相撲史その8、68代横綱・朝青龍明徳誕生より



 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3).3.8日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「相撲史その8、68代横綱・朝青龍明徳誕生より」をものしておく。「日本相撲史概略」、「相撲の歴史」その他を参照する。別章【貴乃花光司

 2015.1200.01日 れんだいこ拝


【68代横綱・朝青龍明徳が誕生】
 2003(平成15).3月、68代横綱・朝青龍明徳が誕生。

【モンゴル勢の横綱朝青龍と平幕旭鷲山が風呂場で言い争い】
 2003(平成15).7.13日、大相撲名古屋場所(愛知県体育館)の8日目、モンゴル勢の横綱朝青龍(22)と平幕旭鷲山(30)が取組後の風呂場で言い争い、一触即発の騒動を起こした。2人の体がぶつかり合って口論となったもので、大関魁皇(30)が割って入って止めた。今場所5日目の「反則」の一番で一層激しさを増した“モンゴル内戦”の戦火のくすぶり続けていた火種が一気に熱い炎を上げた。結びの一番で平幕高見盛に不覚を喫し、金星配給という屈辱を味わった朝青龍が風呂場に入ろうとすると、出入口に腰にタオルを巻いた旭鷲山がいた。因縁の2人の間に漂う気まずい雰囲気。無言ですれ違ったが、その瞬間に「(風呂場を)出るときにヒジがぶつかった」。旭鷲山の「こんなことをしていいと思っているのか、この野郎!」の怒号が響き渡った。夏場所から積もり積もった朝青龍への怒りが爆発した。一触即発の雰囲気になったが、偶然、その場に居合わせた魁皇が2人の間に入った。相撲界ナンバーワンの怪力大関が仲裁に入ったことで2人はとりあえず離れたものの、本場所取組後の風呂場で“大げんか”と云う前代未聞の不祥事となった。支度部屋に戻った旭鷲山は不機嫌な表情でまくし立てた。いくら平幕力士に不覚を喫したとはいえ、母国の先輩に対してあまりにも無礼な態度。同じモンゴル出身の朝青龍が旭鷲山に対して、さがりをぶつけた夏場所9日目の因縁の一番から両者の関係は最悪の状態に陥っている。今場所5日目には、旭鷲山のマゲをつかみ、横綱として前例のない反則負け。さらに、帰りの駐車場で朝青龍が、旭鷲山の車のドアミラーにひじ打ち。これは高砂親方(元大関朝潮)が事実上、朝青龍の全面的な非を認め、自動車の所有者に謝罪、弁償をしたことで解決したが、2人の関係はもはや修復不可能なところまできている。角界を揺るがす“モンゴルの内戦”が続いている。

【西原・孝の国事件】
 2003(平成15).9月、序ノ口で対戦する両者が東西を間違え混乱。(「西原・孝の国事件 」)。

【地方巡業が日本相撲協会の自主興行から勧進元への売り興行に戻る】
 2003(平成15)年、地方巡業が日本相撲協会の自主興行から勧進元への売り興行に戻る。

【公傷制度廃止】
 2004(平成16).1月、公傷制度が廃止された。外国出身力士の上位での活躍が目立ち始めた。

【再び無投票当選の理事選が始まる】
 2004年、「1998高田川の乱」の数年後、「事前調整慣習」が復活し、再び無投票当選の理事選が続く。「高田川の乱」以降は各一門の人数にばらつきが出てきたものの、当選に必要な票を融通し合うことで無用な戦いを避ける“角界の知恵”が働くようになった。

 当時の日本相撲協会理事長である14代時津風(元大関・豊山)が勇退すると、8代高田川は理事への立候補を取り止め、北の湖親方(元横綱・北の湖)の理事長当選に向けて影響力を持った。

【貴乃花親方が貴乃花部屋をスタートさせる】
 2004(平成16).2月、貴乃花親方が、入退院を繰り返した二子山親方から部屋を継承。東京・中野新橋で貴乃花部屋がスタートした。

 5月、二子山親方は持っていた“藤島”株を一門が異なる武蔵川部屋の元大関武双山に譲渡している。「それが格安で、しかも貴乃花には渡らなかった。01年に離婚した二子山親方にはその後付き合った女性がいて、何か残したかったようです」(角界関係者)。

【17代藤島(元関脇・安芸乃島)が高田川部屋付き親方として受け入れられる】
 2004.5月、貴乃花部屋を事実上破門された17代藤島(元関脇・安芸乃島)を高田川部屋付き親方として受け入れ、同時に17代藤島は16代千田川を襲名した。

【八百長告発の前伊勢ケ浜親方が降格処分】
 2004(平成16).9月、八百長を告発した前伊勢ケ浜親方を降格処分に。前伊勢ケ浜親方(元大関・清国)が、週刊ポストで八百長相撲やドーピング問題を指摘。同親方は役員待遇を解かれ、無気力相撲を取り締まる監察委員へ降格した。

【貴ノ浪の断髪式】
 2005(平成17).1.30日、両国国技館で貴ノ浪の断髪式が行われた。一門の親方として、元横綱・2代目若乃花の間垣親方がハサミを入れる。断髪式を終え貴ノ浪改め音羽山親方。この式に、当時入退院を繰り返していた師匠の二子山親方が病院から訪れて髷に鋏を入れた。貴ノ浪は堪えきれずに涙を流し、来場者の感動を呼んだ。二子山親方は貴ノ浪(現・音羽山親方)の断髪式に出席した直後、容態が悪化。余命三カ月を宣告され、4か月後に逝去したので貴ノ浪の引退相撲が最後の公の姿となった。貴ノ浪の引退直前に貴乃花が二子山部屋を継承、貴乃花部屋となっていたため最後の留めバサミを入れたのは一代年寄の貴乃花親方だった。師匠とはいえ貴ノ浪よりは1年後輩にあたる。

【二子山親方逝去】
 2005(平成17).5.30日、二子山親方が口腔(こうくう)底癌で逝去した(享年55歳)。二子山親方の遺言で、「財産は全て若乃花へ譲る。貴乃花へは一切相続しない」というテープ録音されていたと云う。

 どちらが喪主を務めるかを巡り若貴兄弟が激しく対立した。兄弟の確執は、父の死去後、喪主の座などをめぐり表面化した。会見を兄弟別々に行い、遺骨の管理でも対立。年寄名跡証書の所有権など遺産相続で対立は決定的となった。
財産でもあった親方株が流出し、景気のいいタニマチが大勢いた後援会を解散していた貴乃花親方。二子山親方が他界した際に喪主や遺産相続を巡り再び確執が報じられた。

【日本相撲協会の財団法人設立80周年を迎える】
 2005(平成17).12月、日本相撲協会の財団法人設立80周年目となる。

【露鵬カメラマン暴行事件】
 2006(平成18).7月場所で、露鵬が千代大海との一戦後、口論となり、風呂場のガラスを割り、厳重注意を受ける。その後カメラマンに暴行し3日間の出場停止処分となった。審判部室前で露鵬がカメラマンを平手打ち。

 現役幕内力士が事もあろうか審判部室前でカメラマンを暴行し、カメラを破壊する暴挙に出たのは2006年7月場所7日目である。この日、露鵬は大関・千代大海と対戦。千代大海が押し出し、露鵬は土俵下に落ちた。ここでなぜか両者は睨み合いを演じる。千代大海がなにか言葉を発し、露鵬もこれに応酬した。敗れた露鵬はそのまま礼をせず、土俵を降りた。さらに怒りが収まらず、風呂場のガラスをパンチで破壊。礼をしなかった件で審判部長の元横綱・千代の富士の九重に審判部室に呼び出され注意を受けた。審判部室から出てきた露鵬を待っていたのは報道陣の群れ。これに露鵬が激昂し写真を撮影した2名のカメラマンを平手打ち、カメラも1台破壊された。平手打ちを喰らったカメラマンのうち1名は全治4日の怪我を負ってしまう。その後、弟の白露山に促され理事長室へ出向き、今度は取組後の一悶着の件で千代大海と共に事情聴取を受け謝罪した。さらに露鵬はカメラマンを平手打ちしており、理事会で3日間の出場停止処分が決まる。また、師匠の元関脇・貴闘力の大嶽も3ヶ月の減俸10%という処分が下った。露鵬は11日目に処分が解けて、土俵に戻ってきた。この時は意外にも観客は好意的で、大きな拍手と歓声を持って出迎えられた。このあたりはあたたかさに定評のある名古屋のファンならではだろう。これに気を良くしたのか終盤5日間を4勝1敗で乗り切り、見事、8勝4敗3休で勝ち越しを決めた。逆にちょうど良い休養期間になったのか復帰後は内容もなかなかのものであった。露鵬の行為は非難も多かったが、「実は意外にいい奴」という論評も目立ち、初めて懸賞を得た時に師匠・大鵬にプレゼントしようとしたエピソードなども紹介されていた。その後、残念ながら露鵬は2008年9月の大麻事件で解雇されてしまった。ロシア人力士初となる関取は非常に残念な終わり方になったのである。(「露鵬カメラマン暴行事件」)。

【琴冠佑パンチ事件】
 2006(平成18).9月、ベテランの琴冠佑が支度部屋で対戦相手を殴る。

 大相撲ではいくつかの反則が定められている。髷を掴むが代表例で、他にも拳で殴るというものもある。土俵上にて拳で殴った力士はいないと信じたいが、支度部屋でやってしまった力士がいる。琴冠佑である。十両経験もある40歳の琴冠佑が幕下で取っていた2006年9月場所8日目、勢との一番で張り手を喰らった末に敗れた。これに怒った琴冠佑が勢を支度部屋で見つけると、タオルで巻いた拳で勢の顔面を殴るという暴挙に出た。琴冠佑は師匠から引退勧告を受け、翌日引退した。以上が事件の概要であるが、これだけだと琴冠佑がどうしようもない暴力的な力士と読めるので、少し説明を加える。琴冠佑は十両昇進まで実に89場所を要しており、当時の最も遅いペースの記録を作った。交通事故で3場所連続全休するなど苦労も多かった。ひらがな詩人の栗栖晶さんと友人で、障害のある栗栖さんが弱気になった時に、休み(この事件で引退した後に勤めていた会社の)を取って激励に駆けつけるシーンがNHKで放映されるなど決して暴力事件を起こして引退させられた部分が全ての人間とは思わないで頂きたいということを伏してお願い申し上げる。(「琴冠佑パンチ事件」)。

旭鷲山引退
 2006(平成18).年、九州場所、旭鷲山が33歳で引退。翌年7月、その旭鷲山への恐喝未遂の疑いで元暴力団組長らが逮捕され、大島部屋にトラックが突っ込む事件が発覚。引退の裏に暴力団とのもめ事があったことが明らかになった。

朝青龍八百長疑惑事件
 2007(平成19).1月、元横綱・朝青龍が、2007年1月に発売された週刊現代に八百長記事が掲載された。朝青龍は疑惑を完全否定。同年2.8日、相撲協会は発行元の講談社と執筆者の武田頼政氏を提訴。また週刊現代は白鵬の師匠である宮城野親方(現熊ケ谷、元十両・金親)が2006年名古屋場所千秋楽で大関(当時)の白鵬と朝青龍が八百長をしたと元愛人に告白したテープを入手したと報じた。力士らも原告となった裁判は協会側が全面勝訴したが、宮城野親方は師匠の資格を剥奪され、部屋付き親方となった。

【旭天鵬が禁止されている車の運転で人身事故】
 2007(平成19)年、旭天鵬、禁止されている車の運転で人身事故。一場所出場停止の処分。

【外国出身関取が最多の18人になる】
 2007(平成19).5月場所、 相撲の歴史の上で初めて外国出身関取が最多の18人になる。

【白鵬(22)が第69代横綱へ昇進】
 2007(平成19).5.30日、日本相撲協会が、東京・両国国技館で名古屋場所の番付編成会議と理事会を開き、夏場所で2場所連続優勝を15戦全勝で飾った大関白鵬(22)の第69代横綱への昇進を正式に決めた。新横綱の誕生は2003年初場所後の朝青龍以来、4年4か月ぶり。名古屋場所番付は22場所ぶりに東西に横綱がそろう。東西の横綱をモンゴル出身力士が独占するのは初めて。22歳2か月の白鵬は、北の湖、大鵬に次ぐ年少横綱。口上は「精神一到を貫く」。7月、本場所で初めて観客に不知火型の土俵入りを披露した白鵬。

 東京・墨田区の宮城野部屋は早朝から後援者や近所の人が駆けつけた。慌ただしい雰囲気の中、使者を待つ間の白鵬は、何度も窓際に立って落ち着かない様子だった。午前9時25分、相撲協会の使者の大島理事(元大関旭国)と春日山審判委員(元幕内春日富士)が到着、満場一致での推挙を伝えられると、紋付きはかま姿で迎えた白鵬は、顔を紅潮させながらも「謹んでお受け致します」。堂々とした態度で口上を述べた。乾杯の後、記者会見に臨んだ新横綱は「ちょっと緊張したけど、満点」と一息ついた。口上の内容は、後援者や妻の紗代子さん(23)らと相談しながら、昨夜、決まった。「自分の進む道を信じていけば、達成するという意味。これからもたくさん勉強すべきことがありますが、集中して夢をかなえたい」と落ち着いて話した。横綱としての目標を聞かれると、大鵬、千代の富士、北の湖、貴乃花、朝青龍ら優勝20回以上の大横綱の名を挙げ、「少しでも近づけるよう、自分の相撲を磨いていく」と語った。伝達式には、白鵬と同じ22歳でモンゴル相撲の横綱になった父・ムンフバトさん(65)、母タミルさん(59)ら家族も同席した。ムンフバトさんは、「横綱の地位は重い。みなさんの期待や希望を果たしてほしい」と息子を激励し、両手を合わせて伝達式を見守っていたタミルさんも、「日本、モンゴルの国民の皆様に感謝します」と目を潤ませた。入門時から白鵬を指導する育ての親、熊ヶ谷親方(元幕内竹葉山)も感無量の様子。「口上を聞いたときはジーンときた。精神的にも強い横綱になってほしい」と期待を寄せた。


【武蔵川部屋の山分親方がちゃんこ番の男性を棒で殴り、書類送検】
 2007(平成19).6月、武蔵川部屋の山分親方がちゃんこ番の男性を棒で殴り、書類送検。

【時津風部屋力士の時太山暴行致死事件】
 2007(平成19).6.25日、時太山が稽古場でリンチされ亡くなる。時津風部屋で序ノ口力士の時太山(斉藤俊、17歳)が、愛知県犬山市の宿舎で、親方と兄弟子3人に暴行を受け心肺停止となり死亡する事件が発生している。新潟県出身で、4月に入門して5月の夏場所を踏んだばかりだった。 

 時津風親方(元小結双津竜、57歳)は「火葬や葬式を愛知県で行いたい」と新潟市に住む斉藤俊さんの父親へ伝えてきたが、愛知県まで親戚を行かせるのは大変と考え、葬式は新潟で行うことを決めた。同日夜の11時頃、斉藤俊さんの遺体が同行者もなく霊柩車で新潟市まで運ばれてきた。犬山中央病院の医師が書いた死亡診断書には急性心不全と書かれていたが、顔にかけられたタオルをとると目の周囲は腫れあがり身体はアザだらけだった。父親は「これは病死じゃない、リンチだ」と直感して新潟県警に電話を入れた。新潟県警は他県で死亡病名が書かれていることに戸惑いながら、遺体に残された外傷から新潟大学で解剖を行うことになった。犯罪に関与する解剖は司法解剖になるが、愛知県警が事件性なしと判断した事例だったことから行政解剖となった。新潟大学の出羽准教授が解剖することになり、新潟県警と愛知県警の警察官が立ち会った。斉藤俊さんの肋骨は折れていて、腹、大腿部、尻部には棒で叩いたと思われる痕があった。死因は診断書に書かれた急性心不全ではなく、多発性外傷によるショック死とされた。この外傷が稽古によるものか暴行によるものか愛知県警が調べることになった。

 6.28日、時津風親方は記者会見を行い、「斉藤俊さんは、師匠の見守る前でぶつかりげいこを終えると急に息が荒くなった。無理はさせていないので何がいけなかったのか答えようがない」と述べた。しかし愛知県警は、時津風親方らが暴行を加えたことが原因として、時津風親方と兄弟子数人を立件する方針を立てた。8月、時津風親方が「線香をあげたい」と斉藤俊さんの実家を訪れ、父親が息子の死について問いただすと、稽古の厳しさから部屋を脱走しようとしたので、ビール瓶で殴ったことを認めたが、それが死因とは関係のない話し方であった。

 9.26日、「力士急死で、時津風親方立件へ」と各新聞は報じて、マスコミ報道は過熱した。死亡前日の6月25日午前、斉藤さんは時津風部屋の宿舎から脱走するところを兄弟子らに連れ戻され、親方がビール瓶で斉藤さんの頭部を殴り、兄弟子らに「かわいがってやれ」と言い、金属バットなどで殴るけるの暴行を与え、時津風親方はそれを見ていたが止めずにいた。翌26日昼から、通常は3分程度のぶつかり稽古を30分ほど行った。長時間のぶつかりげいこは体力の消耗が激しく、倒れた斉藤さんが病院に運ばれたが死亡していた。荒稽古で弟子をかわいがることは相撲界の常識と言えるが、稽古と暴力は明らかに異なる行為で、死亡させるとなると警察事案になるのは云うまでもない。

 10.5日、日本相撲協会は時津風親方を解雇することを決定。解雇は相撲協会の賞罰で最も重い処分であった。平成20年2月7日、愛知県警は時津風親方と兄弟子3人を逮捕した。平成20年12月18日、名古屋地裁の芦沢政治裁判長は暴行に関わった伊塚雄一郎(26)、木村正和(25)に懲役3年、執行猶予5年。藤居正憲被告(23)に懲役2年6月、執行猶予5年(同3年)の有罪判決を言い渡した。

 2008(平成20).2月、15代時津風親方らが逮捕された。部屋持ち親方としてはじめての解雇処分となった。2009(平成21).5.29日、傷害致死罪に問われた15代時津風親方(山本順一)に懲役6年の実刑を言い渡した。相撲部屋では親方の指示は絶対で、弟子が逆らうのは困難であった。時津風親方は暴行を主導し、弟子に犯行を指示したとされ重く罰せられた。
 この事件は愛知県で起きた。もし時津風親方が遺族に「荼毘に付して遺骨をお持ちしたい」としていれば、今回の問題は闇から闇へと葬られていた。「異状死体」を行政解剖で究明する監察医制度は東京、大阪など全国5地域で、名古屋市での解剖の件数は、平成13年度はわずか2件。愛知県では10年前に、角界の腐敗を週刊ポストで告発した相撲部屋の元親方と元力士の2人が、記者会見直前に肺炎で同時に急死した事件がある。2人は同じ病院に入院して同日に死亡したが、それは医師が肺炎との死亡診断書を交付している。病死と殺人、さらに自殺や事故死はくわしく調査しなければ真相はわからない。変死には警察が介入して、監察医が検死を担当することになっているが、監察医制度は東京などの五大都市にあるだけで、五大都市以外では警察医が検死を行っている。警察医とは法医学の専門家ではなく、内科や外科医が嘱託されていることが多い。多くの殺人犯は、病死や事故死に見せかけて完全犯罪をたくらんでいる。これを見破る技量が問われている。
 前相撲を取り終えたばかりの新弟子がリンチを受けて亡くなるという絶対にあってはならない事件が起きてしまった。2007年6月26日、時津風部屋の時太山が約30分にわたるぶつかり稽古を受け、気分が悪くなり休んでいたという。しかし、容体が急変し病院に運ばれたが虚血性心疾患で亡くなった。28日、会見を開いた元小結・双津竜の時津風は「通常のぶつかり稽古だった」と主張していた。ところが、行政解剖の結果、多発外傷によるショックが死亡につながった可能性があると判定される。そもそも新弟子である時太山の稽古時間は午前10時頃に終わっているはずなのだが、この時はなぜか12時頃にぶつかり稽古が行われていた。また、通常は5分程度のぶつかり稽古が30分にも及んでいたのも不可解な点である。翌29日時点で、時津風は所轄の犬山署の事情聴取に対して暴行を認めた。また、兄弟子も同様に集団で暴行していた事を認めていた。そうしたことは表に出ず、疑惑だけがくすぶる状態が続いていたが、ついに9月に入り暴行事件が立件される見通しになると連日ニュースで報道され始める。「証拠隠滅の為に遺族に火葬を強く主張した」とか「時津風は普段は弟子思いのいい師匠だが、酒が入るとすぐに暴行する」と言ったショキングな証言も出てきた。金属バッドやビール瓶を使った暴行も証言された。10月5日の緊急理事会で時津風は解雇処分を下される。この時点ではまだ立件されていなかったが、連日の報道過熱に押された形で処分を断行した。部屋は現役幕内力士の時津海が急遽引退して師匠となることで存続が辛うじて決まった。ちなみに時津海自身も暴行に加わっていなかったのかという声も当然出てくるが、死亡した日は関取衆は部屋にはいなかったとされている。年が明けて2008年2月7日、愛知県警は暴行と死亡の因果関係を立証されたとして前時津風と暴行に加わった3名の兄弟子は逮捕された。2008年12月18日、一審で有罪判決が3名の兄弟子に下ると、協会は3名を解雇した。さらに2011年8月29日に前時津風に懲役5年の実刑判決が確定し、事件は一応の区切りを迎えた。(「時太山リンチ死事件」)。

【名古屋場所開設50周年記念】
 2007(平成19).7月、名古屋場所開設50周年記念となる。

朝青龍仮病疑惑事件
 2007(平成19).7月、怪我で巡業を休んだ朝青龍がサッカーを楽しむ。朝青龍が巡業を休んで無断帰国したモンゴルでサッカーをしていた。日本相撲協会は2場所出場停止処分を発表した。

 2007年7月場所で21回目の優勝を果たした横綱・朝青龍。場所後の7月25日、朝青龍は「急性腰椎症、第5腰椎疲労骨折および左ヒジ内側側副靱帯損傷、左尺骨神経痛で6週間程度の休養が必要」なる診断書と一緒に夏巡業の休場届を提出した。ところが、同じ日の夕方のニュースで朝青龍がモンゴルで元サッカー日本代表の中田英寿氏らとサッカーを楽しんでいる姿が映し出された。腰を疲労骨折しているはずだが、豪快なジャンピングボレーシュートを決めていた。当然、「疲労骨折は嘘ではないか、巡業をさぼりたかっただけではないか」という疑問が生じてくる。しかも悪い事にこれは無断帰国。通常は母国と言えども日本を離れる際には届け出を出さなければいけない。朝青龍に関してはなぜか今までも無届けでの帰国が黙認されていた部分はあったが…。26日に師匠である元大関・朝潮(5代)の高砂は帰国するように朝青龍に連絡をとり、30日に朝青龍は帰国した。翌日に理事長のところへ謝りに行く予定だったが、急遽その日のうちに理事長を訪れ謝罪した。どうやらこのサッカーイヴェントはチャリティーでモンゴル政府から参加を要請されてのことだということらしい。北の湖理事長1場所出場停止で決着をつけようとしたが、巡業部長の元大関・旭國の大島が強く反発。大島の弟子の旭天鵬が車での追突事故を起こして1場所出場停止を喰らっており、同等だと納得できないという言い分だ。8月1日の理事会で結局、2場所出場停止で落ち着いた。この他にも11月場所終了まで自宅、稽古場、病院以外の外出を認めない、減俸30%4ヶ月といった処分も同時に下った。

 これまでも何かとトラブルが多かった横綱だったが、本領発揮はここからだった。会見を開かない朝青龍に対して、暑さに負けず報道陣は姿を撮ろうと自宅付近を取り囲んだ。5日になって医師の本田昌毅氏が「朝青龍はうつ病の一歩手前。最良の環境で治療させるのが一番」とモンゴル帰国を勧める。この診断は確かだったようで、協会の相撲診療所所長が推薦した医師も同じように横綱はストレスでやられているという診断を下した。所長の吉田博之氏も「帰国も選択肢の一つ」と語った。さらに静観していた師匠・高砂が9日、10日に連続して朝青龍の自宅を訪れ話し合いを持つ。会見をさせようという目的だったが、これは失敗に終わった。この後、高木洲一氏が治療を担当することになった。「解離性障害」という診断を下した。これに吉田所長も「本人の望む環境に置くのが一番」と帰国を勧める。診療所所長の見解であり、こうなると協会側も帰国を認めないわけにはいかない。高砂も奮戦し、夏休みを2日だけに短縮し、問題に対処。28日に開かれた臨時理事会で主治医の高木氏から説明を受けた上で帰国を了承した。ただし、治療目的以外で公の場に出る事は禁じられた。翌29日、朝青龍は帰国した。首都・ウランバートルから400㌔離れた温泉保養地・ハラホルンにある親族が経営する「ドリームランド」に到着する。別の車で高砂と本田医師も「ドリームランド」入り。高砂は現地の治療施設を確認した後に帰国したが、31日の日本での会見が物議をかもした。まず、会見に臨んだ高砂の着ていた肩章が印象的なパイロットシャツが話題になり、販売元に問い合わせが殺到、品切れを起こした。会見でもモンゴルの治療環境は問題なしとアピールする意図で「モンゴルでダブルの虹を見た。虹のダブルアーチ!」、「モンゴルの温泉は肌がツルツルになる」と発言したところ、これがお気楽発言と受け取られてしまった(その場で爆笑した記者も記者、彼らが高砂を叩く寸法だ)。さらに悪い事に高砂は理事で広報部長の身。時太山暴行死事件でも対応に追われることになり、二正面作戦を強いられた。11月30日、ついに朝青龍が治療を終えて日本に戻ってきた。そのまま協会で謝罪をし、謝罪会見を済ませた。この日は別のボクシング世界チャンピオン一家も故意か偶然か別件で謝罪会見を行ったが、それが霞むほどに大注目を浴びたのがこの歴史的謝罪会見である。久々の日本でも日本語は非常に流暢で会見でも随所に謝罪の言葉を散りばめた。キレたら即刻引退という話も聞こえてくる中、ところどころ質問への聞き返しで多少声を荒げたが、なんとか乗り切り、冬巡業から復帰をした。これが逆にいい休養になったのか2008年1月場所に横綱・白鵬と千秋楽相星決戦を演じると3月場所では堂々の復活優勝を果たした。やはり角界の主役は引退するまでこの男なのである。(「朝青龍仮病疑惑事件」)。

【元小結旭鷲山が暴力団から脅される事件発生】
 2007(平成19).7月、旭鷲山への恐喝未遂の疑いで元暴力団組長らが逮捕され、大島部屋にトラックが突っ込む事件が発覚。元小結旭鷲山が暴力団から脅されていたことが判明した。前年の引退の一要因になったと本人の弁で、引退の裏に暴力団とのもめ事があったことが明らかになった。

【間垣部屋(元二代目若乃花・協会理事)の元十両力士、日出ノ国の大相撲暴力リンチ事件告発】
 2007(平成19).10.10日、週刊大衆10月22日号が、間垣部屋(元二代目若乃花・協会理事)の元十両力士、日出ノ国の大相撲暴力リンチ事件告発を記事にしている。日出ノ国が間垣部屋に入門したのは、1990年の春、15歳のときだった。「新弟子の頃、兄弟子から様々な暴行やいじめを受けました。正当な理由もなく、ただひたすら殴られたり、辱められることがよくありました。とにかく、殴らせろと!と兄弟子に理由も告げられずに、暴行を受けたことが何度もあります。そんな時は、絶対強くなって、この兄弟子を見返してやると思い、じっと我慢するしかありません」、「理不尽なことが多すぎます。とにかく当時は色々なもので、頭をよくブン殴られました」、「正式に親方の弟子になった一週間後には、もう兄弟子に殴られていたかと思います。初めは平手や、ゲンコツでしたが、それだと殴る方も痛いので、一ヶ月もすると、すりこぎ棒や下駄、脚立などに代わりました」、「竹刀でもよく殴られましたが、他のものに比べれば、まだ甘いほう。力士を竹刀で叩いても、竹刀の方が折れてしまいますからね」。相撲部屋には、土俵を作るときに使うシャベルがある。日出の国はこれで殴打された。新弟子の頃は、シャベルで60回は殴られた。門限を遅れたとか、彼に非のある時もあったが、ただ一切理由もわからず殴られることがあった。「それも、1回に付き2,3発、背中や尻、確か頭もあったと思います。シャベルが曲がってしまったこともありました」。相撲界には「寺を切る」という隠語がある。人の物を盗む事だという。彼が、序二段の頃、入門が7年早かった兄弟子の金がなくなった。彼には、何の身に覚えもないのだが、「お前、寺切ったろうと決めつけられて」。その兄弟子は、缶ジュースを握って問答無用と頭をめがけて、2,3回缶の角を叩きつけてきた。一瞬のうちに、着ていた白いTシャツは血で真っ赤に染まった。頭に深い傷ができて、その時の傷がいまも残っている。風呂場で小便を引っかけられたり、「兄弟子のケツを顔面になすりつけられた時は、さすがに屈辱に耐えられませんでした」、「ライターで足を焼かれたこともあります」。夜寝ていると、足が熱くて目が覚めた。兄弟子は寝たふりをしていたが、ライターを手に持っていた。ライターで10円玉や、1円玉をあぶり、その熱くなった効果を体に押しつけたり、Tシャツの中に入れられたりもした。それでも、兄弟子に逆らうことは出来なかった。相撲界では上下関係は絶対というしきたりがある。被害にあった兄弟子から、直に聞いた危険な話がある。その兄弟子を先輩力士が、地下室に連れて行き、灯油をぶっかけて、火を点けようとした。単なる脅しか、マッチの火がつかなかったのか、結局大事には至らなかったが、本当に殺されると思ったという。

【名勝負物語
 2008(平成20).1月、初場所、白鵬vs朝青龍の横綱対決。大相撲になり、最後は白鵬が勝った。久々の盛り上がりだった。

【陸奥部屋の豊桜の暴行事件】
 2008(平成20).1月、陸奥部屋の豊桜が弟弟子を調理器具で殴り、書類送検された.。

【モンゴル力士の旭天山が初場所で引退】
 2008(平成20).1月、モンゴル力士の旭天山が初場所で引退した。旭天山が八百長の仲介役として動いていたことが取り沙汰されたほか、支度部屋で寝そべってたばこを吸う姿が週刊誌に激写されるなど疑惑を受けての引退だった。

【間垣親方が暴行事件で減俸処分】
 2008(平成20).5月、間垣親方が、弟子を竹刀で殴りけがを負わせたとして減俸処分を受けている。

【若ノ鵬が大麻取締法違反で逮捕される。師匠の間垣親方は理事職辞任】
 2008(平成20).8月、角界で大麻汚染が発覚、該当者は解雇処分に。若ノ鵬が大麻入りのたばこを所持しており大麻取締法違反で逮捕される。現役力士ではじめての解雇処分される。若ノ鵬の師匠の間垣親方は理事職を辞任した。

 「関取が逮捕」という一報が2008年8月18日の夕刻流れた。逮捕されたのは幕内・若ノ鵬。容疑は大麻所持で、東京の錦糸町駅付近で財布を落とし、その中にロシア製のタバコが入っていた。これを鑑定すると大麻成分が検出され、ダメ押しに若ノ鵬の外国人登録書が一緒に入っていた。間垣部屋の若ノ鵬の個室からは大麻の吸引具も見つかり逮捕に至った。21日、若ノ鵬は解雇され、元横綱・若乃花(2代)の間垣は理事を辞した。若ノ鵬は20歳にして前頭筆頭まで昇進した期待の若手力士で、195cmの恵まれた体を充分に活かしきれず20歳1ヶ月での引退となった。これは関取としては最年少引退記録である。これを受けて協会は9月2日に抜き打ち大麻検査を実施。ここで2名から陽性反応が出る。幕内・露鵬、十両・白露山の兄弟である。2人は容疑を否定し精密検査も行ったが、やはり結果は一緒であった。二人はなおも否定し、警察の家宅捜索でも吸引具などの物証は出なかった。それでも、協会は露鵬、白露山を解雇処分を強行し、露鵬の師匠である元関脇・貴闘力の大嶽は委員から平年寄へ2階級降格、白露山の師匠である北の湖は理事長辞任に追い込まれる。これで終わりかと思われたが、実は抜き打ち検査で1回目、2回目ともに判定不能とされ、3回目でようやく陰性と判定された疑惑の力士が1名いた。その力士は年が明けた2009年1月30日に大麻所持で逮捕された十両・若麒麟である。別の大麻捜査で家宅捜索の対象となったCD販売店に居合わせたところ、大麻を所持していた為、逮捕となった。若ノ鵬、露鵬、白露山の3名はロシア出身力士であり、これを外国人力士特有の問題と見る向きも少なくなかったが、日本人である若麒麟が逮捕され情勢は一変した。若麒麟も解雇処分となり、師匠である元大関・琴風の尾車も2階級降格となった。さらに抜き打ち検査は全関取が対象のはずだったが、一人だけ事前に情報をキャッチしたのか欠席した力士がいたらしい。その力士は後に別の事件で引退に追い込まれて既に角界を去っている。(「
角界大麻汚染」)。

【露鵬・白露山兄弟が大麻事件絡みで解雇処分】
 2008(平成20).9月、若ノ鵬の事件をうけ、抜打ち尿検査がおこなわれる。露鵬・白露山兄弟に大麻の陽性反応が出た。本人たちは否定物的証拠も出なかったが、二人は解雇処分。露鵬の親方でもある、北の湖理事長は理事長で初めての引責辞任。白露山の親方である大嶽親方は委員から年寄へ降格。

【協会が外部役員枠を導入する】
 2008(平成20).9月、協会が新たに外部より招く役員枠を設置する。

【若麒麟が大麻事件絡みで解雇処分。親方であるの尾車親方は二階級降格】
 2009(平成21).1月、若麒麟が乾燥大麻1を所持していたとして現行犯で逮捕された。抜き打ち尿検査の際には、1回目の検査結果は陰性であったものの、検査結果が不鮮明だったために2度再検査を受けたが、最終的には陰性と判定されていた。解雇処分。親方であるの尾車親方は二階級降格。

【51歳の入門志願者事件】
 2009(平成21).1月、持ち金34円の51歳入門志願者が佐渡ヶ嶽親方にタクシー代を請求。

 51歳の入門志願者が佐渡ヶ嶽部屋を目指して埼玉県さいたま市の大宮駅付近からタクシーに乗車した。佐渡ヶ嶽部屋は千葉県松戸市にあるのだが、かつてあった東京都墨田区の住所に行ってしまい、その後に千葉県松戸市に向かい到着した。タクシー代は20500円。入門志願者はタクシー代を佐渡ヶ嶽(元関脇・琴ノ若)が支払うと主張。事前に話を通しておけば、まだ良かったのだが、佐渡ヶ嶽部屋に事前連絡をせず、面識もなかったため佐渡ヶ嶽が支払いを拒否。51歳の入門志願者は詐欺の疑いで逮捕された。この入門志願者の身長体重は分かっていないものの、当時のルールだと体格面では原則として身長173㌢以上、体重75㌔が入門条件。第二検査という方法もあるが、これは身長168㌢、体重67㌔で運動テストをクリアしなければならない。幕下付出の資格を得ていれば、少し違うのだが、そういう資格があったとは聞いていない。しかし、入門志願者を阻んだ壁は年齢制限だ。51歳では入門できない。条件は検査日の時点で23歳未満である。51歳では入門できない。行司、呼出し、床山も51歳では入門できない・・・はず。部屋が雇うマネジャー的な立場なら相撲協会の協会員ではないので部屋に判断は任せられる。一体どの分野で入門したかったのかは本人にしか分からないが、入門を志願するなら、せめてなんとか片道交通費は工面すべきだし、どうしてもという場合であっても部屋側に事前に相談して次善策を取るべきだった。もし、力士志願者であったなら、ここで年齢制限でダメということも判明し、タクシーに乗る必要もなかったはずだ。(「51歳の入門志願者事件 」)。

【相撲博物館では「国技館100年」の展示】
 2009(平成21)年、国技館100年記念。夏場所の前4月21日より6月19日に相撲博物館では「国技館100年」の展示が行われた。

【16代千田川が9代高田川を襲名して部屋を継承する】
 2009.8.5日、8代高田川が2010.3月に定年退職を迎えるためこの日、16代千田川と年寄名跡を交換し、16代千田川が9代高田川を襲名して部屋を継承した。9代は稽古場に鉄砲柱を5本も立てた部屋を東京都江東区清澄に新築し、同年9.5日、部屋開きを行った。2012.11月場所に竜電が新十両へ昇進し、9代が部屋の師匠に就任してからは初となる関取が誕生している。

【池坊保子氏の「貴乃花親方が大好き」発言】
 2009(平成21).10月、評議員に就任する前の池坊保子氏が、ブログで、尾車部屋の嘉風関の結婚式に列席したことを報告。その中で「会場で貴乃花親方と2回も写真を撮ってしまいました。私は、周りが色々騒いでも、動じることなく、真摯に、誠実に相撲道に精進する貴乃花親方が大好きなんです」と貴乃花親方が「大好き」と“告白”している。写真撮影の様子を見ていた人からは、「池坊さんは、先ほどのお祝辞はまるで皇室の方のように上品だったのに、ミーハーなんですね」と言われたことを明かし、「そう、しっかりミーハーしています」とつづった。ブログには胸を張り、さわやかな笑顔の貴乃花親方の横で、少し恥ずかしそうにほほえむ池坊氏の写真がアップされている。(「池坊保子氏 貴乃花親方のファンだった「大好きなんです」と過去のブログで」)

【朝青龍引退事件】
 2010(平成22).1月、朝青龍が、初場所中に泥酔の上、暴力沙汰を起こす。示談になったが、相撲協会は2月4日に理事会を開き処分を協議。緊急に朝青龍を呼び出して事情聴取したあと解雇も辞さない構えで引退を勧告した。現役続行を望んでいた朝青龍だが、最悪の事態を避けるため、しぶしぶ勧告を受け入れて引退を表明した。品格を問われ続けた「お騒がせ横綱」が角界を去ることになった。師匠の高砂親方は役員待遇から主任へ2階級降格処分。相撲の歴史上3位の優勝回数25を誇ったモンゴル出身横綱・朝青龍が「品格」を問われ自ら引退した。

【モンゴル勢力士の引退】
 2010(平成22).1月、モンゴル勢の元小結の白馬と元前頭の徳瀬川、猛虎浪、光龍、元十両の保志光、星風は、八百長問題で引退勧告を受け、土俵を去った。

【貴乃花親方一門形成】
 2010(平成22).1.19日、東京都内のホテルで開かれた一門会の会合で、日本相撲協会の理事選挙をめぐり、二所ノ関一門を離脱した元横綱の貴乃花親方(37)を支持する間垣親方(元横綱2代目若乃花)ら6人の親方が一門を離れることになった。角界の一門は相撲部屋を系統別に分けたグループで、理事は各一門の利益代表としての性格が強い。一門内で立候補者を調整する慣例に反し、貴乃花親方は一門とは別のグループの代表として立候補する異例の形になった。間垣親方のほかに一門を離れるのは、阿武松親方(元関脇益荒雄)、大嶽親方(元関脇貴闘力)、二子山親方(元十両大竜)、貴乃花部屋所属の音羽山親方(元大関貴ノ浪)、常盤山親方(元小結隆三杉)。これを「2010貴乃花の乱」と云う。二所ノ関一門に所属していた貴乃花親方が親方6人を連れて離脱、理事選に立候補したのだ。土俵改革を唱えて理事選出馬を目指した貴乃花親方は当時38歳。だが、二所ノ関一門会で「理事には早すぎる」との反対論が起き、出馬を断念するよう求められたため、それに反発して一門を飛び出した。この「貴の乱」は他の一門にも波及し、伊勢ヶ濱一門(当時は立浪・伊勢ヶ濱連合)からも造反して貴乃花親方に投票する動きが起きた。理事選挙は2月1日に行われる。

【貴乃花親方が理事当選】
 2010(平成22).2.1日、相撲協会理事選挙で、二所ノ関一門の総意を無視し一門を離脱し立候補当していたに貴乃花親方が当選した。1月場所中に立候補を表明しそれを支持した間垣、阿武松、大嶽、二子山、音羽山、常盤山の親方6人及び間垣部屋、阿武松部屋、大嶽部屋の3部屋は事実上二所ノ関一門破門させられた。

 その後、貴乃花グループは貴乃花一門を結成し、現在の6つの一門体制が誕生。以降の理事選は、常に定数を超える候補者が現われ、激しい票の奪い合いが繰り広げられている。

【相撲界の薬物撲滅に尽力した慶應義塾大学の大西祥平医師が不審死】

【木瀬部屋閉鎖事件】
 2010(平成22).5月、前年の名古屋場所で暴力団幹部多数が維持員席で観戦していた問題で、チケットを手配した木瀬親方は二階級降格、木瀬部屋は閉鎖し北の湖部屋に吸収合併。調達を依頼され手配した清見潟親方は譴責(けんせき)処分。

【琴光喜らの野球賭博事件】
 2010(平成22).5月、大関琴光喜、大嶽親方(元関脇貴闘力)ら数十名の力士や親方の関与が発覚した野球賭博事件が発生した。この時、貴乃花親方と兄弟子として盟友関係にあった大嶽親方(当時、元関脇・貴闘力)が事件に関与したとして協会から解雇処分を受けた。9人の力士が起訴されるなか、貴闘力は物証が乏しいとして不起訴(嫌疑不十分)になったが、賭け金が大きかったという理由で協会からは真っ先に解雇された。この時、貴乃花親方は、琴光喜の処分軽減を訴えて、「十両最下位からでもいいから出直させて欲しい」と理事会で発言し却下された。臨時理事会で辞職願まで出して処分に抗議したが受理されなかった。貴乃花親方が一門を割って出馬した『貴の乱』(2010年2月)の直後だったこともあって、貴乃花が理事に立候補するにあたって応援した琴光喜や貴乃花新理事の誕生を快く思わない理事達の意趣返しとしての“貴グループ潰し”の報復と受け止めていた」。

 ベテラン記者はこういう。「加えて、現在の貴乃花のブレーンとみられているのが北の湖・前理事長(故人)の時代に顧問として相撲協会の事務を取り仕切ってきた人物だ。この元顧問は、八角体制になってから協会を追い出され、不当解雇だとして協会と裁判で争っている最中だ。現在の執行部と対立する元顧問からすれば、復権するには貴乃花理事長体制を誕生させるしかなく、これが最後のチャンスとみているはずだ。もともと、協会の会計なども管理していた人物だから、どんな“金銭スキャンダル爆弾”が飛び出してもおかしくない」(週刊ポスト2017年12月8日号)。

 2010(平成22).5月、5月場所中、琴光喜が野球賭博に関与していたと週刊新潮に報じられ、それをきっかけに事情聴取を受ける。最初否定していた協会も6月、野球賭博に29人、賭け麻雀、ゴルフ、花札などの賭博に36人の計65人が関わったと申告してきたことを発表し、琴光喜と大嶽親方は解雇ほか関取11名、幕下以下7名が7月場所を謹慎出場停止処分。ほか5名を厳重注意処分。時津風•阿武松両親方は降格処分、武蔵川理事長以下10親方が謹慎処分に附された。

 現役大関が解雇され、2010年名古屋場所のTV中継が中止される事態に追い込まれるというショッキングな事件の発端は2010年5月20日に発売された週刊誌による報道だ。内容は大関・琴光喜が阿武松部屋の床山である床池の誘いを受け賭博に参加したとされ、また床山の兄の元幕下力士である暴力団関係者に1億円の口止め料を払うように恐喝されているという内容。この報道を受けて本場所中にも関わらず5月場所14日目に警視庁から琴光喜は事情聴取を受ける。「まったく知らない。信じられない」とこの時点では琴光喜は協会に対して賭博への関与を否定していた。ちなみに本場所で琴光喜に対しては土俵入りの際から声援は小さく、ブーイングこそマイクに拾われる事はなかったが、終始微妙な空気が館内を包んでいた。そんな中、元幕内・片山の片山伸次氏が琴光喜の賭博関与を証言。片山氏の証言を待つまでもなく角界での賭博横行は力士の未成年飲酒と並んで常態化していた部分はあった。しかし、もう当時は2010年。しかも悪い事に角界で不祥事が連発している中で世間はそれを許さなかった。6月11日、琴光喜とは別の力士が野球賭博に関わっていた事が協会から発表され、同時に14日までに正直に賭博をした事があると申告すれば厳重注意処分(事実上のお咎めなし)にとどめることが発表された。すると野球賭博以外の賭博を含めて実に65名が自己申告。この中には当初は否定していた琴光喜も入っていて「やっぱり」という声がファンから聞こえてきた。これにて幕引きかとも思われたが、協会に文部科学省から処分が甘すぎるとクレームがついた。協会は方針転換し、厳罰に処す事に。まずは事実関係をクリアーにする為に6月21日に第三者による特別調査委員会たる委員会を立ち上げ、調査。この時点でも申告した力士は琴光喜のみが公表されている状況だったが、元関脇・貴闘力の大嶽、元幕内・時津海の時津風、そして豊ノ島、豪栄道、豊響ら期待に若手日本人力士が関与しているという情報がどこからともなく漏れていった。7月4日、ついに処分が発表された。ここでは9月8日の追加処分も含めて列挙したい。

 以下にまとめた。紫は賭博開帳図利罪で逮捕、赤字は後に賭博容疑で略式起訴。青色は後に賭博容疑で書類送検。

○解雇
大嶽(元関脇・貴闘力)、琴光喜(大関)、古市(幕下、元十両)、床池(床山)

○年寄へ2階級降格、10年間は昇進なし
阿武松(委員、元関脇・益荒雄)

○年寄へ1階級降格、5年間は昇進なし
時津風(主任、元幕内・時津海)

○野球賭博に関与しながら申告せず2場所の出場停止
松谷(十両)

○野球賭博に関与しながら申告せず1場所の出場停止
若力堂(三段目、元幕下)

○1場所の出場停止となる謹慎
雅山(幕内、元大関)、豊ノ島(幕内、元関脇)、豪栄道(幕内、元関脇)、豊響(幕内)、若荒雄(幕内)、隠岐の海(幕内)、普天王(十両、元小結)、千代白鵬(十両、元幕内)、清瀬海(十両、元幕内)、春日錦(十両、元幕内)、大道(十両)、光法(幕下)、大和富士(三段目、元幕下)、松緑(三段目、元幕下)、能登櫻(序二段、元三段目)、大瀬海(序二段、元三段目)、松乃海(番付外、元三段目)

○7月24日までの謹慎
武蔵川(理事長、元横綱・三重ノ海)、出羽海(理事、元関脇・鷲羽山)、九重(理事、元横綱・千代の富士)、陸奥(理事、元大関・霧島)、八角(役員待遇、元横綱・北勝海)、佐渡ヶ嶽(委員、元関脇・琴ノ若)、境川(委員、元小結・両国)、春日野(委員、元関脇・栃乃和歌)、宮城野(元十両・金親)、木村瀬平(年寄、元幕内・肥後ノ海)

○厳重注意(野球賭博に関わった力士)
嘉風(幕内)、薩摩響(幕下)、城ノ龍(幕下)、豊光(三段目、元幕下)、北勝国(序ノ口、元十両)

○厳重注意(野球賭博以外の賭博に関わった力士)
白鵬(横綱)、稀勢の里(関脇)、琴奨菊(小結、元関脇)、鶴竜(幕内、元関脇)、朝赤龍(幕内、元関脇)、栃乃洋(幕内、元関脇)、垣添(幕内、元小結)、春日王(十両、元幕内)、琴春日(十両、元幕内)、将司(十両、元幕内)、霧ノ若(十両)、旭南海(十両)、十文字(幕下、元幕内)、出羽鳳(幕下、元十両)、鬼嵐(幕下)、藤本(三段目、元幕下)、大上総(三段目)、大忍(三段目)、霧桜(三段目)、山竜(序二段、元三段目)、虎受(序二段、元三段目)、受磐(序二段、元三段目)、大天白(序二段、元三段目)、金井(序二段)、霧嵐(序二段)、紀の川(序二段)、大花(序二段)、霧丸(序二段)

○厳重注意(親方衆)
松ヶ根(元大関・若嶋津)、粂川(元小結・琴稲妻)、白玉(元幕内・琴椿)、東関(元幕内・潮丸)、若堂(元幕内・皇司)、中川(元幕内・旭里)、木村寿行(行司、幕内格)


厳重注意(裏方)
琴千歳(若者頭、元幕内)、前進山(若者頭、元十両)、白岩(若者頭、元十両)、琴吉(呼出し、幕内格)、松男(呼出し)、悟(呼出し)、床佐渡(床山)、床淀(床山)

 これらの他に未成年力士3名の存在が明らかになっている。

 協会の対応への非難も多かった。当初は正直に申告すれば厳重注意としていたにも関わらず、結局は出場停止も含めた厳しい処分が下った。これはだまし討ちと言われても仕方ない。琴光喜は「嘘つき、琴光喜」などと非難を浴びたが、協会も嘘つきである。さらに協会の特別調査委員会には掛け金が軽微ということで厳重注意にとどめられた城ノ龍が警察の捜査では悪質の判断され起訴されるなど調査精度そのものに疑念が残った。しかも城ノ龍に追加処分は下されなかった。解雇された大嶽、琴光喜は2010年2月の理事選で貴乃花親方へ投票した。それもあってか特に琴光喜解雇に反発した貴乃花は7月4日の理事会で辞表を提出する前代未聞の抗議をしたが、これは受理されず。貴乃花自身も次の日朝稽古を見て何かを感じたのか辞意を撤回した。この時の辞表は理事の辞表なのか協会そのものの辞表なのかは定かになっていない。ファンは何がどうなっているのかとますます混乱。

 また、在野の相撲専門誌で知られていた『大相撲』が発売中止に追い込まれ廃刊となった。賜杯を筆頭に外部からの表彰も7月場所は辞退。これに場所前から優勝間違いなしと目されていた白鵬は「国技を潰す気か」と反発。実際に優勝して臨んだ表彰式では涙を見せた。(「大相撲野球賭博問題」)。
 テレ朝「スパモニ」(2010/7/6)「もちょっと言わせて」で、田中喜代重(弁護士)が、野球賭博問題で"厳罰"裁判員裁判の観点から次のように発言した。
 「私は法律家ですから、みなさんがいずれ裁判員になることを想定してを考えるわけですよ。そうすると、量刑も裁判員は判断しなけれゃならなくなる。量刑というのは犯した罪に対してどのような罰を下すかと言う事を判断するわけです。今回の場合で言えば、琴光喜が犯した罪とその罰のバランスが取れていないとおかしいだろうということを言いたいわけですね。前回私は全然取れてないと。犯した罪はわずかなもので、賭博という軽い罰金刑しか無い罪なんで、それに対して力士生命を奪うような、死刑に相当するようなことをバランスがいいのかという、それを敢えて決めようとしたことについて、僕は随分意見を言った、それについて皆さんの反響も多くて、それを支持する方も結構いらっしゃったことは勇気づけられましたね」。
 「やはりバランスが取れないとおかしいんですよ。悪いから悪いからだけで、○○に(聞き取れず)攻め立ててどうするんだと。そうじゃなくて、あくまでも基準になるのは法定刑ですよね。刑法でどの程度の罪としてそれを掲載しているかという基準で判断しなけりゃいけないんじゃないかと、それを考えれば、今回、罰金刑しかない、しかも今はっきりしてるのは、恐喝事件の被害者であって、恐喝は10年以上の懲役ですよ。彼はもし立件されていなかったら、何でも無いわけですし、立件されたとしても、刑事実務の実態からいえば単純賭博しか無いわけですから。これでほんとにバランスが取れるのか。これを教訓にしてもらいたいのは、暴力団員が僅かな違法行為をネタに脅かすことはいくらでもあるんですよ。常套手段ですから。それに対して守るべきものが、つまり所属する団体が守らなかったことによって、暴力団が勢い付くのではないか。さらに深く強く根を張るんじゃないか。それを恐れる」。

【貴乃花親方が一転「退職せず」】
 2010.7.5日、大相撲の元大関琴光喜関の解雇処分を不服として4日の日本相撲協会臨時理事会で協会からの退職願を提出したが受理されなかった貴乃花親方が、「まずは弟子の育成が頭の中にいつもありますから」と述べ、退職しない意向を示した。この日、貴乃花親方は、三重県桑名市の貴乃花部屋で朝げいこを熱心に指導。退職願提出の真意などについて「理事会のことに関しては一貫して言えません」と明言を避けた。強行出馬した2月の理事選挙で一門の枠を超えて同親方に1票を投じたとされる元琴光喜関の解雇には「時期が来たらお話しします」とした。かつて貴乃花親方が所属した二所ノ関一門からは厳しい意見が出た。放駒理事(元大関魁傑)は「正直驚いたし、理解できない。(賭博の)問題はすべて決着していないのだから」と批判し、二所ノ関理事(元関脇金剛)も「無責任すぎる。何のために理事になったのか」と苦言を呈した。

【謹慎力士は全休扱い…友綱審判部長が見解
 2010.7.5日、日本相撲協会の友綱審判部長(元関脇魁輝)が、6人の幕内や4人の十両など、野球賭博関与により名古屋場所(11日初日・愛知県体育館)を謹慎する力士の成績について、全休扱いにすることを明かした。このため、謹慎力士は9月の秋場所では大幅に番付が下がることになる。また、幕内の取組数について「目安は19番~20番を組みたい」とし、十両力士を普段より多めに幕内と対戦させるなどして、従来とほぼ同数を組む意向を示した。友綱審判部長は「今までにないような取組ができるんじゃないかな。(謹慎者多数で)幕下の人にとっては(十両昇進の)チャンスが広がると思う」と、異例の場所に向けて予想していた。

【名古屋場所が史上初のNHK中継が中止】
 2010(平成22).7.6日、7月場所、野球賭博事件により名古屋場所が史上初ののTV、ラジオ中継を中止した。NHKがこの日までにNHKへ10000件以上の意見が寄せられ、そのうちの68%が中継反対だったから世論の理解が得られていないというのがその理由だった。NHKは、中継中止の代わりに『大相撲・幕内の全取組』たるダイジェスト番組を18時台に放送した。永谷園が名古屋場所の懸賞金掲出および、呼出着物広告を中止し、各社それに呼応し懸賞は前年の8割減。天皇賜杯、内閣総理大臣杯の授与などの表彰は行われなかった。

 9月場所からは放送が再開されたが、解雇された大嶽は会見で協会を批判した上で、「あと1年くらいしたら、全部分かるから」と不気味な予言を残して協会を去った。これが何を指しているのかは不明だが、この事件の捜査過程で大相撲で八百長が行われていた事も発覚した。非常に深い爪痕を残した事件である。

【警察庁が相撲部屋宿舎40か所を賭博開帳図利の疑いで家宅捜索】
 2010(平成22).7月、警察庁が阿武松部屋、境川部屋、八角部屋、木瀬部屋が吸収された北の湖部屋、名古屋場所の宿舎などに40か所を対して、賭博開帳図利の疑いで家宅捜索した。

【相撲協会:村山代行が続投】
 相撲協会:村山代行が続投へ 理事長の復帰メド立たず
 http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100719k0000m050149000c.html

 2010(平成22).7.18日、日本相撲協会の村山弘義理事長代行(元東京高検検事長)は18日の理事会後、「武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)から 代行を務めてと言われたら、そうせざるを得ない」と述べ、 武蔵川理事長の謹慎期限になっている25日の名古屋場所千秋楽以降も代行を続ける意向を示した。 武蔵川理事長が周辺に体調不良を訴えている上、復帰の見通しが立っていないため。 千秋楽翌日には横綱審議委員会があり、武蔵川理事長の謹慎明け最初の公式行事になる予定。 だが理事長の容体を伊藤滋理事(早稲田大特命教授)は「病気」と述べ、名古屋場所担当部長の二所ノ関理事(元関脇・金剛)も 「戻ってほしいが健康状態が心配。情報も入っていない」と言う。 会社の定款に当たる協会寄付行為は「理事長に事故がある時、または理事長が欠けた時は、 あらかじめ理事長が指名した理事が職務を代行する」と規定。これまでは病気などで執務不能になった理事長に代わり協会ナンバー2の事業部長が理事長代行を務めた。 理事会では、協会執行部と十両以上の関取や親方らとの意見交換会を8月20日に両国国技館で開くことを決めた。 賭博問題など不祥事の再発防止と、協会員主体で改革を進めさせることが狙いで複数回を予定する。 また貴乃花親方(元横綱)が出席した会食や行事に暴力団関係者が同席したとされる問題は、特別調査委員会で継続調査。 週刊新潮で野球賭博への関与疑惑が報じられた佐ノ山親方(元大関・千代大海)は 「記事は信用性を欠く」との調査結果も報告され、佐ノ山親方は不問に付された。【武藤佳正】

【貴乃花理事に投票した宮城野部屋の二子山親方が立浪一門から破門】
 大相撲 二子山親方転籍へ…所属の立浪一門から破門確実に: 7月20日0時40分配信 毎日新聞
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100720-00000000-maip-spo

 2010.7.19日、日本相撲協会の2月の理事選挙で、当選した貴乃花理事(元横綱)に投票した宮城野部屋の二子山親方(元前頭・光法)が所属する立浪一門から破門されることが確実になった。貴乃花部屋に転籍する見通し。名古屋市内で19日に開かれた立浪一門の会合で、宮城野部屋付きの熊ケ谷親方(元前頭・竹葉山)が 「名古屋場所後に二子山親方に転籍届を出させる。貴乃花部屋に移る」と報告し、了承された。 二子山親方は理事選挙で、落選した立浪一門の大島親方(元大関・旭国)ではなく、二所ノ関一門から離脱して立候補した貴乃花理事に投票し、一門の反発を受けた。今月7日付で年寄「安治川」から、貴乃花理事が管理する「二子山」に名跡変更した。【藤野智成】

【元横綱初代若乃花逝去】
 2010(平成22).9.1日、花田勝治(元横綱初代若乃花、元相撲協会理事長)氏死去(享年82歳)。「土俵の鬼」と呼ばれた昭和の名力士で、引退後は日本相撲協会理事長としても大相撲の発展に尽力した元横綱初代若乃花の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が1日午後5時25分、東京都内の病院で死去した。

【十両松谷、三段目・若力堂、幕下古市が野球賭博に関与】
 2010(平成22).9月、十両松谷、三段目・若力堂、幕下古市が野球賭博に関与していたことが新たに明らかになり松谷は2場所出場停止、若力堂と古市は1場所出場停止。古市は引退届を提出したが、受理されず、解雇処分。

【天覧相撲「相撲節会」再現】
 2010(平成22).10.10日、平城遷都1300年祭が開かれている奈良市の平城宮跡で奈良時代に7.7日に国家儀礼として行われていた天覧相撲「相撲節会」(すまいのせちえ)が再現された。奈良県相撲連盟のアマチュア力士ら10人が登場し微妙な判定は天皇の裁断を仰ぐ「天判(てんぱん)」が行われることや、引き分けを「持ち」と呼ぶなどの解説を交え、5番にわたって取組を実演した。

【貴乃花親方が最年少理事に就任】
 2010(平成22).11.20日、貴乃花親方が2010年の日本相撲協会理事選に二所ノ関一門を離脱し強行出馬した。鳴門親方が自ら理事を降り、貴乃花親方は最年少理事となった。

【黒海、臥牙丸「激励」騒動】
 2011(平成23).1月、黒海が臥牙丸を「激励」し、なぜか料理店が110番。

 2011年1月場所中の早朝に不思議な騒動が発生した。欧州出身力士のパイオニアであるグルジア出身・黒海とグルジアの後輩である臥牙丸が都内のインド料理店にいた。場所中の早朝に料理店というのも如何なものかと思うが、なんと料理店が110番通報。詳細は不明だが、客席を仕切るガラスにヒビを入れてしまったようだ。天井に大きな穴があいたという報道も一部ではあった。酒に酔っていて口論の末に大きな物音が聞こえたと店側は証言し、店長が警察に通報た模様。当然、早朝から暴れたのではないかという疑惑が出てくる。被害届が出されたが、示談が成立し、取り下げられた。元大関・魁傑の放駒理事長は「けんかがあったとは捉えていない。知人が亡くなって落ち込む臥牙丸を黒海が激励していたようだ」と説明。処分は特にせず、厳重注意に止めた。放駒理事長の「激励」の定義が気になる。世間一般のそれよりもかなり広く意味を取っているような気がしてならない。結局、有耶無耶なままで終わった。(「黒海、臥牙丸「激励」騒動 」)。

【9代高田川部屋が二所ノ関一門へ加入】
 2011.1.17日、9高田川が、元は二所ノ関一門の旧・二子山部屋の出身であるところ、反目する貴乃花親方が2010.1月に行われた日本相撲協会理事選挙を巡って二所ノ関一門を離脱したことを受けて二所ノ関一門へ加入する運びとなり、この日、一門会において正式に加入した。

【現役力士ら計35人が野球賭博容疑で書類送検】
 2011(平成23).2月、警視庁が野球賭博事件に関連して押収した力士らの携帯電話に現役十両力士数人が八百長を頻繁に行っていたとみられるメールの記録が、残っていたことが分かった。これにより2~3月には野球賭博に関与したとして現役力士ら計35人が賭博容疑で書類送検された。

【本場所の歴史上2度目としての三月場所中止】
 2011(平成23).3月、三月場所が相撲の本場所の歴史上2度目としての中止となった。1度目は昭和21年被災した国技館の修理が遅れ本場所(夏場所)が中止されている。福祉大相撲、大相撲トーナメント、地方巡業、さらに3月場所(春場所)が中止された。幕内力士らが引退、解雇となった。

五月本場所を五月技量審査場所として無料公開
 2011(平成23).4月、五月本場所を五月技量審査場所として無料公開することになった。

【七月場所が開催】
 2011(平成23).7月、通常の七月場所が開催された。

【貴王良 成樹 (たかおうら なるき)廃業事件】
 貴王良 成樹 (たかおうら なるき)の履歴は次の通り。
本名(生年月日) 齋藤 成樹(平成5年7月19日)
出身地 群馬県邑楽郡千代田町
身長、体重 180センチ 、110.5キロ
所属部屋 貴乃花
初土俵 初土俵/平成22年1月-最終場所/平成24年3月
生涯戦歴 26勝51敗7休/77出(13場所)
前相撲戦歴/1場所、序ノ口戦歴/13勝36敗/49出(7場所)、序二段戦歴/13勝15敗7休/28出(5場所)

【相撲協会理事の部屋経営分離規定】
 2011.10.16日、来年2月に改選が予定されている大相撲の役員選挙にあたって、現在、部屋経営を行っている親方は理事との兼業ができなくなり、理事に立候補する場合は部屋経営から離れなければならなくなることがわかった。「大相撲改革のガバナンス整備委員会から指摘されていた問題点を改善することが、最近の理事会で決まった。理事などの協会職に就いていると、朝9時には国技館に出勤しなければならない。当然、弟子の指導は部屋付きの親方にやってもらうしかないことになる。ところが、弟子の育成を何もしていない親方が弟子の育成費を協会から支給されている。その額、弟子一人につき年間約200万円。理事ともなれば、それとは別に手当が出るわけで、“給料の二重取り”と指摘されたのです」(相撲関係者)。相撲協会の前近代的な側面が正されるわけで、大いに結構な話。理事として協会職に専念するか、部屋経営に専念するかは本人次第だが、注目されるのは将来の理事長を目指す貴乃花親方だ。スポーツ紙記者が言う。「貴乃花親方は都内に豪邸を持ち、妻子といっしょに住む一方で、中野新橋の貴乃花部屋は弟子だけで住んでいる。普段指導に当たっているのは常磐山親方(元小結隆三杉)で、事実上は“常磐山部屋”。こうなると当然、部屋付き親方として協会職に専念することになるでしょう」る2月の役員改選では理事の顔ぶれも世代交代が進むはず。団塊の世代の親方衆は姿を消す。「若い親方の中には、これまでのような一門制度に無関心の人も少なくない。役員は各一門から2人ずつ出すという不文律も、いずれ消えてなくなるかもしれません」(相撲関係者)。そうなれば、大相撲改革も加速するかもしれない。「協会外にいながら親方株を所有し、何の関係もないのに部屋を牛耳っている親方夫人もいます。来年春にはそれも許されなくなる。大相撲の前近代性にかなりメスが入り、風通しがよくなる」(スポーツ紙記者)。

【協会が外部役員枠を導入する】
  日付け記事「【貴乃花親方 反逆の真実】小林元顧問の信じられない背任行為 国技館の改修工事で業者に利益提供要求、相撲協会の発注方針も無視」その他参照。

 2012(平成24). 3月、日本相撲協会顧問/小林慶彦が両国国技館の改修工事の業者選定に介入。すでに受注業者として大手ゼネコンO社に決まっていたが、同月に行われた相撲協会の理事会で突然、契約の見直しが提案され取り消しとなった。この理事会の直前、小林氏は大手ゼネコンK社の営業担当者を呼び出して次のように賄賂要求している。自分が新たな業者選定を取り仕切る旨を伝え、K社に個人的な利益提供を要求したという。
 「国技館の改修工事は、これまでの仕切りを一旦ご破算にして、私の仕切りの下で動き出す」、「K社はやりたいか(受注したいか)」、「やりたいんだったら、金かかるで」。

 小林顧問は施工業者の選定やり直しに介入した。特定の会社が施工業者として選定されるよう働きかけを行い、施工会社の1社から2回にわたって8000万円の裏金を小林顧問の口座に振り込ませていた。小林顧問は相撲協会の発注方針を無視し、自分が主体となって勝手に工事請負契約の交渉を行った。30億円が予算だった見積額を膨らませ41億円以上で契約を結んでいる。これを、相撲協会の理事会に諮ることなく勝手に契約を結んでいたという。相撲協会が求めている損害賠償額は1億6500万円だが、調査の進み具合によっては今後さらに請求が上がる可能性がある。


【貴乃花親方"暴行"疑惑の余波】
 2012.5.9日、「日刊サイゾー」の「入門者がいなくなる!?」元弟子が暴露した貴乃花親方"暴行"疑惑の余波」。
 5年前の時津風部屋における弟子暴行死亡事件を皮切りに、各部屋の親方の暴行事件や力士の大麻事件、さらには八百長疑惑による力士の大量解雇など、一時は存亡の危機に直面した大相撲。角界の旧態依然とした体質の大胆な改革を唱え、近い将来の理事長候補として期待されている貴乃花親方の弟子に対する暴行疑惑を、「週刊新潮」(新潮社)の5月3・10日号が報じている。

 同誌に告白したのは、2年前に入門し、今年3月8日に廃業した18歳の元弟子。この元弟子によると、今年1月の初場所で、入門から初めて勝ち越したため同親方に報告に行くと、「なんで先輩よりも先に報告に来るんだ!」と怒鳴りつけられ、腹や顔面をボコボコに殴られたという。この元弟子に対する同親方の暴行は入門から1年が過ぎたころから突如始まったが、同親方の弟子たちへの暴行は以前からほぼ満遍なく行われ、1人につき多い時は週に1~2回、少なくとも月1回は繰り返されていたという。

 部屋のおかみさんである景子夫人も見て見ぬふりだったというが、この元弟子が部屋を飛び出すと、実家の父親に電話をしてきた景子夫人は、父親から同親方の暴行を聞かされ「知らなかった......ショックです......」と話したという。

 さらに、同部屋からは円満解決を図るべく、これまでの生活について「いじめや問題となる行為をなんら受けることはなく......」などと書かれた「誓約書」なる文書が送られ、文書に親子で署名・捺印しての返信を求められたという。怒りが収まらない父親は2度にわたって日本相撲協会に抗議するもナシのつぶてだったというから、角界の変わらぬ体質がまたまた浮き彫りになってしまった。

 「貴乃花親方はいわゆる"かわいがり"的な暴行は当たり前の環境で育ってきたため、加減できなかったのでは。2004年2月に貴乃花部屋を構えた際、貴乃花親方は『5年以内に関取を育てる』と宣言したが、いまだに育てた関取はゼロ。というか、名選手が名コーチになれない典型で、教え方があまりうまくなく、まったく入門者がいない時代が続いていた。現在、幕下で十両入りを目指す弟子3人は貴乃花親方自らスカウトしたとはいえ、1人はモンゴル人、2人は高校時代に実績のある力士で、貴乃花親方の指導よりも、本人たちの素質によるところが大きい」(角界関係者)

 4月22日に放送されたドキュメンタリー番組『情熱大陸』(TBS系)では、3月の春場所で担当部長に抜擢された貴乃花親方に密着。集客に奔走する姿、ケガをした弟子をいたわる姿、さらには、地方で入門希望者たちと対面する姿などが放送されたが、少なからず暴行疑惑の余波はありそうだという。

 「貴乃花親方は部屋と別の場所に自宅があり、毎朝電車で部屋に通うという角界では珍しい"通い親方"。朝稽古が終わると日課の散歩に出かけるので、ろくに弟子たちとちゃんこを食べないし、景子夫人もめったに部屋に姿を見せない。にもかかわらず、テレビカメラが入ると、"理想の部屋"のような雰囲気を演出して最大限に部屋をPRしている。そんな中、今回明らかになった貴乃花親方の"裏の顔"は、弟子集めに多大なる悪影響を与えるだろう。数年間続いた入門者なしに逆戻りする可能性もありそう」(スポーツ紙記者)

 貴乃花親方は25日、暴行疑惑について日本相撲協会から聴取されたが、同協会の危機管理委員会副委員長を務める八角親方(元横綱・北勝海)は「貴乃花親方に事情を聴いたが、暴行の事実は否定していた。今の状況で協会が介入することはない」とコメント。どうやら、同協会が未来の理事長候補とも言われる貴乃花親方の"裏の顔"をまともに追及する気はなさそうだ。

【12代理事長に北の湖敏満親方が再就任】
 2012(平成24).1月、12代理事長に北の湖敏満親方が再就任。

【北の湖理事長の還暦土俵入り
 2013(平成25).6.9日、大相撲の元横綱で、5月に60歳を迎えた日本相撲協会の北の湖理事長が、東京・両国国技館で還暦土俵入りを披露した。横綱の長寿を祝する儀式は歴代9人目。理事長在任中では1988年の二子山理事長(元横綱初代若乃花)以来25年ぶり4人目となった。約1000人の来場者が見守る中、全盛期の77年に愛用した、タイの図柄の化粧まわしと、赤い綱を締めた北の湖理事長。せり上がりでふらつく場面もあったが、しこは力強く「この土俵に上がって綱を締めると緊張の度合いが違う。しこだけはいい音がしたでしょう」と振り返った。太刀持ちは九重親方(元横綱千代の富士)、露払いは貴乃花親方(元横綱)。3人合計77回の優勝を誇るメンバーで雲竜型の土俵入りを終え「時代をつくった方々と一緒にでき光栄。また新たな気持ちで頑張ります」と、職務の完遂を誓った。

【12代理事長に北の湖敏満親方が再就任】
 2013.9.29日、大相撲秋場所(東京・両国国技館)の表彰式で日本相撲協会の北の湖理事長(右)から賜杯を受け取る白鵬。前日14日目に4場所連続27度目の優勝を決めていた白鵬は、千秋楽の日馬富士戦にも勝って14勝1敗とし有終の美を飾った。

【小林慶彦の奇怪】
 北の湖が理事長に返り咲いた時、小林慶彦(58歳)が日本相撲協会の顧問になつている。経営コンサルタントの肩書きを持つが経歴不詳である。何やら裏取引があって送り込まれた人物であることが容易に推理できる。「台湾出身。立命館大卒、兵庫県警のマル暴だったらしい。2004中国巡業、2006台湾巡業、2008モンゴル巡業、2013インドネシア巡業の勧進元。株式会社エーティーアンドシージャパン社長」とある。

 2014.1月、この小林顧問が、2013年夏頃に相撲協会が大手パチンコメーカーと結んだライセンス契約に関連してパチンコメーカーから2度にわたって計1700万円の裏金を受け取っている様子がネット動画サイトで暴露された。舞台裏が次のように明かされている。
 元協会顧問の小林慶彦氏(62、平成28年1月解雇)は、解雇されるまでの約4年間、協会の危機管理に関する業務などを取り仕切っていた。平成25年12月、八角親方が、小林氏の裏金疑惑を告発する手紙を受け取った。手紙には、「平成24年11月頃、小林氏が相撲協会顧問という立場を利用して、力士のパチンコ台製作に関して、交渉相手だった広告企画会社S社のM社長から2回に分けて合計1700万円の裏金を受け取っている」との内容が記されていた。当時S社には、元横綱朝青龍のマネジャーだったI氏が従業員として在籍していた。I氏が小林氏とM社長の間を取り持った。小林氏はM社長にこんなことを言っている。 「自分は昔は兵庫県警の暴力団担当の警察官をやっていたが、今は相撲協会の危機管理の仕事をしている」、「北の湖親方の秘書もやっている」、「相撲協会公認のパチンコ台を作ろうと考えている」。小林氏はM社長に対し、パチンコ台製作で使用する四股名などの名称利用の許諾を相撲協会が認めるように手配する旨を説明。M社長はパチンコ台の企画書を作成した。すると小林氏は、このパチンコ台製作に反対しそうな協会理事がいることを示唆し、「裏金がいる」、「2000万円ぐらい用意してくれ」などとカネを要求した。これを受けM氏から裏金を授受したが、その時の様子が動画撮影されネット上に公開される破目になった。ワイシャツにネクタイ姿の小林氏が、現金500万円入りの紙袋を受け取り、中から札束を取りだし、帯封つきの札束を数える様子、「これ、絶対にばれんようにしてくれる?」などと言いながら封筒に詰め込む様子が映っている。この動画はM社長側が裏金を渡した証拠を残すために隠し撮りしたものだったといわれている。結局M社長はパチンコ台製作を請け負うことができず、協力者だった別のライセンス会社社長と仲違いして金を脅し取ろうとし、恐喝容疑で平成27年7月に逮捕されている。

 「ソース/夕刊フジ 」参照
 https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180115/spo1801150003-n1.html

【九重親方が小林慶彦の奇怪を告発】
 当時、相撲協会NO2にして事業部長を務めていた九重親方が、北の湖理事長に、「大変なことになっている」と進言。1.6日、理事会で、九重親方が、小林顧問の裏金授受疑惑を問題にして「外部で調査委員会をつくるべき」と発言し、責任追及音頭を取った。小林顧問は裏金受領を渋々認めものの、「お金を返したから問題ない」と居直った。調査委員会をつくることになったが、小林顧問派は委員会の開催時期を理事改選の後にするよう図った。これが癖だまであったが、その時は誰も気づかなかった。日本相撲協会内のこの大ニュースを大きく報じたメディアは日刊ゲンダイを含めてごくわずか。スポーツ紙は申し訳程度の記事しか掲載しなかった。マスコミは要するに国際ユダ屋の意向通りにしか書けない書かない。実のところ、そういう風には研究されていないが戦前も然りであった。戦後はなおさらで、勝ち馬にしか乗らない、長い物に巻かれろでしかない。

 1.30日、相撲協会は新公益財団法人へ移行。1.31日、理事選が行われた。この際、小林顧問派が九重親方落選を企画、「まさかの落選」を演出し、「11人中ただ1人落選」という不名誉な憂き目にあわせた。九重親方は理事から委員に降格となった。「顧問はお咎めなし、咎めた九重親方の方が逆に理事選落選」となった。

 次のように証言されている。「前回の理事選は友綱親方に票を集めて九重親方をはじき飛ばした。北の湖理事長の右腕といわれた協会顧問の策略であった。九重親方は今回の選挙で理事に再選されていたら、外部理事も出席して話し合いが行われる新公益法人に移行した最初の理事会で、小林顧問の悪事を暴露して解任の緊急動議を出す腹づもりだった。その計画がパーになった。九重親方は理事落選により2年間、冷や飯を食わされることになった。手にしたのは5票。あと2票取っていれば友綱親方に理事職を持って行かれることはなかった。実は北の湖理事長をドンとする出羽一門筋の水面下での『票を回してやる』口約束を信じて買収工作せず落選につながった。要するに一杯食わされたんですよ」。

 陰謀通りに事が運び、協会の危機管理委員会(委員長/宗像紀夫・元東京地検特捜部長、外部理事)が開かれたものの、「すぐに返却したので問題なしのお咎めなし」結論を下し、理事会に報告、承認された。「宗像紀夫」と云えばロッキード事件で公判担当検事を務めており、それ以来、検察裏街道一直線に出世街道を歩み詰めている面汚しでしかない。こんな御仁が人選されているだけで碌なことにならないのは自明であろう。

 この逆裁定により小林顧問は引き続き北の湖体制に食い込み協会内で権力を持ち続けることになった。協会を所管する内閣府が、相撲協会に理事会の議事録と危機管理委の報告書の提出を要請したものの、真相はどうやら「現金授受を問題なしと結論づけた報告書の提出を協会に求めた」のであって、真相解明に愛の鞭を振るった訳ではない。公益法人の認定の可否などを審査する公益認定委員会に協会提出資料を添えて経緯を報告、協会の一連の対応に問題がなかったかの判断を形式的に求めただけのようで何事もなく経過している。もっとも取上げただけで偉いと云うべきかもしれない。

 小林顧問の利権活動は他にもある。理事会の承認を得ないままの独断専行で、相撲協会が別のメーカーと過去現在すべての力士の肖像権を1億円でライセンス契約させており、これも発覚している。他にも、国技館の改修工事やパソコンの入れ替え、エアコンの施設工事などに関わっている。

 2014年、3.24日、横綱審議委員会(内山委員長)が開催され、大相撲春場所を14勝1敗で優勝した鶴竜の横綱昇進を満場一致で推薦答申した。同時に北の湖理事長の理事長再選を決め北の湖理事長体制が信任された。

 8.30日、朝日新聞に「相撲協会顧問の小林の現金授受問題、内閣府が対応を検証へ」という記事が掲載された。何でこの時期の記事なのかは分からない。
 
※週刊ポスト2021年11月19・26日号
八角理事長が法廷で告白した「相撲協会と裏金」一部始終を傍聴ルポ」。
 法廷の場でついに真相が明らかに―─『週刊ポスト』のスクープで発覚した、相撲協会のパチンコ裏金疑惑に端を発した内部闘争が大詰めを迎えている。裁判で証言台に立った八角理事長(元横綱・北勝海)は、組織のガバナンスが崩壊していたことを自ら告白。九州場所初日を目前に、土俵外バトルが過熱している。

 傍聴席に協会幹部がズラリ

 10月29日、東京地裁103号法廷は異様な空気に包まれていた。この日の公判は、相撲協会が原告となった損害賠償訴訟で、被告は協会の元顧問・小林慶彦氏と同氏が代表を務めたコンサルティング会社。原告側の特別傍聴席には尾車事業部長(元大関・琴風)、芝田山広報部長(元横綱・大乃国)、春日野監察委員長(元関脇・栃乃和歌)という協会の最高幹部が居並ぶなか、緊張した面持ちで証言台に立ったのが、八角理事長だ。そこでの証言は、現在の協会トップが、たった1人の“顧問”の力に怯えていたことを告白する内容のものだった。「千代の富士さんは、小林に悪口を言われて(理事選で)足を引っ張られた」、「小林が私を悪く言って、“八角を使わないように”と北の湖理事長に進言するのが怖かった」。

 この裁判は、コロナ前は年間100億円を超える経常収益を誇った相撲協会で、組織のガバナンスが機能せず、取引業者との間で裏金が動いていたことを協会が自ら主張するという異色の展開を辿っている。被告の小林氏はもともと、2015年に他界した北の湖理事長に重用された人物だった。2016年、八角理事長体制となった協会は小林氏との契約を解除。さらに翌2017年になって小林氏の在職中に背任行為があったとして、協会が損害賠償を求める訴訟を起こしている。今回の公判はその最終口頭弁論だ。「協会側が小林氏の背任行為だと主張している主要な案件は2つあり、ひとつが両国国技館の改修工事を巡り施工業者から8000万円を受け取っていた問題、もうひとつは力士が登場するパチンコ台の契約を巡って仲介業者から1700万円が渡った問題だ。信用毀損による損害なども含め、当初1億6500万円だった損害賠償請求額は、提訴後に増額されて5億1000万円まで膨れあがった」(協会関係者)。つまりは北の湖理事長時代の組織の腐敗を八角理事長が追及するという構図の巨額賠償訴訟なのである。この日は八角理事長と小林氏本人が出廷。関係者の注目が集まった。そして、北の湖理事長体制においても協会ナンバー2の事業部長などの要職にあった八角理事長が、実際には小林氏の言いなりであったと本人が認めるという衝撃的な主張が繰り広げられたのだ。

 公印も管理できていない

 前述したパチンコ台の契約を巡る裏金疑惑はもともと、北の湖理事長が存命だった2014年に『週刊ポスト』のスクープによって明るみに出たものだ(同年1月24日号掲載)。記事では、大手パチンコメーカーとの間に入った代理店経営者A氏が、小林氏に対して500万円の札束が入った紙袋を手渡す動画の内容とともに、その後にビジネスから外されたA氏の「理事たちを懐柔する“実弾”が必要だと裏金を要求され、2回にわたって計1700万円を渡した」とする証言を報じた。動画には分厚い札束を手にする小林氏の姿や「絶対これ、バレんようにしてくれる?」、「(残りは)小分けでも構わんですよ」といった生々しい音声が収められていた。「当時、国技館改修工事を巡る資金の流れやパチンコ裏金疑惑を問題視したのが、理事だった元横綱・千代の富士の九重親方だった。しかし、北の湖理事長体制下では“裏金はすぐに返した”といった小林氏の主張が通って追及は叶わず、直後の2014年1月末の理事選で九重親方は落選。小林氏の言い分を信じた北の湖理事長が、九重親方が自分の地位を脅かそうとしていると考えて、票を回さずに失脚させたとされている」(前出・協会関係者)。

 東京地裁の証言台に立った八角理事長は、そうした協会組織の歪な実態を認める告白を続けた。「(小林氏は)チケット(の差配)や国技館改修工事に干渉してきた。協会内部でストップがかけられなかった。北の湖理事長と近いため、(追及すれば)変な噂を流されることになる」。当時の九重親方の失脚についても、小林氏が国技館改修工事の代金から裏金を捻出する計画を持ちかけ、九重親方がそれに応じなかったために、「千代の富士さんは、小林に悪口を言われて(理事選で)足を引っ張られた」と説明。協会の理事選出に、1人の顧問が大きな影響力を持っていたと主張したのだ。その後、自らが改修工事を取り仕切る役職に就いてからも、「(工事を)拒否して足を引っ張ったら(小林氏に)悪い噂を流される」、「必要ない工事を止められず、苦しくて精神的に参った。不整脈で病院に運ばれたこともある」と、要職にありながらその地位を追われる恐怖に駆られていたことを明かしている。さらには、裏金疑惑のあったパチンコ台の契約についても「締結は小林がやって、協会には説明がなかった」、「私は(事業部長として)公印は押していない」として、公益財団法人たる協会の公印が、適切に管理できていない実態まで証言した。その後の裁判官からの質問にも「(小林氏の悪評を流すと)選挙や役員改選で不利になる」「(北の湖理事長に対して)はっきりダメとは言えなかった」「下手に言うと協会内の立場が危うくなる」などの主張を繰り返した。最後に八角理事長は「私は理事長として6年間、公明正大に運営してきましたが、小林が私腹を肥やしていて残念です。今後はこのようなことがないようにしたい」と宣言したが、裏金疑惑の当時からナンバー2の立場にあったという自覚は感じられなかった。それほどまでに小林氏の影響力が大きかったということなのか。公判では、続いて小林氏その人が証言台に立った。

 裏金の授受が“演技”?

 小林氏は八角理事長や傍聴席に陣取る親方衆の鋭い視線にも気後れすることなく、協会の人事に影響力があったとの原告側の主張に対し、「北の湖理事長が決めていた」、「人事には関与していない」とし、九重親方を2014年の理事選で落選させたという疑念についても「できるはずがない。親方衆の票で決まる。一般人が入る余地がない」と否定。協会側とは真っ向から食い違う主張を展開し、国技館改修工事の業者の選定なども、すべて北の湖理事長の意向に沿ったものだと証言した。パチンコ台の契約を巡る裏金については、札束を手渡したA氏が経営する代理店に旧知の間柄だった従業員がいて、その従業員の顔を立てるためにいったん受け取ってからすぐに返却したと主張。動画に残された「バレんようにしてくれる?」という言葉については、その旧知の従業員を助けるために「(演技を)真剣にやっただけ」と言ってのけた(A氏は『週刊ポスト』取材に裏金は返却されていないと証言している)。同氏が代表を務めたコンサルティング会社への協会関連業者からの振り込みも、「従業員が担当した仕事。関知していない」と平然と答えた。

 八角理事長や協会幹部は、その様子を苦々しい表情で見つめていた。それもそのはずだ。この裁判における対立構図は、ここ数年の協会内での激しい内紛にもつながってくるのだ。「北の湖理事長の死後、後ろ盾を失った小林氏は、八角理事長への接近を試みたが、不信感が強く、懐柔は難しかった。そこで今度は貴乃花親方を担ぎ上げて理事長にしようと画策したのです。貴乃花親方はモンゴル力士の暴行事件をきっかけに協会執行部と激しく対立し、2018年に追われるように協会を退職したが、小林氏と接近したことを快く思わない親方衆は多く、協会内で孤立した一因だった」(ベテラン記者)。協会、小林氏の代理人の双方に進行中の裁判についての見解を改めて問うたが、回答はなかった。裁判は年明けには結審する予定だ。角界における様々な騒動の震源となってきた対立構図に、どのようなかたちで決着がつくのか。

 2013.10月、池坊保子氏の相撲協会評議員就任が決定された。初の女性評議員として注目された。翌2014.3月、議長に選任している。

【日本相撲協会が公益財団法人になる】
 2014(平成26).1.30日、日本相撲協会は公益財団法人の登記を行い、新法人としてスタートした。財団法人となった1925年以来89年ぶりの衣替えで、引き続き税制の優遇を受ける。東京・両国国技館で記者会見した北の湖理事長(元横綱)は「広く国民の皆さまに親しまれる相撲協会を築き上げたい」と語った。31日に新たな理事の候補を決める選挙を実施するが、大相撲三月場所(3月・大阪市)は現体制で開催する。三月所千秋楽の翌日にあたる3月24日に、公益法人として初めての評議員会と理事会が開かれ、新体制での運営が始まる。
 公益財団法人への移行に伴い、力士ら協会員の法的な身分などを定めた入門時の誓約書を全部屋から提出させたが、貴乃花部屋だけが提出していない。誓約書には、本場所や巡業といった協会の公式行事への参加を義務づけ、力士、行司らが師匠を通さずに直接協会に不祥事などを伝えることができる「内部通報制度」なども記されている。ある親方は「貴乃花親方は『師匠が絶対』という考え方が強く、新しい誓約書に納得ができないのではないか」と話している。

【千代の富士/九重親方抹殺考】
 「日」の「こうして千代の富士 九重親方は抹殺された!全内幕 vol.01 」参照。
 1月31日、その瞬間、両国国技館は異様な雰囲気に包まれた。「事前に苦戦は伝えられていたものの、協会ナンバー2である事業部長の九重親方(58歳、国民栄誉賞受賞の国民的スターの元横綱・千代の富士)が相撲協会理事候補選で落選した。落選するのは史上初」。理事選の仕組み。角界には一門と呼ばれる派閥が存在する。各親方は相撲部屋に所属し、各部屋は一門に所属する、という形だ。今回の選挙で出羽海が3、二所ノ関が2、伊勢ケ浜が2、時津風が1、高砂が1、貴乃花グループが1と、6つの一門で10の理事の座を分け合っている。本来、理事のポストは一門内で受け継がれ、今回の理事選は定年を迎える2名の理事(高崎親方=出羽海、楯山親方=二所ノ関)の後継で新たに2名が入る形で決着するはずだった。しかし、もう1名の親方が立候補し、定員10名を11名で争う選挙になった。総票数97のうち九重親方が獲得したのは5票。最下位の11位。選挙後、九重親方は、「不徳の致すところです。(落選は)しょうがない」とコメントを残した。大横綱が落選し役なしの親方になるのは前代未聞。

 九重親方の命運を決めたこの理事選だが、その内幕をタニマチ関係者が語る。「実は"九重次期理事長"路線はほぼ確定していた。02年に初めて理事長になった北の湖は、08年に弟子の大麻問題などで引責辞任。12年に理事長に返り咲いたんだが、これは貴乃花理事と九重理事が理事会で強硬に"北の湖復帰"を主張したおかげだった。その功績で、北の湖理事長は九重理事をナンバー2の事業部長に据え"次は、おまえだ"と指名したんだ」。

 しかし、昨年の秋頃から、理事長と九重親方の間に、ある問題が持ち上がる。「パチンコ利権や。あるメーカーが相撲協会公認の『パチンコ大相撲』を作ろうとして、実際にもう協会と契約も交わしたんやが、その件が火種になった」(前出・角界関係者)。この契約に関し、「北の湖理事長の"右腕"Xが500万円の裏ガネを受け取った」という報道がなされたのは1月10日発売の週刊ポスト誌上でのことだった。その後もネット上で現金授受現場の動画が公開されるなど騒動が続いたが、渦中のXは取材に対して「現金は返した」と明言している。「理事選直前のタイミングで、理事長側にダメージを与えようとする、これらの動きは怪しすぎる。九重側の仕掛けだと理事長側が認識し反撃に出た」(夕刊紙記者)。その理由はというと、「実は、協会と契約したのは理事長と関係が深い会社なんだが、九重部屋の後援会長が別のパチンコメーカーの会長なのは有名な話。そうした絡みもあって、九重が理事長側に揺さぶりをかけたらしい」(前出・タニマチ関係者)。しかし、これに理事長側が激怒。電光石火で「九重を潰せ!」という指令が下されたという。

 "九重潰し"の刺客となったのが友綱親方。出馬前には「(選挙は)フタを開けるまでわからない。失うものは何もない」と意味深な台詞を吐いていたが、「友綱は酒も飲まないし、厳格な取材対応などでも知られる超カタブツ。"九重潰しは角界の未来を救うためだ"と説得され、出馬を決めたんでしょう」(前出・夕刊紙記者)。結果として、友綱親方は7票獲得、九重親方は落選。実は両者には、2年前の理事選でも最後の理事の座を懸けて争った因縁があり、そのときは九重親方が7票で最下位当選、友綱親方は6票で涙を呑んだ。「とにかく九重さんは選挙に弱い。つまり、協会内でまったく人望がないんです。初めて理事になったのも08年と遅く、理事選のたびにビリ争いですからね……」(前出・スポーツ紙記者)。今回の理事候補選を「因果応報だね」と皮肉な笑みを浮かべて語るのは、古参の後援会関係者だ。「まず思い出したのは、北の富士のことだよ。ウルフも、あんなことしたんだからなあ……」。

 千代の富士の師匠である北の富士が理事選で煮え湯を飲まされたのは、98年のことだった。当時の境川理事長が打ち出した"親方株は協会が預かる"という改革案が親方衆の猛反発に遭い、それまで無風状態だった理事選が初の選挙戦に突入。高砂一門は共倒れを避けるために、候補者を1名に絞る方針を打ち出した。その候補者を決める決選投票で、広報部長という要職にあり、次期理事長と目されていた北の富士が高砂親方(元小結・富士錦)に敗れたのだ!この結果、北の富士は即座に相撲協会を退職し、角界を去った。02月19日公開のvol.02につづく・・・。週刊大衆02月24日号

 「この一門での投票時に、千代の富士が北の富士に票を投じなかったんだよ。これはいわば、子が親を手にかけるような所業で、いくらなんでも……と話題になった。そのせいで北の富士は理事になれず、廃業することになったんだ。次期理事長と目されながら落選するという構図は、今回のウルフとまったく同じ。皮肉なもんだろ」(前出・後援会関係者)。さらに別の因縁もある。北の富士は、31回優勝の千代の富士と8回優勝の北勝海の2人の横綱を育てた。弟弟子の北勝海は現在、八角親方として協会の広報部長の要職にある。しかし、兄弟弟子である九重親方と八角親方の関係は冷え切っているという。「現役時代、兄弟子に、さんざんな"かわいがり"に遭ったみたいだからね。93年、千代の富士が継いだ九重部屋から独立して八角部屋を興したとき、当時、九重部屋付きだった親方4人全員が八角部屋に移籍して話題になった。当時から千代の富士が、いかに嫌われていたのかって話だよ」(タニマチ関係者)。そして、皮肉にも次期理事長の座は、弟弟子の八角親方のもとに転がり込むことになるという。「彼は広報部長に就任して以来、協会は広報活動においてさまざまな新機軸を打ち出している。また、八角さんは角界には珍しい常識人で人当たりもよく、北の湖理事長との関係も非常に良好。"次は八角"というのは、ほぼ確定しているようです」(夕刊紙記者)。

 11年、本場所を休止する事態に発展した八百長問題もまだ記憶に新しいが、角界は生まれ変われるのか。八百長疑惑報道で知られるノンフィクションライターの武田頼政氏は、こう警鐘を鳴らす。「先場所、本割で敗れたものの、優勝決定戦で勝って優勝した横綱・白鵬の一番のように、相変わらず場所を盛り上げるため、"疑われる"相撲をやっているようではダメ。一度、いまの組織を解体したうえでしか相撲の再生はあり得ないと思います」。そこで登場するのが、貴乃花親方の名前だ。「実は、北の湖さんの悲願は"貴乃花理事長誕生"なんです。彼ほどの実績を残した横綱はおらず、相撲愛、ストイックさなどから貴乃花を熱烈に推す親方衆も数多い。北の湖と貴乃花の2人には、しっかりしたパイプがあり、蜜月の関係です。八角さんはワンポイントで、次は貴乃花という流れでしょう」(夕刊紙記者)。
当落 票数 親方名 四股名 年齢 一門
10票 北の湖 元横綱北の湖 60 出羽海
10票 出来山 元関脇出羽の花 62 出羽海
10票 千賀ノ浦 元関脇舛田山 62 出羽海
10票 松ケ根 元大関若嶋津 57 二所ノ関
10票 鏡山 元関脇多賀竜 55 時津風
9票 貴乃花 元横綱貴乃花 41 貴乃花
9票 伊勢ケ浜 元横綱旭富士 53 伊勢ケ浜
9票 八角 元横綱北勝海 50 高砂
8票 尾車 元大関琴風 56 二所ノ関
7票 友綱 元関脇魁輝 61 伊勢ケ浜
5票 九重 元横綱千代の富士 58 高砂

【71代横綱・鶴竜誕生、北の湖理事長の理事長再選を決める】
 2014(平成26).3.24日、横綱審議委員会(内山委員長)が開催され、大相撲春場所を14勝1敗で優勝した鶴竜の71代横綱昇進を満場一致で推薦答申した。横綱3人が全てモンゴル出身力士で占められる。同時に北の湖理事長の理事長再選を決め北の湖理事長体制が信任された。

 2014.3月、相撲協会が、池坊保子評議員を相撲協会評議員議長に選任している。

【公益財団法人移行後の新体制】
 2014(平成26)年.4.3日、日本相撲協会は理事会を開き、公益財団法人に移行した新体制を担う親方衆の担当職務を決定した。注目の、次期理事長の座に最も近い、協会ナンバー2「事業部長」に誰が就任するか、で、北の湖理事長が指名したのは八角親方(元横綱・北勝海)だった。「驚いたのは、貴乃花親方と九重親方(元横綱・千代の富士)の処遇」で、41歳の最年少理事に選ばれた貴乃花親方は「広報部長」と並んで“協会ナンバー3”とされる「総合企画部長」(ファンサービスなどを担当)に就任。それと同時に、相撲を広める「指導普及部長」、協会員の素行に目を光らせる「生活指導部長」、八百長の監視に当たる「監察委員長」と、不祥事が起こった際に再発防止に努める「危機管理部長」のほか、相撲博物館の運営委員と、実に6職務を担当するという重責を担うことになった。

 その一方で、冷や飯を食わされたのは九重親方(元横綱・千代の富士)である。前体制では事業部長を務め、一時は次期理事長の筆頭とまでいわれながら、先の理事選でまさかの落選を喫し、無気力相撲をチェックする「監察委員」の命を拝するのみとなった。これは、理事、副理事、役員待遇をも飛び越す「3階級降格」となった。
 2014年に相撲協会が公益財団法人に移行する際、全部屋から契約書(力士ら協会員の法的な身分を定めた入門時の誓約書、内部通報制度)の提出を求めたが、貴乃花部屋だけいまだ提出していない。

【「次期・貴乃花理事長体制」の動き】
 2014.4.16日、日本相撲協会の公益財団法人移行後の新体制につき、「次期・貴乃花理事長体制」に向かって形勢が固まりつつあるとする見方がある。貴乃花シンパの若手親方を中心に一門の枠を超えてまとまりつつあると云う。最大派閥である出羽海一門から、“貴乃花派”を表明した玉ノ井親方(元大関・栃東)が古参親方を抑えて副理事に登用されている。時津風一門の錣山親方(元関脇・寺尾)が理事選で貴乃花親方に投票している。浅香山親方(元大関・魁皇)は伊勢ヶ濱一門の友綱部屋から独立して貴乃花派への移行を準備していると云われている。北の湖理事長は今後、ナンバー2の八角親方をワンポイント理事長に据え、その時に貴乃花親方を事業部長に起用。1期終了した後に「貴乃花理事長」の誕生という絵を描いているようだ。今回の人事の貴乃花親方の重職兼務について、北の湖理事長は、「精進してきた貴乃花は相撲道の鑑。あらゆる仕事を覚えて、将来を担うために頑張ってほしい」とエールを贈っている。(週刊ポスト2014年4月25日号)

【春日野部屋内暴行事件】
 2014.9.5日夜、春日野部屋に所属力士(24)が千葉県出身の弟弟子(22)の顔を殴られたり腹を蹴られたりし、顎(あご)の骨を折る全治1年6カ月の重傷を負う事件が発生した。元力士が若い力士を集めて掃除の仕方を注意しようとした際、男性が元力士の指示に反し、先輩力士のマッサージ中だった若手も呼びに行ったため、腹を立てた元力士から暴行を受けたという。男性は暴行の後遺症で味覚を消失し引退。引退を余儀なくされ、現在は清掃業で生計を立てている。暴行したのは13年に新弟子検査に合格し、15年7月の名古屋場所を最後に引退した福岡市の元力士。

 2014.10月、被害男性が元力士を傷害容疑、春日野親方を保護責任者遺棄容疑でそれぞれ刑事告訴した。元力士は有罪判決が確定したが、春日野親方は不起訴処分になった。事件発生時の危機管理部長は貴乃花親方だった。春日野部屋では11年、春日野親方が弟子をゴルフのアイアンで殴ったことが発覚。親方は暴行を認めたが、弟子が被害届を出さなかったため事件化は見送られている。裁判で男性は、親方は「冷やしておけば治る」などと言って早期に適切な治療をさせず、症状を悪化させ、元力士に対する指揮監督も怠ったと訴えている。親方は、別の力士を通じて通院を指示したとした上で、「事件を隠蔽(いんぺい)する意図はなかった」と反論。元力士も「暴行の発端をつくった男性にも過失がある」と主張している。

 2017.3.22日、この男性は、春日野親方(元関脇・栃乃和歌)と元力士に3000万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。

 2016年6月に懲役3年、執行猶予4年の有罪判決が確定した。親方には元力士に対する監督責任があったとしている。春日野親方は事件の存在を公表していない。2018.1.25日、関係者への取材で分かった。春日野親方は元力士の判決確定時、日本相撲協会の理事。元横綱・日馬富士の暴行事件では広報部長として情報発信の責任者も担っていた。相撲協会は春日野部屋側から報告を受けたとしているが、時期や詳しい内容は明らかにしていない。

【白鵬が32度目の優勝を飾り「昭和の大横綱」の大鵬と肩を並べる】
 2014.11月11日、横綱白鵬(29)が九州場所(福岡国際センター)千秋楽結びの一番で、ただ一人、2敗で追っていた横綱鶴竜を圧倒し、14勝1敗で32度目の優勝を飾り、「昭和の大横綱」と呼ばれた大鵬の持つ歴代最多の優勝回数に並んだ。土俵下で行われた優勝インタビューでは、「この国の魂と相撲の神様が認めてくれたから、この結果があると思う」と涙ぐんだ。「昭和の大横綱」の大鵬と肩を並べ、「角界の父の偉大な記録に並んで、恩返しができた。一生忘れられない」と喜びをかみ締めた。

【白鵬の同体判定不服事件】
 2015.1.23日、初場所13日目、白鵬対稀勢の里戦。2人とも土俵の外に出るのがほぼ同時と判断され、白鵬は取り直しの末に勝利を収めた。だが、本人はあくまで1回目の取り組みで勝っていたとし、「子供が見ても(勝っていると)わかる相撲」と、審判団にかみついた。反響はすさまじく、翌日には相撲協会に100件以上の苦情が寄せられたという。後日、テレビ局のバラエティー番組に出演し、謝罪の姿勢を見せたが、問題はいまだにくすぶっている。だが、

【白鵬が5場所連続33度目の優勝を飾る】
 2015.1.23日、東京・両国国技館の初場所で、12戦全勝の横綱白鵬(29)が、結びの一番で、2敗で追う大関稀勢の里を取り直しの末に押し倒しで退けた。2敗だった横綱日馬富士が結び前に敗れていたため、千秋楽まで2日を残して白鵬の賜杯獲得が決まった。5場所連続33度目の優勝を決めた。「昭和の大横綱」と呼ばれた大鵬が1971年初場所で達成した32度の優勝記録を44年ぶりに塗り替え、単独で史上最多となった。白鵬は「うれしいです。(全勝優勝に向けて)今日みたいに精いっぱいやりたい」と語った。取り直しの熱戦を制した白鵬関は、43本の懸賞の束を受け取ると、拝むように顔の前に掲げた。風呂から上がっても目をつぶり、「まだ、2日ありますから」。

 白鵬は2000年10月に来日し、01年春場所で初土俵を踏んだ。新大関だった06年夏場所で、初の幕内優勝。07年夏場所後に第69代横綱に昇進した。横綱になってからは一度も休場せず、同じモンゴル出身の朝青龍が引退した後は、八百長問題などの不祥事で信用を失った角界を一人横綱として支えた。ハイペースで優勝を重ね、昨年九州場所で32度目の優勝を遂げ、大鵬に並んでいた。不滅と言われた「昭和の大横綱」の記録をついに超えた。

【大相撲一月場所千秋楽満員御礼】
 2015(平成27).1.25日、大相撲一月場所千秋楽満員御礼。18年目ぶりに東京場所で満員御礼が15日間読いた。現在 三、五 七月場所も15日間満員御礼が読いている。

【相撲協会の黒幕/小林慶彦元顧問】

 2015(平成27).1.26日、相撲協会財産を食い物にした小林慶彦顧問が解雇された。北の湖理事長の懐に入つた裏金専門のコソ泥である。この御仁を雇い雇い続けた北の湖理事長にはその限りでの責任がある。危機管理委員長である外部理事の宗像紀夫もワルである。宗像は悪事を取り締まる役職でありながら小林を見逃しす役割を果し続けている。財産を守ってもらうために雇用した外部理事(宗像)が悪(小林)と結託していることになる。宗像紀夫は、安倍内閣の内閣官房参与である。安倍内閣の参与が、相撲協会を破滅させる行動をとるとは想像し難いが事実である。今後も第二第三の小林慶彦が財産を狙ってくるであろう。

 内閣官房参与(ないかくかんぼうさんよ、英訳:Special Adviser to the Cabinet)は、日本の内閣官房の役職の一つ。内閣総理大臣(首相)の“相談役”的な立場の非常勤の国家公務員である。内閣が対応すべき各種分野において優れた専門的識見を有する人材を首相が直接任命し、任じられた当人は首相に対して直接意見を言い、また情報提供や助言を行う。いわゆる“ブレーン”、“側近”的存在。人数制限はなく、通常は複数人いる。職務に対しては守秘義務が課される。全員に、所属する内閣府や総理大臣官邸で一つずつ執務室が与えられる。また内閣参与の上に定員1名の内閣特別顧問が存在する。

 第2次安倍内閣では以下の14人が任命されている。

 飯島勲(特命)、藤井聡(防災・減災ニューディール)、本田悦朗浜田宏一(国際金融)、宗像紀夫(国民生活の安心安全)、中島正弘(東日本大震災の被災地の復興・再生)、吉村泰典(少子化対策・子育て支援)、堺屋太一(成長戦略)、平田竹男(スポーツ・健康)、谷口智彦(国際広報)、木曽功(ユネスコの文化関係施策)、大谷泰夫(国家公務員制度・健康医療戦略)、加藤康子(産業遺産の世界遺産登録推進と産業観光促進)


【小林慶彦顧問の裏金授受現場動画撮影事件】
 「貴乃花親方と八角親方の確執深めた「小林顧問」の存在 パチンコメーカーからの「裏金疑惑」で協会は提訴」。
 日本相撲協会内で対立する貴乃花親方と八角親方。双方にとって相反する顔を持っているのが、元協会顧問の小林慶彦氏(62、平成28年1月解雇)だ。貴乃花親方にとっては、尊敬する北の湖前理事長(平成27年11月死去、享年62)の側近であり、親しい関係にあった。一方、八角親方にとっては、顧問の肩書を利用して裏金を得るなどの噂が絶えない、信用ならない人物だった。小林氏の存在が両者の確執を深める要因でもあった。八角親方ら協会執行部は小林氏の不正行為を調査していたが、昨年12月25日、日本相撲協会として小林氏を相手取り、裏金を受け取るなどの背任行為があったとして総額1億6500万円の損害賠償を求めて提訴した。小林氏は、パチンコメーカーから裏金を受け取ったり、両国国技館の改修工事をめぐって利益提供を求めたりしていたというのだ。関係者によると、八角親方が小林氏と最初に会ったのは、平成23年6月だった。ある親方から「会ってもらいたい人がいる。北の湖親方に引き合わせるように頼まれたので」と言われ、小林氏を入れて3人で食事をしたという。八角親方は最初から、どこの誰かわからない小林氏に不信感を持っていた。協会内でも同様の声があったが、北の湖前理事長が連れてきた人物だったので、誰も注意することはできなかった。小林氏は解雇されるまでの約4年間、協会の危機管理に関する業務などを取り仕切っていた。

 八角親方がその不信感を色濃くする出来事があった。平成25年12月、小林氏の裏金疑惑を告発する手紙を受け取ったのだ。その手紙には「小林氏が力士のパチンコ台製作に関して、仲介業者から現金を受け取った」との内容が記されていた。損害賠償請求訴訟の訴状によると、小林氏は平成24年11月ごろ、相撲協会顧問という立場を利用して、相撲協会とパチンコメーカーとの四股名等の使用に関わる名称等利用許諾契約の締結交渉に関連して、交渉相手だった広告企画会社S社のM社長から2回に分けて合計1700万円の裏金を受け取ったという。当時S社には、元横綱朝青龍のマネジャーだったI氏が従業員として在籍していた。I氏が小林氏とM社長の間を取り持った。小林氏はM社長にこんなことを言っている。「自分は昔は兵庫県警の暴力団担当の警察官をやっていたが、今は相撲協会の危機管理の仕事をしている」、「北の湖親方の秘書もやっている」「相撲協会公認のパチンコ台を作ろうと考えている」。小林氏はM社長に対し、パチンコ台製作で使用する四股名などの名称利用の許諾を相撲協会が認めるように手配する旨を説明。M社長はパチンコ台の企画書を作成した。すると小林氏は、このパチンコ台製作に反対しそうな協会理事がいることを示唆し、「裏金がいる」、「2000万円ぐらい用意してくれ」などとカネを要求した。

 その後、この裏金の授受は公になる。M氏から最初に500万円を受け取った場面が動画で撮影されており、ネット上に公開される騒ぎになったのだ。小林氏と思われる男性が、ワイシャツにネクタイ姿で札束を受け取り、「これ、絶対にばれんようにしてくれる?」などと言いながら封筒に詰め込む様子が映っていた。この動画はM社長側が裏金を渡した証拠を残すために隠し撮りしたものだったといわれている。結局M社長はパチンコ台製作を請け負うことができず、協力者だった別のライセンス会社社長と仲違いして金を脅し取ろうとし、恐喝容疑で平成27年7月に逮捕されている。


【九重親方(元横綱千代の富士)が還暦土俵入り
 2015(平成27).5.31日、翌6.1日に60歳の誕生日を迎える九重親方(元横綱千代の富士)が、両国国技館で、太刀持ちに白鵬、露払いに日馬富士の現役横綱を従え、雲竜型の還暦土俵入りを披露した。現役引退の91年5月以来、赤い綱を締めて24年ぶりの土俵入り。アントニオ猪木氏、レスリング吉田沙保里、ボクシング亀田興毅ら約1200人が見守る中で、「ウルフ」の異名をとった全盛時と変わらぬ筋肉美を披露した。

【貴ノ浪こと音羽山親方が急死】
 2015(平成27).7.23日号週刊新潮掲載「【報じられなかった角界のタブー】往年の名大関「貴ノ浪」が命を落とした午前10時のラブホテル」参照。
 2015.6.20日、幕内勝利数は歴代11位の記録を誇る貴ノ浪こと音羽山親方が鬼籍に入った(享年43歳)。命を落としたのがラブホテルだった。午前10時20分頃、元大関・貴ノ浪(本名:浪岡貞博)こと音羽山親方が、伊丹空港から車で5分の距離にある、中小企業が軒を連ねる大阪府豊中市走井(はしりい)の、町に4軒あるラブホテルのうちのひとつに姿を現した。ホテルの部屋は全部で53。取り立てて特徴のない一室で、親方は“大阪妻”とコトに及んでいるうち、30分もしないうちに状態がワルくなり、慌てた相手の女性が受付へ連絡を寄こした。ホテルからの119番通報を受け、救急隊4人が向かったものの時すでに遅しだつた。死因は急性心不全。いわゆる腹上死。「貴ノ浪は有名人やし、去年から話題の連続青酸不審死事件のこともあって、司法解剖へ回したうえで、薬物検査もした。けど、死因に不審な点はなかったんですわ」。報告を受けた日本相撲協会は、事実をいくぶん糊塗して発表し、それを素直に受け取った新聞各紙はこう伝えている。〈20日午前10時55分、急性心不全のため滞在先の大阪市内のホテルで死去〉。突然死から2日後、名古屋市内で営まれた告別式に集った300人の列席者から“フクジョウシ”の噂が飛んでいた」。「親方は“宴会部長”とあだ名される陽気な性格で、放っておくとお喋りが止まらない。当然、われわれ記者からも愛されていました。貴乃花部屋に所属する親方として、後進の指導にあたる一方で、その仕事ぶりは協会内で高く評価されてきたのです」。事実、「広報部・記者クラブ担当」なる幹部候補ポストも経験済みだったのだ。「だから」とベテラン記者が続ける。「これからの出世は間違いなかった。それというのも、理事長の北の湖がそろそろ退任し、その椅子が八角、そして貴乃花へと引き継がれる流れが固まりつつありますから」。協会にとって大きな損失と惜しまれている。

【熊ヶ谷親方が傷害容疑で逮捕される】
 2015(平成27).9月、熊ヶ谷親方(当時)が傷害容疑で逮捕されている。

【】
 2015(平成27).11.17日、大相撲の横綱白鵬が所属する部屋の親方だった男がマネジャーの男性を金属バットなどで殴った罪に問われた裁判が始まり、男は起訴内容を認めた。一方、被害者の男性が取材に応じ、壮絶な暴行の状況を語った。”「相撲部屋で金づちで百発殴られ、元親方の暴行初公判」”というニュースが流れた。

【】
 「白鵬・朝青龍がモンゴルのTV番組で「日本帰化に理解を」」。
 「今まで帰化せずに土俵に立ってきた。(親方として)教えるために、なぜ帰化しないといけないのか?」。日馬富士による貴ノ岩に対する暴行事件が発覚する約2週間前の10月31日。モンゴルで放送されたテレビ番組で、元横綱・朝青龍(37)を相手にこう語ったのは、渦中の横綱・白鵬(32)だ。この番組「モンゴル民族の100人の偉人」は、モンゴルで注目を集める人物にスポットをあてる国民的人気ドキュメンタリーで、白鵬をとりあげたこの回の放送時間は、3時間半に及んだ。白鵬の発言の背景には、引退後、一代年寄となって白鵬部屋を立ち上げるには、日本国籍を取得しなければならないという相撲協会の規定に対する批判が込められている。番組制作に携わったプロデューサーのバトゾリク氏が舞台裏を明かす。「対談は5月頃、収録されたもので、帰化の話題は、ドルジさん(朝青龍)がいきなり切り出したのです。台本にはなかったので驚きました」。もし白鵬が帰化すれば、モンゴル国民が反発することは必至という状況を慮ってか、朝青龍は、こう切り出したのだ。「帰化はモンゴル人にとって本当にがっかりする決断です。(中略)でも、帰化すれば白鵬伝説は続くし、白鵬部屋も作れるのです」© 文春オンライン 「モンゴル民族の100人の偉人」に出演した2人(YouTubeより) 。朝青龍の援護を受けた白鵬自身も、こう続けた。「(日本の相撲には)入口はあるけど、出口がない」。日本の相撲界における一大勢力となったモンゴル力士たちの“本音”はどこにあるのか。12月21日(木)発売の「週刊文春」では、モンゴル現地ルポの他にも沈黙を貫く貴乃花の真意や、日馬富士の起訴をめぐるヤメ検弁護士の暗闘など、貴ノ岩暴行事件の核心を総力取材している。







(私論.私見)