相撲部屋角界

 (最新見直し2008.4.12日)

 「大相撲歴代理事・解説」。

【角界名門】
 現在角界には、2014年に認められた最も新しい貴乃花一門を含めて、7つの一門が存在する。但し、伊勢ケ濱一門は理事が輩出できていない。
高砂一門/12人
 “角界の風雲児”初代高砂浦五郎が、明治11年に年寄として復帰して以来、現在まで絶えることなく部屋が継承されている。明治期の協会主流派。その後は出羽に主導権を奪われ、以来、反主流派の雄。初の青い目外国人 関取(元関脇・高見山)創出。昭和42年、出羽海代替わりに反発し独立、出羽海一門を破門された九重(元横綱・千代 の山)の加入。陣幕(元横綱・北の富士)を廃業に追い込む。平成10年、一門の意向を無視して理事選に出た高田川を破門。同じく弱小の時津風との連携を図るが一門内が傍系の九重(元横綱・千代の富士)・ 八角(元横綱・北勝海)の争い含みになり、九重急逝により八角体制になった。八角親方は理事長就任。

 陣幕親方(前頭・富士乃真)の長女が貴乃花親方の長男・優一氏と昨年結婚。故横綱千代の富士の一番弟子でもある「九重親方(元大関・千代大海)を理事選に擁立しよう」という動きもある。
出羽海一門/31人
 小部屋だった出羽ノ海部屋を、横綱常陸山が一代で大部屋に。「分家独立許さず」の方針。と言うことで、常ノ花の跡目を継承出来ずに独立した九重(千代の山)を破門したが、近年では分家も多い。本家・出羽海、唯一の例外として横綱・栃木山の創設した春日野、 大阪相撲より一門に加わった三保ヶ関の3部屋体制が長く続いたが、 横綱・三重ノ海の武蔵川部屋独立以降、他一門同様に拡大路線となった。時津風(双葉山・豊山)と二子山(若乃花1)を除いて、歴代理事長はこの一門から選出されている。現在最大派閥。

 巡業部副部長の玉ノ井親方(大関栃東)、山響親方(前頭巌雄)が親貴乃花。
立浪一門
 大正4年に立浪を襲名した緑嶋が創始。横綱双葉山(時津風一門創始)・羽黒山1を輩出し、大部屋を築く。当初は理事2人と監事を出していたが次第に衰退し、伊勢ケ濱と連合を組んで勢力の維持に努めているが、最近は監事も失った。元来、寄り合い所帯のため中間派色が強いが、かっては二所・高砂と反出羽連合を形成したこ ともある。
伊勢ケ濱一門
 部屋の創始は、清瀬川の現役時代にさかのぼる(大正中期)。引退して昭和5年「伊勢ケ濱部屋」を創設。弟子の照國(荒磯)に部屋を譲って、一時「荒磯部屋」となったが、清瀬川定年後は「伊勢ケ濱」を継承。「繁栄」というイメージはないが、現在は一門の朝日山部屋にたまに関取が出るくらい。本家も存続が危うい。平成18年には、ついに「伊勢ケ濱一門」からは理事が消えた。
二所ノ関一門/20人
 明治40年、2代目海山が創設。没した後一時途絶えたが、二所ヶ関(元横綱・玉錦)が現役で継承。一代で大部屋となった。後のNHK解説でお馴染みの元関脇・玉ノ海が継承後、積極的な分家方針で今日の隆盛の基礎を築いた。昭和49年に「花籠一門」(花籠・二子山・片男波)が分離。翌50年、反出羽の頭目だった二所ヶ関(元大関・佐賀ノ花)の死後、大麒麟が後継含みで(?)引退(押尾川を襲名)したが、直後に金剛が後継者に名乗りを挙げ、押尾川は勝手に独立。花籠の仲介で円満に解決したが、次の理事改選では“花籠派”のみが選出され、“二所ノ関派”は寂れた(「花籠一門」は花籠が二所ノ関一門の総帥となったため自然消滅か)。この一門は分家が栄え、現在も相撲部屋の約三分の一はこの一門である。評議員の数も多い。二子山(元大関・貴ノ花)の急逝、反逆児間垣(元横綱・二代若ノ花)の辞任を経て、 事実上「貴ノ花グループ」が独立化。勢力を弱めつつある。「先代佐渡ケ嶽親方(元横綱琴櫻)のおかみさん(義母、妻真千子さんの母)が二所ノ関一門を離脱した貴乃花親方を嫌悪している。一門の総帥で理事でもある二所ノ関親方(元大関若嶋津)が昨年10月19日に自転車で転倒し約5時間の緊急開頭手術を受けて入院しているが「意識は回復した」との情報がある。「二所ノ関親方が理事選に出馬できない場合は、同一門から芝田山親方(元横綱大乃国)が出馬することも考えられるが、誰が理事選に出るか二所ノ関親方の病状次第」で一門内の勢力図は流動的といえる。二所ノ関一門にはもう1人、尾車親方(元大関琴風)が理事を務めている。協会ナンバー2で八角理事長と懇意にしており反貴乃花。

 貴乃花一門の元々は二所ノ関一門。現役時代に貴乃花親方から3個の金星を奪った佐渡ケ嶽親方(元関脇・琴ノ若)が親貴乃花。この部屋には忠誠を誓う3人の部屋付き親方(小結琴稲妻の粂川、前頭琴椿の白玉、前頭五城楼の濱風)がいる。田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)も二所ノ関一門で、親貴乃花。田子ノ浦部屋には横綱稀勢の里がいる。
時津風一門/19人
 名横綱双葉山が文字通り一代で築き上げた一門。出羽一門とともに歩む協会主流派。現役時代に内弟子と親友の鏡岩(粂川)より部屋を譲られて「双葉山道場」を創設。師匠を失った部屋を次々と吸収し、一門は繁栄。とは言え、理事選挙では3期連続落選を出し、役員勢力は縮小気味。ちなみに、先代の時津風(もと豊山。大学出身大関として時津一門総帥となった)理事は在任が史上最長であった。

 錣山(しころやま)親方(関脇寺尾)、立田川親方(小結豊真将)、湊親方(幕内湊富士)の3親方が親貴乃花。昨年末、時津風一門離脱を表明。無所属となっている。
貴乃花一門/
 阿武松親方(関脇・益荒雄。貴乃花親方の懐刀)、立浪親方(元小結・旭豊)。初場所中に引退して小野川親方となった大道は阿武松部屋の力士。




(私論.私見)