小野川喜三郎



 (最新見直し2016.02.09日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「小野川喜三郎」を確認しておく。「」、「小野川喜三郎■谷風梶之助のライバル」その他を参照する。

 2015.11.30日 れんだいこ拝


 小野川喜三郎(おのがわ きさぶろう)
 本名・川村喜三郎。出身地・滋賀県。1758(宝暦8)年生。1806(文化3)年3月12日没。身長176cm、体重135kg。最高位・大関(横綱免許)。
 小野川喜三郎は5代横綱ですが、谷風梶之助とともに実質上最初の横綱とされている。

 小野川喜三郎履歴
 小野川は大坂相撲を経て江戸でデビューしている。一躍脚光を浴びたのは、幕下(現在の十両)時代の天明2(1782)年3月7日目に、後にライバルとなる幕内の谷風梶之助の連勝を63で止めた一番である。寛政元(1789)年11月に、谷風とともに横綱免許を受け、谷風、後進の雷電為右エ門ともに最初の相撲黄金期の一翼を担った。体格、地力で上回る谷風に対し、駆け引きと技術で対抗した。前に谷風、後に雷電という古今の超強豪に挟撃されながら、自身も古今の強豪にふさわしい成績を残した。駆け引きを用いる慎重な相撲は、さっぱりとした気が短い江戸っ子には評判が悪かったといわれるが、谷風は「丁寧な相撲」と感心していたといわれ、地元ともいえる大坂では谷風以上に人気があった。

 幕内通算成績
場所 番付 成績 星取表 優勝
安永10(1781)年3月 東前3 5勝1敗1預3休 ○○○○●預○休休休  
         
天明2(1782)年10月 東前4 7勝1敗1分1休 ○○○○○○●○分休  
天明3(1783)年3月 東前4 5勝1預1無勝負3休 預○○○休休無○○休  
天明3(1783)年11月 東前2 6勝1分1預2休 ○○○○預○休○分休  
天明4(1784)年3月 東小結 6勝2敗2預 ○○●預○●○○預○  
天明4(1784)年11月 東関脇 9勝1無勝負 ○○○○○○○○無○ (1)
         
天明6(1786)年11月 東関脇 7勝3休 ○○○○○○○休休休 (2)
天明7(1787)年5月 東関脇 (不作のため中止) (不作のため中止)  
天明7(1787)年11月 東関脇 7勝1敗2休 ○○○休○○○●○休  
天明8(1788)年4月  東関脇 7勝2敗1休 ○○●○○○休○●○  
天明8(1788)11月 東関脇 7勝1敗1預1休 ○○○○○○○●預休  
寛政元(1789)年3月 東関脇 10勝 ○○○○○○○○○○ (3)
寛政元(1789)年11月 東関脇 8勝1分1預 ○○○○○預○○分○ (4)
寛政2(1790)年3月 東大関 8勝1無勝負 ○○○○○○○○無 (5)
寛政2(1790)年11月 東大関 6勝1敗1預2休 ○○○休○○○預●休  
寛政3(1791)年6月 東大関 8勝1無勝負1休 ○○○○○○○○無休 (6)
寛政3(1791)年11月 東大関 8勝1預1休 ○○○○○○○○預休 (7)
         
寛政5(1793)年11月 東大関 8勝1敗1分 ○○●○○○○○○分  
寛政6(1794)年3月 東大関 3勝7休 ○○○休休休休休休休  
寛政6(1794)年11月 東大関 10休 休休休休休休休休休休  
寛政7(1795)年3月 東大関 4勝1休 ○○休○○  
         
寛政8(1796)年10月 東大関 7勝2敗1休 ○○○○○●○○●休  
         
寛永9(1780)年10月 東大関 8勝1敗1休 ○○○休○○○○●○  
 幕内通算成績 23場所 144勝13敗4分10預3無勝負40休、勝率9割1分7厘、優勝相当7回  

 成績
 幕内通算成績 144勝13敗4分10預3無勝負40休、勝率9割1分7厘、23場所で優勝相当7回

 古今の強豪にふさわしい成績であるが、谷風、雷電と同時代であったことを考えると、その価値はさらに上がる。谷風との対戦は3勝6敗2分2預3無勝負。●●●○●無分預○●預○分無●無分。初戦、3戦目、4戦目は小野川が幕下(現在の十両)にいる時に幕内の谷風と対戦したものである。小野川が谷風の63連勝をストップした一番は4戦目の対戦で、天明2(1782)年2月7日目のことである。




(私論.私見)