関東連合暴行事件の真相 |
更新日2017(平成29).11.20日
朝青龍明徳(あさしょうりゅう あきのり、1980年9月27日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱。現在は実業家、タレント、コメンテーター、評論家、映画俳優、慈善家、モンゴル国レスリング協会会長として多方面に活躍している。本名はドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ
1997年に日本の明徳義塾高校に相撲留学し、翌年には同い年で文徳高校のエース内田水と対戦も惨敗喫し翌々年若松親方(当時・現高砂親方。元大関・4代朝潮)によるスカウトにより、高校を中途退学して角界に入門した。
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2003年、モンゴル人女性と結婚。
妻の名前はゴンボツェレン・タミルさん。モンゴルの資産家に生まれる。モンゴル第五十四小学校、中学時代は日本で大相撲の横綱となった朝青龍と同じバスケットボール部に所属。文武両道で、1999年モンゴル国際大学からドイツのバイロイト大学に留学して語学を専攻。2002年朝青龍と結婚し、2003年長女、2005年長男が生まれた。2007年春場所後に帰国してから別居が続き、2009年離婚した。
嫁のゴンブトゥレン・タミルさんと長男のジャミアンドルジくんと長女のイチンホルロちゃん |
2004年1月場所の番付で朝青龍は史上8人目の一人横綱となる。
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現役時代は数々の“不祥事”を起こしたダグワドルジ。横綱在位中の07年7月、腰の疲労骨折などを理由に夏巡業を欠場したにも関わらず、モンゴル帰国時にサッカーに興じていたことが大きな問題となったことには「痛かったんですよ。ちゃんと治そうと思って夏巡業休んで、頑張ろうと思っていた。ギリギリ骨折前だった」と当時を振り返りつつ「モンゴルに帰ったら子供のサッカーイベントがあって。子供があれだけ来てて(僕は)国のヒーローじゃないですか。そうするとやっぱりやりますよ」と釈明。 また、引退につながった2010年の泥酔暴行騒動には「殴ってないですよ」などと語った。 2010年1月場所中の7日目(1月16日)未明、泥酔して暴れる騒動を起こしたと写真週刊誌に報じられ、同1月場所の千秋楽翌日の1月25日に、日本相撲協会の武蔵川理事長から厳重注意処分を受けた。ところがそれから3日後の1月28日、同日発売の週刊新潮の記事によるとその被害者は、当初名乗り出た一個人マネージャーではなく、一般人の男性だったことが発覚。2月1日には、同協会の(理事選挙後の)新理事会で、調査委員会の設置が決まった。被害者男性は元暴走族(関東連合)のリーダーであり、2011年に知人男性を暴行した傷害容疑で逮捕されている。 被害者は関東連合の川奈毅(本名:川名毅) 川名は「関東連合」と呼ばれる暴走族など不良グループによる連合体の元リーダー。英語に堪能で、外国人や芸能人、スポーツ関係者らに顔が広い。六本木周辺では有名な存在で、ネット掲示板には個人のスレッドが立ち「六本木の帝王」「モンスター」と呼ばれていた。 騒動の場は、朝青龍がお気に入りの六本木の「フェリア」というクラブ 朝青龍が、客の女性に手を出し、いさかいとなって店を出た泥酔状態の朝青龍に、「もう来ないでくれ」と、告げたのが「フェリア」を任されている川奈毅氏だった。その言葉にキレた朝青龍は川奈氏を車の中に拉致監禁、殴って鼻骨骨折の重傷を負わせた。怒った川奈は、診断書を持って麻布署に駆け込んだ。民事刑事で朝青龍を痛い目に合わせようとした。しかし、横綱の“ややこしい筋”のつきあいも半端ではない。川奈の断りきれない暴力団関係者などが何人も登場、彼らのメンツをつぶすわけにはいかず、結局、1500万円の示談金で決着した。 |
2010年2月4日、日本相撲協会の理事会で事情聴取を受けた後、突如暴行問題の責任を取る形で現役を引退することを表明した。 |
2013年にはかねてより名誉会長の職にあったモンゴルレスリング協会の会長に就任した |
(私論.私見)