羽黒山政司 |
(最新見直し2015.11.30日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「羽黒山政司」を確認しておく。「」、「羽黒山政司」、「羽黒山政司■横綱在位12年の鉄人」その他を参照する。 2015.11.30日 れんだいこ拝 |
羽黒山政司(はぐろやま まさじ) |
本名・小林 政司。出身地・新潟県。身長179cm、体重139kg。生没年月日・1914年11月18日-昭和1969年10月14日。最高位・横綱。 |
羽黒山政司は双葉山時代の後に第一人者となった横綱である。優勝は7回。長く上に双葉山がおり、同部屋であったこと(直接対決がなかったのはよくもあり悪くもありで全盛期に双葉山の存在があり優勝同点の場合は双葉山の時代は優勝決定戦がなく上位優勝の制度があった)、アキレス腱断裂などでかなり損をしており、かなりの強豪横綱としての評価が相応しい。 |
羽黒山履歴 |
羽黒山政治司は、1914年11月18日に新潟県で生まれ、銭湯で三助をやっていたおりにスカウトされ、最初は断ったものの、最終的には立浪部屋に入門します。 ▽ケガと不屈の精神 双葉山より若干後輩であったものの、双葉山とほぼ同時代で、しかも2度にわたるアキレス腱断裂があったものの、不屈の精神で長く横綱として存在し37歳2ヶ月の高齢で最後の優勝をしています。 ▽現役時代 1934年に初土俵を踏むと、序の口から幕下まで全て1場所で通過し、関取として十両も1場所で通過する驚くべきスピード出世をし、1937年5月に新入幕、入幕後もスピード出世で1939年5月場所後に大関に昇進、1941年5月場所で初優勝すると、翌場所に横綱へ・・・特に戦後は双葉山引退の後、第一人者となり、その後優勝から遠ざかった時期もありましたが、前述のように、1952年1月に37歳2ヶ月の高齢で最後の優勝をします。1953年9月に現役引退。スピード昇進と長期横綱在位(在位12年3ヶ月、年2場所がほとんどだった時代に在位30場所)の二つの記録を持つ稀有の横綱でした。 ▽現役引退後 年寄・立浪として相撲界の隆盛に貢献、協会の取締役・理事も務めた。1969年10月14日に死去。享年54歳。 ▽不知火型と長期横綱在位 羽黒山は、横綱土俵入りが不知火型で、「不知火型の横綱は短命」と一般的にいわれるなか「長期横綱在位」でした。 ▽双葉山の存在 「羽黒山は双葉山がいなければもっと強烈な一時代を築いていた」ともいわれますが、双葉山に鍛えられ成長できた側面もあり、評価の分かれるところです。またアキレス腱断裂がなければ、双葉山に遜色のない記録を残せたかもとの意見も・・・。容姿や相撲ぶり、土俵入りなどから「剛」の強い力士で、双葉山の「柔」に対し、羽黒山の「剛」といわれました。 ▼ライバル ライバルとしては照国万蔵を挙げます。(対戦成績は羽黒山から見たものです) 照国万蔵 秋田県出身、身長173cm、体重161kg 幕内通算成績 31場所 271勝94敗74休 勝率7割4分9厘 優勝2回 金星1個 最高位・横綱 アンコ型の巨体を生かしたリズミルな相撲を取りました 照国万蔵についての更なる詳細は、個性派力士内の照国万蔵を参照 対戦成績 8勝6敗 ●●○○○○○○○●●●●○ |
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(私論.私見)