性器愛撫考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).2.12日

【「くじる」」】
 2022.10.06、永井 義男「【江戸の性語辞典】局部を愛撫することを「くじる」」参照。

 江戸時代に使われていた性語で現在通用しない言葉に「くじる」がある。指で女性器を愛撫すること。指人形ともいう。これを確認する。用例は次の通り。
 ①春本「艶本幾久の露」(喜多川歌麿、天明六年頃) 
 男のくじりに、女は何度もオルガスムスを味わっている。
「思入れ秘術を尽して、くじった上、ぬらりと入れかければ、こっちも生(お)えすましたところゆえ、ちょうどよい所へ突き当てるというものだ」。
「ああ、よいぞ、よいぞ。くじったばかりでさえ、二度、気がゆきました。それに今、本物を入れたら、いき続けでござりましょう。とやこう言ううち、それ、またいきます」。

 男はくじるのが上手なようだ。女はくじられただけで、三度も絶頂に達している。
 ②春本「絵本小町引」(喜多川歌麿、享和二年) 
 亭主の留守、女房が髪を結っていると、不倫相手の男が忍んできた。男は女の股に手を入れてくる。
「とぼしても、くじっても、いいぼぼというものは、いつでもいい。あれ、このさわり心地の、当たりのよさというものは、いやはや、こたえられたものではない」。

 男は、女の性器に夢中のようだ。とぼす(性交)のも、指でくじるのも、どちらも快楽だ、と。
 ③春本「万福和合神」(葛飾北斎、文政四年)
  おさねは十三歳の時、初体験をした。 
 「それよりおさねは、気のゆくというということを覚えてより、毎夜毎夜、二親の夜なべを見ては、気の悪くなるにつけ、指人形に間を合わせしが、」。

 「夜なべ」は、ここは房事のこと。両親は毎晩、セックスをしていた。おさねは両親のセックスを盗み見て興奮し、つい指人形をしていた。指人形は、ここは指による自慰である。

 ④春本「春情指人形」(渓斎英泉、天保九年頃)

 「およそ玉門をもてあそぶほど、こころよきものはあらず。これをくじると言い、品よく言えば指人形を使うと言い、賤しく言えば、鰓(えら)を抜くとも言う。これらは魚売りの通称なるべし」。

 玉門は女性器のこと。男にとって、玉門をくじるくらい楽しいことはない、と。 
 ⑤春本「封文恋乃情紋」(落合芳幾、安政三年頃)
 武兵衛とおさせは他人の性行為を盗み見して、興奮してきた。 
 「武兵衛はここぞと後ろから、おさせが開(ぼぼ)へ手をやって、うかがい見れば火の如く、ぽっぽと火照りて、早やじくじくと出しかけている塩梅(あんばい)に、腰のつがいをしっかと抱きしめ、有無を言わせず、くじりまわせば、開の奥はだぶだぶと、糠味噌桶(ぬかみそおけ)に異ならず、 」。

 糠味噌桶という形容がなんとも生々しい。現代でも地名として残る吉原を中心に、江戸時代の性風俗を紹介。町のラブホテルとして機能した「出合茶屋」や、非合法の風俗として人気を集めた「岡場所」などを現代に換算した料金相場とともに解説する。

【「気の悪くなる」】
 「気の悪くなる」は、「気が変になる」と同義。「【江戸の性語辞典】で、ムラムラする、性的に興奮する」ことを指している。用例は次の通り。
 ①春本「艶本葉男婦舞喜」(喜多川歌麿、享和二年)
 右門(うもん)は十五、六歳の女だが、すでに男を知っていた。修行僧の願哲は右門を狙っていたが、男女があられもないかっこうで取り組んでいるのを知り、右門に現場を見せつける。「右門どの、あれ見給え、あれあれ」と、襖越しにのぞかせ、気を悪くさせて、おっこかし、無二無三に入れかけるに、

 他人の性行為をのぞかせて、右門を興奮させ、願哲は強引にのしかかったわけである。当時、十五、六歳の女が男を知っているのは、べつに珍しいことではなかった。
 ②春本「多満佳津良」(葛飾北斎、文政四年頃)

 三十二、三歳の商家の女房が、十七歳の奉公人を誘惑し、性の手ほどきをする場面。「これ、てめえ、まあ、女と寝たらの、じきに取りかからずにの、まあ、この手を出しや」と、手を持ち添え、「これ、この乳をこうこうするとの、どんな女でも気が悪くなって、くすぐってえようで、いい心持ちでぞうっ、ぞうっとして……」。


 女が奉公人に乳房の愛撫の仕方を教えている。また、乳房を愛撫されると女はみな、興奮するのだと説明している。
 ③春本「華古与見」(歌川国芳、天保六年) 
 新所帯の夫婦。昼間から春本をながめていた夫が、妻をさそう。「これ、見ねえ。こんな気の悪くなる本を、いくらも内に置いて見るから、どうしても巧者だわな。それだから、とかく色事がじょうずで、どうも油断がならねえ」。
 
 夫は春本で、その気になってきたようである。春本を読むことで性のテクニックも身に着けており、他の女性にも手を付けているのではないかと疑っている。
 ④春本「即席情理通」(幕末期)
 男が女を愛撫している場面。
「こう、女の髪の洗いたてほど気の悪いものはねえぜ」。
「あれさ、そんなに乳をいじっちゃあ、くすぐったいわね。また、乙な気持ちにする。憎いっちゃあねえよ」。

 当時、女は滅多に髪を洗わなかった。洗髪はせいぜい一カ月に一度である。そのため、男は女の洗い髪姿に新鮮な魅力を感じ性的な興奮を高めた。





(私論.私見)