吉備太郎の金山寺会陽考

 更新日/2019(平成31).1.29日

 (吉備太郎のショートメッセージ)
 ここで、「吉備太郎の金山寺会陽考」をものしておく。

 2016.2.22日 吉備太郎拝


 岡山市街地の北方の金山(約500m)の山腹にある天台宗の名刹金山寺(キンザンジ又はカナヤマジ)(岡山市北区金山寺481、北緯34度44分14.96秒 東経133度56分53.17秒。備前48か寺の天台宗本山、本尊/千手観音、金山の中腹標高約350mにある)。金山寺会陽(かなやまでらえよう又はきんざんじえよう)は、毎年2月第1土曜日の夜に行われる。1200年の歴史があるとされるがであり、裸衆約400人が宝木を求めて激しくぶつかる。

 2019.2.2日夜、午後9時30分、住職が本堂から5本の副宝木を投げ入れ前哨戦がスタートした。午後10時過ぎ、仮本堂の横に四本柱組み上げられ、濡縁には柵を設け、濡縁の特設やぐら台から岸本賢信住職(35歳)が宝木2本を熱気に包まれた境内の裸群に投下する。金山寺会陽では宝木投下の様子が至近距離で見られる。客殿玄関までの約150m間が裸衆で埋め尽くされ、本堂の東側とその南側で裸群が争奪戦を行う。午後11時過ぎ、2組の福男が勇んで宝木をいったん寺に奉納し、改めて世話役が祝主宅へ出向き、行事の終わるのは夜明けころとなる。

 日中には小学生約50による子供会陽があった。その中で『御福分け札』を製作。本宝木と副宝木を包む紙に、「牛玉宝印(ごおうほういん)」と金山寺の刻印が刷られている。奉賛会の会員によって一枚一枚丹念に製作されている。

本堂(重要文化財、2012年、火災消失により、2013年、解除)

天正3年(1575年)頃、宇喜多直家の寄進により建造。2012年12月24日に発生した火災で全焼。金山寺復興事業として再建を目指しています。

 本尊/千手観音。札所等/備前四十八箇寺。阿弥陀如来坐像、五鈷杵・五鈷鈴(岡山県重文)。

護摩堂 県重要文化財

護摩堂とは護摩をたき祈禱をするための仏堂。金山寺護摩堂は、天正3年(1575年)建立、18世紀初頭改造により現在の姿になる。

山門(仁王門)市指定重要文化財

本瓦葺の入母屋造りで、上下2層からなる楼門である。岡山藩主池田光正の寄進により正保2年(1645)に再建された。

三重塔岡山県重要文化財

 1788(天明8)年、邑久郡宿毛(現・岡山市宿毛)の大工・田淵繁枚により建立。本瓦葺、高さ 25.0m。県下最大規模の三重塔。

 金山寺文書(重要文化財)

 天台宗/銘金山/金山寺は749(天平勝宝元)年、報恩大師創建。1178(治承2)年、葉上房栄西再建 。1561(永禄4)年、宇喜多直家の寄進により復興。1575年(天正3年)に再建された。入り母屋造りの本堂は桃山時代の豪華な様式が残る。戦前には国宝に指定されていた。大正12年(1923年)3月28日、旧・古社寺保存法により国宝(当時)に指定され。1950年の文化財保護法制定時に重要文化財とされた。1969(昭和44)年、金山寺文書重要文化財指定。岡山県を代表する古刹の一つであり、宇喜多直家、池田光政ゆかりの寺院である。正面向拝が南。四周に濡縁を回らす。

 お寺では正月の四日間、護摩堂(県指定重要文化財)を開放して、護摩を焚く。護摩祈願の願意は、初詣、開運、厄除け、方位除け、心願成就。家内安全、商売繁盛、交通安全、合格祈願、学業増進、目標達成、身体健全、祝年、良縁成就、御福頂戴、 。法要・読経、葬儀・戒名授与、永代供養、水子供養、先祖供養、ご祈祷。

 2012(平成24).12.24日午後7時35分頃、天台宗寺院「金山寺」金山寺(松原宏澄(こうちょう)住職(76))で火災が発生し、国重要文化財本堂(木造平屋約165平方メートル)と倉庫が全焼した。県指定重要文化財である木造阿弥陀如来像も消失した。現在仮本堂で運営している。存続が危ぶまれていた。

 会陽(はだかまつり)の季節
FC2 Analyzer
 会陽は,年頭に天下泰平、五穀豊穣などを祈願する仏教行事修正会の結願行事として行われ、厄を除くという牛王(ごおう)信仰に由来する。信徒に牛玉(ごおう)を授けることから始まったが、牛玉が霊験あらたかだということで多くの人が求めるようになった。牛玉とは一般に“おふなご”とも呼ばれるもので、寺社の新春の行事で刷られ信者に配布される厄除けの護符の一種。やがて牛玉で包んだ“シンギ”を、集まった多くの人達が奪い合う行事へと変化した。修正会という正月に行われる法会(ほうえ)の結願行事として終了時に行う行事の事を言い、ふんどし姿の男性達がシンギを奪い合う様から「はだかまつり」とも呼ばれている。

 資料によれば県内46の社寺が会陽を開催していた。負傷者が出る、趣旨を逸脱して喧嘩を始めるものが出るなどの理由から、奪い合いを止めて福引で当たるように変更した“福引会陽”となったり、投げ入れられた餅入袋の中に“当たり”がある“餅投げ会陽”と変更されたり、または完全に会陽を中止していたり、寺が廃寺となっていたりと、現在も“はだかまつり”を催しているところは全国的に有名な西大寺を含めて四つにまで減少している。現在は2月の第1土曜日に岡山県内の先陣を切って岡山市北区の金山寺で、翌第2土曜日に西粟倉村の岩倉寺と美作市の安養寺で、そして第3週土曜日に規模・知名度共に最大の岡山市東区の西大寺会陽が催されている。
【安養寺会陽】(あんようじえよう)
美作市重要無形文化財に指定、裸祭りとしては県下最古級の約800年の歴史を持つ伝統的な奇祭としていられています。夜に行われる一般男性のものとは別に昼間に子供会陽も行われています。岡山県美作市林野48 【地図】
【岩倉寺会陽】(いわくらじえよう)
現在のものは、天正年間(1573年~1592年)に再建されたものと言われている。100名前後の男たちが神木を奪い合う様子は圧巻で西粟倉の冬の名物です。岡山県英田郡西粟倉村長尾1498 【地図】
【西大寺会陽】(さいだいじえよう)
配られる護符が「ぼっけぇ利益があるんじゃそうな」と評判になり、人々が殺到したためにやむなくこれを投げ与えたことに始まるとされる国内三大奇祭のひとつ。かつては旧暦に合わせて行われていたが、現在は観光化がすすんで2月の第3土曜に行われるようになった。





(私論.私見)