屋根替。元文3年、拝殿屋根替。(中略) 文久3(1863)年11月、焼失。村民等議りて、明治4(1870)年12月、本殿棟上再建。明治に至り行政下に置かれ、神社にも社格が制定された際には村社として奉祀された。昭和43(1968)年5月、敞殿改築。昭和49(1974)年10月18日、御鎮座1800年祭執行記念事業として拝殿及末社等改築落成、現在に至る。氏神として春秋の二大祭が盛大に執行されている。 |
「庭田神社 鎮守の杜」。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)。四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。「清明心」は神社に詣で、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではない。播磨の國一の宮「伊和神社」 とは一里足らずの近距離にある。元は庭酒神社と呼ばれており、庭というのは宮中を表す字で、庭の酒、宮中に納める酒の神社という意味になる。播磨風土記には、庭田神社の裏にあるぬくい川に米を漬けていたところカビが生えておいしいお酒になったという記述がある。米で作った酒(日本酒)に関する日本でもっとも古い記述で、日本酒のルーツは庭田神社であるといわれている。
|
(私論.私見)