「牛頭天王」考 |
更新日/2019(平成31).1.29日
(吉備太郎のショートメッセージ) |
ここで、「牛頭天王考」をものしておく。 2016.2.22日 吉備太郎拝 |
会陽(はだかまつり)の季節 |
![]() 会陽は,年頭に天下泰平、五穀豊穣などを祈願する仏教行事修正会の結願行事として行われ、厄を除くという牛王(ごおう)信仰に由来する。信徒に牛玉(ごおう)を授けることから始まったが、牛玉が霊験あらたかだということで多くの人が求めるようになった。牛玉とは一般に“おふなご”とも呼ばれるもので、寺社の新春の行事で刷られ信者に配布される厄除けの護符の一種。やがて牛玉で包んだ“シンギ”を、集まった多くの人達が奪い合う行事へと変化した。修正会という正月に行われる法会(ほうえ)の結願行事として終了時に行う行事の事を言い、ふんどし姿の男性達がシンギを奪い合う様から「はだかまつり」とも呼ばれている。
資料によれば県内46の社寺が会陽を開催していた。負傷者が出る、趣旨を逸脱して喧嘩を始めるものが出るなどの理由から、奪い合いを止めて福引で当たるように変更した“福引会陽”となったり、投げ入れられた餅入袋の中に“当たり”がある“餅投げ会陽”と変更されたり、または完全に会陽を中止していたり、寺が廃寺となっていたりと、現在も“はだかまつり”を催しているところは全国的に有名な西大寺を含めて四つにまで減少している。現在は2月の第1土曜日に岡山県内の先陣を切って岡山市北区の金山寺で、翌第2土曜日に西粟倉村の岩倉寺と美作市の安養寺で、そして第3週土曜日に規模・知名度共に最大の岡山市東区の西大寺会陽が催されている。 |
2019.7.7日、「「牛頭天王」とは、なにものなのか?二十四節気「小暑」」。 |
7月7日より、二十四節気「小暑」となります。小暑・大暑の二暑は、暦上では晩夏となり、夏の終わりにその熱気・火気がつのり、高温現象として現れることを示しています。豪雨や酷暑など、何かと不安定な小暑の時節ですが、この時期にはじまる有名な行事がありますね。祇園祭です。日本三大祭の一つでもあり京都最大の祭りでもある京都祇園会、福岡県の博多祇園山笠、福島県の会津田島祇園祭、この三つを三大祇園と呼びますが、七月初旬~中旬をピークとして、全国で数限りないほどの「祇園祭」が執り行われます。果たして「祇園祭」とは、そして祇園社=八坂神社の主祭神として立ち現れる異形の神「牛頭天王」とはいったい何なのでしょうか。 「蘇民将来」「武塔神」とは?謎多き大祭、祇園祭 「牛頭天王」と聞いて、「ああ、あの神様ね」とピンと来る人は、今の日本人にはほとんどいないでしょう。しかし慶応4(1868)年の「神仏判然令(神仏分離令)」では、「中古以来某権現或ハ牛頭天王之類其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不少候何レモ其神社之由緒委細ニ書付早々可申出候事」と、「権現」と「牛頭天王」の神号を用いる寺社は、その名前を改めろ、と厳しく布告していて、名指しで禁令を出されています。つまりそれは、諸権現(清瀧権現、飯縄権現、金比羅権現、東照権現、春日権現、熊野権現など)と単体神号で並列に扱われるほど、江戸時代以前の日本では「牛頭天王」は広くあまねく信仰される、人気の神仏だった、ということです。そしてこの「牛頭天王」が、祇園祭を執り行う八坂神社、かつての「祇園社」の祭神でした。 愛知 津島神社全国に2000以上の分社のある八坂神社。同系列(スサノヲ神を主祭神とする神社)には、出雲系の八雲神社、八剣神社、八重垣神社、熊野神社、分化して発展した東海地方、愛知県を中心とした津島神社(津島牛頭天王社)、関東の埼玉県を中心とした氷川神社、津島神社と同様に江戸時代以前には牛頭天王社と称していた須賀神社などがあり、その多くが祇園祭もしくは天王祭を執り行っています。そればかりか、同じ出雲系のタケミナカタノミコトを祀る諏訪神社や、菅原道真を祀る天神社も祇園祭を行うところは多いのです。そこまではまだしも、さらに異色なのが何と真言宗の寺院で不動明王を祭る成田山新勝寺の祇園祭です。その歴史は400年にも迫る歴史のあるものです。実は牛頭天王は医薬の守護仏である薬師如来信仰とも習合され、牛頭天王の本地仏は薬師如来ともされているのですが、薬師如来は様々な薬草に知悉することを必須とされた山伏、つまり修験道者の信仰ともつながり、修験道の出羽三山、その奥の院の湯殿山は牛頭天王も祭っていたのです。成田山は古くは湯殿山信仰の修験者たちの修験場でした。JR成田駅東口交番の脇に佇む湯殿山権現社。祠のサイズに合わない広めの一帯が、俗人立ち入り禁止の聖地とされていて、新勝寺に管理されています。ここが成田祇園のもともとの主催社なのです。祇園祭の執り行われる7月には、氏子信者たちはキュウリを食べないといわれます。八坂神社の神紋=木瓜紋が輪切りにしたキュウリの断面と似ているために恐れ多いということのようなのですが、不思議なことに将門のお膝もとの下総(千葉県北部)を中心とした関東にも、将門の家紋である九曜紋に似ているからキュウリを食べない、という将門の子孫を自称する集落や氏子信者が存在するようなのです。平将門も、スサノヲそして牛頭天王と習合されて信仰されていたことは間違いありません。そして、新勝寺は平将門調伏の寺として有名ですが、それは表向き。成田山の不動明王には、牛頭天王、スサノヲノミコト、そして平将門が習合されているのです。だからこそ、7月の祭礼は「祇園会」と呼ばれるわけです。 ミケランジェロのモーゼ像それにしてもなぜ武塔神=牛頭天王は、牛頭人躯の面妖な姿なのでしょうか。ミケランジェロのあの有名なモーゼの像を思い出してください。その頭部から明らかに角が生えています。エジプトからユダヤの民を連れてパレスチナへと導いた(出エジプト)旧約聖書の英雄モーゼには角が生えていた、とする聖書の記述があるからです。一部でこれを誤訳だとする説もありますが、そうではありません。古い時代の神のイメージは、しばしば角の生えた牛や羊(またはレイヨウ、ヤギ、シカ)の姿で現されたのです。 参照 |
(私論.私見)