小柳常吉 |
(最新見直し2015.11.30日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「小柳常吉」を確認しておく。「」、「」その他を参照する。 2015.11.30日 れんだいこ拝 |
小柳常吉(こやなぎ・つねきち) |
文化14(1817)年8月、千葉県出身。天保6(1835)年初土俵、嘉永5(1852)年大関昇進、安政3(1856)年1月引退。170センチ、155キロ。 |
日米スポーツ交流の始祖は、力士とレスラー、ボクサーによる異種格闘技戦だった。主役となったのが小柳。天保から嘉永にかけて優勝5回、優勝同点1回を記録した当時の第一人者だ。 歴史的な戦いは、黒船で来日したペリー提督の前で行われた。日米和親条約が締結された嘉永7(1854)年の2月26日。大関小柳、鏡岩以下38力士が、力技披露のために幕府から横浜に招集された時のことだ。 土俵入りやけいこ相撲、米俵運びなどを見せたところ、米国側の随行レスラーとボクサーが「チャンピオンに挑戦したい」。指名された小柳と米国人ボクサーの間でこんなやりとりがあった。「投げ殺してもかまわぬか」、「かまわん。だがな、殴り殺すことも許されるのか」。殺伐とした中で、小柳と身長208センチの幕内力士、白真弓が出陣して相撲技で粉砕した。 面目をつぶされた米国側は、レスラーのウイリアムスとブライアン、ボクサーのキャノンが3人で同時に小柳に襲いかかった。小柳は、キャノンのパンチをかわして小手投げを打って踏みつけ、タックルにきたブライアンを小脇に抱え込み、ウイリアムスを足払いで倒した後にベルトをつかんでつるし上げてしまった。一瞬の圧勝劇だった。 現役力士の異種格闘技戦としては、幕末の関脇両国が十両時代に黒人レスラーをKOしたり、明治初頭の関脇鞆ノ平が十両時代に米国人ボクサーを倒したり、横綱初代若乃花や輪島の師匠の大ノ海が引退直前の十両時代に渡米しプロレスラー30人に全勝した例などがある。しかし、江戸(東京)大相撲の第一人者の実戦は小柳だけ。現役最強力士の強さを立証した事例として特筆される。 |
(私論.私見)