貴乃花1、幼少期 |
更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3).6.20日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「貴乃花光司」を確認しておく。「」、「」、「貴乃花光司■花田家の遺伝子を継ぐ平成の大横綱」、「貴乃花・若乃花の確執理由は父親が違うため?!現在の兄弟仲は?」その他を参照する。 2015.11.30日 れんだいこ拝 |
貴乃花光司(たかのはな こうじ) |
本名・花田光司~出身地・東京都~身長185cm、体重154kg。生没年月日・1972年8月12日-。最高位・横綱。 |
貴乃花光司は、優勝22回などをした平成の大横綱です。貴乃花光司は、大関・貴ノ花の次男で、伯父に若乃花幹士(初代)がおり、兄に若乃花勝がいます。一代年寄です。数々の年少記録を作り、大鵬(当時1位)の優勝回数に迫ると思われましたが、晩年に失速した。兄・若乃花勝とともに「若貴ブーム」を作りました。 |
【貴ノ花出生】 | |||
1972年8月12日、東京都杉並区で、大関・貴ノ花利彰と元女優の花田紀子(現・藤田紀子)との次男として東京都で生まれる。 | |||
母親の藤田紀子の本名は藤田憲子。1947.9.7日、大分県大分市で出生。血液型はO型(A型説もある)。1967年、明星学園高校卒業後、松竹芸能に入社し女優活動を本格的に開始する。映画やドラマでもどこに出ているか確認するのが困難なほどの端役専門の女優であったが、「雌が雄を食い殺す 三疋のかまきり」に出演したことで注目されるようになった。彼女の女優時代を知る古参の芸能プロ関係者が次のように証言している。(「ピース綾部だけじゃない 藤田紀子」その他参照)。
デビュー作「雌が─」の制作関係者が次のように証言している。
本人も当時、女性誌のインタビューであるタレントとの交際を認めたうえで、「他にボーイフレンドも10人ぐらいいる」と語るなど複数の男性との交際をほのめかしてもいた。その頃、関係者の間でかなり深い仲とも言われていたのが大物俳優のTだった。芸能プロ幹部が次のように証言している。
その後フリーになり次の出演がある。みな殺しの霊歌(1968年)、進め!ジャガーズ 敵前上陸(1968年)、極道社員遊侠伝(1968年)、新宿育ち(1968年)、喜劇 大安旅行(1968年)、女の手配師 池袋の夜(1969年)、夜をひらく 女の市場(1969年)。 1970年、貴乃花と結婚。これを機に芸能界を引退する。翌1971年、花田勝(後の第66代横綱三代目若乃花)を出産。その翌1972年、花田光司(後の第65代横綱貴乃花)を出産。1982年、旦那の藤島親方(後の二子山親方)が藤島部屋を興したことで部屋のおかみとなり、毎日50~60人の食事や洗濯などの家事に追われる。2000.7月、医師との不倫疑惑報道で世間に騒がれる。2001年、二子山親方と離婚。芸能活動を再開させ舞台やドラマなどに出演し始める。2005年、二子山親方逝去(享年55歳)。2008年、芸名を藤田憲子から紀子に改める。2012年、デーブ・スペクターが代表を務めるスペクター・コミュニケーションズ)に移籍し現在に至る。 |
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輪島大士(わじまひろし)プロフィール 本名は輪島博。1948年1月11日(69歳)、石川県七尾市で出生。花籠部屋所属の元大相撲力士、第54代横綱。後に全日本プロレス所属のプロレスラー、タレント。2013年秋、下咽頭癌の罹患が発覚し、12月に癌の切除。手術には成功したが声を失った。 輪島は二子山親方の親友で、日大の学生だった頃から仲良くしていた。藤田紀子と二子山親方が初めて会うときにも輪島さんが付いてきたくらいの仲だった。輪島は会うたびに彼女が違うほどもてたと云う。貴乃花の母の藤田紀子は輪島の元カノで、結婚後もよく寿司屋の2階で食事をしていたと云う。 |
【花田家のルーツ考】 |
「第45代横綱/若乃花幹士 (初代)」。本名は花田勝治。四股名は若ノ花 義美 → 若ノ花 勝治 → 若乃花 勝治 → 若乃花 幹士。(1928-03-16) 1928年3月16日、青森県弘前市青女子(あおなご)出身。青森のリンゴ園農家に、10人兄弟の長男(上に姉が1人いた)として生まれた。二所ノ関部屋→芝田山部屋→花籠部屋。引退後は二子山部屋師匠。日本相撲協会第6代理事長。 |
或る韓国人が、「力道山、大山倍達、貴乃花は韓国人。だから強い」と誇る。 |
1972年7月、愛人関係にあった韓国人女性との間に息子(韓国名・朴祐賛)が韓国・ソウルで誕生。1985年12月に養子縁組を行い13歳で日本へ移住。藤島部屋に入門し、1989年3月初土俵。若剛志の四股名で幕下まで昇進した(1997年1月に引退)。引退後、母への仕送りがストップし、弁護士を介して慰謝料と認知を求めたところ、2002年5月、初代・若乃花が認知し、花田河成を名乗ると同時に帰化した。その後、起業して日韓を往来している。自著『花田家の隠し子―アボジと呼ばせて』(主婦と生活社)では、移住してから民族差別を受けたことで素行が荒れた結果として高校進学が困難になったため藤島部屋に身を寄せ、大相撲時代には従兄にあたる3代若乃花の付き人を務めていたことが語られている。暴露の内容としては嫡外子、そして韓国人としての境遇を強いた父・初代若乃花への恨みがつづられており、自身が引退したと同時に初代若乃花が若剛志の母への仕送りを打ち切ったことが認知を求める動機であったとも明かされている。他に、3代若が遺産を相続放棄した背景には初代若が入れ知恵をしたという説も唱えている。叔父であり師匠でもあった藤島や当時女将を務めていた藤田紀子への恩義も語られている。
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【出生の秘密疑惑】 | ||||||
「話題 若貴、骨肉の争い。貴乃花親方=ドツボにはまったか」、「藤田紀子、若貴兄弟“父が違う”説に言及」、「藤田紀子、「息子2人の父親が違う」という噂について語り始めた深い事情」、2005.8.22日、「花田勝の父親は花田勝治 」。2005.10.19日、「花田家の歪んだ性癖貴乃花は輪島の子!」、2005.10.19日、「花田家の歪んだ性癖!貴乃花は輪島の子 vol.2」、2014.1.17日付け「藤田紀子、貴乃花親方との不和真相告白」その他参照。
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【藤田紀子が語る初代・貴乃花との出会いについて】 | ||||
2014.11.28日付け「藤田紀子 二子山親方の出会いは『詐欺』」転載。 | ||||
2018.10.10日、日刊スポーツ/小谷野俊哉「藤田紀子、元貴ノ花とのデートにはいつも輪島氏同席」。タレント藤田紀子(71)が9日、日刊スポーツの取材に対し、50年近い付き合いの輪島さんをしのんだ。
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【貴乃花は輪島の子説についてその2】 | ||
1995(平成7).11月、九州場所千秋楽。先に横綱に昇進していた弟の貴乃花と、大関で伸び悩んでいた兄の若乃花が、14日目が終わって12勝2敗で並んでいた。星勘定次第では兄弟決戦の可能性があった千秋楽で、両者は揃って敗れ12勝3敗となり、角界史上初めての同部屋優勝決定戦、しかも若貴兄弟対決となった。
二人の師匠で実父の故・二子山親方(元大関貴ノ花)から、当時小結時代の初優勝時から3年近く天皇賜杯から遠ざかっていた兄若乃花に、既に二桁の優勝回数に達していた弟貴乃花は名横綱への歩を進めており、兄に花を持たせるべく譲歩するよう、直接の親子交渉があったと週刊誌上にスクープされている。親方が貴乃花に「兄ちゃん勝たせろ」って業務命令して仕方なく弟の貴乃花がそれにしたがって八百長相撲をとったと云う。 喧嘩四つの両者の立ち合いは緩めで、吸い込まれるように胸を合わせるがっぷり右四つに組み合い、互いに廻しを引きつけ合って膠着状態となった。こうなると体力差がモノを言ので貴乃花充分、軽量の若乃花不利と見られたが、この時の暫くの差し手争いで、何と若乃花が先代若乃花を、貴乃花が輪島を髣髴とさせる取り口を見せている。これぞ遺伝子のなせる技であろう。ちなみに輪島と貴乃花は両者とも腕が長い力士だった。数呼吸を置き、若乃花が寄り身でジリジリと前進するや、貴乃花が為すすべなく後退し土俵際に迫った。貴乃花がこれを押し返し両者土俵の真ん中に戻った。一呼吸置いて若乃花が再び寄り身で押していったところ、足腰抜群の貴乃花が之を残せず、脆くも下半身(ヒザ)から崩れ落ち尻餅をつきあっけなく勝負が決した。全盛期の大横綱時代にあって、あり得ない敗れ方となった。 兄の若乃花は93年9月の秋場所で大関に昇進したものの、1度の優勝もなく、小結時代の93年3月の大阪場所以来、2年8か月ぶり2度目の優勝、大関としての初優勝となった。翌平成8年初場所千秋楽においても同部屋優勝決定戦を兄弟子の貴ノ浪と争う顛末となった貴乃花は、この大一番で土俵際まで詰める取り口では終始イニシアチブを握りながら、最後の最後部分で詰めを誤り、貴ノ浪起死回生の河津掛けの珍手で逆転で敗退し、手の内にあった天皇賜杯を逃している。初優勝を狙う貴ノ浪の気力が優った勝利劇なのか、やはり前場所同様に八百長相撲をとったと解釈すべきかは未だに見方が分かれる。
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【若乃花の貴乃花論】 | |
2014.5.7日付「藤田紀子、貴乃花親方との修復希望も…」。
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【若乃花略歴】 |
東京都中野区で育つ。兄は元大相撲力士で現タレントの花田勝(現・虎上)の横綱・三代目若乃花。伯父は横綱・若乃花幹士(初代)。 子供時代、父親が引退する前は伯父が主宰する二子山部屋、父親の引退後は父親が主宰する藤島部屋に出入りするなど、幼少期から相撲に親しんだ。1981年に父が大相撲を引退すると貴乃花親方は本格的に相撲に力を入れ始めた。小学5年生の時には、わんぱく相撲の全国大会に優勝。わんぱく横綱として土俵入りを行うなどこの頃から非凡な才能を見せていた。後の関脇・貴闘力となる鎌苅忠茂少年と兄弟ともに親しく、よく相撲を取っていたと云う。その後、相撲の名門・明大中野中に進学。相撲部で武井美男監督から、のちにまで通用する技術を教わったと云う。中学卒業と同時に角界(父の藤島部屋、後に二子山部屋へ)に入門。四股名は貴花田。 |
【花田家の風聞家系図】 |
花田勝治(初代若乃花)と韓国女性の間に花田河成(若剛志)。 花田勝治(初代若乃花)と芸者(住田)の間に花田満(貴ノ花)。 花田勝治(初代若乃花)と藤田憲子の間に花田勝(3代若乃花)。 花田勝治(初代若乃花)と香代子の間に花田幸子、下山勝則(2代若乃花、現・間垣親方)、侑子。 藤田憲子と輪島博(12代花籠親方)の間に花田光司(貴乃花、貴乃花親方)。 花田勝(3代若乃花)が栗尾美恵子と結婚。後に離婚。 花田光司(貴乃花、貴乃花親方)が景子と結婚。 |
【表】 ┏━━━━━━━━━━┏━━━━━━━━━━━┓ 初代若乃花 元三段目若緑 元大関貴ノ花:二子山 (花田勝治) (花田陸奥之丞) (花田満)━━━┳━━━藤田憲子 ━━━┳━━━韓国人 ┏━━┻━━┓ 元幕下若剛志 若乃花 貴乃花 (花田河成) (花田勝) (花田光司) 【裏】 初代若乃花 輪島大士 芸者━━┳━━(花田勝治)━━┳━━藤田憲子━━┳━━(輪島博) ...┃ ...┃ ...┃ 元大関貴ノ花:二子山 若乃花 貴乃花 (花田満) (花田勝) (花田光司) |
「MATOMEDIA」のleon0228氏の2018.3.3日付ブログ「霊友会の被害や評判&芸能人9名を総まとめ!貴乃花親方は?」
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(私論.私見)